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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第16章 異郷の神の裔
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16.01 シノブ故郷へ帰る

 どこか懐かしさを感じる場所で、シノブは今までの人生で数限りなく繰り返した行為をしつつ、今までに感じたことのない驚きを味わっていた。


 場所は神社の境内だ。エウレア地方とは全く異なる建築様式、総朱漆塗りの社殿の裏手である。かつては日本人であり歴史好きでもあるシノブにとって、心安らぐ風景ではある。

 そんな古くからの伝統を感じる場所で、シノブは手の平に収まる程度の薄い板を用い遠方と会話していた。これも、現代日本人であれば殆どの人が一度は、いや数え切れないくらい経験しているだろう。

 しかし使う道具と通話の相手は、シノブならではだ。彼が耳元に当てているのは神々の御紋、異世界の惑星を管理する最高神から授かった神具だ。しかも、話し相手は御紋を授けてくれた神聖なる存在、女神アムテリアであった。


『シノブ、貴方が今いるのは間違いなく日本です。貴方が生まれた、そしてかつて私達が守護した場所なのです』


 神々の御紋から、アムテリアの優しげな声音(こわね)が聞こえてくる。彼女は普段以上に柔らかな声で、ゆっくりとシノブに語っていく。おそらく、突然アルマン王国から飛ばされて別世界に転移したシノブを案じているのだろう。

 確かに日本はシノブにとって故郷ではある。しかし、既に八ヶ月以上もアムテリアの管理する惑星で暮らしてきたシノブとしては、生まれ育った地とはいえ単身放り込まれたら平静ではいられない。


「やっぱり! そ、そうだ! アミィ達は、それにシャルロット達は無事ですか!?」


 おそらく、シノブは途轍もなく動揺していたのだろう。彼が神社の境内に出現してから僅かな時間しか経っていなかったとはいえ、都市テルウィック近郊の廃城で共に戦ったアミィ達や、シェロノワにいるシャルロット達のことを、これまで思い浮かべることすら無かったからだ。


 もっとも、これは彼の心に一種の防衛本能が働いた結果かもしれない。

 いきなりアルマン王国やメリエンヌ王国などエウレア地方ではありえない光景、純粋な日本の伝統建築に現代技術を示す電灯やビルなどを見たのだ。ここがアムテリアの管理する惑星ではないことは、一目瞭然だ。

 だが、シノブは愛する者達との別離など考えたくもなかった。彼の表層意識が周囲に向けられていたのは、最悪の事態を思い浮かべるのを心の奥底で拒否していたからだろう。


 だが、アムテリアの声を聞いたシノブの心は、大きな驚愕に満ちてはいるが最前のような不安からは解放されていた。最愛の妻。最も信頼する支え手。愛する家族達。親しい者達。そしてまだ見ぬ我が子。アムテリアの美しく柔らかな声は、シノブに彼らと再び会う可能性を示してくれたのだ。


『安心しなさい。皆、元気にしています。アミィ達は、既に地上へと戻りました。全員無事です。それにシャルロットはもちろん、貴方の家族、それに各地の人々にも変わりはありません』


「そ、そうですか! ありがとうございます、アムテリア様!」


 シノブは、思わず歓喜の叫びを上げた。周囲に誰もいないから良いものの、そうでなければ注目を惹いたかもしれない。

 彼はスマホのような白く薄い板を耳に当てているから、唐突に叫び声を上げても誰かと通話していると思われるだけだろう。しかし、その衣装が良くない。


 現在のシノブの姿は、アルマン王国の西にある廃城で戦っていたときと同じである。白い軍服風の衣装に、膝下までの軍靴風のブーツ、そして緋色のマントを身に着けている。更に、胸元には光の首飾り、左手には篭手のような形状の光の盾、背には鞘に収めたとはいえ光の大剣を背負ったままだ。

 アムテリアは、ここはシノブ、つまり天野(あまの)(しのぶ)が生まれた日本だという。しかし、それが真実なら、劇か何かに出てくる西洋の武人のようなシノブは、運が良くても仮装として笑われるだろうし、下手をすれば警察官に職務質問され任意同行を求められることすらあるだろう。


 シノブは、自身の肉体には特に変化を感じていなかった。近くには鏡や窓ガラスなどは存在しないから、容貌を確認することは出来ないが、おそらくはエウレア地方にいたときと同じ、金髪碧眼の西洋人風の外見だろう。

 したがって外国人の奇行として見逃される可能性も無くはないが、大剣を背負っているから不審者と見なされても不思議ではない。


『シノブ、先ほども……』


「すみません、母上! ちょっと動転していたので!」


 悲しげなアムテリアの声を聞いたシノブは、彼女が何を言いたいか理解し謝った。やはり彼は、まだ地球に転移した衝撃から完全に脱してはいないのだろう。

 シノブは、神々の御紋を通してアムテリアから呼び掛けられたときと、つい先ほどの二回、彼女を母としてではなく名で呼んだ。それは、シノブを自身の(いと)し子として慈しむアムテリアにとって、非常に残念なことであったようだ。彼女の沈んだ声が、それを物語っている。


『それなら仕方ありませんが……そうでした、向こうのことは心配いりません。それに、アミィやシャルロット達には、貴方の無事を夢で伝えておきます』


「ありがとうございます!」


 シノブは、アムテリアの言葉に顔を綻ばせた。

 アミィ達からすれば、シノブが突然目の前から消えたように見えただろう。それを聞いたら、シャルロット達は強い不安を(いだ)くに違いない。しかし、アムテリアが知らせてくれるなら、案ずる事はない。彼は、そう思ったのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……ところで母上、グレゴマンやルーヴェナはどうなったのですか? それに、異神達は?」


 暫しの間、シノブは残してきた者達のことを思っていた。

 しかし彼は、戦いがどうなったか、そしてこれからどうすれば良いかを聞くべきだと気がついた。今のところ神社の裏手には彼しかいないが、人が現れる前に今後をどうするか決めたい。そう考えたシノブは、まずは廃城の地下の戦いについて訊ねる。


『貴方が倒した二人は、輪廻の輪に戻りました……本当に良くやりましたね。あの女性に宿っていた神霊は、私達が捕らえて上位の神に引き渡しました。おそらく、無に帰ることになるでしょう』


 一般にアムテリアは最高神と呼ばれている。しかし、彼女はあの惑星を含む太陽系を管掌しているだけであり、更に上位には世界全体を統べる神がいるという。どうやら、ルーヴェナに宿っていた神霊は、その上位神の手に委ねられたようだ。


『シノブ、あの二人の魂は私が責任を持って清めますよ。新たな生を得ることが出来るように』


 神々の御紋での会話に、アムテリア以外の誰かが加わった。アムテリアに続く声は、どこか中性的な印象の今までシノブが聞いたことのないものだ。


「もしかして、ニュテス様ですか?」


『ええ、その通りです。ところでシノブ、私のことも兄上と呼んでもらいたいですね』


 シノブの予想は当たっていた。どこか楽しげに応じているのは、夜と闇を統べ、死者を優しく迎え新たな道を示す神ニュテスだったのだ。


「わかりました。兄上、グレゴマン達をよろしくお願いします」


 輪廻の輪に戻ったのであれば、グレゴマンの非道を問うのは終わりにしよう。そう思ったシノブは、彼らの冥福を祈りつつ、ニュテスに語りかける。


『シノブよ、他の神霊の居所はわからん。あの辺りの地下にいないことは確かだが……心配するな、兄者達も探しているし、デューネやアルフールも海や森を探っている』


 今度は野太い男の声だ。シノブは、思わずイヴァールの顔を思い浮かべる。


「……テッラの兄上ですか?」


『おおよ! お前は頭が良いな!』


 シノブの問いかけに、大地の神テッラは嬉しげに答えた。

 だが、これはアムテリアが育む惑星に住み一定以上の知識がある者なら、誰でも察したことであろう。アムテリアの従属神は、上から闇の神ニュテス、知恵の神サジェール、戦いの神ポヴォール、大地の神テッラ、海の女神デューネ、森の女神アルフールだ。このうち上の四人がアムテリアの息子、残りが娘とされている。

 したがって、複数の兄がいる男神(おがみ)ならポヴォールとテッラ、しかも大地を探るならテッラが妥当である。


 もっとも、テッラが喜んだのは、最初から兄と呼んだことかもしれない。シノブは、イヴァール達に似た性格なら敬いすぎるのも、と思っただけだが、それがテッラに好感を(いだ)かせたというのは充分ありそうだ。


『シノブ、貴方をそこに飛ばしたのは私達です。あの神霊達は、貴方を途轍もない遠方に飛ばそうとしていました。あの星の外、しかも遥か彼方です』


 再び会話に加わったアムテリアは、シノブが何故(なぜ)地球に戻ったかについて触れていく。


 バアル神達は、シノブを宇宙に放り出そうとしたようだ。つまり宇宙空間そのもの、あるいは他の星への転移である。

 シノブは強力な神具で守られている。そこで異神達は難敵の打倒ではなく、帰還不可能な遠方への放逐を選んだらしい。

 流石に神具があっても真空中では生きていけないし、太陽系の外まで飛ばされたら命があっても帰る手段がない。確かに有効な手段だと、シノブも内心で頷いた。


『残念ながら、発動を打ち消すことは出来ませんでした。地上に干渉したくないというのもありますが、彼らも神霊としての力を振り絞ったのでしょう』


 アムテリアは、申し訳無さそうな口調でシノブに語りかける。

 地上のことは可能な限り地上で、というのが神々の方針だ。したがって神霊を宿した存在の攻撃とはいえ、なるべくはシノブ達の力で対処してほしかったのだろう。


『彼らの力は、君を果てしない空へと飛ばす膨大なものだったのですよ。それを押し留めると君の魂はともかく、肉体が持たなかったでしょう。ですから私達はそれを受け流し、この地に導いたのですよ』


『この神社は、俺と縁がある場所だからな。それに、ここが一番都合が良い』


 ニュテスとテッラが、母神に続いてシノブに説明をしていく。そして、彼らの語る内容は、次第にシノブの今後に関するものとなっていった。

 元いた世界とはいえ、全く異なる容姿となったシノブは、彼らの話を一言たりとも聞き逃さないようにと耳を澄ませ、真顔で聞き入る。だが、次第にシノブの表情は苦笑いとなっていった。彼らの示す内容は、シノブにとって非常に好都合ではあるが、ある意味で笑うしかない、というものだったのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 神々の御紋での会話は、無限に出来るわけではないらしい。地球のある世界には魔力が無いということもあり、長時間使うと御紋に宿った神力が尽きるようだ。

 これは、光の大剣なども同じである。程度の差はあるが、どの神具も極めて短時間なら本来の力を示すことは出来る。しかしアムテリアのいる世界と同じように使えば、すぐに役に立たなくなるという。


 なお、シノブが現在持っている神具や魔道具は、神々の御紋、光の大剣、光の首飾り、光の盾、それに身に着けている服とマントだ。厳密には、通信筒と幻影の魔道具も持っているが、これらは使えない。

 おそらく転移直前の攻撃を受け止めたのだろう、通信筒は壊れていた。アムテリアによれば、通信筒が無事なら一回だけアミィ達に(ふみ)を送れた可能性はあるそうだ。しかし、故障しているからどうにもならない。

 幻影の魔道具は無事だが、これは竜人に変ずるための魔道具だ。したがって、日本の街中では何の役にも立たない。


 そういうわけで、シノブは身一つに近い状態であった。

 ちなみに彼の体内にも魔力は存在している。しかし魔力を補充できない以上、何度か魔術を行使すれば使い果たすだろう。そしてシノブは現在のところ自身の力だけで対処しないといけない。それ(ゆえ)、みだりに魔力を使うべきではないだろう。


 しかし、そんな状況でもシノブの表情は明るかった。これは、数々の経験により精神的に鍛えられたというのもあるが、アムテリア達が示した方策により先が見えたからでもある。


 そこでアムテリア達との通信を終えたシノブは、悠然とした足取りで神社の裏手から移動し、東の方へと向かっていく。


「あの人、外人さんよね? まるで王子様みたい……」


「あれってコスプレかしら? そういえば、今日は大きなイベントがあったわね」


 境内にいる人達は、堂々と歩むシノブに好意的な視線を向けていた。彼が落ち着いた様子で、しかも好感の持てる容貌の青年、更に異国人に見えるのも上手く作用したようだ。

 しかし最大の理由は、日本でも最大級のアニメや漫画に関するイベントが、この日を含む数日で開催されていたからであった。要するに、シノブは異文化の祭りで仮装を楽しむ外国人として受け止められたのだ。


 シノブがアムテリアの神域に迷い込んだのは、八月の初めであった。そして、アムテリア達によれば、この日はそれから僅か二週間しか経っていないという。ちなみにシノブが向こうで過ごしたのは、およそ八ヶ月半であり、時間の流れがだいぶ違うようだ。

 もちろん、それらについてシノブは色々思うことがあった。しかし、衣装を誤魔化すという意味では絶妙な日であったことは間違いない。


「ハロー!」


「手を振ってくれたわ! 写真、撮って良いですか!? えっと……ピクチャー、OK!?」


 そして、場所も良かった。この神社は、非常に大きな街の側にある。しかも、その街は外国からも多くの旅行者が訪れ家電製品などを買って行く、一種の観光地であった。そのため、異国人くらいでは驚かれることはなかったのだ。

 シノブも、その街に何度も行ったことがある。それに、この神社にも来たことがあった。ここは、シノブの祖父も好きだった十手持ちが主人公の時代劇にも登場する、有名な神社だ。つまり、ここ自体も観光地であった。


「ワタシ、イソグ。アルキナガラ、OK」


 長々と話すのは面倒だ。それに、行かなくてはならないところもある。そのため、シノブは外国人を装って片言で答えながら歩く。


「ありがとうございます! それって何のコスプレですか?」


「本当は、街中だとダメなんですよ? でも、カッコイイから……アリかも!」


 すると囲んでいた若い女性達は、シノブと共に歩きながら写真を撮り出した。

 どうやら、例のイベントに行った人も多いようだ。シノブが東側にある階段に向かう間、彼女達はスマホやカメラで彼の姿を撮っていく。


「ゴメンナサイ。ワタシ、マチ、イク。グッバイ!」


 階段は、かなり急である。そのためシノブは一旦振り向き、少し強い口調で取り巻く女性達に別れを告げた。そして彼は、残念そうな女性達を後に、足早に階段を降りていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 幸い、女性達はシノブに付いてこなかった。どうやら、シノブには人を従える何かが備わっているようだ。彼としては威圧しているつもりは無いのだが、それでも強く言われると逆らえないらしい。これは、シノブが異国風の容貌ということもあるのだろうが、そればかりでもないようだ。


「あの人、絶対に上流階級の人よ! 最低でも貴族ね!」


「そうね……仮装じゃなくて、本当の王子様みたい……」


 シノブは足早に、しかし不審に思われない程度の歩調で街の大通りに向かっていた。ここでも話しかけたり写真撮影をねだったりする者もいるのだが、シノブは鷹揚に応え手を振るだけで先を急ぐ。

 彼としては普通に歩いているつもりなのだが、それが気品に満ちた行動に見えるらしい。どうも、ベルレアン伯爵家以来の貴族教育が、思わぬところで役に立ったようだ。シノブがシャルロットと共に歩むと決めてから半年近く、その間に学んだことが彼に貴公子としての風格を与えてくれたのだろう。


 ともかく、そんなこともありシノブは案外簡単に大通りへと辿(たど)り着いた。今日は休日であり、大通りは歩行者天国になっている。そのため幾つもの車線がある大きな道には、無数の人が溢れていた。

 ここは電気製品で有名な街だが、近年では様々なサブカルチャーも流入している雑多な、そして一種独特な街だ。それを示すかのように、各種のコスプレをした客引きが歩道や車道を闊歩し、華やかな声で自身や店をアピールしている。

 そんなこともあり、シノブの格好もあまり目立たないらしい。それらの客引きと同じか、例のイベントを見物した少し常識を知らない異国からの観光客とでも思われているのだろう。


 実は、この街を通っている路線から、シノブの実家に戻ることが出来る。彼が街に降りたのは、最も近い駅がこの街に集中していることもあるが、実家を目指すためでもあった。しかしシノブは、すぐに駅には行かず、北に向かって歩き出した。

 この街には、南の方に複数の鉄道会社が乗り入れる大きな駅がある。そこにはシノブの実家近くの駅に直通の路線もあるが、アムテリア達は大通りに着いたら北に向かうようにと言っていた。

 この通りの北にも地下鉄の駅があり、更に北に行けば同じ通りや並行する通りに幾つもの駅がある。それらを使っても実家には戻れるから、アムテリア達の指示が不自然というわけではない。

 このような大都会の、しかもイベントなども頻繁に開催される街だから、シノブの仮装めいた格好も見逃されているが、大きな駅に行けば警察官も多数いるだろう。それらを避けるなら、小さな地下鉄の駅というのは納得が行くところでもある。


「あ、あの! 写真、良いですか!?」


「ワタシ……OK、ドウゾ」


 シノブは、何度も繰り返されたやり取りのように、歩きながらであればと答えようとした。しかし彼は、スマホを持っている少女を見て、思わず足を()めてしまう。少女は妹の絵美(えみ)の友人、由美(ゆみ)だったのだ。

 しかも他にも見知った顔がいる。全員、絵美と同じ中学校に通っている少女達だ。


「ありがとうございます!」


「カッコイイ~! モデルさんですか!?」


 由美が写真を撮り始めると、他の娘も続いていく。彼女達も、例のイベントに参加してきたようだ。手には、様々なキャラクターが描かれた大きな袋をぶら下げている。

 シノブの妹である絵美は、ダンス部に所属しストリートダンスなどに取り組んでいる。もっとも、ストリートダンスといっても中学校の部活動としてで、街中で踊るわけではない。単に、絵美は体を動かすことが好きなのだ。

 そんな活動的な絵美とは違い、この由美という少女は創作などに熱中するタイプらしい。言ってみれば水と油な二人なのだが、名前が絵美と由美と似ていたことから、友達付きあいすることになったそうだ。そのため彼女は、シノブの実家にも何度か来たことがある。


「由美~、私は荷物持ちじゃないよぉ~」


 シノブの後ろから、聞き覚えのある声が響いた。それは由美とは違い、もっと日常的に聞いていた声だ。そのためシノブは、素早く後ろを振り返った。


「絵美……サン」


「あっ!」


 そう、シノブの後ろから近づいてきたのは、妹の絵美であった。

 中学二年生にしては若干小柄で、しかしダンスをしていることもあり細身だが俊敏そうな肢体。そして地球にいた頃のシノブ、天野(あまの)(しのぶ)にどこか似た顔立ち。長い黒髪を左右で(まと)めた、愛らしい姿。つまりシノブが見慣れた妹の姿であった。

 彼女は驚きに満ちた顔で、頭一つは長身のシノブを見上げている。


「絵美、知っているの! こんな美形、隠しているなんて許せない!」


「あ、あのね! そう、うちのお兄ちゃん、大学に入って一人暮らしになったでしょ! その代わりじゃないけど、夏休みだけホームステイしているの!」


 食いつかんばかりの由美に、絵美はしどろもどろになりつつ言い訳する。活動的な絵美だが、性格自体は比較的大人しめというか、常識的な方である。

 それは、絵美の姿が示している。彼女は、由美達と同じような絵入りの紙袋を両手に提げている。言葉の通りなら、紙袋は由美の荷物なのだろう。シノブの察するところ、人の良い絵美は大量に買いすぎた由美の荷物を持ってあげているようだ。


「え~! 絵美、名前は!? 紹介してよ~!」


 由美は、シノブでも少々退()くくらいの勢いで絵美を問い詰める。


「あ、あの……そう、ブロイーヌさんって言うの、ブロイーヌ・ド・フライユさん!」


 シノブは絵美の言葉に驚愕しつつも、どこか納得していた。おそらく、この邂逅を果たすためにアムテリア達は大通りに行くように告げたのだろう。

 ブロイーヌは、(いま)だにシノブが保持しているベルレアン伯爵付きの子爵位である。そしてフライユは現在の彼の領名であり、伯爵位だ。それを絵美が知っているということは、アムテリア達からシノブの現在を聞いたとしか思えない。

 おそらく、ここから実家に戻るには絵美の助けが必要なのだろう。もしくは、彼女とここで会わせて一緒に帰宅させようというつもりだろうか。


「ハイ。ワタシ、絵美サンの家で、オセワになってイマス」


 シノブは、先ほどよりは少し流暢に聞こえるように意識しながら、少女達に語りかける。短期とはいえホームステイしているなら、これくらい話せた方が自然だと思ったからだ。


「そうなんですか~! あの、もう少しお話して良いですか!?」


「コレから絵美サンの家に戻りマス。マタ今度」


 とある理由で、シノブは先を急ぎたかった。そこで彼は、由美の申し出をやんわりと断る。


「そ、そうなの! 由美、ごめんね! さあ、ブロイーヌさん!」


 シノブの言葉を聞いた絵美は、それまでの困惑した表情から一変し、嬉しげな笑顔になっていた。そして彼女は両手に持っていた紙袋を由美に押し付け、シノブの手を引いて足早に北に向かう。


「絵美! 今度行くからね~!」


「あ、私も~!」


 幸いにも、由美達が怒ることはなかった。彼女達は、少しばかり不満が滲む声を掛けるだけで、シノブ達を追うことは無い。

 由美達は、後日シノブの実家に行くつもりらしい。それなら絵美に逆らうより、穏便に別れるのが無難というわけだ。

 シノブはせめてものお詫びとして、歩みつつも振り返り、由美達に手を振った。そんな彼の姿を、由美や彼女の友人達、そして周囲の女性達は別れ難そうに見送っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……お兄ちゃんなんでしょ?」


 絵美(えみ)は歩きながら、小声でシノブに語りかける。

 見上げる絵美の濃い茶色の瞳は、溢れんばかりの涙で潤んでいる。しかも彼女の小さな手は、もう二度と離さないと言うように、シノブの左手をしっかりと握り締めていた。


「ああ、俺だ……シノブだよ。絵美……久しぶりだね」


「久しぶり、じゃないでしょ!? どうやってこっちに来たの? 帰れるようになったの?」


 ついに、絵美の目から輝く雫が流れ落ちた。彼女は空いた左手で涙を拭うが、再び目には大粒の涙が浮かんでいる。


「いや、今回は偶然なんだ……早く戻らないと。こうしている間にも、どんどん時間が過ぎていくから」


 シノブが急ぐ理由は、これであった。日本では二週間しか過ぎていないようだが、シノブは八ヶ月以上エウレア地方で暮らしていた。仮に双方の時間の流れが大きく違うなら、日本に一日滞在したら向こうでは何週間も経っていた、ということになりかねない。


「そうなんだ……でも、仕方ないよね。あっちではシャルロットさんが待っているんだし。それに……その……赤ちゃんも」


「それだけど……絵美、お前は向こうのこと、どれくらい知っているんだ? さっきもブロイーヌやフライユと言っていたし。そもそも、今の俺を一発でわかっただろ?」


 複雑な笑みを見せる妹に、シノブは疑問に思っていたことを訊ねた。

 絵美は、金髪碧眼となったシノブを一目で兄と見抜いたようだ。少なくとも、シノブが振り向いた瞬間には気が付いたらしい。

 今のシノブは、元の面影はあるが基本的には西洋人風の外見だ。それに、背丈も多少高くなっている。したがって、本来の彼を知っていても同一人物とは思わない筈だ。

 そしてシャルロットの名や結婚したこと、それに爵位名なども知っているのだから、かなり詳細なところまで向こうの事を把握しているのではないだろうか。シノブは、そう思わざるを得なかった。


「あのね、ここのところ毎日のように夢に見るんだ。お兄ちゃんの様子とか、アミィさんにシャルロットさんとか……少しずつだけど。あっ、お父さんやお母さんも!

向こうのことは神様が教えてくれるの。最初のときはアムテリア様が説明してくれて……声だけなんだけど。それからは、ニュテスって神様」


 やはり、絵美にシノブのことを知らせていたのはアムテリア達だった。

 絵美によれば、シノブが異世界に渡った事情などは、最初にアムテリアから説明があったらしい。ただし、アムテリアやニュテスは自身の名を告げたが、姿は現さないという。

 そしてシノブ達の生活については、夢の中に幾つかのシーンが絵画のように浮かび、それに合わせてアムテリア達が簡単な説明をしてくれるそうだ。なお、時間の流れの差のせいか大まかにしか伝えられていないし、向こうで言う四月頭までしか聞いていないという。


「あ、アリエルさん達の結婚式は夢に出たよ。そこまでかな……」


「そうか……あの後、アルマン王国ってところで帝国にいた神と戦ったんだ。それで、俺だけこっちに飛ばされて……だから、早く戻らなくちゃ。

で、家に行きたいんだ。父さんや母さんにお願いすることがあるから」


 概略を理解したシノブは、絵美に日本に戻った理由だけを簡単に伝える。

 シノブは、両親の助けを得て愛する者達の待つ世界に戻るつもりであった。正確には、アムテリアの神域がある九州の山奥まで両親に連れて行ってもらうのだ。


 何しろ、今のシノブには(ろく)な移動手段が無い。まだ大学に入ったばかりでもありシノブは車を運転できないし、運転免許証は地球を去った時に消失した。そもそも運転できるのはスクーターだけで、更に免許証があったとしても容姿が違うから意味が無いのだが。

 それに、飛行機や新幹線に乗るのも難しいだろう。仮に金銭を持っていたとしても、光の大剣を(たずさ)えて飛行機に搭乗できるとは思えない。新幹線はそこまで厳しくないかもしれないが、万一職務質問でもされたら、これまた神域に行くどころではない。


 つまり、両親に車で連れて行ってもらうのが一番確実なのだ。そうでなければ、お金だけでも貰って鈍行などを乗り継ぐしかない。


「うん! お兄ちゃんが、奥さんを見捨てるような人だったら、軽蔑しちゃうよ! お父さん達も、絶対怒るから!」


 絵美は再び涙を拭いながら、シノブに微笑んだ。

 おそらく、本心からの言葉ではないのだろう。せっかく会えたのだ。仮に戻るにしても、ゆっくり話したい事だって沢山ある筈だ。それを示すかのように、絵美はしっかりとシノブの手を握り締めている。

 シノブも妹の手を強く握り返した。何を言っても弁明にしかならない。ならば、自身の行動で示そうと思ったのだ。

 向こうに戻っても忘れないように、シノブは妹の姿と手から伝わる温もりを心に刻む。そんなシノブの気持ちが通じたのか、絵美も黙ったまま足を速めていく。そしてシノブと絵美は、お祭り気分で華やぐ歩行者天国を後にし、家路を急いでいった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年3月6日17時の更新となります。


 本作の設定集に、15章の登場人物の紹介文を追加しました。

 設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。


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