15.36 愛馬と敵地へ
アルマン王国の南半分は、アルマン島という大きな島だ。その中央山地を抜ける山道を、一台の馬車が進んでいた。
曲がりくねった道の左右は深い森で、午後も遅くの陽光は殆ど遮られている。しかし進行方向が西ということもあり、時々は前方から光が差し込んでくる。
馬車を牽いているのは、立派な体格の黒馬達だ。二頭とも王侯貴族が乗るような名馬といって差し支えない風格で、馬車馬にしておくのは少々勿体ない。
それも当然で、この二頭はシノブとシャルロットの愛馬であった。右のリュミエールはシノブの、そして左のアルジャンテがシャルロットの乗馬だ。それが何故、こんなところで馬車を牽いているかというと、異形の潜む地にシノブ達が潜入するためだ。
馬車は、午前中にミリィとシャンジーが発見した隠蔽装置付きの車体である。そして御者を務めるのは、シノブとアルバーノだ。二人は、本来の御者達に成り代わって敵地に向かっているのだ。
そのため、人馬共に様々な偽装を施している。リュミエールとアルジャンテは銀に近い毛並みの白馬だが、今は本来馬車を牽いていた黒馬と似せるために、アミィが作った幻影の魔道具で黒毛に変えている。更に、シノブとアルバーノも幻影の魔道具で顔を変え、服も商人風に見せかけていた。
「しかし、デージアンではなかったのですな……もっと、馬車の捜索に手を割くべきでした」
アルバーノは、すぐ後ろの車体を振り返って呟く。もっとも、車内が見えるわけではない。御者台の後ろには小窓があるが、今は閉じているからだ。
彼らが、わざわざ山中から御者の真似をしているのは、理由がある。グレゴマン達は、どこかで道を見張っているかもしれない。しかも、この馬車がどこで彼らと接触するかも、不明である。
もちろん馬車の目的地は御者達から聞き出したが、向かう道筋でグレゴマンの手下達が現れる可能性はある。そこでシノブ達は、念のために経路も含めて御者となっているわけだ。
「グレゴマン達がテルウィックにいそうだと掴めただけ良いじゃないか」
残念そうな表情のアルバーノに、シノブは苦笑した。実は、アルバーノがこの件を持ち出したのは二度目だからだ。
午前中のホリィからの知らせは、シノブにとって期待していたものであり、予想外のものでもあった。
期待していた内容、それはグレゴマンが潜んでいる可能性が高い場所についてである。そして予想外であったのは、それが都市デージアンではなく都市テルウィックだったことだ。
テルウィックは、王族が静養に向かうとされたデージアンの北に位置する都市だ。おそらく静養先がデージアンだと国内に知らしめたのも、偽装の一環だったのだろう。囮を使い、更に行く先からも目を逸らすなど、マクドロン親子やグレゴマンは、シノブ達を随分と警戒しているようだ。
「してやられました……」
アルバーノは、敵に騙されたのが不満らしい。彼は潜入調査をしている部隊の長だから、責任を感じているのかもしれない。
「廃棄された城塞か。建国前の豪族が使っていたものだって?」
下手に慰めるよりはと思ったシノブは、話を目的地についてに変えた。
どうもグレゴマン達は、テルウィック近郊の廃棄された城塞にいるらしい。少なくとも、そこに竜人の一種、翼魔人がいるのは間違いない。ホリィ達が、その姿を確認したからだ。
「ええ。おそらく、王族達は既に廃城に運び込まれているでしょう……私達の失態です」
アルバーノが苦い顔となったのは、これも大きいようだ。
ミリィとシャンジーが発見した隠蔽装置を積んだ馬車に、王族の姿は無かった。グレゴマン達は、囮や目的地の偽装だけでは安心できなかったようだ。
御者達によれば、山中に入ってから間もなく怪しげな男達が王族を引き取りに来たという。軍人風の男が一人と、フード付きのローブで顔や体を隠した者が五人だそうだ。
おそらく顔を隠したのは竜人達だろう。そうであれば、彼らは山道などを使わず一直線にグレゴマンの下に戻ったのではないだろうか。グレゴマンの従える竜人達は、空を飛べる翼魔人だ。彼らが魔道鎧で隠蔽をしつつ山中の森を低空飛行すれば、ミリィやシャンジーも気が付かない可能性は高い。
「仕方ないさ。山道は複数あったし、それに西の村の調査も重要なことだ。こちらに全てを割くわけにはいかなかった。それに結局、どちらもテルウィックだと示している。それで良いじゃないか」
シノブの言う通り、御者達から聞き出した行き先もテルウィックであった。隠蔽装置付きの馬車は貴重であり、グレゴマンとしても回収したかったのだろう。つまり、少なくともテルウィックが重要な拠点であることは間違いない。
「そうですね……どうも、馬車で揺られているだけのせいか、愚痴っぽくなったようです」
アルバーノは肩を竦めてみせる。
今の彼とシノブの姿は、元々この馬車を操っていた御者に似た比較的若い男性だ。しかし、普段の彼らほど整った容貌ではない。そのためアルバーノの気取った仕草も、三枚目が無理して色男の真似をしているように見える。
「リュミとアルは、俺が手綱を握っている方が良いみたいだからね。あまり構っていないから、怒っているかと思ったけど……」
「やっぱり、主と理解できるのですなあ……閣下、落ち着いたら奥方様の分も乗ってあげなくては」
シノブとアルバーノは、上機嫌な様子で山道を下る二頭を見つめていた。
リュミエールとアルジャンテは、それは嬉しそうに歩んでいた。頭を高々と上げ、軽快な足取りで尻尾を元気に揺らしつつ進む二頭からは、シノブと共にいることの喜びが強く伝わってくる。
双方とも誇り高き軍馬だ。そのためシノブは、馬車馬のように扱われるのは嫌がるかと思ったが、そんなことは全く無い。
「そうだね。ここのところ忙しかったし、最近はシャルロットも乗っていないから」
リュミエールとアルジャンテは、カンビーニ王国やガルゴン王国への訪問には同行した。シノブ達の乗馬として、磐船に乗せていったのだ。そして、カンビーニ王国では狩りなどもあり実際に乗る機会もあったが、ガルゴン王国は神殿や光鏡での転移で移動することが多く、乗馬は殆どしなかった。
もちろん、随行した馬丁が馬達に運動をさせたし、帰ってからも彼らが充分に世話をしている。とはいえ、最近のシノブはアルマン王国に行くことも多く、シャルロットは身篭ったが故に乗馬をすることは無くなった。そのため二頭は、久々にシノブに会えて非常に嬉しいらしい。
「ところで、西の村の失踪者や変死者は随分と減ったらしいね」
山道が終わるまでは、もう少々ある。そして周囲には旅人も馬車も存在しない。そのためシノブは、あまり取り繕わずにアルバーノへと訊ねる。
「流石に、村の者達も不審に思ったのでしょうな。そのせいか、テルウィックでの働き口が、と言って誘う例が増えたようです」
僅かに表情を引き締めたアルバーノは、西の村について語り出す。
馬車の件だけでは、テルウィックも単なる隠れ家の一つという可能性はあった。しかし西の村を回っていたアルバーノやホリィ達は、全く別口からテルウィックの名を耳にしていた。彼らは西の村で都会での仕事を紹介する者達を発見し、そこからテルウィックが挙がってきたのだ。
ホリィに親世代の四頭の光翔虎、そしてアルバーノが率いる特殊部隊は、アルマン島の西にある町村を手分けして探っていた。特殊部隊を幾つかに分け、それぞれにホリィと光翔虎達が随伴することで情報交換しながら調査を進めたわけだ。
「部隊の皆が、商人に化けて聞き込んだんだって? 人買いと間違えられて追い払われたこともあったそうじゃないか」
「ええ。ですが、お陰でだいぶ明らかになりました」
特殊部隊の者達は諜報に長けており、商人などに化けて情報収集を進めていた。そして彼らは、食い詰めた村人や都市での仕事を斡旋する者達と接触したのだ。
どうやら、西で行方不明者や不審な死を遂げた者が増えるにつれ、村人達の警戒心も増したらしい。そのため、もっともらしい理由が必要となったのだろう。
「ともかく、翼魔人達と接触ですな。元に戻った者から情報を引き出せないのは残念ですが……」
「どうも、異形になっている間のことは碌に覚えていないみたいだしね」
アルバーノやシノブが言うように、竜人になっている間の記憶は元に戻ると殆ど無くなるらしい。その辺りは、隷属の魔道具と大きく違う点である。そのためシノブ達は、異形から人間に戻った者達から大して情報を得られなかったのだ。
竜人が人間だったときの技能を維持しているのは間違いないようだが、どうもその逆は無いらしい。もしかすると、竜人であったときの記憶が後の生活で障害とならないように、治癒の杖が消し去っているのかもしれない。
「ともかく、上手く化けて乗り込みましょう」
「ああ、ミュレ達の力作があるからね」
シノブは、アルバーノに頷いてみせた。
馬車の中には、魔術師のマルタン・ミュレ達が造った魔道具が積まれている。それは、今回の潜入作戦には欠かせないものであった。シノブは、それらをミュレから受け取ったときのことを思い出す。
◆ ◆ ◆ ◆
それは、昨日の夜遅くのことであった。とっくに夕食も済ませたシノブ達の下に、魔道具研究所で働くミュレ達が突然やってきたのだ。
しかも、ミュレにハレール老人、治癒術士のルシールにエルフのファリオス、更にエディオラと主要な者全員である。彼らの後ろには、申し訳無さそうな顔をした助手のカロルとアントン少年までいる。
「シノブ様、ついに例の鎧が! 魔道鎧の仕組みが解明できました!」
「解析と改造も、終わりましたぞ! 例の結晶を調べるのに随分と時間が掛かりましたが……」
シノブ、シャルロット、アミィの呆れ顔にも気が付かないのだろう、ミュレとハレール老人が大声で叫ぶ。彼らは、常にも増して身なりが整っていない。
ミュレの髪がボサボサで服がヨレヨレなのはいつものことだが、今日はそれに加えて無精髭まで生えていた。それにハレール老人も、白髭に食事か何かの汚れが付いたままという有様だ。
「マルタン、ここはシノブ様の居室なんだから……」
カロルは、幼馴染でもあるミュレの袖を引きつつ窘める。彼女が言うように、今シノブ達がいるのは執務室などではなく、純然たる私的な場である。もちろん、シノブ達が許可したから入室できたのだが、それにしても少しは遠慮すべきだろう。
「お館様、申し訳ありません!」
アントン少年は、流石にその辺りの常識があるようだ。彼は、背中が見えるくらいの最敬礼をする。
「まあまあ。例の魔道鎧の調査は、とても重要だからね。それで、どんなものが出来たのかな?」
「私が説明する。ミュレ殿とハレール殿は話が長い」
一歩前に進み出たのは、ガルゴン王国の王女エディオラであった。普段から言葉少ない彼女からすると、研究で盛り上がったときのミュレやハレール老人は途轍もなく饒舌に感じるのだろう。
一方、エディオラの飾らない言葉はミュレ達を落ち着かせたらしい。二人は赤面しつつ場を譲る。
「魔道鎧に隠蔽の機能だけ残したものが出来た。魔力波動だけは前と同じ。だから、潜入に使える」
エディオラの説明は、至極簡潔であった。だが、シノブは魔道具に詳しいわけではないから、その方が助かる。
「それは凄いですね! ところで、外見はどうなるのでしょう? 幻影の魔道具と併用できるのですか?」
代わりに、アミィが詳細を訊ね始めた。彼女は使用する際の留意点などを問い、それにエディオラ達が答えていく。
それによると、ミュレ達が改造した魔道鎧は幻影の魔道具との併用は可能だという。元々の魔道鎧も、複数の機能を持っていたが、それらの魔力波動を隠蔽することが出来た。したがって、装着者が使っている各種の魔道具の波動を外部に漏らさないようにし、かつ外には一定の僅かな波動を放つように出来るという。
「つまり、アミィが作った幻影の魔道具で化けて更に魔道鎧を着込めば、外見と魔力波動の双方が翼魔人と同じになるのですね」
「はい、その通りです。ですから、飛べと言われない限り何とかなるでしょう」
シャルロットに答えたのはエルフのファリオスだ。
金鵄族のホリィ達も人間の姿では飛翔できないし、そもそも彼女達は十歳未満の少女にしか変身できないから、翼魔人になるには無理がある。つまり翼魔人に化けて飛翔できるのはシノブだけだ。したがって、もしも飛んでみせるなら、シノブが誤魔化すことになるだろう。
「ありがとう。潜入するときに大いに役立つだろう。それに、西の調査にも。遅いから、もう下がって良いよ。疲れているんだろう? 今日はこちらに泊まると良い」
シノブはミュレ達に感謝と労いの言葉を掛けた。
既に、夜も随分と更けた。そのため細かいことは明日にでも聞くことにしようと思ったのもある。それにミュレやハレール老人は、かなり激しく疲労しているようだ。
流石に女性陣は身奇麗にしているし、ファリオスやアントン少年も普段と変わらないように見える。ミュレとハレール老人以外は、適度に休んだのだろう。だが、こちらも仔細に観察すると僅かに疲れが滲んでいるようでもある。そこでシノブは、一旦休ませようとしたのだ。
「シノブ様、最後に一つだけお願いがありますの」
ルシールはシノブに苦笑を浮かべた顔を向ける。カロルやアントン少年も似たような表情だ。しかし他の研究者達は、随分と真剣な顔でシノブを見つめている。
「何かな?」
「魔道鎧の名前を決めてほしいのですわ。私は何でも良いと思うのですが……」
何と、ルシールの願いは彼らが開発した隠蔽機能を持つ魔道鎧の命名であった。シノブはそんなことか、と少し脱力するが、ミュレやハレール老人、それにエディオラとファリオスは、ますます真剣な面持ちとなりシノブの答えを待っている。
◆ ◆ ◆ ◆
「……何か、候補は無いのかな?」
暫し考え込んだシノブだが、ミュレ達が何かしらの案を持っているのでは、と期待し問いかけた。一つに絞れなくても、それぞれ勧める名くらいはあると思ったのだ。
「私としては『隠蔽ダー』が良いですね」
まず、ファリオスがエルフ特有の繊細な美貌に笑みを浮かべつつ自案を述べた。
シノブは何かの冗談かと思ったが、どうもそういうわけでもなさそうだ。ファリオスの緑の瞳は最前と変わらず柔和な光を湛えたままだし、長い耳は上機嫌なときの仕草、つまりピクピクと小刻みに動いている。それを見る限り、彼は己の案を真面目に推しているらしい。
「そ、そうですか……」
アミィは、笑いを堪えているようだ。しかし、他の者達は大きな反応は示さない。彼らにとっても馴染みの無い名称だろうが、エルフ独特の文化に由来するものだとでも思ったのかもしれない。
「それは、エルフらしい名前なのかな?」
シノブとしては、異星人の侵略者が襲来しそうな名前は避けたかった。それに、彼のセンスとも合わない。だが、相手がどう思っているか判然としないため、シノブはとりあえず理由を問う。
「ええ。我らエルフの伝統です。建国の英雄デルフィナや聖人クリソナも、好んでこういった名前を付けたそうです」
「ですがファリオス殿、これは全員の力で造ったもの。エルフの伝統のみに沿うのはどうかと」
ファリオスに反対意見を述べたのは、ハレール老人であった。彼にも、推薦する名前があるようだ。
「ハレール?」
脱力気味のシノブとアミィに代わり、シャルロットが尋ねかける。彼女はシノブ達から地球のことを聞いてはいるが、それほど深いところまで知っているわけではない。そのため彼女はシノブ達のような感慨を抱くわけもなく、事務的に話を進めていく。
「はい、私は『イ零壱式魔道鎧』が良いと考えます」
「それはまた……まあ、ある意味似合いの名前だけどね……」
自信満々に答えたハレール老人の顔を見つつ、シノブは密かに呟いた。
推測するに『イ』とは隠蔽の頭文字ではないか。そして『零壱式』というのは創世暦1001年、つまり今年の下二桁だろう。日本にいたときのシノブは軍事関連に興味を持っていたわけではないが、それでも戦前の兵器に種別の頭文字を付けたり、現代を含め兵器の名に暦年の下二桁が入っていることくらいは知っている。
したがってハレールの案は、シノブにとって馴染みがあるといえばある。しかし彼は、妙に近代的なところに何となく違和感を覚えた。
「その……エディオラ様にも、何か案があるのでしょうか?」
「私は『隠蔽くん』が良いと思う」
アミィの問いかけに、エディオラは表情を変えずに淡々と答える。彼女の顔からは、それが本気なのか冗談なのか、全く読み取れない。
「ガルゴン王国の伝統では……ないですね?」
「そう。私の趣味」
シノブの問いかけに、エディオラは静かに答える。対するシノブは、相変わらず薄い彼女の表情に、どう取るべきか悩んでしまう。
エディオラは、ナタリオのことを『ナタリオ君』と呼んでいた。それにアントン少年なども同じように呼ぶようだ。それに、エディオラはマリエッタやアデレシアなど年下の少女を妹のように可愛がっているらしい。もしかすると彼女は、意外にも少女趣味とでもいうべき感性の持ち主なのかもしれない。
シノブは、そんな風に彼女の内心を推し量るが、それが正しいという保証はどこにもない。
「ミュレ、君には何か案は無いの?」
エディオラの感性については棚上げとし、シノブは最後に残ったミュレに問いかけた。正確にはルシールが残っているが、彼女は名前などどうでも良さそうだ。
ルシールは、風邪などを治す治療の魔道装置も、そのまま『治療の魔道装置』と呼んでいるだけだ。おそらく彼女は、命名に関心が無いのだろう。
「はい……私は『隠蔽の魔道鎧』で良いと思うのですが」
「それが良い。そうしよう」
頭を掻きつつ答えたミュレに、すぐさまシノブは同意した。今までの魔道具と同様の命名法則を、シノブは自然に感じたのだ。
戦いの場で『隠蔽ダー』だの『隠蔽くん』だの呼ぶなど、シノブは避けたかった。しかし『イ零壱式魔道鎧』など本職の軍人のような呼び方もしたくない。もっとも今の彼はフライユ伯爵領軍の最高司令官にして旧帝国領を統括する東方守護将軍だから、これ以上ないほど本職の軍人なのだが。
「ありがとうございます!」
「マルタン、良かったね」
満面の笑みを浮かべたミュレを、隣に立った幼馴染のカロルが祝福した。しかし今の彼女は、ミュレから一歩引いていた。何故なら先ほどミュレが頭を掻いたため、彼の周囲には白く小さな粉のようなもの、ありていに言えば彼のフケが散っていたからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「……閣下、どうされたのですか?」
「いや、何でもない。そうだ、アミィ達はどうしたかな?」
怪訝な顔をしたアルバーノに、シノブは首を振りつつ答えた。馬車は、そろそろ山道を抜ける。どうやらシノブが物思いに耽っていたのは、結構な時間だったらしい。
──アミィ、ミリィ、そっちはどうだい?──
──特に異常はありません! 恐らくですがテルウィックまで翼魔人はいないと思います!──
シノブが思念を発すると、すぐさまアミィからの応答がある。
現在アミィは愛馬フェイに乗り、更に姿を消して行く先を偵察している。もちろん通常なら姿を消しても蹄の音は残るが、彼女は魔法の杖で魔力を補ってフェイの駆ける音まで消している。そのためアミィは、かなりの速度で街道を移動していた。
──こちらも大丈夫です~。翼魔人がいないからヒマジンです~──
──同じく見かけないわ──
──兄貴~。こっちも大丈夫です~──
ミリィ、メイニー、シャンジーも、空から進路を探っていた。
偵察担当は、アミィ特製の魔力隠蔽の魔道具を使っている。これは、神界の魔法結晶を使っており竜人の魔道鎧のように魔力が漏れることはない。そのため彼らは自由に行動できるのだが、相手も多少劣るとはいえ隠蔽効果のある鎧や装置を使っているから、その分偵察を細やかに行わなくてはならない。
しかし、遅れて届いてきたホリィやマリィ、それに四頭の光翔虎の思念も、異常はないと伝えてくる。彼らはシノブ達の進む街道ではなく、テルウィックを中心に綿密な探索を行っている。問題の廃城以外にも竜人達が潜んでいないか、彼らは探っているのだ。
「何も無いようだ」
「そうですか……しかし、そうなるとどこで翼魔人を捕まえましょうか?」
アルバーノは、シノブの返答に一瞬笑みを見せたが、その後顔を曇らせた。
シノブはグレゴマンとの決戦を想定し、廃城に三羽の金鵄族と六頭の光翔虎を連れて乗り込むつもりだ。他は三つの神具を装備し神々の御紋を持つシノブ自身、そして聖人の使った炎の細剣を持つアミィ、そして翼魔人に扮するアルバーノなど数人の軍人である。
なるべくなら無駄な戦いを避け戦力を温存したい。しかし透明化の魔道具や光翔虎の姿消しで潜入するだけでは、室内を充分に探索できない。いくら視覚を誤魔化しても、勝手に扉が開いたり狭い場所を通ったりすれば、誰かにぶつかることもあるからだ。
そのため、どこかで翼魔人と接触したら、彼らを倒し成り代わるつもりであった。だが、翼魔人が廃城まで出てこないとなると、そうもいかない。
「そのときは、アミィ達を各地から集めてきた村人ということにして潜り込むかな。グレゴマンも、全ての翼魔人を見分けているわけじゃないだろう。何しろ、ローブとフードがあるから目元しか見えないし」
「廃城の中ではローブを付けていないかもしれませんよ?」
アルバーノは、臆病な男ではない。むしろ大胆不敵というのが相応しいだろう。しかし重要な作戦だけに、彼はあらゆる問題を潰しておきたいようで、シノブに更なる問いかけをする。
「その場合は、廃城で出会った翼魔人を倒して……かな」
外にいなければ、中に入ってから遭遇した翼魔人を倒し、それと成り代わるしかないだろう。しかし、戦闘中に他の翼魔人がやってきたら、そんな悠長なことが出来るのだろうか。そう思ったシノブは、思わず苦い顔となる。
「何か騒ぎを起こして廃城の外に誘き寄せた方が良いかもしれませんな……近くで閣下達に魔術を使ってもらい、それを確かめに来た翼魔人と入れ替わるとか……」
アルバーノも、同じようなことを考えたらしい。彼は、騒ぎを起こす光景でも想像したのか、何やら楽しげな笑みを浮かべている。
「その方が良いか。廃城だというなら、近くに人家も無いだろうし……ちょっと訊いてみるか」
シノブは、誰が廃城の近くにいる者を思い浮かべる。シノブの記憶が正しければ、一番近いのがマリィで光翔虎のバージも近かった筈だ。
──マリィ、バージ。確か、君達は廃棄された城塞の近くだったよね? その周囲って、人は住んでいる? 攻撃魔術を使っても大丈夫かな?──
シノブは、思念でマリィとバージに目的地の状況を確認する。
本来なら、このようなことは事前に充分確かめておくべきだろう。しかしグレゴマンを逃さないため、これ以上人々を不幸な目に遭わせないため、シノブ達は慌ただしく出発していた。
こうやって移動しながらでも情報収集できるとはいえ、準備不足と言われても仕方ないのは事実である。
──いえ、およそ1kmは人家などありませんわ。人の気配も碌にないですし、時々ローブの翼魔人が出入りしているだけです──
──その通りだな。その翼魔人も稀にしか出てこないぞ。それに周囲も岩ばかりだ。激しい戦いをしても全く問題ない──
それはともかく、どうやら現地の様子はシノブが想像していたものに近いようだ。マリィとバージは、廃墟の側に人家など存在せず、充分な空き地もあると答えた。
やはり、そんなところに住みたい者などいないのだろう。そしてグレゴマン達は、人が寄り付かない寂しい場所だから、隠れ潜む場所として選んだに違いない。
──ありがとう。そのまま探ってくれ──
シノブは、マリィとバージに礼を伝えた。期待通りの答えを聞いた彼の顔は、自然と綻んでいる。
「閣下、当たっていたようですな?」
アルバーノは、シノブの表情からマリィ達の返答がどのようなものであったか察したようだ。言葉の上では問いかけだが、結果を確信しているような力強い声音である。
「ああ。ご希望通り、派手に暴れることが出来そうだ。まあ、今度は君の好きな美女はいないだろうけどね。いや、妃殿下達は美女だったか……」
上手く行きそうだという予感のためだろう。ついついシノブは軽口を叩いてしまう。
「前にもお伝えしましたが、私は人妻に興味はありませんよ。ですが閣下、各地から集められた囚われの美女がいるかもしれません。ここは急ぐべきでは?」
アルバーノの言葉は、冗談めかしていたが、その瞳には真剣な色が宿っていた。
確かに、翼魔人達が各地から連れて来た人達がいるかもしれない。グレゴマンは人の魔力を集め何かをしているようだが、全ての人が魔力を搾り取られたとも限らないだろう。
「美女は君に任せるよ。俺が愛する人は、もういるし」
愛する妻シャルロット。そして家族達。生まれてくる子供。新たな命も含めて集う将来の光景を思い浮かべたシノブは、それらを壊そうとするグレゴマン達に強い怒りを覚えていた。
自分を笑顔で送り出してくれたシャルロットやミュリエル、セレスティーヌ。きっと、グレゴマンに囚われ犠牲となった人々にも、同じく愛し合い支え合う人達がいたに違いない。その小さな、だが、とても貴重な幸せを打ち壊すことなど、どんな理由があっても許されることではない。
「お任せあれ! このアルバーノ・イナーリオ、たとえ火の中水の中、怪しい城の中だって!」
「ああ、頼むよ」
アルバーノに応じたシノブは、手綱を操り馬車を急がせる。
一秒でも早く着けば、救える人が僅かでも増えるかもしれない。そんなシノブの気持ちが伝わったのだろう、馬車を牽くリュミエールとアルジャンテは、最前にも増して軽やかに進み出す。
アルマン王国の西の果ての廃墟には、一体何が待つのだろうか。それは、今のシノブには知る由もない。しかし、何が待っていようが行かなくてはならない。帝国の残党を倒し、人の意思を無視して支配し命を弄ぶ輩を一掃するのだ。
家族や周囲の者が明るい笑顔で暮らせるように。そして、少しでも多くの人から憂いが消えるように。シノブは馬車の前方に沈み往く夕日を見つめながら、己の心に浮かんだ思いを静かに繰り返していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年2月29日17時の更新となります。