15.35 希望の未来へ、いざ出発
アルマン王国の貴族達を助け出した翌朝。サロンで寛ぐシノブ達の下に、王女アデレシアが訪れた。彼女は、警護責任者の女騎士エメラインと彼女の父セルデン子爵を伴っている。
結局、商務卿のギレッグズ子爵は軟禁されることとなった。彼は昨夜遅くに都市オベールに送られた。おそらく、今頃はメリエンヌ王国王領の監察官達に締め上げられていることだろう。
一方、セルデン子爵夫人やマクリンズ子爵夫人は、ここフライユ伯爵家の館に留まっている。彼女達には、当面の間アデレシアの世話係を務めてもらうのだ。
「シノブ様、本当にありがとうございました」
アデレシア達三人は、シノブ達の向かいのソファーに腰を下ろす。そして王女は、席に着くや否やシノブに礼を述べ、深々と頭を下げた。もちろん、両脇のセルデン父娘も彼女に従っている。
「その件は、ここまでにしましょう。それより、これからのことです」
「そうですとも。時間は有限です」
気恥ずかしく思ったシノブは、少しばかり頬を染めた。そして、夫の内心を読み取ったのだろう、シャルロットも先を急がせるような言葉を口にする。
サロンは穏やかな空気に満ちていた。朝の煌めく光が窓から入り、それだけで室内は充分に暖かい。また、部屋にいる者の多くは女性であり、どこか華やいだ雰囲気が漂っている。
シノブの右隣はシャルロットとアミィ、そして反対側はミュリエルとセレスティーヌが腰掛けている。それにソファーに座る女性は全てドレスで、護衛もセレスティーヌ付きのシヴリーヌなど最低限だ。そのため、物々しさなど全く存在しない。
「はい。セルデン子爵とも話しましたが、私の即位や亡命政府の設立は当面見送ることにしました。その……お父さま達だけではなく、お兄さま達にも危険が及ぶかもしれませんし……」
昨夜アデレシアは、セルデン子爵やエメラインなどと今後どうするかを相談したのだ。
彼女達には、幾つかの道があった。
まずはアデレシアを女王とし、軍務卿ジェリール・マクドロン、現在は総統を称する彼と全面対決する道だ。しかし、これは如何にも傀儡政権じみていてアルマン王国の民が反発する可能性が高い。それに王女が言うように、国に残った王族達の安全を損なう恐れがあった。
次に挙がったのが、アデレシア達がアルマン王国に渡り王太子夫妻を助け出す道である。しかし、これはアルマン王国の民を巻き込んだ戦闘になると思われる。
シノブ達を始めとするメリエンヌ王国や、協力する諸国の力があれば王宮の制圧も充分可能だ。しかし、これを実行した場合、民もそうだが『金剛宮』に残る王太子夫妻も危険に晒される。したがって、これも悪手とされていた。
三つ目は、シノブ達の力で王太子夫妻も亡命させる手だ。だが、国を捨てて逃げたら王太子達の信用は著しく落ちるだろう。アデレシアのようにクーデターの最中に訳も判らず脱出したならともかく、政変後に民を捨てて逃げるのは何とも外聞が悪い。したがって、これも採用されなかった。
最後は、従来どおりグレゴマンの悪行を暴く道であった。これもシノブ達に頼った策ではあるが、グレゴマンや彼を支援した軍務卿達がアルマン王国の民を害していることが明確になれば、民心を引き寄せることは可能である。それに、これであれば王家の権威失墜も最小限に抑えられる。
「……真に申し訳ありません。やはり私達には、シノブ様達にお縋りする道しか残されておりませんでした」
「いえ、皆さんだけで一国を覆すのは、どう考えても無理があります。私としてもそんな無謀な道を殿下にお勧めすることは出来ません。
……ところで、神殿の力を借りるわけにはいかないのですか?」
シノブは、アルマン王国の大神官が意思表明をすれば民を動かせるのでは、と思ったのだ。
各国に一人の大神官は、民衆からは神々の使徒のように敬われる。そして王族や貴族も、大神官の言葉を無視することは出来ない。そんな彼らからマクドロン親子を非難してもらえば、民衆も受け入れるのでは。シノブは、そう考えたわけだ。
「大神官様を動かすなど、畏れ多い!」
「シノブ、神殿は世俗を超越した場所です。しかも、それらの全てを束ねる大神官は、どの国でも別格の存在ですよ」
叫び声を上げたセルデン子爵に続いたのは、シャルロットである。彼女は、少しばかり苦笑しながら、シノブに語りかける。
「その通りですわ。もちろん、シノブ様が直接お願いすればアルマン王国の大神官様も快く聞き入れて下さるとは思いますが……」
「それは、シノブさまの望むところではないかと……」
セレスティーヌは笑みを湛えながら、ミュリエルは遠慮がちに言葉を紡ぐ。どうも、これらは常識的なことだったようだ。
メリエンヌ王国、カンビーニ王国、ガルゴン王国の大神官はシノブやアミィに礼を尽くし、二人のためなら何でもすると言わんばかりであった。だが、それはアムテリアに連なるシノブ、そして眷属であるアミィだからこそである。
シノブは忘れがちであったが、シャルロットが言うように神殿とは王権の及ばぬ場所、大神官は国王すら動かす存在なのだ。したがって、王女や子爵といえど、彼らに頼むことなど出来ない。
それに下手に神官達が介入したら、魔女狩りになりかねない。あれは神に反する者だ、世を汚す者が潜んでいる、と彼らが言い出せば、暗黒時代が訪れるかもしれない。
「シノブ様がお頼みすれば間違いないと思いますが、それではシノブ様のお力で神々を動かしたことになってしまいますね」
アデレシア達がいるためだろう、アミィは少々曖昧な表現を用いた。
最高神アムテリアはシノブを我が子と呼ぶし、森の女神アルフールは弟と呼んだ。つまり、大神官からすれば、シノブは神に準ずる存在である。
シノブなら大神官に命じて特定の立場を取らせることも出来るが、それは大袈裟に言えば神託と同じことだ。超常の存在へと進むならともかく、地上で生きるなら避けるべきだろう。
「我が国では、聖人様が地上を去るときに、こう仰せになったと伝わっております。『神殿は人々を導く場。神々のお創りになったこの地を豊かにする場。しかし、人々を率いる場ではない』と。
大神アムテリア様が創りし世界は、人の手に委ねられたのです。人の争いに神々が後ろ盾となってくださることは、ありません。神々は、人が自身の力で明日を創ることを望んでいらっしゃるのですから」
アデレシアの言葉に、一同は顔を綻ばせた。
そんな中、シノブは一人頬を染めていた。どうも、自分は神々と親しく接しすぎたようだ。そのため、地上の常識から逸脱しかけたらしい。彼は、そう悟ったのだ。
だが、シノブはこうも思う。このように真っ直ぐな心は、より良い未来へと向かっている証拠だ。神々の助けが不要となる日も、そう遠くないのでは。シノブは、笑いさざめく人々の姿に希望の未来が見えたような気がしていた。
シノブは、懐に入れた神々の御紋へとそっと手を当てる。
アムテリアが授けてくれた御紋は、神秘の光で帝国の神の支配を解き、帝都決戦では聖なる陽光を届けてくれた不可思議な神具である。そのためシノブは、御紋を他の神具より特別だと感じていたのだ。
そんな彼の感慨に応えるように、神々の御紋から温かな何かが伝わってくる。シノブが手を翳すと御紋は七色の神々しい光を放つから、服の下であっても神々が贈る輝きに包まれているのだろう。
御紋の優しい波動はシノブに勇気を与えてくれる。そのためシノブも、シャルロット達と同じ晴れやかな笑顔となっていた。
◆ ◆ ◆ ◆
その頃アルマン王国では、ホリィを始めとする潜入部隊が慌ただしく動いていた。
シノブ達が待ち伏せた一行が囮であった以上、王族達は別の経路でグレゴマンの下に運ばれた筈だ。そこでシノブは、シメオンが推測したアルマン島の中央山地を越える道も含め、ミリィ達に探らせた。
一方、アルマン島の西で村人などが行方不明になっている件も、調査を続けている。これは人々の救助に加え、グレゴマンの悪事を暴く重要なものだ。
現在、ホリィが成獣の光翔虎四頭と西の村を探り、ミリィと若手の光翔虎メイニーとシャンジーが山中の捜索を行っている。
──ミリィ殿~、地球のこと、もっと教えてください~。兄貴のいた世界のことを知りたいんです~──
「そうですね~。私はアミィと違ってシノブ様のことは詳しくないですが~。でも、地球のことならお任せください~」
ミリィは、自身が乗るシャンジーの催促に彼女特有ののんびりとした調子で応じた。今日のミリィは人族の少女に姿を変え、シャンジーは普通の虎くらいの大きさとなっている。
シャンジーは、かなりの速度で宙を飛翔している。しかし彼の思念が暢気さが漂う独特なものということもあり、何とも和やかな雰囲気が漂っている。もっとも、シャンジーはミリィごと姿を消しているから、空飛ぶ虎とその上に跨った少女は誰の目にも留まらない。
ミリィ、シャンジー、メイニーは、二手に分かれて山中を捜索していた。山越えで馬車が移動可能な経路は、二つあったからだ。
そこでミリィおよびシャンジーの組とメイニーが、それぞれ別の道を探っていた。どうもメイニーは、半人前の弟分を一人で行動させるより、ミリィと一緒が良いと思ったらしい。
とはいえ、メイニーに届かないように絞った思念でミリィとやり取りをしているシャンジーに、姉貴分として案ずる彼女の気持ちが通じているとは思い難い。
──地球にはですね~、悪い人をやっつける物語が沢山あるんですよ~──
ミリィは、捜索の合間にシャンジーに地球の創作物について教えるつもりらしい。馬車を目にした彼女は、思念に切り替え会話を続ける。
──ふむふむ~──
怪しい馬車を見つけては接近し、隠蔽の魔道具がないか確認しているのだが、外ればかりだ。そのためシャンジーは退屈なようだ。
そもそも、数自体が少ない。旅人や馬車は、険しい山道より平地の迂回路を選ぶからだ。
「そういえば、実体を見せずに~、っていうのもありましたね~。過去の眷属や聖人が光翔虎に教えたのでしょうか~」
馬車から離れたため、ミリィは思念から肉声に切り替えた。残念ながら、今回見つけたのも普通の馬車だったのだ。
──なるほど~、ためになります~──
シャンジーは高度を上げ、再び山道の上を飛んでいく。この繰り返しだから退屈も仕方ないだろう。
「鷲とか白鳥とか~、そういうのですね~。でも、私達は全て鷹ですし~、シャンジーさん達も虎ばっかりですね~」
──何か良いのはありませんか~──
シャンジーは新たな馬車を見つけ、それに向かっていく。ただし、話題は依然として地球の創作物に関するものである。
──鷹ですから~、ホークのミリィとかですか~。う~ん……そうです~、この前オルムルさん達に……あっ、反応がありました~──
──本当です~──
ミリィとシャンジーは、隠蔽装置付きの馬車を発見したというのに緊張感が欠けたままだ。最前と変わらない緩さが漂う思念を交わしながら、馬車の間近に迫っていく。
馬車は屋根付きのしっかりした造りだが、装飾などない実用的なものだ。御しているのは商人風の二人の男で、牽くのは二頭の体格の良い黒馬だ。軍馬ほどではないが、余裕のある商人が好んで使う、基礎身体強化に長けた血統の馬だろう。
「う、うわっ!」
「どうした、故障か!?」
馬車は唐突に揺れ速度が落ちた。そのため御していた男達は、慌てたような声を出す。
──故障じゃなくて光翔虎だよ~──
馬車を魔力障壁でその場に留めたシャンジーは、思念で二人に言い返した。とはいえ思念だけだから、男達には伝わらない。
──お馬さん~、お逃げなさい~。後ろから森の虎さんがやってきます~──
こちらは魔道具で姿を消したミリィである。彼女はシャンジーから馬の背に飛び移り、魔法の小剣で輓具の綱や手綱を切り飛ばしたのだ。
──がお~──
ミリィが馬車の上に飛び移ると、シャンジーが馬達を脅す。彼は、自身の気配を解放していた。
普段は暢気な彼だが、森林の奥に棲む大型の魔獣達でも恐れる光翔虎である。シャンジーにとっては冗談交じりの脅しでしかないが、馬達は激しい恐怖に見舞われたようで、一目散に走り出す。
「おっ、おい!」
「どうなっているんだ!?」
馬達が駆け出していく光景を、男達は御者台で呆然とした表情で見つめるだけだった。男の一人は手綱の切れ端を持ったままの、何とも奇妙な格好である。
──シャンジーさん~、山の中に運びましょう~。オシオキの時間です~──
──オシオキだべぇ~、ですね~──
よほどシャンジーと息があったのか、ミリィは彼に様々な知識を吹き込んだようだ。メイニーがシャンジーをミリィに預けたのは、失敗だったかもしれない。
馬車は唐突に姿を消した。前後に人の姿は無いから、驚く者はいない。御者の男達も、ミリィの催眠魔術で眠ったから静かなものだ。
そして、人に変じた眷属の少女と光翔虎の若き雄、更に馬車と御者達は、誰の目にも映らないまま静かに空に舞い上がる。どうやら、ミリィとシャンジーは、山中のどこかで馬車を調べるらしい。彼らは山道を外れ、険しい山間へと向かっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
アデレシア達が辞した後、サロンに新たな客が現れた。ガルゴン王国の大使の息子ナタリオとカンビーニ王国の大使の娘アリーチェである。
彼らは、ここのところ自国から来た者達の受け入れや支援をしていた。
旧帝国領で働く者達や学校で学ぶ者達に、新たな地で注意すべきことを伝え、相談に乗る。それらは地味だが、両国の者が旧帝国領で活躍し、あるいは学校で学んだ技術を故国に持ち帰るためには欠かせない。
まだナタリオは十六歳、アリーチェは十四歳と若い二人だが、どちらも父は大使であり親達からの指示もあるのだろう、それらを卒なくこなしているようだ。
そんな彼らの訪れに、シノブは旧帝国領や学校で何かあり、陳情にでも来たのかと考えた。しかし二人の語る内容は、彼の予想とは大きく異なるものであった。
「婚約? もちろん祝福するが、どうして私に許可を求めに来たのかな?」
シノブは怪訝な顔をしつつ、ナタリオとアリーチェに答えた。
先ほどと同じく、彼の両脇にはシャルロット達、そして向かいにナタリオとアリーチェが腰掛けている。なお、シノブを囲む女性達の反応は様々だ。
真っ先に祝意を伝えたのは、嬉しげに顔を輝かせたセレスティーヌだ。彼女はナタリオが語り終えると同時に言葉を掛けた。
残る三人シャルロット、ミュリエル、アミィも祝福するが、こちらは少々控えめだ。やはり、シノブと同じく何故報告ではなく許可を求めに来たのか理解しかねたのだろう。
「その……シノブ様は、我ら二人の主君になるわけですから」
「ベランジェ様からも、そう伺っておりますし……」
ナタリオとアリーチェは、どちらも顔に戸惑いを浮かべつつシノブに返答する。そんな二人に、シノブは先代アシャール公爵ベランジェの仕組んだことだと、朧げながら察した。
シノブが旧帝国領の統治者となるのは、確定らしい。非公式ながら、メリエンヌ王国やベランジェは着々と準備を進め、友好国もその方向で動いている。
おそらくベランジェは、二人を自分達の下に引き込むつもりなのだろう。二人はシノブとも親しく接しているし、ナタリオはカンビーニ王国の武術大会やガルゴン王国での戦いでも活躍した有望な若者だ。
それに、どちらも大使の子供で対人能力もあり、親との伝手もある。そのため旧帝国領を新たな国として纏め上げたら、ナタリオ達に外交官として働いてもらえば良い。たぶん、ベランジェはそんなことを考えたのではないだろうか。
「ここのところ忙しくてね。義伯父上から聞いていたのを忘れていたよ」
シノブは、後でベランジェに確認しようと思いつつ、とりあえずはその場を繕った。それを聞いたナタリオとアリーチェは、安堵の笑みを浮かべ肩の力を抜く。
彼らは、よほど安心したのだろう。ピンと立っていた頭上の獣耳も、少し柔らかさを取り戻したようだ。ナタリオは虎の獣人だからあまり目立たないが、猫の獣人であるアリーチェからは明らかに変化が見て取れる。そのため、シノブも思わず微笑を浮かべてしまう。
「ともかく、私に反対する理由はない。祝福するよ。おめでとう、ナタリオ殿、アリーチェ殿」
「おめでとうございます」
シノブに続き、シャルロット達も改めて祝意を若い二人に伝える。
彼らの婚約を自分が許可するべきかは置いておくとして、シノブとしては口にした通りである。シノブの見る限り、どちらも婚約を喜んでいるようだ。それなら、温かく祝福すれば良いだろう。
「ありがとうございます! あ、あの、呼び捨てでお願いできないでしょうか! 家臣となるわけですし」
「それは公になってからにしよう。ところで、実家の跡取りはどうするのかな?」
ナタリオの願いを、シノブはとりあえず保留した。流石に、その辺りはベランジェに確認してからにすべきだと思ったのだ。そこで彼は、ナタリオの実家の今後についてに話を逸らす。
シノブは、以前ナタリオから十歳の妹がいるとは聞いていた。現在彼女は親元にいるそうだが、他にナタリオの父バルセロ子爵の子供はいない。
一方アリーチェには弟がいるが、こちらは男子だから事情が違う。まだ彼は五歳と幼いが、後を継ぐのは間違いないからシノブも話題にはしない。
「妹のミリアムが婿を取るでしょう。それに、父だってまだ……」
「ナタリオさんの次男三男が実家にお戻りになることもありますわね」
頬を染めたナタリオに、セレスティーヌが追い討ちのような華やいだ言葉を掛ける。するとナタリオとアリーチェは真っ赤な顔で俯いてしまう。
どうも、セレスティーヌはある程度知っていたようだ。彼女の顔に祝意はあれど驚きは無い。セレスティーヌは、通信筒で両国の王家とやり取りしエディオラやマリエッタの日常を伝えているから、それらから察したのかもしれない。
「アリーチェさんが第一夫人で、ロカレナが第二夫人ですね。ロカレナもアリーチェさんを慕っていますし、喜ぶと思います! それとも、もうロカレナには?」
ミュリエルは自身の側仕えとなったロカレナについて触れた。たぶん、自分の側に置いた五歳の少女の行く末を確かめたかったのだろう。
ロカレナとは、ナタリオの故国ガルゴン王国の娘だ。彼女はムルレンセ伯爵の嫡男の長女だから、本来ならミュリエルの側仕えなどする必要はないのだが、シノブとの関係強化の一環として送り込まれたようだ。
何しろ、シャルロットの護衛騎士にはカンビーニ王国の公女マリエッタや学友である三人の伯爵令嬢がいるのだ。そのためガルゴン王国も、王女エディオラに加えて誰かをフライユ伯爵家に置きたかったのだろう。
「は、その……いえ……」
「ロカレナさんには、まだですが……あの、シノブ様のご許可をいただけましたら……その……」
ナタリオはしどろもどろに呟くだけだが、同じく赤面したアリーチェは、途切れ途切れだがミュリエルに答える。二人は、フライユ伯爵家の側仕えとなったロカレナに知らせる前に、当主であるシノブへ伝えようと考えたらしい。
アリーチェによれば、二人の親達はもちろん故国にも相談済みだという。将来はともかく、現在の彼らはガルゴン王国とカンビーニ王国の貴族である。しかも、アリーチェは遠縁ではあるが王家の血が入った子爵家の娘だ。そのため、黙って結婚するわけにはいかない。
顔を赤らめる二人を、シノブは言葉を発しないまま見つめていた。
まだ十六歳のナタリオが二人の婚約者を持ったというのは、日本から来たシノブにとって驚くべきことだ。しかし、それを言ったら現在のシノブも似たようなものだ。そのため、余計なことを言うと藪蛇だと考えたのだ。
一方シャルロットやアミィは、シノブとは違い素直な祝意を顔に浮かべている。彼女達からすれば、このような婚約や結婚は良くあることで、シノブのように違和感を覚えることはないのだろう。
シャルロットは、当人同士が納得し釣り合いが取れていればそれで良いようだ。
シノブが知る限り、シャルロットは貴族の政略結婚や一夫多妻は当然のこととして疑っていない。しかし身分に伴う義務を果たすためとはいえ、愛が無いのは残念だと思ってはいるらしい。その意味では、ナタリオ達は彼女にとって幸せな在り方なのだろう。
そしてアミィにとって、恋愛や結婚は新たな命を育むために必要なものだ。したがって、それが愛し愛されてで、かつアムテリアの定めた教えに沿ったものであれば歓迎すべきことである。アミィも地上に来て随分経つが、このような場合、地上を見守る眷属としての思いが先に立つらしい。
ともかく、どちらもシノブにとっては理解しつつあるが完全に馴染めていない考え方ではある。
「シノブ様?」
「ああ、先ほども言った通り……通信筒だ。すまないが、少し待ってくれ」
セレスティーヌの囁きに我に返ったシノブは、反対しないと繰り返しかけた。しかし、彼の懐に仕舞った通信筒が、唐突に振動する。
「また後ほどお伺いします!」
「ええ、お忙しいところ失礼しました」
ナタリオとアリーチェは、アルマン王国の件ではと思ったらしい。二人は辞去を申し出る。
「ああ……その方が良さそうだ。それでは、また」
シノブは二人に頷き返す。通信筒に届いたのは、ホリィからの知らせであった。彼女は、自身とミリィの調べたことを纏めて送ってきたのだ。
ナタリオ達は、シノブに一礼し退室する。そしてシノブも、取り出した紙片に目を通しつつ立ち上がる。ついに、西で起きている事件に関する解決の糸口が見つかったのだ。しかも、王都アルマックから連れ去られた王族達とも繋がるものらしい。
期待を胸に宿したシノブは、足早に歩んでいく。もちろん、アミィやシャルロット達も一緒だ。彼らは、それまでの和やかさが嘘のような慌ただしさで、サロンを後にしていった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は、魔法の家で転移すべく前庭の訓練場に移動した。そこには、オルムルを始めとする子竜達や、光翔虎の子フェイニーがいた。
──シノブさん、お出かけですか?──
シノブの側に、岩竜の子オルムルが一直線に飛んでくる。彼女は最年長ということもあり飛翔は一番速いし、小さくなる腕輪を貰ったのも最初だ。そのため彼女は、あっという間に飛んで来て素早く猫ほどの大きさに変ずると、シノブの肩に乗る。
「ああ、今日はどうしたの? 狩りに行ったよね?」
シノブは、顔を擦り付けるオルムルを優しく撫でた。そんな微笑ましい光景に、共に来たアミィやシャルロット、それにミュリエルやセレスティーヌも笑顔となる。
──ファーヴが空を飛んだのです! だから、シノブさん達にもお見せしようと思って!──
「えっ、まだ二ヶ月ちょっとだよね!?」
シノブは、オルムルの言葉に驚いた。彼だけではなく、アミィ達もだ。
岩竜や炎竜の子は、通常なら生後三ヶ月ほどで飛翔できるようになる。現に、オルムルも生まれてから三ヶ月くらいで飛んだという。
ただし、シノブの魔力を吸いつつ成長した子竜達は、もっと早くから飛べるようになるらしい。炎竜の子シュメイは生後一ヶ月半くらいからシノブと行動を共にし、それから一ヶ月ほどで飛翔した。それでいけば、およそ生後十日でシノブの下に来たファーヴが二ヶ月少々というのも、絶対不可能とは言えない。
「ファーヴは……リタンの背の上か……」
問題の岩竜の子ファーヴは、宙に浮いた海竜の子リタンの背中だ。そして、二頭をシュメイとフェイニーが囲んでいる。なお、こちらは全て元の大きさのままだ。
現在リタンが全長6m弱、首長竜に似た彼は半分が首だからそれを除くと胴体が3mほどだ。彼の上に乗っているファーヴが体長1mを少し越えた程度、右のシュメイはおよそ2m、左のフェイニーは本来のオルムルと同じくらいで3mほどだ。
──シノブさん、飛べるといっても少しだけですよ。見てくださいね──
オルムルは、シノブに苦笑気味の思念を返す。どうやら、ファーヴの飛翔は跳躍より少しマシといった程度のようだ。
シノブはオルムルを肩に乗せたまま、シャルロット達と共に近づいていく。しかし、どんな可愛らしい飛翔を見せてくれるのだろうか、と思ったシノブだが、彼が見たのは意外な光景であった。
──ファイヤー・シュメイです~!──
──ミラージュ・フェイニーです~!──
シュメイとフェイニーは素早く空へと舞い上がると、それぞれ種族の技を披露する。
炎竜の子であるシュメイが炎を吐き、それをフェイニーが光翔虎の技である絶招牙で散らしていく。炎の温度はさほど高くないらしく、フェイニーは炎の近くを回転しつつ飛び、それに伴って訓練場の上に鮮やかな赤が広がった。
──アクア・リタンです!──
まさか延焼はすまいが、念のために魔術で消すかとシノブが思ったとき、リタンが水のブレスを放った。こちらもブレスと言うよりは単なる放水であり、普段の威力はない。
だが、そんなシャワーのような水流でも、輝く炎をあっという間に掻き消した。そして、リタンのブレスも周囲に眩しい虹を残しつつ消えていく。
──アース・オルムルです!──
更に、シノブの肩から飛び去ったオルムルが、元の大きさに戻るとリタンの側へと飛んでいく。そして彼女は、リタンの近くに巨大な岩を出現させた。
──さあ、ファーヴ!──
ファーヴがリタンの背から岩の上に乗ると、オルムルは更に岩塊を高くする。
──いきます!──
そしてファーヴは、岩の上から飛び降りた。それは確かに飛翔であった。まだ滑空に近いが、懸命に背中の羽を動かす彼は、宙を滑るようにしてシノブに向かって真っ直ぐに進んでいる。
「凄いじゃないか!」
シノブは、胸に飛び込んできたファーヴを抱え上げた。彼はファーヴから重力操作の魔力波動を感じ取っていた。したがって、これは単なる滑空ではなくて重力操作を用いた飛翔なのだ。
──シノブさん、ありがとうございます!──
嬉しげな思念を発するファーヴを祝福するように、シノブ達の上には虹が掛かっている。
それはアルマン王国に旅立つシノブに、希望の未来を感じさせてくれるものだった。シャルロット達も同じように感じたのだろう、何れも輝くような笑顔である。
「ところでオルムル、さっきのアースとかは?」
「まさかミリィが?」
シノブに続きアミィが、再び小さくなって近づいてきたオルムルへと問いかける。
──はい! こうすればシノブさんが喜ぶって教えてくれたんです! 幻獣戦隊シノブンジャーです!──
やはり彼らに知識を授けたのはミリィであった。シノブとアミィは顔を見合わせ苦笑いをする。
しかし、これは思わぬ贈り物だったかもしれない。シノブの心から、敵地に乗り込む気負いなど一瞬にして吹き飛んだからだ。
幼い竜や光翔虎の未来のためにも、グレゴマンとその背後にいる神霊を倒す。周囲に集まってくる彼らを見ながら、シノブは内心密かに誓っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年2月27日17時の更新となります。