15.34 私の相棒は強力です
シノブが馬車から救出したのは、フード付きのローブを纏った四人の男女であった。馬車の中だというのに、男女が二人ずつの全員がしっかりとフードを被り顔を隠している。それもその筈、四人は王族などではなかったのだ。
シノブはアルマン王国の王族全員と会ったことがある。したがって、光鏡で馬車から草原に転移させた時にも違和感を抱いたし、改めて近寄ってみれば別人であるのは一目瞭然であった。
「彼らは?」
シメオンは、四人の側に屈みこんだシノブに問いかけた。彼の脇ではマティアスもシノブを見つめ答えを待っている。
この中でアルマン王国の王宮『金剛宮』に行ったのは、シノブとアミィだけだ。そのため、今回初めてアルマン王国に訪れたシメオン達は、王族の顔を知る筈もない。
「会ったことはない。似ているから代役に選ばれたんだろう」
ローブを脱がせると『隷属の首飾り』が現れた。そこでシノブが解除の魔力波動を用いて首飾りを外す。
「あまり、魔力が減っていませんね……装着時間が短いからでしょうか? これなら、早めに意識を取り戻すと思います」
アミィは、四人から発火や隠蔽の魔道具を外しつつ呟いた。そして彼女は、立ち上がったシノブを薄紫色の瞳で見上げる。
四人は、一種の人間爆弾だったのだ。しかも彼ら四人だけではなく、馬車にも発火の魔道具を仕掛けるという念の入れようである。
シノブ達が馬車に踏み込んだら、彼らは自身と馬車に仕掛けた魔道具を点火するつもりだったのだろう。四人の誰か一人でも起爆に成功すれば、連鎖的に火が付く。彼らや馬車に仕掛けられていた魔道具の量からすると、周囲一帯が吹き飛んだかもしれない。
しかし、四人はシノブの催眠魔術で眠らされ、更に馬車に仕掛けられた魔道具はシノブが光弾で消し去った。そのため、無事に救出できたのだ。
「軍人用の『隷属の首飾り』には強化の機能があるが、これには無い。その違いもあるのかな?」
隷属の魔道具には幾つかの種類がある。そしてシノブは、自身が外した魔道具に強化の機能が無いことを察知していた。
ベーリンゲン帝国で使われていた『隷属の首輪』も、大きく分けて戦闘奴隷用と一般用の二種類がある。そして戦闘奴隷用は、身体強化などの効果を持つが、一般の村人に使う物は装着者を操る機能しかない。そのため、一般用の方が救出後の衰弱度合いは軽かった。
どうも『隷属の首飾り』も同じらしい。艦隊司令のカティートンなどは軍人用だったのだろう、一日近く目を覚まさなかった。
とはいえ、同じ戦闘奴隷用でも装着者による差はある。たとえばアルノー・ラヴランのように隷属の魔道具への適合度が高く身体能力を大きく引き出された者は、比較的早期に目覚めたのだ。
したがって、今回救出した四人の衰弱が激しくないのは、装着時間、魔道具の種類、体質の全てが絡んだ結果かもしれない。
「囮ですから、身体能力を高める必要は無いのでしょう。ところでシノブ様、彼らの魔力は?」
シメオンは、シノブに気絶したままの男女の魔力量を問う。これは、彼らの素性を推測するためだ。
一般に、王族や貴族の魔力は多い。彼らがそういう血統を重視してきたからだ。
それに、魔力が多く身体強化に適性があれば軍人、属性次第だが魔術師としての道もある。そういう者は能力を認められ仕官し従士階級や騎士階級になるし、中には貴族に婿入りなり嫁入りなりする者もいる。
したがって、魔力量で大よその身分を察することが出来るのだ。
「やっぱり多い。貴族なのは間違いないだろう」
シノブは、シメオンに頷いてみせる。すると、シメオンとマティアスは顔を綻ばせた。
二人は、シノブやアミィほど魔力感知能力が高くない。もちろん双方とも貴族であり、常人よりは遥かに優れた能力を持っているのだが、それでもこういう場面ではシノブ達に確認したくなるようだ。
「ともかく撤収しよう。そろそろ旅人がやってくるかもしれない」
シノブは街道の方を振り返る。そこでは、一緒に来たホリィやフライユ伯爵領の軍人達が、それぞれの役目を果たしている。
ホリィは全ての異形を元の姿に戻し、今は馬車を警護していたアルマン王国の騎士達や軍馬の手当てをしている。アムテリアから授かった治癒の杖は、状態異常だけではなく通常の回復にも使える。そこで彼女は、治癒の杖で怪我を治しているのだ。
また、アルノー達が率いる軍人もアルマン王国の騎士達の捕縛を完了し、元の姿に戻った人々をホリィが展開した魔法の家の中に運び込んでいる。
「そうですね! さあ、行きましょう!」
「アミィ殿、私が!」
アミィが救出した者の一人を抱え上げようとするが、マティアスがそれを制した。
十歳くらいにしか見えないアミィだが、高度な身体強化が使えるから四人纏めてだって担げるだろう。とはいえ、そんなことを小さな少女にさせては、とマティアスは思ったらしい。
「そうだね。それじゃ、俺が国王役の人、シメオンが先王役にしようか。マティアスは残りの二人を頼む」
そう言うと、シノブは四十前後の男性を担ぎ上げた。
救出したのは先王に似た年配の男性と、シノブが抱えた男、更に二人の王妃の代わりを務めた女性達だ。そしてシノブは、家族でもない女性に触れるのは気恥ずかしかったので、国王役の中年男性を選んだのだ。
「シノブ様、シャルロット様はそんなことで怒らないと思いますよ?」
「いえ、無駄な危険を避けるのは領主として優れた資質です。ですからマティアス殿、女性達はお任せしますよ。非力な私では一人でも辛いので」
からかうようなアミィに続いたのはシメオンだ。彼はシノブに割り当てられた通り、老境に差し掛かった男を抱き上げる。
シノブ達ほどではないが、シメオンも一般の軍人に勝る身体能力を持っている。そのため、女性を二人どころか男性二人であっても余裕で担いだだろう。しかし、彼は重そうに先王役を抱き上げる。どうも、己の言葉に反しないように演技しているらしい。
「そ、それは……」
「マティアス、そういうわけだから頼むよ。当主の盾となってくれ」
躊躇うマティアスに、わざとシノブは真面目な顔と口調で語りかけた。すると、アミィとシメオンは声を上げて笑う。
どうやらマティアスは、シノブの命に従うようだ。彼は、二人の女性を纏めて横抱きにする。白銀の鎧を身に着けた騎士だけに、その姿はどことなく自然である。
そしてシノブ達は、魔法の家に向かって歩き始めた。シノブの魔力感知能力では、周囲に旅人などはいないようだ。しかし、長居は無用である。そのため四人は足早に草原を歩き、ホリィ達の下に向かっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「父上! 母上!」
女騎士エメラインは、驚愕の叫びを上げて手前のベッドに横たわった二人へと駆け寄っていく。彼女はまだ若いが、アルマン王国の王女アデレシアの警護責任者である。その、普段は落ち着いたエメラインが取り乱す姿に、シノブ達も驚きを隠せない。
「……殿下?」
シノブは、一緒に入室したアデレシアへと視線を動かす。
ここは、シェロノワのフライユ伯爵家の館である。今、シノブ達がいるのは賓客用の区画にある寝室の一つであった。救出した者達が高い身分のようだから、貴族などを泊める間を割り当てたのだ。
「セルデン子爵夫妻です! エメラインの父と母の……こちらは商務卿のギレッグズ子爵、この女性はマクリンズ子爵夫人です!」
アデレシアは、興奮に顔を染めて室内を見回す。
寝室の中は、普段とは違い少々狭苦しい。臨時に追加のベッドが二つ運び込まれているからだ。そのため四名をそれぞれ別の寝台に寝かせることが可能となってはいるが、訪れた者達が多いこともあって賓客用の間とは思えない混雑具合である。
室内にいるのは、まずはアデレシア達、アルマン王国を脱した女性達だ。シノブは、彼女達なら救助した者を知っていると考え連れて来たのだ。アデレシアとエメライン、それに侍女が二人である。
そして、案内して来たのはシノブ、アミィ、シャルロット、それにシメオンであった。こちらもアンナやリゼットなどの侍女が付き従っている。
なお、マティアスやアリエル、ミレーユは、竜人から元に戻った者達のところに赴き、彼らの身元を確認している。今回は多数の竜人達を捕らえ元に戻したので、二手に分かれたわけだ。
「セルデン子爵というと、内務次官でしたね」
アミィが横たわる四人の側に赴くのを眺めながら、シノブは呟いた。
シノブとアミィは、アルマン王国の王宮に潜入する前に、閣僚を始めとする主要な貴族の名と役職を学んでいた。それらは街でも知っている者が多く、地方から来た楽士達とはいえ無知では不自然だからだ。したがって、シノブはセルデン子爵クレスロンを知っていたのだ。
商務卿であるギレッグズ子爵も、当然ながら把握している。彼は閣僚の中でも最年長に近く五十代後半で、先王とも歳が近く容姿も似通っている。それ故身代わりに選ばれたのだろう。
「マクリンズ子爵とは軍使を務めた外務次官の?」
シャルロットも、マクリンズの名は知っていた。シメオンやマティアス、それにアリエルとミレーユはルシオン海の洋上で軍使と会ったし、四人はその様子をシノブやシャルロットに報告していたからだ。
「ええ……」
シメオンがシャルロットに頷き返す。そして彼は、何か気になることがあるのか、奥のギレッグズ子爵へと視線を動かした。
「シノブ様、少々失礼します。用事を思い出しまして」
何とシメオンは、シノブに一礼すると部屋から出て行った。彼にしては珍しくシノブの答えを待つことも無く退出していく。
シノブは、何かあるのだろうとは思いつつも、問いかけることは無かった。何しろ、アデレシア達は他国の者である。シメオンにだって、彼らの前では言えないこともあると思ったのだ。
「シノブ様、マクリンズ子爵はアルマックに帰還したのでしたね?」
アデレシアは、不安げな声でシノブに問いかける。対するシノブは、シメオンの用事が何か考えていたのだが、彼女の言葉に我に返る。
「……ええ。ですが、拘束されただけで無事なようです。大丈夫ですよ。酷いことをしたら、民の心が離れます」
「そうですか……そうですよね……」
シノブが、アデレシアを安心させようと微笑みかけると、彼女は僅かに顔を綻ばせる。
マクドロン親子は、この四人を犠牲にしてもシノブ達を罠に掛けようとした。したがって、他の者達も無事とは言えないだろう。
しかし、シノブはそれらを敢えて無視し王女を慰めた。そのためだろう、アデレシアは彼の言葉の矛盾を指摘しなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ様、皆さん気が付きました!」
四人の様子を見ていたアミィが、シノブへと振り向く。彼女の言う通り、ベッドに横たわっている者達は僅かに身じろぎをし、中には上体を起こそうとしている者もいる。
シノブ達がジールトン近くの草原から撤収して、大して時間は経っていない。しかし、彼らはシノブやアミィが感じたように、あまり衰弱してはいなかったらしい。
「父上、母上! 私です、エメラインです!」
シノブ達が進む中、女騎士エメラインは再度父母に声を掛けている。エメラインは身を起こそうとする母を支え、父のセルデン子爵へと顔を向けていた。セルデン子爵も妻と同じく体を起こし、頭を振りつつ娘に顔を向ける。
「……ここは?」
「貴方……エメライン……」
セルデン子爵は見覚えの無い部屋にいるのが気になったらしい。
隷属の魔道具を装着しても、その間の記憶は残る。したがって彼らは馬車に乗っていたことや、それまでのことは覚えている筈だ。だが、彼らはシノブの催眠魔術で気を失ったから、救出の経緯は知らないに違いない。当然ながら、ここがメリエンヌ王国のフライユ伯爵領などと、想像することも出来ないだろう。
どうも、エメラインの両親やマクリンズ子爵夫人も、国王や彼の二人の王妃と外見が似ているから囮役になったらしい。
確かに、少し細めで栗色の髪のセルデン子爵、クレスロン・セルデンは国王ジェドラーズ五世と似た雰囲気の中年男性だ。それに彼の妻エメレシアは第一王妃と似た華やかな美女、奥にいるマクリンズ子爵夫人アデミアは第二王妃のような知的な淑女である。
「あなた達は、シノブ様、フライユ伯爵シノブ・ド・アマノ様に助けていただいたのです。ここは、シノブ様のご領地の領都シェロノワです」
アデレシアも、セルデン子爵夫妻の下に歩み寄った。奥の二人は、まだ意識が多少混濁しているのか、アミィやアンナの介抱を受けていたからだ。
この二人、商務卿のギレッグズとマクリンズ子爵夫人は、アミィ達が差し出す魔法のお茶をゆっくりと飲んでいる。
「シノブ・ド・アマノです。こちらは妻のシャルロット・ド・セリュジエ、ベルレアン伯爵の継嗣です。
突然異国に来て驚いたと思いますが……」
シノブは、簡潔に自分とシャルロットを紹介した。セルデン子爵夫妻は、ギレッグズ子爵達とは違い意識がはっきりしている。しかしシノブは、それでも一度に多くの情報を伝えるのはどうかと配慮したのだ。
「殿下! フライユ伯爵とは、あのフライユ伯爵で!?」
「そうですよ。セルデン子爵、私達もシノブ様に助けていただいたのです。私も、あなた達の娘も」
驚くセルデン子爵に、アデレシアは自分達もシノブに救出されたと語りかける。そして彼女は、自分と娘が、と触れたところで一旦言葉を切る。
どうやらアデレシアは、セルデン子爵夫妻の、そして娘の恩人であるシノブに彼らからも礼を伝えるべきと考えたらしい。もっとも、相手は自分の父母と同じ年代である。そこで彼女は直接的な指摘は避け、それとなく匂わせたのだろう。
「こ、これは失礼しました! フライユ伯爵閣下、殿下を、そして娘や我々を助けて下さったこと、真に感謝しております!」
「本当に、ありがとうございます。これでアルマン王国は救われます」
セルデン子爵に続き、妻のエメレシアも頭を下げた。彼女の横では、娘のエメラインも静かに頭を垂れている。
幸いと言うべきか、セルデン子爵達はアデレシアの示唆を理解できない鈍感な者達ではなかったようだ。それに、主家を思い家族を思う誠実さも持ち合わせているのだろう、二人は真摯な表情と声音でシノブに感謝の意を表した。
「いえ、偶然からですが、殿下や王家の方々のお人柄に共感を抱いたからでもあります。つまり、殿下の御人徳故かと」
セルデン子爵達に応じたシノブは、アデレシアへと僅かに視線を動かす。彼の視線の先では、アデレシアが嬉しげに微笑んでいる。
シノブは、全くの追従を言ったつもりは無かった。
子爵達の手前ということもあり多少は言葉を飾ったが、アルマン王国の王族達に親しみを覚えなかったら、果たして助け出したかどうか。仮に救出しても、都市オベールに抑留中のデリベール、軍務卿の次男のように別の地に送ったかもしれない。
どうやら、セルデン子爵達も好ましい人物のようだ。シノブは内心安堵しながら、寝台の上で身を起こした彼らに優しく微笑みかける。
◆ ◆ ◆ ◆
「な、何! メリエンヌ王国だと!?」
和やかな空気に包まれたシノブ達に、怒声とでもいうべき男性の声が響く。反射的に振り向いたシノブが見たのは、真っ赤な顔をした商務卿ヴァーガン・ギレッグズであった。
先王の身代わりに選ばれただけあって、ギレッグズは一見落ち着いた熟年男性なのだが、外見に似合わず感情的なようだ。彼は青い瞳を大きく見開き、顔も侍女のアンナ達が退くほどの憤怒に彩られている。
「ギレッグズ子爵、静かに! 貴方はメリエンヌ王国の方々に助けていただいたのですよ!」
アデレシアは自国の子爵の無作法が恥ずかしかったのだろう、頬を染めつつ叱責する。そして彼女は、ギレッグズ子爵の側へと足早に移動していく。
僅かに遅れ、シノブとシャルロットも彼女に続く。更にエメラインも父母の下を離れ、王女の側に寄っていく。
残りの一同は、アデレシアとギレッグズ子爵に注目している。
アミィはギレッグズ子爵へと顔を向けていたが、こちらはマクリンズ子爵夫人の側から動かない。憤激を顕わにしているとはいえ、相手は意識を取り戻したばかり、それも初老というべき半白髪の男性だ。仮にギレッグズ子爵が暴れても、シノブどころかアンナやリゼットでも取り押さえられると思ったのだろう。
「殿下……やはり、メリエンヌ王国なのですな」
「ええ、そうですよ。そんなことより、貴方もシノブ様にお礼を申し上げなさい」
何やら思案げなギレッグズ子爵に、アデレシアはシノブに礼を述べるようにと伝えた。
王女の顔は少しばかり険しい。それに彼女は、先ほどセルデン子爵達と言葉を交わしたときとは違い、間接的に匂わすようなことはしなかった。それを見たシノブは、『金剛宮』でアルマン王国の侍女や女騎士から聞いたことを思い出していた。
ギレッグズ子爵は、どうも厄介な人物らしい。彼は相手が調子の良いときは擦り寄るが、失脚すると見向きもしないという。そのため侍女や女騎士達は、計算高い彼を嫌っているようだ。
なお、これはシノブの知らないことだが、軍務卿ジェリール・マクドロン、今は総統に就任した彼がクーデターを起こす直前、ギレッグズ子爵はジェリールに全ての責任を負わせようとした。商務卿であるギレッグズは、偽装商船にも深く関与していたようだが、自身に被害が及ばないように逃げを打ったのだ。
どうもギレッグズ子爵は、良く言って目先が利く人物、悪く言えば奸佞というべき男のようだ。
「おお、そうですな! フライユ伯爵、この度は殿下をお助けくださり真に感謝しております! 早速ですが伯爵、貴殿はジェリールの打倒を支援して下さるのでしょうか!?」
ギレッグズ子爵は、素早く表情を取り繕うと、シノブに朗らかとすらいえる笑みを向けた。既に、彼はアンナ達からシノブ達のことについて聞いていたようだ。そのためだろう、彼は挨拶も飛ばして今後のことをシノブに尋ねる。
「ええ……皆様のお考え次第ですが……今回の政変は軍務卿の独断と聞いています。ですから真実を明らかにした上で、あるべき姿に持っていくのが良いと考えています」
シノブは、少しばかり言葉を選びつつ答えた。ギレッグズ子爵の語る内容は、ごく当然のものであり普通ならシノブも警戒しなかっただろう。しかし王宮にいた間に聞いた噂のため、シノブは言質を取られるような返答を避けたのだ。
「ええ、全くですとも! まずは、そうですな……アデレシア殿下に暫定的ですが女王に即位していただき、アルマン王国の正しき王権ここにあり、と示しましょう!
そう……アルマン王国正統政府とでもしましょうか……もちろん、私も尽力しますぞ! 形ばかりですが、私が閣僚として立ちます。仕事などありませんから、商務だ外務だと役を設ける必要は無いでしょう。そうだ! 形式のみですが私が宰相ということで如何でしょうか!?」
シノブの予感は当たってしまったようだ。ギレッグズ子爵は、顔を曇らせるアデレシアを他所に、勢い込んでシノブに自案を述べ出した。どうも彼は、この際自身が宰相位に就いて権力を握ろうと考えたらしい。
まだベッドに上体を起こしただけという彼だが、魔法のお茶により魔力が回復したせいか、話すにつれて段々と声にも力が増してくる。そして、比例するかのように青い瞳も輝いてきた。
ただし、その輝きはどこか欲の濁りが混じっているように、シノブの目には映っていた。それは決して彼の主観故ではないだろう。
その証拠にアデレシアだけではなく、セルデン子爵夫妻、マクリンズ子爵夫人、女騎士のエメラインなども呆れや憤りを顔に滲ませている。
もちろん、シャルロットやアミィもだ。それにアンナやリゼットなど侍女達も、唖然とした表情をしていた。
とはいえギレッグズ子爵の意見も、全くの的外れではない。現在、アルマン王国の王位は空位である。総統に就任したジェリールは、ジェドラーズ五世を退位させる一方で新王を定めなかった。そのため王太子ロドリアムは、元の地位のままだ。
シノブ達は、ジェドラーズ五世を救出して復位させるか、あるいは戦争に至った問題、隷属や他国の商船の襲撃に関する責任を彼が取って王太子を新王にするのが妥当と考えている。だが、すぐに出来ない以上、アルマン王国の正統な王権は別にあり、と主張するのも一つの手ではある。
「ですが……お兄さまが……」
アデレシアは兄を王にしたいようだ。
彼女は、軍務卿の暗躍を許した父王は退位すべきと思っているらしい。とはいえ自身が女王に即位するなど、考えたことも無かったのだろう。
アデレシアは激しい動揺を示すように自身の赤毛を振り乱しつつ、シノブへと顔を動かす。
「殿下、これは一時的な措置です。ジェリールを打倒すれば、殿下は女王から降りてロドリアム殿下に即位していただけば良いのですよ」
ギレッグズ子爵は、猫なで声と言っても良い柔らかな声音で王女に語りかける。そんな子爵にアデレシアも揺らいだのか、青い瞳を困惑に曇らせつつも言葉は発しないままだった。
シノブは、偏見とは思いつつも、この機に乗じて権力を握ろうとするギレッグズ子爵に良い感情を抱けなかった。扱いやすい少女を王座に据え、自身が各国との交渉役に座ろうというのだ。それを感じているのだろう、シャルロットやアミィの顔にも抑えてはいるが微かに嫌悪が滲んでいる。
確かに、役職で言えば彼が商務卿で、セルデン子爵は内務次官、マクリンズ子爵夫人に至っては外務次官の妻というだけだ。そのため暫定政府を作るなら、最年長で最上位のギレッグズ子爵が率いるというのは、極めて自然である。
しかし、彼の発言や態度が、それを全て打ち壊している。いっそのこと、何も言わなければ宰相などはともかく、アデレシアの補佐役としてそれなりの地位を占めたのではないだろうか。シノブは、そうも考えてしまう。
◆ ◆ ◆ ◆
「それらは少し落ち着いてからでどうでしょう? 殿下もお悩みなようですし」
「これは稀代の英雄とも思えぬお言葉。政治も軍事も即断即決ですよ。正しい旗の下に早期に結集する。これが最上です」
シノブは先延ばしを試みるが、そのような手はギレッグズ子爵も想定していたのだろう。彼は余裕のある口調で切り返す。
「そうですね。ですが、正しい旗の下には正しい者が集うべきでは? 隠し港で押収した資料からは、貴方が偽装商船に深く関与していたことが明らかです。自国の商船団を沈没させた貴方を、ガルゴン王国やカンビーニ王国が許すとも思えませんね」
部屋の中に響いたのは、シメオンの静かな、そして皮肉げな声であった。彼は、小脇に紙の束を抱えている。おそらく、それが彼の言う資料なのだろう。
「そ、そんなことは!」
「アデレシア殿下、これをどうぞ。セルデン子爵にも見てもらいましょうか? つい先日発見したばかりの極めて貴重なものですよ」
ギレッグズ子爵が蒼白な顔となり、他の者が注目する中、シメオンは静かに歩み続ける。そして彼はアデレシアとセルデン子爵に、紙の束を渡していった。
「こ、これは!」
「ギレッグズ子爵、これは……これでは貴方が戦に誘導したも同然ではありませんか!」
アデレシアは驚愕し、セルデン子爵も憤激する。二人の様子からすると、よほどのことが記されていたのだろう。
「シメオン?」
「ガルゴン王国の商船が沈んだため、アルマン王国の商人は高値で売り抜けたのです。しかも、彼らは事前に荷を大量に仕入れていた。これは、いつから偽装商船が暗躍するか知っていなくては不可能です。
ギレッグズ子爵は、情報を商人達に流して利益を得たのでしょうね。隠し港には、偽装商船の活動開始時期を問い合わせる手紙がありました。それに、時期を指定するものまでも」
シノブの問いかけに、シメオンは苦笑とともに答える。
シメオンは、ずっと都市オベールで隠し港や地下工場から得た資料を当たっていた。シノブ達は潜入により様々な物を押収したが、それらは兵士達が手当たり次第にかき集めてきたものだ。そのためシメオン達は、整理にかなりの時間を要したらしい。
「ギレッグズ子爵。おそらく、ジェドラーズ五世陛下には退位していただくことになるでしょう。ですが、まさか一国の王であった者を他国に差し出すわけにはいきません。
ドワーフ達を奴隷にした軍務卿達はヴォーリ連合国の土産にするとして、ガルゴン王国やカンビーニ王国には、何が良いでしょうね?
やはり、ここは商船団の……」
そこまでシメオンが口にすると、ギレッグズ子爵の体が唐突に揺らぎ、ベッドの上に崩れ落ちる。どうやら、彼は気絶したらしい。
「おやおや、別に生贄にすると言ったわけでもないのに……とはいえ投獄や尋問はしますがね」
「シノブ様……シメオン様は、凄いお方なのですね」
シメオンが偽悪的な笑みを浮かべる中、アデレシアは驚きを滲ませつつシノブの顔を見る。
王女は、どこか晴れやかな顔をしていた。やはり彼女は、自身が兄に代わって王位に就くなどということは避けたかったのだろう。
「ええ、私の相棒は強力です。白でも黒に、黒でも白に変える弁舌と頭脳の持ち主ですよ」
頼りになる仲間に笑顔で謝意を伝えたシノブは、誇らしげな表情で王女に語りかける。その隣では、シャルロットも嬉しげな顔で頷いている。
「シノブ様、それでは私が悪人のようですよ。
……アデレシア殿下、私はシノブ様の光り輝く道の掃除役です。そのため少々汚れてはおりますが、これは必要悪というものでして。シノブ様や奥方様達の露払いとして、仕方なくやっていることです」
シメオンが気取った仕草で一礼すると、ついにその場にいた者達は一人を除いて声を立てて笑い出す。もちろん、その一人とは気絶したギレッグズ子爵だ。
「殿下。セルデン子爵達が貴女を支えてくれます。何も心配することはありません。それにエメライン殿も……貴女にも強い味方がいるのです」
「そうですよ。アデレシア様、私達も支援しますが貴女と側にいる方々がアルマン王国の希望なのです。ですから、どうか心を強く持ってください」
シノブとシャルロットは、アデレシアに優しく笑いかけた。
アデレシアの家族、祖父や親達の行方は不明なままだ。だが、彼女は王女なのだ。シャルロットが言うように嘆いているだけでは許されないだろう。
「はい、シノブ様、シャルロット様!」
アデレシアの笑顔に、シノブ達も顔を綻ばせた。
彼女も支える者達がいるお陰で強さを増したのかもしれない。シノブには、そんな気がしていた。家族、友人、君臣が互いに支え合う。多くの者に支えられているから、前に進めるのだ。
それは、シノブも同じことだ。頼りになる仲間達と手を取り合えば、困難も乗り越えられる。シノブは明るい笑顔が満ちる中、改めてそれを実感していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年2月25日17時の更新となります。