15.33 馬車を強襲
都市ジールトンへと繋がる街道は中々立派なものであった。
東海岸の都市オールズリッジから西のジールトンへと抜ける街道は、アルマン島を東西に横切る主要街道である。
海上交通の発達したアルマン王国だが、流石に内陸を船で進むことは出来ない。そのため王都から西の都市への伝令は早馬を使い街道を駆けるし、各港で陸揚げされた品は馬車で内陸の町村へと回っていく。
それ故東西を結び更に西の各都市へと繋がっていくジールトンは栄え、それに相応しく街道も整備されてきた。
「しかし、退位したとはいえ国王を含む王族の一行が馬車数台に一個中隊の騎士のみとは……」
マティアスは、慨嘆に近い声で呟いた。街道を見つめる彼の表情にも呆れが滲んでいる。
王家付きのフォルジェ子爵家に跡取りとして生まれたマティアスは、金獅子騎士隊の隊長として王族達の側に控え彼らを守ってきた。そのため彼は、王家に対する尊敬の念も人一倍強い。
今はフライユ伯爵家付きの子爵となったマティアスだが、神に認められた強く正しい国王や王家、それを支える貴族達という考え方に変わりはないようだ。むしろ、アムテリアの強い加護を持ち彼女に連なるシノブに仕えているためか、以前より強固な信念となったようでもある。
「まあね。仮に囮だとしても、それらしい規模にすると思うが……」
シノブも、夕日に照らされた街道を眺めつつ応じた。この辺りはジールトンから数km東で町や村からも離れている。そこでシノブ達は、ここで王族の一行を待ち受けることにしたのだ。
街道は主要な交通路だけあって、良く整備されている。メリエンヌ王国と同じく敷石は綺麗に整えられ、幅も馬車が三台か四台は横に並べる広いものだ。しかも脇には歩道もあり、王都から西の都市群に向かう大街道に相応しい威容である。
当然ながら、そんな立派な街道の側に隠れ潜む場所など存在しない。
しかし、シノブ達にはアミィがいる。彼女は幻影魔術を使い、シノブ達の姿を消していた。そのためシノブ達は、アルマン王国の王族達を運ぶ馬車を、街道から少し離れた草原の中で悠然と待っている。
「五小隊で五十人ですか……それと王族の乗る馬車に加え従者用が二台……退位させられた王族ですから、そんなものでは?」
灰色の瞳に少しばかり皮肉げな色を浮かべているのはシメオンだ。
シメオンも子爵だが、理知的な性格ということもあり、王家や王族を無条件に崇拝することはない。彼は、エウレア地方の貴族としては珍しい先進的な考えの持ち主なのだろう。その思想は、日本で現代的な教育を受けたシノブとしては馴染みやすいが、こちらでは少しばかり異質ではある。
「あまり多くない方が助かりますね」
アミィは、王家のあり方について触れるのは避けたらしい。そのためか、彼女は短く言葉を発した後、東の方に視線を向けた。
今日のアミィは魔法の杖を手にし、腰には炎の細剣を佩いている。長時間広い範囲に幻影魔術を行使するため、魔法の杖も持ってきたのだ。そのため彼女は、かれこれ三十分近くシノブを含む五十人以上の姿を消していた。
先刻から街道に人影は無い。
王族が通るとはいえ、街道全体が封鎖されるわけではない。しかし無礼なことをして咎められてもと思うのだろう、旅人も王族の一行を避けているようだ。
空から見張っているホリィによれば、西に行く旅人達は足を速めるか、逆に少し間を空けているようだ。では東に行く者達はといえば、こちらは王家の一行が迫る前に街道脇に避け、通り過ぎてから進んでいるそうだ。街道には休憩のための開けた場所もあるから、そういったところに避けるらしい。
王族や貴族の馬車は先触れの騎士が付き物だ。しかも先触れは警笛で注意を呼びかけるから、旅人達は本隊が来る前に余裕を持って対処できる。このあたりはメリエンヌ王国などと同様だ。
「また警笛です!」
「これが最後の先触れか……まだ本隊は1km以上後ろだし、これもやり過ごそう」
シノブとアミィには、ホリィからの思念が届いている。そのため二人は、警笛を聞くまでも無く先導や本隊の状況を把握してはいた。しかし甲高い笛の音が聞こえてくると、救出作戦の時が迫っていると実感する。そのため、シノブの表情は少しばかり引き締まったものとなっていた。
マティアスの率いる軍人達も、腰に帯びた剣に手をやったり装備を点検したりと、最後の確認をし始める。彼らは身を包んだ騎士鎧が音を立てないように気を付けながら、戦いのときに備えている。
軍人達は二つの集団に分かれている。
まずはアルノー・ラヴランやジェレミー・ラシュレーを始め、大武会に出場した達人達だ。帝国で竜人達とも戦った大隊長などを中心にした、フライユ伯爵領軍の最精鋭である。彼らは、王族の馬車を警護する竜人、翼魔人と戦うのだ。
もう一方は続く実力者である。こちらは前後を警護する騎士達を相手にする。シノブが催眠の魔術で相手を封じるつもりだが、翼魔人が持っているような魔道具があれば素直に眠るとも限らない。そこで念のため、相手と同数を揃えたわけだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「ジェドラーズ五世陛下を救出したら、復位させるのですか?」
先導の騎士達が通り過ぎる中、シメオンがシノブに囁いた。頭脳担当の彼は、戦いに加わるわけではない。そのため、救出後のことに思いを馳せていたようだ。
「まあ、正統な国王ですからな……」
騎士達が近くを通過しているため、マティアスも少し声を落としている。
今回の退位はジェリール・マクドロンや息子のウェズリードの謀略によるものだ。クーデターによる政権奪取なのだから、それを正すなら元通りにすべきかもしれない。ただし、この状況では、それで済まない可能性は高い。そのためだろう、マティアスの口調も少々歯切れが悪い。
「状況次第かな。大前提としてマクドロン親子の悪事を明らかにする必要があるが……復位については、ガルゴン王国やヴォーリ連合国の意見も聞くべきだろう。それに、アルマン王国の国民も納得するかどうか。
王太子を即位させることになるかもしれない。流石に新王家を立てるまではいかないだろうが」
シノブも、マティアスに小声で応じる。
一連の戦の落とし所として、国王の退位は避け難いだろう。ガルゴン王国は自国の商船団を多数沈められ、ヴォーリ連合国はドワーフ達が奴隷とされた。当然ながら賠償という話になるだろうが、ここまで大きな話なら国王に責任を取らせるべきという声は大きかった。
そうなると、王太子ロドリアムが新国王として即位することになる。だが、果たしてそれが許されるだろうか。
これは、全てが終わった後の国民感情次第であろう。マクドロン親子やグレゴマン達の暗躍を許した現王家の権威が地に落ち、ベイリアル公爵家を王家に、という声が挙がるかもしれない。流石に、これを機に王制を廃するとまではいかないだろうが、その可能性も完全には否定できない。
「グレゴマンは、隷属や竜人化のこともあるから倒す。これは絶対にだ。人を操り、命を弄ぶなど、許すわけにはいかない。
マクドロン親子も同じと言えば同じなんだが……真実を明らかにしたらアルマン王国の人々に委ねるべきではないかな。二人の処罰もそうだが、どのように国を立て直すかも」
シノブは、グレゴマンとマクドロン親子の思想に違いがあるような気がしていた。上手く言えないが、無差別に多くの命を犠牲にするグレゴマンと、限定的に隷属や竜人化の秘薬を用いているマクドロン親子は、似て非なるものではないかと思い始めていたのだ。
グレゴマンの望みは、今は亡きベーリンゲン帝国の皇帝のように全ての民を従え神への道具とすることなのだろう。したがって彼は、隷属させる対象を選ばず、それどころか積極的に隷属や竜人化を使ってきたのではないだろうか。
それに対しマクドロン親子は、自身が権力を握るための手段として必要だから、隷属や竜人化に手を出しているような気がする。
要するに、両者の差は神への信仰と現実的な権力志向という目的の違いにある。シノブは、そう感じていたのだ。
もちろん目的が何であれ、シノブに、そして多くの者にとっては許し難いことである。
だが、外から来たグレゴマン達とは違い、マクドロン親子はアルマン王国の人間だ。ならば、迷惑を蒙ったアルマン王国の者にも事後に関わる機会を与えるべきではないだろうか。それに他国から押し付けられた決定のみでは、将来の禍根となりかねない。シノブは、そう思ったのだ。
「アルマン王国自身の問題、ですか……確かに禁忌に触れないのであれば、我らが苦労する必要はありませんな」
「そうですね。マティアス殿もですが、私も新婚の身です。妻とシェロノワでゆっくりしたいですよ」
真面目に頷き返したマティアスとは違い、シメオンは冗談めかした答えを返す。
二人は、この四月の頭に結婚したばかりだ。マティアスはアリエル、シメオンはミレーユを娶ってから、半月しか経っていない。したがって妻を気にするのは当然だが、普段は感情をあまり見せないシメオンが妻とゆっくり、などと言うものだから、聞いていた者達は意外そうな表情となる。
「結婚されて少々変わりましたかな?」
「否定はしませんよ。それに、実家のこともありますし……両親が煩いのです」
マティアスの興味ありげな問いかけに、シメオンは肩を竦めつつ応じた。どうも、シメオンは跡取りを早くと両親から催促されたようだ。
シメオンとマティアスは、当初フライユ伯爵家付きの子爵としては一代限りとなる可能性があった。これは、フライユ伯爵となったシノブに沢山の子供が生まれたら、そちらに子爵位を渡すかもしれないからだ。
つまり、シノブの子が男子であればシメオンやマティアスの娘と結婚させたり、適当な娘がいなければ養子に入れたりである。
だが、シノブは将来旧帝国領を治める可能性が高い。そうなればシノブが次男三男と多数の男子を儲けても子供は他領を治めるだろう。ならば、シメオンやマティアスの息子達が爵位を継ぐ可能性は高い。
それに、シノブの子を婿に取るにしても娘が必要だ。そこでシメオンの両親は結婚間もない彼を急かしているのだろう。
「初孫ですからな。無理もないでしょう」
マティアスは、亡くなった先妻との間に二男一女を儲けている。そのためか、彼は少しばかり余裕を漂わせていた。
「アリエル殿との御子、ルオール男爵達は待ち望んでいるのでは? ユベール殿は未成年ですから、当分は結婚も無いでしょうし。責任重大ですよ?」
シメオンは、澄ました顔でマティアスに切り返した。
アリエルの実家、つまりルオール男爵家の跡取りは、彼女の弟であるユベールだ。しかし、まだ十四歳の彼はポワズール伯爵家で側仕えとして働く身であり、結婚はどんなに早くとも一年後、通例なら少なくとも三年か四年は先であろう。そのため、ルオール男爵達にとっての初孫はアリエルの子である可能性は高い。
「そ、それは……」
真っ赤な顔になったマティアスを、シメオンは僅かに微笑みつつ眺めている。年齢はマティアスが三十一歳でシメオンが二十五歳だが、落ち着いたシメオンの方が年上にすら見える。
「そろそろ雑談は終わりだ。だいぶ本隊が近づいてきたよ」
シノブは苦笑と共に見守っていたが、二人に注意を促した。
ホリィからの連絡に加え、彼自身も魔力感知により多数の人間や馬の接近を察知していた。この辺りは所々に森があり道も曲がっているため見えないが、本隊は随分と迫っているようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「何奴!?」
馬車の先導をしていたアルマン王国の騎士達は、鋭い声で誰何した。彼らの前に、鎧を纏った男達が突如出現したのだ。もちろん、マティアスの配下達だ。同様に、三台の馬車の後方にもフライユ伯爵領の軍人達が現れ、後続のアルマン王国騎士を牽制する。
だが、彼らの間に戦いが起きることはなかった。
「閣下の魔術は凄いな……」
「ああ、折角準備したのだが……」
フライユ伯爵領の軍人達は、頽れたアルマン王国の軍馬や落馬した騎士達を見て苦笑していた。シノブが催眠魔術を使ったのだ。
馬は常歩より少々早い程度であったから、人馬共に大きな怪我は無いようだ。そのためか、フライユ伯爵領の軍人達も気の抜けたような様子で言葉を交わしている。
だが、アルノー・ラヴランやジェレミー・ラシュレーが中核となった部隊は、そんな和やかな雰囲気とは全く異なる熾烈な戦いを繰り広げていた。
それは、異形との戦いだ。敵と戦うためだろう、翼魔人達はローブを剥ぎ取り禍々しい姿を顕わにし、アルノー達を迎え撃とうとしている。
「えいっ!」
アルノーが突き出したのは訓練用の槍だ。穂先を付けていないから棍といった方が適切かもしれない。彼は目にも留まらぬ連撃で、翼魔人の身体の数箇所に突きを入れる。
本隊を守っているのは異形の存在だが、元は人間だ。本来の姿に戻せないならともかく、今のシノブ達は治癒の杖がある。そこでアルノー達は、殺さないように訓練用の武器を用いているのだ。
「ガアッ!」
だが、訓練用とはいえ金属製の頑丈な棒だ。そのためアルノーの突きを受けた翼魔人は、乗っていた馬から突き落とされ、そのまま動かない。どうやら昏倒したらしい。
ビトリティス公爵の館では、公爵や重臣達が変じた翼魔人は光翔虎メイニーの攻撃を受けても気絶しなかった。しかし馬車の護衛達は、アルノーの攻撃で呆気なく動きを止める。
これはアルノーの技が優れているのもあるが、光翔虎よりアルノー達の方が人体の急所を熟知しているからのようだ。翼魔人は厳密には人間とは言えないが、それでも急所などはある程度共通しているのだろう。
「グオオッ!」
翼魔人の乗馬や馬車を牽く馬も、シノブの催眠魔術で眠り始めた。そのため魔道鎧により影響を受けない翼魔人達も、地に降りて戦い始める。
本隊を守っていた翼魔人は、元が兵士なのかもしれない。そのためか、彼らは炎の魔術ではなく手に持った槍や剣をそのまま使うつもりらしい。今、地面に飛び降りた者も槍を構えようとする。
「はっ!」
だが、翼魔人は地面に降りるか降りないかというところで、フライユ伯爵領軍が誇る勇士達によって蹴散らされる。
ジェレミーは華麗な槍術を披露し、翼魔人を昏倒させている。彼はシャルロットも使った『稲妻落とし』で翼魔人が手にした槍を打ち払うと、そのまま突き技である『稲妻』へと繋げる。しかも、こちらも怒涛の連撃だ。
ジェレミーは先代ベルレアン伯爵アンリに長く仕えた、いわば愛弟子である。その彼は『雷槍伯』アンリ直伝の技、ベルレアン流槍術の奥義を駆使し、翼魔人達を寄せ付けない。
「こちらにお願いします!」
少女に姿を変えたホリィが、アルノーやジェレミーを補佐する軍人達に声を掛ける。今日の彼女は、治癒の杖を使って異形を元に戻す役だ。炎の細剣を得たアミィは、シノブやマティアスと共に馬車の襲撃に加わっている。そのため、彼女が治療役に選ばれたわけだ。
「えい!」
ホリィは魔法の小剣で、魔道鎧に装着された『魔力の宝玉』を破壊していく。アムテリアが授けてくれた武具であれば『魔力の宝玉』も容易に破壊できるのだ。
「大神アムテリア様の僕が願い奉る! この哀れな異形を元の姿に戻し給え!」
数人の翼魔人の鎧を壊したホリィは慌ただしく剣を収め、今度は左手に持っていた治癒の杖を両手で構え、祝詞と舞いを最高神に捧げていく。何とも忙しいことだが、人々を元の姿に戻せるためだろう、ホリィの顔は嬉しげであった。
◆ ◆ ◆ ◆
一方、馬車はというと、シノブ、アミィ、それにマティアスの三人が向かっていた。シノブは光の大剣、アミィは炎の細剣、マティアスはシノブから貸し与えられた神槍を手にしている。もちろん、これらは魔道鎧を破壊するためだ。
「せいっ! おおっ!」
先導するマティアスは豪快に槍を振るっていた。彼の一閃、一撃ごとに翼魔人は地に伏し、馬車への道は開かれる。
彼もアンリが王都に来たときに指導を受けていたらしい。アンリはマティアスの父エルディナンと親交があるため、学ぶ機会も多かったのだろう。そのため、マティアスの動きもベルレアン流槍術に良く似ている。
マティアスは恵まれた体格に素質の持ち主である。それに彼は幼い頃から王族の警護役になるべく育てられた。そのためだろう、彼の振るう技には王道ともいうべき風格が宿っている。
異形を相手にしても動じることなく、なおかつ正々堂々と槍を振るう彼の姿は、メリエンヌ王国騎士の理想を体現しているようだ。少々真正直すぎる武技だが、それもまた光り輝く王家の守護に相応しいというべきであろう。
「流石は王家の守り手だね」
「はい! でも、シノブ様も負けていませんよ!」
感嘆するシノブに、アミィは微笑みかける。
アミィの言葉通り、シノブの大剣術も達人の域に達していた。フライユ伯爵となった彼は、伯爵家が伝えてきたフライユ流大剣術を習得すべく修練を積み重ねた。そして彼の努力は見事に結晶し、フライユ流の宗家に相応しい腕前となったのだ。
元々、シノブの武術はアミィに教わったものを基本としている。当初、アムテリアから授かった武器は魔法の小剣であったため小剣術を習い、その後、槍術を得意とするシャルロット達と知り合ってからは槍を学ぶこともあった。
もっとも、彼自身の武器に槍が加わったのは、比較的後のことだ。アムテリアから神槍を授かったのは昨年十一月の王都に向かう旅路で、その後すぐに帝国との戦いに突入した。したがって、シノブもベルレアン流槍術を教わりはしたが、あまり長い期間ではなかった。
それに、どうもシノブには大剣術の方が合っていたようだ。これは、現代日本人であった彼としては当然かもしれない。
現代の日本では、剣道やチャンバラごっこをする機会はあっても、槍の使い方を学ぶことは稀だろう。シノブも、古くからの武器として一番に思い浮かべるのは日本刀である。
そういった背景に加えフライユ伯爵として家伝の技を修めようと努力したため、シノブの大剣術は大きく伸びることとなったようだ。
それは、彼の戦いを見れば明らかだ。極めて高度な身体強化と長い年月を掛けて熟成された技の融合に、異形達は近づくことも出来ない。翼魔人達は、彼の剣の届く範囲に入ったかと思うと魔道鎧の結晶を貫かれ、剣の平で打たれて気絶する。
光の大剣から繰り出されるのは、王者の剣、神威の剣というべき技の数々だ。そのためだろう、彼と共に戦う武人達も時折見惚れてすらいる。
「アミィだって凄いじゃないか。炎の細剣を完全に操っているし」
シノブの言葉は大袈裟ではない。
アミィは、ガルゴン王国の国王や王太子、それに公爵達より遥かに炎の細剣の扱いに熟達していた。これは、彼女がアムテリアの眷属、つまりガルゴン王国の聖人と同じ存在だからであろう。
ガルゴン王国には、これとは別に四本の炎の細剣があり、国王、王太子、二人の公爵が所有している。そして五本目として聖人の宝剣があったのだが、それは特別製で他の者は使えなかった。そのため、聖人の宝剣は長い間封印されていた。
したがって剣も特製であるのは間違いなく、単純に他と比較できない。ただ、アミィの方が炎を数段上手く制御しているのは間違いない。
アミィは小柄で、槍を持った翼魔人達とは間合いが違いすぎる。そのため彼女は炎の細剣から小さな火炎を飛ばし、それで槍や魔道鎧の宝玉を破壊していたのだ。
当然ながら、制御を誤れば翼魔人まで燃えてしまう。しかし、アミィの操る火炎は『魔力の宝玉』だけを潰し、相手の槍のみを溶かしていく。それに、剣の平で敵を打つときは一瞬にして炎や熱を収めているらしく、倒れ伏した翼魔人達には火傷の一つも存在しない。
◆ ◆ ◆ ◆
戦闘は、大して時間も掛からずに終わった。既に、馬車を護衛していた騎士達は拘束して街道脇に纏めている。それに、翼魔人も殆どが人の姿に戻った。もう一回か二回ほどホリィが治癒の杖を使えば、こちらも終わるだろう。
「さて、中は……」
シノブは、中央の一際立派な馬車の扉に手を掛けた。彼の左右を固めるのは、アミィとマティアスだ。
馬車は王族が乗るに相応しい豪奢なもので、前後の従者用とは明らかに違う。そして、この馬車には他とは異なる点がもう一つある。それは、隠蔽の魔道具だ。
何しろ魔力感知に優れたシノブでも、外からでは内部を殆ど察することができない。乗っているのは四人らしいが、どんな者かも今一つ判然としないのだ。どうも、馬車自体と中にいる人の双方に隠蔽の魔道具を施しているようだ。
そのため、シノブは万全の警戒をしている。彼は身に着けた光の首飾りと光の盾から、それぞれ光弾と光鏡を複数出し、手には光の大剣を握ったままだ。それに懐に収めた神々の御紋、アムテリアから授かった神具も、取り出しやすいようにしている。
「これは! アミィ、マティアス、離れろ!」
シノブは、そう言い捨てると馬車の中に飛び込んだ。そして彼は中に倒れていた四人を遠く離れた場所に光鏡で転移させ、光弾で室内の魔道具を消し去った。
シノブは自身の近くに配置した光鏡の他に、遠方にも別の光鏡を待機させていた。それを使い、馬車の中にいた四人を車外に移したのだ。
「何があったのですか!?」
飛び下がったマティアスがシノブに声を掛ける。アミィも彼の脇で心配そうな顔をしている。
「発火だった。おそらく、何かをきっかけに爆発するんだろうが……」
馬車の扉を開けたシノブが感知したのは、発火の魔道具であった。大型弩砲などに火矢の発火用として使われているものだ。それを感知したシノブは、隠し港でドワーフ達を囮に仕掛けた罠を連想したのだ。
「乗っていた人達は、大丈夫なのでしょうか?」
近づいてきたアミィが、シノブに不安げな顔で問いかける。彼女は、発火の魔道具を腹に巻いていた艦隊司令のカティートンを思い浮かべたのだろう。
「彼らも持っていたようだが、魔術で眠っていたから大丈夫だ。馬車に乗ってきたのだから、振動くらいでは爆発しないだろう」
「では、王族の奪還は成功ですな!」
シノブの言葉を聞いて、マティアスは笑顔になった。軍人としては作戦目標を達成できたかどうかは、気になるところだろう。
「それなんだけどね……まあ、行ってみようか。アミィ、もう変な魔道具は無いよ。馬車を回収してくれ」
現在シノブが感知しているのは、隠蔽の魔道具だけだ。そこでシノブは、アミィに馬車ごと回収するように頼む。彼女はシノブに次いで魔力感知も得意だし、魔道具に関する知識はシノブを上回る。その彼女なら、後始末を任せても安心だとシノブは思ったのだ。
「はい、シノブ様!」
アミィは、念のため馬車の内部を確認しようと思ったのだろう。彼女は車中に入っていく。
「……シメオン、一緒に来てくれ!」
一方、シノブはシメオンに声を掛ける。彼は戦闘の間、街道から離れた場所で待機していたのだ。
そしてシノブは、マティアスとシメオンを伴い、光鏡で飛ばした者達のところに歩み始める。
「一瞬だしフードを被っていたから確かじゃないが……たぶん彼らは王族じゃない」
「やはり、罠だったと!?」
シノブの言葉にマティアスは驚くが、シメオンは無言のままであった。彼は、この事態を予想していたのだろう、平静な様子でシノブに続いていく。
「ああ。良く似た者を隷属させて代役を命じたのかな。かなり魔力があるから、王家に近い貴族かもしれない。閣僚達は投獄されたようだから、彼らや家族かも……」
エウレア地方には写真などない。そのため、シノブ達もアルマン王国の貴族の顔を把握しているわけではない。これは、潜入しているホリィ達やソニアなども同じである。
もちろんホリィやソニア達も、街の者の話などで王族や閣僚の大よその容貌は理解している。とはいえ、これも伝聞であり、髪や目の色に加え顔つきがどうだ、という程度の情報から思い浮かべたものでしかない。
「王族はミリィ殿や光翔虎殿の捜索に期待しましょう。ですが、アルマン王国の高位貴族なら、それはそれで良いのでは?
彼らから聞くこともありますが、仮に閣僚級であれば、そして彼らが軍務卿の罪を言い立てたら……国民の説得もしやすそうです」
シメオンは、少し意地の悪い笑みを浮かべている。どうやら、彼は王族の救出にあまり拘ってはいないようだ。アルマン王国の中枢にいた者が手に入れば良い。そして、彼らにマクドロン親子の対抗勢力になってもらえば良い。彼は、そう思っているのだろう。
「全く、シメオン殿は恐ろしいですな。貴方が味方にいてくれるのは、心強いですよ」
ここのところシメオンと行動することの多かったマティアスは、口で言うほど驚いてはいないようだ。とはいえ、彼の顔は苦笑いを浮かべてもいる。
「私の出自はベルレアン伯爵の一族で、今はフライユ伯爵家を支える立場ですから。主家への忠誠、それを通してメリエンヌ王家への忠誠はありますが、アルマン王家には……。
要は、シャルロット様やミュリエル様が笑顔であれば良いのです。マティアス殿も、セレスティーヌ様をお守り出来れば良いのでは?」
年上の同僚に、シメオンは澄ました顔で応じた。その言葉は冗談めいてはいたが、彼の思いを大いに含んだものらしい。
シメオンは長きに渡りシャルロットを見守ってきた。そしてミレーユを妻に迎えた今も、シャルロットやミュリエルを守ろうという思いは変わっていないのだろう。案外、その辺りもシャルロットを崇拝するミレーユと気があった理由かもしれない。
「そこに当主の笑顔も加えてほしいけどね。まあ、皆が笑顔なら俺も微笑んでいると思うけど」
「そうですよ! それにシメオンさん、奥方の笑顔を忘れてはいけませんよ! これはミレーユさんに言っておきます!」
シノブは、頼りになる子爵達の会話におどけた口調で加わった。すると後ろから駆けてきたアミィも、それに続く。
流石のシメオンも、これには反論できなかったらしく、微かな笑みを浮かべるだけだ。彼は意外に純情であり、ミレーユのことを出されるのが苦手なようでもある。妻について自分で話題にするのはともかく人に言われるのは、ということであろうか。
シノブとマティアスは、そんなシメオンの姿に思わず声を立てて笑ってしまう。
戦いの後には不釣合いな明るい笑い声が響く中、シノブは一歩前に進んだことを素直に喜ぶことにした。王族達の行方は不明なままだが、ミリィや光翔虎達が明らかにしてくれるだろう。シノブは、そう考える。
草原を進む彼らの上では、夕日が優しく煌めいていた。そんな温かく優しい光に力を貰いながら、シノブ達は救出した者達を飛ばした場所に向かって歩んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年2月23日17時の更新となります。