15.32 軍務卿と理想
アルマン王国の王都アルマック。その中央にある『金剛宮』の大宮殿では、良く似た顔の二人の男が向き合っていた。場所は国王の御座所、つまり執務室だ。もっとも、二人は王でも王族でもない。
一人は軍務卿ジェリール・マクドロン。先日彼は総統と名乗ったのだから、総統ジェリールと呼ぶべきかもしれない。茶色の髪に青い瞳の細面、それに鼻の下には綺麗に整えた髭を持つ、貴族らしい風格と武人としての力強さを持ち合わせた中年男性だ。
もう一人はジェリールの長男であるウェズリードだ。二十歳を少々過ぎたばかりの彼は、まだ若々しい顔つきで髭も蓄えてはいないが、それ以外は父と良く似た青年である。
どちらも武人として鍛えたことが良くわかる筋肉質な長身であり、軍服が似合っている。彼らは豪奢なソファーに腰掛けているが、その姿からは気の緩みなどは感じられない。そのせいか、御座所の華やかな装飾や見事な絵画が色褪せて見えるほどである。
「準備は出来たか?」
「はい。グレゴマンから馬車なども届きました。問題ありません」
ウェズリードは父の問いに静かに答えた。
まだ日も昇らない早朝であり、『金剛宮』も人の姿は少ない。しかも、彼らがいるのは上質な素材を用いた部屋ということもあり、外の音など聞こえない。そのためウェズリードの淡々とした、それでいて何となく人を寄せ付けない声だけが、御座所の煌びやかな空間に響いていった。
「隠蔽の魔道具か……恐るべき技術だな。あの竜人達の禍々しい魔力を隠しきるとは……あれが無ければ、都市の中に隠れ家や魔道具工場など作れなかった筈だ。そもそも、奴らが国内を移動することすら難しいに違いない」
ジェリールは、僅かに表情を動かしつつ応じる。帝国の残党が持つ魔道具技術は、彼からしても端倪すべからざるもののようだ。
グレゴマン達、正確には彼の部下である竜人がアルマン王国に潜伏でき、しかも各地に出没できるのは、隠蔽装置の力が大きかった。拠点を隠す大規模なもの、竜人が着用する魔道鎧など個人が身に着けるもの、そして馬車などに組み込むものなど各種の隠蔽装置があるから、彼らは自由に行動できるのだ。
「あの隠蔽を我々が製造できるようになれば、どれだけ役に立つことか。
彼らの技術のうち幾つかは開示されました。ですが発火や強化など、ごく一部だけです。全く残念なことですよ」
ウェズリードは肩を竦めてみせた。彼の皮肉げな口調と振る舞いは、グレゴマン達の限定的な技術提供への不満からのようだ。
「あれは奴らの切り札だろう。馬車の台数は?」
「問題ありません。二台出させました。彼らも王族達を手に入れたいのですから、そこは惜しまなかったようです」
ジェリールの確認に、真顔に戻ったウェズリードは最前と同じく感情の薄い声音で応じた。
どうも、ウェズリードは二台という数に不服があるようだ。とはいえ彼も、隠蔽装置が貴重なものであり量産できないと知っているのだろう。言葉の上では、それ以上不平を漏らすことはなかった。
「ならば良い。他の物はこちらで用意できるからな。罠自体も、そこに至る仕掛けも」
「ええ。既に民にも王族達の静養を告知しました。新体制の通達と合わせて早馬を出したので、今頃は各都市に伝わっているでしょう。もっとも、メリエンヌ王国の手の者は王都に潜んでいるようですが」
現在はシノブ達が都市ラルナヴォンの倉庫に潜入してから幾らも経っていない、日の出には随分とある早い時間帯だ。
しかし倉庫の見張り達も王族の動静を知っていたように、王都アルマック自体や近い都市には、王族達が西の都市デージアンに静養に行くことが伝わっている。そのため退位したジェドラーズ五世や彼の二人の妻、そして更に一代前の王であるロバーティン三世が西に赴くことは、王都や近郊の民であれば理解している。
だが、これらはジェリール達が仕組んだことらしい。どうやら彼らは、王族達の移動を国内に喧伝しシノブ達の耳に入れたいようだ。おそらく、移動の途中か移動した先に罠を仕掛けるつもりなのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「……シノブという者は、王都にも自由に出入りしたようだ。おそらく今も王都に、あるいは近くに潜んでいるのだろう。ならば、王族の移動は奴の耳にも入る。
しかし、予想通りではあるが奴は『金剛宮』には再度の潜入をしなかったな。我らを暗殺しにきても不思議ではないのだが……やはり、甘さが残った男ということか」
暫しの沈黙の後、ジェリールは口を開く。
彼は、王女アデレシアを連れて『金剛宮』から脱出したのはシノブ、あるいは手の者だと確信しているらしい。そのため、シノブが再び『金剛宮』に現れ自身や息子を害するかもしれないと用心していたのだろう。
ただし、ジェリールは暗殺の可能性は低いと考えていたようだ。彼は、シノブが後ろ暗い手を嫌うと察しているらしい。おそらく、シノブの過去の行動から彼の性格を読み取ったのだろう。
「穏便な権力移譲を目指したのが幸いしましたね。王都の民は、いえ、王国の民は私達に好意的です。優柔不断な王族を排除し、国難に立ち向かうため結束する……その国難が私達の演出したものだとも知らずに……愚かなことです。
ともかく、この状況で王族達を擁立しても民は従わないでしょう。それがメリエンヌ王国など他国の力によるものであれば尚更です。案外、その辺の空気を察したのかもしれません」
ウェズリードは、シノブ達の思惑をある程度理解しているようだ。彼は、再び肩を竦めつつ酷薄にすら思える笑みを浮かべてみせる。
彼らの推測は、大よそ当たってはいた。
シノブ達であれば、ジェリールやウェズリードを捕縛するなり何なりして、ジェドラーズ五世を復位させることも可能であろう。しかし、それを読んだのであろう、マクドロン親子はメリエンヌ王国などが自身や息子を狙ってくるだろうと周囲に仄めかしていた。
この状況でジェリール達を捕縛や暗殺しても、ジェドラーズ五世達の復権は困難である。それらは噂として街にも流布しているから、突然マクドロン親子が退場しジェドラーズ五世が各国と和解しても、民衆が素直に納得するとは思い難い。むしろメリエンヌ王国が傀儡政権を立てたと思うだろう。
そういった人々の感情を察したシノブは、マクドロン親子の非道に関する動かぬ証拠を得ようと考えた。しかも王族の隷属などではなく、民を害する動きである。
民からすれば、王族や貴族の権力闘争など他人事だ。隷属に関する倫理的な問題はあるが、日々の生活に追われる民衆は、そこまで信仰深くもない。むしろ、そういう意味では神々から加護を授かったとされる王族や貴族の方が神の言葉に忠実であり、それ故禁忌への嫌悪も強かったのだ。
そこでシノブ達は、西の村で人々に非道を働いているというグレゴマンを捕らえるか、彼の悪事を暴こうとした。グレゴマンの上に立つのはマクドロン親子であり、間接的に彼らが民衆を裏切っていたと示すことが出来るからだ。
「どちらでも良い。グレゴマンのところに王族達が届けば厄介払い出来る。もし、あちらが襲われても罠は仕掛けているからな」
「ええ……ですが父上、グレゴマンをいつまで優遇するのですか? 彼が本格的に力を得たら危険では?」
父親の言葉に頷いたウェズリードだが、途中で眉を顰める。ウェズリードは、グレゴマンを利用しつつも、彼の持つ力については強く警戒しているようだ。
「あの男は、己の神の復権を目指している。だから、それが成るまでは大人しく従う筈だ。問題は奴の願いが叶ったときだが……そう上手くいくこともなかろう。
シノブという男は、神々の教えに従順らしい。禁忌の技を使うグレゴマンを目の敵にするだろう。奴がグレゴマンを倒せば、それはそれで良い。我らが民の心を縛っていれば……それが守りとなる」
どうやらジェリールはシノブとグレゴマンの共倒れ、あるいはグレゴマンの敗北を望んでいるらしい。
彼らはグレゴマンの力を利用して政変を起こし、国王を蹴落とした。各国の協調と融和を願うシノブは、内政干渉を嫌っている。つまり、マクドロン親子は民から背かれない限り、自国の内政問題として突っぱねることが出来ると思っているのだろう。
「神でもなく、魔力や魔道具でもなく、心で縛る……ですか。確かに父上の演説は、まるで魔術のように民の心を動かしていましたね。父上の語る幻の理想に、民は歓呼の声を上げ感涙と共に聞いていたではありませんか」
「餌があるというのも大きいがな。いずれにしても、国を率いるのに神など不要だ。そんな不確かなものではなく自分自身の力を示さないから、王位を追われるのだ。そう、ジェドラーズのようにな」
ジェリールは、民衆を揶揄するような息子の言葉には乗らなかった。その代わり、彼は退位したジェドラーズ五世に触れる。
「神を崇め続けた者が、神の捧げ物になるのだから、ある意味本望ではありませんか? もっとも、相手は彼の信じた神ではありませんが」
ウェズリードは、相変わらず人を見下したような態度で父に応じた。一方のジェリールは、黙ったままだ。彼は己の従兄弟であるジェドラーズ五世を思っているのか、遠い目をしている。
「ウェズリード、抜かりなくな」
「はい」
うそ寒い空気が漂う中、ジェリールが取った行動は息子への短い指示だけであった。どうやら、王族の輸送はウェズリードに任されているらしい。
もちろん、王都で軍を纏めるウェズリードが、現地に赴くわけではないのだろう。それに、彼は自身で動くより人を操ることを好むようだ。
だが、父親であり総統として国を動かすジェリールの言葉には、他者を軽んずるようなウェズリードとはいえ従わざるを得ないのだろう。彼は静かに頷くと、ソファーから立ち上がり室外へと歩み出ていった。
◆ ◆ ◆ ◆
ジェリール達の会話から数時間が過ぎ、アルマン王国の王都アルマックでも太陽が中天近くに昇った頃のことである。
東に1200km以上離れたシェロノワでは、一時間少々早く昼を迎えていた。そのため、シェロノワのフライユ伯爵家の館にいる者達は、既に昼食を済ませ午後の仕事に取り掛かっている。
それは、シノブ達も同じである。彼は、シメオンとミレーユ、そしてマティアスとアリエルと、久しぶりに自身の執務室で語り合っていた。
ここ暫く、四人はシェロノワを離れていた。彼らはアルマン王国の偽装商船や隠し港で捕らえた者を都市オベールで取調べたり、そこで得たドワーフの隷属に関する物証をアルマン王国の軍使との会談の場に運んだりしていたのだ。
だが、彼らのすべきことは終わった。後は現地の監察官達でも充分対応できる。それに、アルマン王国で政変が起きた今、単に証拠を突きつければ解決するという状況でもなくなった。そのため、四人はシェロノワに戻ることとなったわけだ。
今、執務室には彼らに加えシノブとアミィ、シャルロットがいる。
シノブとアミィは都市ラルナヴォンから朝方戻り、その後充分に睡眠をとった。そのため、二人は珍しく早朝訓練に参加することも無く休んでいた。
そしてシャルロットは、シノブと入れ替わりに起床した。館に戻ったシノブは、約束通りシャルロットを口付けで起こしたのだ。彼女は夫の無事な帰還を喜び、疲れを癒すようにと勧めた。それもあり、シノブとアミィは昼近くまで休んでいたわけだ。
「……罠ですね」
「確かに。その可能性は高いですな」
シノブの話を聞き終えたシメオンが呟くと、隣に座っていたマティアスが重々しい口調で同意した。
彼らは、執務机の脇にあるソファーに腰掛けている。シノブの脇はシャルロットとアミィ、そして向かい側がシメオン達四人だ。
シノブとアミィは、シメオン達にアルマン王国の現状について説明していった。シノブとアミィがラルナヴォンに知った情報に加え、王都アルマックに潜伏中のソニアと彼女を支援しに行ったマリィ、それに再び各地に散ったホリィやミリィ、更に六頭の光翔虎からの続報などである。
「ジェドラーズ五世陛下、妃殿下、それに先王陛下ですか……今頃はオールズリッジでしょうか?」
アリエルは僅かに憂いを浮かべつつ、国王達が今どこにいるかをシノブに問うた。
ちなみに彼女が口にしたように、メリエンヌ王国などではアルマン王国の国王ジェドラーズ五世を退位していないものとして扱っていた。退位を認めることは、マクドロン親子の策謀の追認へと繋がるからだ。
「もうオールズリッジを出たかな。今頃は更に西のジールトンに向かっているだろう」
「おそらく、ジールトンには夕方頃に着く筈です。ですから、その前に何とかしたいですね」
シノブに続いてアミィが答える。
オールズリッジとは王都の南50km弱の都市である。そして、ジールトンがそこから西に80kmというところか。王族が乗っているにしては、かなり急いでの移動である。
ちなみに、シノブ達はベーリンゲン帝国と戦うためにガルック平原に向かう際、一日200km近くを馬車で移動したことがある。しかし、それは馬車の旅としてはかなりの強行軍であった。
この世界の馬は身体強化が使えるし、馬車も車台と車軸の間にバネを用いて乗り心地の向上を図ったものだ。しかし一日130kmの移動は、王族の移動としては異例というべき旅程である。
「そうなると、明日には静養先のデージアンですか?」
「そうなりますね。ですから王族を救い出すなら、今日はジールトンまでの道程、明日はそこからデージアンまでが良いでしょう。街の中では何があるかわかりませんから」
小首を傾げたミレーユに、シャルロットが少しばかり眉を顰めながら応じた。シャルロットは、アルマン王国の王族達の移動経路や日程がこうも明らかになっていることを不審に思っているらしい。
王族の旅だから宿泊先の準備や道中の警護など、様々な段取りが必要だろう。したがって、事前に予定が示されるのは当然だ。ただし、今回のように大々的に発表するのは、何か裏がありそうだ。
これが平時の行幸であれば、民衆へのアピールの意味でも旅の詳細を布告し、人々と交流でもしつつ進むだろう。しかし、今回は不例による退位と静養という建前であり、王族が人前に出ることはないらしい。
馬車は王都アルマックを未明に出発した。そのためホリィ達が都市ラルナヴォンでの潜入作戦を終え王都に戻ると、既に馬車は出立していた。
もちろんホリィは鷹の姿となって空を飛び、オールズリッジに向かう馬車を追いかけた。しかし馬車は竜人、シノブ達が翼魔人と呼ぶ異形が御者や警護役を務めており、容易には近づけない。そのため、馬車を監視しているホリィも王族達の姿をはっきりと確認しないままであった。
「そうだね。街の中で翼魔人が火球を放ったりしたら大変だからね……やっぱりジールトンの手前かな?」
シノブは、街中で翼魔人を使う光景を思い浮かべてしまい、苦い顔となる。
やはり、人の多い場所で救出するのは無理があるだろう。隠れ家や地下工場への潜入や救出のように都市の中で戦うしかないならともかく、場所を選べるなら街道など周囲に被害が出ないところにすべきだ。シノブは己の想像を打ち消しながら、そう決意した。
「それが良いでしょうな。もしジールトンで失敗しても、デージアンの手前で再挑戦できます」
マティアスは、早めに対処すべきだと考えたようだ。やはり彼は、軍人らしく即決即断を好むらしい。もっとも、一日目で駄目でも二日目で取り返せると保険を懸けておく辺り、軍人は軍人でも将官としての深慮遠謀も持ち合わせているのだろう。
「……ところでシノブ様。アルマックからデージアンに行く経路は、他に無いのですか?」
シメオンは、暫しの沈黙の後に、王都から静養先までの経路について訊ねた。
広報されている旅路は、王都から一旦南に進みオールズリッジ、そこから真西にジールトン、更に北上してデージアンという少々遠回りな道程である。これは、王都と西の都市群の間に山地があるからだ。
「中央の山地には幾つか道があるよ。といっても、平地の街道ほどは整備されていないようだが……」
アルマン島の山地は中央のアルマン山地しかない。したがって現地の者は単に山地と呼ぶことが多いのだが、これは大陸のリソルピレン山脈のような踏破不可能なものではなく、道も存在する。
しかし、王族が整備された街道を避けて山の中を行くこともないだろう。そのため、今までシノブは南回りの経路に疑問を抱いてはいなかった。しかしシメオンの指摘を受け、シノブは山中についても考慮すべきだったかと思い直す。
「本命は別経路だと言うのですか?」
「それでは、ホリィが追っているのは偽者ということですか?」
シノブだけではなく、シャルロットやアミィもシメオンの言いたいことに気が付いたようだ。二人は少しばかり顔を曇らせシメオンの言葉を待つ。
「あくまで可能性ですが……しかし仮に本命が別だったとして、既に王都を離れているでしょうね。南に向かった馬車は翼魔人の存在を顕わにしています。それが囮だからであれば……別経路で行った馬車は、普通の隊商のような変哲もないものでは?」
シメオンが言うように、南回りの馬車は翼魔人の存在を隠していない。もっとも、彼らはフード付きのローブで体や顔を隠しているから、普通の者なら不審に感じても相手が異形だとは思わないだろう。
とはいえ、目元以外を隠した怪しい者達が魔力も隠蔽しているのだから、シノブ達からすれば翼魔人と喧伝しながら進んでいるようなものだ。したがって、シノブ達を誘き寄せる罠という可能性は高い。
逆に言えば、本命の輸送部隊が他なら、そちらは御者や護衛も普通の人間ではないだろうか。そうであれば、発見は困難だ。
「確かにね……だが、念のために探らせよう。ホリィはこのまま南で、マリィはソニアと一緒がいいな……ミリィ達に見張ってもらうか」
シノブはシメオンに頷くと、思念でミリィ達に連絡した。
現在ミリィと六頭の光翔虎は、西の村々を巡りグレゴマンや翼魔人を探している。彼らにはグレゴマン達の捜索を継続してもらうが、アルマン山地も探る必要がある。シノブは、ミリィ達にデージアンへと繋がる山道にも目を向けるようにと伝えていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「……連絡したよ」
「ところで閣下、今回は誰を伴うので?」
シノブがミリィ達に連絡し終わったと伝えると、マティアスが期待を滲ませつつ同行者を誰にするかを問うた。どうやら彼は、シノブと共にアルマン王国に行きたいらしい。ここ暫く、捕縛した者達の取調べや事務仕事をしていたからであろうか。
「君達を連れて行くよ。俺にアミィ、ホリィ、マティアス、シメオン……後は腕の立つ部下を選んでくれ。相手は翼魔人だから、それなりの者を頼む」
マティアスの内心を察したシノブは、微笑みを浮かべる。
司令官であるマティアスは大武会には出場しなかった。しかし、彼は出場していれば優勝候補の一角となったことは間違いない実力者で、アルノーやアルバーノと遜色ない達人である。
一方シメオンは、知恵袋として加わってもらう。相手が罠を仕掛けているなら、彼の頭脳が役に立つだろう。それに、マティアスやシメオンは貴族である。王族の救出に成功したら、彼らがいた方が何かと助かる。
そして、翼魔人の相手をするなら大隊長、少なくとも中隊長以上の力量は必要だろう。竜との戦いもそうだが、常識を超えた相手との戦いでは数だけ揃えても意味がない。そのため、大武会で言えば本選出場者以上が望ましい。
「はっ! 畏まりました! 早速選別に掛かります! 失礼します!」
マティアスは、嬉しげな顔でシノブに答える。そして彼はソファーから立ち上がると、シノブ達に一礼し執務室から退出していった。
「アルバーノ殿やファルージュ殿は、西の村でしたね?」
「ああ。向こうの調査も増員した。ミリィや光翔虎は隠蔽されていると近距離でしか気がつかないからね。もっとも、俺も100mか200mといったところだけど」
シメオンの確認に、シノブは苦笑と共に答えた。
グレゴマンの捜索は、大袈裟に言えば人海戦術へと変じていた。魔力感知があまり役に立たないとなると、結局人手を増やすしかなかったのだ。もちろん、こちらもアルバーノの率いる特殊部隊が中心で、基本的には諜報の熟練者のみではある。
魔力感知はシノブも同じで、普段の十分の一かそれより狭い範囲しか察知できない。もっともミリィ達の場合、二十数mから十数mであり、これでも桁が違うのは確かなのだが。
いずれにせよ、シノブが出向いたとしても、あまり事態は好転しない。そしてシノブの体は一つだけで、それならミリィ達が数で補うべきだとなったのだ。
「それに、聞き込みもありますし」
また、アミィが言うように捜索は魔力感知だけではない。
グレゴマンは人々の魔力を吸収しているらしい。村々には、行方不明者や不審な死を迎えた者がいるという。それらの情報を収集するため、アルバーノ達を送り込んだのだ。人に変ずることの出来るミリィはともかく、虎の姿の光翔虎に聞き込みは出来ないからである。
「では、そちらは朗報を待つしかありませんね……私も準備します」
シメオンもマティアスに続き部屋を去る。彼はフライユ伯爵領の内政官の頂点に立つ人物だ。やるべきことは幾らでもあるのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「さて……出発まではどうしようか?」
移動は魔法の家で行えば一瞬だから、急ぐことはない。そこでシノブは、その間をシャルロット達と過ごそうと思った。慌ただしいのは仕方が無いが、時間があるなら彼女と共にいたい。シノブはそう思ったのだ。
「そうですね……サロンで演奏会など如何でしょう? アルマン王国では随分と好評だったようですし、私も久しぶりにシノブの歌を聴きたいです。ミュリエルやセレスティーヌも呼びましょう」
柔らかな笑顔と共に、シャルロットは演奏会を所望する。
シノブやアミィはアルマン王国の王宮『金剛宮』に潜入した際に、王族の前で数々の曲を演奏し歌を披露した。そのためシャルロットは、自分の前でも歌ってほしいと思ったのだろう。
「それは良いですね。私も演奏します」
「では私も! シャルロット様は歌ですか、それとも?」
アリエルは弦楽器が得意だ。したがって、シノブ達の伴奏に回ろうと思ったようだ。そして、ミレーユは木管楽器を習っていた。ただし、彼女はシャルロットが歌うなら歌も良いと思ったらしい。
「歌にしておきましょうか……ミュリエル達もいますから」
シャルロットは、歌を選択した。彼女も貴族の嗜みとして楽器くらいは扱える。しかし、今日は妹達と一緒に歌いたくなったようである。
「では、ミュリエル様達をお呼びしますね!」
アミィは軽やかに駆けていく。今日のミュリエルとセレスティーヌは、アルメルの下で学んでいる筈である。勉強を中断するのは良いことではないが、彼女達も戦地に向かうシノブを案じているだろう。アルメルも、そんな少女達の心を察してくれるに違いない。
「それじゃ行こうか」
シノブは立ち上がり、シャルロットへと手を差し伸べる。
ここのところ、シノブ達は頻繁にアルマン王国へと赴いている。それも単なる渡航ではなく、戦いを伴う潜入である。シャルロットも、きっと案じているだろう。そう思ったシノブは、妻への労りを忘れないように気を付けていた。そのため彼は、穏やかな笑みと柔らかな声音で妻を誘う。
「はい。シノブ、アルマン王国の人々や王族の皆様、それにアデレシア様を魅了した歌と演奏、たっぷり聴かせてもらいますね」
シャルロットは夫の手を取ると、悪戯っぽい笑みを浮かべながら彼に寄り添った。
彼女は決して嫉妬深い性格ではない。しかし、夫が自分の知らないところで知らない人達に笑顔を振りまき歌を捧げていたというのは、やはり嬉しいことではないのだろう。それが、自身も好きな歌であれば、尚更である。
「シノブ様~、これは大変ですよ~」
「そうですね。出発までにシャルロット様のご機嫌を直せるでしょうか?」
ミレーユはともかく、珍しくアリエルまで冗談交じりの言葉を口にする。たぶん、それだけシャルロットのことを心配しているのだろう。
初めての子を宿したシャルロットだ。同じ女性であり、それぞれ人の妻となった二人は、シャルロットへの気遣いも一層細やかになったようである。
「頑張るよ。シャルロット、君への愛の歌なら、幾らでも歌えるからね」
「まあ……シノブ、やはり『金剛宮』で楽士としての経験を積みすぎたのではありませんか? 貴方がそのようなことを言うとは思いませんでした」
シャルロットは、自身を抱き寄せ耳元で囁いたシノブが意外だったのか、深い湖水のような青の瞳に驚きの色を浮かべていた。だが、彼女は僅かな間を置いて、煌めくプラチナブロンドを揺らしながら、美しく上気した面を夫の胸に伏せる。
「本心からだよ。君のために歌い、君のために戦う……もちろん俺達の子のためにもね」
シノブは、胸の中の妻を強く抱きしめつつ己の思いを顕わにした。
愛しい者と共に過ごし、笑い、食べ、遊び、眠る。それが人の望むことではないだろうか。どのような世の中であれ、結局のところ、そこに行き着く筈だ。
そんな温かな光景が満ちる世の中にしたい。ここフライユ伯爵領に、メリエンヌ王国に、旧帝国領に。もちろん、これまで関わった国々にも。そう、アルマン王国にも。
彼の国がどのような道を選び、あるいはどのような道に進むのか。それは今のシノブには見えないが、その道の先が人々の笑顔に満ちた場所であってほしいと願っていた。
もちろん、願うだけではない。そこに至るための支援はするつもりだ。だが、押し付けるつもりはない。自らの行動で示し、道を照らすのだ。
「さあ、行こう!」
「はい!」
シノブはシャルロットの肩を抱き歩み出す。
まずは、己の家族に笑顔を。更に囲む人達に。身近な人に愛を捧げ、災いから守る。それが全ての始まりだ。そう心に刻んだシノブは、愛する妻と共に幸せを作り広げるための道を歩んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年2月21日17時の更新となります。