04.02 ドワーフの怒れる戦士 前編
「シノブ様、恐れ入りますが至急お館様の執務室に来ていただけますでしょうか?」
魔狼を狩りに森に出かける日。昨日と同じく薔薇の庭園でミュリエル達が魔力操作の練習をする中、家令のジェルヴェが息せき切って駆けつけてきた。
「どうしたの?」
普段は沈着冷静なジェルヴェの慌てた様子に、シノブは疑問を抱きつつも椅子から腰を上げる。
「はい……それが、ヴォーリ連合国からドワーフの使者が来まして……」
「えっ! ドワーフの使者が!?」
ジェルヴェの意外な言葉に、シノブだけではなく、一緒に歓談していたカトリーヌやブリジットも驚きの声を上げた。
とりあえず魔力操作の練習は中断し、シノブとアミィは伯爵の執務室へ急ぐ。
先導するジェルヴェによると、今朝七時頃ドワーフの使者がヴァルゲン砦に現れた。そして使者は、そのまま砦の騎士に先導され領都までやってきたらしい。
ヴァルゲン砦から領都まで約100km。強力な身体強化能力を持つ軍馬なら、三時間で駆け抜けるのは不可能ではない。
(しかし、朝方砦にやってきたってことは、山中で一泊したのかな? まさか徹夜で駆けつけたわけではないだろうけど)
ジェルヴェの説明によれば、使者として来たドワーフはヴァルゲン砦の最も近くに住むアハマス族の者らしい。
とはいえ間にリソルピレン山脈を挟むため、砦に一番近い集落でも30km以上北方にあるそうだ。
(30kmなら日の出前に出発すればなんとかなるのかな? 山道だけど……)
シノブがそんなことを考えながら急ぎ足で歩くうちに、伯爵の執務室に到着した。
ジェルヴェやシノブ達を見ると、衛兵達はすぐに室内へと取次いだ。そして取次ぎの言葉と共に、執務室の重厚な扉が開かれる。
「おお、シノブ殿。急に呼び出してすまなかったね。
こちらがヴォーリ連合国からの使者、イヴァール・エルッキ・アハマス殿だ。大族長エルッキ・タハヴォ・アハマス殿の御子息でもある」
シノブ達の入室を待ち構えていたように、伯爵は一人の男を紹介する。
「アハマス族エルッキの息子、イヴァールだ。……お主がベルレアン伯爵の言う大魔術師か。随分と若いようだが期待しておるぞ」
ぎょろりと目を剥いてシノブを見た背の低い男は、割れ鐘のような大声でそう言った。
イヴァールと名乗った男は、背が低くシノブの肩までもない。身長はおよそ150cmといったところであろうか。だが樽のような体と子供の胴以上もある太い手足が、身長以上の迫力を醸し出している。
まるで筋骨隆々のレスラーをギュッと押し縮めたような体。雄牛のようにがっしりとした胴体と太く短い脚は、人族や獣人族とは大きく異なっていた。
その頑健な肉体には、鱗状鎧を身に着け、頭には角のついた兜をかぶっている。一見すると、北欧を拠点にしていたバイキングのようにも見える。
容貌は濃い茶色の目と浅黒い肌。しかし鼻から下は髭で覆われているので表情は窺いしれないし、年齢も良くわからない。
長い髭は腰の近くまで伸び、先のほうを簡素な革紐で縛っている。真っ直ぐに伸びる髭と髪は、いずれも艶やかな黒だ。
ただし一番目を引くのは、その背に背負っている巨大なハンマーのようなものだ。
右肩の上から覗く幅の広い槌頭のような部分は、平べったくて両刃の斧にも似ていた。だが刃は存在せず、シノブには分厚い金属の塊のように見えた。
僅かに右に傾けた槌頭は肩幅ほどもある。並の男なら背負っているだけで動けなくなりそうだ。
鱗状鎧にハンマーらしきもの。これだけでも充分重いだろうに、ぶっちがいに太い金属棒まで背負っている。左肩から大人の手首ほどもある太い柄が突き出していた。
全部でどれだけの重さになるかわからないが、シノブ達の前に立つドワーフは重量など全く気にならないかのように立っていた。
「シノブ・アマノです。伯爵の下でお世話になっています」
「シノブ様の従者アミィです」
ぎろりと睨むドワーフが何を期待しているのかわからない。そこでシノブ達は、とりあえず当たり障りのない挨拶をする。
「……ベルレアン伯爵。お主を疑うわけではないが、この者達で本当に大丈夫なのか?」
シノブ達の挨拶が気に入らなかったのか、イヴァールと名乗ったドワーフは伯爵を振り向いて不満そうに言った。
ドワーフの無遠慮な言葉にアミィが、一歩前に出ようとする。シノブが侮辱されたと思ったのだろう、頭上の狐耳はピンと立ち尻尾も大きく膨らんでいた。
「アミィ! ……それでイヴァール殿。私に何を期待しているのですか?」
「……竜退治だ」
シノブは憤慨するアミィの肩を抑えながら、武骨なドワーフに対し問いかけた。するとイヴァールは一旦沈黙した後、苦々しげな口調で応じた。
◆ ◆ ◆ ◆
事の起こりは八月の中ほど、シノブ達がシャルロット暗殺事件を調査していたころ。リソルピレン山脈にすむ魔獣が活発化したため、ヴォーリ連合国を南下しメリエンヌ王国へと続く街道を隊商が安全に通れなくなった。
セランネ街道と呼ばれるその道は、領都セリュジエールからヴァルゲン砦までのベルレアン北街道へと繋がっている。これはヴォーリ連合国から他国への数少ない経路で、更に大きな荷馬車が通れる街道はここしかないから普段は隊商で賑わっている。
しかし街道周辺の魔獣、特に岩猿と呼ばれる巨大な猿の魔物が急激に活発化で一変した。まったく通過できないわけではないが、岩猿を退治しても新たな群れがやってくるようで、最近では隊商を護衛するドワーフの戦士達も危ぶむほどになっている。
そのため、リソルピレン山脈を越える隊商が滞っているという。
「俺達は魔獣が押し寄せてくる理由を調べに山脈へと行った。そこで見たのは、悠然と空を旋回する巨竜だった」
ドワーフの長老が言うには、リソルピレン山脈に住む竜は百年から二百年に一度、活動期に入るらしい。
活動期に入った竜は近くの魔獣を貪欲に食べるため、魔獣達はその影響範囲から脱出しようと街道まで押し寄せたようだ。ただし街道近くは竜の生息範囲から外れており、隊商やその護衛達が竜を見たことはなかったらしい。
「地上の魔獣なら俺達ドワーフだけで退治するが、空を飛ぶ竜にはお手上げだからな」
イヴァールによれば、ドワーフは狩猟などでは弓も使うが背が低いから大きなものは苦手だそうだ。また視点が低く障害物に邪魔されやすいためもあり、あまり弓を好まないという。
怪力なので大抵の獲物は手槍を投げて倒せるという理由もあるらしい。
「大型の弩を持って行こうにも、険しい山の中では難しい。分解して担いで行くことはできるが、竜が飛んできてから組み立てても間に合わないしな。
そこで、魔術の得意な人族の力を借りに来たわけだ」
イヴァールは苦々しげな顔のまま口を噤む。
ドワーフの長老達によれば、一旦活動期に入った竜は一年以上も魔獣を狩り続けるらしい。また、街道まで活動範囲を広げないともかぎらないため、長老達は交易は当分困難だと判断したそうだ。
「ベルレアン伯爵はお主達をえらく買っているようだが、俺は自分の目で見ないことには納得できん。ぜひとも実力を見せてもらおう」
「イヴァール殿。シノブ殿達は私の客人だ。街道の魔獣出没は貴国や我が領にとって大問題だが、シノブ殿達の出馬を強制できるものではない。
まずは、シノブ殿達の意思を確認してからだ。現時点では、ご協力いただけるかどうかは保証できない」
イヴァールが低く唸るような声と共にシノブを睨むと、ベルレアン伯爵が冷静な口調で応じる。確かにシノブは伯爵の家臣ではないから、まず当人の意志をと考えるのは当然だろう。
「俺としては、魔術師の助力が得られるか早めに知りたいものだ。力を借りに来て言うことではないがな。
……ところでシノブと言ったな。重ねて問うが、お主の力を見せてもらうわけにはいかんか? ここに竜を退治できる大魔術師がいないなら、王都とやらまで行かねばならん」
「実力次第というのは理解できます。竜に対抗できるか見てもらいましょう」
イヴァールの無礼にも思える物言いに怒ることもなく、シノブは同意する。
ぶっきら棒な口調から、シノブは相手の焦りを感じ取った。そこで手っ取り早く判断してもらったほうが良いと思ったのだ。
「ふむ。先ほどの言葉は取り消すべきかもしれんな。なかなか肝が据わった男ではないか」
イヴァールは少し感心したような声で呟く。長く伸びた髭でわかりにくいが、彼は微かに笑ったようだ。
そして目元を細めてシノブを見上げたイヴァールは、伯爵に向きなおる。
「それではベルレアン伯爵。客人の許可も取れたことだし、その腕を披露してもらおうではないか!」
シノブの同意を得たからだろう、イヴァールは伯爵に向かって意気軒昂に言い放った。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は領軍本部の訓練場に赴いた。
領軍本部は北側の半分以上が大きな訓練場となっている。その中央にシノブとアミィが立ち、共に来たイヴァールやベルレアン伯爵などは少し離れた場所だ。
「もっと広いところが良いのではないか? 竜と戦える魔術なら、こんな街中で使うと大惨事だぞ」
「シノブ殿以外なら私も止めるがね。まあ、イヴァール殿もすぐわかると思うよ」
いぶかしげな表情のイヴァールに、伯爵は平然とした顔で応じる。それに静かに控えるジェルヴェも表情を動かさない。
「久しぶりだな、イヴァール殿。私も驚かされたがシノブ殿の魔術は我らの常識で考えないほうが良い」
気安げな声と共に、シャルロットがアリエルやミレーユを連れて寄ってくる。
衣装は青と白を基調にした軍服、髪もきっちりと纏めている。三人は領軍本部で軍務に就いていたのだ。
どうやらシャルロットはイヴァールとは既知の間柄らしい。いつも凛とした表情の彼女だが今は柔らかい微笑みを浮かべ、青く輝く瞳にも穏やかな光が宿っている。
「我々にこれだけ離れているように言うのだ。きっと驚くべき光景が見られるぞ」
シャルロットが訓練場の中央を振り向くと、動きに合わせて綺麗に結い上げたプラチナブロンドが煌めいた。
広い訓練場からは人を退去させ、その中ほどにシノブとアミィが立っているだけだ。伯爵やイヴァール、シャルロットは訓練場の端にいる。
伯爵の脇にはジェルヴェ、シャルロットの脇にはアリエルとミレーユが控えているが、シノブは他の者が訓練場に出ないよう伯爵に念を押していた。
石造りの本部の窓からシノブ達を見る者も数多いが、伯爵とシャルロットの厳命を受けて外に出る者はいない。
「シノブ様、本当にやるんですか? さすがにこれは大騒ぎになると思いますけど」
アミィは、心配そうな表情だ。内心の懸念を表すかのように、狐耳も少し力がない。
「……うん。アミィが前に言っていたけど、俺は困った人を見過ごせないみたいだ。
大騒ぎになっても知らんぷりするより、手を貸す方がマシだよ。それに竜退治に行くのだから、事前に実力を確認するのは重要だ」
シノブはアミィの頭に手をやると、やさしく撫でる。
どうやら竜と戦える魔術師など、そうそういないようだ。そして今までの逗留で知った限りでは、自身の魔力は他の者より遥かに多いらしい。ならば自分が出るべきだと、シノブは思ったのだ。
「それじゃ、始めようか」
シノブはアミィに微笑みかけると、前方の地面に手を向けた。
アミィも重ねて制止するつもりはないらしい。彼女は自分とシノブなら竜に対処できると判断しており、あくまで懸念は騒動で人目を惹くことのようだ。
「……何を始めるつもりだ?」
「おそらく、土の魔術を使うおつもりかと」
不審そうな顔をするイヴァールに、シャルロットの隣に控えていたアリエルが説明する。彼女も土魔術を使えるから、シノブが使う属性を察したのだろう。
「どうやら広範囲の土を操作しようとしているみたいだね」
伯爵は土魔術を得意としていないが、領内では有数の魔術の使い手だ。そのため彼は、シノブが操作しようとしている範囲を感じ取ったようだ。
そして伯爵が呟いた直後、シノブの正面30mほど先の地面が大きく陥没していく。更に半径10mほどの地面が窪むにつれ、中央から直径1mほどの黒い柱が伸びていった。
「岩の柱ですか……随分伸びていきますね~。館の尖塔よりも高くなったんじゃないですか~?」
ミレーユが柱を見上げ、暢気そうな声で呟く。
彼女の言葉の通り、今や黒い柱は50m以上の高さになっていた。シノブが魔術で造った柱は、あっという間に領内のどの建築物よりも高く伸びていたのだ。
「確かに大した魔術だが、あれで竜を倒せるのか? まさか、あの柱を投げつけるわけではあるまい?」
イヴァールが呆然としたような声で呟く。
「シノブ殿ならできると思うが、そんなことをしたら領都が大変なことになる。投げはしないと思うぞ」
シャルロットも特に驚いた様子はない。彼女は平静な声でイヴァールの呟きに答える。
「まさか、そこまで!? それにしてもお主達、あれを見て驚かないのか?」
遅まきながらイヴァールは、平然とした様子で見守る一同に疑問を抱いたようだ。
「私も最初はとても驚いた。色々見せてもらって少しは慣れたが……しかし、今回は随分念入りに準備をするのだな」
慎重に確認するシノブの様子を不思議に思ったのか、シャルロットは僅かに首を傾げる。
しばらくシノブは黒い柱や円形に窪んだ地面の様子を入念に確認していた。そして、ようやく納得がいったのか窪みに水を張り、後ろに十歩ほど下がる。
「おい、あれだけの水を一瞬で出すなど、伝説の魔術師なみではないか? ……いや、あの柱を作り出すのだ、そのくらい当然か……」
もはや、イヴァールは何に驚いたら良いかわからなくなったらしい。
シノブが見せる魔術が何を目的としたものかわからないが、その規模から何かとんでもないことが起きると予感したようだ。野太い声も次第に声が小さくなり、最後には黙ってしまった。
周囲が注視する中、シノブは右手を上げると黒い柱の先端に向けた。
シノブが魔力操作のため集中すると、柱の先端から僅かに下に向けた人差し指が、かすかに光を放つ。
「あれは、明かりの魔術でしょうか?」
アリエルが琥珀色の瞳に疑問の色を浮かべ首を傾げる。
その瞬間、シノブが指先から放つ光が消えたかと思うと、黒い柱の先端から下1mほどのところに赤い点が生じた。
「……岩が溶けている?」
シャルロットが呟いた直後、シノブが指先を僅かに動かすと、それに合わせて赤い部分が横に伸びる。
一瞬の後、黒い柱の先端1mほどが切り落とされ、轟音と共に水面に落ち大きな水しぶきを上げた。
「おお!」
轟音で夢から覚めたようにイヴァールが声を上げた。
「……何が起きたのでしょうか?」
「さてね。きっとシノブ殿がこれから説明してくれるよ」
思わず呟くアリエルに伯爵は冗談めいた口調で答えた。
◆ ◆ ◆ ◆
訓練場を元に戻したシノブはアミィと共に伯爵達の下に歩み寄る。そしてシノブが近づくと、イヴァールは数歩進み出ておもむろに片膝をついた。
「シノブ殿、大変失礼した! お主はベルレアン伯爵から聞いた以上の大魔術師、どうか我らに力を貸していただきたい!」
イヴァールは力強い口調で宣言すると、シノブに向かって深々と頭を下げる。
「イヴァール殿、お立ちになってください!」
シノブはイヴァールを立ち上がらせようと、彼の肩に手を掛ける。しかし相手は跪いたままだ。
「シノブ殿。イヴァールと呼び捨てにしてくれ。お主は間違いなく竜をも倒す勇士だ。俺如きを敬う必要はない」
「そんな……ヴォーリ連合国を代表してきた貴方を呼び捨てるわけにはいきません」
イヴァールは大族長の息子でもある。シノブは、国家元首の息子であれば相応の敬意を払うべきだと思い、断った。
「ドワーフの戦士にとって重要なのは強いかどうかだ。強者は尊敬され讃えられるもの、その逆はあってはならぬのだ」
跪いたままのイヴァールは頑なに主張する。
「……わかった。ならばお前も俺をシノブと呼んでくれ。
俺は潔く謝ったお前を尊敬する。どうか友となってほしい……友なら対等で良いだろう?」
シノブはイヴァールに笑いかけ、彼の手を取って立たせた。
男らしく非を認めるイヴァールの姿にシノブは好感を抱き、彼と友人になりたいと思ったのだ。
「おお……魔術だけでなく力も強いのだな。これは増々頼もしいぞ。
シノブよ。アハマス族エルッキの息子イヴァールは、喜んでお主の友となろう。お主の敵は俺の敵。この髭にかけて誓おう」
黒々とした長い髭に手をやったイヴァールは、シノブの差し出す手をがっしりと握った。
頑固だが素朴で裏表のないイヴァールの様子を見て、シノブはドワーフの国に思いを馳せる。
ヴォーリ連合国にいるドワーフ達や対決するであろう竜の姿を思い浮かべながら、シノブもイヴァールの手を握り返した。
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