15.23 金剛宮へ 後編
『金剛宮』とはアルマン王国の王宮の異名である。煌めく幾つもの尖塔が名の由来で、それらは王都アルマックの各所から良く見える。
見張りのための尖塔に、政務のための大宮殿、そして王族達の暮らす小宮殿と、宮殿を構成する要素はメリエンヌ王国の『水晶宮』に良く似ている。それもその筈、『金剛宮』は『水晶宮』に対抗して造られた宮殿なのだ。
アルマン王国の王族や貴族、そして民の大半は、現在で言うメリエンヌ王国から海を渡って移住したという。どうやら、元々住んでいた場所から何らかの理由、おそらく戦いに敗れて西の島に逃れたようだ。
なお、両国が建国した創世暦450年は、彼らの移住から百年以上は経っている。しかし、故地を追われた記憶は決して薄れることはなかったらしい。そのため彼らは、メリエンヌ王国に見劣りしない立派な宮殿を欲したのだろう。
そのように決して仲が良いとは言えない両国だが、今まで本格的な衝突をしたことは殆ど無い。
これは島国のアルマン王国と、広い内陸部を持つメリエンヌ王国という、両国の違いによるものだ。特にメリエンヌ王国は、ベーリンゲン帝国という敵を抱えていたため、西海での戦いを極力避けた。それに建国当初は、双方の聖人が平和を維持すべく尽力したようだ。
しかし今、両国は極めて大きな戦いに突入しようとしていた。正確には、メリエンヌ王国を始めとする四カ国と、アルマン王国の戦いだ。
メリエンヌ王国などの四カ国は、アルマン王国が禁忌の魔道具でドワーフ達を隷属させ、ガルゴン王国に謀略を仕掛けたと主張している。
それらは事実なのだが、アルマン王国の首脳陣にとっては寝耳に水の出来事だ。どうやら、軍務卿ジェリール・マクドロンや彼の息子ウェズリードは、よほど上手く隠していたらしい。そのため、昨日から『金剛宮』は蜂の巣を突いたような騒ぎとなっていた。
「軍使が着くのは、いつ頃だ?」
「もうすぐかと……メリエンヌ王国の艦隊は一旦下がりましたが、領海の境近くにいるでしょう。であれば、遅くても昼過ぎの筈です」
閣僚の一人の言葉に、軍人が困惑を滲ませつつ答えた。
実は、問うた閣僚は既に同じ質問を何度もしているのだ。しかし、軍人は相手の狼狽に触れることなく先刻と同様の答えを返す。
閣僚は文官の最上位、それに対し軍人は大隊長級と格下だ。そのため、閣僚の狼狽える様子は見なかったことにしたらしい。
「ジェリール殿は……」
「彼には軍本部で指揮を執ってもらわないといけませんから。それに、昼過ぎには戻るでしょう」
文官達はかなり動揺しているらしい。閣議の間には国王や先王、それに王太子もいる。しかし場に控えている者達は、普段とは違い各所で囁きあっている。
今も各地から情報は集まってくるが、それらは昨日からのものと大差ない。今日に入って王宮に届いたのは、各都市に打ち込まれた杭にも宣戦布告の文章が記されていたことや、アルマン王国南方でガルゴン王国やカンビーニ王国の軍艦と交戦したことくらいだ。
とはいえ、どうやって都市に杭を打ち込んだかは不明なままである。それに、領海に侵入した軍艦には竜などが味方しているらしい。それらは彼らを激しく動揺させたのだ。
「自国の船を保護するのは当然ですが、やり過ぎたのでは?」
「妨害と情報収集が目的だと聞いていましたが……ガルゴン王国とカンビーニ王国の参戦は、それも大きいのでしょうね……」
一方では、ガルゴン王国の商船団を沈めていた偽装商船について噂する文官達がいる。彼らの口振りからすると、偽装商船団は航海の妨害程度が目的だったらしい。
なお、偽装商船は軍の機密であり、王宮の者達も概要しか把握していなかったようだ。おそらく、それも軍務卿達の独断専行を許した一因なのだろう。
「休憩にしよう。軍使が戻るのは早くとも夕方だろう。それにドワーフ達の到着は今夜遅くか明日の朝だ。そなた達も、食事を取るが良い」
国王ジェドラーズ五世は、そう言うと立ち上がった。そして、先王ロバーティン三世と王太子ロドリアムもそれに続く。
結局のところ、軍使の戻りとドワーフ達の到着を待つだけだ。
軍務卿は、ドワーフ達の奴隷化について、きっぱりと否定した。そのため彼らの理解は、相手が何らかの誤解をしているというものだ。国王としても、証拠も無いのに家臣をあからさまに疑うことは出来ないから、当然ではある。
国王の表情は固く顔色は優れない。やはり、内心には幾ばくかの疑念があるのだろうか。しかし彼は、そんな心の内を悟られるのを嫌ったのか、閣議の間を足早に、そして無言のまま去っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
国王、先王、王太子の三人は、昼食のため『金剛宮』の小宮殿に移動した。そして彼らは王妃達と合流し、楽士の演奏を聴きながら食事をした。
男性は国王達三人、女性は第一王妃メリザベス、第二王妃マーテリン、王太子妃ポーレンス、王女アデレシア、つまり午前中にシノブ達の演奏を聴いた四人だ。七人の王族の他は給仕の者達しかいない、私的な場である。
各海域には艦隊を展開したままの状況下で、音楽鑑賞をしながらの食事など優雅極まりない振る舞いだ。場合によっては、不謹慎と取るものもいるだろう。しかし、上が慌てふためいては下も動揺する。
それに前線までは遠く、情報も即時に伝わるわけではない。領海の境までは最も近い場所でも50km以上あり、並の軍艦なら片道四時間はかかる。したがって、ずっと詰め切りでいても神経が参るだけだ。しかも、事態が収束するまでどれだけ掛かるかも判然としない。
それ故国王達は、国難の対応から一旦離れ、家族の下に戻ったわけだ。
「見事な演奏だ。型破りなようでいて伝統の技法も押さえている。それに、歌も素晴らしい。愛と平和、理想に過ぎる気もするが、誰かが示さねばならぬことだろう」
「この一大事に音楽などと思ったが、それは浅慮であったな。メリザベス殿、マーテリン殿、感謝する」
シノブ達の演奏が終わると、大きな拍手が沸き起こった。そして、まずは国王ジェドラーズ五世と先王ロバーティン三世が賞賛の言葉を掛ける。
妻達の影響か、ジェドラーズ五世も音楽に深い造詣があるらしい。言葉こそ国王らしい威厳を保っているが、綻ぶ顔には強い興味が宿っている。もしかすると、彼自身も演奏をするのかもしれない。
父のロバーティン三世は最初のうち不機嫌そうな様子であったが、今は息子同様に顔を輝かせている。彼は未曾有の難事の最中に音楽などと思っていたようだが、演奏を聴くうちに心が解れたようだ。
「そうですね。ポーレンスやアデレシアがお抱えにしようというのも理解できます」
王太子のロドリアムも、父や祖父に続いてシノブ達を褒め称えた。王太子の顔からは広間に入ってきたときの憂いが晴れ、柔らかな笑顔が浮かんでいる。
王太子は、茶色の髪に青い瞳が父と良く似た青年であった。父や祖父と似た細身の体のせいか、まるで文学青年のようである。そして穏やかな言葉からすると、性格も外見の印象を裏切らないものなのだろう。
「勿体ないお言葉です」
座長役のアルバーノが代表して答え、大仰な仕草で一礼する。もちろんシノブ、アミィ、ファルージュの三人も彼と合わせて頭を下げている。
──どんどん大袈裟になっていくね──
アルバーノが国王達に応じる中、シノブは心の声でアミィに語りかけた。
アルマン王国の王族、特に王妃達は音楽好きで有名であった。そこでシノブ達は、ビートル楽団という家族だけの小さな一座に扮して王宮に潜入することにした。優れた腕の持ち主であれば王族の前で演奏することが可能であり、彼らに接触する最良の手段だと思ったからだ。
しかし、少しばかり斬新でありすぎたようだ。何と、王族達はビートル楽団を王室お抱えにしようと言い出したのだ。
──近くで探るには好都合ですけど……でも、困りましたね。ジョン兄さんは大丈夫でしょうけど、ジョージ兄さんは慣れていないでしょうし──
アミィは、どういうわけか思念の中でも配役の名で答えた。
ジョンとは長兄役のアルバーノで、ジョージが三男を演ずるファルージュだ。ちなみに、シノブが次兄のポールでアミィが末っ子で唯一の女性リンダである。
それはともかく、対立している国の王宮への潜入だ。したがって役柄に徹しておかないと、ふとしたことで正体が露見しかねない。そのあたりが、アミィが役名で答えた理由であろうか。
──そうだね……しかし国王達も凄い魔力だね。優秀な魔術師だった初代の血が濃く伝わっているんだろうけど──
初代国王ハーヴィリス一世は、聖人に匹敵する魔術の使い手だったという。流石に現在の国王達はそこまで途轍もない魔力は持っていないが、それでもシノブが感じた通りなら人族としては最高峰というべき魔力量である。
もっとも、その国王達でもエルフよりは劣る。軍務卿達がエルフを手に入れようとした背景には、そういう圧倒的な魔力の差があるのだ。
──はい。その代わり身体能力は魔力ほどではないみたいですね。その辺りも初代に似たのでしょうか──
アミィも、シノブと同じで初代の影響だと考えているようだ。
アムテリアが各国の建国王に与えた加護は、子孫にも一定の範囲で引き継がれていると思われる。そのため、それぞれの国の王達は、容姿なども含めて大よそ初代の傾向を保っているらしい。
したがって、シノブやアミィの想像が的外れということは無い筈だ。
◆ ◆ ◆ ◆
「……そなた達、街の様子を教えてくれぬか?」
先王ロバーティン三世が、アルバーノに問いかける。
シノブとアミィが思念を交わしている間にも、国王達はアルバーノとの会話を続けていた。最初は音楽に関するやり取りだったが、すぐに話題は街中のことに転じた。やはり、彼らは民がどう思っているのか知りたかったのだろう。アルバーノの答えを待つ先王の顔は、鋭く引き締められていた。
「例の杭についてと焼け跡の残る軍艦の帰還、この二つで持ちきりです。どちらかといえば、どこから打ち込まれたかも不明な杭の方が、噂になっているようですが……正直なところ、暫く王宮で芸を披露することなど、出来ないかと思っていました」
アルバーノの言うように、敗戦して戻った軍艦より宣戦布告の文章を記した杭の方が、街の噂となっていた。やはり遠い海上のことよりも、自分達が住む街の方が住民としては気になるのだろう。
「我らが狼狽えては、民も余計に混乱するだろう。王宮を閉鎖するようなことは出来ぬよ」
先王は、苦笑と共に言葉を返した。どうやら彼が、三人の男性王族の中で一番肝が据わっているようである。他の二人はどう答えるか迷ったようだが、間を置かずに答えた先王に動揺した様子は無い。
実際のところ、シノブ達は多少厳しい身体検査を受けた程度で王宮に入ることが出来た。
もちろん、武器などを持っていないかなどは確認されたが、シノブ達にとって大きな問題ではない。不要なものは魔法のカバンに詰めた上で、シェロノワで待つシャルロットに呼び寄せてもらったからだ。
何かしらが必要なときはカバンを呼び寄せれば良いし、用が済めば再びシェロノワの誰かに呼び寄せてもらう。そんなこともあり、シノブ達が現在持っている魔道具や神具は、通信筒くらいである。
「何と力強いお言葉! 仰せの通り、落ち着いた王宮の様子を知れば街の者も安心することでしょう。
……そうです、他にはドワーフ達はどこにいるのだろうと噂しておりました。私達は王都に来たばかりで良く知りませんが、ドワーフの職人とその家族が多数移住したのだとか。幾らドワーフといえども穴倉に隠れ住むわけではないだろうし、どこでどうやって暮らしているのだろうか、と」
アルバーノは穏やかな表情を保ったままだ。しかし、彼の言葉には重要な意味が含まれている。
ドワーフ達は『隷属の首輪』で縛られ隠し港や地下工場、それに廃坑などに閉じ込められていた。それらを王族達が知っていれば、何か顔に表れるかもしれないし、知らなければ知らないでどういう理解だったかを確かめたい。この答え次第で、国王達がどこまで事件に関与していたかが読み取れるかもしれないのだ。
「……彼らは人嫌いなようでな……他種族の前に出るのを嫌うらしい」
先王が、先ほどまでとは異なる重苦しい様子で答える。それに国王や王太子、女性王族達の顔色も僅かに変じていた。もしかすると、これについては王族達にとっても疑問だったのかもしれない。
彼らが、最初からドワーフ達の行動を不審に思っていたかは不明である。確かにドワーフは社交的な種族ではない。それに自国が王政ではないためか、王宮などに出向くのを嫌うらしい。実際に、イヴァールも王宮への訪問は中々同意しなかった。
したがって、ドワーフ達が移住直後に表敬訪問をし、後は王宮に現れなくても不自然とは言い難い。しかし、その後も姿を見た者がいないとなれば、また別だろう。
もっとも、このような事態にならなければ放置されたかもしれないし、軍務卿が上手く言いつくろったかもしれない。だが、一旦問題視されれば数々の疑問や不審な点が出てくる筈だ。おそらく、彼らが表情を変えたのは、そのためではないだろうか。
「そろそろ戻らなくては」
「はい、父上」
静まり返った場に響いたのは、国王ジェドラーズ五世の声であった。国王はおもむろに席を立ち、王太子ロドリアムが彼に続く。
国王達は、アルバーノとの会話を打ち切りたかったのではないだろうか。シノブはそう思わざるを得なかった。
もちろん、それがドワーフ達の隷属に彼らが関与している証拠にはならない。彼らも民草である芸人に全てを打ち明けることはないだろう。一介の芸人達に何事も隠さず話すなど、為政者失格と言うべきだ。
しかし彼らが話を打ち切った背景には、軍務卿達への遠慮があるのではないだろうか。シノブがそんな風に感じたのは、先王の表情が微かに忌々しげに歪んだのを見たからだ。老いた先王の顔には、息子や孫の言動を頼りなく感じているかのような、苛立ちが浮かんでいたのだ。
国王と王太子が軍務卿達に引け目を感じているとしたら、それは先年亡くなったという軍務卿の第一夫人ナディリアが関係しているのでは。シノブがそんなことを思う間に、三人の男性王族の姿は昼食の間から消え去っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
国王達の前で演奏した四人は、与えられた部屋に移動し用意された昼食を味わった。そして、一休みした彼らは、再び王族の下に向かう。といっても、今回の聴き手は王女アデレシアだけだ。
流石に王妃達や王太子妃には、それぞれ仕事があるらしい。家臣の妻女と懇談したり民の代表と会ったりと、行事というほど堅苦しくはない会合などが彼女達を待っているという。
シノブ達は、それらを演奏の合間に王女から聞きつつ午後を過ごしていた。そして彼らは、夕食時にも王族の前で演奏し、少々予想外となった一日を締めくくった。
夜遅く、零時を少々回ったころ、シノブは王宮から密かに抜け出し大神殿の裏手に移動していた。そう、グレゴマンの公館に潜入するためである。
当初はアミィやアルバーノ、ファルージュの三人も同行する予定であったが、それは取りやめとなった。これは、四人が王宮に泊まることとなったためである。
深夜ではあるが、誰かが部屋に訪れる可能性もある。そこで、幻影魔術が使えるアミィは残ることとなった。そして、万一に備えるなら幻影だけというのも問題だ。そのため、アルバーノやファルージュも留まることとなったわけだ。
では、潜入はシノブだけかというと、そうではなかった。彼の側には人族の少女に姿を変じた金鵄族のホリィとマリィ、そして人間くらいの大きさとなった光翔虎のバージ、パーフ、ダージ、シューフがいる。彼らは、シノブがグレゴマンの公館から感じ取った、何かを隠蔽する魔力を覚えるために来たのだ。
──やっと感じ取れました──
──こんな微かだと、見逃していたかもしれないわね──
思念を発したのは、少女の姿となったホリィとマリィだ。彼女達は、グレゴマンの公館に入ってから、ようやく不審な気配に気が付いたらしい。
館の外には門を守る衛兵がおり、詰め所に控えていた。しかし公館自体は人影もなく、闇に閉ざされたままであった。静まり返った館は、本当に人が住んでいるのだろうかと思いかねない不気味さである。
──うむ……しかし、これで覚えたぞ──
──ええ。戻ったら早速探しましょう──
四頭の光翔虎も、周囲を見回しながら思念を交わしている。彼らもホリィ達と同じく、中に入るまで感知できなかったようだ。
──外から調べるのは、少し大変かもね──
シノブは大神殿の敷地を挟んだ向こうから感知できたが、どうやら他の者はそうもいかないらしい。
そもそも、普通の魔道具なら都市全域に渡って察知できるシノブが、百数十m程度に接近しないと気が付かなかったのだ。やはり、高度な隠蔽が施されているのだろう。
──そうですね。ところでシノブ様、魔力は地下からだと思うのですが──
ホリィは、シノブの顔を見上げながら思念を発した。彼女が言うように、謎の魔力は地面の下から発しているようだ。
──ああ。どこかに入り口があると思うんだが……あれかな?──
館の奥の方、ほぼ裏手に近づいたシノブは、下に向かう階段を発見した。
階段自体は変哲も無い、ありふれたものだ。調理場の近くだから、食料や酒などを保管する地下室にでも繋がっているのかもしれない。
──早速向かいましょう。マリィ、お願い──
──ここなら灯りを点けても大丈夫ね──
ホリィの思念を受けて、マリィが灯りの魔道具で階段の下を照らす。流石の彼女達も、完全な暗闇では困るのだろう。短い棒状の魔道具を持つマリィが先導し、その後ろを治癒の杖を握ったホリィが続いていく。
治癒の杖は、竜人化した者を元に戻すことが可能な神具である。つまり、シノブ達はこの先にグレゴマンの手下である竜人がいると予想しているのだ。
──その杖に我らも救われたのであったな──
──はい。大神アムテリア様の慈悲の光、はっきりと覚えています──
階段を降りながら、バージとパーフが感慨深げな思念を発していた。彼らは竜人の血により凶暴化したが、治癒の杖の力で元に戻ったのだ。
──どうも、光を一定の時間浴びせないといけないようだね。だから、まずは相手を押さえつけないと……あっ、あの部屋かな?──
地下室は、最近拡張したのか途中から壁が新しいものに変わっていた。そして食料庫にしては随分と重厚な鉄扉が、その向こうに存在する。
異質な魔力は扉の向こうから発生しているようだ。それにアミィが作る幻影の魔道具に似た魔力が、漏れ出る力を減衰させているらしい。
──剣で扉を切る。マリィは風の魔術で音を消してくれ──
シノブは、背負っていた光の大剣を抜き放った。今日の彼は、光の首飾りや光の盾も身につけた完全武装である。グレゴマンの背後には、帝国から逃れた彼らの神がいるかもしれない。したがって、三つの神具を纏うのは当然である。
──準備できました──
マリィは外部に騒音が漏れることのないように風の防壁を造った。彼女は、このまま後方に控えて防壁を維持する役だ。
「行くぞ!」
シノブは声に出して宣言すると、光の大剣で扉を切り裂いた。輝く剣身により切断された扉は、大きな音を立てて向こう側に倒れる。そしてシノブ達は、間を置かずに室内へと飛び込んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
室内は意外に広く、およそ10m四方はあるようだ。ただし、数々の魔道装置や魔道具が置かれているため、床の半分ほどは埋まっている。
そして部屋の中にいたのは、翼の生えた竜人、翼魔人達であった。全身を真紅の鱗で覆った四体の異形が、シノブ達を待ち構えていたのだ。
彼らはフード付きのローブを纏ってはいなかったが、鎧は装着していた。魔道具らしい揃いの鎧は、翼を出すために背中側が開いた胴鎧に、自前の角が突き出した兜、そして篭手や脛当てというもので、各所に『魔力の宝玉』らしき結晶が光っている。
「グオォ!」
翼魔人はシノブ達の潜入を察知していたようだ。シノブが扉を切り倒して入室すると同時に、異形は火炎弾を放ってくる。
「光鏡!」
しかし、シノブにはあらゆる攻撃を吸収または反射する光鏡がある。そこで彼は、数個の光鏡を前面に展開すると、迫り来る火の玉を消滅させた。
──哀れな!──
──すぐに助けます!──
シノブが火炎弾を相殺する中、光翔虎達は室内に飛び込んでいた。彼らは魔力障壁で翼魔人を拘束し、床に打ち倒す。そのため、戦闘は僅かな間に終結していた。
「シノブ様、この鎧が治癒の邪魔をしているようです!」
少女に変じたホリィは、バージが床に押さえつけた翼魔人に対し治癒の杖を向けていた。しかし相手は元の姿に戻らない。どうやら彼らが装着している魔道鎧が、治療の邪魔をするようだ。
この魔道鎧は、竜人達の魔力波動を隠したり彼らの力を向上させたりと、様々な機能を持っているらしい。多数の『魔力の宝玉』を使用しているため、その効果はかなりのものなのだろう。
「鎧を切断する! ホリィ、俺の後ろに下がって! バージ、こいつの拘束を解いてくれ!」
「わかりました!」
ホリィは翼魔人から離れ、シノブの側にやってくる。そしてバージも多少退いた。
──解除した──
「グガァ!」
バージが解き放つと、翼魔人は翼を羽ばたかせシノブに飛びかかってくる。一瞬にして間合いを詰める翼魔人は、その外見のせいだろう襲い来る悪魔のようである。
しかしシノブは翼魔人の攻撃を軽やかに躱すと、光の大剣で鎧だけを切断した。そのため胴鎧に兜、篭手や脛当ての全てが、耳障りな音を立てながら床に転がっていく。
そしてシノブは、光の大剣の柄頭で翼魔人の頭を打ち据えた。すると翼魔人は気絶したのか、その場に倒れ伏す。
「ホリィ、もう一度やってくれ!」
──念のため拘束しよう──
シノブは、ホリィに再び治癒の杖を使うように頼んだ。そして、バージが翼魔人を魔力障壁で身動き出来ないようにする。
「はい! ……大神アムテリア様の僕が願い奉る! この哀れな異形を元の姿に戻し給え!」
ホリィは横たわる翼魔人の側に走り寄ると、煌めく宝玉が印象的な短い杖を振りかざした。そして彼女は、以前アミィがやったように杖を四方に打ち振ると、体を翻す。
治癒の杖の宝玉はホリィの動きに合わせて輝きを増し、舞いを終えた彼女が翼魔人に向き直ると七色の神秘の光が溢れ出す。
──おお、人間に戻ったぞ!──
──大神アムテリア様がお授けくださった神具ですから──
光翔虎達は、喜びに満ちた思念を発していた。聖なる光を受けた異形は、無事に人の姿に戻ったのだ。
だが、予想外のことに衝撃を受けた者がいる。それは、シノブだ。
「えっ!? 女性なの!?」
そう、シノブ達の前に倒れ伏していたのは、人族の女性であった。そして翼魔人は鎧だけしか装着していないため、元に戻った女性が衣服を纏っているわけもない。
「ホリィ、服を!」
ビトリティス公爵の館で元に戻した者が全て男性であったためか、シノブは今回も男性だと思っていた。それ故完全に意表を突かれたシノブだが、慌てて後ろを向くと彼女に服を着せるようホリィに頼む。
「はい! 今出します!」
「シノブ様、そんなに慌てなくても……」
ホリィが魔法のカバンを漁る中、マリィは顔を赤くするシノブに悪戯っぽい笑みを向ける。マリィは、既婚者であるシノブの動揺が意外だったらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブは他の三人の翼魔人からも魔道鎧を取り去り、ホリィが元の姿に戻していく。残りは男性が二名、女性が一名だ。
そして服を着せる最中に、シノブ達はあることに気がついていた。
「この人達は軍人ではなさそうですね」
マリィが言うように、四名の男女は軍人とは異なるようだ。彼らには、体を鍛えた様子がなかったのだ。
「ああ。魔道具技師かな?」
地下室では魔道具を製造していたらしい。したがって、シノブが想像したように彼らが魔道具技師である可能性は高いだろう。
──彼らが鎧や隠蔽の魔道具を造っていたのか?──
「たぶんね。製造工場にしては小さいから研究室かな……『隷属の首飾り』や『魔力の宝玉』も幾つか種類があったし……」
シノブはバージの問いに答えつつ、室内に顔を向けた。
彼が言うように、室内には試作品だと思われる魔道具が多数存在した。作りかけのものや仮の外装のものなどだ。それに、室内には試験結果や考察などを記した雑多な書き付けもある。
「でも、これは好都合だね」
「ええ。これならグレゴマンが禁忌に手を染めていたと証明できます」
シノブの呟きに、マリィが応じる。
今、ホリィは魔道具や資料を魔法のカバンに回収している。しかし、隷属の研究に関する資料と魔道具の一部は置いていく。もちろん、再利用できないように魔道具は入念に破壊し、資料も要点となるものは除外している。だが、見るものが見れば、ここで何をしていたかを判断できるだろう。
「シノブ様、回収が終わりました! それに告発文も出来ました!」
「よし、撤収だ! 外に出たら魔術で人目を惹こう!」
駆け寄るホリィに、シノブは頷いてみせる。
シノブ達は、地下室と地上の目に付くところに、館で隷属の魔道具など禁忌の品を作っていたことを責め立てる文書を残していく。そして脱出したら、派手な魔術を使って館が注目されるようにするのだ。
「もう、グレゴマンはアルマックに戻れませんね」
「ああ! 後は居場所を突き止めるだけだ!」
満面に笑みを浮かべたマリィに、シノブも同じくらい顔を綻ばせつつ答えた。
これでアルマン王国は、グレゴマンを危険人物と認識する筈だ。彼が重罪人となれば庇護していた軍務卿も牽制できるし、そちらにも捜査の手が伸びるかもしれない。それに王族や貴族も、軍務卿達と距離を置くだろう。
それらの思いがシノブの足を速め、あっという間に彼は外に飛び出した。もちろん他の者も同様だ。魔法のカバンを背負ったホリィと隣を走るマリィ、人に戻った四人を背に乗せた光翔虎達は、飛燕のような速さでグレゴマンの公館から飛び出した。
そして僅かな静寂の後、グレゴマンの公館から爆音が響き、庭から火柱が上がる。シノブが放り込んだ特大の火球によるものだ。
これで、アルマン王国の動きも大きく変わるのではないか。そんな予感が、シノブの顔に大きな笑みを浮かばせる。とはいえシノブは透明化の魔道具で姿を消しており、その笑みを見るものは存在しない。
天空では、星達が一際明るく輝いている。それは首尾よく一仕事を済ませたシノブ達を祝福しているかのようである。そんな優しく煌めく星明かりの中、シノブ達は俄かに騒がしさを増した王都を駆け抜けていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年2月3日17時の更新となります。