15.22 金剛宮へ 中編
アルマン王国の建国王ハーヴィリス一世は並外れて優れた魔術師であり、更に部族で一番の船乗りであったという。その彼は、現在で言う王都アルマックを支配するアルマン家の嫡男として、今から六百年近く昔の創世暦410年に生まれたそうだ。
ハーヴィリスが誕生したのは、彼らの先祖が大陸から移住して百年近く経った時期だ。その頃、現在の各都市に相当する場所には大きな町が築かれていたが、それらを纏める勢力は存在せず争いが絶えなかったらしい。そのため、強力な指導者を望む声は非常に大きかったようだ。
そのためだろう、ハーヴィリスは自然と統一に向けて動くこととなる。
若くして父の後を継いだハーヴィリスは、二十六歳のときに聖人と出会ったという。そして聖人の協力を得たハーヴィリスは、破竹の勢いで近隣の都市を自勢力に組み込んでいった。
そんな順風満帆なハーヴィリスの前に立ちはだかったのは、人ではなく海の魔獣であった。それこそが、彼が神の加護を得ていると広く知られることになった、大渦と大海蛇の試練である。
創世暦443年頃、ハーヴィリスは現在でいうアルマン島の統一をほぼ終えていた。そして彼は北の島に進もうとしたのだが、二つの島の間には巨大な魔物が棲む大渦の海域が存在したのだ。
アルマン島とブロアート島の間は、狭いところで数kmほどの海峡だ。東西の海を繋ぐ海峡には潮の流れで多数の渦が形成され、そこには全長何十mにもなる大海蛇の群れが生息していた。そしてハーヴィリスと聖人は、その海生巨大魔獣を退治し安全に航海できる海としたという。
ハーヴィリスが他の国の建国王達と違うのは、彼が魔法戦士とでもいうべき存在、しかも随分と魔術師寄りであったことだ。彼は聖人と比肩するほどの魔術を使い、海の魔獣達を倒したらしい。そのためだろう、彼の子孫であるアルマン王国の王族は、何れも非常に魔力が多いという。
「気持ちの良い朝ですね!」
「そうだね。天気も良いし」
早朝の大通りを歩む赤毛の少女が、良く似た髪色の青年と会話をしている。それは、魔道具で姿を変えたアミィとシノブだ。
シノブとアミィ、そしてアルバーノとファルージュの四人は、楽士に扮してアルマン王国の王宮『金剛宮』に向かっていた。四人は前日と同じく、全員が人族の姿だ。シノブとアミィが赤毛に青い瞳、他は栗色の髪に緑の瞳だ。何しろ通関証明書には髪と瞳の色や種族を記しているから、勝手に変えるわけにはいかない。
「……『建国王ハーヴィリス一世と大渦の主』か」
大通りの正面の広場には、時計塔を囲むように幾つかの像が聳え立っている。それを目にしたシノブは、先日聞いた伝説の名を呟いた。
シノブの前には曙光に照らされる時計塔と像があり、右手には王都アルマックの大神殿、そして左手には先日アルバーノが潜入した軍本部が存在する。ただし建築物の造りはメリエンヌ王国などと似ておりシノブにとって目新しさは無く、視線は自然と正面の像に引き寄せられていた。
「はい。実際はあんな感じではなかったと思いますが」
アミィは、建国王の像に視線を向けると苦笑した。
初代国王を模した像は、大人の五倍程の大きさであった。見事な造形の男性像は、とぐろを巻く大蛇を踏みつけ両手で頭を押さえつけている。
しかしアミィが言う通り、現実はあのような光景ではなかっただろう。どうやら大海蛇の像は実物大のようだが、そうであれば人間が組み伏せるには巨大すぎる。それにハーヴィリス一世は魔術を得手としており、力技で魔獣を倒したとも思えない。
とはいえ、迫力のある構図であることは間違いないし出来も素晴らしい。そのため、シノブの目は像に惹きつけられたままだ。
「このくらい派手な方が良いんじゃないか?
ともかく、建国王様には感謝しないとな。主を退治してくれたから、行き来が楽になったんだ。もし退治されなかったら、俺達も大回りした筈だ」
アルバーノは、仮の姿である旅の楽士に相応しい口調でシノブ達に語りかけた。
ビートル楽団という家族だけで構成された小さな一座が、今の彼らの肩書きだ。アルバーノが長兄のジョン、シノブが次兄のポール、ファルージュが三男のジョージ、アミィが末っ子で紅一点のリンダである。
そして彼らビートル一家は、北のブロアート島の出身としていた。そのため当然ながら、一座は二つの島の海峡を通っていることになる。
「隣は聖人シャーキー・ホワイトですね。そうすると反対がジェリックス様で……奥は何かな?」
ファルージュもアルバーノに続く。どうやら彼は、自身の緊張を解そうとしているらしい。
これからシノブ達は、王宮の役人達の前で演奏する。楽士は王宮に上がるための変装なのだが、役人達が腕前を認めなければ追い返されてしまう。
それを思ったのか、ファルージュは明るい口調にも関わらず、少しばかり不安げな表情となっていた。
◆ ◆ ◆ ◆
──シャーキー・ホワイトね……アミィの言う通り白鰐族なんだろうね──
アルバーノとファルージュが会話を交わす横で、シノブはアミィへと思念で密かに語りかけていた。聖人の名前については、彼もアルマン王国に渡る前に確かめた。そのとき彼は、アミィに正体を尋ねたのだ。
アミィによれば、白鰐族とは海を担当する眷属だそうだ。おそらく古事記の『八尋和邇』または日本書紀でいう『八尋鰐』などとして登場するものが由来なのだろう。
なお、白鰐族の外見はサメに酷似しており、手足の代わりにヒレがあるという。ならば聖人は、アムテリアから姿を変える神具を授かったのではないだろうか。
──名前からすると間違いないかと……変身はデルフィナ共和国と同じですね──
アミィは、デルフィナ共和国の聖人クリソナは金鵄族だったのでは、と言う。しかしクリソナは、地上ではエルフの女性だと伝わっている。つまり、アルマン王国の聖人も同じなのだろう。
──アルマン王国にはピッタリだよね──
シノブは右手の大神殿を眺めながら、アミィに思念を返す。
アルマン王国は海洋王国だから、海の眷属が似合いだろう。そして、この国を支援した従属神は海の女神デューネの筈だ。アミィの話を聞いたシノブは、そう推測していたのだ。
どうもアムテリアの従属神達は、エウレア地方の各地に降りた聖人達を裏で助けていたようだ。しかも、それぞれの担当があったらしい。
たとえば、森の女神アルフールはデルフィナ共和国を受け持った。彼の国はアルフールが慈しむエルフ達が住む、森に覆われた国だから妥当である。
そしてカンビーニ王国が戦いの神ポヴォールでガルゴン王国が知恵の神サジェールというのも、両国の建国王に与えられた試練からすれば、ほぼ間違いないだろう。また確証は無いが、ヴォーリ連合国を支援しているのは、ドワーフ達が崇める大地の神テッラだと思われる。
ともかく、それでいけばアルマン王国に相応しいのは海の女神デューネで、相性の良いだろう海に関連した眷属というのは、納得が行くところであった。
「ポール兄さん、どうしましたか?」
シノブとアミィが黙り込んだためだろう、ファルージュは不安げな顔となった。もしかすると、自身の発言がシノブ達の気に障ったかと考えたのかもしれない。
「聖人の話が出たから、神殿が気になっただけだよ。きっと、デューネ様の立派な像があるんだろうね」
神界のことに軽々しく触れるわけにはいかない。そこでシノブは、自身が顔を向けていた神殿のことを話題にした。
アムテリアを信ずる者達の神殿では、中央は最高神である彼女の像と決まっている。しかし、左右の六体はその国や地方で特に信仰される従属神が優先される。したがって、アルマン王国ならアムテリアの隣は海の女神デューネの筈であった。
「できれば神殿にも行ってみたいけど……何だ?」
シノブは、神殿の方角から不自然な気配を感じ取った。どうも神殿よりは遠いようだが、何かを隠蔽しているような魔力波動である。
「どうしたんだ?」
「兄さん、魔術局長のグレゴマン様の公館って、どの辺にあるのかな?」
問いかけたアルバーノに、シノブは何気ない様子を装いながら逆に尋ねかける。シノブは、自身が感知したのはグレゴマン達の潜む場所ではないかと思ったのだ。
「あ、あちらだ……」
アルバーノは一瞬表情を変えたが、再び元の落ち着きを取り戻し、とある方角を指差した。それは、シノブが見つめていた神殿のある方向だ。
「そうか……ともかく今は王宮だね。折角早起きしたんだから」
どうやら、グレゴマンの公館には何かあるようだ。そう思ったシノブだが、まずは当初の予定どおり、王宮への潜入を優先した。
王宮で芸を披露したいという者など幾らでもいる。そのため希望する芸人が一定数に達すると、そこで締め切りらしい。そのためシノブは、不審な魔力波動を探るのは帰ってからでも良いと思ったのだ。
シノブの意図を理解したのだろう、三人も足を速める。そして彼らは緊張を増した表情で、王宮へと向かっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
幸いにも、シノブ達は王宮の役人達に認められた。しかも、午前中に王族の前で演奏できることになったのだ。
王妃達は、朝食を済ませてから昼食までは、参内する商人や職人、芸人などと会う時間としているそうだ。これは、単に彼女達の趣味だけではなく、新たな産物や優れた技能を持つ者を見出す意図で行っていることだ。つまり、一種の産業振興であったり技能や芸術の保護であったりするわけだ。
しかし前半分を商人や職人、画家など諸々の時間とし、後半分を丸ごと楽士などの芸人に当てている辺り、彼女達の嗜好が優先されているのは事実のようだ。
今、シノブ達は四人の王族女性の前で演奏をしていた。それぞれの担当は前日と同じだ。
シノブとアミィがギター風の楽器リュートで、アルバーノがドラムに似た二つの太鼓、そしてファルージュがオーボエのような大型の木管楽器である。なお、ファルージュ以外の三人は、歌い手も兼ねている。
聴衆は第一王妃メリザベス、第二王妃マーテリン、王太子妃ポーレンス、王女のアデレシアである。そして場所は『金剛宮』の小宮殿、つまり王族達が暮らす私的な場所だ。
役人達は今まで聴いたこともないシノブ達の曲に驚き、また確かな技量に感心した。そのため、いきなり王族達が住まう場での披露となったのだ。
メリザベスとマーテリンは三十代半ばと歳も殆ど変わらない。第一王妃だからか衣装はメリザベスの方が華やかで、マーテリンはどちらかというと抑え気味だ。メリザベスが金髪碧眼、マーテリンが赤毛に青い瞳と双方とも人目を惹く美女だが、しいて言えば第一王妃が活動的、第二王妃が知的な印象である。
それに対し、王太子妃のポーレンスは淑やかな佳人で、王妃達とはだいぶ異なる。王妃達は曲の間にシノブ達に声を掛け興ずれば手拍子などをすることもあったが、ポーレンスは穏やかな笑みを浮かべて聞き入るだけだ。金髪碧眼はメリザベスと同じだが、性格はかなり違うようである。
最後のアデレシアは、最年少ということもあり興奮の度合いも一番であった。彼女は母であるマーテリンと同じ赤毛と青い瞳だが、曲に合わせて体を動かすから長い髪が激しく揺れ、瞳も表情豊かに輝いている。
なお、アデレシアは十四歳と未成年ではあるが、兄嫁のポーレンスより二つ年下なだけだ。したがって、年齢がどうこうと言うよりは性格の違いが大きいのかもしれない。
「見事です! そなた達の奏でる曲、何とも心に響きます! それに何と斬新なこと!」
「ええ。このような曲、今まで聴いたことはありません。旋律もそうですが、拍子の取り方に全体の繋がり……驚きました。実に革新的です」
メリザベスは感動をそのままに、マーテリンは驚嘆しつつもどこか冷静にと、賞賛の仕方はそれぞれだが、どちらもシノブ達を手放しで褒めている点は同じである。
だが、彼女達が驚くのも無理はない。シノブ達が奏でたのは、地球のロックグループの曲だからだ。前日と同じくシノブ達は、とある世界的に有名な四人組の曲を演奏したのだ。
「あるがままに……大神アムテリア様の愛を信じて生きなさい、という歌、とても素晴らしいですわ」
「軍艦の歌も面白かったです!」
王太子妃のポーレンスは、しっとりとした曲が気に入ったらしい。彼女は、瞳に浮かべた涙をそっと拭いていた。そして王女アデレシアは、軍艦を題材にしたコミカルな曲が気に入ったようだ。
シノブは、笑いを取るような曲や男女の愛を歌った曲などを王族の前で演奏して良いのかと案じていた。そこで彼は、無難な曲も用意していた。
しかし、彼女達の許容範囲はかなり広いらしい。役人によると、彼女達は道化などの歌も楽しむという。どうやら、極端に下品な内容や明らかな侮辱でなければ、問題ないらしい。
「勿体ないお言葉」
「謙遜することはありません。会議がなければ、陛下達にもお聴かせしたいところですが……そうです! そなた達、昼食の場で演奏できませんか? 陛下や先王陛下のお心を癒したいのです」
アルバーノが一礼すると、第一王妃のメリザベスが良いことを思いついたという表情で、昼食まで残れないかと提案した。
「光栄の極みでございます! 陛下の御前で演奏させていただける、正に夢のようでございます! ああ、こんなに早く願いが叶うなんて!」
アルバーノは、満面の笑みと共に、少々大袈裟な様子で答えた。
四人のうちではアルバーノが最年長だ。したがって彼を座長ということにし、受け答えはなるべく任せていた。
彼は如才ない受け答えをしているが、芝居がかった言動が僅かに胡散臭くもある。しかし、それすらも旅芸人の座長らしい大仰な振る舞いに見えるから、これで良いのかもしれない。
「その……会議って、戦争のですか?」
アミィは王宮の使用人から受け取ったジュースを一口飲むと、遠慮がちな様子で王族達に尋ねかけた。アミィの外見は十歳くらいの少女である。そのため、こういった少々微妙な問いかけは、幼さ故の無知として見逃してもらえるであろう彼女がすることになっていた。
「その通りです。ですが心配することはありません。相手に使者を送り、誤解を解くのですよ」
アミィに答えたのは、第二王妃のマーテリンである。彼女はアミィを外見どおりの小さな子供だと受け取ったのだろう、噛んで含めるようにゆっくりと答えていく。
シノブは二人の王妃の様子を見て、意外な物分りの良さというか、好感の持てる言動に少しばかり驚いていた。
主にマーテリンが説明し時折メリザベスが補足する形で、二人は王宮内の動きをアミィに語っていた。もちろん子供に対する説明だから、あくまで大まかなものである。しかし奴隷化を企んでいないと軍使を送り釈明することや、王都にドワーフ達を呼び寄せて真実を確かめることなど、概略は理解できた。
一方、王妃達は偽装商船について触れることはなかった。単に問われなかったからなのか、それとも彼女達が詳しく知らないためなのかは、判断し難い。
しかし真摯に語る二人や、それに聞き入る王太子妃や王女の様子からは、彼女達が誠意のある対応を心から望んでいることが感じ取れる。
そしてシノブには、もう一つ驚いたことがあった。事前に聞いてはいたが、王妃達の魔力はかなりのものだったのだ。
四人の魔力は非常に多く、シノブでも中々見たことがないほどだ。流石にエルフほどではないが、人族なら最上級、それも国一番というべき魔力量だ。この分では、国王達もかなりの素質の持ち主なのだろう。
シノブは、喉を休めるための飲み物を口に含みながら、そんなことを考えていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「そなた達が歌った通りです。分かり合えると信じること、相手を考える気持ちが大切なのです。大神アムテリア様の教えに適う歌、とても感激しました」
シノブ達が喉を湿し終わった頃、第二王妃マーテリンが改めて彼らに賞賛を送った。彼女は平和な世界を思う歌が特に気に入ったらしく、その内容に触れつつ微笑む。
「ありがとうございます。互いに分かり合おう。相手を思いやろう。そんな願いを篭めました」
マーテリンの言葉に、シノブは思わず答えてしまう。今回シノブは王族達の観察に回るつもりだったが、自身の思いを篭めた歌を褒められたため、つい応じてしまったのだ。
だが、幸いにも不審に思われることはなかったようだ。ちょうど、その曲はシノブを中心に歌っていたこともあり、彼が答えても自然だったからであろう。
「分け隔てない思いやりと、それに基づく行動……これこそが上に立つ者の姿です。あの、ナディリア殿のように……」
王妃に相応しい気品と共に語るメリザベスであったが、途中で口篭る。どうやら、過去の悲劇を思い出したらしい。
ナディリアとは、軍務卿ジェリール・マクドロンの妻の名だ。彼女は極めて優秀な治癒魔術師であったが、数年前に困難な治療で魔力を使い果たし、命を落としたという。
前回のアルバーノとファルージュの潜入に加え、今回の聞き込み、そして人の姿に変ずることが可能になったホリィ達によって、シノブ達はアルマン王国の内情にかなり詳しくなった。
それによると、ナディリアが救おうとしたのは王族の誰かであったらしい。ただし、街の噂では治癒の対象が誰であったかまでは、判然としないままであった。しかし命を賭しての治療だけに、国王や王太子など極めて高位の者だという説が有力である。
なお、優秀な治癒術士である筈のナディリアが命を落とした理由については、不審な点が多かった。そのため、息子を助けたかった王からの厳命や、何者かの陰謀による妨害など、諸説紛々入り乱れている。
一つだけ確かなのは、過度の魔術の行使で衰弱したナディリアを治療できなかったことだ。これは彼女以上の治癒魔術師がいないためとも言われているが、命を取りとめた王族の容態が安定しないため、治癒魔術師を割けなかったからだという説もあった。
万一それが事実なら、軍務卿が深い失望と強い憎悪を抱くのも無理はないだろう。
「また何か演奏していただきたいです! お願いします!」
「そうですね。申し訳ありませんが……」
王女アデレシアと王太子妃ポーレンスが演奏の再開をねだる。おそらく二人は、辛そうな表情となったメリザベスを案じたのだろう。王女は無邪気な口調、王太子妃は穏やかな口調と異なるが、どちらも第一王妃の憂いを払いたいという優しさが滲むものだった。
「それでは……『あなたの手を』にしますか……」
そう呟いたアルバーノは、細い撥で二つの太鼓を叩きだす。そして、シノブとアミィは、それに合わせてリュートで明るい調べを奏で始めた。なおファルージュはというと、今回は楽器を置いて歌に加わっている。
恋人の手を握りたいという単純だが誰の心にも響く歌詞を四人が歌い、楽器を持たないファルージュが拍手で合いの手を入れる。四人の楽しげな表情とそれに相応しい陽気な仕草を見たためだろう、高貴な女性達も再び明るさを取り戻した。
まず王女アデレシアが、続いて王太子妃ポーレンスがファルージュと共に手を打ち鳴らす。更に二人の王妃もそこに加わっていった。
愛する人の手を握り抱きしめるなら、武器は邪魔だ。そして、戦など未来ある若者達を引き裂くだけだ。ただ只管に愛を語るだけの歌なのに、緊迫する情勢のせいかシノブは人々への警告のようにも感じていた。
そんなシノブ達の思いが伝わったのか、聴き入る女性達の瞳には何かを祈るかのような真摯な光が浮かんでいた。
◆ ◆ ◆ ◆
「まさか、こんなことになるとはね……」
シノブは、豪華な部屋の中で苦笑いをした。ここは小宮殿の一室で、来客などが泊まる場所らしい。
王妃達には当然だが生家があるし、そこから身内などが訪れることもある。どうも、そういうときに使う場所のようだ。つまり、端的に言うと芸人風情が使う場所ではない。
もちろんシノブ達は、庶民の自分達は落ち着けないから出来るだけ質素な部屋にしてくれと頼んだ。そして幸いにも彼らの要望は受け入れられ、少しばかり格が落ちる部屋へと案内された。
とはいえ、それでも伯爵家などの従者、つまり名のある騎士やその子供達が使う場所だ。やはり、庶民に宛がう部屋ではないだろう。
「少しばかり本気を出しすぎましたな。特に閣下とアミィ殿が」
例によって、シノブの魔力障壁とアミィの魔術で音を消していた。そのため、アルバーノは普段の口調でシノブに語りかける。
それはともかく、アルバーノの言葉は真実であった。シノブ達の演奏は曲自体が珍しいこともあるが、市井の楽士達にしては少々高度であった。単なる素質だけではなく、洗練された教育を受けた者だけが可能とする華麗な演奏は、王妃達にとって大層好みに合うものだったようだ。
「そうですね。閣下とアミィ様の歌、ホロリと来ましたよ」
ファルージュも、アルバーノに便乗してシノブ達を誉めそやす。もっとも純真な彼のことだから、本気で褒めているのだろう。
「ということは、私の歌は下手だったと? ファルージュ殿?」
「い、いえ! そう言うつもりでは!」
やはり、ファルージュはアルバーノには敵わないようだ。アルバーノにからかわれた彼は、焦りを滲ませつつ弁解した。
「シノブ様、でも良かったのでは? これなら王家の人達を近くから見張れます。そういう意味では、暫く滞在してくれというのは願ってもない申し出だと思いますよ」
実は、アミィが言うようにシノブ達は長期滞在をすることになってしまった。彼らの演奏に感激した王族達、特に王女のアデレシアが長逗留を勧めた……いや、懇願したのだ。
そのためシノブ達は、昼食までどころか期限なしで滞在することとなった。ただ、これは好都合な面もある。アミィが言うようにアルマン王国の動向を見張るには、これほど良い場所は無いからだ。
「私達なら王宮を抜け出すのは簡単ですし、調査やシェロノワとの往復の妨げにはならないでしょう」
「困るのは、推薦状に名前を使ったウィットモア子爵が来た場合かな。そのときは揃って逃げ出そう」
シノブはアルバーノに頷いてみせた。
アルバーノが言う通り、この四人なら王宮を抜け出したり忍び込んだりするのは簡単である。身体的な技能もそうだが、透明化の魔道具なども持っているのだから、捕まることはまずありえない。
問題は、王宮に入るのに使った推薦状が偽造品ということだ。そのため推薦者であるウィットモア子爵などが来たら、正体が露見するかもしれない。
「とりあえず、シャルロット様にこれまでのことを報告しますね!」
アミィは、備え付けの見事なテーブルに向かうと書き物を始める。シノブ達には通信筒があるから、こうやって随時連絡をしているのだ。
今は昼食までの空き時間だ。王妃達も、流石にシノブ達だけの相手をしているわけにはいかない。王族に目通りを願う芸人達など幾らでもいるし、シノブ達の演奏が気に入ったからといって他と全く会わずに済ますわけにはいかないだろう。
とはいえ、シノブ達はかなりの時間を使ってしまった。そのため他は、一曲だけしか演奏できないかもしれない。
「アルバーノ、ファルージュ、ここに来る途中のことだけど。神殿の裏手には、グレゴマンの公館があるんだって? 実は、その辺りから変な気配がしたんだ……正確に言うと、何も無いように誤魔化している気配なんだけど」
シノブは、アルバーノとファルージュに、来る途中のことを説明した。
役人の前で演奏するまでと、そこから王族達の前に行くまでは、彼ら四人だけとなる機会はなかった。そこで二人には、神殿の向こう側から感じた魔力について伝えていなかったのだ。
一方、アミィには既に心の声で伝えている。したがって、彼女はその件も書き記しているだろう。
「そんなことが……今夜にでも潜入しますか?」
「ああ。昼食までは時間がないし、午後の予定は読めない。だから、夜かな」
アルバーノが言うように夜間が良いだろう。そう思ったシノブは、彼の問いかけに頷き返した。
昼食の場で国王達の前で演奏したら、その後は別室で食事が提供される予定だ。そこまでは確定だが、もしかすると、更に別の場で演奏しろと言われるかもしれない。
シノブとしても、国王達を見極める良い機会である。それに、運が良ければ閣僚や軍の高官などとも会えるだろう。アルマン王国の指導者達を知り、可能であれば彼らに真実を理解してもらいたい。後者は難しいだろうが、前者は今後の方針を決めるのに大いに役に立つはずだ。
「グレゴマンの館には美女はいないでしょうな……仮にいても、あのルーヴィアのような女は願い下げです。まあ、そもそも人妻は対象外ですが」
「アルバーノ。だからといって王宮の侍女に手を出したりしないでよ」
シノブは、アルバーノの冗談に乗ってみた。彼が、緊張しがちなファルージュを思って軽口を叩いていると悟ったからだ。
「閣下こそ、王女様を惚れさせないように注意してください。カンビーニで公女殿下、ガルゴンで王女殿下。となれば、ここでも……奥方様達を泣かせてはいけませんよ?」
アルバーノは、余裕の表情で切り返す。どうも、彼はシノブがどう出るか察していたらしい。
「アルバーノさん、シャルロット様の返信にソニアさんからの伝言がありました。
『叔父様がアルマン王国の侍女に手を出さないことを祈ります。アンナさんとリゼットさんの友人として、それだけが心配です』……だそうです」
「そ、ソニアが!? 閣下、アミィ殿! 私は不埒な真似などしていません! ソニアの叔父としてアンナ殿達を見守っているだけです!」
アミィの言葉に、アルバーノは激しく狼狽えながら反論した。今の彼は魔道具で人族に変じているが、仮に元の姿なら猫耳や尻尾が激しく動いているのが見えたことだろう。
「アルバーノさん、冗談です。まだ、返信なんて来ていませんよ」
「な、なんと! これはやられましたな!」
アミィは悪戯っぽい笑みと共に本当のことを明かす。するとアルバーノは、してやられたという様子で叫ぶと自身の頭に手をやり恥ずかしげな表情となる。
シノブはファルージュと共に大笑いした。敵地とは思えないやり取りからは、アミィやアルバーノの余裕が感じられる。もちろんシノブも、充分に落ち着いてはいる。しかし二人の掛け合いは、更に心を解してくれたのだ。
国王と会い、それからグレゴマンの拠点の一つを調査する。
シノブなら、アルマン王国を一気に叩き潰すなり、神々の御紋の威光で彼らを屈服させるなり、充分に可能だろう。しかし、それではシノブを神のように崇める盲信の徒を生み出すだけだ。
シノブは、アルマン王国の者達が自身の力で過ちに気が付いてくれることを願っていた。それが理想論だとは感じてはいたが、なるべく平和的に、そして自然に事態を収拾したかったのだ。
理想を忘れず、現実から目を逸らさず。シノブの心には、強い意志が宿っていた。そのためだろう、笑顔のアミィ達は深い信頼を篭めた眼差しを彼に向けていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年2月1日17時の更新となります。