15.21 金剛宮へ 前編
創世暦1001年4月12日の夕方、アルマン王国の王都アルマックは騒然としていた。メリエンヌ王国などの海軍がアルマン王国の領海に侵入し開戦宣言をしたのは、この日の朝である。したがって、この頃になるとアルマックの東沖など比較的近い海域で交戦した艦隊は、母港に帰還していたのだ。
一方アルマックの各所には、アルマン王国の非道を責め開戦を宣する檄文を記した杭が打ち込まれていた。それ故王都の者達は、上から下まで港に注目していた。そんなところに損害が目立つ軍艦が帰港したのだから、大騒ぎになるのも当然である。
戦いに負けて戻ってきた艦隊は、事を大袈裟にしたくないのか軍港の南端の造船所に静かに向かった。しかし軍港の周囲には街の者達が集まり、中には王宮から派遣された者達が詰めていた。そのため、海上での出来事は幾らもしないうちに王都の者達が知るところとなったのだ。
「軍艦が負けて帰ってきたんだって!?」
「ああ! 俺は軍港の脇まで行って見てきた! 火矢だろうな、随分焼けていたぞ!」
アルマックの街を行く者達は、口々に噂話をしている。アルマックは大別して城下町と港町の二つに分かれるが、港町だけではなく、ここ城下町でも帰還した艦隊の話題で持ちきりである。
住民の顔は、程度の差はあれ何れも暗かった。どこから打ち込まれたかも謎のままの杭に記されていたことは事実だった。自国に攻めてくる者達がいる。それは、アルマックの民にとって青天の霹靂というべきことであった。
しかし実際に焼け跡の残る軍艦を見れば、夢幻ではないことは明らかだ。ならば、ドワーフ達が奴隷とされたというのも本当だろうか。神々が禁忌としたことに、自分達の国が手を出したのか。ならば、諸国の糾弾は止まないのでは。そんな囁きが街の各所で繰り返されていた。
そんな中、楽器を背負った一団が大通りを王都の中央に向かって歩いていた。三十前くらいの男が一人に二十歳前くらいの若者が二人、そして十歳くらいの少女という人族の四人組だ。
最年長の男は円筒形の包みを二つ背負っている。おそらく、中には太鼓でも入っているのだろう。そして若者の一人と少女は、やはりギターに似た弦楽器を布に包んで担いでいる。残りの若者は、大きな頭陀袋だ。こちらは、楽器以外にも種々雑多なものが詰まっているようである。
背負っている者や格好からすると、旅の楽士であろうか。赤毛が二人に栗色が二人と髪色は分かれているが何となく似通った顔をしているから、家族なのかもしれない。
「ジョン兄さん、軍艦が戻ってきたようだね」
「そのよう……だな。ポール」
赤毛で青い瞳の若者が語りかけると、最年長の男は少し口篭りながら言葉を返した。彼らは街の者達とは違い、急遽帰還した軍艦に動揺している様子はない。
「ジョージ兄さん、宿はこっちで良いのですか?」
「ええ……ああ、そうだぞ、リンダ」
最初の若者に似た赤毛と青い瞳の少女が尋ねると、残りの一人の若者は、やはり躊躇うような空白を挟みつつ応じる。最年長の男といい、この若者といい、何か赤毛の二人に遠慮しているような雰囲気が滲んでいる。
「ジョン兄さん、ジョージ、もっと気楽に行こうよ。僕らビートル楽団は、仲良し家族の旅芸人なんだから。そうだよね?」
赤毛の若者は、悪戯っぽい笑みと軽い口調で栗色の髪の二人に語りかける。どこか普通の若者とは違う彼の落ち着きは、何となく年齢不相応に感じる。だが、それも当然だろう。このポールという若者は、幻影の魔道具で姿を変えたシノブであった。
もちろん残りの三人も同様だ。最年長のジョンという男がアルバーノ、リンダという少女がアミィ、そして残りのジョージという若者が先日アルバーノと一緒に王都に侵入したファルージュである。彼らは、ビートル楽団という旅の楽士に扮して王都アルマックに潜り込んだのだ。
「ポールの言う通りだな……少し、街の雰囲気に飲まれたようだ」
「そ、そうですね」
苦笑するジョンことアルバーノに、ジョージ役のファルージュが続いた。
潜入任務に慣れたアルバーノは役柄通りに歳の離れた兄を演じ始めたが、ファルージュはまだ少し固い。ファルージュは代々フライユ伯爵家に仕える家の出だが、彼自身はつい最近まで伯爵領を出たこともない純朴な武人である。したがって、旅芸人役に戸惑うのも無理はなかろう。
もっともファルージュが緊張しているのは、主君であるシノブと家族を演じているからであろう。長兄がアルバーノ、次兄がシノブ、末弟がファルージュとなっているのだが、彼は最初、従者で良いと固辞していた。しかし、旅芸人が従者を雇うのも変だということで、家族になったわけだ。
幸い、ファルージュはシノブより年下だったから三男に納まったが、アミィは十歳くらいにしか見えないため彼女の兄ということになった。しかしファルージュは、シノブの第一の従者であるアミィから兄と呼ばれるのに恐縮しているようだ。
「街の感じは予想通りだね」
シノブは、少し声を落としてアルバーノに囁いた。
アルマン王国には『アマノ式伝達法』も広まっていないし、ましてやシノブ達のように通信筒で即時に連絡を取れるわけではない。したがって、アルマックの住人が知っていることなど限られている。
大通りの人々が知るのは、王都や近隣の都市に宣戦布告の杭が打ち込まれたことや、王都を母港とする艦隊が一戦交えて帰還したことくらいのようだ。北方に現れたドワーフ達の蒸気船や、竜や光翔虎のことは噂になっていない。
ドワーフ達については単純に遠方だからだろうが、竜や光翔虎の関与が伏せられているのは、民の動揺を恐れた軍が情報統制をしているのだろうか。
もっとも、いつまでも隠しておくことは不可能だろう。明日以降は、それらも街中で語られるようになる筈だ。そのときアルマン王国の者達は、どういった反応を示すだろうか。禁忌とされている奴隷化に自国が手を染めたと信ずるか、それとも嘘だと否定するか。
シノブは通りを行く人達を眺めながら、そんなことを考えていた。
「まあな……明日からに期待だな。ともかく、今は宿を取ろう」
アルバーノは曖昧な言葉を返す。彼は、シノブの言いたいことを察してはいるようだ。しかし、街中であるから言葉を濁したらしい。
「そうですね! ジョン兄さんお勧めの宿、期待しています!」
「ああ、まずは腰を落ち着けようか」
普段と違う赤毛と青い瞳には少しばかり違和感があるが、それでも彼女の溌剌とした様子は変わらない。それを愛おしく思ったシノブは、アミィの頭を優しく撫でた。するとアミィはシノブを見上げ微笑み返し、彼の手を引いて足を速める。
シノブ達はアルマン王国の王族と接触する前に、拠点となる宿を確保する予定であった。彼らが目指すのは、アルバーノ達が前回の潜入で泊まった宿だ。そしてシノブ達四人は程なく宿に辿り着き、宿の入り口を潜っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
アルバーノとファルージュの容姿も念のため前回とは変えているし、名前も別のものにした。もちろん通関証明書も、新たな名前や経歴に合わせたものを偽造している。
この前の潜入に正体を掴まれるような不手際はないが、万一を考えて全くの別人ということにしたのだ。
今回シノブ達は、アルマン王国の北端の都市アルベルダムから来たことにした。彼らの作った仮の来歴はこうだ。
アルバーノが扮するジョン・ビートルは、アルベルダムで家族と共に小さな楽団を営んでいた。ビートル一家は腕の良い楽士達だが、両親を亡くしたのを機にアルマックへと拠点を移すことにした。ジョンが王都で一旗揚げようと家族に提案したからだ。
このような者は、それなりにいるらしい。充分な才能と実績を持ち王都での栄達を夢見る者から、単に地方で食い詰めた者まで様々であるが、よくある経緯だから疑われる可能性も低い。そこで、シノブ達は芸人の一座を称することにしたわけだ。
そして今、彼らは宿の酒場で演奏をしていた。楽士という触れ込みだから全く商売をしないのも不自然だし、酒場に集う者達からアルマン王国の内情を探りたいという思いもある。それ故シノブ達は、早速酒場の一角で楽器を奏で歌を歌うこととなったのだ。
「それじゃ、次は『あの娘はお前を好き』だ!」
「おお! 期待しているぜ!」
アルバーノが酒場の客に叫ぶと、顔を真っ赤に染めた男達が囃し立てる。
シノブ達は既に数曲を演奏したが、男達の反応は非常に良かった。おそらく、シノブ達の曲が目新しかったからだろう。
歌を歌うのはシノブとアミィ、そしてアルバーノだ。シノブとアミィはギターに近い楽器リュートを奏でつつ、アルバーノはドラムに似た二つの太鼓を叩きながらである。
シノブは、地球にいたころ一時期だがギターを習っていた。そこで、ダンスの練習などでこちらの音楽に触れた彼は、時間のあるときに遊び半分で楽器へと手を伸ばした。そうなれば、アミィは当然ながらシノブに付き合った。そのため二人はリュートの扱いに長じていったのだ。
今はシノブがベースのような低音部を、アミィが高音部を担当している。
アルバーノは、声は良いが扱える楽器は少なかった。そこで、太鼓を担当することとなったのだ。彼は二つの太鼓を手前に並べ、細い撥で叩いている。
そして、最後の一人ファルージュはというと、オーボエのような大型の木管楽器を吹いていた。武人の彼だが名門騎士家の出でもあり、親から一つくらいは覚えておけと言われ習ったたらしい。
「何だか陽気な曲だな!」
「覚えやすいしな! 『いえ~、いえ~、いえ~』か。意味はわからんが、とにかく凄いぜ!」
シノブとアミィはリュートで地球のフォークソングやロックなども演奏したことがある。そこで、今回シノブは、それらから比較的受け入れられ易そうなものを選んだのだ。そのためだろう、男達は少し珍しい音楽に驚きつつも好意的に受け取ったようだ。
シノブが選んだ曲は、地球に住む者なら誰でも知っているであろう極めて有名な四人組のものだ。アルマン王国は地球でいうイギリスに相当する地方ということもあり、シノブの脳裏に彼の国の偉大な音楽家達が思い浮かんだのだ。なお、シノブ達の偽名も彼らに由来している。
「次は『あるがままに』だ! ちょっとシンミリした曲だぜ!」
「色々出来るんだな! さっきの『黄色い軍艦』も面白かったぞ!」
地球の世界的音楽家達の名曲は、こちらでも高い評価を得たようである。アルバーノが次の曲の名を告げると、大きな拍手が沸き起こる。
シノブは、束の間の演奏会を楽しんでいた。アルマン王国の者達も、街にいる人々は他と変わらない。それは、シノブの心に温かなものを与えてくれた。
軍務卿ジェリール・マクドロンと彼の息子ウェズリードのように、隷属の魔道具を躊躇うこともなく使う者達の存在が、アルマン王国は他とは異質な国なのではという不安をシノブに宿した。しかし酒場に集う者達の姿は、シノブが先日メリエンヌ王国の港町で会った男達と同じである。
それを理解したシノブは朗らかな表情で、どこか切なくも力強い曲を奏で、自身が意訳した歌詞を心を篭めて歌っていった。
苦しいことや悲しいこともあったが、アミィやシャルロット、そして母なるアムテリアに支えられてここまで来た。この世界に住む人達の心から蟠りを消し去り、温かな世界を創りたい。そんなシノブの思いが伝わったのか、彼の歌に耳を傾ける者達の目は微かに潤んでいるようであった。
◆ ◆ ◆ ◆
数度のアンコールに応えたシノブ達であったが、今日は顔見せということで早めに切り上げた。酒場には本来歌う予定であった楽士達もいるから、彼らに後を譲ったのだ。
そしてシノブ達は、酒場で早めの夕食を味わいつつ、周囲の者から話を聞いていった。多くは大通りで聞いた内容と同じだが、シノブ達にはどうしても手に入れたい情報があったのだ。
「楽士で大丈夫なようですね!」
「ああ、君達の調べた通りだったね」
嬉しげなファルージュに、シノブも安堵を滲ませつつ応じた。ここは、宿の上階にあるシノブ達が宿泊する部屋だ。
王宮に潜入するには、それなりの身分が必要だ。しかし、幾つかの例外が存在する。例えば出入りの商人や王宮を維持するための職人、そして楽士や芸人などである。
先日アルバーノやファルージュが入手した情報では、アルマン王国の王族には音楽を好む者が多いらしい。二人の王妃が代表格だが、国王や王太子が一緒に鑑賞することも良くあるという。
「推薦状も用意しましたし、少なくとも王宮の役人の前で演奏することは可能でしょう」
「運が良ければ、その日の内に王族の前で演奏できるらしいですね!」
アルバーノとアミィも顔を綻ばせている。部屋の中はシノブが魔法障壁を展開して音漏れを軽減させ、更にアミィが風魔術の応用で物音を消している。そのため、四人は普段通りの口調で話していた。
「ウィットモア子爵か……会ったことも無いけど、こちらに来ることは少ないそうだし……」
シノブは、金鵄族のマリィから聞いたことを思い出した。推薦者としたウィットモア子爵は、シノブ達の仮の姿、ビートル一家の故郷アルベルダムを治める領主の弟だ。
マリィによれば、アルベルダム伯爵やウィットモア子爵は今日も領地にいるそうだ。そしてアルベルダムから王都への移動には、少なくとも二日は掛かる。そのため彼らが突然王都訪問を思い立ったとしても、明日や明後日に現れることはない筈だ。
「しかし、アミィ殿の作った通関証明書の出来は素晴らしいですな。それに、この紹介状も」
自身の通関証明書を取り出したアルバーノは、感嘆の声を上げる。
通関証明書は、前回アルバーノ達が入手したものを元にアミィが偽造した。これは平民向けの簡素な書類で用紙もありふれていたから、作成には大して時間が掛からなかったようだ。
そして推薦状は、ウィットモア子爵の直筆をマリィが入手し、アミィが彼の筆跡そっくりの文書を作り上げた。なお、通関証明書も推薦状もシノブと協力しての幻影を用いた印刷であり、極めて精巧な仕上がりとなっている。
「アミィのすることだからね。今日の演奏だって、万一のときはアミィの魔術で誤魔化すつもりだったんだから……幸い、生演奏で何とかなったけど」
シノブは、アミィの頭を撫でながら彼女に笑いかける。
ビートル楽団は、急造の楽団だ。しかも地球由来の曲だからシノブやアミィはともかく、アルバーノやファルージュには馴染みが無い筈である。そこで二人が演奏できない場合、アミィの幻影魔術で対応するつもりであった。つまり、エアバンドである。
しかしアルバーノは、それらをシノブ達の演奏を聴いた侍女などから教わっていた。そしてファルージュもアルバーノなどから学んだようだ。
「シノブ様の演奏と歌、とても素敵でしたよ! それに、皆さんも!」
アミィは少しばかり不満げな顔で、謙遜するシノブに言い返した。彼女は、本心からシノブ達の演奏が優れていると思っているようだ。
もっとも、これはアミィの贔屓目ばかりでもない。シノブの高い身体強化能力は、決して力だけを向上させているわけではない。桁違いの力を発揮できるのは、それに相応しい的確な制御が出来るからだ。
一般に、身体強化は反射速度や思考速度、それに動作の正確さも含めて高める。そうでなければ、莫大な力を持て余し、走ることすら出来ないだろう。
そのためシノブは、楽器の演奏についても高度な域に達していた。それに新たな曲も、ダンスの習得のときと同様に短時間で覚えることが可能だったのだ。
「私達など……それより、アミィ殿の演奏も素晴らしかったです。それに、とても可愛らしかったですし」
「ええ。閣下とアミィ様の息の合った様子、感激しました」
そういうアルバーノやファルージュも、かなりの腕であった。
高度な身体強化を会得した者は、音感やリズム感に問題がなければ、その能力を活かして強引に習得することが可能なのだ。もっとも彼らは従士や騎士の出身だから、教養としてある程度の技量を身に付けていたようではあるが。
「客観的に見たらアミィが一番上手かったと思うよ」
「そんな……」
二人に続きシノブが賞賛すると、アミィは真っ赤な顔でうつむいてしまった。そんな愛らしい姿を、シノブ達三人は優しい表情で見守っている。
◆ ◆ ◆ ◆
「……アルバーノ、街の人達は半信半疑というか……今回の件は何かの間違いだと思いたいようだね」
再びアミィの頭を撫でたシノブだが、その手を下ろすとアルバーノに顔を向ける。その表情は先刻までとは違い、少々悩ましげなものになっていた。
「当然でしょうな。自分の身内が犯罪者だと言われて素直に信じる者もいないでしょうから」
「ですが、軍務卿が関わっていたことは間違いありません! あのメーリという少女が軍本部にいたのが、何よりの証拠です!」
肩を竦めたアルバーノに、ファルージュが憤懣やる方ないという様子で反論した。若い彼は、憤激のあまりか顔を赤く染めていた。
「ドワーフ達は全て救出したから、証拠となるものは残っていません。かといって、ここにいるだろう、と示しながら救助することなど無理でしたし……」
「そうだね。今更、ドワーフ達が囚われていたと立証することは困難だろう。マクドロン親子だって証拠隠滅くらいするだろうからね」
シノブもアミィの言葉を肯定した。
ドワーフ達が『隷属の首輪』で支配されていたと証明するものは、今となっては彼らの証言くらいしかない。隠し港や地下工場の存在を示したとしても、彼らがいた痕跡を消し去られたら物証は無くなる。
そもそも、科学的な捜査が行われる時代ではない。仮にドワーフ達を押し込めていた部屋から彼らの頭髪などを発見したとしても、それを証拠と裏付けるだけの技術は存在しない。
「……では?」
「結局のところ、まずは正攻法でしょうな。各国の軍が圧力を掛けて、こちらの言うことを聞かせる。
要求事項は、首謀者である軍務卿やグレゴマン達の引渡しか処刑、国王が責任を取って退位、それに賠償。この辺りですか……。
そして、脅している間に裏で片付ける。二つを同時に進めるのが現実的ですな」
アルバーノが落ち着いた様子でファルージュに自説を述べる。
ドワーフ達は同族を拉致され、しかも奴隷とされた。そしてガルゴン王国では、公爵が『隷属の首飾り』で操られ国を揺るがした。何れにも軍務卿が深く関わっている。それ故ヴォーリ連合国とガルゴン王国を納得させるには、アルマン王国に厳しい措置を取らざるを得ない。
しかし、それらの屈辱的な要求にアルマン王国が素直に応じるだろうか。そこでアルバーノは、各国が包囲している間に、別働隊が実力行使をすべきだと考えたのだろう。
「そんなところだろうね。ただし禍根を残さないためにも、ある程度は理解してもらってから強攻策に出るつもりだ」
シノブはアルマン王国の首脳陣に事態を把握させる時間を与えたかった。
アルマン王国の王達がシノブ達の示したことを頭から信じなくても良い。彼らが少しでも軍務卿達に疑念を抱いてくれれば、戦い終えたときの和解は早まるかもしれない。
「ともかく、グレゴマンだ。ドワーフ達の件もビトリティス公爵の件も、結局は隷属の魔道具ありきの陰謀だからね」
もちろん、シノブとしても軍務卿達の横行を許すつもりは無い。だが、シノブはグレゴマンを押さえるのが最善の手だと考えていた。
軍務卿達が暗躍できるのは、グレゴマンと彼の配下である竜人達の力が大きい。ならばグレゴマンを打倒すれば、彼らは何も出来ないだろう。シノブは、そう思ったのだ。
「奴はどこに潜んでいるのでしょうな……西で何かをしていると言っていましたが」
「都市の調査は続けていますが、西に重点を移すようにしてもらいました。今までは、まずは東海岸に拠点を造ると思ったので、そちらを重視していましたが……」
アルバーノの呟きに答えたのはアミィだ。
シノブ達は、アルマン王国に渡った帝国の残党が王都アルマックなど東側の都市に拠点を作ったのではないかと考え、そちらから捜索を開始した。
そこには、旧ベーリンゲン帝国の宮殿地下の転移装置の対となる何かがあるかもしれない。もし、そのような常識外の魔道装置があるなら、早期に発見して封じたい。シノブは、そう考えていた。
しかし、西の村ではグレゴマン達が住民の魔力を奪っているかもしれないという。そこで、ホリィやマリィ、四頭の光翔虎による捜索隊は、西に監視範囲を広げていた。
「普通に海を渡ったら、アルマックかラルナヴォンですか……」
ファルージュが言うように、メリエンヌ王国を経由してアルマン王国に渡ったなら、向かったのは比較的近い王都アルマックや、その北の都市ラルナヴォン辺りだろう。もしポワズール伯爵領からであれば更に北という可能性もある。
しかし、何れにせよ東海岸の都市に行ったと考えるのが妥当である。
「そちらは、まずはホリィ達に任せよう。状況次第では応援に行こうと思うけど、一度に全部は出来ないからね。ともかく今日は早めに休もう。もしかすると明日は王宮から逃げ出すことになるかもしれないし」
「そうですな。王宮から美人を抱えて逃げるなら、体力を維持しておかなくては。メーリ殿はドワーフですから、軽くて助かりましたが」
シノブに冗談で応じたのはアルバーノだ。彼は軍本部から、メーリを抱えて脱出したのだ。
高度な身体強化が出来るアルバーノなら、女性の一人や二人を抱えても行動に支障は無い筈だ。しかし一同の気持ちを解そうとしたのだろう、彼は大袈裟に肩を竦めつつ微笑んでいた。
「アルバーノ、女性じゃなくて男性かもしれないよ?」
「そのときはファルージュ殿にお任せしますよ。私は暑苦しいのは苦手なのです。寒いのも苦手ですが」
からかうようなシノブの言葉にも、アルバーノは動じない。
南方出身で猫の獣人の彼が寒さには弱いのは事実だが、それは男の暑苦しさと並べるべきものなのだろうか。そう思ったシノブは、思わず笑い出す。いや、シノブだけではなくアミィとファルージュも声を立てて笑っていた。
この様子なら、明日は問題ないだろう。普段通りに落ち着いている三人の姿を見たシノブは、ますます笑みを深くしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
──暇です~。暇人です~──
その頃、シェロノワのフライユ伯爵の館では、金鵄族のミリィが退屈そうに体を揺すりながら思念を発していた。
鷹の姿に戻った彼女は、シノブとシャルロットの居室にいた。ミリィは部屋に置かれた鎧掛けの上に止まっているのだ。そして、彼女の周囲を子竜達や光翔虎のフェイニーが囲んでいる。
今日はシノブとアミィが戻らないし、炎竜イジェも前線に行ったままだ。そこでミリィが子供達の世話をすることになったわけだ。
今、居室の中には、岩竜のオルムルとファーヴ、炎竜のシュメイ、海竜のリタン、それに光翔虎のフェイニーがいる。もちろん、6m弱もあるリタンや3m前後のオルムルとフェイニーが元のままで入ることは出来ない。そこで、全員が最年少のファーヴと同じ幼児くらいの大きさに変じている。
──ミリィさん、ごめんなさい──
──私達のために──
オルムルとシュメイは、鎧掛けの上のミリィに済まなげな思念を発した。それに、他の三頭も申し訳なさそうに青い鷹を見上げている。
──あ~、ちょっとアミィ達が羨ましくなっただけです~、悪いのはアミィ達です~──
子供達に気を遣わせたと思ったのだろう、ミリィは慌てたように羽ばたきながら言い訳をする。彼女は、アルマン王国にいるアミィ、ホリィ、マリィのせいにして誤魔化そうと思ったらしい。
──シノブさんやアミィさん、元気にしているでしょうか?──
──大丈夫ですよ──
ファーヴに語りかけたのはリタンである。彼は、ファーヴを慰めるように自身の頭を寄せていく。
リタンとファーヴの外見は大きく異なる。海竜は首長竜に似ており、岩竜や炎竜は翼の生えた肉食恐竜のような姿だ。
しかし、彼らにとって見かけの違いは問題とならないようだ。ここにいる者で雄はリタンとファーヴだけのせいか、二頭はとても仲が良い。昼間も一緒に軍艦ごっこをしていたくらいである。
──ミリィさん~。私もヒマジンです~、ヒマヒマです~──
フェイニーは、暇と口にしたミリィに共感を抱いたらしい。どうも、竜よりも光翔虎の方が好奇心旺盛なようだ。彼女の姉貴分であるメイニーも、ビトリティス公爵の館で暇を持て余したらしく戦いに加勢したから、フェイニーだけが変わっているわけではないのだろう。
──そうですよね~、ヒマジンですよね~。そうです~!──
ミリィは頭を振りながらフェイニーに同意していた。しかし彼女は、何かを思いついたらしく、鎧掛けから飛び降り、人族の少女に変じた。
──ミリィさん、それ羨ましいです! ズルイです!──
フェイニーはミリィの側に寄ると、羨ましいと繰り返す。親であるバージが予想した通り、彼女は新しい神具に興味を示していたのだ。
ちなみに、オルムル達も口には出さないが、ミリィを羨望の眼差しで見つめている。どうやらオルムル達は、シノブと同じ姿になってみたいと思っているようだ。
「ミリィ、どうしたのですか?」
居室の扉を開けて声を掛けたのはシャルロットだ。彼女はミュリエルとセレスティーヌを連れて部屋の中に入る。
「ちょうど良かったです~。シャルロット様~、一緒に歌いましょう~。皆が仲良くなる歌です~」
「仲良くなる歌……ああ、あれですね」
暫し小首を傾げたシャルロットだが、すぐに何のことか察したらしい。彼女は、ソファーへと向かっていく。すると、オルムル達も、彼女の後に続いていった。
「私達もご一緒します!」
「シャルお姉さま、このリュートをお借りしますね!」
ミュリエルは姉に続き、セレスティーヌは部屋の隅に置かれたリュートを手にすると、シャルロット達の向かい側に腰掛けた。どうやら、彼女は伴奏をするつもりらしい。
ミリィは立ったまま歌うようだ。彼女はソファーの側に立つ。そして彼女はセレスティーヌの伴奏に合わせ、外見に相応しい高く澄んだ声で歌い出した。
それは、人々に平和な世界を思い浮かべるように語りかける歌だった。今を平和に生きること、国や立場の違いを乗り越えて手を取り合うこと。そんな夢のような光景を現実にしようという歌であった。
シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌもミリィに続いていく。それどころか、オルムル達も思念で歌っていた。
生まれや種族の違いなど関係ない。清らかな歌声は、そんな優しくも強い思いを乗せて星々が煌めき始めたシェロノワの空に響いていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年1月30日17時の更新となります。