15.20 開戦の日 後編
アルマン王国の現国王は、第二十一代のジェドラーズ五世である。彼は当年とって三十七歳で、二人の王妃にそれぞれ一人ずつの子供を得ていた。
一人は王太子のロドリアムだ。彼はジェドラーズ五世と第一王妃メリザベスの間に生まれた子で、現在十九歳である。ちなみに既に妻を迎えているが、まだ子は無い。
もう一人は王女のアデレシアである。こちらは第二王妃マーテリンの娘で十四歳、つまり来年成人だ。
なお、王族は他に先王ロバーティン三世だけだ。彼には二人の妻がいたが、既に双方とも没している。
このように、現在アルマン王国の王族と名乗ることが出来る者は、さほど多くはない。先王ロバーティン三世には妹達がいたが何れも家臣に嫁いで臣籍に降りているし、先々代以前も同様である。
さて、王家に続く家柄といえば公爵家だ。
アルマン王国には公爵家が一つだけ存在する。北のブロアート島に所領を持つベイリアル公爵家がそれだが、こちらは現王家とは縁遠かった。それは、ベイリアル公爵家が初代公爵ジェリックスから男子が途切れることはなく、いわゆる男系男子がずっと継いできたからだ。
しかも王家からベイリアル公爵家に嫁ぐ女性は時折いるものの、近い例といえば先々代国王ハーヴィリス四世の妹まで遡る。彼女は現ベイリアル公爵ジェイラスの祖母で現国王の大叔母だから、血縁という面では両家の当主はそれほど近くはない。
アルマン王国と似た国はといえば、海を越えて南東のガルゴン王国であろうか。こちらの公爵家は二つだが、初代から続く家系であり公爵家の権限が強く独立度が高い点などが似ている。
対照的なのは、メリエンヌ王国やカンビーニ王国だ。両国は王家に生まれた者が公爵を継ぐこともあるからだ。
アルマン王国の貴族制度には、もう一つ他国とは違う点があった。それは侯爵家が存在しないことだ。
王と公爵に続くのは伯爵だ。彼らは、王都アルマックとベイリアル公爵の治める都市ベイリアル以外の十の都市の領主である。
これは、アルマン王国の成立理由がメリエンヌ王国への対抗措置だったことに起因するのかもしれない。実は、メリエンヌ王国には建国からかなりの間、侯爵位が存在しなかったのだ。
ちなみにメリエンヌ王国に侯爵家が誕生するのは、建国から二百年以上経った第九代国王ジスラン一世の治世である。彼は侯爵家を設立して小領を与え大臣職を世襲させることで、自身の権力基盤を強化しようとしたらしい。
伯爵より下の貴族はというと、アルマン王国も他国と同じで子爵と男爵だ。なお一般には、この子爵と男爵が下級貴族、伯爵以上が上級貴族とされる。しかしアルマン王国の一部の子爵は、かなりの権力を持っていた。何故なら彼らは閣僚を務めるからだ。
アルマン王国は、侯爵が存在せず公爵と伯爵が地方都市の領主である。したがって、閣僚を務めるのは王家付きの子爵達だ。つまり、軍務卿ジェリール・マクドロンも子爵である。
閣僚となった子爵の権力は上級貴族にも匹敵するし、王家の女性が降嫁することもある。ただし元が子爵家だけに、権力が大きいといっても王家との差は歴然としている。
そのため国政に関しては、代々の国王の意思が強く反映されるという。これは閣僚達が王家子飼いの子爵なのだから、当然かもしれない。だが、当代の軍務卿は少々違うようである。
◆ ◆ ◆ ◆
アルマン王国を動かす者達が集う場所、王都アルマックが王都である所以『金剛宮』。この金剛石に由来する名は、煌めく外壁を持つ数々の尖塔や白く美しい宮殿を形容したものだ。
王宮はアルマックの中央に位置するが、高く聳える尖塔は街の各所から目にすることが出来る。この晴れた日であれば眩いばかりの光輝を放つ尖塔は、王都の象徴に相応しい美しさだ。
しかし『金剛宮』には、日の光に輝く外観に似合わない場所も存在する。その一つが審議の間、急遽召喚された軍務卿ジェリール・マクドロンと彼の長男ウェズリードのいる場所である。
「ジェリールよ。そなたが連れて来たドワーフ達が奴隷だという噂があるが?」
国王ジェドラーズ五世は、広間の正面の壇上から自身を支える重臣の一人である軍務卿へと尋ねかけた。
審議の間は、メリエンヌ王国の王宮『水晶宮』に存在するものと良く似ていた。
黒を基調とした広間の正面には数段高い壇が設けられており、壇の中央には議長である国王や補佐を務める王族の座る席がある。現在そこには中央にジェドラーズ五世、彼の両脇に先王ロバーティン三世と王太子ロドリアムが着席している。
そして先王と王太子の脇は、審議委員である閣僚の席だ。ここには、ジェリール以外の閣僚が腰掛けている。それは、内務卿、財務卿、商務卿、農務卿、外務卿の五人である。
壇上の八人の表情は様々だ。ある者は怒りを、別の者は当惑を面に浮かべ、またある者は内心を隠しているのか無表情を保っている。しかし重大な問題故であろう、その全てには緊張が宿っていた。
「事実無根でございます」
ジェリールは、壇と向かい合わせに置かれた席から、静かに答えた。彼は、息子のウェズリードと並んで広間の中央に設えた少しばかり高くした場所にいる。
二人は召喚されたとはいえ、拘束されることもなく腰掛けていた。流石に剣は預けたようだが、それは審議委員を務める閣僚も同じだ。
どうやら、まだ査問ではなく聴聞とでもいうべき段階のようだ。そのためマクドロン親子への処遇も、貴族に相応しいものとなっているのだろう。
「そうか……しかしだな、王都の各所にそのようなことを記した杭が打ち込まれておる。メリエンヌ王国などの仕業らしいが……」
軍務卿が短い言葉で否定すると、ジェドラーズ五世は僅かに表情と語調を緩めた。そして彼は、王都の城門前や街に出現した杭について語りだす。
光翔虎のバージと金鵄族のホリィの手による杭には、アルマン王国がドワーフ達を奴隷とし魔道具で縛ったと記されていた。そして神々が禁忌とした奴隷を使うアルマン王国を非難し、メリエンヌ王国を始めとする各国が実力行使を開始することにも触れている。つまり、各国からの宣戦布告である。
なお、王都に杭が打ち込まれたのは午前中で、今は午後に入ったばかりだ。そのためアルマン王国の首脳は、全てを把握しているわけではない。
例えば同様の杭は他の都市にも出現したが、彼らの耳に入っているのは南隣の都市オールズリッジについてだけで、他からの知らせはまだ届いていない。もちろん遠く離れた海域での戦いなど、国王達に知る術も無い。したがって彼らは、まだ事の真偽どころか各国の行動すら把握していないのだ。
おそらく、それがジェドラーズ五世の歯切れの悪い口調の一因であろう。
しかし国王である彼が軍務卿に強く出ないのは、それ以外にも理由があった。
実は、ジェドラーズ五世とジェリールは従兄弟同士であった。マクドロン家は子爵家に過ぎないが、代々軍務卿を務める名家である。そのため、先王ロバーティン三世の妹が降嫁したのだ。
そして三十七歳のジェドラーズ五世より、ジェリールの方が五歳年上だ。要するに、年上の従兄弟だから、普通の家臣とは少々勝手が違うのかもしれない。
「ジェリール殿、ドワーフの職人達はどうしているのかな? 彼らと会わせてもらえないだろうか?」
国王が語り終えると、審議委員の一人が発言をする。
彼はドワーフ達と会って確かめれば良いと思ったようだ。仮に『隷属の首輪』で縛っているなら、首元を確かめれば良いからだ。
ドワーフの代表は一度だけ参内したが、そのときの彼らは首を覆う寒冷地向けの服を着ていた。したがって、王宮の者達は『隷属の首輪』に気がつかなかった。当然ながら、賓客に首を見せろという者はいなかったのだ。
だが、今は状況が違う。少々無礼であっても、再び王宮に招いて確かめる必要がある。そのためだろう、壇上の他の者も彼の言葉に頷いていた。
「彼らは南方の作業場におり、すぐに連れて来ることは出来ませんが」
ジェリールは、ドワーフ達を王都に連れて来るには時間が掛かると答えた。実際には、全てのドワーフはシノブ達が救出してアルマン王国にいないのだが、彼には何らかの誤魔化す手段があるのだろうか。
何れにせよ、ジェリールは僅かな動揺も面に出さないままである。この辺りは、軍務卿という要職に相応しい豪胆さであった。
それは、息子のウェズリードも同じである。彼も、表情一つ動かさなかった。なお、ウェズリードは発言するつもりはないようだ。ウェズリードも軍では要職に就いているが、国王や王族、閣僚の前では父であるジェリールの補佐役に過ぎない。そのため彼は、発言を慎んでいるのだろう。
「承知している。折角の新技術を導入しても外部に漏れたら意味がない。それがそなたの意見であったな。だが、早馬を出せば早ければ明日、遅くとも明後日には王都に招くことが出来るだろう」
どうも、国王達は南方の隠し港にドワーフ達がいると思っているようだ。
隠し港は王都から100kmは離れていた。そのため早馬で伝令を送りドワーフ達を馬車で運んだとしたら、国王の言う通り翌日か翌々日となるだろう。
それはともかく、やはり国王は軍務卿に遠慮があるようだ。彼の返答には一見おかしなところはない。しかし、わざわざ過去の軍務卿の意見を持ち出し肯定した国王からは、ジェリールへの迎合とでもいうべき感情が滲んでいるようでもあった。
それは、彼の左右に並ぶ者にとって既知のことであるのだろうか。先王や王太子、そして審議委員を務める閣僚達に驚いた様子はない。
「了解しました」
「相手に何らかの誤解があると思って良いのだな?」
再び短く答えたジェリールに、先王ロバーティン三世が最終確認と言わんばかりの口調で問いかけた。
先王の白髪が多い髪は年齢相応の老いを感じさせる。しかし、彼の青い瞳は王位にあった者に相応しい鋭い輝きが宿っていた。
「御意」
ジェリールは、感情を顕わにしないまま首肯した。そして、息子のウェズリードも父に続く。
マクドロン親子が事態をどうやって誤魔化すつもりなのかは、不明である。しかしシノブ達が全てのドワーフを救出した以上、彼らが奴隷とされていたという確かな証拠も無い。
もちろん、シノブ達は隠し港や地下工場などにあった文書や品々を回収しているし、その場にいた者も捕らえた。したがって、アルマン王国の非道を裏付けるものは幾らでも存在する。
だが、文書などは捏造された物だと言い張り、捕らえた者達も知らないと言い抜けるか脅されての発言だと強弁することも可能ではある。もしかすると、ジェリールやウェズリードは、それらを狙っているのかもしれない。
しかし、どう言い繕ってもシノブ達の進攻自体を防ぐことは出来ないだろう。したがって、何か手を打たなければ単なる時間稼ぎにしかならない筈だ。
それにもかかわらず、二人は落ち着きを保っていた。やはり、彼らには何らかの秘策があるようだ。だが、マクドロン親子が裏で何をしているか知らない国王達にとって、そんな彼らは頼もしげに映ったのかもしれない。
そのためか国王達は二人をそれ以上問い詰めることもなく、唐突に開かれた会議は事態への対応を検討する場へと変じていった。
◆ ◆ ◆ ◆
そのころフライユ伯爵領の領都シェロノワでは、アルバーノがシノブ達に対し、ある事を報告していた。それは、彼が救出したドワーフの少女メーリから聞き取ったことだ。
シェロノワの中央区の治療院で家族と再会したメーリは、その場に留まることとなった。救出したばかりの彼女の家族達は当分の間療養が必要だし、それはメーリも同じであった。そこで彼女は、家族の下に移ることとなったのだ。
「ご家族と再会したためでしょう、メーリ殿はだいぶ落ち着いておりました。もっとも、刺激しないように充分に留意しましたが……」
今のところ、アルマン王国の軍本部に潜入したのはアルバーノだけである。そこで彼がメーリを救い出したのは自分だと彼女に明かし、王都や軍本部での出来事を尋ねたわけだ。
「ああ、その辺りは信頼しているよ」
シノブは、アルバーノに柔らかく微笑んだ。彼だけではなく、アミィなど執務室にいる他の者達も同じである。
シノブの執務室に残っている者は少ない。昼食後、シャルロットはミュリエルやセレスティーヌ達を連れて自身の執務室へと移った。そのため通信筒を用いた各地とのやり取りは、彼女の執務室で行っている。
なお、ミュレやエディオラなどの魔術師達は再び研究所に戻ったし、エルフのメリーナやカンビーニ王国の公女マリエッタなどはシャルロットの執務室に移っていた。
そのため、執務机に着いているシノブの前にいるのは、ほんの数名であった。
「お言葉、光栄の極みです」
アルバーノは、大仰な仕草でシノブに会釈をしてみせる。その様子は少々気障にも感じるが、屈託の無い笑顔のためか悪印象には繋がらない。彼が若い侍女達からも評判の良いのは、その辺りの絶妙な加減もあるのかもしれない。
アルバーノは四十歳だが三十前に見える若々しさを保っている。しかも、美男子といっても過言ではない容姿である。それに様々な経験をしてきた彼は、年齢に相応しい思慮と広範な知識を持ち話術も巧みだ。どうやら、それらが女性の警戒を解くらしい。
一方でアルバーノは、戦闘奴隷とされた過去を持つ。その彼であれば、メーリを労りつつ彼女に辛い思いをさせないで尋ねることも、充分に可能だろう。
「帝国の残党は、魔力を吸い出す実験で何を知りたかったのでしょうか?」
アミィは敵の意図をアルバーノに問うた。メーリを発見したのはアルマン王国の軍本部だし、彼女は軍務卿の第二夫人ルーヴィアに囚われていた。したがって、他のドワーフとは違いメーリが知ることは多い筈だ。
ルーヴィアはメーリに対し魔力を吸い出す実験していたらしいが、これはシャルロット達の前では触れにくい話題であった。しかし、ここにいるのはシノブとアミィ、それにアルバーノとアルノーなどの軍人のみだ。そこで、アミィは率直に聞くことにしたらしい。
「ドワーフと獣人族の違いを調べようとしていたようです。帝国の奴隷は全て獣人でしたから。
周知のことですが、魔力が多くても身体強化しか出来ない人もいます。そしてドワーフ達は高い身体能力を持っています。
おそらく帝国の残党は、ドワーフ達が充分な魔力を持っていても外部に放出できない種族では、と期待したのでしょう」
アルバーノの意見に、シノブは深く頷いた。
例えばシャルロットは非常に強力な身体強化が可能だが、攻撃魔術は得意ではない。彼女は大きな魔力を持っていても、それを外部に放出して使うことは苦手である。
なお、これは珍しいことではない。魔術には多数の属性があるが、多くの者はそのうち一種類か二種類しか使用できないし、その中で最も多いのは自身を活性化する身体強化だからだ。
しかし、そのような者でも魔道具に魔力を込める際は関係ない。そのため『魔力の宝玉』などに魔力を吸い出す場合、対象者の属性を気にする必要はない。
もっともドワーフ達は、あまり多くの魔力を持っていない。どうやら、彼らは元々の身体能力が高いから、並外れた力を振るうことが出来るようだ。なお、これは獣人族も同じである。魔力に関しては、両種族に大きな差異は無いのだろう。
「本命はエルフだったのでしょう。人族はドワーフや獣人族よりは魔力が多いですが、エルフは桁違いですから。ルーヴィアという女も、エルフがいれば、と何度か口にしたそうです。
とはいえ、エルフを捕らえるのは困難になりました。ですから、魔力の多い人族を狙う可能性はあります。アルマン王国には、そういう人族は多いようですから」
「そのようですね。どうも、アルマン島やブロアート島に渡った人達には、現在の貴族に相当する者が多かったようです」
アルバーノの言葉に、アミィが頷いた。
彼女は、王都メリエなどからメリエンヌ王国の古記録を取り寄せ、調べていた。そのため、アルマン王国が成立した経緯について、ある程度の知識を得ていたのだ。
アルマン王国を築いたのは、現在のメリエンヌ王国に当たる地域に住んでいた者達だという。彼らは、両国が建国される百年以上前、今から六百年から七百年くらい昔に移民したようだ。
どうやら彼らは、大陸での戦いに負けて西の島々に移り住んだらしい。現在の国々が成立する以前は、各地に豪族が支配する小領や都市国家が存在したという。おそらく、西に向かったのは戦いに敗れた有力者達で、そのため魔力が多いのだろう。
この世界の人間は、魔力の多寡や活用の可否で大きく能力が異なる。したがって、支配者層はどうしても魔力が多いか使いこなせる者達で占められる。それは現在の王族や貴族も同じであり、彼らは普通の民とは比べ物にならない魔術や身体強化を行使できる。
したがって、アミィが言うように西への移民団が大陸を追い出された豪族達なら、アルマン王国の者が高い魔力を持っていても不思議ではない。
「はい。その中でも、アルマン王家やベイリアル公爵家は、優れた素質を受け継いでいるようです。ですが、どうも当代の王ジェドラーズ五世は、魔力はともかく統治能力は微妙らしく……」
アルバーノは、王都アルマックに潜入したときに彼の国の王達についても調べていた。
もちろん街中で情報を集めただけで、彼自身が国王や王族に会ったわけではない。しかし、王都の民から聞いただけでも、かなりの知識を得たようだ。
ジェドラーズ五世は魔術師としての高い適性を持っているという。これは、彼だけではなく王妃達なども同様だ。もっとも、高い魔力を維持するため貴族や王族はそういう特徴を持つ者同士で婚姻してきたから、それ自体は不思議ではない。
しかし魔術師としての能力が高いせいか、ジェドラーズ五世は政治的な技能を磨くのに熱心ではなかったらしい。元々自身のことを不向きと思っていたのかもしれないし、有能な家臣に任せれば良いと思っていたのかもしれない。
◆ ◆ ◆ ◆
「……アンドレ殿は、ジェドラーズ五世のことを中々の人物と言っていたが?」
アルバーノの話を聞き終えたシノブは、意外に感じていた。彼は、以前ポワズール伯爵アンドレから、ジェドラーズ五世が逸材であると聞いていたからだ。
ポワズール伯爵は、現国王に代替わりしてから色々やりづらくなったと語っていた。彼によれば、ジェドラーズ五世は交渉で退くことは殆ど無いらしい。
ジェドラーズ五世は自己顕示欲が高い人物で、それが強気の交渉の元となっているのでは。それがポワズール伯爵の評である。しかしアルバーノの話を聞いたシノブは、意欲はあっても能力は低かったのかと、想像した。
「軍務卿達が上手く外面を取り繕っているようですね。アルマックでも閣僚達の噂は良く聞いたのですが、王に関してはそれほどでもなかったのです。ですが、軍や政庁に近い者達の話を繋ぎ合わせると、そうではないかと……」
アルバーノは苦笑いをしながら返答した。
メリエンヌ王国とアルマン王国は交流も少ない。したがって、ポワズール伯爵もジェドラーズ五世と直接会ったことは無い。そしてアルマン王国に入国する場合、港での厳しい検査を潜り抜けなくてはならないし、王都の内部に外国人が入ることは出来ないらしい。
そのため、ポワズール伯爵の手の者はアルバーノほど詳しい情報を得ることは出来なかったようだ。
「ここまでマクドロン親子の独断専行を許しているのだから、そう考えた方がしっくりくるか」
シノブは、つい先ほどアルバーノから聞いたことを思い起こした。それは、アルマン王国の者がドワーフの職人や偽装商船などについて、どう思っているかであった。
アルマン王国の首脳陣は、ドワーフの隷属や軍務卿が東に艦隊を派遣した件について知らないようだ。
偽装商船が他国の商船を妨害していることは公にはされていないが、街でも噂されてはいた。流石に多くの者は他国の船を沈めているとは思っていないようだが、偽装商船が自国の交易を有利にする行動をしていることは察しているらしい。
隠し港の存在も、鋭い者は気がついているようだ。場所まで知る者は街にはいなかったが、偽装商船らしき船を港で見かけないのだから、そういう推測に至るのは当然であろう。
いずれにせよ、全てを知る者は軍務卿ジェリール・マクドロンや息子のウェズリードなどだけらしい。後は、軍務卿直属の部下達が、それぞれの関わっている範囲の知識を持っているだけだろう。アルバーノの調べたことからすると、そうなるようだ。
「軍務卿が年上の従兄弟というのもあるのでしょうね。外孫だから王族ではありませんが、とはいえ近しい仲ですから子供の頃から親しかったそうです。王太子時代も側仕えとして上がっていたようですし」
アルバーノは、国王と軍務卿の関係を補足する。
国王の能力や志向、それに軍務卿との関係。アルバーノは、それらが歪な関係を形作った理由だと思っているらしい。
「ありがとう。ともかく俺達もアルマックに行こう」
シノブは、椅子から勢い良く立ち上がる。彼は、再び西への潜入をするつもりであった。
可能であれば国王か王族に接触して、彼らの真意を確かめたい。もし、彼らが軍務卿を排除する気なら手を貸しても良い。内政干渉ではあるが、建前を守って多くの命が失われるよりは良いだろう。シノブは、そう考えていたのだ。
「ええ、ホリィ達だけに苦労させるわけにはいきませんから」
アミィは、アルマン王国にいるホリィ達について触れた。
ホリィとマリィ、そして四頭の光翔虎は、アルマン王国への警告を終えたらグレゴマンを探しに戻る。彼自身の居場所を掴むか拠点を突き止めるのが、ホリィ達の目的だ。
「そうですな……ところで閣下、出陣の前に奥方様達にご挨拶をされた方がよろしいかと。私も少しばかり準備がありますし、ファルージュ殿も呼びに行きますので」
アルバーノは、シノブに悪戯っぽく微笑んでみせる。
彼のことだから準備など既に済ませているだろう。それにファルージュも再度の潜入に備え待機している筈だ。したがって、これは彼一流の気遣いに違いない。
「そうさせてもらうよ。ところでアルバーノ、君には旅立ちを伝える相手はいないのかな? ああ、準備とは君を待つ女性達への挨拶回りなのか。それなら時間は掛かるだろうね」
シノブも、アルバーノと同じような表情で言葉を返す。もちろん冗談ではあるが、アルバーノに好きな相手がいるなら知りたかったという気持ちもあったのだ。
長く戦闘奴隷とされたアルバーノには幸せになってほしい。それに、もはや押しも押されもせぬ重臣となった彼が、いつまでも独り身というわけにもいかないだろう。
これはシノブだけではなく、シャルロットやアミィの考えでもあった。
「そうですね! アルバーノさんなら十人くらい回ってこないといけないでしょうね!」
そのためだろう、アミィも楽しげに続いた。彼女は薄紫色の瞳をキラキラと輝かせながら、アルバーノを見上げている。
「そ、それは……」
シノブとアミィの反撃に、アルバーノは激しく動揺したらしい。彼は、自身の濃い金髪を慌ただしく撫でつけている。これは、猫の獣人が動揺を隠すときの仕草なのだ。
それを知っている室内の者は、思わず笑いを零していた。すると、アルバーノも少々決まり悪げな表情をしつつも微笑んでみせる。それ故シノブの執務室は敵国への潜入を語っていたとは思えない、温かな空気に包まれていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブがシャルロットの執務室に行くと、彼の意図を察したのだろう、アルメル達は席を外す。そのため、部屋の中はシノブとアミィ、そしてシャルロット、ミュリエル、セレスティーヌだけとなった。
「シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌ。アルマン王国に行ってくるよ」
シノブは自身を見つめる女性達に呼びかけると、行き先だけを伝えた。
既に、シャルロット達はシノブが何をしに行くか知っている。そのため彼は余計なことを言わず、温かな笑みと力強い言葉だけを三人の女性に届けた。
「お気を付けて……アミィ、シノブを頼みます」
シャルロットも、多くを口にすることはなかった。彼女は、夫と同じ柔らかな表情で短い言葉を返すと、同行するアミィの手を取ってシノブを託すと伝える。
それは、戦場に旅立つ同志への激励なのだろう。子を宿したシャルロットは、二人に同行できない。それ故彼女は、アミィに自身の分までシノブの力になってほしいと考えた。小さな手をしっかりと握るシャルロットからは、そんな思いが伝わってくるかのようであった。
「お任せください!」
アミィは、いつものように溌剌と答える。
オレンジがかった茶色の髪の上に狐耳をピンと立て、背後の尻尾を元気に揺らす彼女は、危険な場所に赴くとは思えない落ち着きぶりだ。そのせいだろう、シャルロットの深く青い瞳に不安の色は無い。
「シノブさま、こちらはお任せください」
「そうですわ。それに、何かあったら通信筒でお知らせします。シノブ様も遠慮なくお伝え下さいませ」
シャルロットがアミィの側に行ったためだろう、代わってミュリエルとセレスティーヌがシノブの前に歩み出た。彼女達は、旅立つシノブ達を安心させるかのように平静な様子を保っている。
「ああ、後を頼む。それに、なるべく連絡を入れるよ」
一見落ち着いているような二人であったが、シノブは彼女達に微かな不安が宿っていると感じていた。二人の立つ位置は、心なしか普段より近い。シノブは、それに気がついたのだ。
そこで、シノブは二人の肩に手を置きながら優しく語りかけた。彼は、ミュリエルとセレスティーヌの顔を曇らせたくなかったのだ。
シノブの思いを察したのだろう、二人も嬉しげな顔となる。緩やかに銀髪を流し服装も少し抑え目なミュリエルと、豪奢な金髪を巻き髪にし王女らしく華麗なドレスを纏ったセレスティーヌは、対照的だ。しかしシノブへの信頼を浮かばせた顔は、どこか似通った輝きを放っている。
「それじゃ、行ってくるよ。シャルロット、あまり無理をしないでくれ」
「貴方こそ……」
シノブはミュリエル達の肩から手を離すと、シャルロットへと歩み寄る。そして彼は、愛する妻を優しく抱きしめた。
対するシャルロットは、静かに呟くと夫に体を預けた。シノブは、彼女の長く美しいプラチナブロンドをそっと撫でながら、更に抱き寄せる。
彼女達のためにも、絶対に戻ってこよう。そして、アルマン王国の騒動を早く終結させよう。シノブは、己の胸に顔を伏せるシャルロットを抱きながら内心静かに誓っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年1月28日17時の更新となります。