15.18 開戦の日 前編
創世暦1001年4月12日の未明、アルマン王国の王都アルマック。軍務卿ジェリール・マクドロンの館に、グレゴマン・ボルンディーンや彼の配下達が現れた。彼らは闇に紛れるかのようにして、館の離れへと入っていく。
離れを警備していた兵士達は、グレゴマン達を見ても驚くことは無かった。おそらく、何度か会ったことがあるのだろう。
何しろ、グレゴマンの配下は全員がフード付きのローブを纏い、目元以外を隠している。初見なら、そんな怪しい者達を見て平然としているわけが無い。
しかし兵士達は表情を変えることもなく、黒髪の若者と彼に続く正体不明の一団を通す。そして、兵士の内の一人が落ち着いた様子で本館へと向かっていった。
グレゴマン達が向かったのは、広くはあるが碌な調度もない部屋であった。室内には、頑丈なだけのテーブルとそれに相応しい飾り気の無い椅子が置かれているだけだ。
そして、入室した者達の中でグレゴマンだけが椅子に腰掛ける。テーブルは大きく、椅子の数は三十を超えている。そのため二十数名はいるグレゴマンの配下全員が座ることも可能だが、彼らは静かに後ろに佇むだけだ。
「待たせたな」
グレゴマン達が入って幾らもしない内に、館の主ジェリール・マクドロンと息子のウェズリードがやって来た。二人は、グレゴマンの向かい側の席に着く。
「ドワーフの職人を奪われたよ。しかも、魔道具技師まで!」
グレゴマンは、忌々しげな口調で言い放つ。彼の茶色の瞳には、激しい苛立ちが浮かんでいる。
都市オールズリッジの地下工場で、グレゴマンはシノブ達と遭遇した。そして彼は、魔道具技師達を取り返すために、使い魔を用いた。ドワーフ達の体内に使い魔を侵入させ、シノブ達を脅したのだ。
だが、グレゴマンは魔道具技師達を奪回できなかった。アミィが予め幻影魔術を使い、警備兵と魔道具技師の姿を入れ替えていたからだ。そのため、グレゴマン達が得たのはアルマン王国の兵士達だけであった。
まんまと偽者を掴まされたからだろう、グレゴマンは整った顔を悔しげに歪めつつ、オールズリッジでの出来事を語っていく。
「そうか……こちらにもメリエンヌ王国の手先が現れた」
「彼らは幻影や姿消しを得意とするようですね」
ジェリールは重々しく、ウェズリードは冷静さを保ちつつ、グレゴマンに応じる。そして二人は、アルバーノの潜入について説明する。
前日の午前中、シノブの家臣の一人アルバーノ・イナーリオは王都アルマックの軍本部に忍び込み、姿を消してマクドロン親子の様子を探っていた。そしてマクドロン親子の下に、ジェリールの第二夫人ルーヴィアが『隷属の首輪』で支配したドワーフの少女メーリを連れて現れた。
メーリの衰弱は激しく、アルバーノは彼女の救出を決意した。彼は透明化の魔道具の効果を解除し、軍務卿達の前に姿を現すとルーヴィアを倒し、メーリを連れて脱出したのだ。
「そうか……ルーヴェナがね。ローラントが聞いたら何と言うだろうね……」
グレゴマンは、暫し遠い目をする。
彼が言うルーヴェナとは、ルーヴィアの真の名だろうか。そして、ベーリンゲン帝国の特務隊長ローラント・フォン・ヴィンターニッツの名を出すところを見ると、ルーヴィアは彼の縁者なのかもしれない。もし、そうなら二人ともアルバーノに破れたのは、何かの巡り合わせと言うべきか。
一方、背後の配下達は静寂を保ったままである。フードやローブに隠されているため確言は出来ないが、彼らは魔道具の鎧を着た竜人の筈である。竜人達は言葉や人間らしい感情を失うらしいから、グレゴマンのような感傷に覚えることも無いのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
さほど長い時間ではないが、グレゴマンは物思いに耽っていた。しかし彼は、マクドロン親子が見つめているのに気がついたらしく、二人に顔を向け直す。
「……ジェリール殿、カルウィッチのドワーフ達も失ったのかな?」
グレゴマンが口にしたカルウィッチとは、ブロアート島に存在する町である。そしてカルウィッチの北には、ドワーフの女性や子供が閉じ込められていた廃坑がある。
どういう理由からか、グレゴマンはカルウィッチのドワーフ達が解放されたと判断したらしい。
「そんなことは聞いていませんが……」
ウェズリードは、青い瞳に怪訝な色を浮かべつつ応じる。父のジェリールも思い当たることは無いのか、息子と良く似た細面は訝しげな表情となっていた。
「オールズリッジにドワーフの娘がいたよ。それも二人も」
どうやらグレゴマンは、ドワーフの少女に変じたホリィとミリィのことを、廃坑に閉じ込めていた者達と誤解したようだ。救出作戦に加わっているのだから、職人達の身内だと思ったのであろうか。
「まあ、あれも幻影だったかもしれないが……でも、念のため確かめた方が良いと思うよ」
とはいえ、グレゴマンも半信半疑らしい。
何しろ、幻影で騙され魔道具技師の代わりに警備兵を掴まされたのだ。彼が確信を持てないのも無理はないだろう。
「わかった。早速、手の者を送ろう……ウェズリード」
「ええ」
ジェリールの言葉を受け、ウェズリードが席を立つ。そしてウェズリードは、軍人らしい堂々たる歩みで扉に向かう。
もしグレゴマンの言葉が本当なら一大事である。しかしウェズリードは、最前と変わらぬ落ち着きを保ったまま部屋から出て行った。
その冷静沈着な様子は歳に似合わなくもある。だが、前日ジェリールに劣勢の現状を冷徹に論じたウェズリードだ。決して単なる虚勢などではないのだろう。
「仮にあれが本当にドワーフだとして……」
「何か気になることがあるのか?」
ウェズリードを見送りつつ呟くグレゴマンに、ジェリールが尋ねる。彼も、全てのドワーフが自分達の手から逃れたかもしれないというのに、顔色一つ変えていない。
「あの二人は、ドワーフのくせに魔術を使ったんだ。
私達が相手から魔力を吸い上げたように、どこかから魔力を得たのか……あるいは何らかの魔道具を隠し持っていたのか……どちらにしても大量の魔力を蓄積する技術を持っているのだろうね」
ホリィとミリィは、グレゴマン達に風の攻撃魔術を使った。そのためグレゴマンは、彼女達が特殊な手段で魔力を得たドワーフか高度な魔道具を持っていたか、その何れかと思ったようだ。
もちろん、真実は金鵄族であるホリィ達が元から高い魔力を持っていただけである。そのためグレゴマンの想像は全くの的外れであった。しかし、彼の誤解は思わぬ事態を引き起こす。
「我らがエルフに望んでいたことか……こうなれば仕方が無い。
グレゴマンよ。貴公は西の村人から魔力を吸い取っているのだろう?」
シノブが想像していたように、ジェリール達はデルフィナ共和国のエルフから魔力を得ようと考えていたらしい。エルフの持つ大きな魔力があれば『魔力の宝玉』の使用が容易になる。そうすれば、更に強力な魔道具を揃えることが可能だ。
そしてドワーフ達が全て解放されたのであれば、メリエンヌ王国を始めとする諸国はアルマン王国との戦いを宣するだろう。人質がいなくなれば、彼らはアルマン王国を潰しに来る筈だ。
ならば、遠方のエルフを得る時間など無い。つまり、エルフの代わりをどこかで調達する必要がある。ジェリールは、そう思ったのだろう。
「察していたか。で、それを尋ねるということは、許可をくれるのかな?」
「ああ。生き残るには、それしかないだろうからな」
嬉しげに笑うグレゴマンに、ジェリールは頷いてみせる。ジェリールは、自国の民を売ったのだ。
軍務卿である彼には国民を守る義務がある筈だ。アルマン王国は国名の通り王政だが、アムテリアの教えを守る国でもある。そしてアムテリアは王や貴族の存在を認める代わりに、彼らに民への庇護を課している。したがって、アルマン王国でも王族や貴族は民を慈しむように教育される。
しかしジェリールは、第一夫人ナディリアの早世により、神や運命を呪うようになったらしい。そのためだろうか、彼は神々の意思に背くというのに全く動揺を見せていない。
もしかすると、これは己の愛する者を奪った神々に対するジェリールの反逆なのだろうか。神の教えを守っても応えてくれぬなら、こちらが無視して何が悪い。そうさせたのはお前達だ。ジェリールは、そんな怨嗟の声が聞こえてくるような闇を漂わせている。
「オールズリッジの地下工場は隠し港と同様に破棄しておく。証拠を残しておくわけにはいかないからな」
「ああ、そうしてくれ。それじゃ、私は西に行くよ。あのシノブという男に対抗するには、もっと魔力が必要だからね」
ジェリールの言葉を聞いたグレゴマンは立ち上がり、扉に向かって歩みだす。彼の後ろには、一言も発せず立っていた配下達が続いていく。顔も隠したローブの一団が静かに歩む姿は、どこか不吉な印象を伴う異様なものであった。
だが、そんな不気味な一行もジェリールの心を動かすことはないようだ。彼は、凍てつくような鋭い瞳と氷原のような冷たい表情で、退室するグレゴマン達を見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
ジェリール達の密談から数時間後、アルマン王国とメリエンヌ王国の境界となる海域を東から西に越えていく者達がいた。それは、メリエンヌ王国の西方海軍だ。西方海軍の旗艦エリーズ号を先頭に、二十隻の軍艦が一列に並び、アルマン王国の王都アルマックのある方角、つまり真西に突き進んでいる。
エリーズ号は、同型艦の南方海軍旗艦メレーヌ号と共にメリエンヌ王国海軍最大の軍艦で、全長45mの三本マストの船である。一回り小さい軍艦達を率いて波を切り裂く白い船は、国を代表するに相応しい威風堂々たる姿である。
空は快晴、風は程々、波もさほど高くない。まずまずの航海日和である。しかし朝日に照らされる甲板の上には、そんな長閑な思いに浸っている者など一人もいなかった。
「敵艦隊、動き変わらず! 1時の方向、距離2000!」
マストの上から、若い兵士の緊張した声が降ってくる。彼が言う敵艦隊とは、もちろんアルマン王国海軍である。エリーズ号の進行方向から少々右に同等の大型艦が一隻、その後ろから若干小さな軍艦が十隻向かってくるのだ。なお、こちらも縦に一列、いわゆる単縦陣である。
既に先頭の大型艦との距離は2kmだ。そのためアルマン王国の艦隊は、甲板からでも充分に見える。
「早くアルマン野郎の交戦旗を引き摺り下ろしたいですな!」
「アンドレ殿、少しばかり口汚いのでは?」
興奮気味のポワズール伯爵アンドレに、西方海軍元帥であるシュラール公爵ヴァレリーが苦笑している。
エウレア地方の国々は、海上での行動に対して幾つかの取り決めを交わしている。多くは円滑な航海をし、無駄な衝突を避けるためのものだが、そこには交戦時の規定も含まれていた。それによれば、海戦においては旗などで交戦の意思を示さなくてはならない。
それぞれの国は自国の領海を定めてはいる。しかし海上に境界線など存在しないし、故障などで意図せず境を越えてしまうこともある。そのため、戦意の有無や不測の事態か否かなどを示す信号旗で、意思を伝え望まぬ衝突を避けるのだ。
「それに、今回は開戦の理由を伝えるだけですよ。本当なら、一度は話し合いたかったところですが……」
「向こうが応じないのだから、仕方ありませんな。そもそも軍務卿が首謀者の一人ですから、海軍相手に会談を申し込んでも握りつぶされるだけかと」
シュラール公爵に応じたのは、先代ベルレアン伯爵アンリだ。
旧帝国領の戦いを終えたアンリは、何とかルシオン海の海戦に加われないかと、先代アシャール公爵ベランジェに頼み込んだ。そして彼の願いはかなえられ、エリーズ号の一員となったのだ。
もっとも、これは通信筒を持つアンリが、後方への連絡役に適任だからでもある。したがって、ベランジェとしても渡りに船であったようだ。
「敵旗艦、距離1500!」
「右舷大型弩砲、斉射! 斉射後は火矢を装填!」
見張りの兵士が敵との距離を伝えると、エリーズ号の艦長でもある艦隊司令が攻撃を命ずる。すると、エリーズ号の右舷から一斉に矢が放たれた。もちろん、空を切り裂くのは大型弩砲の矢だ。
大型弩砲の射程は、大よそ1kmだ。アルマン王国の軍艦にはドワーフ達の造った高性能の大型弩砲が積まれており、更に100mから200mは遠くを狙える。しかし、1500mはアルマン王国の大型弩砲でも射程外の筈である。
だが、二十近い矢はアルマン王国の船に見事に届いた。実は、今回放ったのはシノブが作成したミスリル製の軽い矢だった。シャフトに軽くて強靭なミスリルを用い、更に薄い円筒状にしたから攻撃力は低い。では、何のために放ったかというと、矢文である。
文は、アルマン王国がドワーフを奴隷とし隷属の魔道具で支配していたことに対する非難から始まっている。そして、神々の教えに背いたアルマン王国に、メリエンヌ王国、カンビーニ王国、ガルゴン王国、ヴォーリ連合国が戦いを挑むと結んでいた。
「軍務卿が握りつぶす可能性はありますが……」
矢文が届いたのを見たシュラール公爵は、一旦は顔を綻ばせた。しかし彼は、再び顔を曇らせる。アルマン王国の海軍は、当然ながら軍務卿ジェリール・マクドロンが掌握している。したがって、自身に不利な文を無かったことにするかもしれない。公爵は、そう思ったのだろう。
「とはいえ少し痛めつけておくべきですぞ。被害が出れば、隠し通すわけにもいきませんからな」
アンリが言う通り、文だけならともかく損害まで伏せておくことは出来ないだろう。
海軍の全ての口を塞ぐことは軍務卿といえども不可能だ。隠し港の者や偽装商船の乗組員は軍務卿秘蔵の特殊な組織のようだが、艦隊司令や指揮官の中には軍務卿の閥ではない者もいる筈だ。
「取舵で回頭! 右舷大型弩砲、斉射! 通信手、後続にも伝えろ!」
公爵と伯爵の隣で、艦隊司令が次なる命令を発していた。今度は魔道具の火矢を放ちつつ左に転進し、メリエンヌ王国の領海に戻るのだ。
そして、通信手が光の魔道具で『アマノ式伝達法』による暗号文を後続の艦に伝えると、各艦の大型弩砲は射程に入ったものから順に火矢を放っていく。なお、ドワーフ達の尽力で大型弩砲はアルマン王国と同等の性能を持つものに換装済みだから、飛距離も互角である。
武器の性能が同じなら、相手の攻撃も届く筈だ。したがって、アルマン王国側も矢を放ち始める。しかし、それらがメリエンヌ王国の軍艦に命中することは無かった。
「はははっ! これは愉快だ!」
「恐るべき光景ですね……」
ポワズール伯爵が歓声を上げ、シュラール公爵は嘆声を漏らす。一方、旧帝国領で竜と共に戦っていたアンリは平静なままだ。
アルマン王国の矢を防いでいるのは、炎竜のイジェであった。エリーズ号の上空に待機していた彼女は、ブレスや魔力障壁を駆使して、敵の矢だけを打ち落としているのだ。
そもそも敵艦隊の前で回頭などしていたら、良い的である。エウレア地方の軍艦は、左右の舷側に大型弩砲を設置しているから、敵に背を向けたら一方的に攻撃される。したがって、普通なら不用意な回頭など命取りだ。
しかし炎竜イジェの存在が、敵前での優雅な回頭を可能としていた。
敵艦隊も単縦陣を採っていたため、現時点で攻撃可能な艦は先頭の一部だけである。したがってイジェはそれらの矢を防げば良いだけだ。
そしてメリエンヌ王国の艦隊の全てが回頭を終えようとするころ、イジェは更なる支援をする。
「おっ! 旗艦の交戦旗が! 後続も!」
「イジェ様は、我らの会話を聞いていらっしゃったのですね」
ポワズール伯爵とシュラール公爵は、再び感嘆の表情となる。
何と炎竜イジェは、アルマン王国の全ての船の交戦旗をブレスで焼き落としていた。マストや帆に傷つけることは無かったが、一瞬で交戦旗のみを消滅させた攻撃は、いつでも命を取れる、と宣言しているようであった。そのためだろう、後を追おうとしていたアルマン王国側の船足は明らかに鈍っていた。
「司令。イジェ様に『作戦成功、帰還を開始する』と」
「はっ! 通信手、イジェ様に『作戦成功、帰還を開始する』とお伝えしろ!」
シュラール公爵の命を受けた艦隊司令は、通信手にその内容を伝達する。すると通信手の一人が、ラッパを吹き鳴らす。これも『アマノ式伝達法』による信号だ。
実は、他の海域でも各艦隊が作戦行動を行っていた。そして、各艦隊には竜や光翔虎が一頭ずつ同行している。各艦隊は、彼らの念話が届く間隔で展開しており、互いの状況を知ることが出来る。例を挙げると、メリエンヌ王国海軍は、他に二つの艦隊が作戦行動中だが、そちらは海竜のレヴィとイアスが担当していた。
そのため、イジェに伝えておけば他の艦隊にも知らせが届くのだ。
「このまま押し込んでも良かったのでは?」
「アルマン王国にも機会を与えましょう。それに、シノブ殿も別の手を打っていますから」
アンリの問いに、シュラール公爵は苦笑しつつ答えた。
これだけの変事が起きれば、アルマン王国の国王達も軍務卿などの独断専行に気がつくだろう。そうすれば、何らかの対処をするのではないだろうか。シュラール公爵は、そう言いたかったのだろう。
そして彼らは、エリーズ号の進路である東に視線を向けなおした。遠く東のシェロノワにいる筈のシノブのことを思っているのだろうか、三人の上級貴族は天空に昇りつつある日輪に目を細めながら、真っ青な空を見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
二つの艦隊がガルゴン半島の西端付近を北上している。それは、カンビーニ王国の艦隊だ。
ここはガルゴン王国の領海であり、他国の軍艦が無断で通ることは出来ない。しかしガルゴン王国は、対アルマン王国の一大包囲網を形成するためカンビーニ王国海軍の通過を許可したのだ。
もちろん、これは平時ではありえないことだ。しかし、この艦隊を見た者がいれば、そんなことなど些事と思ってしまうかもしれない。
この地方の船にありえない速度で進む二つの艦隊は、それぞれ単縦陣を形成していた。というより、それ以外の陣形は取れないだろう。何故なら、艦隊を構成する軍艦は鎖で縦に結ばれており、それを曳いているのは海竜だからだ。
そう、二つの艦隊は帆や櫂ではなく、海竜の長老ヴォロスとその番ウーロの力で進んでいたのだ。
「しかし、本当に速いな!」
カンビーニ王国の王太子シルヴェリオは、これ以上は無いというくらいの朗らかな笑みを浮かべていた。彼がいるのは、艦隊の先頭に位置する船だ。そして舳先に近い甲板に立つ彼の前には、艦隊を牽引する海竜の長老ヴォロスがいる。
ヴォロスが曳くのは、錨を繋ぐための太い鎖だ。彼が咥える鎖はシルヴェリオが乗るカンビーニ王国海軍の旗艦マティルデ号に、そしてマティルデ号を経由して次の軍艦へと繋がっている。ウーロの方も同様だ。
そのため軍艦は帆を完全に畳んでいるにも関わらず、通常の倍以上の速度で航行している。一つの艦隊は十隻の軍艦で構成されているのだが、ヴォロスとウーロは曳いていることなど感じさせない速さでアルマン王国に向かっていた。
「はい」
「本当に凄いですね。これならもうすぐアルマン王国との境に着くでしょう」
シルヴェリオに応じたのは、彼の両脇に控えていた二人の護衛、虎の獣人ナザティスタと猫の獣人ロマニーノだ。王太子自らの出陣だから、親衛隊長のナザティスタや隊員のロマニーノが付き従うのは当然であろう。
「ああ。もうすぐ終わるのが残念なくらいだ」
獅子の獣人のシルヴェリオは、種族特有のふんわりとした髪を靡かせながら頷いた。王家特有の銀髪は、前方から吹き付ける風で後ろに大きく流れている。
「帰りもあります」
「そうですね! それに、海戦も楽しみです!」
寡黙なナザティスタは言葉少なく、若いロマニーノは戦いへの期待で顔を輝かせながら主に答える。
そして、彼らの後ろでは、大勢の軍人達が王太子と護衛達のやり取りに聞き入っていた。何しろ、船は海竜達が曳くに任せているのだから、乗組員達のすることなど、存在しない。せいぜい、鎖に異常が無いか見張る程度だ。
「ああ。しかし、我らの仕事が残っていると良いがな。シノブ殿なら、我らが着くまでに片付けても不思議ではないぞ」
肩を竦めつつ語る王太子に、控えていた者達は大笑いをした。何と、喜怒哀楽を示すことの少ないナザティスタですら頬を緩めている。
そして、後ろの陽気な空気が伝わったかのようにヴォロスは速度を上げ、ウーロも続いていく。この分なら、アルマン王国との境界に到着するまで幾らも掛からない。そう思ったのだろう、甲板に集う者達は一層笑みを深くしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
ガルゴン王国の艦隊を担当しているのは、光翔虎のメイニーとシャンジーであった。といっても、それぞれ別の離れた艦隊を受け持っており、二頭が集っているわけではない。
──王子様、東の皆さんもやってきたわ。ヴォロス殿からの連絡よ──
メイニーは、甲板の上にいる彼の国の王太子カルロスに語りかけた。もちろんカルロスは思念を理解できないから、咆哮を使ってである。
「おお、シルヴェリオ殿ですね! メイニー様、ありがとうございます!」
王太子カルロスは栗色の髪を揺らしながら、上空の光翔虎を見上げた。
ガルゴン王国海軍が担当しているのは自国の北西部、アルマン王国から見たら南東部の海域だ。そして、カルロスが指揮する艦隊は南側でカンビーニ王国の艦隊に近く、もう一つの艦隊が北のメリエンヌ王国、つまりイジェが担当する方に近い。
──シャンジー達は、ずいぶん暴れているようね。何でも、今までのお返しだとか──
「ナルシトス殿ですね……我が国は、アルマン王国の偽装商船に随分やられましたからね。深追いは禁物ですが、少しくらい報復させないと、兵達も納得しないでしょう」
カルロスは、苦笑をしながらメイニーに答えた。
北の艦隊は、偽装商船が暗躍していた海域を担当している。それに、先代ブルゴセーテ公爵ナルシトスは、戦に加わりたくて息子に爵位を譲ったようなところがある。その彼が、問題のあった海域を担当しているのだから、積極的になるのも当然だろう。
それにカルロスが言う通り、ガルゴン王国としてもやられっぱなしでは面目丸つぶれである。国の面子がどうこうという以前に、民や兵の怒りを収めるために必要なことなのだ。
──そうね……まあ、シャンジーも役に立っているようだから、心配いらないと思うわ──
「ありがたいことです。ダージ様達にもアルマン王国を探っていただいておりますし、光翔虎の皆様のご厚情には感謝の言葉もございません」
王太子が言うように、メイニーの両親を含む四頭はアルマン王国に潜入したままだ。彼らは、シノブの要請でグレゴマン達の暗躍を防ごうとしているのだ。
──これは、私達の戦いでもあるの。あの島には、バージさん達を苦しめた者がいるのだから──
そう言うとメイニーは上空に舞い上がり、北の方を見据える。高みに上がった彼女なら、アルマン島が見えている筈だ。それを思ったのだろう、甲板の上のカルロスは表情を引き締めた。そして彼もメイニーと同じ方角に向き直り、空に溶け込むような水平線を見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
──アルマン島に上陸です!──
──軍艦を運んできました!──
岩竜の子オルムルと海竜の子リタンの思念が、青空に広がっていく。もっとも、二頭がいるのは西のルシオン海ではない。ここはシェロノワの中央にあるフライユ伯爵家の館、正確に言うと、その庭である。オルムル達は、シノブが庭に作った池で遊んでいるのだ。
リタンの親であるレヴィとイアスは、アルマン王国包囲作戦に参加している。そこで、シノブはリタンをシェロノワに預かった。
しかしリタンは海竜である。水が無くても生きていけるが、あった方が良いに違いない。そこでシノブは、庭に池を拵えた。
そしてシノブが作った池には、二つの小島が存在した。オルムル達は、それをアルマン王国、つまり北のブロアート島と南のアルマン島に見立てて遊んでいるのだ。
──オルムルお姉さま、ブロアート島も押さえました!──
──リタンさん、軍艦を北に回しましょう!──
もちろん、炎竜の子シュメイと岩竜の子ファーヴも遊びに加わっている。空を飛べるようになったシュメイは少し小さな島の方に自力で舞い降り、ファーヴはリタンが曳く大きめのタライに乗っている。
なお、四頭とも体の大きさはファーヴに合わせて幼児くらいにしている。何しろ、池の半径は10m程しかない。そして、オルムルは3mを越えているしリタンは6m近い。したがって、元の大きさだと全員で遊ぶには少々手狭なのだ。
「ふはははは~、私が邪神の使い~、軍務卿マグロドンだ~!」
──そして私が邪神だ! って、どうして私が邪神の役なんですか~!──
小島にいきなり出現したのは、ミリィと光翔虎のフェイニーだ。
人族の少女に変じたミリィは両手を掲げながら悪党っぽく高笑いし、またもやマクドロンではなくマグロドンと口にしている。
そして憤慨気味のフェイニーは、オルムル達の倍くらいの大きさとなり後ろ足だけで立っていた。彼女はジャンケンで負けて悪役になってしまったのだ。
「オルムル達、楽しそうだね……さあ、各地の状況を聞こうか!」
庭の様子を、シノブは執務室の窓から微笑みと共に見つめていた。そして暫し和んだ彼は、表情と口調を改め室内へと向き直る。
「はい、シノブ様!」
シノブの前には、アミィを始めとする仲間達がいる。
アルマン王国にはまだ謎が多い。帝国の残党の陰にいるだろう彼らの神は、どこに潜んでいるかも掴めていない。それに力を貯めるといったグレゴマンには、使い魔に続く奥の手がありそうだ。
しかしシノブは心配していなかった。大勢の頼れる仲間達が助けてくれる。そして彼らと支え合えば、どんな苦難も乗り越えられる。そう信じているからだ。
これは若さ故の驕りかもしれない。逃れ得ぬ運命に遭遇したことのない若者の幻想と言う者もいるだろう。たとえば、愛妻を失ったという軍務卿のように。
だがシノブは、今感じているものに真摯に向き合いたかった。たとえ年長者にとって幻であっても、今の自分には確かな現実なのだ。ならば自分の信じる通りに生き、ぶつかっていくしかないだろう。
「それじゃ……」
シノブは、遠い西海に集った者達の顔を思い浮かべた。きっと彼らなら理解してくれるだろう。そう思ったシノブの顔には、窓から差し込む光のような温かく柔らかな笑みが浮かんでいた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年1月24日17時の更新となります。