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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第15章 神の代行者
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15.17 ドワーフ救出作戦 後編

 シノブ達は、アルマン王国の都市オールズリッジの地下工場からメリエンヌ王国の都市オベールへと転移した。オベールに滞在中のシメオンが、魔法の家を呼び寄せたのだ。


 先日の隠し港攻略以来、オベールでは捕らえた者達の取調べが行われている。対象は、二つの隠し港にいた作業員やガルゴン王国南方で拿捕した偽装商船団の乗組員など、五百名を超える大人数だ。そのためメリエンヌ王国側も、王領の各地から監察官を集めオベールに送り込んでいる。

 幸い、南方海軍元帥であるオベール公爵が治めるこの街には、軍事施設が多い。そのため、受け入れる場所は充分あった。

 オベールに軍事施設が多数存在するのは、三公爵の治める都市の中でオベールが最も国境に近いためらしい。現在カンビーニ王国やガルゴン王国は友好国だが、建国当初は何度か大きな衝突があった。そのためオベールは、南に備える要塞となったようだ。


 それらの施設は侵入や脱走が困難ということもあり、重罪犯の留置に使われることもあるという。今回のような大規模な事例は稀だが、捕らえた盗賊団の尋問などが行われるらしい。そこで、口の悪い者はオベールのことを監獄都市などと呼ぶそうだ。

 そして魔法の家が出現したのも、そんな別称に相応しい無骨で素っ気無い印象の建物の前だった。しかも今は深夜ということもあり、窓の少ない石造りの建物からは陰鬱な雰囲気すら感じられる。


「シメオン、こっちは魔道具技師達だ。魔力は多くないけど気を付けて」


 魔法の家を出たシノブは、捕らえた魔道具技師達をシメオンに指し示した。

 魔道具技師には、魔術師としての能力を備えた者もいる。もっとも、彼らの多くは魔力が少なく、攻撃魔術などは使えない。そのようなことが出来るなら、普通なら魔術師としての立身出世を狙うからだ。

 シノブが見たところ、今回捕らえた十名も魔力量は常人より少し多いくらいで、危険は少ないと思われる。しかし彼は、念のために注意を促しておくべきだと考えたのだ。


「ありがとうございます。催眠を使える魔術師を付けましょう」


 シメオンの言葉に、側に控えていた魔術師達が魔道具技師達へと駆け寄っていく。彼らは王領軍の軍人でもあるのだろう、魔術師ではあるが充分鍛えた体の持ち主であった。


「これで職人は全てですな。閣下、このままカルウィッチという町に?」


 マティアスが、シノブ達の下に歩み寄ってくる。彼はアルノー達からドワーフの職人についての報告を受けていたが、そちらは部下に任すことにしたようだ。

 カルウィッチとは、ドワーフの家族がいるらしき場所だ。魔道具技師達が漏らした言葉が正しければ、そこに残りのドワーフ達が囚われているらしい。

 ドワーフ達のうち、職人として働ける者は今回までで全て救出できたようだ。つまり、カルウィッチにいる筈の者達を助け出せば、シノブ達の行動を制限するものは無くなるわけだ。


「ああ。急がないと、どこかに移されるかもしれないからね。大丈夫だよ、グレゴマンはオールズリッジに現れた。だから、今ならカルウィッチは手薄な筈だ」


「その通りです! ここは一気に行くべきです!」


 頬を紅潮させたマティアスは、勢い込んで答える。夜遅くだが、辺りには灯りの魔道具も配されている。そのため、彼の顔が興奮に染まっていることは、シノブにもはっきり見て取れた。


「そのつもりだ。皆には悪いが、このまま作戦を継続するよ。こっちも引き続き待機してくれ」


「当然であります!」


 シノブの言葉に、マティアスは綺麗な敬礼と共に答えた。

 待機役のためだろう、彼の表情には少しばかり残念そうな色も浮かんでいたが、それは僅かなものであった。これで正面切ってアルマン王国と対決できる。その思いの方が大きいからだろう。


「シノブ様! 全員運び出しました! マリィの準備も出来ています!」


 アミィは魔法の家の戸口からシノブに叫ぶ。

 マリィはカルウィッチに先行している。彼女が転移に都合の良い場所を見つけたら、準備完了である。


「今行く! シメオン、マティアス、すぐに戻ってくるよ!」


 シノブもアミィに叫び返す。そしてシノブは配下である二人の子爵に手を振ると、魔法の家に駆け込んでいく。


「お帰りをお待ちしています」


「御武運を!」


 シメオンとマティアスは、温かな言葉と共にシノブを送り出す。

 文官のシメオンは胸に手を当てた優雅な仕草で、武官のマティアスは先刻と同じ凛々しい敬礼で。二人がそれぞれの仕草で見送る中、魔法の家は出現したときと同様に、忽然と姿を消していた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 闇の中に、目を閉ざしたシノブが立ち尽くしている。ここは、カルウィッチから少し北に離れた林の中である。

 そして彼の周囲を、一人の狐の獣人の少女とドワーフの少女の姿となった三人が囲んでいた。もちろん、アミィとドワーフに変じた金鵄(きんし)族のホリィ、ミリィ、マリィである。マリィも、新たな足環の力でドワーフの少女に姿を変えたのだ。

 ホリィやミリィと同じで、マリィもアミィより小柄だった。おそらく、本物のドワーフなら十歳未満であろうか。そのため彼女もホリィ達と同じく、アミィより頭一つ近く背が低い。


「……少し北の方かな。たぶん地面の下で、三箇所に分かれている。マリィ、北には何があるのかな?」


 目を開けたシノブは、町とは反対側、つまり北側に顔を向けた。

 カルウィッチは、ブロアート島にある小さな町だ。東に10km程行けば島で最大の都市ベイリアルがあり、そこからの大街道がカルウィッチを通って西に伸びている。したがって宿場町としての性格を持つが、あと少しでベイリアルという場所だけに、さほど栄えてはいないらしい。

 とはいえ、大街道があるから東西は(ひら)けている。それに南は多少離れているが海もあり、こちらにも多少細めの街道が存在した。だが、北には山が迫っており、人家は殆ど無いようだ。


「廃坑群です。それで私にはわからなかったのですね……」


 マリィは外見年齢とは異なる大人びた表情で、溜息を()いた。彼女は、よほど衝撃を受けたのか、肩を落としている。


 カルウィッチの北は、ブロアート島の中央山地の端である。中央山地は大陸の大山脈とは違って人が越えることも可能な上、多少の鉱物資源もあるらしい。もっとも、それらの量は少なく、掘り尽くしたところも多いようだ。おそらく町の北にある廃坑群も、そのようなところなのだろう。

 マリィ達の感知能力は、シノブに比べると範囲も精度も劣る。もちろん人間なら大魔術師でも及ばぬ能力なのだが、シノブのように都市全体を対象とすることは不可能だ。そのため、地下深くの坑道までは感知できなかったのだ。


「仕方ないですよ。まずは都市を中心に探っていたわけですし」


「そうです。さあ、行きましょう」


 アミィとホリィは、マリィを慰めた。彼女達は、マリィの肩に手を置いている。


「今夜は廃坑です~! ハイコ~、ハイコ~、です~!」


「ミリィ、それはハイホーに掛けたの? 確かにドワーフに合っているとは思うけど」


 シノブは、右手を突き上げて宣言するミリィの様子に苦笑した。すると、ミリィはシノブに微笑み返す。やはり彼女は、あの有名な歌を知っていたらしい。


「ともかく、廃坑まで急ぎましょう! イヴァールさん達も待っていますよ!」


──『光の使い』よ。我らの背に乗るが良い──


 アミィがシノブを急かすと、彼らの脇に二頭の光翔虎が出現した。ブロアート島を探っていたダージと彼の(つがい)のシューフである。二頭は腕輪の力で小柄な虎くらいに変じ、更に姿を消して待機していたのだ。

 今回は、ドワーフ達の居場所を確定した後にイヴァール達を連れて来ることにしていた。そのため、魔法の家は一旦オベールに戻している。

 カルウィッチの側といっても広い。現に、ドワーフ達がいるのは町から少々離れた廃坑だ。そこで、身軽に動けるシノブ達のみが先行したわけだ。

 何しろホリィ達は本来の姿に戻れば空を飛べる。それに彼女達には新たな透明化の魔道具があり、シノブでも感知は難しい。そして、光翔虎達も小さくなった方が魔力の漏れを抑えられる。彼らの姿消しは非常に高度で察知することは殆ど不可能だが、念には念を入れ人一人を運べる大きさに留めたのだ。


「それじゃ、頼むよ」


──任せろ!──


 シノブがダージの背に乗ると、彼はすかさず宙に舞い上がる。

 ダージとシューフは、飛翔の直前に姿消しを使ったらしい。そのためシノブの視界からは、アミィと彼女を乗せたシューフは消えていた。

 更に、ホリィ達の姿も本来の青い鷹に変じた直後に掻き消える。そして僅かに空気が動いた夜の林は、それまでの静けさを取り戻していた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 三箇所での救出は、問題なく終わろうとしていた。ヴォーリ連合国の大族長エルッキが作った該当者の一覧と、救い出した人数は一覧と合致したのだ。


「これで全員だな!」


「ああ!」


 嬉しげなイヴァールに、シノブも笑顔で答えた。

 王都アルマックで救い出したドワーフの少女メーリのように、他所に連れて行かれた者がいるのでは。そう案じていたシノブだが、杞憂(きゆう)であり残る全員が廃坑にいたのだ。

 今、最後の一人が廃坑の前に出した魔法の家に運び込まれていく。


「イヴァール殿、良かったですな!」


「おお!」


 アルバーノはイヴァールの肩に手を置いて微笑んだ。対するイヴァールも、大きく顔を綻ばせて応じる。

 メーリを救出したのはアルバーノだ。軍務卿ジェリール・マクドロンの第二夫人ルーヴィアは、魔力を吸い出す実験にメーリを使ったらしい。そのため救出したときの彼女は、激しく衰弱していた。

 そしてアルバーノはメーリを直接見ているだけに、強く案じていたのだろう。


──ここでも多少実験していたみたいだけど、命を奪うまでは至らなかったようだね──


──おそらく、人数が限られているからでしょう。それと、後々ヴォーリ連合国の方が会いたいと言ったときに、困ると思ったのかもしれませんね──


 喜ぶ二人に微笑みつつ、シノブはアミィと思念を交わしていた。流石にイヴァールの前で、実験について触れたくなかったからである。


 職人以外の者、つまり廃坑に監禁されていたドワーフ達は大半が女性であり、残りは十歳未満の子供であった。そしてドワーフ達は、シノブが感知した通り三つの廃坑に閉じ込められていた。

 ドワーフ達は『隷属の首輪』を外したため気絶しており、直接話を聞くことは出来ない。しかし廃鉱には魔術師達が使っていた部屋らしきものも存在し、そこには多少の記録が残っていたのだ。


──あまり魔力を吸い出せなかったから、実験を中断したようですね──


──確かに、魔力は人族の方が多いものね──


 ホリィとマリィも、シノブ達と同様に思念だけで会話をしている。なお、ホリィ達は再びドワーフの少女に変じていた。おそらく、手が使える方が記録を調べるのに都合が良いからだろう。

 既に魔術師達は調査を終えたらしく、残っていたのは走り書きや書き損じのようなものであった。だが、断片的な記述からすると、ここでも魔力の吸収を試していたようだ。

 そしてホリィが触れたように、ドワーフ達から魔力を吸収しても、あまり多くは得られなかったらしい。そのため、人質でもあるドワーフ達を減らすことは避けたのだろう。


──あのマグロドンの女吸血鬼は、ヘンタイだったってことですね~──


 ミリィは、少し頬を膨らませ腕組みをしている。小柄なドワーフの少女がそんな仕草をすると、どこか微笑ましい。そのため、周囲を忙しく行き来しているフライユ伯爵領軍の兵士達の顔も綻んでいる。


──そうかもしれませんね。それとミリィ、わかっていると思いますがマクドロンですよ──


 ミリィの憤慨気味の思念に、ホリィが答える。

 軍務卿の姓はマクドロンなのだが、ミリィはマグロドンという言葉が気に入ったらしい。そのため彼女は、時折あえて間違った名を口にするようだ。


「閣下、警備の兵士も全て捕らえました。それに、物品の回収も終わっています」


「よし、撤収だ!」


 駆け寄ってきたアルノーの言葉に、シノブは大きく頷いた。

 これで、ドワーフ達の救出は完了した。もう、遠慮なく戦える。それらの思いがシノブの返答に篭っていたためだろう、周囲の者達の顔も強い決意を表すかのように引き締められていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「お父さん……お母さん……それに、お爺ちゃんにお婆ちゃん……良かった!」


「ああ!」


 朝日に照らされる室内に、二人のドワーフの声が響く。それは、アルバーノが助けた少女メーリと、彼女の兄のヴィヒトの喜びの声である。

 二人は自身の家族、つまり父母や祖父母と再会したのだ。


 ここは、シェロノワの治療院だ。

 シノブは、最後に救出したドワーフの職人達と廃坑で助けた家族達を、オベールからシェロノワに移していた。ドワーフ達は合わせて百名を超えるが、激しく衰弱した彼らを回復させるのは都市オベールの治癒術士では無理がある。そこで、シノブが自領に引き取ったのだ。

 シノブの魔力は桁違いだし、アミィやホリィ達でも人間の魔術師とは比較できない大きな魔力を持つ。実は、都市オベールの治癒術士全員を集めたよりも、シノブ一人の方が多くの魔力を持つのだ。おそらく、アミィ達四人でも同じだろう。


「さあ、側に行って」


 シノブは、メーリとヴィヒトの肩を押す。一眠りしたシノブは、ドワーフ達の様子を確かめに治療院に赴いたのだ。

 シノブは、朝一番でセランネ村にいる大族長エルッキを連れて来た。通信筒で作戦の成功は伝えてはいるが、シノブは、実際に確認してもらうべきだろうと思ったのだ。

 もちろん大喜びのエルッキが断るわけもなく、彼を含む一団が魔法の家でシェロノワに訪れた。そして、来訪した一団には先に救出され故国に戻った者も含まれていた。ヴィヒトも、その一人である。


「ええ。お父様達が待っていますよ」


「そうよ! ほら、メーリ!」


 シノブに続いたのは、シャルロットとイヴァールの妹のアウネである。アウネは、メーリの介助役として同行していたのだ。

 なお、アミィやホリィ達は、それぞれ別の部屋で診察をしている。治療院には、シノブ達が今いるような入院患者のための部屋が何十もあり、そこには救出したドワーフ達が数名ずついる。そのためアミィ達は、それらを手分けして周っている。


「……はい! お父さん! お母さん!」


 大粒の涙を浮かべたメーリは、駆け出そうとしたが、よろけてしまう。

 メーリは一日前に助け出されたばかりだ。当然ながら、完全に復調したわけではない。治療院にも、兄のヴィヒトに抱えられて来たくらいである。

 なお、兄のヴィヒトは救出されてから、一週間は経っている。彼は、最初に救出された若い見習い職人の一人だ。若い彼は一週間で完治したらしく、足取りもしっかりしている。


「メーリ、無理するな!」


「まだ走ったら駄目よ! ほら、ゆっくりと!」


 ヴィヒトとアウネは顔色を変えメーリを制した。そして二人は肩を貸す。

 実兄のヴィヒトは当然だが、アウネもメーリを親身に世話している。どうも、アウネは一つ年下のメーリを庇護すべき対象と思ったようだ。もっとも、十二歳のアウネと十一歳のメーリは、どちらも人族なら八歳から七歳くらいの身長であり、当然ながら大きな差は無い。


「メーリ……ヴィヒト……」


 子供達の声に気がついたのか、ベッドの上に横たわっていた中年男性のドワーフが、僅かに顔を入り口の方に向け(ささや)くような微かな声を発した。彼が二人の父でブラヴァ族の名職人でもあるイルモ・ラウリ・ブラヴァだ。


「二人とも、無事だったのね……」


 隣の女性が体を起こしてメーリ達を見る。こちらは母のサイラである。女性達に使われたのは簡易版の『隷属の首輪』で、男性ほどは衰弱していなかったのだ。

 職人である男衆には、強く支配するためか戦闘奴隷用の首輪が()められていた。しかし女性は帝国の村々で使われた行動制限だけの首輪だから、消耗が激しくないのだ。


「お母さん!」


「シノブ様……爺様と婆様は大丈夫だろうか?」


 メーリが母に飛びつく中、父の手を握ったヴィヒトは眠ったままの祖父母に顔を向ける。この部屋にはイルモと妻、そして彼の両親がいるのだが、奥の二人は目を覚まさないままだったのだ。


「大丈夫だ。もう少しすれば目を覚ますよ」


 四人に近づき回復魔術を使ったシノブは、ヴィヒトへと頷いてみせる。

 シノブは『隷属の首輪』から解放した者達を数多く見てきたし、治療もしてきた。そのためシノブは、ヴィヒトの祖父母が一時間もすれば目覚めるだろうと感じたのだ。


「シノブの見立てに間違いはありませんよ」


 シノブの力強い言葉に、シャルロットも優しい笑みで続く。

 今日のシャルロットは、普段に増して明るく慈しみに満ちた笑みを浮かべていた。そのためだろう、シノブには緩やかに波打つプラチナブロンドを青のドレスへと流す妻が、彼女の母のカトリーヌと重なって見えていた。


「そ、そうか……この恩はきっと返す。俺の髭に誓ってだ」


 ヴィヒトは、自身の髭に手を当てながら答える。

 ドワーフ達は、他の種族のように言葉を飾らない。そのため、ヴィヒトの言葉は家族全てを助けた相手に対する礼としては、素っ気無さ過ぎるものであった。

 その上、まだ十六歳の彼もドワーフの男性らしく黒々とした豊かな髭を蓄え、顔の大半は隠れている。そのため端から見たら彼がどう思っているか判断し難いかもしれない。


「わかった。覚えておくよ」


 だが、イヴァールを友とするシノブは、ドワーフ達のことを良く理解している。

 ヴィヒトの仕草は、ドワーフの命を懸けた誓いである。ドワーフの男性にとって、髭はとても神聖なものだ。髭に手を当てての言葉を違えるような者は、追放刑となっても仕方ないのだ。

 それを知っているシノブは、ヴィヒトの肩に手を置きながら真剣な表情で応じた。そしてシノブは、この素朴で温かな彼らを、(だま)して隷属させた者達への怒りを新たにする。


「……君達は暫くここにいるだろう? 俺達は、他を周ってくるからゆっくりしてくれ。戻るときには声を掛けるよ」


 シノブは、そう言い置いて歩き始める。彼は、感動の再会を邪魔したく無かったのだ。


 メーリは母のサイラに抱きつき啜り泣いている。そして身を起こしたサイラも、娘を抱きしめながら静かに涙を(こぼ)している。

 しかもアウネまで、二人を包むかのように重なっていた。彼女は再会した母娘が二度と離れることのないように願っているのだろう、小さな体の全てでメーリとサイラを抱擁している。


 一方のヴィヒトは、誓いの間も父イルモの手を離さなかった。もちろん、今も同じである。そのためだろう、イルモも己の家族が全て助け出されたことが夢ではないと理解したようで、横たわったまま頬を濡らしていた。

 イルモは滂沱(ぼうだ)の涙を流していただけではない。彼は息子に僅かに遅れ、自身の髭に向けて手を動かしていた。まだ言葉を発することも(つら)そうな彼は、息子の誓いどころかシノブの返答が終わった後に、ようやく己の髭に手を当てた。そしてイルモは、殆ど聞き取れない声で報恩の宣言をしたのだ。


 それらに接したシノブは、不覚にも涙を(こぼ)しそうになった。それ(ゆえ)彼は、後ろを振り向かず足早に病室を後にする。

 そしてシノブの内心を察したのだろう、シャルロットは僅かに目礼すると何も言わずに夫に続いていく。彼女の右腕は、シノブの左腕を優しく包み込んでいた。それは、怒りに燃える夫の心を静めるかのような、愛情に満ちた情景であった。

 ヴィヒトは、そんな二人の姿に心を打たれたのかもしれない。彼も言葉を発しないまま、深く頭を下げたのみで二人を見送っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 割り当ての全てを周った後、シノブとシャルロットは治療院の最上階にある部屋に移動した。そこは、領主など特別な者が来たときのみに使われる部屋だ。いわば、領主専用の応接室である。

 まだアミィ達は治療中らしく、部屋には二人だけだ。そこで、シノブとシャルロットは部屋の窓から外を眺めていた。


「シノブ。皆さん、とても喜んでいましたね」


「ああ。助け出せて本当に良かったよ」


 シャルロットの柔らかな声に、シノブはなるべく穏やかに聞こえるように答えた。

 救出した者達は衰弱こそ激しいものの、シノブの見立てでは充分に時間を置けば元通りに回復する筈だ。そのことは、シノブの心に大きな安堵を(もたら)してくれた。


 とはいえ、シノブが受け取ったものは安堵だけではなかった。

 ドワーフの男性達は半数ほどが意識を取り戻していた。しかし目覚めた彼らは、イルモと同じく言葉を発することも難しいようだった。これは、戦闘奴隷と同等の『隷属の首輪』を装着されたからだ。

 だが、そんな不自由な状態であるにも関わらず、彼らの全てが満足に動かぬ体で髭の誓いをした。言葉が出ぬ者は仕草だけ、手足が動かせぬ者は何とか声を振り絞りと、シノブ達が後で良いと制しても、彼らは今現在の全てを使って宣言をしたのだ。


 そして再会を喜ぶ女性達の涙も、シノブにとって大きな贈り物であると同時に、戦いへの決意を強めるものだった。

 シノブは、グレゴマンを始めとする帝国の残党や、彼らと組む軍務卿達と早期に対決しようと考えていた。ドワーフ達の心を踏みにじり従えた彼らが、再び同じようなことを(くわだ)てるかもしれないからだ。

 ドワーフ達は解放したが、アルマン王国には七十万人を超える民がいる。そして帝国の残党や軍務卿達は、アルマン王国の民を次なる対象とするかもしれない。実際に軍務卿達は、グレゴマンが自国の西で密かに人を襲っているのでは、と疑っているらしい。

 アルバーノが潜入して得たグレゴマンの暗躍に関する噂は、シノブに強い衝撃を与えたのだ。


「焦りは禁物です。(いくさ)では決断の早さが求められます。進むか退()くか迷っている間に全てを失うこともあるのですから。ですが、焦りは判断を曇らせます。決断しないのも過ちですが、誤った決断も同じように敗北を招きます……お爺様の受け売りですが」


 シャルロットは、いつの間にかシノブに顔を向けていた。そして彼女は最前と同じ柔らかな声音(こわね)で、祖父である先代ベルレアン伯爵から授かったという教訓を口にした。


「シャルロット……」


「貴方が、より多くの人を救いたいと思っているのは承知しています。私も出来ることなら、そうしたいですから。ですが、貴方を支えに生きている者は沢山いるのです。私も、そしてこの子も……」


 シャルロットは、自身を見つめ返したシノブに微笑むと、自身のドレスの前をそっと撫でた。そこには、新たな命が宿っている。シノブとシャルロットが誕生を待ち望む、彼らの子供である。

 もちろん、ドワーフ達の再会を喜んだシャルロットだ。自分達だけの幸せを優先するようなことは無いだろう。

 しかし全ての者を幸福にすることは、たとえ神々であっても出来はしない。ましてやシノブは人である。隔絶した力を持っていても、一つ判断を過てば命を落とすだろう。そうなれば、シノブが庇護する者達は、どうなるのか。彼女が言いたいのは、それだろう。


「ありがとう。俺の命は、俺だけのものではないんだね。そして、ここで俺が倒れるわけにはいかない……気を付けるよ」


「その言葉、とても嬉しいです」


 シノブは、シャルロットを優しく抱きしめた。そしてシャルロットも、夫の抱擁を待っていたかのように、シノブの胸に顔を伏せる。

 シャルロットが与えてくれる温もりは、彼女に宿る命の鼓動をもシノブに伝えてくれるかのようだった。もちろん、まだ子を宿して二ヶ月の彼女から、胎動を感じることは無い。しかしシノブは、魔力感知など使わなくても、小さな小さな我が子の存在を感じていた。

 それは、単なる幻想かもしれない。だが、シノブにとっては確かなものだ。妻の思いを通して、まだ見ぬ命の応援が伝わってくるのだ。それは、言葉や思念などではない、家族の絆であった。

 シノブも、その絆を通して己の思いを届けようとする。そしてシノブの思いはシャルロット達に届いたのだろう、彼女は一層シノブに寄り添ってくる。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「シノブ様~、終わりました~!」


 温かな静寂を破ったのは、独特の暢気(のんき)声音(こわね)であった。それは、金髪碧眼の人族に姿を変えたミリィが発したものだ。

 ドワーフで治癒魔術を使える者など殆どいないから、今回ミリィ達は人族の姿になっていた。彼女達の姿はドワーフのときと同じく十歳にも満たない少女であったが、それでもドワーフのままよりは不信感を(いだ)かれないと考えたのだ。

 それはともかく、いきなり扉を開けた彼女は、そのまま駆け込もうとしたようだ。しかし彼女は、扉を押し開けたまま動きを止める。


「ミリィ、どうしたのですか?」


「何だか様子がおかしいですね」


「何か変なものでも見たのかしら?」


 扉の外から、アミィとホリィ、それにマリィの声が響く。ミリィは廊下を走っていたようだが、こちらは普通に歩いているのだろう、少し距離があるようだ。


「お邪魔虫でした~。新婚さん~、さようなら~」


 そう言うと、ミリィはゆっくりと扉を閉めていく。彼女はシノブとシャルロットに遠慮したようだが、それでも二人の姿から目が離せないらしく、頬を染めつつシノブ達を見つめている。


「ミリィ、遠慮しなくても良いんだよ。入っておいで」


「そうですよ、アミィ達もいらっしゃい」


 笑顔のシノブとシャルロットは、肩を並べて扉へと向かっていく。その姿は、幼い妹の悪戯に苦笑しつつも可愛らしく思う兄と姉のようでもあり、愛らしくも早熟な我が子を迎える若夫婦のようでもあった。


「新婚さんがいらっしゃいと言ってくれました~」


 そんな二人の様子に安心したのか、ミリィは再び扉を開け始める。

 ミリィの両脇には追いついたホリィとマリィが並び、その後ろにはアミィもいる。アミィは狐の獣人でオレンジがかった茶色の髪ということもあり、少々印象が異なるが、手前の少女達は全員が金髪碧眼で顔もそっくりである。そのためまるで三つ子が並んでいるようであった。


「シノブ、妹達が増えましたね」


「ああ。家族が増えたから、ますます頑張らないとね」


 四人の少女達の側で、シノブとシャルロットは、再び寄り添った。

 焦らず、支えてくれる者を信じて、着実に。そして一度決断したら迷わず。妻の伝えようとしたことは、そういうことだろう。シノブは、己の心に浮かんだ思いを確かめるように、シャルロットの肩を(いだ)く。そして彼は、自身を支えてくれる者達を、暖かな朝の光が舞う室内へと(いざな)った。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年1月22日17時の更新となります。


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