15.12 森に住む人々 中編
デルフィナ共和国は、様々な点で他国と異なっている。大きな違いは、国民がエルフだけである点、他国との交流を殆ど行っていない点だ。
単一種族であり君主制ではないのは、ドワーフ達の国であるヴォーリ連合国と共通している。しかし、ヴォーリ連合国は他国と活発に交易をしており、またごく一部ではあるが外国にも住んでいる。それに比べ、デルフィナ共和国以外でエルフを見ることは今まで皆無であった。
最近でこそ、フライユ伯爵領にメリーナ達三人のエルフが住んでいるが、それまでは外国に定住する者など何百年もいなかった。そのため、ごく最近までエルフを見たことのある者など、デルフィナ共和国と隣接するメリエンヌ王国の極めて一部の者だけであった。
「……もっとも、昔はもう少し交流があったようです」
炎竜イジェが運ぶ磐船の甲板でシノブとアミィに語っているのは、エルフの娘メリーナだ。船縁から見下ろすメリーナの視線の先には、デルフィナ共和国の大森林が広がっている。
そう、既にシノブ達はデルフィナ共和国へと入っているのだ。彼らが目指しているのはデルフィナ共和国の首都デルフィンだが、シノブ達が住むシェロノワからは700kmほどもある。しかし彼らは光鏡による連続転移を使ったため、移動に掛かった時間は僅か三十分程度である。
「今から六百年以上前のことだね?」
メリーナと同じく前方の森を見つめるシノブは、そのまま顔を動かさず彼女に問いかけた。アミィを含めた三人は、空から首都デルフィンを探しているのだ。
転移を使っての移動は速さこそ桁違いだが、うっかりすると目標地点を飛び越してしまう。
シノブは光鏡を10km遠方までなら操作できる。そのため光鏡を潜り抜けての転移も10kmごとであり、しかも転移と転移の間の飛翔は僅かである。したがって、ある程度近くに寄ったら通常の飛翔に切り替えることになる。
「はい。まだ今のような国が出来る前のことです。ですが、私達は色々な意味で目立ちますから」
メリーナは、極細のプラチナブロンドを風に靡かせながら頷いた。
ストレートの透けるような金髪に緑の瞳と色の薄い肌、そして細く長い耳。彼女に限らず、ほぼ全てのエルフは、このような容貌である。そして、彼らの多くはほっそりとした美男美女だ。そのため過去に各地にいたエルフも、さぞかし注目されたことだろう。
「魔術も得意ですし、寿命も長いですからね」
アミィは、エルフの種族特性を挙げた。
この世界の人間は、人族、エルフ、ドワーフ、獣人族の四種族に分かれている。そして、四種族で最も魔力が多いのがエルフだ。彼らは殆どの者が、人族なら最優秀の魔術師に匹敵するか上回る魔力を持っていた。
魔力の多い生き物は、通常寿命が長くなる。そのため、エルフは他より長い寿命を持ち、平均でも二百五十年、長命な者は三百年以上も生きる。
そのため、遥か昔のエルフ達は、魔術師として他には出来ない働きをしたり、長い生で蓄えた知識で特別な地位に就いたりすることが多かったらしい。
「ええ。ですが、良いことばかりでも無かったようです。隔絶した力や寿命は、時に誤解され恐れられることもあったと聞いています。それに、戦争などに駆り出されることも多かったとか」
森を見つめるメリーナの表情は、憂いを含んだものであった。
魔力の多いエルフは、その分若い時間も長い。例えばメリーナは三十代後半だが、他種族でいえば十代後半に相当する。彼女の両親は百歳を優に超えているが、やはり他種族に当てはめれば三十代半ばである。そのため、何とかして長寿を得ようとする者からすれば、羨望の対象であっただろう。
そして、現在の国々が成立する前は都市国家や集落同士での戦いが多い混乱期であったという。したがって、魔力が多いエルフは戦場での活躍を期待されたようだ。
おそらく、エルフが他の種族と距離を置いて同族のみで固まった理由は、それらなのだろう。
「だから、現在のデルフィナ共和国に集まったと?」
「元々、エルフは森の多いこの地に集中していたそうです。エルフは、森の女神アルフール様の力を得た者達ですから。私達の間では、アルフール様の眷属が地に降りてエルフになった、と伝わっています。もっとも、それが本当かは疑問ですが」
シノブの問いを受けたメリーナは、僅かに首を振った後、苦笑と共に答えた。どうやら、彼女は伝説を信じてはいないらしい。
この世界の人々は神々が存在すると信じているし、実際に創世期には神や眷属が地上に降臨し人間達に様々な知識を授けたという。したがって、伝説の類であっても、事実として信じている者も多い。
しかも、それが自身の祖先は神の眷属であったというものであれば、頭から信じる者が多いのではないだろうか。そう思ったシノブは、メリーナの返答を意外に感じた。
「どうしてそう思うのですか?」
アミィは、どことなく興味を含んだ声音で問いかけた。彼女はアムテリアの眷属である。そのため、何故メリーナが伝説に疑問を抱いたのか、よけいに気になったようだ。
「私達だけが神々の眷属ということは無いと思うのです。もしエルフがアルフール様の眷属なら、他の種族も神々の眷属だった筈です。
それに、神々の眷属には聖人として私達を助けに来てくださった方もいます。ですが役目を果たした聖人達は、神々の世界にお戻りになったと伺っています。ですからエルフを助けた眷属がいらっしゃっても、この地に残ることは無いのでは、と」
メリーナにも確信は無いらしい。そのせいか、答える彼女の顔には僅かな笑みが浮かんでいた。
「なるほど……でも、そういうのを信じている人も多いんだろうね」
「ええ。私達は良く言っても保守的、率直に言えば閉鎖的ですから。他種族と交流する必要が無いという長老には、我々は特別な存在だからと言う者も多いのです。シノブ殿も、気を付けてください」
メリーナは、少々気恥ずかしげな顔をシノブに向けた。
彼女は、最近になってシノブを名前で呼ぶようになっていた。といっても、シノブを男性として意識したわけではなく、ここ暫くの交流で親しみが増しただけのようだ。それでも以前は爵位でしか呼ばなかったのだから、大きな違いではある。
「長く生きる分、昔のことも良く覚えているんだろうね。こちらは大昔のことと思っていても、エルフの方からすれば、そうじゃない……ありがとう、気を付けるよ」
シノブはメリーナへと顔を向け、彼女に礼を伝えた。
デルフィナ共和国が成立したのは今から六百年近く前、創世暦405年である。創世暦450年に建国したメリエンヌ王国の王が現在二十代目であるように、エルフ以外の種族からすれば遠い過去の出来事だ。
しかし三百年以上生きる者もいるというエルフである。最高齢のエルフなら、子供の頃に当時を直接知る者の話を聞いたかもしれない。もし、そうであれば遥か過去のことであっても簡単には薄れないだろう。
「会議に参加するのは、族長と長老衆だったね。そういう人は、やっぱり昔のことも良く知っているんだろうね」
族長会議に出席する面々を説得するのは、やはり楽では無さそうだ。シノブは、そう感じていた。会議に乗り込む直前に、こんなことをメリーナが言うのは注意を促すためだろう。そうでなければ、わざわざ自身の種族の内情に彼女が触れることも無い筈だ。
「はい。決定権を持つのは各部族を率いる族長ですが、長老達の意見は尊重されます。族長はさほど頑迷でもありませんが、長老は……それに、どちらも女ばかりです」
エルフは男女平等であるが、母権社会でもある。そのため政治に参加するのは殆ど女性で、多くの男性は狩猟や農業などに従事するらしい。この辺りも、他の国と大きく違うところである。
なお、現在の族長と長老衆はメリーナが言うように全員女性らしい。したがって、本来は配偶者などの女性を伴った方が良いのかもしれない。
◆ ◆ ◆ ◆
──シノブの兄貴~! こっちです~! もうすぐ兄貴達からも見えますよ~──
「……おっと、シャンジーから連絡があった。やっぱり、この方向で良かったようだね。そろそろデルフィンが見えるらしいよ」
シノブは、再び前方へと顔を向けなおした。
光翔虎のシャンジーは、デルフィナ共和国の首都デルフィンを知っていた。光翔虎は姿を消せるから、エルフ達に悟られることなくデルフィンに接近して観察したことがあるらしい。優れた魔術師であるエルフ達であっても、姿消しを使った彼を察知することは出来ないのだ。
まだ百歳くらいで光翔虎としては若いシャンジーだが、聖獣として崇められる存在だけはあるらしい。
「あっ、あれですね!」
アミィが指差す方向には、森の中に微かな切れ目があった。それは大きな円を描いている。どうやら人工的な何かで森が区切られているようだ。
今まで通り過ぎた場所にも幾つかの集落があったし、それらも周囲に堀や柵を造っていた。しかし、それらとは桁違いの規模だ。おそらく、それまで目にしたものの十倍以上、最低でも直径1kmはあるに違いない。
それに、巨大な円の周囲には所々に畑らしい切り開かれた場所もあった。おそらく、それは大集落を支える農場なのだろう。もちろん、それらの数や規模も、これまで見たものとは全く違う。
「はい、あれがデルフィンです!」
円の中にも大木が多く、内部がどうなっているか上空からは判然としない。しかし、この規模の大集落は他にデルフィナ共和国に無いらしい。そのためだろう、メリーナも自信ありげな様子でアミィの言葉を肯定していた。
──それでは、あの円の中心に向かいますね──
シャンジーの思念は、磐船を運ぶイジェなどにも聞こえている。そのため彼女は進路を僅かに変えていた。そして待ちきれなくなったのか、飛翔が出来るオルムル、シュメイ、メイニー、フェイニーが磐船から飛び立った。
ちなみに飛翔できないファーヴはといえば、シャンジーの背の上である。ファーヴを弟分としたシャンジーは、その代わりにしっかり面倒を見ているのだ。
シノブは、竜と光翔虎の間に芽生えた男の友情を思い、思わず微笑んでいた。種族と年齢は大きく違っても、やはり男同士である。シャンジーとファーヴは、僅かな間に強い絆で結ばれたらしい。
「どうしたのですか?」
急に笑みを浮かべたシノブを、アミィが怪訝そうな表情で見つめている。それに、メリーナもだ。
「いや……竜と光翔虎だって仲良く出来るんだ。エルフも大丈夫だよ」
シノブの言葉に、アミィとメリーナも顔を綻ばせた。
人よりも長い時を生き、それに相応しい高度な知性を持つとはいえ、竜と光翔虎は全く違う種族である。その彼らが友誼を結べるのに、同じ人間であるエルフと理解しあうことが出来ないわけがない。
シノブは、自身の言葉を反芻しながらエルフの大集落を改めて見つめた。他の都市とは違い自然を上手く活かした街造りをしているのだろう、空から見るデルフィンは何となく安らぎを感じる街であった。
巨木の間を縫う曲がった道や広く間を空けた建物は、木々の邪魔をしないように配慮した結果だろう。近くを流れる大河から支流を引き込んだのか、元々川のある場所だったのか、集落の中には日の光に輝く水路もある。そして大集落の周囲には、やはり綺麗な水が湛えられた堀があった。
「綺麗な街だね……水と木があって……自然と調和した素晴らしい場所だ」
シノブは、自然と寄り添いながら生きるエルフ達の姿を水の都に見たような気がしていた。
森を愛するエルフの街は、彼らに相応しく建物も木を使ったものであった。大森林の中という立地もあり、素材である材木には事欠かないのだろう。
デルフィナ共和国は、殆ど全てが森であり、それは長く生きるエルフに相応しい巨木の聳える場所である。そして豊かな自然は、集落の建物や柵などを造ったくらいでは揺らぎもしないのだろう。それとも、森と調和して生きるエルフが、適切な伐採をしているからであろうか。
高度を下げていく磐船の中、シノブの心は浮き立つような思いで満たされていた。それは、これから会うエルフ達への期待なのだろう。そんなシノブの心の内が伝わったのか、アミィとメリーナも彼と同じく笑顔で磐船の進む先を見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は、首都デルフィンの中央にある一際大きな建物に案内された。それこそが、族長会議の行われる場所、中央議事堂である。
なお、首都とは言うもののデルフィンに首長はいない。各部族の長が集まって国の方針を決するからだ。つまり、完全な合議による国家運営である。
デルフィナ共和国には六つの部族があり、それぞれ別々の地域に集落を作っている。各部族の長は定期的、あるいは今回のように何れかの族長の要請でデルフィンに集まり会議を開き、国を左右する事案について話し合うのだ。
このような政治体制で問題が出ないのは、何百年も鎖国をしているからのようだ。要するに、国家として外部と関わりが無いため、頻繁に話し合う必要は無いらしい。
しかも、各部族の中については完全にそれぞれに任されている。そのため全体で相談することといったら不作や疫病のときの協力や融通くらいだが、温暖な地で作物はよく育つしエルフは回復魔術も得意である。したがって、そのような凶事も稀だという。
どうやら、それらと長命なエルフの種族特性が合わさって、緩やかな合議制が続いてきたらしい。だが、それでは急激な変化に対応するのは難しい。
そのためだろう、シノブはアルマン王国の動きや各国の対応を細かに伝えたが、族長や長老達の反応は芳しくなかった。
「……私がお伝えしたいことは以上です」
シノブは、反応の鈍さを残念に思いつつ、説明を終えた。ここは、中央議事堂の大会議場だ。族長会議で発言できるのは族長と長老だけだが、傍聴は多くの者が出来る。そのため大会議場には、多くの傍聴席が設けられていた。
そして会議場の中央に据えられた木製の巨大な円卓には、シノブと六人の族長達が着いていた。更に、シノブの背後にはアミィとメリーナが、各族長の後ろにはそれぞれ二人か三人の長老が座っている。
ちなみに、族長に長老、そしてシノブ達も含め一同が腰掛けるのは、全く同じデザインの木製の椅子である。それは、繊細な彫刻の施された上等なものだが、シノブはどこか座り心地の悪さを感じていた。何故なら席に着いているもので男性はシノブだけだったからだ。
「私達の国に危険が迫っているかもしれない、というのは理解しました。ですが、いつ来るかも定かではない相手に過度な警戒をするのは如何なものでしょうか?」
「フェオドラ殿の言う通りです。
私達は今までのやり方を変えたくは無いのです。私達は、他の種族とは違い長命です。他国に友を作っても、同じ時を生きることは難しい。それに、言いたくはありませんが長く生きる私達を妬む者も出るでしょう」
エルフの族長達は、どことなく硬い表情でシノブに答えた。
族長達は、何れも人族なら五十代から六十代に相当する女性だが、実年齢は二百歳前後である。しかし髪こそ白髪に近い薄い金髪となっているが、容貌の衰えは少ない。
ちなみに、メリーナの祖母でありアレクサ族の族長であるエイレーネは、六人の族長の中で最年少らしい。もっとも、彼女ですら百八十歳を超えており、上は二百二十歳くらいだという。
彼女達は草木染めらしき渋い緑色の簡素な服を着ているが、族長という立場故か、他とは違う美麗な首飾りを着けていた。
おそらく木を使っているのだろう、首飾りは彼女達が体を動かすと軽やかな音を立てる。首飾りを形作る管は華やかに彩色され、随所に繊細な模様が刻まれた綺麗な石か貝殻らしきものが嵌まっている。
そのため素材の価値はともかく、随分と手の込んだ希少な品であることは間違いない。
「シノブ殿。そなたは素晴らしい力の持ち主じゃ。しかし長い歴史で築かれた仕来りにも、理解を示してほしいものじゃ」
「その通りじゃ。パルテニエが言うように、我らは他とは違うのじゃ。アルフール様の眷属を祖先とする我らはの」
こちらは長老衆である。彼女達は族長より一世代か二世代は上で、人族なら七十代から九十代、実際には二百五十歳から三百歳近い女性達だ。こちらも族長ほどではないが、人目を惹く首飾りを身に着けている。
彼女達は、決してシノブを軽んじているわけではないらしい。シノブが竜や光翔虎を友にしていることは、事前にエイレーネから他の族長達に伝えられていた。それに帝国との戦いや、その後の各国での出来事もだ。この辺りは、メリーナが祖母に細かく報告していたのだ。
しかし、何百年も他国と交流しないで過ごしていた過去と、他より長く生き魔力も多いエルフという自負が、族長や長老衆を保守的にさせているようだ。
「ですが、万一アルマン王国の者達が来たら、そして彼らの正体を知らずに接したら、エルフの皆さんでも危険です。隷属の魔道具や異形に変える秘薬は、皆さんでも対抗できないと思います」
シノブは、どう伝えるべきか悩んでいた。
相手は女性であり、しかも自分より遥か年上の者達だ。そのため、声を荒げたり実力行使したりするつもりは毛頭無い。しかし相手は二十人以上で、しかも少々固定観念に縛られているようだ。そのためシノブは、言葉だけで説得することは難しいと感じていた。
「そうです。隷属は竜の皆様でも、そして秘薬は光翔虎の皆様でも抗うことは出来なかったと伺っています。もしアルマン王国の者達が漂着でも装って接近したら、騙されて首飾りなり薬なりを受け取ってしまうかもしれません」
幸い、メリーナの話を聞いているエイレーネやアレクサ族の長老衆は、シノブの意見に賛同している。そのため彼女達はシノブの援護をしてくれるが、それでも数の差は大きい。
──恥ずかしながら、私も隷属の魔道具に屈しました。あれは、恐るべきものです──
──そうです! 私は翼魔人の血ですが、お父さまやお母さまも抵抗できませんでした!──
炎竜イジェと光翔虎の子フェイニーが、思念と咆哮で警告する。アミィとメリーナの後ろには、竜や光翔虎も控えていたのだ。
成体であるイジェやメイニー、それに近いシャンジーは人間くらいに大きさを変え、オルムルやフェイニーも半分くらいに小さくなってであるが、七頭も並ぶと壮観である。
「確かに、イジェ様とフェイニー様が……」
「畏れながら! 我らが他の種族に近づくことはありませぬ。ですから、アルマン王国とやらから、何かを受け取ることは無いかと……」
族長の一人が頷きかけたが、背後にいた長老が彼女の言葉を遮った。もしかすると、強硬に反対しているのは歳が上の長老衆なのかもしれない。
◆ ◆ ◆ ◆
──ボク達のように、姿を消して近づいたりするかも~。いきなり魔道具を着けられたり、薬を飲まされたりしたら、どうするの~──
──そうねえ。翼魔人は結構強いわよ。貴女達より、魔力もあるし力もあるわ。押さえつけて無理矢理っていうのもありえるわね──
ずっと黙っていたシャンジーとメイニーが口を挟んだ。どうも、エルフの長老達の頑なな様子に我慢できなくなったらしい。それとも、長々と続く話し合いに退屈してきたのであろうか。
「私達は、エルフの皆さんに充分な警戒をして頂きたいだけです。隷属の魔道具で一人が支配されたら、同じエルフ同士だからと油断するかもしれません。そうなってからでは遅いのです。
確かに、アルマン王国の船は、まだこの近海には来ていないと思います。しかし、いつ来るかは私達にはわかりません」
シノブは、真摯な表情と声音でアルマン王国の脅威を訴えた。
族長達や長老達を説得できなくても、その心に少しでも響けば良い。そして、見知らぬ者達に安易に接近しないでほしい。シノブは、そう考えたのだ。
今まで目にした魔道具や秘薬については、アミィが注意書きを纏めていた。それは魔道具の絵図面も入れた詳細なものだ。したがって、全く同じ品なら騙されずに済むだろう。それに、エルフは魔力感知も得意だ。魔道具や魔法薬だと疑って探れば、事前に気が付く可能性は高い。
それなら充分に警戒してもらえば、惨事は避けられるかもしれない。ならば、彼女達を論破しようとするよりは、伝えるべきことを伝える方に注力すべきだろう。そう判断したシノブは、注意すべき事態を並べ立てていった。
「……どうでしょう? 巫女の託宣を行っては?」
語り終えたシノブが口を閉ざすと、族長の一人が静かに提案をした。彼女は、シノブの言葉に心を動かされたのか、最前までとは少々様子が異なっていた。
このままだと国として纏まった対応は無いだろう、そう思い始めていたシノブは、託宣がどんなものかは知らないものの、少しばかり期待を抱いた。
誰か一人でも隷属の魔道具で縛られたら、それが大きな穴となる。特にガルゴン王国のように地位が高い者まで隷属したら、致命的だ。それを避けるには、国として強力に注意を喚起してほしい。シノブは、そう考えていたのだ。
「ゼフィラ殿が言うのなら……」
「あれは、気軽に行えるものではないぞ」
別の族長が、やはり前向きな様子で口を開きかけたが、長老の一人が口を挟む。その口調は真剣で、単にシノブに反発してというわけでもないようだ。
「私も賛成です。皆さん、採択をしようと思います。賛成の方は挙手を」
メリーナの祖母エイレーネは、長老の言葉にも臆することは無かったらしい。彼女は、保守的な長老を封じるには、族長会議としての決議を採るしかないと思ったのだろう。口早に採決を提案すると、自身の手を掲げた。
シノブはメリーナから事前に聞いていたが、長老衆の意見はあくまで参考でしかないそうだ。発議できるのも、決議に参加できるのも族長だけである。
ただし、長老衆には族長達を育てた者も多い。そのため彼女達の意見を無視は出来ないし、強引に決定しても長老衆に逆らった決議など部族の者達が反発する可能性は高い。それ故、実際には長老会議とでも言うべき状態になっているようだ。
しかし巫女の託宣とは、その名の通り神の意思を伺うわけだ。神に尋ねるのであれば、そしてシノブの言葉に心が揺れた今なら、賛成する者も多いだろう。エイレーネは、そう考えたらしい。
「……賛成五、ですね。それでは、巫女の託宣を行いましょう」
どうやら、エイレーネの予想は当たったようだ。賛成が半数を超える、つまり四人以上が同意すれば良い。そして今、五人の手が挙がっている。
どうやら、長い会議は終わりとなったようだ。シノブは、内心の安堵が顔に出ないように注意しながら席を立っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「巫女の託宣とは、何をするのでしょうか? あまり長引かないのであれば、最後まで見届けようと思うのですが……それとも、外部の者が見てはいけないのですか?」
シノブ達は、大会議場に隣接する小部屋に移動していた。そこにはシノブ達だけではなく、エイレーネなどアレクサ族の代表者達もいる。なお、流石に竜や光翔虎までは部屋に入りきらなかったため、イジェ達は中央議事堂の庭に置いた磐船に戻っている。
「名前の通り、巫女として認められた者がアルフール様に神託を下さるようお願いするのです。アルフール様の依り代となる若い乙女達が舞い、お言葉を頂きます。通常は一時間か二時間、長くても三時間ですね」
「外部の者が見てはいけない、という規定はありません。というより、ここまで他国の者が来ることを想定していないのですが」
シノブの問いに答えたのは、エイレーネとその娘アヴェティだ。メリーナの母アヴェティも、族長会議には加われないが、族長の補佐役として首都デルフィンに同行していたのだ。
「そうですか……では、出来れば見届けたいと思います」
三時間なら夕食までに帰れる。そう思ったシノブは、同席できないかと願い出た。
おそらく、神託が下ればその通りに動くことになるのだろう。そして森の女神アルフールは、アムテリアの従属神だ。したがって、帝国の神や信徒である残党達を利することはない。つまり、神託があるならエルフ達に警戒を呼び掛けるものになる筈だ。
それなら、対アルマン王国で纏まったら改めて多少の忠告をしておこう。それに、アルマン王国との戦いに協力してくれるのなら、神殿での転移を願っても良い。シノブは、そう考えていた。
「ぜひお願いします。メリーナにも参加してもらうので、そうして頂けると助かります」
何と、アヴェティは娘のメリーナに巫女を務めさせるという。それならシノブ達が先に帰っても、再び迎えに来ることになる。ならば、巫女の託宣を見届けていくのが良いだろう。
「そうですね。マデリネはまだ若く、巫女としての修行も道半ばです」
「うむ。その方が良かろう」
エイレーネと、その母で長老衆のソフロニアも頷いた。
ちなみにマデリネとは、メリーナの従姉妹である。彼女は、フライユ伯爵領に滞在中のフィレネの妹だ。年齢は二十二歳だというが人族でいえば十三歳であり、修行半ばというのも頷ける。
そのマデリネは、将来の幹部候補として連れてこられたらしいが、大役から逃れたためか表情を緩ませていた。
「メリーナさん、何だか大変なことになったね」
マデリネの様子が目に入ったシノブは、メリーナに妙な苦労を背負わせたのでは、と済まなく思っていた。彼が同行を頼まなければ、儀式に参加することは無かったのだ。
「いえ、託宣の儀式に加わるのは、非常に光栄なことです……少し恥ずかしいですけど……」
メリーナは、頬を赤く染めていた。それは、神聖な儀式に挑むことへの畏れなどではなく、むしろ乙女らしい恥じらいとでも言うべき表情であった。
「えっ、もしかして、男性が見てはいけないものだったとか!? それなら遠慮します!」
シノブは、族長や長老衆、そして補佐の者達が全て女性であったことを思い出して、顔色を変えていた。
まさか、あられもない姿で踊るのであろうか。そんな想像をしたシノブは、メリーナにも勝るくらい赤面しながら自身の申し出を取り下げた。
「そんなことはありませんよ。多少薄い衣装ですが、男の前に出られないようなものではありません」
「ええ。どうか心配なさらずに」
エイレーネやアヴェティは、噴出す寸前といった表情だ。それに、ソフロニア達も同様である。どうやらエイレーネ達は、シノブが普通の男性のような反応をするのが意外だったようだ。
彼女達は、シノブが人を超えた力の持ち主だとメリーナから聞いていた筈だ。そのため、シノブのことを聖人のような存在だと思っていたのかもしれない。
「そ、そうですか……それなら良いのですが……」
「シノブ様、顔が真っ赤ですよ?」
未だ狼狽気味のシノブに、アミィが冷やかすような表情で赤面を指摘する。それを聞いて更に頬を紅潮させるシノブに、室内にいた者は思わず大笑いしていた。
シノブは、己の早合点を後悔して頭を掻きながらも、その笑いの輪の中に加わっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年1月12日17時の更新となります。