15.10 古き都の夢 後編
ベーリンゲン帝国と呼ばれた国は、既に存在しない。およそ二ヶ月前に帝国への進攻を開始したメリエンヌ王国軍は、順調に東へと進んでいった。そして僅か数日前、王国軍は最後に残っていた三つの伯爵領も手中にし、六百年を超える帝国の歴史は完全に幕を閉じた。
とはいえ、メリエンヌ王国の統治体制は未だ暫定的なものであった。帝国の領土は皇帝直轄領と十の伯爵領で構成されていたが、メリエンヌ王国はそれを軍管区としただけだ。なお、それら合わせて十一の軍管区を束ねるのは東方守護将軍のシノブである。
ただしシノブは、ここのところ友好国と関係強化をすべく国外に出ていた。そのため旧帝国領の実質的な支配者は東方守護副将軍、つまり先代アシャール公爵ベランジェであった。
そしてベランジェは先日までの帝都、現在は領都ヴァイトシュタットと呼ばれる都市に滞在し、新体制作りに邁進している。
新体制作りといっても、実施すべきことは多岐に渡っている。帝国では独自の神を信奉していたし、奴隷制度も存在した。そこでメリエンヌ王国としての統治体制を敷くだけではなく、アムテリアや従属神の存在を広め、奴隷制度を廃した後の新たな社会制度を造り上げと、やることは幾らでもあるのだ。
その上、旧帝都などに残された遺物を調べ西海のアルマン王国に逃げた残党の手掛かりを探すのだから、体が幾つあっても足りない激務である。
「シノブ君、アミィ君! 待っていたよ!」
そんな忙しい身にも関わらず、先代アシャール公爵ベランジェは、普段と変わらない陽気な声音でシノブとアミィを出迎えた。
ここは領都ヴァイトシュタットの中央にある『黒雷宮』の庭だ。ベランジェの背後には、磨き上げられた黒曜石のように黒々と輝く『大帝殿』が存在する。この現在は単に本館と呼ばれる建物はベランジェが執務をする場所だ。したがって、彼が『黒雷宮』の敷地内で魔法の家を呼び出すのは当然のことである。
しかし、ベランジェの後ろに開いた大穴と脇に詰まれた岩の山は、宮殿の庭という言葉から連想する優雅で美しい光景とは、懸け離れていた。
──『光の使い』よ。壮健そうで何より──
──『光の従者』も元気そうですね──
ベランジェの脇には、腕輪の力で馬くらいに小さくなった岩竜の長老ヴルムと番のリントもいる。その二頭は温かな思念でシノブとアミィに語りかけていた。
「義伯父上、お待たせしました。それにヴルムとリントも久しぶり」
「お久しぶりです! ちょっと待っていて下さいね!」
シノブが挨拶をする間に、アミィは魔法の家をカードに変えていく。
魔法の家の外見は平屋で10m四方と大きくはない。それでもレンガ造りの立派な家がカードに変ずる光景は、初見の者にとっては驚愕すべき光景だ。そのためだろう、周囲にいた作業者らしき男達の多くは、どよめきを漏らしている。
「かなり掘り返しましたね……」
ベランジェ達に挨拶をしたシノブは、彼の背後の光景に目を向けた。
元々は閲兵場だった場所は、直径100m以上も掘り返されている。そこは、シノブ達が皇帝や帝国の神を模した巨像と戦った地下神殿があった場所だ。
「ヴルムとリントが手伝ってくれたから、大した手間でも無かったよ。まあ、私は見ているだけだがね!」
ベランジェは、そう言うと脇に顔を向けた。岩竜であるヴルムとリントにとって、岩石を操るのはお手の物だ。帝都に攻め入るときには岩で全長150mを超える巨像を造った岩竜達である。彼らは、僅かな時間で瓦礫を操り退けたらしい。
──これくらいは何でもない。それに、ここは邪神が潜んでいた場所だ──
──ええ。もっと早くに調査しておくべきだったかもしれません──
ヴルムとリントは、穴の方に向き直る。そしてシノブやアミィ、それにベランジェも穴の底へと視線を向けた。そこは、一ヶ月少々前にシノブとアミィ、そしてホリィとオルムルが皇帝達と戦った場だ。
シノブ達は地下神殿で、大将軍ヴォルハルトや竜人の一種である翼魔人達を倒し、皇帝が乗り移った帝国の神の巨像と戦った。そして、バアル神を模した神像を倒したとき、広大な地下神殿は崩壊し、その上にあった閲兵場は擂鉢状に窪んでしまった。
したがって地下神殿やその周囲は瓦礫に埋もれ、その内部に入ることは出来なかった。しかし、アルマン王国に帝国の残党が逃れ、しかも彼らは帝国を支配していた神霊か、それに類する何かの力を得ているらしい。そこでベランジェ達は、地下神殿を掘り返して調査することにしたわけだ。
地下神殿の内部は高さ20mもあり、一辺が100mはある巨大な空間だった。もちろん、それだけの広さを柱も置かずに支えることは出来ない。神殿の中には、大人が三人で何とか囲むことが出来る太い石柱が等間隔に配されていた。
しかし今、シノブ達が覗く深い穴の底は廃墟というべき有様であった。一旦は天井が落ちたためだろう、床には各所に大穴が穿たれ、折れた石柱は根元しか残っていない。
天井や柱の残骸は竜達により退けられているから、地下神殿と周囲は剥き出しになっていた。中央と周囲を仕切る壁は僅かに残っており、通路や部屋の存在を察することが出来る。しかし、華麗な壁画で飾られていたであろう壁は基部しか残っていないため、シノブは殆ど全てを見通すことが出来た。
「さあ行こう! きっと驚くよ!」
ベランジェはシノブの肩を叩くと、明るい声で地下神殿の跡地へと促した。彼の顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでおり、それは自身が見つけたものを誇るかのようでもあった。
「ええ。あそこから降りるのですね?」
地下神殿の床までは、地上からだと30mはあるようだ。そのため、穴の周囲には下に向かう階段が何箇所かに設けてあった。シノブが見つめる先でも、何人かがそれらを使って昇り降りしている。
「そんな面倒な! 私はヴルムに乗るよ。アミィ君はリントに乗せてもらいなさい。シノブ君はリントに乗るかね? それとも自力で飛ぶかね?」
ベランジェは、スタスタとヴルムに向かって歩いていく。対するヴルムは何度か彼を乗せているのだろう、身を低くして待っている。
ヴルムとリントは装具を付けているから、騎乗も楽である。しかし、こう気軽に竜の長老に乗ろうとする者など、ベランジェだけではないだろうか。
「……私もリントに乗せてもらいます」
シノブは、あまり飛翔の魔術を使いたくはなかった。今のところ、彼は重力制御を体得している人間を自分以外に知らなかった。そのため人前で使うのは、なるべく控えたかったのだ。
「今更だと思うがねぇ……」
ベランジェは、シノブが己の力を隠そうとするのを微笑ましく感じたのだろう。彼は、温かな視線でシノブを見つめていた。
シノブは、今までの戦いで人の領域を遥かに超えた力を幾度も示している。そのため、最近ではシノブのことを神の使徒だと噂する者も多いようだ。しかしシノブは、自身の能力を無闇に使いたくはなかった。隔絶した力は、盲信に繋がりかねないからだ。
「まあ、いいや。では、付いてきたまえ!」
微笑みを浮かべたままのベランジェが背に跨ると、ヴルムは間を置かずに宙へと舞い上がる。そしてシノブとアミィを乗せたリントが続いていく。
そして二頭と三人は、かつて神殿であった場所に舞い降りていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「これが、魔道装置……」
シノブの眼前には、複雑な模様が描かれた床がある。部屋の広さは、10m四方ほどであろうか。その床一杯に円が描かれ、その内部には複雑な幾何学的模様が描かれている。
巨大な模様の外周部は、同心円状に幾つかの円が配され、その中は五角形に区切られている。そして、線で分けられた領域には更に図形があり、それらの線の周囲は楔のような模様が取り巻いていた。
まるで魔法陣のような床の模様は、半分くらいは傷つき欠けている。他と同じく、崩落した天井で床が破損したのだろう。そして欠けた部分からは、魔道具などに使われる魔法結晶や部品が覗いていた。
「……今まで見たものと随分違うな」
「ふっふっふっ、そうだろう?」
シノブの反応が予想通りだったせいか、ベランジェが上機嫌な様子で応じた。確かに、それはメリエンヌ王国どころか、帝国の魔道具とも違うものであった。
シノブが今まで見た魔道具は、外部に仰々しい紋様が刻まれていることは無かった。もちろん、貴族の館で使う灯りの魔道具などは装飾も施されている。しかし、それらは何らかの自然物や人物を模した彫刻が刻まれたり、すっきりとした図柄が描かれていたりと、目の前に広がる模様とは大きく異なるものであった。
目の前の模様がエウレア地方の絵画や彫刻とは根本的に違う。成り立ちや発展の仕方が全く異なる、別の文化が育てた意匠ではないか。シノブは、根拠は無いがそんな印象を抱いていた。
「魔道装置だっていうのは、わかるんだがね。下から出てきたのは、どう見ても魔道具の部品だから」
シノブと並んだベランジェは、円の中に入ったアミィの背を見つめながら言葉を続ける。彼の視線の先では、アミィがしゃがみこんで魔道装置らしきものを調べているのだ。
──我々は道具を使わないが、人の子が作ったものは数多く見てきた。しかし、このようなものは見たことが無い──
ベランジェに続いたのは、岩竜の長老ヴルムである。彼らは長い生の中で、人間が使う数々の魔道具も目にしたらしい。おそらく、竜に挑んだ者が所持していた魔道具であろう。
ヴルムやリントは、それら過去に見たものと照らし合わせたり、床の下に隠された魔法結晶や部品を魔力で探ったりしたが、思い当たるものは無かったようだ。
「まあ、想像はしているんだ。宮殿や侯爵達の館から発見された秘録からすると……」
「これは、転移の魔道装置ですね」
ベランジェの言葉を遮ったのは、アミィである。
そして立ち上がったアミィは、足早にシノブ達の下へと戻ってきた。彼女の表情は普段とは違い険しく、頭上の狐耳も張り詰めた内心を表すかのようにピンと立っている。
「やっぱり! そうだと思ったんだ!」
「どうしてですか?」
シノブは、嬉しげな顔のベランジェに問いかけた。
アルマン王国に渡った帝国の残党には、竜人が含まれていた。しかし竜人が作り出されたのは、二月も後半になってかららしい。四頭の炎竜が帝国に囚われた時期からしても、それより前ということは無いだろう。
だが、その頃には帝国の西側はホリィや岩竜達が見張っていた。つまり、彼らの目を掻い潜って竜人が西のアルマン王国に飛んでいくのは難しい筈だ。
したがって、これが大規模な転移装置で、アルマン王国に移動に使われていた可能性はある。そうシノブは思ったのだ。
しかし、ベランジェの根拠は秘録のようだ。
秘録が記されたのはベーリンゲン帝国の成立した時期やその後数十年らしい。つまり今から六百年以上昔、創世暦300年代である。
そうすると、ここ最近のことであるアルマン王国に渡った竜人とは関係ないだろう。
「秘録によれば、皇帝や公爵の先祖は超人に乗って東域から来たそうじゃないか。だけどね、超人はせいぜい数人だったらしい。
超人は旧帝都にあった結界の礎になったという。そして、結界を作り出す地下通路は六方向に伸び、その先には六都市がある。それに、皇帝と侯爵は合わせて六人だ。だから超人も六人じゃないかな?」
ベランジェの言う超人とは、今は亡き大将軍ヴォルハルトや将軍シュタールが変じた異形と似た存在のことである。秘録には竜人とは違う異形が帝国の建国に関わったと記されていたのだ。
その異形は青白い肌に赤い瞳を持ち、人並み外れた巨躯に長い腕を備え、更に背中には翼の生えた姿だったらしい。そして秘録の描写する姿は、シノブ達が倒したヴォルハルトやシュタールと酷似していた。
「そうかもしれませんね」
シノブは、ベランジェに頷きで答えた。
ベランジェの語る内容に根拠は無いが、偶然で片付けるには少々数が符合しすぎている。シノブは、そう思ったのだ。
「だろう? その場合、皇帝や侯爵の配下を連れて来るには少なすぎる。そう思うのだよ」
「確かにヴォルハルト達の大きさは、人間とさほど変わりませんでした。おそらく、一度に運べるのは数人でしょう。しかも東域からなんて……」
アミィも、ベランジェの意見に賛成のようだ。
東域とは、ベーリンゲン帝国の東端にあるオスター大山脈の向こう側だ。ここからオスター大山脈まで800km前後、往復すれば1600kmだ。超人が六人でも空路だけで何千人も運ぶなら、百回近く往復しないといけないだろう。
その場合、密かにやってくることは難しいのではないだろうか。皇帝達の先祖が異形に乗ってきたと伝えているのは秘録だけである。しかし何十何百と往復していれば、その他にも伝える者が出る筈だ。
「帝国の歴史だと、初代皇帝は突然ここに現れたように記されているからね。普通なら、オスター大山脈を越えた場所に拠点を作り、そこから西進するんじゃないかな?」
「いきなり現れたのは転移装置があったから……まず、転移装置を設置する者がやってきて、後は転移で来た……か」
ベランジェの言葉を聞きながら、シノブは遥か昔に思いを巡らせていた。
超人を作ったのは、帝国の神らしい。旧帝都の生き残りは、ヴォルハルトやシュタールが作戦の失敗を償うために、神の試しを受けさせられたと語っていた。それは、殆どの者が生還できない試練であり、実質的な処刑であったようだ。
おそらく帝国の建国期にいた超人達も、ヴォルハルト達と同じようにして誕生したのだろう。であれば、六人でも多いのではないだろうか。つまり、超人だけで大量輸送をするのは困難なのだ。
そのため先乗りした超人達と皇帝や侯爵達の先祖が転移装置を設置し、自身の配下達を呼び寄せた。それならば、いきなりこの地に現れるのも納得がいく。そして地下に転移装置が隠されたのは、この地にいた者達に悟られないよう輸送するためなのだろう。
突然現れた謎の軍団に元から住んでいた者達が為す術もなく倒されていく様を思い、シノブは表情を険しくしていた。
「するとアミィ、これは東に繋がっていたのかな? それとも他にも行けたの?」
シノブは、西のアルマン王国への転移装置だと想像していた。しかしベランジェの推測が正しければオスター大山脈の向こう側、つまり東域に繋がっているのだろう。だが、移動できるのが一箇所とも限らない。
そこでシノブは、装置を調べていたアミィに意見を求める。
「どこに繋がっていたかは、わかりません……ですが、複数ではない筈です。
この装置では、行き先の選択まで出来ません。それと受け入れ先に同じような装置を置くか、受け入れ専用の簡略化したものを用意するか、どちらかが必要です。
どこか一箇所……向こう側が馬車に積める程度なら場所は動かせるかもしれませんが、いずれにしても一つだけです」
エウレア地方では転移装置は理論的には可能とされているが、実現した例は無いらしい。それなのにアミィが断言できるのは、神界の知識を用いて調べたからなのだろう。たぶん、彼女以外では転移装置であると推測できても明言までは出来ないし、行き先が単数か複数か知ることなど不可能だろう。
「それと、この装置は最近作り直したようです。一部だけ部品が新しいです」
──そうだな。ここ数年以内に掘り返している──
──私もそう思います。下地には岩を砕いて作った素材を用いていますが、五百年以上前に塗った場所と、ここ最近塗った場所があります──
アミィは部品の新しさで、ヴルムやリントは漆喰の材料で、最近手が入っていると判断できるらしい。彼らの指摘を受けたシノブは、壊れて下地が現れている場所を見つめるが、確かに二通りの色合いがあるように感じた。
「後ですね、この装置を使うには、かなりの魔力が必要です。それこそヴォルハルトやシュタールくらいの。ですから、代々の皇帝でも使えたかどうか……」
もしアミィの言うことが正しいなら、かなりの大魔力が必要だったのだろう。異形に変じたヴォルハルトやシュタールの魔力は、竜よりは小さかったが人間よりは遥かに大きかったからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「……まあ、そんなところだろうね。それにシノブ君、転移装置がずっと使えたのなら、東域からもっと応援を連れて来たんじゃないかな?」
ベランジェは暫し転移装置を眺めていたが、シノブに向き直る。彼はアミィや竜達の指摘を予想していたらしく、表情は平静なままだ。
「秘録や帝国の歴史書を見る限り、建国後に新たな何かが来た様子は無い。魔力が原因なのか、装置が故障して使えなくなったのか、皇帝達が東から逃げてきた者達で追われないように壊したのか。何れにしても、大して経たないうちに故郷と行き来できなくなったのだろうね」
どうやら、ベランジェは秘録などの記述から継続的な転移は無かったと察していたらしい。すらすらとシノブ達に自説を述べる様子や自信に満ちた表情からすると、彼は帝国の歴史について相当深くまで調べていたようだ。
「それでは、作り直してアルマン王国に行くための装置にした……王国内に潜入した間者が先に渡って転移装置を設置し、それからグレゴマンや翼魔人が転移したのかも……」
シノブは、ベランジェの推測には一定の説得力があると感じていた。東域と帝国に長期間の行き来があれば、何らかの物証が残った筈だ。現に、東域から来たことは秘録という形で後世に伝わった。もし、その後も東域と交流があれば、同じく秘録に記されただろう。
シノブは、この転移装置はアルマン王国へと渡るのに使われたのでは、と再び思い始めていた。やはり、竜人が突然アルマン王国に現れたのは彼の国が転移の先だからでは。シノブは、そう考えたのだ。
「……そうだ! 義伯父上、グレゴマンはディーンボルン公爵グリゴムールで間違いありません! アルマン王国の軍務卿の息子が口にしたそうです!」
シノブは、アルバーノが潜入して掴んだことをベランジェに伝えていく。
これまでもグレゴマンの正体は皇帝の次男ディーンボルン公爵と推測されていた。しかし決め手となる情報は、まだ無かったのだ。
アルバーノが倒したアルマン王国の軍務卿の第二夫人は帝国人らしきこと。彼女が持っていた『魔力の宝玉』をアミィが調査した結果、強化版だと判明したこと。それらをシノブは口早に語っていった。
「ふむ……魔力か。シノブ君、彼らは何故そこまで魔力に拘るのだろうね? 『魔力の宝玉』で、何か大規模な魔道装置でも使うつもりなのか……」
「魔力をどう使うかまでは……ですが、デリベール達が東に航海していたのは、エルフが狙いだったのかもしれません。エルフの大きな魔力が必要なのかも……」
シノブは、アルバーノの報告を聞いてから考えていたことをベランジェに披露した。
おそらく、アルマン王国に渡った帝国人達の当初の目的は、アルマン王国の優秀な船舶を手に入れることだったのだろう。そのため、帝国の東海岸では海に降りるための階段を断崖に設置していた。もしそれがあれば、船でエルフの住むデルフィナ共和国に行くことが出来るからだ。
デルフィナ共和国を手に入れれば国土が大幅に広がるし、魔力の多いエルフ達を奴隷に出来る。竜専用の『隷属の首輪』や、竜を捕らえるための魔道具には『魔力の宝玉』が使われていた。しかし、それらに魔力を補充するには、獣人達だと百人単位で必要だという。これは獣人達の魔力が少ないからだ。
だが、エルフは獣人族とは桁違いの魔力を持つ。そのため彼らから魔力を吸い出せたなら、竜を捕らえた魔道具も多数配備できたかもしれない。
仮にそれらが揃えば、帝国がメリエンヌ王国と戦う上で大きな力になったであろう。
そして、帝国が滅びた今でもアルマン王国に渡った残党達が東を目指すのは、やはりエルフの魔力故であろう。とはいえ目的は、もはや帝国の復興ではないかもしれない。
アルマン王国を乗っ取って、西からメリエンヌ王国に復讐する。あるいは、攻略しやすい国を手中に収める。いずれにせよ、他には無い魔道具製造技術が帝国の残党達の武器であり、それを最大限に活かすには、多くの魔力を集める必要がある。そんなところではないだろうか。
そして、彼らの力を貸し与えられたアルマン王国の者達にとっても、魔力は必要な筈だ。そのためアルマン王国の軍務卿ジェリール・マクドロンは自身の次男であるデリベールを東に派遣したのかもしれない。
大量の魔力を持つエルフを隷属させれば、継続的に魔力を抽出できる。ジェリールが、そう思った可能性はある。
「エルフね……シノブ君、確かデルフィナ共和国では族長会議をしているのだったね?」
「はい」
シノブには、メリエンヌ王国に一番近い場所に住むアレクサ族の長であるエイレーネから会議の様子が届いていた。彼女には通信筒を渡しているから、族長会議が始まってからは毎日連絡があるのだ。
しかし、会議の進みは遅いらしい。エルフが他の種族に比べて長寿なためだろうか、彼らは何事も熟考するようだ。しかも年齢が上になるほど慎重になるらしく、まだ若い者はそれほどでもないが、二百歳を超えるような者が即決するようなことは無いらしい。
「シノブ君、デルフィナ共和国に行ってきたらどうかね?
彼らは他国と接したことが少ないせいか、動きが鈍いようだ。アレクサ族は、それでも我が国との窓口だけあって判断が早いようだが……このままでは、族長会議に何ヶ月掛かることやら。流石、木を愛するだけあって気が長いよ」
「……そうですね。エイレーネ殿に相談します」
シノブはベランジェの駄洒落らしき言葉を聞き流し、自身が懸念していたことを思い浮かべる。
デルフィナ共和国のエルフ達に帝国の残党の存在を教えてから約一週間。残党が隷属の魔道具を携えている可能性についても伝えている。しかし、エルフ達の動きは遅かった。
もしかすると他国との交流が無いエルフ達は、自国が狙われる可能性を低く見ているのだろうか。シノブは、そんな気がしていたのだ。
「そうしたまえ。ところでシノブ君、アミィ君。少しばかり頼みがあるのだがね。それとヴルムとリントにも。ああ、君達なら簡単なことだよ。実はね……」
シノブに頷いてみせたベランジェだが、途中から楽しげな表情となる。シノブとアミィ、それに二頭の竜は、そんなベランジェの笑顔を見ながら彼の話に聞き入っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「地下神殿を残すことになるとはね……」
「まだ調査中だから、仕方ないのでは?」
シノブとアミィは、目の前に立つ二頭の巨竜を見ながら言葉を交わしていた。
岩竜の長老ヴルムと番のリントは、元の大きさに戻っている。彼らは、ベランジェからの頼みを受けて、巨大な穴の脇に置かれた岩の山を操作しているのだ。
既に、全員地上に戻っていた。それに、作業員達も地下神殿の跡地から退去させた。そのため、シノブとアミィの側にいるのは、他に笑顔のベランジェだけだ。
「地下神殿の調査は、なるべく早く終わりにするよ。でも、あちこちに埋まっている魔法結晶を回収したいしねぇ。あんなに沢山あるなら、さっさと掘り返すんだった」
ベランジェが言うように、転移の魔道装置だけではなく神殿の各所には魔法結晶が埋め込まれていた。
アミィによれば、神殿の結晶は帝国の神が持つ力の伝達や、神殿と外界の遮断に使われていたらしい。これらは掘り出せば転用が可能で、しかも希少性も高い。そのため、調査をしながら回収することになったわけである。
──それでは屋根を架けるぞ──
──いきます──
ヴルムとリントが思念を発すると、岩の山はまるで溶けた飴のように形を変じ、穴に向かって移動していく。それは、巨大な灰色の不定形生物が蠢いているかのような、一種異様な光景であった。
彼らは、屋根だけではなく地下には元のように石柱も作るらしい。直径100m以上もある大穴を屋根だけで支えることは困難だからだ。
「やあ、凄いものだね! 私達だけなら、どれだけ掛かることやら!」
ベランジェが大喜びするのも当然である。
ほんの数分程度で、大きな穴は塞がれ平らな地面が生まれていた。前より天井部分を薄くしたようで、岩の山はかなり残っている。しかし、それを除けば地上は元通りになっていた。
「義伯父上、こちらも出来ましたよ」
「どうでしょう?」
シノブとアミィは、ベランジェへと振り返る。竜達が穴を埋めている間に、シノブ達は地下から持ってきた青銅の塊、つまり帝国の神の像を変形させ、近くに新たな像を造っていたのだ。もちろん、二人が作成したのはアムテリアと従属神の像である。元の像は高さ15mほどだったが、七体に分割したため個々の像の高さは半分くらいである。
「おお、素晴らしい! さて……ヴルム、リント、最後の仕上げを頼むよ!」
──うむ……今度は少しばかり難しいな──
──ゆっくりやりましょう──
再び、ヴルムとリントが思念を発すると、七体の神像を覆うように半球状の構造物が出現していく。しかも、球面の半分近くが透明で、内部の神像が見える。どうも、ヴルム達は岩から石英、つまり水晶を作り出したらしい。
石英は二酸化ケイ素であり、岩石の中に多く含まれている。しかし、それを集めて巨大な板状の結晶にするなど、岩竜でもかなり難しいのだろう。かなり時間を掛けて神像を覆う半球を作り終えたヴルムとリントは、満足そうな思念を発していた。
「何と美しい! さて、中に入ってみようじゃないかね!」
正面には入り口らしきものがある。笑顔のベランジェは、そこから二頭の竜が造った半球の神殿へと入っていく。普段以上に速い彼の歩みは、内心の高揚を表しているかのように軽快である。そして、ヴルム達も再び人間と同じくらいの大きさに変じ、神殿の中に進んでいく。
「凄い……」
「本当です!」
ベランジェや竜達に続いて神殿に入ったシノブとアミィは、思わず感嘆の溜息を漏らしていた。
ヴルム達が造った神殿の中には、様々な生き物の像があった。彼ら竜を模したもの、それに光翔虎らしき像、もちろん人族や獣人族、エルフにドワーフの像もある。更に、馬や牛など身近な生き物から鳥に魚、魔獣まで見事な造形で神像を取り巻いている。
これらは、長き生の間にヴルムとリントが見た生き物なのだろう。小さな生き物は等身大だが、竜や光翔虎のような巨大な生物は神像の半分くらいで、自然とは大きさが違うものもある。それに本来なら万物が集うなど、ありえない。しかし、ここでは全ての生き物が平等に神々を囲み、神々は彼らに微笑んでいる。
この夢のような素晴らしい光景に少しでも近づきたい。シノブは竜達の贈り物に己の決意を新たにした。そしてシノブを応援するかのように、二頭の竜の咆哮が眩しい光で満ちた神殿の中に響き渡っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年1月8日17時の更新となります。