15.09 古き都の夢 前編
アルマン王国から帰還したアルバーノとファルージュは、シノブと共に彼の執務室に急ぎ足で移動する。アルバーノとファルージュの二人は魔法の家で転移し、シェロノワに戻ってきたのだ。
魔法の家の移動距離に、制限は無いらしい。そのため、アルマン王国の王都アルマックからメリエンヌ王国のフライユ伯爵領までの1000km以上の距離でも、呼び寄せる相手さえいれば一瞬である。
「……魔力欠乏の寸前だったが間に合った。アルバーノ、よくやったな」
「お褒めの言葉、光栄です」
シノブの言葉に、アルバーノが言葉少なく応じた。
アルバーノの手には、彼が助けたドワーフの少女が抱かれたままだ。シノブが回復魔術を使ったため少女の顔色は若干良くなったが、まだ意識を取り戻さないままである。そのため、執務室へと急ぐ三人の表情は何れも硬いままだ。
「シノブ、こちらは準備できました」
館に入ったシノブ達を出迎えたのは、憂いを滲ませたシャルロットだ。彼女は、アンナ達侍女や側仕えの女騎士達を従えている。
「シャルロット、ありがとう。もうすぐ目を覚ますと思うが……アンナ、頼むよ」
シャルロットに笑顔で応じたシノブは、続いて侍女のアンナへと顔を向けた。アンナは回復魔術を使うことが出来る。そのためシノブは、彼女に少女の世話を頼むことにしたのだ。
アルバーノがアルマン王国の軍本部から救出したドワーフの少女は、衰弱が激しかった。元々ドワーフは魔力の多い種族ではないが、少女は極端に少ない。おそらく、それが衰弱の原因なのだろう。
「アンナ、早速執務室に」
シャルロットは少女を休ませる場として自身の執務室を提供した。彼女の執務室はシノブのものと隣接しているから、何かあったときに都合が良いと考えたのだろう。
「はい! アルバーノさん、私が運びます!」
アンナは大役に緊張しているらしい。狼の獣人である彼女は、頭上には獣耳があり背後には尻尾があるが、耳はピンと立ち、尻尾も激しく揺れている。
「アンナさん、私が……アルバーノ様」
アンナが少女に手を伸ばすと、シャルロットの側付きの一人ロセレッタが彼女を制して歩み出る。
獅子の獣人であるロセレッタは、種族の特性通り大柄な少女であった。彼女はマリエッタの学友の三人では最も大きく、175cmを越える長身とそれに相応しい体格の持ち主だ。そのため、小柄なドワーフの少女を軽々と抱き上げる。
ドワーフの少女は、相変わらず目を覚まさない。彼女は何らかの方法で魔力を吸い出されていたらしい。そのため、体力を大幅に失ったようである。
この世界の生き物は、程度の差はあれ魔力を用いて生きている。成体になると殆ど魔力だけで生きる竜や光翔虎は極端な例としても、人間や普通の獣も食物から得たエネルギーを魔力に変えて使っている。そして、魔力の使用には、攻撃魔術のように直接的なものだけではなく、無意識な身体強化なども含まれる。
したがって魔力の喪失や急激な減少は生命の維持にも関わる危機である。幸いドワーフの少女は、最悪の事態になる前にシノブが魔力を補充し、一命を取り留めた。しかし、暫くは安静にした方が良いだろう。そこで、治癒術士としての勉強を始めたアンナに看護させることにしたのだ。
「アンナ、何かあったら遠慮なく声を掛けてくれ。それに、すぐにアミィも戻ってくる」
シノブは、魔法の家を呼び寄せたアミィを、アマテール村に向かわせていた。ドワーフの少女が目を覚ましたとき、そこに同族がいた方が安心するだろうと思ったのだ。
アマテール村には、イヴァールの妹のアウネを始めドワーフの女性も沢山いる。そして、アミィならシェロノワの神殿からアマテール村の神像まで、転移で往復できる。そのため、間もなく彼女はドワーフの女性達を連れて戻ってくるだろう。
「わかりました! それでは失礼します!」
アンナは一礼すると、ロセレッタ達と足早に階段を上っていく。そしてシノブ達も、彼女達の後を追って急ぎ足に二階へと移動していった。
◆ ◆ ◆ ◆
「……それじゃ、ジェドラーズ五世はドワーフに『隷属の首輪』が使われていると知らないのか?」
「はい。街の噂や軍本部で仕入れた情報では、ドワーフ達が自発的に移住したことになっていました。隠し港のドワーフ達もそうでしたが、首元を隠しているから首輪の存在に気が付かないのでしょうね。ヴォーリ連合国は寒いですし、そういう装束だと言われても疑問を抱かないのでしょう」
シノブの確認に、アルバーノは苦々しげな表情で答えた。
ここは、シノブの執務室である。シノブとシャルロットが並んでソファーに座り、その向かいにアルバーノとファルージュが座っている。そして、シノブの背後には家令であるジェルヴェが立っている。執務室には、この五人がいるだけだ。
本来なら、他の者も招いてアルバーノ達が掴んだ情報を検討すべきだ。しかしシメオンとマティアス、それにアリエルとミレーユは都市オベールに行ったままだし、イヴァールも故国に戻ったままだ。そのため、まずはシノブとシャルロットのみが話を聞くことになったのだ。
「国王や先王は、軍務卿に騙されているのですか?」
シャルロットは、細く美しい眉を顰めている。
アルバーノ達が王都アルマックで得た情報によれば、ドワーフの職人の代表はアルマン王国の国王ジェドラーズ五世に会ったらしい。街の噂では、ドワーフ達はアルマン王国に来て早々に王宮を訪問したことになっている。
そして王宮を訪れた数人のドワーフは、挨拶を除いて碌に言葉を発しなかったようだ。おそらく彼らは既に『隷属の首輪』で縛られ、あらかじめ使役者が定めた言葉しか口に出来なかったのだろう。
「そのようです。他の種族ならともかく、ぶっきらぼうで有名なドワーフですからね。王宮での出来事は街にも伝わっていましたが、ドワーフ達だから仕方ないと……たぶん、そうなるように軍務卿達が誘導したのでしょうが……」
アルバーノが言うように、街の者達は無口なドワーフだから、と笑い話にしていた。
謁見の際は、当然ながら国王だけではなく先王ロバーティン三世や閣僚などもいた。しかし、彼らの問いにドワーフ達は肯定か否定のみで答え、言葉に詰まると軍務卿のジェリール・マクドロンや息子のウェズリードが代わったらしい。
アルマン王国はドワーフ達の国ヴォーリ連合国と交易をしている。だが、ドワーフ達が海を渡ることは今まで無く、実際に会った者は少ない。そのため余計に、無口で素朴な種族という印象のみが広まる結果となったようだ。
そしてジェリールやウェズリードは、そんな先入観を上手く利用したのだろう。
「しかし、家臣に騙されるなど君主として失格では……」
ファルージュは、まんまと騙されたらしいアルマン王国の国王達に強い失望を感じたようだ。彼は若く、しかも性格も真面目そのものだ。そのため、軍務卿達の暗躍を防ぐことが出来ないジェドラーズ五世に、激しい怒りが湧き上がったのだろう。
「確かにね……でも、『隷属の首飾り』が使われているのかもしれないな……アルバーノ、その辺りは?」
ファルージュへと頷いてみせたシノブだが、別の可能性にも思い当たった。
軍務卿の次男であるデリベールは『隷属の首飾り』を所持していた。それに、軍務卿自身もガルゴン王国のサラベリノ・デ・ベニルサダ、先の事件でビトリティス公爵を退いた彼に『隷属の首飾り』を使った。であれば、彼らが自国でも隷属の魔道具を使った可能性はあるだろう。
「それなのですが、ホリィ殿やミリィ殿も王宮までは手が回らなかったようでして……ただ、アルマン王国の軍本部には『隷属の首飾り』の反応が二つ三つあったそうです。撤退する途中で聞きました」
アルバーノは、少しばかり残念そうな表情となっていた。
彼らは、軍本部の調査を終えたら王宮に向かう予定であった。しかし、ドワーフの少女を助けるため調査は中断せざるを得なかった。したがって、まだアルマン王国の内情は不明な部分が多いままだ。
「軍には支配された者がいるのですか……アルバーノが倒した女などは、どうなのでしょう?」
デリベールは『隷属の首飾り』を着けていなかった。そのため、シャルロットは軍務卿ジェリールや彼の長男ウェズリードは、隷属の対象外と思ったようだ。しかし彼女は、ジェリールの第二夫人だというルーヴィアは、何らかの支配か精神操作を受けていると考えたらしい。
ルーヴィアは、ドワーフの少女の魔力を吸い尽くそうとした。シャルロットは、そのような非道を働く女性に、普通の人間と違うものを感じたのかもしれない。
「ミリィ殿は、あの三人は違うと言っていました。もっとも、絶対ではないそうですが……ローブの中身が翼魔人と察知できなかったように、合わせて隠蔽の魔道具を使えば波動も誤魔化せるのでは、と」
アルバーノも、シャルロットと同じ疑問を抱いたようだ。そのため、彼は逃走する途中でミリィに確認をしていた。
ミリィは、アルバーノが潜入している間、軍務卿の執務室の近くで待機していた。その距離であれば、隷属の魔道具の感知は出来るらしい。実際に、彼女は屋外から軍本部内部に数個の『隷属の首飾り』があると察知している。したがって壁一つ向こうの部屋に使用中の魔道具があれば、見逃すことは無いだろう。
しかしミリィはローブを纏った者が竜人の一種である翼魔人だとは気がつかなかった。どうやら、翼魔人が身に着けていた魔道具らしき鎧には、何らかの隠蔽効果があるらしい。そのような対策が施されていた場合、より高度な感知能力を持つシノブでもなければ察知できない可能性はある。
「なるほど……」
シノブは、ジェリールやウェズリードが自分の意思で動いているのではないかと考えていた。しかし念のため、どちらの可能性も考えておくべきだと思い直した。
もっともアルバーノの話を聞く限り、ジェリールやウェズリードの二人は自発的に禁忌の技に手を出したらしい。
ジェリールは第一夫人ナディリアの死を嘆き、神や運命を呪ったようだ。アルバーノによれば、彼女の死は自然なものではなかったらしい。もしかすると早世の背景には何かの陰謀があり、裏切りなどもあったのかもしれない。それがジェリールの人を縛る魔道具への肯定に繋がったのだろうか。
もう一方のウェズリードだが、こちらは元々の性格に寄るのかもしれない。少なくとも、実際に彼を見たアルバーノは、そう感じたという。冷たく超然とした彼の態度や言葉から、進んで隷属の魔道具に手を出したような印象をアルバーノは受けたようだ。
「アミィは『隷属の首飾り』は量産が難しいと言っていた。だから、軍務卿も全員に使わないのだろうね。対立する派閥とか、影響力の強い人とか……軍本部で感知したのは、そういう要人かな。でも、それなら国王や先王に使う可能性は高いな……向こうに行って確認してみるか……」
自分なら、ホリィやミリィとは違って広範囲の確認が出来る。そう思ったシノブは、アルマン王国の要人が住まうアルマックになるべく早く行くべきだと感じた。
相手が支配されているだけなら、何とかして接近し隷属を解除すれば和解できるかもしれない。支配を解除するには隷属の魔道具を外す必要があり簡単ではないが、透明化の魔道具があれば充分可能なことである。
「流石に今日は止めておくべきかと。今頃、王都の中は大騒ぎでしょう。
それと、あのルーヴィアという女は帝国の間者かもしれません。実は、以前戦った特務隊長ローラントに似ていました」
アルバーノが言う特務隊長ローラントとは、ベーリンゲン帝国の皇帝の側近であったローラント・フォン・ヴィンターニッツである。確かに、双方とも黒髪に濃い茶色の瞳の持ち主だ。
皇帝直属の特務部隊の長ローラントは、シノブの弱点を探るために部下を率いて旧帝国領のメグレンブルクに潜入した。しかし、それを察知したアルバーノは、逆に策略を用いてローラント達を捕らえたのだ。
そのローラントと似ているというなら、ルーヴィアが帝国の間者である可能性は高い。しかも、アルバーノは、顔だけでなく仕草などにも類似点があったと言う。直接ローラントと戦った彼だけに、その言葉には説得力がある。
「そんなこともあり、行きがけの駄賃とばかりに倒したのです」
「お館様。ルーヴィアという人物がジェリール・マクドロンの第二夫人となったのは、ここ最近のようです。アルマン王国の動向はあまり入らないのですが、それでも閣僚級の家族構成くらいであれば何とか収集できております」
アルバーノに続いたのは、家令のジェルヴェだ。彼は、メリエンヌ王国がこれまでに収集した情報にも目を通し、相手の内情を探っていたのだ。
メリエンヌ王国は、アルマン王国と大使を交わしていない。友好国であるカンビーニ王国とガルゴン王国とは互いに大使館を置いているが、疎遠なアルマン王国には西のポワズール伯爵が外交の窓口となっているだけである。
なお、ヴォーリ連合国にも大使は置いていないが、こちらはドワーフ達に大使という制度が無いだけだ。ヴォーリ連合国とは交易も盛んであり、非常に良好な関係を保っている。そのためメリエンヌ王国は、ヴォーリ連合国の情勢をカンビーニ王国とガルゴン王国と同様に良く把握していた。
問題のアルマン王国だが、殆ど鎖国状態のエルフの国デルフィナ共和国に比べれば、流石に情報が入ってくる。とはいえ、それもアルマン王国の交易相手であるガルゴン王国を経由したものだ。
したがって交易に直接関連することを除けば、メリエンヌ王国が知っているのは大まかな地理情報や主要人物に関する多少の話くらいだという。
「そうか……グレゴマンと共にアルマン王国に渡った主要人物なのかな。どちらにしても、アルバーノのお手柄だね」
シノブは、微笑みと共にアルバーノを労った。
帝国の残党であれば、捕らえて聞きたいこともあった。しかし変に高望みをするよりは、堅実に倒したことを喜ぶべきであろう。
それに、囚われのドワーフ達の居場所は掴みつつある。職人達は王都アルマックか都市オールズリッジの港にいる可能性が高くなってきたし、彼らの家族もアルマン王国北部のどこかにいるのは間違い無いようだ。
特に職人達に関しては、場所もかなり絞られた。それらを思ったシノブの顔は、自然と輝いていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ様、アウネさん達を連れて来ました! それと、アルバーノさんが助けた女の子の意識が戻りました!」
「それは良かった!」
執務室に入室したアミィの言葉を聞いたシノブは、大きな笑みを浮かべた。衰弱が激しかったドワーフの少女だが、シノブが補った魔力で問題なく快方に向かったようだ。
「あの子は、アウネさんやヨンナさん達に任せました。まずはゆっくり回復させた方が良いでしょう。魔法のお茶もありますし、美味しいものを沢山食べれば、すぐ良くなります」
シノブに招かれ彼の隣に腰掛けたアミィは、明るい口調で助け出した少女の様子を語る。目が覚めた少女は、いきなり知らないところに来て非常に驚いたらしい。しかし、そこにはイヴァールの妹アウネや祖母のヨンナなどの同族がいたため、すぐに落ち着いたそうだ。
「良かったですね」
「ああ……」
柔らかな笑みを浮かべたシャルロットの言葉に、シノブは深く頷いた。
シャルロットの青い瞳は僅かに潤んでいる。彼女は、いたいけな少女を襲った運命に強い憤りと悲しみを感じていたようだ。母となるシャルロットの持つ深い慈愛は、その深さ故に彼女自身に強い衝撃を与えたのだろう。しかし今、彼女の顔は普段の明るさを取り戻していた。
「アミィ、彼女の名前は聞けた? エルッキさん達に教えてあげたら喜ぶと思うんだ」
シノブは案じているだろうドワーフ達に、彼女のことを伝えたいと考えた。
イヴァールの父、ヴォーリ連合国の大族長であるエルッキには、通信筒を渡している。それに各族長が住む村は転移が可能となった。したがって、連絡自体は容易であった。
「メーリさんです。メーリ・イルモ・ブラヴァですね。トイヴァさんが言っていた名職人のイルモさんの娘で、この前助けたヴィヒトさんの妹ですよ」
アミィが言う通り、彼女はブラヴァ族のドワーフであった。イルモというのは、偽装商船に積まれた大型弩砲を造った職人で、アハマス族であるトイヴァも知る有名な武器職人だ。なお、息子のヴィヒトは最初の隠し港で救出できたが、イルモの行方は不明なままである。
「シノブ、私が伝えます。アミィ、数日はここで養生することになるのでしょうか?」
テーブルに置いてあった紙とペンを取りながら尋ねたのは、シャルロットだ。
通例『隷属の首輪』を外した者は一日か二日は安静にする必要があるし、その後も完全な回復には一週間から二週間は掛かる。そのため彼女は、何日後に故郷に連れて行けるか訊いたのだろう。
「そうですね。少なくとも今日は館でゆっくりした方が良いでしょう。ここには治療の魔道装置もありますから……送り届けるのは、早くて二日、多めに見て三日後……とりあえず、移動は四日以降にしてください」
暫し考え込んだアミィだが、答えた日数は長めであった。衰弱が激しかったため、慎重になったのかもしれない。
それを察したのか、紙片に筆を滑らすシャルロットも少しばかり険しい表情になっている。
「北のことも聞き取らないといけないから、何日か居てもらった方が良いかもね。
……シャルロット。尋ねたいこともあるから、と手紙に書いておいたら良いんじゃないかな?」
「はい、そうします」
シノブは、メーリなら他のドワーフの女性や子供がどこにいるか知っているのでは、と期待していた。『隷属の首輪』を装着した者は、支配されている間のことも記憶している。そのため仮に移動中の風景を見ていなくても、移動日数や馬車か船かなどを尋ねれば、かなり場所が絞れるだろう。
隠し港にいたドワーフ達は、職人だけだった。熟練した者から見習いまで年齢層は幅広かったが、若くても十代半ばで、しかも男性だけである。しかし、彼らは家族と共に移住した。したがって当然ながら、妻や母、それに子供もいるのだが、そちらに関しては北のどこかで別れたということしか判明していない。
おそらくホリィが向かっている二箇所の港には、今までの隠し港と同じように職人しか居ないだろう。現在、北方はマリィや光翔虎のバージ達が都市を中心に探っている。しかし、ドワーフの家族が囚われている場所が都市だとも限らない。したがって、このままだと捜索は短期間で終わらないかもしれない。
そのためシノブは、メーリが何か知っていることを願っていた。
「聞き取りは、明日からですよ。それに、暫くはアウネさんやヨンナさんに任せた方が良いでしょう。お二人にも、あまり刺激しないようにと伝えています」
「そうですか……ならば、ご挨拶に伺うのは止めておきましょう。私のことも覚えていないでしょうからね。何しろ、あのときの私は姿を消していましたから」
おどけた調子でアミィに応じたのは、アルバーノである。
彼はメーリを助けたとき透明化の魔道具を使っていたし、『隷属の首輪』を外してからの彼女は気絶したままであった。そのため、メーリはアルバーノの姿を見てはいない。もっとも、彼女を助けたときのアルバーノは変装の魔道具を使っていたから、仮に意識があっても今の彼を同一人物だとは思わないかもしれない。
「そうか。その辺はアミィに任せる……通信筒だ」
アミィに笑顔を向けていたシノブだが、途中で自身の胸元へと視線を動かした。彼が口にした通り、通信筒が震えたのだ。
アムテリアから授かった通信筒は、内部に何かが転送されると光や振動で持ち主に知らせる。二種類の通知のどちらか、あるいは知らせないようにするかは、あらかじめ設定しておくのだが、シノブ達は殆どの者が振動を選択していた。
シノブやその仲間は軍務に携わることも多く、光での知らせは不向きな場合も多かった。それに、神から授かった貴重な品を外に晒す者も少ないらしい。そうなると、振動での通知が最適である。
◆ ◆ ◆ ◆
「どなたからでしょう?」
アミィは、穏やかな表情のままであった。通信筒での連絡は、非常事態ばかりとは限らない。定期的に連絡を寄こす者もいるからだ。
例えば旧帝国領からは、先代アシャール公爵ベランジェやベルレアン伯爵コルネーユなどが日々の進捗を伝えてくる。それにエルフの族長の一人エイレーネは、ここ三日ほど族長会議の様子を知らせていた。したがって、シノブのところに来る手紙の大半は慌てる必要の無いものだ。
「義伯父上だ……アミィ、地下神殿の奥で巨大な魔道装置が見つかったらしい! 二人で来てくれって!」
シノブもベランジェからだと知っても、最初は旧帝国領の日常を知らせるものかと思っていた。しかし紙片に記されていたのは、彼の予想もしないことであった。
旧帝都、つまり現在の領都ヴァイトシュタットの中央にある『黒雷宮』の地下には、帝国の神を祀る巨大な地下神殿があった。この神殿は帝都決戦の際に崩壊したのだが、帝国の残党の動きを掴む一環としてベランジェの指揮で掘り返していたのだ。
崩落したのは、およそ100m四方にも渡る領域で、人力だけで簡単に掘り起こせる規模ではない。しかし、帝国の神に類するものがアルマン王国にいるかもしれない。
そのためベランジェは何かの手掛かりが得られればと、多大な労力を費やしても地下神殿の全てを調べることにした。
幸いヴァイトシュタットには、地下に残った通路の調査やその後の処置のため大勢のドワーフ達がいた。それに旧帝国領には十頭以上の竜が滞在しており、掘り返し自体は比較的容易であった。
しかし発見された代物は、ベランジェどころか竜にも理解不能なものだった。そこでベランジェは、シノブとアミィを呼ぶことにしたのだ。
「シャルロット、こっちは任せるよ。
アルバーノ達は、シャルロットに報告を続けてくれ。終わったら待機で。もしかすると、またアルマン王国に行ってもらうかもしれない。ジェルヴェは聞き取った内容を纏めて」
シノブは、ソファーから立ち上がりつつ慌ただしく指示をする。
ヴァイトシュタットでは、ベランジェが魔法の家を呼び寄せるべく待機しているという。神殿経由でも移動できるのに魔法の家を使うのは、よほど急いでいるからだろうか。それを思ったのだろう、同じく席を立ったアミィも、少しばかり鋭い表情になっていた。
「わかりました。何も無いとは思いますが、気を付けて」
シャルロットも、夫を見送るべく席を立つ。
既に敵のいない旧帝都だ。しかし、帝国を支配していた神霊の潜んでいた地下神殿に赴くためだろう、シャルロットは少しばかり心配そうな顔をしていた。
「大丈夫だよ。義伯父上も、危険なことは無いと言っている。そもそも、何かあったら義伯父上が知らせを出すことだって出来ないだろ?」
シノブは、シャルロットを安心させようと微笑んだ。
ベランジェの知らせは、危険の有無などまで触れてはいなかった。しかし彼が言う通り、何かあれば文を記すことも出来ないだろう。そのため、シノブは安全だとは思っていた。
それに、大切なのは自身の妻を安心させることだ。アムテリアから授かった腹帯により普段と変わらぬ生活をしているが、シャルロットは懐妊中の身である。本来なら、こういった諸国の問題も聞かせるべきでは無いのだろう。
「シノブ……本当なら私も同行したいのですが……」
幼い頃から伯爵家の継嗣として育てられたシャルロットは、夫を支え、領地を守り、国を思うことくらいは、と譲らない。それに、何もしない方が彼女の負担になるようだ。今も、戦地でなければ自身も、と思っているのだろう。
「ちょっと謎の装置を確認しに行くだけだよ。それより、こっちのことも大切だからね」
シノブは笑顔を保ちつつ、そして少しばかり冗談めいた口調で妻に答えた。
シャルロットには、なるべく自然にしてほしい。シノブは、常々そう思っていた。そのため彼は、案じつつも妻を諸々のことに関わらせていたのだ。
とはいえ、それはシャルロットのためを思っての行動だ。愛妻に隠し事はしたくないが、かといって不安も抱かせたくない。それが、シノブに小さな嘘を吐かせたのだ。
「閣下、こういうときはグッと抱きしめてあげるべきです。我々のことなどお気になさらず。何なら後ろを向きましょうか?」
「アルバーノ殿……」
アルバーノの剽げた言葉に、ファルージュは苦笑していた。そして、ジェルヴェは微笑みつつも黙したままである。三者三様だが、何れも新婚のシノブとシャルロットの様子に温かいものを感じているようだ。
「アルバーノ……ありがとう、と言うべきなのかな?
……シャルロット、心配しないで待っていてよ。すぐに戻るからさ」
シノブは、頬を染めつつも部下の忠告に従った。つまり、シャルロットを抱きしめたのだ。
そして彼は、優しく柔らかな言葉を腕の中の妻に贈る。最近は身近な者だけの場でしか使わない、ごく自然な若者らしい言葉は、彼の率直な気持ちを伝えるに相応しいものだ。そのせいか、二人を囲む者達の笑みも、一層深くなる。
「はい……」
シャルロットも、夫の言葉に気持ちが緩んだのか、あるいは夫の思いやりを察したのか、部下の前にも関わらずシノブの胸に顔を伏せていた。
それを見たシノブは、もっと妻を労らねば、と内心反省した。彼自身に不安は無くても、待つ身はまた別の筈だ。そこに思い至らぬようでは、まだまだ未熟なのだろう。彼は、アルバーノに感謝を感じつつ、妻の背に手を回し優しく撫でる。
「シャルロット様、私が付いていますから心配なさらないで下さい! 魔道装置の調査なんて、すぐに終えて戻りますから!」
「ありがとう、アミィ。シノブをお願いします」
アミィの言葉に安心したのだろう、シャルロットは顔を上げて微笑んだ。恥ずかしさのためか、彼女の顔は少しばかり赤かった。しかし夫の温もりを感じたためか、それは何とも幸せそうな表情でもあった。
「はい、お任せください!」
アミィの言葉は、いつものように元気に満ちたものだった。しかし、そこにはシャルロットに笑顔が戻ったことへの喜びも宿っているようだ。どことなく柔らかなアミィの声を聞いたシノブは、そう感じていた。
「それじゃシャルロット、行ってくるよ!」
シノブは、シャルロットからそっと体を離す。そして彼は、アミィと共に笑顔のまま自身の執務室を後にした。
ベランジェが発見したものが何であれ、アミィなら正体を暴くだろう。そして自分とアミィが一緒なら、危険なものであったとしてもそれを乗り越え戻ってくる。そんな強い思いと共に、シノブは謎の神が潜んでいた場所に歩み出していった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2016年1月6日17時の更新となります。