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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第15章 神の代行者
328/745

15.08 私も人だから

 白く輝く化粧漆喰の壁と、高い天井。その天井は精緻を極めた絵画で飾られ、床にはそれと競うように緻密かつ複雑な寄木細工の模様が広がっている。まるで王宮か、そうでなければ上級貴族のサロンかと思うような部屋だが、ここは軍の本部であった。

 そう、ここはアルマン王国の王国軍本部、それも軍務卿の執務室だ。王都アルマックのほぼ中央にある王国軍本部は内外共に贅を凝らしたな建物だが、その中でも最も上等な部屋である。


「デリベールは、どの辺りだろうか?」


 威厳に満ちた声音(こわね)で問うたのは、部屋の主だ。茶色の髪と青い瞳に細面の彼が、アルマン王国の軍務卿ジェリール・マクドロンである。

 ジェリールは、鼻の下に綺麗に整えた髭を蓄えた、紳士然とした人族の男性だ。背後に窓を背負って執務机に着いた彼は、正面からは上半身しか見えない。だが、厚い胸板や盛り上がった肩だけでも、彼が優れた武人だと見て取れる。

 そしてジェリールは、単なる腕自慢というわけでもないようだ。鋭い眼差しといい、引き締まった口元といい、彼を見た者は油断できない相手と自然に察するだろう。

 その外見に相応しく、彼の呟きは次男のデリベールへの心配などは感じられない冷徹なものであった。軍務卿として、作戦行動中の部下の現状を確認しているだけ。そうとしか受け取れない冷たさである。


 そして彼の左右には、それぞれ一人ずつローブを(まと)った護衛らしき者が立っていた。フードつきのローブのせいで目元しか見えないし、中には何か着込んでいるのか男女の区別も付かない。そのためローブの者達は何となく不気味で、ジェリールの冷たさを更に強調しているようであった。


「さあ……無事ならば、カンビーニ王国というところでは?」


 ジェリールに答えたのは正面に立つ若い軍人、まだ二十歳(はたち)を幾つか過ぎた程度の人族の青年だ。この若者がジェリールの長男ウェズリードである。

 もっとも父だ息子だなどと言わなくても、彼らは血が繋がっていると誰でも納得するだろう。茶色の髪に青い瞳で細面のウェズリードは、父のジェリールとそっくりだ。まだ若いためか髭は蓄えていないが、相違点はそれと年齢くらいである。


「カンビーニか。あそこに寄港地を造らねばな……」


 どうやらジェリールとウェズリードは、デリベールの率いた艦隊がシノブ達に拿捕されたと知らないらしい。だが、それも無理はないだろう。

 デリベール達は、海上からそのままメリエンヌ王国の都市オベールに送られた。シノブが魔法の家を使って転移させたのだ。行き先はオベールの軍施設で、そこは監察官達が待つ事実上の監獄である。

 仮に普通に護送すれば誰かが目にするだろう。しかし遠洋から軍事施設の奥に一気に転送されたのだから、他国の者が(つか)むのは不可能だ。

 拿捕した偽装商船も同じで、魔法のカバンに収納してガルゴン王国の軍港の船渠(ドック)に運んだ。そのため、こちらも現時点では外部に情報が漏れていないようだ。


「それより父上、ビトリティス公爵が代替わりしたそうですが」


 ウェズリードは現実的な性格らしい。彼は確認する(すべ)がない弟の居場所より、己が得た情報が気になるようだ。そう、アルマン王国にも先代ビトリティス公爵サラベリノの不祥事は伝わっていたのだ。

 ガルゴン王国の王都ガルゴリアで公爵位の継承が行われてから三日である。ガルゴン王国内は神殿の転移で情報が伝達されるから、その分アルマン王国に伝わるのも早まったようだ。


「ビトリティスか。あのシノブという男が関わったようだな。サラベリノが病に倒れたと発表されたが、それは表向きのこと……しかし、隷属を解除できる者が現れるとはな。それに、噂通り竜人も倒したか……」


 ジェリールには王都ガルゴリアと都市ビトリティスの双方の情報が伝わっているらしい。

 おそらく、ビトリティスには彼の配下が潜んでいたのだろう。公爵の館での戦いは、宙に舞う竜人達との戦いでもあった。したがって、戦いは館の周囲からでも充分見えたはずだ。そしてビトリティスにいた軍務卿の配下は、当然ガルゴリアでの布告を耳にしただろう。


「とはいえ、もはや引き下がれません。昨年末のメリエンヌ王国での事件以来、嫌な予感はしていましたが……しかし、そのときには私達は既に悪魔の所業に手を染めていた。ならば、このまま突き進むしかありますまい」


 悪魔の所業とは言うものの、ウェズリードの表情や声音(こわね)に変化は無い。どうも、偽悪的に口にしただけで、本心からの発言ではないらしい。おそらく、彼は隷属について忌避していないのだろう。

 これは、ベーリンゲン帝国の出身者以外では、極めて稀なことであった。アルマン王国でも、最高神アムテリアと六柱の従属神を信仰している。そして、奴隷はアムテリアや従属神が禁忌とするものだ。したがって、ベーリンゲン帝国以外の国々では、奴隷制度に対する嫌悪は非常に強い。

 しかしジェリールとウェズリードには、隷属の魔道具の使用を嫌う様子は無い。彼らには、自分達の行動への疑念は存在しないようだ。


「人は人を支配する。王は民を従え、将は兵に死ねと命じる。そして、逆は無い。それと隷属のどこが違う? 民は王になれず、兵は将に逆らえば軍法会議だ。我ら貴族とて、民よりは高い身分なれど、王には逆らえぬ中途半端な位でしかない。所詮我らも王に隷属し仕える奴隷なのだ。

それに、神々が何をしてくれる。我が妻、お前達の母ナディリアの命を奪った神が……」


 陰々と響くジェリールの声は、この世の全てに対する(のろ)いのようであった。その表情も陰鬱とした暗さに満ち、正に全身で嘆きを顕わにしている。

 もはや、最前までの紳士らしさはジェリールから消えていた。とはいえ、彼が粗暴さを見せたわけではない。彼は、負の感情を(まと)いつつも静かで端正な様子も持ち合わせていた。そのため紳士は紳士でも、闇の紳士と言うべき一種独特の迫力を醸し出していた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「父上のお気持ちは察しております。ですが、大切なのはこれからどうするかでしょう。

ヴォーリ連合国は、こちらがドワーフを奴隷にしていると知ったようです。理由は明示していませんが、交易の全面中止を通告してきました。

メリエンヌ王国は相変わらずですが、ガルゴン王国もビトリティス公爵の件で敵に回りました。もはやガルゴン王国の西側を引き込み橋頭堡とする計画は、頓挫したというべきです。

王宮ではヴォーリ連合国の急な変節などと寝惚けたことを言っていますし、ガルゴン王国に関しては単なる内紛と見ているようです。しかしメリエンヌ王国を含め結束しているのは明らか……彼らが宣戦布告したら、どうなることやら」


 ウェズリードの声は、相変わらず感情が薄い。彼は父の気持ちを察すると言ったが、とてもそうは思えない淡白さである。

 しかし冷徹さ(ゆえ)に、ウェズリードは周囲の情勢を正しく理解できるようだ。彼が言うように、このままではアルマン王国が孤立するどころか、国の存続すら危うくなるだろう。


 そして口にした言葉が本当なら、隷属やビトリティス公爵への謀略はアルマン王国の一部が関わったのみだろう。そうでなければ、王宮がヴォーリ連合国の意図を(つか)みかねたり、ガルゴン王国の動きを読み違えたりすることは無い筈だ。


「おそらく奴らはドワーフ達を救出したいのだろう。そして開戦すれば、我々が盾にすると思っているのだろうな」


 ジェリールは、シノブ達の思惑を充分承知していたようだ。彼も淡々とした様子で自説を述べる。

 シノブ達がアルマン王国に宣戦布告しないのは、諸国の結束するのを待ったというのもある。しかし開戦の宣言が、囚われのドワーフ達を危うくしかねないという思いも大きかった。

 出来る限り、戦に突入する前に救助する。そうでなければ、アルマン王国が隷属させたドワーフ達を人質に取りかねない。それが、シノブ達の懸念するところであった。


「そんなところでしょうね……随分甘いですが、それだけに付け込むべき隙として活用しましょう。しかし、実際のところ勝てるのですか?

グレゴマン……グリゴムールの力は確かに瞠目すべきものですが、奴の父は、シノブとやらに負けたのです。もちろん、今更降伏しても見逃してはくれないでしょう。もはや、私達は死ぬまで戦うしかありません。しかし、どうせなら少しでも勝ち目のある戦いをしたいものです」


 今まで平板だったウェズリードの声音(こわね)が、僅かに変化を起こした。

 それは、負けたくないという思いから来たものであろうか。僅かに硬質になり、そして熱意の篭った声は、死ぬまでと言いながらも最後まで生きる道を探す、生命の本能が滲んでいるようだ。たぶん、彼は全身全霊を篭めて己が勝つ方策を探っているのだろう。青い瞳に宿る力強い輝きは、そう物語っているようだった。


 それはともかく、彼らはグレゴマン・ボルンディーンの正体がベーリンゲン帝国皇帝の次男であるディーンボルン公爵グリゴムールということも知っているようだ。もっとも、あれだけ帝国の魔道具を使っているのだ。知らない方が不思議と言うべきだろう。


「奴も、父の二の舞は避けたいだろう。あの男は、陥落直前まで皇帝の行動を見ていたそうだ。そして、皇帝を通してメリエンヌ王国側もな。

奴は、シノブという男が理想主義者だと言っていた。おそらく、それは間違いないだろう。ドワーフ達への姿勢を見れば明らかだ。であれば、付け入るべきは精神面だ。

後は、結局魔力次第だろう。そのためにデリベールを派遣したのだがな……」


 帝国の魔道具は、大量の魔力さえあれば、竜すら従えた。彼らが『魔力の宝玉』と呼ぶものは、竜のための『隷属の首輪』などの数々の魔道具に魔力を供給し、桁外れの性能を発揮させた。どうやらジェリールは、それらを知っているらしい。


「魔力ですか……父上、西の寒村で吸血鬼が出たという噂を知っていますか? 何でも、大勢が血を吸われて死んだとか。行方不明者も多いようですね」


「グレゴマンの仕業だと言うのか? 見逃しておけ。東に送った船団次第では、それが切り札になるかもしれん。そもそも、人を縛るのも殺すのも大して変わらん。どちらも意思を奪うのだからな」


 息子の探るような言葉を、ジェリールは眉一つ動かさずに受け流した。彼は虚勢を張ったわけではないらしいし、皮肉を言ったつもりもないようだ。隷属も死も、人らしいあり方の喪失という意味では同じこと。彼は、本心からそう思っている。そう思わざるを得ない、揺ぎの無さであった。


「私は、ナディリアの死で思い知ったのだ。人の命など儚いもの。そして神は無情にも答えてはくれぬし、何も言わずに奪っていく。ならば、私が奪って何が悪い。

結局、人は何かを犠牲にしなくては生きられんのだ。他の生き物の命を糧にするのも、人の命を踏み台にしていくのも、何が違うというのか」


 ジェリールの言葉からは、深い失望が感じられた。彼にとって、妻の死はそれほどまでに衝撃的であったのだろう。内に秘めた激情と全てに対する呪詛(じゅそ)の強さが、それを示しているようであった。

 しかしウェズリードは、父の言葉を静かに聞くだけであった。その姿は、過去に囚われる父に辟易しているようでもある。しかし、現在の軍務卿ともなれば、 嫌気が差したからといって遠ざけるわけにはいかないだろう。それが父親であれば、尚更だ。

 ウェズリードの父にも勝る冷たい視線は、そう語っているかのようであった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「ジェリール様。この娘、もう駄目のようですわ。北から次の者を送ってほしいのですが」


 聞く者を凍えさせるような女性の声が、寒々しい執務室に響いた。

 声の主は、長い黒髪に茶色の瞳の人族らしき女性であった。彼女の歳はジェリールとウェズリードの中間くらい、三十歳前後のようだ。なお、彼女の衣装は軍服だから、女性軍人なのかもしれない。しかし、ノックもせずに入室してきた様子といい、とても普通の軍人とは思えない。


 そして軍服の女性の後ろには、背の低い少女が続いていた。濃い茶色の髪に、良く似た濃い茶色の瞳。そして浅黒い肌。そう、彼女はドワーフの娘であった。

 足早に入室した軍服の女性とは異なり、ドワーフの娘はどこか体を悪くしているような頼りない歩みであった。しかし、それでも彼女は黙って歩き続け部屋に入る。

 実は、彼女の首には『隷属の首輪』が()まっていた。首まで覆う服だから、それと知らねば気が付かないかもしれない。だが、充分な知識と観察眼を持つ者であれば察するだろう。


「ルーヴィア、実験しすぎではないか? ドワーフの魔力は少ないのだから、何度も吸い出しては長く持たんぞ」


「そうですね。母上、数にも限りがありますし遠方です。次を用意しますが、多少時間が掛かりますよ」


 ジェリールとウェズリードは、ルーヴィアという女性に苦言を呈したが、それはドワーフの娘を案じてではなく、手間が掛かることは避けたいというものらしい。その証拠に、彼らの表情はそれまでと変わらぬ冷ややかさを保っている。


「ジェリール様、一応は妻の願いなのですから、聞き届けてくださっても良いのでは? ウェズリード殿も、もう少し敬ってほしいものですわ。第二夫人とはいえ母なのですから」


 ルーヴィアは、細い眉を(ひそ)めながら男性陣に反論する。彼女は、自身が口にした通り、ジェリールの第二夫人である。

 とはいえ、血の繋がらないウェズリードどころか、夫のジェリールも妻女というより部下にでも接しているかのような距離感だ。それはルーヴィアの方も同じらしく、彼女も夫や子供に対するものとは思えない、冷めた視線を向けている。


「……まあ、良いですわ。用意して頂けるのなら構いません。では、この場で潰してしまいましょう」


 そういうと、ルーヴィアは懐から拳大の結晶を取り出した。そう、それは『魔力の宝玉』であった。どうやらルーヴィアは、ドワーフの娘から魔力を吸い尽くすつもりらしい。


「あなた達に神々が答えてくれるわけがないでしょう」


「あっ!」


 突然響いた声と同時に、ルーヴィアが後ろに倒れる。どうも、何かに突き飛ばされたらしい。そして次の瞬間、ドワーフの娘から『隷属の首輪』が外れ、宙に掻き消えた。

 隷属を解かれた者は、殆どの場合失神する。そのためドワーフの娘も気を失い、その体から力が抜けた。しかし何者かが支えているのか、娘は倒れることは無い。彼女は僅かに斜めになった不自然の体勢のままであった。


「誰だ!?」


 ジェリールは席から立ち上がり、ウェズリードも剣を抜いて身構える。そして、ジェリールの両脇にいたフード付きのローブを(まと)った護衛も、一歩前に進み出た。


「貴様らに名乗る名は無い! とはいえ、姿くらいは見せましょうか……」


 少しばかり気取った声が響くと、金髪碧眼の人族らしき男性が現れた。だが、彼は人族ではない。その正体は、アミィの魔道具で姿を変えた猫の獣人アルバーノ・イナーリオである。


「私も人だから、怒りに我を忘れることもありますがね……ですが、これほど怒ったのは久しぶりですよ」


 アルバーノは右手で血に濡れた小剣を構え、左手でドワーフの娘を抱えている。その表情は険しく、突き刺さすような殺気と合わせ、彼の怒りの激しさを示していた。


「少しばかり泳がしておこうかと思いましたが、面倒です。というわけで軍務卿殿。貴方も二人の妻の後を追っては如何(いかが)ですかな?

ああ、ついでですから息子殿も一緒に旅に出してあげましょう。私は面倒見の良い男でしてね……」


 ドワーフの娘を抱えたアルバーノは、音も立てずに前進する。彼は正面のウェズリード、そして窓を背負って立つジェリールへと向かっていく。


「馬鹿にするな!」


「甘い! ……っと!」


 切りかかったウェズリードの剣を、アルバーノは天井に向けて弾き飛ばした。吹き飛んだ剣は精緻な絵画のど真ん中に突き立ったが、それを見ているものは誰もいない。何故(なぜ)なら、室内には二つの火の玉が出現し、アルバーノに向かって突き進んでいたからだ。

 火の玉は、ローブの護衛達が放ったものだ。揃って挙げた右手から、人の頭の倍ほどもある火の玉が生み出され、それが矢のような速度でアルバーノに迫っていた。


「こんなもの!」


 アルバーノが目にも留まらぬ速さで剣を振りぬくと、軍務卿の執務室に突風が巻き起こる。それは、室内を飾る品々を吹き飛ばしたが、迫る火の玉も消滅させていた。そう、アルバーノは帝都決戦でアルノーが見せた真空の竜巻を作り出し、火の玉を消し去ったのだ。


「どこに行った!」


 ウェズリードが素早く周囲を見回すが、彼がアルバーノの姿を発見することは出来なかった。それもその筈、アルバーノはウェズリードの脇に回りこみ、ローブの護衛達に向かっていたのだ。どうやら彼は、一番の難敵は顔を隠したままの護衛達だと判断したようだ。


「やはり!」


 金属を切る鋭い音と共に、片方の護衛のローブが散っていく。そして護衛と交差しつつ窓側に抜けたアルバーノは、僅かに興奮が滲む叫びを上げていた。何と、ローブの下には甲冑らしきものがあったのだ。


 らしきもの、というのは、それが人間の鎧姿とは少々異なっていたからだ。鎧の兜は、斜め後ろに突き出す角が生えている。しかし、どうやらそれは兜の飾りではないらしい。

 何故(なぜ)なら、兜の前面に覗いている顔は真紅の鱗で覆われていた。しかもその顔は竜のように長く手前に突き出し、巨大な口には長い牙まであった。

 人の姿から外れているのは、顔だけではない。背中には、コウモリの翼のような羽があり、ローブが無くなったためだろう、それは大きく広げられていた。そして、背後には尻尾まであるようだ。そう、ローブの中身は、竜人の一種、翼魔人(よくまじん)だったのだ。

 とはいえ、今までの翼魔人とは違い、頭には兜、体には胴鎧、手足には篭手や脛当てを着けていた。翼を出している以上、背中は大きく開いているのだろうが、少なくとも胴体の前面は鎧に覆われている。それに、手足も肌が覗いている箇所は僅かだ。

 そして鎧は、アルバーノの一撃でも完全に切り裂けなかったらしい。どうも、鎧も一種の魔道具らしく、『魔力の宝玉』らしき結晶が各所に埋め込まれている。


「……少々不利ですな」


 その間にも、もう一人のローブの護衛、中身は翼魔人だろう者が、火の玉をアルバーノに向けて放っている。流石のアルバーノも、未知の魔道鎧を身に着けた異形が二体と、二人の軍人相手では、分が悪い。

 ジェリールやウェズリードはアルバーノにとって大した相手では無いらしい。しかし、護衛の翼魔人がいる以上、ジェリール達を倒すことは難しいだろう。

 これがアルバーノ一人ならともかく、彼の左手は気絶したドワーフの娘で塞がっている。それに、姿を消しても娘までは消えない。つまり、娘の居場所でアルバーノの位置は推測できる。かといって娘を手放せば、彼女が狙われる可能性もある。

 アルバーノの剣は、今も翼魔人の火の玉を切り裂き消滅させている。しかし、四対一で片手だけの現状では、不覚を取る恐れもあった。


「ここは一旦退()きますか!」


 アルバーノは、そう言うと紫電の速さで剣を突き出した。彼の一撃は翼魔人の顔面を狙ったものだったが、中空に激しい火花が散ると押し留められた。どうやら、鎧で覆われていない箇所にも、必要に応じ魔力障壁が展開され装着者を守るらしい。

 だが、それはアルバーノも予測済みだったらしい。相手を(ひる)ませた彼は、戦いつつ接近した窓に向かって駆け出していた。おそらくアルバーノは、最初からドワーフの少女の安全を優先していたのだろう。口では如何(いか)にも倒すようなことを言いながら、脱出の機会を狙っていたのだ。


「軍務卿殿に息子殿、名残惜しいですが失礼しますよ! とりあえず、土産物は頂きましたしね!」


 アルバーノはドワーフの少女を抱えている方の手を掲げた。彼の手には、『魔力の宝玉』がある。彼は、いつの間にかルーヴィアが持っていた『魔力の宝玉』を奪い取っていたらしい。


「宝石と女性を抱えての逃避行! 洒落(しゃれ)ていますなあ!」


 小剣で窓を叩き割ったアルバーノは、そのまま外に飛び出した。そして数度の跳躍を繰り返した彼は、あっという間に軍本部の敷地から姿を消していた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「アルさん、その娘は!?」


 軍本部の敷地の外で待機していたファルージュが、目を丸くしてアルバーノに尋ねかける。いきなりアルバーノが敷地から跳び出して来たのだから、驚くのも無理はないだろう。

 それでもファルージュは商人とその使用人という役を忘れていないらしい。律儀な彼らしく、事前に決めた偽名でアルバーノに呼びかけていた。


「軍務卿のところで拾ってきました! 追っ手が来ます! このまま逃げますよ!」


「わ、わかりました!」


 アルバーノに促され、ファルージュも走り出す。敷地の中からは、兵士の怒号や馬の(いなな)きが響いてくる。どうやら、アルバーノが言うように追っ手が掛かっているのだろう。

 幸いにも、翼魔人は追ってこないらしい。もしかすると、竜人であることを周囲に隠しているのではないだろうか。ジェリールやウェズリードに驚いた様子は無かったから、彼らは正体を知っているのだろう。しかし、アルバーノ達が事前に収集した情報には、異形が軍本部にいるなどというものは無かった。

 したがって、竜人の存在を知っているのは、ごく僅かだと考えて良いだろう。


──この先の公園まで頑張りましょ~!──


 走り出す二人の前に、一羽の鷹が舞い降りた。普通の茶色の鷹のように見えるが、姿を変えた金鵄(きんし)族のミリィである。


「公園ですね!?」


──お巡りさんに捕まる前に逃げましょ~。ホリィが魔法の家を呼び寄せる準備をしています~──


 アルバーノの問いに、並んで飛んでいくミリィが答える。

 軍本部への潜入という大仕事だから、支援役のホリィとミリィも姿を消して近くで待機していた。そしてアルバーノの脱出を目にした二羽は、撤退すべきと判断したようだ。


「軍務卿は、アルさんでも倒せなかったのですか!?」


「色々ありましてね! それに、あの二人を始末するわけにはいかなかったのです!」


 ファルージュの問いに、アルバーノは曖昧な答えを返した。どうやら、彼には軍務卿と息子を倒したくない理由があったらしい。口では怒りに任せて叩き切るようなことを言っていたアルバーノだが、内心では色々考えていたようだ。


──北がどうこう、って言っていましたからね~。あの二人しか知らなかったら困ります~──


 どうも、ミリィは軍務卿の執務室の近くにいたようだ。彼女は、アルバーノと軍務卿達のやり取りをある程度把握しているらしい。

 それはともかくアルバーノがジェリールやウェズリードを倒さなかったのは、ミリィが言うように彼ら二人しかドワーフの家族の居場所を知らない可能性を考慮したからだろう。そして、あの状況では二人のうちどちらが知っているか判然としない。

 ルーヴィアが北から送るように頼み、ジェリールが苦言を呈し、ウェズリードが遠方だと言った。この流れなら、ウェズリードが居場所を知っている可能性は高い。しかしジェリールのみが正確な場所を知り、ウェズリードが遠方ということだけ教えられているかもしれない。

 したがって、まだ双方泳がしておく必要がある。アルバーノは、そう考えたのだろう。


「捕縛も困難ですしね! ここですね!?」


 アルバーノは、公園らしき場所の入り口を覗き込む。ここは中央区の公園の一つだ。

 中央区の公園は騎士階級や従士階級の憩いの場で、広々とした敷地には雑木林などもあり周囲の目を(さえぎ)るものに事欠かない。そのため、魔法の家の呼び出し場所として選ばれたのだろう。


──そうですよ~。でも、油断は禁物です~。帰るまでが潜入です~──


──今、魔法の家を呼び寄せます! 入ったらすぐに呼び戻してもらいますから!──


 雑木林の合間に駆け込んだ二人を出迎えたのは、相変わらず暢気(のんき)なミリィと、緊迫した様子のホリィの思念だ。しかしアルバーノとファルージュには思念は理解できないから、そこに滲む雰囲気を察することは不可能である。

 とはいえ、鳴き声が示す内容だけでも二羽の違いは明瞭である。そのため走り終えた二人は苦笑いとなり、顔を見合わせる。


──呼びました!──


「二人とも、早く!」


 雑木林の中に出現した魔法の家の扉を開いたのは、シノブであった。彼の思念は他の者とは違い非常に遠くに届く。そこで二人を招き入れたら、シノブが思念を発して呼び戻してもらうのだ。これなら、通信筒を使うより早く転移できる。


「すみません!」


「入りました!」


 ドワーフの娘を担いだアルバーノに続き、ファルージュが駆け込む。そしてファルージュは駆け込む勢いのまま、後ろ手に扉を閉めた。


──救助できて良かったですね──


──そうですね~。女吸血鬼、怖かったです~──


 一瞬にして消え去った魔法の家を見送るのは、当然ホリィとミリィである。

 ホリィ達は、このまま残って偵察を続ける。もしかすると、軍務卿達が北にいるドワーフの家族を呼び寄せるかもしれないし、確認の使者などを送るかもしれないからだ。

 そのため、どちらかが彼らを見張り、もう一羽はアルバーノ達が(つか)んだ場所、ドワーフの職人達が囚われているかもしれない二箇所の造船所を探るのだ。

 なおアルバーノ達は状況次第で再度呼ぶことになるが、まずはシノブへの報告が先である。


──さて、私は造船所に行きますね!──


──では、私が軍務卿の見張りですね~。マクドロンだかマグロドンだか知りませんが、ドロンと逃げたりはさせません~──


 思念を交わしたホリィとミリィは、そのまま姿を消す。そして誰もいなくなった公園の雑木林は、それまでの静けさを取り戻した。

 幾つかの謎は解け、幾つかの謎は残った。しかし貴重な情報を多く得たし、何より一人の少女を救い出せた。そのためだろう、ホリィとミリィの思念も、弾むように軽やかなものであった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2016年1月4日17時の更新となります。


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