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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第15章 神の代行者
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15.06 シノブの瞳に映るもの

 伯爵家の館ともなれば、厨房も複数存在する。領主一族と館の使用人達の食事は当然ながら異なるし、それらは並行して用意される。それに、賓客が訪れたら大量の料理を一度に作らなくてはならない。

 午餐会や晩餐会などの祝宴は、大規模なものであれば出席者が百人を超える。それに身分により(うたげ)を幾つかの広間に分ける場合、メニューもそれぞれ違うものとなる。そのため厨房では、多種多様かつ大量の料理を作るのだ。

 そのためフライユ伯爵の館には、大きく分けて三つの厨房が存在する。一つは主や賓客達のための料理を作る第一厨房、もう一つは使用人達の食事を用意する第二厨房、そして最後は領主の家族自身が使う特別厨房である。


 第一厨房は伯爵家が誇る料理長とお抱えの料理人達が詰める場だ。ここには調理器具や魔道具のコンロもそれに相応しい上等なものが置かれ、多数のメニューを並行して調理できるようになっている。

 それに対し第二厨房は専属の者は置かず、侍女などが当番で料理を担当する場であった。こちらは一度に同じものを大量に作るため、設備や器具も第一厨房よりは簡素であり、その代わりにコンロや鍋も大きなものが置かれている。要するに、手間を掛けずに一度に沢山作ることを優先しているわけだ。

 ともかく双方とも非常に大規模で、それこそ百食でも同時に調理できる場である。


 そして最後の特別厨房は、伯爵家の女性が使う場所であった。こちらは前の二つに比べると小規模で、せいぜい十人弱が料理できる広さしかない。そして常時使われるのではなく、時代によっては使う者がいないこともあったらしい。いわば、趣味のための厨房である。


 もっとも二代前の伯爵アンスガルの晩年は、特別厨房も毎日使われたそうだ。年老いた彼は病に倒れ、第二夫人のアルメルや娘のブリジット、つまりミュリエルの祖母や母が看病をした。そしてアルメルとブリジットは、アンスガルに手ずから料理を作ったのだ。

 これはブリジットの花嫁修業という意味もあったらしい。アンスガルはブリジットを現ベルレアン伯爵のコルネーユ、当時は継嗣であった彼に嫁がせたかったという。しかし、コルネーユには既に第一夫人のカトリーヌがいる。そこでアルメルは、料理なども含め家庭を支えるための技を娘に教え込んだらしい。

 アルメルは、代々農務卿を務めるジョスラン侯爵家の出で、農作物にも詳しい。そのため上級貴族にしては珍しく、料理も仕込まれた。そして、これは孫のミュリエルにも脈々と受け継がれている。


「それに対し、私は武術一本槍でした。祖父や父も、最初は普通に娘らしく育てるつもりだったようですが……」


 ミュリエルが初出仕の側仕え達と対面している頃、特別厨房ではシャルロットが少々恥ずかしげな表情で昔語りをしていた。シャルロットは、夫に手料理を作ろうと厨房に赴いたのだ。


 シャルロットの周囲では、彼女の側付きや侍女達が、興味深げな様子で主の話を聞いている。

 話を聞くのは、七人だ。まずは女騎士のロセレッタとシエラニア、そして侍女見習いであるマリアローゼやマヌエラ、更に警護責任者のアデージュである。この五人は、シャルロットの執務室からそのまま付き従っていた。

 そして、料理の教授役として侍女のリゼットとソニアもいる。商家出身のリゼットに、元は従士階級の出身だが海産物などを扱うブランザ商会で働いていたソニアは、どちらも人並み以上の経験の持ち主だ。


「それは仕方ありません。シャルロット様の才を知れば、武術を教えたくなるのは当然です」


「ええ。それに伯爵家の継嗣なのですから。跡取りではない私達ですら、この通りです」


 野菜を刻みながら応じたのは、ロセレッタとシエラニアだ。シャルロットも含め、カレーの具とする野菜を包丁で剥いたり刻んだりしている最中である。

 ロセレッタとシエラニアは、カンビーニ王国の伯爵の娘だ。ここにはいないフランチェーラを含む三人は、幼いころから公女マリエッタの学友となるべく育てられた。そして、マリエッタは武術を尊ぶカンビーニ王家の一員である。そのため、三人も料理や裁縫ではなく武術を仕込まれたのだ。

 もっとも二人の手付きは確かなものだ。武術で学んだ刃物の扱いは料理にも応用できるらしい。


「私達も……礼法や話術は……学びましたが……」


「恥ずかしい……です」


 こちらは、マリアローゼとマヌエラだ。二人はジャガイモの皮剥きをしているが、皮は分厚く身は小さい。双方とも包丁の扱いはまだまだらしく、そのため会話よりも手元に集中しているようだ。

 しかし、これでもだいぶ上達したらしい。帝国の宰相の孫であったマリアローゼに、同じく元帝国貴族の娘のマヌエラだ。どちらも、料理などしたことはない。

 二人は帝都決戦で祖父母や両親が竜人化した。そしてフライユ伯爵家で働くようになってから一ヶ月、侍女教育の一環として料理なども学び始めた。だが、刃物など食事のときにナイフを持ったくらいで、中々包丁に慣れないようだ。

 とはいえ二人はシャルロットの側付きであり、カンビーニ王国やガルゴン王国にも随伴した。そのため、学ぶ時間が少なかったのも事実である。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「シャルロット様、お体は大丈夫ですか? 匂いなどが(こた)えると聞きましたが……」


 アデージュは、シャルロットを探るように見つめている。その頭上には茶色の毛に覆われた狼耳がピンと立ち、案ずる彼女の内心を表しているようである。

 アデージュはシャルロットの警護担当であり、料理に加わっていない。館の中、しかも領主一族や側仕えしか入らない特別厨房に敵が来るとも思えない。しかし彼女は万一に備え、愛用の剣を帯びたままだ。

 なお、元傭兵のアデージュは料理も一通りのことが出来る。軍でも階級が低ければ料理当番は回ってくるし、傭兵は自分のことは自分でする。そのため貴族出身でいきなり隊長格に据えられた者以外は、一定の腕に達するという。


「大丈夫ですよ。シノブから頂いた腹帯は、悪阻(つわり)なども抑えてくれます。ですから、軍務も問題ないのですが」


 女性だけしかいないからだろう、シャルロットの答えは執務室とは違い、少々踏み込んだものであった。あちらには領都守護隊司令のジオノを始め男性軍人がいたから、シャルロットも懐妊に伴う諸々について触れたくなかったのだろう。

 アムテリアから授かった腹帯は、胎児が身体強化や活性化などの魔術の影響を受けないようにするだけではなく、母体を守る効果もある。しかも、その効能は外部の衝撃や運動などへの備えだけではなく、体調の変化まで防ぐ広範なものであった。

 そのため通常の妊婦とは違い、シャルロットは従来通りの生活を続けることが可能だ。しかし、それが逆に彼女が休まない理由にもなっていた。


「シャルロット様、軍務は流石に……」


「そうです。帯は、(おおやけ)にはしていませんから」


 苦言を呈したのは、皮剥きをするシャルロット達を監督しているリゼットとソニアである。

 シャルロットが身に着けている腹帯がアムテリアからの授かりものだと知っているのは、彼女自身などシノブの真の来歴を知る者だけだ。つまり、ここではシャルロットだけである。他の者にはシノブが持っていた魔道具と説明しているが、それも側仕えや幹部級の家臣だけだ。

 何しろ、母体の安全を保障してくれる魔道具である。子供を授かった者であれば、喉から手が出るほど欲しい筈だ。しかし、仮に頼まれても作ることは出来ない。そのため、近しい者にしか帯のことは伝えていないのだ。


「ジオノ領都守護隊司令を、第四席司令官に昇格させるべきかと……領内は安定していますし、現職と兼務で良いと思いますが……」


 数歩歩み出たアデージュは、シャルロットの横顔を見つめながら、年下の上官に諭すように語りかける。どうやら、この問題でシャルロットに意見できるのは、同じ女性軍人で既婚者の自分だと思ったようだ。

 とはいえ、その表情には若干の躊躇(ためら)いもある。彼女は軍の幹部の一人だが、まだ大隊長だし新参者でもある。その自分が司令官の人事に口出しするのは越権行為だと考えたのだろう。


「……そうですね。皆に心配をかけるのはよくありません。アデージュ、ありがとう」


 手を()めたシャルロットは、隣に立つアデージュに柔らかな笑みと共に答えた。

 シャルロットも、軍本部に出向かずに館に留まるなど、周囲に不安を(いだ)かせないようにしていた。しかし、そろそろ一旦軍務から手を引くべきと考えていたのだろう。今のうちならともかく、産み月が近づけば誰かに任せるしかない。ならば、ここらが潮時とシャルロットは思ったのかもしれない。


「それが良いです! シャルロット様、赤ちゃんが産まれるまで、色々お教えします! 料理だけではなく、裁縫とか編み物とか……」


「そうですね。シノブ様も喜んで下さいますよ」


 リゼットとソニアも安心したような笑顔となっていた。

 侍女である彼女達としては、主になるべく安静にしていてほしい筈だ。もしかすると周囲からも忠告するように言われていたのではないか。

 今はまだ妊娠二ヶ月といったところだが、そろそろ館の内外でもシャルロットの懐妊を知る者は多い。そして腹帯のことを知らない者は仕事から手を引かせるようにと思うだろうし、知っていても案ずる者も多いだろう。


「そ、そうですね……編み物も良いかもしれませんね。私も母上やブリジット殿の子に……」


 シャルロットも、ミュリエルが毛糸を購入した理由を知ったようだ。

 ミュリエルは、以前メグレンブルクに行きたいと願った。それは、フレーデリータから()の地の風習を聞いたからだ。フレーデリータの故郷であるメグレンブルクには、生まれてくる子に親族が毛糸で帽子や手袋などを編んで贈る風習がある。それを知ったミュリエルは、毛糸を買い求めたのだ。

 そしてミュリエルは、シャルロットとその母カトリーヌ、自身の母のブリジットが産む赤ちゃんのための贈り物を編むべく今から準備している。それを聞けば、シャルロットがカトリーヌとブリジットに、と思うのは至極当たり前のことであった。


 微かに頬を染めながら夢見るような表情となったシャルロットは、母となる幸せに満ち溢れていた。そのためだろう、ロセレッタ達四人も手を()めて彼女の顔を見つめている。

 母となるシャルロット、夫を得たアデージュ。そして将来妻となり母となる六人の若い女性達。上は二十代半ばから下は十代前半と年齢は様々だ。しかし彼女達の顔は、いずれも似通った表情となっていた。それは、女性だけが理解の出来る喜び(ゆえ)の、幸福と期待の輝きであった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シャルロットもカレーを作るのは随分と慣れたらしい。元々彼女は経験が無かっただけで、理解度も高ければ意欲も充分にある。それに軍人として日常的に剣を使ってきた彼女だ。包丁の扱いなどは、すぐに並の料理人より上になっていた。

 それに教えるのは選りすぐりの侍女達だ。経験豊富な彼女達に従っていれば間違いなど起きる筈もない。


 今回も野菜に続き牛肉を角切りにし、その肉には塩胡椒で下味を付け、と手際良く準備は進んでいく。既に牛肉は一旦表面を焼き、野菜も(いた)め終わった。そうなれば後は煮込むだけだ。

 最後まで鍋の番をしてこそ手料理と言うべきかもしれないが、今日のシャルロットはリゼット達に任せた。何故(なぜ)なら今から彼女は、新たな料理を教わるからだ。


「オオサバの味噌煮……シノブが美味(おい)しそうに食べていましたね」


 シャルロットは興味深げな表情で、ソニアの説明を聞いている。

 オオサバとは、シノブ達もシュドメル海で獲った体長1m近くにもなる鯖である。ガルゴン王国から、旅の土産として持ち帰ったのだ。

 そしてオオサバの味噌煮は、以前アミィが作ったことがある。それを食べたシノブが感慨深げな表情を浮かべていたことを、シャルロットは思い出したらしい。


「はい。シノブ様は味噌や醤油での味付けが大層お好きです。煮物ばかりというのも何ですが、今日はいつお帰りになるかわかりませんから」


 ソニアはフライや唐揚げではなく、温め直せば済む煮物の方が良いと考えたらしい。確かに、料理のために控えている専門職ならともかく、事前に作っておくなら無難な選択であろう。

 なお、味噌や醤油はアムテリアから授かった魔法の容器で幾らでも出せる。そのため、アミィは時々取り出して、館の料理人に渡していた。エウレア地方の国々には冷蔵の魔道具も存在する。そこでアミィは一ヶ月に一度ほど(まと)めて出しているらしい。

 アミィは、それぞれ一種類しか無いのが残念なようだが、流石にこれ以上は高望みと言うべきであろう。


「そうですね……」


 シャルロットは、ソニアの説明に納得したらしい。彼女は、冷蔵庫から取り出された二匹のオオサバへと視線を向けた。

 1m近くの魚が二匹というのは、家族だけなら多いだろう。しかし、陪食する側仕えも含めればそれなりの人数になる。したがって、少し多めに作るようだ。


「……包丁捌きに関しては、もうお教えすることはありませんね。私よりも、よっぽどお上手です」


 1m級の魚であろうが、高度な身体強化が使える一流の武人にかかれば、あっという間に捌かれてしまう。シャルロットだけではなく、ソニアもかなりの腕の持ち主だ。二人はそれぞれ一匹ずつを受け持ったが、どちらも僅かな時間で捌き終えていた。


「武術で学んだことも料理の役に立つのですね……ソニアの場合、両方で修行した成果でしょうか?」


「はい。ご承知の通り、私は武家の出身ですから。それに、カンビーノの女性で魚を捌けない者など、嫁ぐことは出来ませんので」


 興味深げなシャルロットに、ソニアは苦笑気味に答えた。

 ソニアは、カンビーニ王家に直接仕える従士の娘だ。祖父と父、それに伯父とその子は王都カンビーノで働く武人、それも王の座す『獅子王城』に勤める身である。

 当然、女性であるソニアも護身の術を学んできた。彼女は身に付けた術を活かし、侍女でありながら叔父のアルバーノが(おさ)である特殊部隊にも所属しているのだ。

 そしてシュドメル海に接するカンビーノでは、やはり魚を良く食べるようだ。『獅子王城』での晩餐にも魚料理は多かったから、身分を問わず好まれているのだろう。


「では、少し塩を振って置きましょう。こうすると、臭みが抜けるのです」


「そうなのですか……」


 塩を振っていくソニアを、シャルロットは感心した様子で見つめている。

 やはりブランザ商会で学んでいたソニアは、魚料理については人一倍詳しいようだ。そもそも海の無いフライユ伯爵領では、海産物自体が珍しい。したがって専門に学んだ料理人を別にしたら、ソニアが一番魚に詳しい筈である。


「待っている間に生姜を刻んでしまいましょう。シノブ様は生姜もお好きだと、アミィ様から伺っていますので、お喜びになるかと」


 ソニアは、刻み生姜を付けるつもりらしい。彼女は良く洗った生姜の皮を剥き始める。


「これを刻むのですか……カンビーノでは、生姜も良く食べるのですか? 随分手慣れているようですが」


 シャルロットも、もう一つの生姜を洗ったが、皮を剥く前にソニアに問いかけた。どうも、彼女は球根のような生姜を物珍しく感じたらしい。料理を始めたばかりの彼女は、元のままの生姜を見るのは初めてだったのだろう。


「はい。父や祖父、それに叔父も好きです」


「アルバーノ……」


 ソニアの答えに、シャルロットは、何かを思うような顔となった。どうやら、ここにはいないアルバーノのことが気になったらしい。


「今頃、アルマックにでも潜入しているのではないでしょうか? その……例の魔道具の件もありますし」


 途中までは快活な笑顔を見せていたソニアだが、途中から少々声を潜めた。

 アルバーノは、ホリィ達と共にアルマン王国に渡っていた。アミィから新式の透明化や姿を変える魔道具を受け取った彼は、アルマン王国の王都であるアルマックなどを探りに行ったのだ。


 アルマックなど()の国の都市の幾つかには、アムテリアや彼女の眷属でも見通せない何かがあるらしい。そこには帝国の残党が奉じる神霊か準ずるものが潜んでおり、以前の帝都のような結界を作り出しているようだ。

 幸い、帝都やその周辺を覆っていた雷撃の結界はアルマン王国に存在しないという。ホリィ達金鵄(きんし)族や光翔虎のバージ達が空から接近しても、雷などに攻撃されることは無かったのだ。

 アルマン王国には、まだドワーフが囚われているし、帝国から渡った魔道具技師もいると思われるが、彼らの居場所については手掛かりがなかった。しかし、金鵄(きんし)族や光翔虎が聞き込みをするわけにはいかない。そこで、特殊部隊の(おさ)であるアルバーノが都市に潜入することになったわけだ。


「そうですね……」


 シャルロットは、マリアローゼやマヌエラに視線を向けた。二人は鍋を見守るリゼットの脇で、何かを教わっている。火加減や煮込む時間、あるいは粉にした香辛料の投入などについてであろうか。


 二人は、旧帝国領のイーゼンデックの東海岸にあった階段については知らなかった。宰相の孫娘であるマリアローゼだが、祖父や親から政治向きのことを逐一教わっていたわけではない。むしろ彼らは、宮殿での出来事などは子供の前では触れないようにしていたという。

 これは、何か失態があれば命で償うベーリンゲン帝国(ゆえ)だろう。身内とはいえ下手に情報を漏らすと、それが自身や家族の死に繋がりかねない。そうなると、宮廷での秘事を知ったとしても、軽々しく教えることは出来ない筈だ。


 それに、宰相などが階段について知らなかった可能性もある。ベーリンゲン帝国の政治は皇帝の独裁といっても良い。そのため、重要な情報を握っているのは皇帝だけということも珍しくはないようだ。

 どうも、神から力を授かった皇帝は、家臣どころか皇族なども意見の出来ない別格の存在として君臨していたらしい。それは皇帝自身というより背後に潜んでいたものの意思なのかもしれないが、どちらにしても皇太子や公爵位を授かった皇族達が表舞台に出ることは少なかったという。


「シャルロット様、今は料理に集中しましょう。失敗したら、シノブ様が悲しみますよ」


 ソニアは、金色の瞳を輝かせながらシャルロットに笑いかけた。少しばかり冗談めいた口調は、己の発言がシャルロットの顔を曇らせたと反省したからであろうか。


「ええ、そうしましょう」


 シャルロットも、侍女の気遣いを察したのだろう。彼女は再び笑顔になると、手に持った生姜の皮剥きを始めた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌ、お待たせ! アルメル殿、遅くなりました」


 広間に入ったシノブは、待っていた者達に声を掛ける。ここは、シノブ達が家族での食事に使う広間である。シノブ達は、夕食に間に合ったのだ。

 笑顔のシノブに続いてアミィが入室し、更に腕輪の力で小さくなった光翔虎のフェイニーとメイニー、シャンジーが入ってくる。メイニーとシャンジーが通常の虎くらいで、メイニーの背のフェイニーは猫ほどの大きさである。


「彼がシャンジーだよ」


 シノブは、帰還する直前に通信筒で戻る時間と新たな光翔虎を連れ帰ることを知らせていた。そこで彼は、シャルロット達にシャンジーを簡単に紹介する。


──シャルロットの姉御~、よろしくお願いします~! ミュリエル殿とセレスティーヌ殿にアルメル殿も~──


 シャンジーは彼独特の暢気(のんき)な思念を発すると、合わせて『アマノ式伝達法』に則った()え声で自己紹介する。


「……姉御?」


 シノブ達に向かって歩んでくるシャルロットは、怪訝な顔をしている。どうも、いきなりの姉御呼ばわりは少しばかり予想外だったようだ。


「光翔虎の若い雄は、決闘に勝った相手を兄貴と呼ぶんだ。それで兄貴の(つがい)は姉御なんだって。実は、向こうの森でね……」


 シノブはデルフィナ共和国の森でのことを、苦笑いしながら説明する。

 シノブ達は、デルフィナ共和国の森に棲むフォージとリーフ、二頭の子供のシャンジーに、帝国の残党のことなどを伝えに行った。しかしシャンジーはフェイニーと仲の良いシノブに怒り、彼に決闘を申し込んだ。

 結局シノブとシャンジーは、森の上空で決闘した。そして戦いはシノブの勝利で終わり、負けたシャンジーは彼らの掟に従いシノブを兄貴と呼ぶようになったのだ。

 ちなみに、シャンジーはアミィのことを『アミィ殿』と呼ぶようになった。シノブはアミィも姉御かと思ったが、兄貴の(つがい)以外には使わないらしい。


「そういうことですか。シャンジー、こちらこそよろしくお願いします」


 シャンジーは、体は成獣より少々小さいくらいだが、まだ百歳くらいであり、完全に成熟するまでは更に百年掛かるらしい。そこでシャルロットは、彼を未成年として扱うことにしたようだ。彼女は、シャンジーに歩み寄ると、優しく頭を撫でる。


──はい、姉御~!──


 シャンジーも、姉御と呼ぶシャルロットから子供扱いされるのは問題ないらしい。彼は素直に答えると、シャルロットに顔を擦り寄せる。


──シノブさん、私達はイジェさん達に会いに行くわね。それにシャンジーにこちらの空を教えたいし。シャンジー、行くわよ!──


──それじゃシノブさん、また夜に!──


 挨拶が済むと、メイニーとフェイニーは広間を出て行く。もっとも歩いているのはメイニーで、フェイニーは姉貴分の背中に乗ったままだ。

 まだ完全に日が落ちるまで時間がある。シノブ達はフォージ達の棲家(すみか)に設置した神像からシェロノワの神殿に帰ってきたから、決闘から大して時間は経っていないのだ。そこでメイニーは、シャンジーにシェロノワ近辺を案内するつもりのようだ。

 彼女達は、人間のような食事には興味はない。そのためシノブ達の食事を見ていても退屈なのだろう。なお、それは竜達も同じらしい。イジェやオルムルの帰りが遅いのは、飛翔の練習に熱中しているのもあるが、食生活の違いも大きいようだ。


──それでは兄貴、姉御、失礼します! メイニーさん、フェイニーちゃ~ん、待って~!──


 三頭は、入ってきたときと同様に入り口から出て行く。食卓の上には料理も並んでいるから、広間の窓を開けるのは避けたようだ。


「……シノブ様、随分変わった光翔虎さんですわね」


「そうですね。それとも光翔虎の若い男の子は、皆あのような感じなのでしょうか?」


 セレスティーヌとミュリエルは、少しばかり(あき)れたような表情であった。もしかすると、多少機嫌を損ねたのかもしれない。

 二人やアルメルには挨拶こそあったが、その後は無視されたようなものだった。したがって、彼女達が憤慨したとしても、無理はないだろう。


「変わり者だとは思うよ。でも、俺もシャンジーしか知らないからね……」


 何と答えるべきか迷ったシノブだが、思った通りを口にした。シャンジーが剽軽(ひょうきん)というか一種独特な性格なのは確かだ。しかし、彼が知っている光翔虎の子供の雄はシャンジーだけである。そのため種族の特性かどうかは、シノブにも答えようがなかった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「ともかく、食事にしよう! 折角の料理だからね! カレーに鯖の味噌煮……シャルロットが作ってくれたんだね?」


 シノブは自分の席に向かいながら、食卓の上に並んだメニューを眺める。

 食卓の上には、カレーのポットと味噌煮が入った皿が置かれている。カレーはご飯で食べる者とパンで食べる者がいるから双方が用意され、更にサラダやスープなどが並んでいた。


「はい。今日は時間があったのでサラダとスープも作ってみました」


 そして、シャルロットは嬉しげな笑顔で彼に続き、自身の作った料理について語っていく。もう、シャンジーのことなど彼女は忘れてしまったのではないだろうか。そう思うくらい満ち足りた、そして少しばかり自慢げな表情で夫に今日のメニューを説明していく。


「そうか……ありがとう」


 シノブは、忙しいであろう妻が、これだけの献立を全部作ったのかと思い驚いた。席に着いた彼は、自身の前に並ぶ料理をじっと見つめた。


 シノブの瞳に映るものは、どこか懐かしい料理であった。

 ポットの中は、ビーフカレーらしい。初めてシャルロットが作ってくれた料理であり、そしてシノブの好物でもある。

 おそらく最初のときもアミィがシャルロットに彼の好みを教えたのだろう。本場のカレーとは違う日本の辛口カレーといった仕上がりは、彼にとって懐かしの味というべきものだ。しかも、それを作ってくれたのは最愛の妻である。正に食べるたびに笑顔にしてくれる一品だ。


 そして鯖の味噌煮は、これも日本を思い出させてくれるメニューだ。

 以前、都市ブリュニョンの沖で獲ったオオサバをアミィが料理してくれたとき、シノブは日本にいる両親や妹のことを思い浮かべた。それは箸を使うシャルロット達家族の姿を見たからでもあるが、慣れ親しんだ味も郷愁を(いだ)いた理由の一つだ。


 サラダはアスパラガスなどの春野菜や生ハムを使ったもので、スープも洋風だ。こちらは日本を想起する要素はないが、それでも旅から戻って慌ただしい中、シャルロットが用意してくれた品々だ。それを思うと、シノブの胸に熱いものが込み上げてくる。


「シノブ、温かいうちに召し上がってください」


 シャルロットは、恥ずかしげに頬を染めていた。シノブが自分の作った料理をまじまじと見つめているからであろうか。


「ああ、そうだね……『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』……そして、シャルロットにも」


 シノブは、晩餐での作法に則りアムテリアの感謝の祈りを捧げた。そして彼は隣の妻だけに聞こえるように、小さな声で彼女への感謝を伝える。

 ここは自分の家だ。支えてくれる妻がいて、守るべき家族がいて。そしてアミィ達見守ってくれる者達もいて。そんな喜びと感謝の気持ちを、シノブは自身の言葉に篭めていた。

 それが伝わったのか、唱和した者達も普段以上に長く真摯な祈りを捧げている。


「さあ、食べよう! ……シャルロット、美味(おい)しいよ!」


 シノブは、妻の言う通り、料理が冷めないうちにと早速口に運んでいく。

 まずは、懐かしのカレーからだ。おそらく、アミィが日本風の味を追求したのだろう。それは和風な辛口カレーとして、シノブの記憶の中にある味であった。鯖の味噌煮もそうだが、目を(つぶ)って味わうと、まるでそこが日本の食卓のような気すらしてくる。


「ああ……本当に美味(おい)しいよ……ありがとう」


 シノブは、涙が(こぼ)れそうになるのを(こら)えながら呟いていた。

 帝国で見た策謀の欠片。そして調査中のアルマン王国の事柄。シノブの心に陰を落としていたそれらは、シャルロットが作ってくれた料理で、霧散していた。それらをシノブが忘れたわけではない。ただ、自身の家族や慕ってくれる者を守らなくては、という思いが、彼に新たな力を与えてくれたのだ。

 そんなシノブの笑顔は、シャルロット達にも温かな笑みを(もたら)す。そして深い絆で結ばれた家族達は、シャルロットの心の篭った料理を味わいつつ、互いの午後の出来事を弾む声音(こわね)で語り合っていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年12月31日17時の更新となります。


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