表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第15章 神の代行者
325/745

15.05 貴女に、若さを

 シノブがデルフィナ共和国の森でシャンジーと戦う少し前。シェロノワのフライユ伯爵家の館では、とある集まりが開かれていた。それは、新たにミュリエルに仕える少女達の初出仕だ。今、ミュリエル達の前には、お揃いのワンピースドレスを着た四人の少女が並んでいる。


「ヴィエンヌ・ルジェールです。七歳です」


 栗色の髪に緑色の瞳の少女ヴィエンヌが、居室のソファーに座ったミュリエルとセレスティーヌ、そしてアルメルに向かって頭を下げた。彼女の背丈は年齢相応だが仕草は堂に入っており、両親から厳しく教育されていることが伺える。

 それもその筈、彼女は伯爵家に代々仕えた名門の生まれである。彼女の父親はシノブの侍従の一人であるヴィル・ルジェール、兄はこれまた従者見習いとしてシノブに仕えるロジェだ。おそらく彼女は、幼いときから将来に備えて礼法を学んできたに違いない。


「ヴァネット・ガリエです。六歳です」


 少しばかり緊張した声音(こわね)で続いたのは、ヴィエンヌの隣に並んだ茶色の髪に琥珀色の瞳の少女ヴァネットだ。彼女はヴィエンヌとは違い、どことなく自信なさげな表情をしている。

 だが、それも仕方が無いだろう。騎士階級のヴィエンヌとは違い、彼女の父バリスト・ガリエは従士階級だ。そのため領主一族の側に上がるための教育など、受けてこなかった筈である。


「ジェレッサ・ラシュレーです。五歳です」


 三番目の少女ジェレッサには、さほど緊張した様子は無かった。ヴィエンヌと良く似た栗色の髪に、ヴァネットよりは少々明るい琥珀色の瞳の彼女は、柔らかな笑顔とそれに相応しい愛らしい声で名乗ると、綺麗な仕草でお辞儀をした。

 ジェレッサの父は、先代ベルレアン伯爵の腹心ジェレミー・ラシュレーだ。したがって、側付きとして上がる前にもミュリエルと言葉を交わしたことくらいはある。それが、彼女の落ち着きの理由なのだろう。


「ロカレナ・デ・モンタルベラです! 五歳です!」


 最後は、幾つかの意味で今までとは違う少女であった。

 まず、それまでの三人とは異なり彼女は人族ではなく、虎の獣人であった。そのため、彼女だけ頭上に獣耳があるし、背後からは黒い縞の入った尻尾が覗いている。

 そして彼女の名が示すように、生まれも他の三人とは違う。ロカレナはガルゴン王国の貴族なのだ。彼女はムルレンセ伯爵の嫡男フェルテオの娘であった。


 ロカレナは駐メリエンヌ王国大使の息子ナタリオ・デ・バルセロの婚約者である。しかし、ナタリオは当分シノブの側にいるだろう。それどころか今後のシノブとの関係強化を考えると、そのままフライユ伯爵領、あるいは旧帝国領に定住するかもしれない。

 ロカレナが十一歳も歳が離れたナタリオと婚約しているのは、当然ながら親同士が決めたからだ。したがって、これがナタリオの左遷などであれば親が婚約を解消しただろう。しかし、いずれ国を興すかもしれないシノブと親しくするナタリオだ。

 しかも、ナタリオはカンビーニ王国の大使の娘アリーチェとも親しい。そうなると第二夫人となるだろうロカレナが成人してから会うのも可哀想だろう。そこでフェルテオ達は、娘を今からナタリオの側に置こうと考えたらしい。


 そして、どうせならシノブ達との縁も繋ぎたい。そこでミュリエルが側仕えを増やしていると聞きつけた彼らは、娘を行儀見習いとして送り込むことにしたわけだ。

 もちろん通常であれば、伯爵令嬢が同格の家で見習いをすることはない。しかし、シャルロットの下ではカンビーニ王国の公女マリエッタが修行しているし、見習いではないがガルゴン王国の王女エディオラもフライユ伯爵領の研究所に勤めることとなった。

 そこで、フェルテオ達は、これを口実にフライユ伯爵家と関係強化すべきと考えたようだ。


 もっともロカレナ自身、国王や王太子の前で活躍をしたナタリオに憧れているらしい。何しろ、彼女は強さを尊ぶ獣人族だ。両親の誘導もあったのだろうが、素晴らしい活躍をした婚約者の側で生活できると知り、彼女は大喜びしたという。それを示すかのように、今もロカレナは輝くような笑顔を浮かべている。


「良い挨拶です。それでは、ミシェル、フレーデリータ?」


 アルメルは満足そうに頷いた。そして彼女は脇に立つ二人に声を掛ける。


 この三ヶ月ほど、アルメルは孫であるミュリエルの側近とすべき者を探していた。

 ミュリエルは、まだ十歳になったばかりだ。そのため、側に置く者達は彼女の人格形成に大きく影響するだろう。ならば側近も含め自分の手で育て上げよう。アルメルは、そう考えたらしい。そのため彼女は、孫と同じ年代かそれより下の者ばかりにしたようだ。


「はい! ミシェル・アングベールです! よろしくお願いします!」


 狐の獣人のミシェルは頭上の狐耳と背後の尻尾を揺らしながら、挨拶をする。彼女は、新たに四人の後輩を迎えて普段以上に張り切っているようだ。

 一番最初にミュリエルの側に上がったミシェルは、いわば筆頭である。従者見習いなどもそうだが、配属順で先輩後輩の区別がされるだけで、年齢や元の身分は関係ない。そのため、彼女が先輩として気負うのも当然だ。


「フレーデリータ・リーベルツァーです。皆さん、一緒に頑張りましょうね」


 フレーデリータは落ち着いた様子で年下の少女達に声を掛けた。

 配属順ではフレーデリータは二番目だが、七歳になったばかりのミシェルより歳は上だ。しかも彼女はミュリエルと同じ十歳だが誕生日は早い。そのため、ミュリエルを含めても最年長である。そのせいだろう、彼女は妹達を見る姉のような優しい色を緑の瞳に浮かべている。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「さあ、早速お勉強です。

最初ですから、ヴィエンヌ達は魔力操作にしましょう。ミシェル、ヴィエンヌ達の指導を。フレーデリータはミュリエルやアンナと一緒に治癒魔術です」


 アルメルは、およそ一週間ぶりとなる勉強の開始を告げる。ミュリエル達は、シェロノワに戻ってきたばかりだが、休ませるつもりは無いようだ。


「はい!」


 七歳になったばかりのミシェルだが、既に七ヶ月以上も魔力操作の訓練を続けている。そして彼女は、他者の魔力も、かなりの精度で感知できるようになっていた。そのため新たに学ぶ者を教えるだけの能力を持っているのだ。


「ミュリエル様、お願いします」


 フレーデリータも、元は帝国の伯爵の娘であり魔力は多かった。穏やかな父のエックヌートに似たのか、身体強化に適性は無いが、ミュリエルと同じく治癒魔術の適性はあった。そこで彼女は、ミュリエルやアンナと一緒に治癒魔術を学ぶようになっていた。


「貴女達はミシェルの補助をしなさい」


「はい、大奥様」


 そしてアルメルは、子供達だけではなく大人にも指示をしていく。

 ミュリエルの側に控えているのは、幼い子供達だけではない。ヴィエンヌ、ヴァネット、ジェレッサは、それぞれの母が、ロカレナは故郷から連れて来たお守役が、居室の壁際から見守っていたのだ。


「セレスティーヌ様、お待たせしました」


 指示を終えたアルメルは、セレスティーヌに顔を向ける。ミュリエルも離れたテーブルに行ったため、ソファーに残ったのはセレスティーヌとアルメルだけだ。


「いいえ。ミュリエルさんのお友達は、私にとってもお友達ですから。可愛いお友達が沢山増えて嬉しいですわ」


 少しばかり恐縮したようなアルメルに、セレスティーヌは鷹揚に微笑んでみせた。だが、単なる社交辞令というわけでも無いらしい。彼女は、魔力操作を始めたミシェル達に慈しみの滲む顔を向ける。


 ミシェルを含めた五人は、早速魔力を動かしながらのお遊戯を始めていた。

 今日はチューリップの花に関する歌である。こちらでもチューリップは園芸用として数々の品種が生み出されているし、館の庭にも歌の通りに赤、白、黄色と並んでいる。そこで、アミィが教えたのだ。


「皆さん、お上手ですわ」


 セレスティーヌの言葉通り、まだ幼い少女達の歌や仕草は綺麗に揃っていた。

 今日は初めてということもあり、ミシェルは比較的簡単なものにしたようだ。そのため踊りといっても、その場から動かない手振りだけのものである。しかし歌と振り付けだけではなく、魔力もしっかり動かしており、セレスティーヌが驚嘆するのも無理はない。


「ヴィエンヌ達は親から教わっていましたから……」


 アルメルは、柔らかな笑顔と共に王女に答えた。

 彼女は、今月に入ってからヴィエンヌ達三人を自身の側に置いていた。三人が年齢の割にはしっかりした挙措を見せるのには、そういうこともあるのだろう。

 それに、アルメルが言うように彼女達が行っているお遊戯は『アマノ式魔力操作法』の入り口として、メリエンヌ王国内の子供達に急速に広まっている。そして、ここは考案者のアミィやシノブがいるフライユ伯爵領だ。この状況で子供に学ばせない家臣など、存在しないのではなかろうか。

 実際にベルレアン伯爵領から来たジェレッサは半年以上、ヴィエンヌとヴァネットも二ヶ月半は練習しているらしい。


「……ですが、ロカレナには驚きました」


 アルメルの視線の先には、ガルゴン王国から来たばかりのロカレナの姿があった。彼女は、他の四人と同様の見事な踊りと歌を披露しているのだ。流石に魔力の動きはまだ僅かだが、それでも動かせるだけ大したものではないだろうか。


「こちらに来ると決まってから、ミュリエルさんが教えたのですわ。とはいえ、ほんの一時間ほどですが……よほど練習したのでしょうね、魔力の動きもだいぶ良くなっていますわ」


 セレスティーヌが言う通り、ロカレナには昨日ミュリエルが多少の指導をしていた。おそらくミュリエルは、ヴィエンヌ達と差がありすぎては可哀想だと思ったのだろう。

 しかしミュリエルが指導したのは僅かな時間であり、しかも昨日のことである。仮にそれからずっと練習していたとしても、極めて著しい上達と言うべきだろう。


「そうですか……ナタリオ殿に嫁ぐのが、よほど嬉しいのでしょうね……わかるような気がします」


 アルメルには、五歳のロカレナが、という考えは無いらしい。

 この地方の国々の上級貴族は一夫多妻である。そうなると婚約相手が決まれば、そして相手が年上であればあるほど、早く釣り合うようにと本人も努力するし周囲も導くのではないだろうか。

 この辺りは家を継ぐため、あるいは家と家を繋ぐために育てられる貴族ならではの感性なのだろう。そして、そう考えられないなら貴族として生きていくのは難しいかもしれない。


「ええ、お母様もそう仰っていました。

お母様も第二妃ですし、早くからお父様との結婚が決まっていたと聞いています。ラシーヌ様とはさほど違いませんが、それだけに負けられない、と」


 セレスティーヌの父は国王アルフォンス七世で、母は第二妃のオデットだ。そして、アルフォンス七世が成人した頃には、将来妻となるべき女性は内々に定められていたという。

 それ(ゆえ)オデットは早くから王妃になるべく教育されたわけだが、彼女の場合、夫の第一夫人となるラシーヌは二歳上なだけだ。こうなると年齢差が小さいだけに、よけいに競争心が湧くのだろう。


「セレスティーヌ様は……」


 アルメルは、セレスティーヌ自身はどう考えているか尋ねようとしたようだ。セレスティーヌは、シノブから家族として扱われている。しかし彼女は、まだ正式に婚約者となっていない。

 しかし、ここのところ家族のように接しているとはいえ、セレスティーヌは王女である。アルメルは、流石に不敬であると思い、自身の問いを胸のうちに飲み込んだのかもしれない。青い瞳に憂いのような色を浮かべたアルメルは、暫しの逡巡(しゅんじゅん)の後、そのまま口を閉ざす。


「あの方には、もう少し時間が必要ですわ。元々シャルお姉さましか、あの方の瞳には映っていなかったのですから……ミュリエルさんのことも、かなり悩まれたと聞いています」


 セレスティーヌは、少し寂しげな表情でアルメルに答えた。彼女の口調は、どこか自身に言い聞かせるようでもあり、決して本心からのものではないのだろう。


「それに、私はシャルお姉さまやミュリエルさんとも仲良くしたいのです。あの方に私のことを忘れてほしくはありませんが、皆さんを悲しませたくは無いのです」


 そう言うと、セレスティーヌは治癒魔術の訓練をするミュリエル達に目を向けた。そこでは三人が互いに活性化を用い技術の向上に励んでいる。


「ミュリエルさんは、まだ婚約者になったばかりですし、結婚までは五年もありますわ。ですから、急がなくても良いのです」


 セレスティーヌは、再び穏やかな笑みをアルメルに向けた。

 どうやら、王女であるセレスティーヌが微妙な立場に甘んじているのは、自身の慕う相手と周囲の気持ちを考えたからのようだ。そして彼女は、ミュリエルがある程度の歳になるのを待っているらしい。


「……ご配慮、ありがとうございます」


「お顔を上げてくださいませ。

少しばかり先を急いでも、後々波風が立つだけですわ。私は皆様の家族なのです。ですから、ミュリエルさんは妹で、アルメル様はお婆様ですわ。妹やお婆様の悲しい顔は、見たくありませんわ」


 深々と頭を下げたアルメルに、セレスティーヌはどこか恥ずかしげな表情で語りかける。だが、彼女の薄く染まった頬には、羞恥以上の喜びも浮かんでいるようだ。彼女は自分を温かく受け入れてくれるフライユ伯爵家に言葉通りの、いや、それ以上の愛情を(いだ)いているのだろう。


「はい……」


 アルメルは、セレスティーヌの声音(こわね)から彼女の思いを察したようだ。

 セレスティーヌは、決して自身を犠牲にしているだけではない。そこには、彼女の家族に対する思いやりがあり、一家の調和を意図した優しさがある。それを理解したのだろう、アルメルの瞳には涙が浮かび、王女を見つめる顔からは、自身の孫を見つめるような慈しみが感じられる。


「……さあ、お婆様! 授業を始めてくださいませ! 私は身体強化も治癒魔術も出来ませんから、他の事で役に立たなくてはいけませんの!」


 王族であるセレスティーヌには魔力も充分にあるし、日常に使う魔術も習得している。しかし、それ以外だと攻撃魔術のような、王女としては使いどころの無いものばかりらしい。


「……わかりました。では、外交に関してですね。セレスティーヌ様の一番お得意な分野ですが、それだけに磨いておくべきでしょう」


「はい、お婆様!」


 アルメルは、テーブルに積んであった本や紙の束に手を伸ばした。

 国内外の王族や貴族、そして歴史や風物。それらを把握し相手の攻めどころを押さえないことには、外交など出来ない。

 アルメルは王都で閣僚として働く農務卿ジョスラン侯爵の叔母であり、セレスティーヌは王女である。彼女達は、自身の親族からありとあらゆる書物を集め、本に(まと)まっていないものに関しては情報を送ってもらっていた。

 二人は、それらを用いて内外の相手がどう動くか予想する。その上で特定の状況を想定し、対応を考えるのだ。いわば、一種のシミュレーションである。

 王女として宮廷を観察してきたセレスティーヌと、女性ながら農務長官として政庁で働くアルメルは、案外似たところがあるのかもしれない。それを示すかのように、二人は楽しげな顔を互いに向けていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「本当にミュリエル様の活性化は効きますね! 必要な場所にしっかり届いています!」


 ミュリエルに活性化を掛けてもらったアンナは、高揚した感情を表すように頭上の狼耳をピンと立て、背後の尻尾を大きく揺らしている。


「ルシール先生から、体の造りについて教えてもらったからです! それに、シノブさまからも……」


 ミュリエルは、優秀な治癒術士であるルシールと、そして自身の婚約者であるシノブの名を挙げた。

 王都で長く学んだルシールは、並の治癒術士より遥かに人体の構造に詳しい。そのため彼女の魔術は、単に治癒魔術を使えるだけの者より何倍もの効果があった。

 そしてシノブには、地球で学んだ科学知識がある。日本では大学生になったばかりのシノブだが、細菌の存在も知らなかったエウレア地方の人よりは、当然ながら様々な知識を持っていた。


「シノブさまは治癒魔術がお得意ですからね」


 シノブの本当の来歴を知らないフレーデリータだが、彼が卓越した魔術の使い手ということは充分理解している。そのため彼女には、特に驚いた様子もなく頷いていた。

 何しろ竜や光翔虎と親しくし、帝国の神が施した支配の術を解除するシノブだ。そのためフレーデリータは、彼を常識の尺度で測ろうとは思わないのだろう。


「私達も同じことを教わっているのですが……やっぱり、シノブ様から直接教わると違うのでしょうか?」


 アンナは、少しばかり悪戯っぽい笑みを浮かべつつ、ミュリエルに問いかけた。

 ミュリエルはアンナやフレーデリータに、治癒魔術の勉強中は生徒同士として接してほしいと伝えている。そのため、アンナも砕けた態度を取ったのだ。

 普段のアンナは侍女という立場を崩さないが、こういう場面では柔軟な対応をする。元々ベルレアン伯爵家が堅苦しいことを嫌っていたし、シノブやアミィは更にその傾向が強かった。そこで、アンナは主達の好みに合わせるようになったらしい。


「そ、それは! 確かにシノブさまは時々指導をしてくださいます……それに、色んなことを教えていただきましたから……」


 ミュリエルは、シノブとの語らいを思い出したのか、頬を上気させる。それは、単に学んだことを思い出しているだけとは思えない、華やいだ様子であった。


「その辺り、もう少し詳しく伺って良いでしょうか!」


「私もお聞きしたいです……」


 アンナが勢い込んで尋ねると、フレーデリータも続く。

 短く(まと)めた茶色の髪のアンナに、濃い金髪を長く伸ばしたフレーデリータ、そして狼の獣人に人族と様々な点で違う二人だが、瞳に宿るのが若い女性に共通する浮き立つような(きら)めきというのは、共通していた。


「そのですね……あの……でもアンナさん、フレーデリータさん、治癒魔術とは関係ないと……」


 暫し顔を赤くして思案していたミュリエルだが、結局シノブからどんなことを教わったのかは語らないままだった。言葉通り自身の答えが治癒魔術の向上と繋がらないと思ったのか、地球や日本に関する内容で触れにくかったのか、彼女はそのまま口を閉ざす。


「いえ! 興味本位では無いのですよ! ……そ、そうです! 私は魔力があまり多くないから、より適切な知識が欲しかっただけです!」


「わ、私もです! 私も貴族出身ですが、ミュリエル様ほど魔力はありませんし!」


 アンナとフレーデリータは、慌てた様子でミュリエルに言葉を返す。二人とも、口では興味本位では無いと言いつつも、それだけでは無いのだろう。こちらも先刻のミュリエルと同様に、若さの溢れた顔を赤く染めていた。


「本当でしょうか? そういえば、アンナさん。シノブさまとシャルロットお姉さまが、アンナさんにお婿さんを探そうか、と言っていましたが……」


 ミュリエルは、先日のシメオン達の結婚式のことを思い出したらしい。式の最中に、シノブはアンナ達に思い人はいないのか、と口にしたのだ。

 アンナ達の答えに少しばかり疑念を(いだ)いたミュリエルは、反撃混じりで聞いてみた、というのもあるのだろう。しかし、彼女の緑の瞳には、幼いときから見守ってくれる姉のような人物に対する思いやりが浮かんでおり、決して反撃や興味からだけということも無いようだ。


「まだ早いですよ~! 今はシャルロット様やミュリエル様のお役に立ちたいですし、そのためには治癒魔術も含めて勉強することが多いです! だから結婚なんて、まだ……」


 両手を振りながら早口に答えるアンナの顔は、先ほどよりも更に紅潮していた。どうやら、口ではまだ早いと言いながらも、多少は意識しているようだ。

 騎士や従士の娘の場合、貴族ほど早婚ということはない。そのため成人を迎えたばかり、つまり十五歳の彼女が結婚するのは、まだ五年以上は先かもしれない。とはいえ、アンナも多少は考えているのだろう。


 騎士や従士の家の場合、親が結婚相手を決める者もいれば、自身で好きな相手を見つける者もおり、千差万別だ。それでも一応傾向はあり、代々の重臣である由緒ある騎士の家は親同士か主家の意向、末端の従士であれば男性が釣り合いの取れる女性に自分で申し込み、ということらしい。

 なお、アンナの場合はどちらかと言えば前者である。従士の家柄だが、代々ベルレアン伯爵家に仕え家臣同士で婚姻してきたし、そのとき相手は親が見つけてくることが多かったようだ。


「ですがアンナさん、アルノーさんのこともありますし、パトリックさんもシノブさまの側仕えです。もう沢山申し込みがあるのでは?」


 ミュリエルの問いに、アンナだけではなくフレーデリータまで表情を変えた。これは、二人が似たような立場だからだ。

 アンナの叔父はシノブの親衛隊長のアルノーで、フレーデリータの父はシメオン付きの補佐官エックヌートだ。どちらも、フライユ伯爵家の重臣である。

 そして、弟がシノブの側で従者見習いをしているのも同じであった。アンナはパトリック、フレーデリータはネルンヘルムがシノブの側付きとなっている。こちらは、特に何らかの権限があるわけではないが、温厚で周囲に優しいシノブである。周囲から見れば、充分以上に重用されていると映るのだろう。


「そ、それがですね……実は……むしろ遠慮されているようでして……。たぶん、シノブ様が結婚相手を選ぶだろう、と思われているのでは……」


 アンナは、どことなく悲しげな表情になっていた。心なしか頭上の狼耳も伏せ、今まで元気よく揺れていた尻尾も正面からは見えなくなった。

 確かに家族全員がシノブやシャルロット、ミュリエルの周囲に(はべ)っているとなると、よほどの自信と覚悟がある者しか申し込めないだろう。それに治癒魔術が使えるアンナは、シャルロットの侍女でも特殊な立場だ。

 こうなるとアンナの両親も、おいそれとは決められまい。主君の妻の、そして生まれてくる子供の専属治癒術士となるかもしれない娘に、怪しげな男を近づけたくない。むしろ主君から娘の夫を指名してほしい。両親の思惑は、こんなところだと思われる。


「そ、それは……やっぱり、シノブさまとシャルロットお姉さまにお伝えして決めてもらわなくては……」


 ミュリエルは、アンナの答えに強い衝撃を受けたようだ。視線を彷徨(さまよ)わせた彼女は、誰に言うとも無く呟いた。


「あ、あの急ぎませんから! でも、やっぱり婚約者はいた方が良いかな~、なんて……。シャルロット様やミュリエル様を見ていると、いつかは自分も~、とか……。

あ、それとですね! リゼットさんやソニアさんにもお願いします!」


 やはりアンナも、新婚のシノブとシャルロットの側で働くのは、少々(つら)いものがあったのだろう。それに、ミュリエルにしても、こうやって自身の特技を磨き結婚に備える毎日を送っているのだ。そんな主達の姿に年頃の娘が全く心を動かさないとしたら、それはそれで問題である。


「わかりました。ルシール先生のように治癒術士として研究一筋で生きるなら別ですが、そうでなければ、早い方が良いですものね」


 ミュリエルは、師と仰ぐ女性の名を挙げた。

 ルシール・フリオンは二十代半ばだが、結婚する様子は無い。そもそも、結婚の意志があるかどうかも不明である。ミュリエルは、師が研究に人生を捧げていると思っているらしいし、実際に研究所や治療院に詰めきりのルシールは、そう思っているのかもしれない。


「はい! 私はルシール先生みたいなのは無理です! もっと早く結婚したいです!」


 アンナには治癒魔術の才能はあるが、彼女自身は魔術や治療の研究に生きるつもりはないらしい。そもそも彼女にとって治癒魔術とは、敬愛するシャルロットを支えるための技だ。したがって、実地で活かせれば良いのだろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「アンナさん、何ですって?」


「あいた!」


 突然、アンナの後ろから冷たい声が掛けられた。しかも彼女の頭上には、分厚い本での一撃まで落とされていた。そう、噂のルシールの登場である。


「ルシール先生、今日は研究所では?」


 振り返ったミュリエルは、重そうな医学書を手に持ったルシールを、意外そうな顔で見つめる。

 ルシールは、ミュレなどと一緒に研究所に向かっていた。そしてシノブやアミィが居ない今、そう簡単に転移は出来ない。そこでミュリエルは、今日はルシールが研究所から戻ってこないと思ったのだろう。そもそも、彼女達が師であるルシールを抜きにして治癒魔術の勉強をしていたのは、それが理由である。


「ええ、そのつもりでしたが、治療院に忘れ物がありまして。ですから夕方の便で戻ってきたのです。神官様に何度も転移していただくのも申し訳ないですから、今日はこちらで泊まろうかと」


 ルシールは、手にした本を持ち上げてみせる。おそらく、それが研究に必要な資料なのだろう。それを見たミュリエルとフレーデリータは、納得したような表情となる。


「折角ですから、私がお教えしましょう。そうですね……今日は、若さを保つための特別な活性化をお教えしましょうか」


 ルシールは、どことなく冷たさを伴う声のままであった。研究に全てを懸けているような彼女だが、人から結婚について触れられるのは、嫌なのかもしれない。


「え、そんな術があるんですか!」


 頭を押さえていたアンナだが、ルシールの言葉を聞くと素早く振り返った。まだ十歳のミュリエルやフレーデリータは、さほど感銘を受けなかったようだが、成人となったアンナは少々違うらしい。

 アンナもまだ十五歳であり気にする必要は無い筈だ。しかし、将来を見据えて今から習得しておくべきと思ったのであろうか。


「あるのですよ……少し痛いですけど。二人には必要ないでしょうから……アンナ、貴女に、若さを。

大丈夫ですよ、気絶するかもしれませんが……」


 ルシールは本をフレーデリータに預け、アンナの手を(つか)む。そして普段とは違う少々凄みのある笑顔と口調に、ミュリエルとフレーデリータは数歩後退(あとじさ)る。


「ルシール先生! す、済みませんでした!」


「……冗談ですよ。そんな術があるなら、私が知りたいですわ。さあ皆さん、活性化の練習をしましょう。今のところ、これが私の知る最高の若さ維持の方法ですわ」


 深々と頭を下げるアンナを見たルシールは、彼女の手を離して普段の華やかな笑顔に戻った。そして彼女は、いつも活性化の訓練を告げる。どうやら、若さを保つには基本を守るしかないらしい。

 三人は再び活性化の練習に戻っていった。そしてルシールは、優しい笑顔で彼女達を見守っている。少々脅しはしたものの、彼女にとってアンナを含め可愛い弟子なのだろう。母のような慈愛を浮かべた彼女の顔は、そう語っているようだった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年12月29日17時の更新となります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ