03.10 ミュリエルと魔法の家
「これは……確かに家だね……」
「あのカードがこんな大きくなるとは……」
「凄いです! 中に入っても良いですか!?」
伯爵の館の裏庭。伯爵とシャルロット、ミュリエルは、三者三様の声を上げた。
「テントくらいのものかと思っていたよ……。でも、これはまさしく『家』だね」
シノブが展開した魔法の家を見て感嘆する伯爵。10m四方はありそうなレンガ造りの家が現れるとは、彼は想像していなかったらしい。
アミィが魔法のカバンから八頭もの魔狼を取り出すところを見ていたため、カードが大きくなったこと自体は疑問に思わなかったようだが、それでも魔法の家を食い入るように見つめている。
「あんな小さなカードが家になるなど、この目で見ても信じがたいな……」
シャルロットはシノブ達が魔道具を使うのを初めて見たせいか、その常識はずれの性能に感嘆していた。
手軽に持ち運べるように縮小し、使うときに展開する魔道具はメリエンヌ王国にも存在するが、せいぜい何倍かになるのが関の山である。
カードが家になるなど、それこそ伝説で語られる神具と同等である。もっとも、シノブ達が持つ魔道具はアムテリアから与えられたものであり、まさしく神具なのだが。
「ねえ、早く入りませんか? お父さまもシャルロットお姉さまも早く早く!」
呆然とする二人と対照的に、ミュリエルは驚きはしたものの魔法の家を見た喜びの方が強かったようで、早く入ろうと父と姉の手を引いている。
一瞬で姿を現したレンガ造りの平屋は、確たる存在感を放っていた。
突然出現した家に、ミュリエルの母ブリジットや侍女達は唖然とするばかりであった。しかし、ミュリエルやその遊び相手のミシェルは目を輝かせ、魔法の家を素直に受け入れていた。
やはり、大人にくらべ子供のほうが精神的に柔軟であるからだろうか。
ちなみに、いつもシャルロットの側を離れないアリエルとミレーユも当然いる。
驚きつつも何とか冷静な態度を保とうとするアリエルと違い、青い瞳を輝かせワクワクとした様子で見つめているミレーユは、子供のような純真さを持っているのかもしれない。
「……それでは中を案内しましょう」
皆が落ち着きを取り戻すのを待って、シノブは扉を開け伯爵達を室内へと案内した。
事の起こりはミュリエルやミシェルとの魔術訓練である。
前から魔法の家を見たいと言っていたミュリエルの要望に応え、訓練後に見せることにしたのだ。
とはいっても展開には10m四方の土地が必要である。伯爵の許可が出たらとシノブが言ったら、ミュリエルは侍女を走らせ、あっという間に許可を取ってしまった。
伯爵自身も興味があったので、そのまま館の裏庭で見せることはすんなりと決まっていた。
そして、領都での軍務について伯爵と相談していたシャルロット達も加わり、予想外に大人数が見守ることとなっていた。
──アミィ、こんなに玄関広かったかな?──
──いえ……間違いなく広くなってますね──
扉を開けると、シノブは一瞬固まった。以前は都心のマンションのようにコンパクトであった玄関が、少なくとも倍はありそうに見えたのだ。
慌てて心の声でアミィに問いかけるが、シノブの見間違いではなかったらしい。
──アムテリア様が手を加えたのかな?──
──はい、それ以外には考えられません──
こんなことができるのはアムテリアしかいない。アミィが把握している機能にも内部の拡張などは無いそうだ。
(アムテリア様、今でも俺達を見守っていてくれるんだな。でも、ちょっと過保護じゃないかな……)
シノブは内心苦笑しながら、伯爵達を迎え入れる。
「すみませんが、靴を脱いで入ってください。故郷の風習なので」
伯爵達に説明しながら、玄関脇に作りつけられた靴箱からスリッパを取り出すシノブ達。
靴箱自体も玄関と共に拡張され、中に入っていたスリッパも増えていた。
(伯爵にシャルロット殿、ミュリエルにミシェルちゃん。ブリジット様に侍女の方達にアリエルさんとミレーユさん……。うわ、11人もいる!)
シノブ付きの侍女アンナにブリジット達には三人の侍女。なんとシノブ達も含め13人だ。
スリッパが足りるのかと心配したシノブだが、それも問題なかった。
(アムテリア様、ここまで予想していたのかな……)
シノブはどこまでも行き届いたアムテリアの配慮に、感嘆するしかなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
伯爵達を案内するシノブとアミィ。
ある意味、彼らも初めて入る魔法の家である。
廊下の幅も広くなり両手を広げても壁にぶつからないくらいになっているし、部屋数も増えていた。
以前は3つしかなかった寝室が2つ増えていたのだ。増えた部屋は今までのような一人部屋ではなく、ベッドが2つずつ置いてあった。
なんと、トイレや洗面所に風呂場まで、一つずつ増えている。寝室の数からすれば7人用の家ということになるので、そのくらい必要なのかもしれない。
リビングやダイニング、キッチンには基本的な違いはないが、それぞれ倍以上の広さになっており、ソファーやテーブルも大型のものに変わっている。
大きなダイニングテーブルには椅子が10脚も用意されているし、ソファーも4~5人は腰掛けられる大柄なものが2脚、二人掛けほどの小さなものが1脚に増えている。
キッチンも、3人は余裕で作業できるような、広々としたものになっていた。魔力冷蔵庫も業務用のような大きなものに変わっていたし、コンロの数も増えている。
明らかに外部から見た大きさと屋内の広さが釣り合っていないが、そこはアムテリアが提供する魔道具なので深く考えないことにしたシノブ。
なお、シノブ達にとって幸運なことに機能的な変化はなかった。これで新しい魔道具でも置いてあれば説明に困ったことだろう。
ざっと各部屋を見て回り、シノブと伯爵達はリビングのソファーに座っていた。
アミィは引き続きアンナをはじめとする侍女達に水回りを細かく説明している。彼女の説明の合間に、アンナやブリジットの侍女でミシェルの母サビーヌの感嘆が聞こえてくる。
「いや、凄いね。室内は華美ではないが、置いてある魔道具は今まで見たこともないものばかりだ」
伯爵はあらためて驚きを表現した。明かりの魔道具や水を出す魔道具など、こちらに存在するものもあるが、洗濯乾燥機、エアコンなどは初めて見たらしい。
「そうですね。
明かりや水の魔道具も、こんなに質の良いものは初めて見ました。
それに、服を洗うための魔道具や部屋を涼しくする魔道具があるなんて思いもしませんでした」
伯爵の左隣に座る第二夫人のブリジットも言い添える。
魔道具製造が盛んな彼女の実家フライユ伯爵家にも、さすがに洗濯機やエアコンはなかったようだ。
「本当に凄いです! 私も住んでみたいです! ねえ、シノブお兄さま、良いでしょう?」
シノブの隣に座るミュリエルは魔道具の数々が気に入ったようで、説明の途中も身を乗り出すように見つめていた。
住んでみたいというのも本心からのようで、緑の瞳をキラキラと輝かせ、シノブにお願いをしている。
隣のミシェルも、伯爵がいるせいか口には出さないが、コクコクと頷いて期待に満ちた視線で見つめていた。アミィと同じ狐耳もピンと立ってシノブのほうを向いている。
「こら、ミュリエル。あまり無理を言ってはいかんぞ。
……だが、こんな家があれば戦は大きく変わるかもしれんな。兵士が携行でき設置の手間もない家など、どんな軍隊だって喉から手が出るほど欲しいだろう」
伯爵の右隣に腰掛けたシャルロットは軍人らしい感想を漏らす。後ろに控えるアリエルも同感したように頷いていた。
「……シャルロット様も一緒に暮らしてみたいとか言ってみれば良いのに……」
アリエルの隣のミレーユは、小さく呟いた。
「ははっ、ミレーユもなかなか言うね!
だが、私も同感だよ。
シャルロット。軍務に熱心なのは結構だが、もう少し可愛いところがあると嬉しいのだがね」
ミレーユの呟きは伯爵に聞こえていたようで、彼は楽しそうに笑いながら隣に座るシャルロットの様子を見た。
「ち、父上! 何を仰るのですか!
……ミレーユ、後で模擬戦20回だ! 覚えておけ!」
狼狽したシャルロットは、父と腹心に真っ赤な顔で叫んだ。
「す、すみませんシャルロット様! せめて素振り100回で勘弁してくださ~い!」
燃えるような赤い髪を振り乱して謝るミレーユに、一同は思わず大笑いした。
◆ ◆ ◆ ◆
「魔法の家ですか……それは私も見たかったです。惜しいことをしました」
午後からの歴史の勉強。家令のジェルヴェは、魔法の家を見逃したのが、かなり残念なようである。
アミィ達と違い、狐耳や尻尾に感情が出ることの少ないジェルヴェだが、頭上の狐耳が少し伏せ気味になっている。
「魔法のカバンもそうですが、シノブ様の魔道具は素晴らしい物ばかりですね。お国にはこんな魔道具がありふれているのですか?」
気を取り直したのか、ジェルヴェはシノブが持つ魔道具について質問する。
「……いや、故郷でもこのカバンや家のようなのはあまり見かけないかな」
現代日本にこれらの道具があるわけもないが、かといって全く無いというのも不自然なので、シノブは曖昧な答えを返した。
「なるほど……やはりシノブ様のお家柄は特別なものなのですね」
ジェルヴェはシノブの説明を少し誤解したようだ。貴重な道具を持っていると受け取ったのだから、当然ともいえる反応ではあるが。
「今夜は魔法の家で伯爵達に料理を振る舞うけど、ジェルヴェさんもどうかな?
ミシェルちゃんも来る予定だし」
過大に誤解されたようで少し気恥ずかしいシノブは、今夜の予定へと話を変えた。
初めて見た魔道具に感嘆する伯爵達に、シノブは魔法の家で一緒に夕食を取ることを提案したのだ。
「おお! それは光栄です。ぜひご相伴にあずかります」
ジェルヴェは、魔法の家に招待されるのがよほど嬉しいのか、彼にしては珍しく相好を崩して微笑んだ。
「アミィは準備があるから、すまないけど今日は短めで頼むよ」
わざわざ教えに来てくれるジェルヴェに、シノブは申し訳なさそうに言う。
「いえ、問題ありません。それでは今日は領内の各都市について簡単にご説明しましょう」
いつものように始まるジェルヴェの講義に、シノブとアミィは静かに聞き入った。
ベルレアン伯爵領は王国の伯爵領の中では1番大きい。人口は30万人弱で、これも伯爵領の中では最大級である。もっとも、王領はもっと広く、倍以上の人口を抱えている。
伯爵領の中心は、領都セリュジエールで、地理的にも領地のほぼ中央に位置している。人口は5万人ほどで、領内最大の都市である。
領都からは、東西南北に街道が伸び、ヴァルゲン砦へと続くベルレアン北街道や王領へと続く南街道と同様に、東街道と西街道が存在する。
ベルレアン東街道の先にはブロイーヌ子爵が代官を務める都市ルプティがあり、その先はフライユ伯爵領へと続いている。
同様に、ベルレアン西街道の先にはビューレル子爵を代官とする都市セヴランを経てポワズール伯爵領へと伸びている。
「ルプティ、セヴランは、南街道にあるアデラールと合わせて領都に続く3大都市となっております」
ジェルヴェはそう説明した。
「アデラールには、子爵は?」
シノブは、ジェルヴェに質問した。
「はい、アデラールは家臣の者が代官を務めています」
シノブは、王都と続く南街道は伯爵家が直接押さえているのかな、と思った。
ベルレアン伯爵領は地味に富んだ土壌の平原が多く、農業に適した土地柄である。リソルピレン山脈から流れ出る水量豊富な河川のおかげで水不足になることもなく、安定した気候にも助けられ、不作になることは滅多にない。
ただし、シノブ達が出現したピエの森をはじめ、いくつかの魔獣が多い深い森が存在している。そのため、領軍の主な任務は魔獣退治である。
「リソルピレン山脈にも魔獣は多いですし領内のあちこちにある魔獣の森と合わせて、領軍が定期的に討伐を実施していますが、なかなか退治できないのが現実です」
山脈はともかく、森の中に大軍を投入するのは難しい。魔獣の森には、魔狼のように貴重な素材となるものもいるのだが、対抗するには強力な身体強化や攻撃魔術が必要で、そうは数を揃えられない。
リソルピレン山脈では鉱石採掘のためヴォーリ連合国から来るドワーフと協力し魔獣を退治しているが、こちらは岩猿と呼ばれる巨大な猿の魔物が中心で、素材としてはあまり価値がないらしい。
「岩猿はその名の通り岩のように固い皮膚を持っていますが、どういうわけか死ぬと皮膚の固さが失われてしまうようです」
扱い次第ではどうにか出来るのかもしれないが、素直に鉱山を掘っている方がマシだ、というのがドワーフ達の見解だとジェルヴェは説明する。
鉱山から出た鉱石や宝石の原石は、基本的に伯爵家の収入となる。ただし、かなりの割合が採掘者へ報酬として支払われるため、盗掘などは少ない。
小規模な盗掘者の集団が、岩猿を避けつつ採掘を続けるのは難しいようだ。結局、領軍の警備が期待できる公営の鉱山で働いた方が安全で利益も大きいとのこと。
「このように、ベルレアン伯爵領は豊富な農産物と鉱山収入に支えられており、伯爵家の中でも一二を争うほど裕福な領地となっております。
北のヴォーリ連合国との交易もあり、領民としても非常に暮らしやすいのではないかと思います」
そう締めくくるジェルヴェ。
「なるほど。この前教えてもらったフライユ伯爵領と比べると、随分恵まれた領地なのかな?」
シノブは、ジェルヴェの説明にそう相づちを打った。
「はい。これもやはり、初代伯爵シルヴァン様の功績が大きかったからだと思います」
ジェルヴェは伯爵家の始祖であるシルヴァンを相当尊敬しているようだ。
「ありがとう。あと、ちょっと頼みたいことが……」
魔法の家を出した時、とあることを思いついたシノブは、ジェルヴェに相談してみることにした。
◆ ◆ ◆ ◆
料理の準備もあるので、早めにジェルヴェの講義を切り上げたシノブ達。
魔法の家を再び展開し、そのキッチンでアミィやアンナ、ブリジット付きの侍女サビーヌが下ごしらえを始める。
最初はアミィが一人でやると言っていたが、アミィと親しいアンナと娘のミシェルが世話になっているサビーヌが手伝いを申し出たのだ。
シノブは、アミィ達に料理の支度を任せ、カトリーヌの診察に向かった。
幸いカトリーヌの体調は回復していた。
元々、何かの病気というわけではなく、疲れと妊娠による体調変化によるものだったのだろう。彼女はいつもの優しい笑顔を取り戻していた。青い瞳にも力が戻り、白く美しい肌も血色が良い。
「もう、体力回復の必要もありませんね。
あとは普段通りにして栄養のあるものを食べれば良いと思います。私は詳しくないので、侍女の方々に相談してバランスの良い食事を心がけてください」
元々、医者でもなんでもないし男性であるシノブには、妊娠中に食べるべきものなど良くわからない。ただ、いろんな栄養素が含まれていたほうが良いだろうと思ったので、そう口にした。
「それでは、魔力感知をしますね」
シノブがカトリーヌの魔力を調べるため集中すると、彼女の腹部から僅かに異なるとても小さな魔力が感じ取れた。
その魔力はまだ微かなもので、魔力感知に長けたシノブでも集中しなければその存在はわからない。だが彼女の体内に宿る胎児の魔力は、昨日よりほんの少しだが大きくなったようだ。
シノブがそれを伝えると、カトリーヌも安心したように微笑んだ。
「今日は、魔法の家でお食事をいただけるそうですが?」
昨日までとは違い調子が良いので、彼女も夕食に参加するつもりらしい。
「はい。カトリーヌ様のお口に合えば良いのですが……」
具合が良いのなら、いつも通りに生活した方が母体と胎児のためだろうと思ったシノブは、彼女の参加を喜びつつも、アミィが作る食事が喜んでもらえるか若干不安であった。
アミィは、森の中ではアムテリアの用意した弁当があったのと、食材もなかったので料理をしなかった。
しかし、天孤族としてアムテリアに仕えていたときには、彼女が好きな和風の料理を度々作っていたと聞いている。
(食事するときのアミィを見ていると、ごく普通の味覚をしていると思うけど……。
ちょっと見に行ったほうが良いかも)
そう思ったシノブはカトリーヌの下を辞し、魔法の家へと向かった。
館の裏庭に展開されている魔法の家に向かったシノブは、キッチンの様子を覗いてみた。
狼の獣人であるアンナに、狐の獣人であるアミィとサビーヌ。どことなく似た彼女達は、まるで母親と娘達が仲良く料理しているようである。
ただ、一番小さなアミィが場を仕切っているのが、シノブには少し微笑ましく感じられた。
(まるで、小学生の娘がお母さんと高校生のお姉さんに指図しているみたいだよね)
張り切って準備するアミィの姿を見て、シノブはそんなことを考えた。
「アミィ、カトリーヌ様もいらっしゃるそうだけど、大丈夫かな?」
内心の思いを隠し、アンナやサビーヌと働くアミィにシノブは話しかける。
「あっ、お加減が良いんですね!
それなら栄養の多い野菜やお豆を使ってもう一品作りましょう」
アミィはシノブを見上げて、微笑んだ。彼女もカトリーヌの調子が良いので安心したのだろう。
「俺には良くわからないけど、頼むよ」
自信ありげな彼女の様子に、シノブは少し安心した。考えてみればアンナやサビーヌも一緒なのだ。そうそう変なものが出るわけがないと思ったのだ。
かいがいしく働くアミィやアンナ達を見ながら、シノブは優しい笑みを浮かべた。
お読みいただき、ありがとうございます。




