14.32 アルマンの脅威 後編
シノブとシャルロットは、アミィやミュレ達に魔道具の解析を任せ、研究者達のいる部屋を去った。
アミィは、戦闘奴隷用の『隷属の首輪』とは違い、『隷属の首飾り』に強化系の機能は無いという。首飾りに収めるには部品の小型化が必須だが、従来とは違い高度な判断が可能な意思を持たせたまま支配するため、隷属の仕組みは逆に複雑になっていた。そのため『隷属の首飾り』は単機能にしたようだ。
もっとも強化は別の魔道具を併用すれば良いだけだ。ビトリティス公爵は使っていなかったが、重臣達は強化の魔道具を合わせて装着していた。なお、これらも普段から装着できるように小型化された新式である。従来のものは装身具というには無理がある無骨で嵩張る品だが、新型は普通の腕輪として充分に通用する。
これは装着者を見分ける上では面倒なことではあったが、シノブ達にとって良い面もあった。強化系の魔道具に使われている部品の一部は『隷属の首飾り』と共通していたのだ。そのため、魔道具の解析は大幅に進んだらしい。
とはいえ、対抗策が編み出されるには少しばかり時間が必要で、早くても翌日になると思われた。そこで、シノブ達は解析を含め諸々の進展を待つことになる。
ガルゴン王国の国王フェデリーコ十世と先王カルロス十世は、ビトリティス公爵から聞き取った内容を元に、『隷属の首飾り』が装着された者達を捕縛すべく動いている。彼らは西の領主達の重臣で、公爵の意を受け暗躍していたのだ。
ビトリティス公爵は、アルマン王国の軍務卿ジェリール・マクドロンに支配された。それ故公爵はアルマン王国に軍の情報を流し、マクドロンの指示に基づいて自身が主導する西の派閥を誘導していた。そして公爵は、派閥に属する領主の重臣達を、首飾りで縛り操ったというわけだ。
したがって、公爵を除く西の諸侯は直接アルマン王国の陰謀に関わっているわけではないらしい。だが、彼らが何らかの動きを察していた可能性もある。そこで国王と先王は、西の諸侯を個別に呼んで探りを入れたり、極秘に監察官を領地に送り込んだりと、休む暇も無く動いているようだ。
また、シノブ達の饗応担当となりつつある王女エディオラも、魔道具の解析に加わり忙しい。そのため、この日は彼女が晩餐を主催することも無く、シノブ達は使節団の者だけで夕食を済ませることとなった。
◆ ◆ ◆ ◆
「……もう、旧帝国領行きの募集はしないんだね?」
一夜明けての朝食の場。シノブは、シメオン達と今日の予定を確認していた。
「ええ。現状では、身元が非常にしっかりしている者だけを対象としました。留学の方も同様です。
昨日お伝えした通り、ガルゴン王家の推薦があり派閥とも縁が無い若者だけに限定したので、面接の前にかなり絞れました」
「後はオベールで試験しますよ。バルカンテからであれば数日です」
シメオンに続いたのは、オベール公爵の継嗣オディロンだ。
ガルゴン王国も神殿の転移が可能となった。そこで、メリエンヌ王国に最も近い転移可能な都市バルカンテまで来れば、海路で三日程度と陸路の一日でオベールだ。航海日数は時期や風向きで多少延びるとしても、一週間もあれば都市オベールまで移動可能である。
なお、後続の者達も、一旦ガルゴン王国内で選抜した上でオベールに来る。シノブは身分ではなく能力を優先すると伝えているので、平民も含めて各地から希望者を募ることになるようだ。
「そうか……カンビーニ王国と同じだね」
「ええ。国内の選抜は厳しくするようです。あまり負担にならないでしょう」
シノブの呟きにオディロンは頷いた。カンビーニ王国でも、王都で行われた試験に間に合わなかった者達がおり、やはり追加の選抜が行われている。そこで、シメオンやオディロンは同じ方式を提案したようだ。
「向こうは色々大変だから、人手が増えるのは助かるよ」
シノブは、イヴァールから聞いた話を思い出していた。
旧帝都、現在の領都ヴァイトシュタットや近隣では、魔道具製造業関連を中心に、大規模な再調査を行っている。しかもアルマン王国対策に力を注ぐべく、東に残った三伯爵領攻略も明日には開始される。それなのに前回の三伯爵領もまだ掌握途中であり、現地からは大増員の要請が来ているのだ。
「伯父上は信頼出来る者をヴァイトシュタットに集めているようですね?」
「ああ。宮殿の地下神殿も完全に掘り返すつもりらしい。グレゴマンの件もあるからね」
シノブは、隣のシャルロットに柔らかな声音で応じた。
アルマン王国に現れた謎の若者グレゴマン・ボルンディーン、帝国の魔道具を使うらしい彼は、ベーリンゲン帝国の皇帝の次男である可能性が高い。帝都決戦の際に竜人化したと思われていた皇帝の次男、つまりディーンボルン公爵グリゴムールは、密かに難を逃れていたようだ。
帝都での戦いでは大勢が竜人と化し、宮殿内の大人で生き残った者も少ない。そのためシノブ達も、宮殿内で行方不明となった者は竜人化した末に戦闘で果てたと考え、以降の調査を断念していた。しかし、こうなると、それらも含めた再調査が必要である。
そこで先代アシャール公爵ベランジェは、旧帝都の戦いに携わった者や極めて信頼できる配下を呼び戻していた。集まった彼らは、宮殿にいた使用人からの聞き取りや、崩落した地下神殿を掘り返しての調査など、重要かつ極秘の任務を担当している。
「その……シノブさま、転移のことをレヴィさん達にお伝えしなくて良いのでしょうか? レヴィさんもそうですし、イアスさんやリタンさんも、シノブさまにお会いしたいと思います」
ミュリエルは、海竜の島にいるレヴィ達のことが気になったようだ。
成竜であるレヴィとイアス、そして生後五ヶ月少々の子竜リタンも、島の神像からシェロノワや他の竜達の棲家に行くことが出来る。しかしシノブが伝えなくては、彼らがそれに気が付くこともないだろう。
「そうですわね……小さくなる腕輪もお渡ししないといけないですし」
セレスティーヌは竜や光翔虎に授かった腕輪のことを指摘した。岩竜や炎竜にはイヴァールが配りにいったが、海竜の島には誰も行っていない。海竜の島に転移できるのは、これまでシノブやアミィ、そして金鵄族のホリィ達だけだったからだ。
「そうだったね!」
二人の指摘を受けたシノブは、思わず頭を掻いた。子竜のリタンの腕輪は、カンビーニ王国に行く前に海竜の島に赴き渡している。しかし成竜のための腕輪は三日前に授かったばかりで、レヴィとイアスだけではなく近くまで来ている長老達にも渡していなかった。
「それじゃ、思念を……」
「シノブ様! 出来ました!」
シノブがガルゴン王国南方の海で待機している海竜の長老ヴォロスと番のウーロに思念を送ろうとしたとき、広間にアミィが駆け込んできた。彼女の後ろにはミュレ達、そしてエディオラにマリエッタまでいる。
◆ ◆ ◆ ◆
「アミィ、大丈夫? 疲れていない?」
シノブは完成を喜ぶより先に、アミィのことが気になった。実は、アミィ達は寝る間も惜しんで魔道具の解析を続けていたのだ。
解析と対策の確立は、至急の問題である。そのため夜が更けてもアミィ達は一向に休もうとはしなかった。しかも、アミィは隷属を禁忌としたアムテリアの眷属だ。その彼女が対策を急ぐのは無理もない。
もちろんシノブも、少し休むようにと忠告はした。しかし、アミィ達はまだ頑張れる、と言って作業を続けていたのだ。
「ありがとうございます! でも、大丈夫です!」
駆け寄ったシノブに、アミィはにっこりと微笑み返した。その様子を見たシノブは、安堵の溜息を吐く。
「これが、新しい『解放の腕輪』です。シノブ様、この魔力波動を覚えてくださいね」
早速アミィは、新たな解放の魔道具を起動した。これは、シノブに『隷属の首飾り』を解放するための魔力波動を伝えるためだ。手に持つ腕輪に魔力を通した彼女は、シノブの前に翳してみせる。
「ああ……これか。アミィ、ありがとう!」
シノブは、外見は従来と変わらない腕輪から発する波動を、しっかりと記憶していく。
能力の高い魔術師なら、魔道具から発する魔力波動を覚えてそれを再現することは可能である。しかし、一定の魔力波動を出し続けるには普通は高度な精神集中が必要だ。それに隷属の魔道具を無効にするには魔道具が持つ障壁を越えるだけの魔力が無ければ意味が無い。
したがって、実戦で道具を使わずに解放できる者は限られているし、何も使わずに遠隔から解放可能な者などシノブくらいである。
──アミィさん、凄いです! 流石です!──
大喜びしているのは、炎竜の子シュメイである。彼女は両親が隷属の魔道具で縛られた過去を持つため、一際嬉しいようだ。広間の隅に他の子竜や光翔虎のフェイニーやメイニーと共にいたのだが、一瞬にして飛んでくる。
──これは、父さま達の分も作るのですか? 私も魔力が増えてきたから、出来れば欲しいです!──
シュメイを追ってきたオルムルは、最初アミィの手元を覗き込んでいた。しかし、成長した自分にも使えると思ったのか、首をもたげて元気よく宣言する。もっとも、彼女とシュメイは最年少のファーヴと同じ大きさになっており、竜を模した玩具が宙に浮かんでいるようで微笑ましい。
「そうですね、竜の皆さんの分も作らないといけませんね! 帰ったら、早速取り掛かりましょう!」
オルムルに応じたのはミュレである。彼はいつも以上に髪がボサボサで、服もヨレヨレであった。おそらく、昨日から着替えていないのだろう。
「アミィ、お疲れ様でした。もう休んでは?」
──それが良いです! きちんと眠らないと大きくなれないです!──
ファーヴを抱えてやってきたのはシャルロットである。まだ幼児くらいの大きさのファーヴは空を飛べない。そこでシャルロットは抱きかかえてきたわけだ。
そして、腕の中のファーヴは、やたら実感の篭った思念でアミィに睡眠を勧めていた。アミィの外見は十歳くらいだから、自分と同じく成長期と思ったのかもしれない。
──できれば、私達の分も欲しいわね。それにシノブさん、私達の棲家にも転移の設置、お願いね?──
背中に小さくなったフェイニーを乗せてきたのはメイニーだ。普通の虎と同じくらいになった彼女は、流石に飛んでくるようなことはない。まだ若いせいか時折突飛な行動もする彼女だが、ゆっくりと歩む今の姿は二百年の永きを生きた存在に相応しい堂々たるものであった。
──私の方もです! お父さまとお母さま、仲間外れにされたら悲しみます~!──
フェイニーは、解放の腕輪より転移が気になるらしい。彼女も、まだ生まれて五ヶ月を過ぎただけである。やはり、両親と会いたいときもあるのだろう。
「ともかくアミィは一旦休んでよ! ミュレ達も一眠りして。帰るのはそれからで良いだろ?」
暫し解放のための魔力波動を試していたシノブだが、アミィを早く休ませなくてはと思い至った。
それに、ミュレ達も睡眠をとった方が良い。このまま彼らをフライユ伯爵領の研究所に送り返したら休まず作業を続けそうだから、シノブは迎賓館で休息するように勧めた。
「ありがとうございます。シノブ様、これをホリィ達に……新しい透明化の魔道具です……魔力も完璧に隠せます」
「これって……例の物を使った?」
シノブは、アミィが取り出した三つの小さな筒を受け取った。細い筒の両端に蓋はなく、しかも非常に軽いものだ。
アミィが試作してホリィに与えた透明化の魔道具は、それより三倍以上は太いものだ。しかし、これはアムテリアから新たに授かった神界の魔法結晶を使っている。そのため、アムテリアが授けた色を変える足環と同様に小さく、そして軽く出来たようだ。
ホリィ達は、現在アムテリアが危険だと告げた都市を避けて偵察をしている。帝国の残党の中心人物らしい若者グレゴマン・ボルンディーンは、ホリィの接近を見抜いたことがある。したがって、新たな透明化の魔道具が完成するまで、危険度が高い場所への接近は禁じていたのだ。
「はい……これなら……」
「アミィ!」
疲労の極限に達したのだろう、アミィの小さな体から力が抜ける。それを見たシノブは、慌てて手を伸ばして彼女を支えた。
「シノブ、アミィを寝室に」
「ああ、そうだね。皆も早く……って、こっちもか」
シャルロットに促されたシノブがミュレ達を見ると、こちらもそれぞれ眠りに就いていた。彼らは、シメオンやマティアスなどに支えられてはいるが、既に意識は無いようだ。助手であったカロルやアントン少年は僅かでも休めたのか自分で立ってはいるが、エディオラもマリエッタに寄りかかって顔を伏せている。
「すまないけど、それぞれに部屋を用意してあげて。それじゃ、シャルロット」
「はい、シノブ」
アミィを抱きかかえたシノブは、何はともあれ彼女を休ませることにした。彼は、満足そうな笑みを浮かべるアミィの寝顔に頬を緩ませつつ、妻と並んで広間を歩み出ていった。
◆ ◆ ◆ ◆
アミィを休ませたシノブは、アルマン王国の偵察を続けているホリィ達に思念を送った。すると、暫しの時を置いて通信筒に紙片が現れる。それは『アマノ式伝達法』に則った傷が刻まれた紙である。
紙片に記された文によれば、ホリィ達三羽はアルマン王国の南岸近くにいたらしい。そのため彼女達は、さほど掛からずにシノブ達がいる王都ガルゴリアに到着するという。
そして次に、シノブは海竜の長老ヴォロス達に思念を送った。腕輪の件もあるが、長老達にも定期的にこちらの状況を伝えていたからだ。
何しろヴォロスとウーロは、ガルゴン王国の王達に試練を与えに来たのだ。仮にガルゴン王国が不安定なままであれば、試練は一旦棚上げにして、そのまま引き返してもらうべきかもしれない。そう思ったシノブは、彼らが充分な判断が出来るようにガルゴン王国での出来事を伝えていたわけである。
しかし、朝の連絡をしたシノブは、意外なことをヴォロス達から教えられた。
──レヴィならここにいるぞ。イアスやリタンもだ。リタンがそなたに会いたがったそうだ──
──シノブさん、お久しぶりです!──
ヴォロスの重厚な思念に続き、リタンの可愛らしい思念が微かに届く。まだ子竜である彼は、それほど魔力が大きくない。そのため、思念が届く範囲は親達に比べて狭いのだ。
──久しぶり、ちゃんと聞こえているよ! でも、遠出して良かったの?──
前回のカンビーニ王国の訪問のとき、成長途中のリタンは外洋に出ることを禁じられたという。シノブは、それを思い出したのだ。
──大丈夫です!──
──この子もだいぶ泳げるようになりました。まだ早いかと思いましたが、幸い何事も無く辿り着けました──
少しばかり憤慨したようなリタンに続いたのは母のイアスである。やはり親としては心配なのだろうが、言葉とは裏腹に子供の成長への喜びが滲む思念であった。
──悪かった! そうそう、これからは会うのも楽になるよ──
シノブは、リタンに応じた後、神像での転移についてレヴィ達に教えた。彼らは、自身の棲家がシノブの住む街に繋がったことに歓喜したらしく、応じる思念も弾むようなものとなっていた。
そして、シノブとレヴィ達が近況を交換しあった後、ヴォロスは更に意外な提案をする。
──『光の使い』よ。その公爵達というのも我らが試そう。我が思うに、この国の加護は四つに分けられたようだ。
そなたから聞いた通りなら、長と息子、そして助けた二人の友が神の与えた試練に挑んだわけだ。そして今でもそれぞれが力を持つという。であれば、全て試した方が良い──
──長老とウーロ殿、我とイアス。ちょうど数も合う──
ヴォロスに続いてレヴィまでが試練に加わると言い出した。
確かに、ガルゴン王国は公爵家が大きな力を持っている。そうであれば、国を見極めるには公爵達も試練の対象にすべきなのかもしれない。
──わかった。一人はすぐに代替わりする。その後なら、良いと思う──
前日、国王フェデリーコ十世は現ビトリティス公爵サラベリノを隠居させ、継嗣のプジョルートを後に据えると言っていた。予定通りに行けば、今日中に諸侯の前でそれが発表されるだろう。そうなれば、試練を受けるのは国王と王太子カルロスにプジョルート、そしてブルゴセーテ公爵ナルシトスだ。
ナルシトスは大柄な獅子の獣人で、しかも若い頃は国を代表する武人の一人だったらしい。既に五十を越えているが、一線級の軍人として相応しい技量を保っていることはシノブも察している。
カンビーニ王国での海竜の試練は過酷なものであったが、シノブは未だ衰弱して伏せたままのサラベリノ以外なら何とかなるのでは、と思っていた。
──うむ。ならば明日を楽しみに待とう。腕輪もな──
──シノブさん、待っていますね!──
海竜達は、それぞれ嬉しげな思念で応じる。ヴォロスとレヴィは成竜の雄に相応しい威厳を、ウーロとイアスは長い年月による成熟と女性らしい柔らかさを、そして幼いリタンは子供らしい元気良さを伴う思念だ。
彼らは、これから遠洋に出て狩りをするという。シノブは、五頭の海竜が南海で堂々と泳ぐ様に思いを馳せつつ、彼らに楽しい一日が訪れるよう祈っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブはシャルロットと共にサロンに移動した。
午後にはビトリティス公爵への沙汰が発表され、代替わりが宣言されることになるだろう。そこでシノブ達は、それまでサロンで待つことにしたわけだ。
迎賓館のサロンにはミュリエルやセレスティーヌ達がいるが、竜や光翔虎の姿は無かった。彼らは城の上空や庭で、シュメイやファーヴの飛行訓練をしているのだ。
万一のことがあってはと、イジェやメイニーは遠出を避けたらしい。
サロンの窓には、空を飛ぶシュメイとイジェの影が時折横切る。どちらも迎賓館を中心に『蒼穹城』の上を旋回しているようだ。双方とも本来の大きさに戻っての飛行だから、全長2m弱のシュメイはともかく十倍以上大きなイジェが横切ると日の光が大きく遮られる。
シュメイは飛翔を身に付けたばかりだから、今日は距離を伸ばす訓練をしているらしい。シャルロット達には姿しか見えないだろうが、シノブには娘に指導をする炎竜イジェの思念も伝わってくる。
一方のファーヴは、庭を飛び跳ねているだけだ。こちらは本来なら飛翔まで一ヶ月以上、仮にシュメイのように通常より早期の習得をしたとしても三週間は先の筈だ。
オルムルは同時期の自分より随分遠くまで跳ねているというが、まだ人間の子供の跳躍と大差ない。
跳ねるファーヴの側にいるのはオルムルとフェイニー、そしてメイニーである。こちらはメイニーが通常の虎くらいで、他は本来の大きさに戻っている。そのためオルムル、フェイニー、メイニーは、いずれもおよそ3m程であった。
なおファーヴに指導をしているのはオルムルだけで、フェイニーとメイニーは体を縮めたり伸ばしたりしているだけだ。これは大きさを変えているのではなく、文字通り屈んだり後ろ脚で立って上体を持ち上げたりしているのだ。どうやらフェイニーが、メイニーに光翔虎のためのジャンケンを教えているようだ。
「外に出て見るのは……難しいかな」
シノブは、アリエルやミレーユ、それに護衛の女騎士達に囲まれたミュリエルとセレスティーヌに笑いかけた。
警護の女性達は流石に騎士鎧ではないものの、軍服に帯剣したままの物々しい姿である。エディオラに付き合っていたマリエッタは休みを貰っているのだろうが、彼女の学友である三人の伯爵令嬢、それに王女付きの女騎士デニエとシヴリーヌは、アリエル達と共に窓際に寄った二人を囲んでいる。
「はい。できれば窓の側にも寄らないでと……でも、それは許してもらいました」
「ここは安全だと思うのですが……仕方ありませんわね」
ミュリエルとセレスティーヌは、入室したシノブとシャルロットに答える。二人の顔は、しょんぼりとしたというのが相応しい失望が滲むものであった。
「イジェ達がいれば大丈夫だとは思うけど……気を付けた方が良いのは確かだね」
シノブは竜や光翔虎がいる庭を潜り抜けてくる敵などいないだろうとは思った。しかしアリエルの表情が引き締められたのを見た彼は、注意すべきと付け足す。アリエル達の苦労を増やしても、と思ったのだ。
「はい。今回の件が終息するまで、もう少しご辛抱して頂ければと」
アリエルは、ビトリティス公爵の代替わりと西の諸侯への対処が終わるまでは、関係者達の暴発があるかもしれないと考えたようだ。実際には、彼らが使節団を狙うことは殆ど無いだろうが、王太子達と共に公爵の館に乗りこんだシノブを逆恨みする者が出ないとは言えない。
一方アリエルに釘を刺されたからだろう、ミュリエルとセレスティーヌは心持ち顔を曇らせ肩を落とす。
「私なら、イジェさんやメイニーさんに挑むような無謀な真似はしませんけどね~」
ミレーユは、少しばかり冗談めいた口調で話し出した。おそらく彼女は、ミュリエル達を元気付けようと思ったのだろう。
「あの光景を見て侵入しようなんて考えるのは……どうしたの!?」
赤い髪を日に輝かせながら外を振り向いたミレーユは、急に真剣な声音となる。何故なら庭にいるオルムル達は、揃って東の一方を見つめていたからだ。
それに上空のイジェやシュメイも、旋回をやめて庭の上へと戻ってきたようだ。炎竜イジェの巨体が日を遮り、窓の外に影が落ちる。
「お下がりください!」
「抜剣準備!」
アリエルが護衛対象の二人の前に立ちはだかり後ろに誘導し、シャルロットが窓際に駆け寄りつつ指示を出す。そして腰の剣に手を添えて進み出たミレーユ達は、シャルロットを中心に油断無く身構える。
「うん? ああ、心配しなくて良いよ。ホリィ達だ」
一瞬真顔となったシノブだが、接近する魔力が金鵄族の三羽、ホリィ、マリィ、ミリィのものだったので、それを伝える。
──シノブ様、お待たせしました!──
──驚かせてしまったようですね──
──ただいま参上です~!──
シノブが告げた直後に、窓の外に青い鷹が姿を現した。透明化などは使っていないが、あまりの速さに突然出現したかのように見えるのは、ただの鳥では無い彼女達ならではのことである。
ホリィは思念と同時に魔力で窓を開けたらしい。誰も近づいていないのに、窓が勝手に開く。そして、マリィは室内にいる女騎士達が手を剣に掛けていたのを見て、何が起きたか察したようだ。だが、最後のミリィはそんなことには気が付かなかったのか、緊張感の欠片も無い思念を放っている。
「お疲れ様。随分早かったけど、神殿経由かな?」
室内に入ったホリィ達は鎧掛けの上に並んで止まったので、シノブは歩み寄りながら話しかける。そして鎧掛けの前に来たシノブは、急いで疲れたであろう三羽に手を翳し魔力を与えていく。
──はい、西海岸のウェスルーゴを使いました──
シノブに頭を撫でられたホリィは、気持ち良さそうに目を細めながら答える。
ホリィ達はアルマン王国に一番近い転移可能な都市ウェスルーゴの大神殿を経由していた。これなら200kmほど飛べば良いだけだから、彼女達が全速力で飛べば二十分と掛からない。
「そうか……それじゃ、これを着けてくれ」
三羽に魔力を注ぎ終わったシノブは、アミィから渡された足環を取り出し、手の平に乗せて差し出す。
──これがアミィの作った透明化の魔道具ですね──
──良い仕事してますね~──
マリィとミリィは早速足環を装着していく。ただし鷹に手はないから、魔力で掴んでという一風変わった方式だ。
新たな足環が向かう先は、三羽とも左足だった。これは既に彼女達が、体色を茶色に変える足環を右足に着けているからだ。
──シノブ様、これはお返ししますね──
ホリィはアミィが作った試作品があるから、それを左足から外して装着した。これで三羽とも同じ装備となったわけだ。
「じゃあ、使ってみてくれないか? これは今までより魔力を隠せるんだ」
アミィは従来より高度な魔力隠蔽が可能だと言っていた。そこでシノブは、ホリィ達に透明化を試してみるように促す。
──使い方は以前と同じですね。マリィ、ミリィ、色を変えるのと同じよ──
同僚達に使い方を説明したホリィは、そのまま姿を消した。ホリィはシノブの前にいたのが嘘のように消え去っている。
──こうですか?──
──ドロンです~──
マリィとミリィも続けて透明化の魔道具を使った。シャルロット達はアミィが作った透明化の魔道具を良く知っているから驚きはしないが、その中で一人だけ表情を変えた者がいる。
「凄いですね……魔力を全く感じません」
魔術師として高い能力を持つアリエルは、以前の魔道具なら多少の魔力を感知できたのだ。もっとも、集中して何とか察知できる程度であり、そこに透明化した者がいると思っていなければ見抜けないらしい。
「う~ん。私は以前のもあまり感じなかったから……」
「私もです」
だが、武人として感知能力を磨いたミレーユやシャルロットでも、この通りだ。つまりアリエルは飛び抜けて優れた感知能力の持ち主で、その彼女でも察知できないなら殆ど全ての者が気付けないだろう。
「シノブ、貴方は?」
「う~ん……ここかなぁ?」
妻に問われたシノブは部屋の片隅を指差した。姿を消したホリィ達は、元の場所から移動していたのだ。
シャルロットは、シノブなら難なく見抜けるのでは、と思ったようだ。しかしシノブも、かなり長い間集中してやっと感じ取れたが、通常ならまず気が付かない僅かな魔力だ。
──流石です!──
シノブが指差した先にいたホリィは、驚愕したような思念を発した。アミィが神界の魔法結晶を用いて作った魔道具は、神具に匹敵する性能らしい。したがって、彼女が驚くのも当然である。
──シノブ様がこれだけ集中しないと駄目だなんて……しかも、居るとわかっていて、でしょ?──
──シノブ様~。『そこだ!』とかカッコよく言った方が良いですよ~──
感嘆を表すマリィに、何だか見当違いのことを言うミリィ。だが、どちらも楽しげである。
「アミィは凄いな……ホリィ、マリィ、ミリィ、慌ただしくて済まないけど、もう一回頼むよ!」
一晩でこれだけのものを造り上げたアミィに、シノブは改めて感謝を抱いた。そして彼は、姿を消したままの三羽に再びアルマン王国を探るように頼む。
──はい!──
──今度こそ突き止めて見せますわ!──
──任務了解です~──
三者三様の返答と共に、再びサロンの窓が開かれた。
今までの魔道具ならシノブは飛び去っていく彼女達の魔力を感じ取れた筈だ。しかし今のシノブは、ホリィ達が部屋から出るところまでは微かに感じていたが、その後はどこに行ったのか掴めない。
アミィの作ってくれた魔道具があれば、ホリィ達は無事に情報を持ち帰るだろう。そう思ったシノブは、晴れやかな空に舞う青い鷹の姿を想像しながら、笑顔で窓の外を眺めていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年12月13日17時の更新となります。