14.30 アルマンの脅威 前編
──シノブ、異形に変じた者達を救ってくれたこと、感謝します。アミィ、貴女も良くやりましたね。二人の活躍、とても誇らしく思います──
セランネ村の神殿の中に、最高神アムテリアの思念が響き渡った。
ドワーフ達の清めの儀式が終わり、シノブとアミィが彼らの神殿に転移が授かるように願うと、神々を象った七体の像から神聖な輝きが放たれた。そして同時にアムテリアの美声が届いたのだ。
とはいえ女神の声が聞こえているのは、シノブとアミィだけだろう。神殿には大族長エルッキやセランネ村の長老達もいるが、今までと同じなら神の思念を受けたのは二人だけの筈だ。
──アムテリア様が授けて下さった治癒の杖があってのことです。そうだろ、アミィ?──
──はい! 杖が無かったら元に戻せませんでした!──
シノブとアミィは、アムテリアに対する溢れんばかりの感謝を伝えた。実際のところ治癒の杖が無ければ、竜人と化したビトリティス公爵や彼の重臣達の命を救うことは出来なかっただろう。
治癒の杖は、地上の者が作る治療の魔道具とは全く異なるものであった。シノブどころかアミィですら、どのような原理で異形を元の姿に戻しているのか、想像も付かないという。
──確かに私は杖を授けました。しかし、有効に使ったのは二人です。シノブが彼の国の者に手を差し伸べようとしなければ、もっと酷い事態になったでしょう。
シノブ、貴方がアミィ達を信頼し後を任せ、アミィ達が貴方を信じ送り出したから、最も良い結果を得たのです。アミィも、ここぞというときまで良く我慢しましたね。貴女達の信頼があればこそ、シノブも安心して戦えるのです──
アムテリアはシノブとアミィの、そして二人を囲む者達の成長を喜んでいるのだろう、どことなく嬉しげであった。
彼女は、常々絆を育てることを望んでいた。それ故アムテリアは、シノブが家族や仲間との絆を強くし、また新たな地で巡り合った者達と良き関係を結ぼうとしていることを、この上なく善きことだと感じているようだ。
──お褒めの言葉、光栄です!──
アミィは歓喜の思念を返す。永く仕えた女神の褒め言葉は、眷属である彼女にとって何よりも嬉しい贈り物だろう。
アミィはシノブを助けるため地に降り、従者として陰日向無く支えてきた。だが、それはシノブが彼女の慕うアムテリアの血を受けた者だからだ。もちろん、今はそれだけが理由では無いだろう。しかし彼女の根底に、アムテリアへの深く強い思いがあるのは間違いない。
──アミィ、これからも頼みます。……シノブ、今日は悲しい知らせがあります。西の島国には、やはり東の地の神霊に連なるものがいるようです。私の眷属達も監視を強化しましたが、東と同じように見通せぬものがあります──
アムテリアは、アミィに日の光のような柔らかく温かい思念を届けた。しかし、暫しの間を置いて届いた言葉には、深い憂いが宿っていた。
シノブには、女神の声だけが届き姿は見えない。だが、彼の脳裏には、光り輝く彼女の慈愛に満ちた表情が、強い嘆きで曇っている様子が浮かんでくる。
──やはり……彼らは隷属の魔道具どころか、竜人化の秘薬まで持っていました。おそらく、皇帝に近しい者がアルマン王国に渡ったのでしょう。ならばバアル神の分霊か何か、あるいは仲間の力を得た者がいるのかもしれません──
シノブは、己の胸の内に仕舞っていた懸念を顕わにした。
隷属の魔道具は、過去にメリエンヌ王国に侵入した間者なども持っていた。シノブが知っている範囲でも、王都メリエのソレル親子などに複数の『隷属の首輪』が与えられていた。したがって、新式である首飾り状の魔道具が複数発見されたことに関しては、シノブもさほど驚いてはいない。
動作の違いなども、これからアミィ達が調べれば解析できるだろう。従来の『隷属の首輪』がそうであったように、近い将来、何らかの対策が確立される。シノブは、そう確信していた。
しかし旧帝国領に残った先代アシャール公爵ベランジェなどの調査では、竜人化の秘薬は皇帝ヴラディズフ二十五世が独占していたらしい。宰相も含めた重臣達が秘薬で異形と化したのだから、当然ではある。
ならば竜人化の秘薬を持つ者は、宰相以上に皇帝に近い者ではないか。その場合、皇帝と同様に人を超えた力を得ているのでは。シノブは、それを懸念していたのだ。
バアル神らしき神霊は、代々ヴラディズフの名を受け継ぐ皇帝に、何らかの力を授けてきたようだ。代々の皇帝達は、帝都に居ながらにして神託により様々なことを知りえたという。
北のノード山脈に炎竜ゴルン達が棲家を持ったこと。シノブと岩竜ガンドが都市ロイクテンの城壁を破壊したこと。生き残った者の証言では、それらも皇帝は宮殿から出ることなく察知したそうだ。
もしアルマン王国に同じような者がいるなら、今後の戦いは厳しくなるだろう。
──おそらく貴方の想像通りでしょう。今のところ雷撃の結界は構築されていませんが、不用意に近づくと危険です──
アムテリアは、先刻ホリィ達にも眷属を通して警告したという。
現在、金鵄族のホリィとマリィ、ミリィの三羽は、アルマン王国に潜入し偵察をしている。それにバージ達、四頭の光翔虎もだ。アムテリアは、このままでは彼らが帝国の残党に捕まりかねないと思ったのだろう。
実際に謎の若者グレゴマン・ボルンディーンは、最初の隠し港で難なくホリィを発見した。そのときホリィは透明化の魔道具などは使っていなかったが、マストを聳え立たせた船が入港できる洞窟だ。その天井近くに潜む鳥を容易く見抜くなど、単に目が良いだけでは無いのだろう。
──良かった……こちらも充分に気を付けます──
シノブは、ホリィ達にも伝わっていると聞いて安堵していた。それに、雷撃が無いというのも朗報だ。
もし旧皇帝直轄領の中心部と同じなら、雷撃を防ぎながら侵入するには、また竜達による巨大石像で防ぐか、シノブが地下から侵入するしかない。しかし、目的とすべき場所も判然としないのに、安易に進むわけにはいかない。
無差別攻撃でもするなら別だが、アルマン王国でも帝国の残党が潜んでいる場所などごく僅かだろう。それに彼ら以外は、バアル神やその仲間の影響を受けていない筈だ。
──見通せない場所は、彼らの王がいる場所を含む幾つかです。おそらく、その何れか、あるいは複数に神霊か準ずる存在がいるのだと思います──
アムテリアは、シノブの内心を読み取ったようだ。彼女は、アルマン王国の王都アルマックと、幾つかの都市の名をシノブ達に教えた。
──ありがとうございます!──
それを聞いたシノブは、目標が絞れたことに大きな喜びを抱いた。
ただし、アムテリアは、そこにいるのが神か分霊か、それを知ることは出来なかったという。旧帝都でも、バアル神は永くアムテリアや従属神、そして眷属達の目から逃れて潜んでいた。相手が神霊であれば、その正体を悟らせないくらいは造作も無いのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
アムテリアは、新たな贈り物まで用意していた。それは、従来の魔道具を超えるものを作るための品らしい。おそらく眷属が遺した伝説の武器などは、そういう神界由来の素材や部品で出来ているのではないだろうか。それを授けるのだから、アムテリアはよほど強く案じているのだろう。
もっとも、アムテリアはそれには軽く触れただけであった。どうも、シノブが聞いても理解できないと思ったようだ。
──さて……転移ですね。今回も、ドワーフ達の国の中を繋げば良いでしょうか?──
──はい。可能でしたら、各支族に一つずつお願いします。それと、頂いた腕輪で竜や光翔虎も転移を使うことが出来ます。彼らの棲家に造った神像を、彼らにも使えるようにして頂けないでしょうか?──
ちょうど良い機会と考えたシノブは、ヴォーリ連合国だけではなく竜の棲家から、彼ら自身が転移できるようにしたいと願い出た。
現在、海竜の島とガンド、ヘッグ、ゴルンの棲家の四箇所には、転移を可能とするための神像を設置している。それらを使用できるのは、シノブとアミィ、そしてホリィ達金鵄族の三羽だけである。
今までは巨体の竜が転移を試みても、転移先の神殿が崩壊しかねないから、シノブ達だけにしていた。
しかし、今の彼らはアムテリアから授かった腕輪で人間と同じ大きさになれる。そして成体となった竜や光翔虎なら、神殿の転移は可能だ。ならば、彼らの棲家の神像も使えるようにすべきだろう。
──わかりました……竜達の棲家の像を繋ぎましょう。それと貴方の住む都市も。他の場所は、そこから再度転移する方が良いでしょう──
アムテリアは、繋ぐ対象をどこにするか暫し思案したようだ。
どこの国にも竜達が突然現れ、しかも彼らだけ自身の棲家から直接転移できるというのは、竜だけを贔屓したようでもある。それならば竜だけで一つの纏まりとした方が良い。
シェロノワを例外としたのは、シノブの下に子竜達が集うからだろう。これならば、どの竜も子供の下に行くのが容易であり、不公平感は無い。
──ありがとうございます!──
──シノブ様、良かったですね!──
シノブはアムテリアに謝意を伝え、アミィはシノブへと嬉しげな思念を届ける。
実は、シノブは子竜達が自身の側に長期滞在するのを、少々案じていたのだ。彼としては、オルムル達が慕ってくれるのは嬉しいことである。しかし、竜としての生き方や考え方を学ぶ機会が減ると、オルムル達に不都合が生じないだろうか。シノブは、そう思っていたのだ。
──シノブ、喜ぶのは早いですよ。竜達が恩恵を受けたなら、光翔虎達も期待するでしょう。貴方の魔力は尽きないかもしれませんが、身動きが取れなくなるかもしれませんね──
アムテリアは、珍しく冗談めいたことを言った。しかし彼女の指摘は、当たっている。
竜や光翔虎にとって、シノブの魔力は非常に美味らしい。シノブは幾ら魔力を与えても異常は感じないし、減ったという感覚すら殆ど無い。したがって魔力の提供に不都合は無いのだが、今まで以上に竜や光翔虎に囲まれることは、間違いないであろう。
──た、確かに……でも、あれだけ世話になっていますし構いませんよ──
シノブは僅かに動揺した。しかし彼は、再び穏やかな思念を返す。
アムテリアとアミィは、シノブの答えに笑いを零した。といっても、もちろん肉声ではなく心の中に響いてくるものだ。シノブは、自身を見守る二人の温かな思念に安らぎを感じ、僅かな間だがアルマン王国の脅威から解き放たれていた。
◆ ◆ ◆ ◆
アムテリアとの邂逅を終えたシノブは、エルッキ達に転移を授かったと伝えた。転移可能となった神殿は、各支族の族長が住む村だという。
ちなみに、先々族長が交代すれば、新たな族長の住む村の神殿が転移可能となるそうだ。おそらく、転移の場所を定めるのは神々にとって容易なことなのだろう。
シノブの話を聞いたエルッキは、早速、最も東方のフロステル族の族長を連れてきた。彼は、実際にフロステル族の村へと転移することにしたのだ。
フロステル族の村を選んだのは遠方ということもあるが、族長の娘が間もなく出産するからだという。族長会議のため急遽集まったわけだが、簡単に往復できるなら一旦戻らせようとエルッキが配慮したわけだ。
「しかし、凄い神事だったね」
「はい。ドワーフの神事は一番迫力があると思います」
エルッキ達を見送ったシノブは、神殿から出た。実は、今回もエルッキ達は大槌を振るう独特の祭事を行ったのだ。どうも、あの形式で魔力を集中させ祈りを捧げないと、転移できないようだ。
もっとも、他国の神官達も転移の前には長時間の祈祷をする。つまりドワーフ達も祈りを捧げるという点では変わらない。ただ複数の者で願い、しかも槌を振るい歌を捧げるのが、少々独特なだけである。
「そうだね。ところでアミィ、あのミスリルの板って……」
「はい、加護が宿っています。ですから、特別に貴重な素材として珍重されます。シャルロット様の鎧も、神事で打たれたミスリルを使っていると思いますよ」
シノブの問いに、アミィは静かに頷き返す。
祭事の最中、エルッキ達は分厚いミスリルの板を大槌で打っていた。人の背ほどの長さのそれは、彼らが槌を振るう度に輝きを増していたが、シノブは単なる輝き以上の聖なる力を感じ取っていたのだ。
アミィによれば、神事に使ったミスリルは神々の祝福が宿った特別なものとなるそうだ。彼らは、あのようにして己の細工する金属に魔力を注ぎ鍛えるという。
もっとも、通常は鍛冶師や細工師が、自身の扱う素材に対して行うだけだ。したがって、注がれる魔力も一人分で、宿る力もそれに比例したものになるらしい。しかし族長や長老衆など、特に優れた者が神殿で打った材料は、他とは隔絶した魔法金属に仕上がるのだ。
「なるほどね……それじゃ、シェロノワに行こうか」
シノブ達は、セランネ村の広場まで移動していた。これから、彼が言うようにフライユ伯爵領の領都シェロノワ、つまりメリエンヌ王国へと魔法の家で転移するのだ。
シェロノワの伯爵家の館では、ミュリエルの祖母アルメルが魔法の家を呼び寄せるべく待っている。シノブから通信筒で知らされた彼女は、今ごろ館の前庭へと向かっていることだろう。
なおオルムル達は、ニーズが後でシェロノワに連れて来る。竜自身が棲家の神像で転移可能となったから、ニーズがそこからシェロノワに転移するわけだ。
転移の変更に関してはシノブが思念でニーズに伝えている。したがって、彼女は我が子であるファーヴとゆっくり過ごしてからシェロノワに現れるだろう。
「はい、魔法の家を出します」
アミィは、魔法のカバンからカードにした魔法の家を取り出し、展開する。
広場には村に住むドワーフも大勢いるが、驚いた様子は無い。彼らはシノブ達が魔法の家を出す瞬間を何度も見ているし、そもそもシノブ達を見送りに集まったからだ。
「それじゃ、皆さん失礼します!」
「お元気で!」
シノブとアミィは、見送りのドワーフ達に手を振りつつ扉を潜っていく。慌ただしい訪問ではあるが、昼までにはガルゴン王国に戻りたいから仕方がない。
「シノブ殿、アミィ殿! また来てくれ!」
「仲間を助けてもらった恩は、忘れないぞ!」
ドワーフ達は、改めてシノブとアミィに声を掛ける。アルマン王国に囚われたドワーフ達を助け出し、神殿に転移を授けたシノブ達に、彼らは絶大な感謝をしていた。そのため見送る者達の顔は、何れも大きな感動と同じくらいの寂しさが浮かんでいる。
そして二人が中に入ってから多少の時間が過ぎると、魔法の家はセランネ村から消えた。一方のドワーフ達は暫し動かず佇んでいたが、やがて広場から去り各々の仕事に戻っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「おお、シノブ!」
フライユ伯爵家の館の庭でシノブとアミィを待っていたのは、アルメルだけではなかった。そこにはイヴァールと、彼の妻であるティニヤが待っていたのだ。
「アルメル殿、ありがとうございます……イヴァール、元気そうだね!」
アルメルに礼を言ったシノブは、少々驚きつつもイヴァールに笑顔を向けた。彼は、ここにイヴァール達がいるとは思っていなかったのだ。
「イヴァール殿とティニヤさんは、つい先ほどいらっしゃいました」
「ガンドが送ってくれたのだ! 魔法の学校の研究所に行ったら、全員こちらだと言うからな!」
アルメルに続き、イヴァールが事情を説明する。イヴァールは、旧帝都で得た新たな魔道具の部品を、マルタン・ミュレ達に届けにきたそうだ。
ミュレ達は、北の高地に設置した魔法の学校に研究の場を移している。この館の研究所には通信機など一部の魔道装置だけを置き、帝国が使っていた隷属や強化系の魔道具は、魔法の学校に全て移していた。
魔法の学校はアムテリアが授けた魔道具であり、建物自体や各部屋の出入りは厳密な認証で制限されている。そのため、これまで得た各種の魔道具も、より安全な場所に移したわけだ。
シノブとしては、隷属の魔道具など全て消滅させたかった。しかし、今回のように新たな魔道具が出てくれば、解析済みのものも比較検証に使うだろう。それに、解放の魔道具などに転用可能な部品もある。したがって鹵獲した大量の魔道具は、魔法の学校にある専用の倉庫に仕舞われている。
ところが今日は、シノブの呼び出しを受けたミュレ達がシェロノワへと移動していた。そして倉庫の開閉権限を持つのは、ミュレとハレール老人だけである。そこで、イヴァールも彼らを追いかけてきたわけだ。
「そうか、ともかく中に入ろう」
「伝えたいことがある。ミュレ達もこちらの研究所で待っているぞ」
シノブが館に入るように促すと、今まで上機嫌そうだったイヴァールは、眉根を寄せて声を潜める。シノブを見上げる彼は、アルマン王国に同族達が捕らえられたと知ったときのような、極め付きに厳しい顔をしていた。
「わかった……アルメル殿、済みませんが失礼します」
「こちらは大丈夫です。ティニヤさんとお話していますから」
シノブがアルメルへと断りを入れると、彼女は静かに頷き返し笑顔を見せる。旧帝国領から戻ってきたイヴァールが急な話をすると言うのだから、アルメルは極秘の件と察したようだ。
「シノブ様、お待たせしました!」
「それじゃ、行こうか!」
アミィは魔法の家を格納し、シノブの下へと駆けてきた。
そしてシノブとアミィ、イヴァールは館の裏手の研究所へ、ティニヤはアルメルと共に彼女の居室へと向かっていった。
「何があったんだ?」
研究所に入ると早々に、シノブはイヴァールへと問いかけた。何事も率直に話す彼が、内密に済ませようとするなど、よほどのことだ。そのため、シノブの表情も鋭く引き締められている。
彼を囲んでいるのは、アミィとイヴァールに加え、マルタン・ミュレにハレール老人、それに治癒術士のルシールにエルフのファリオスである。シノブはミュレとハレールを呼んだのだが、どういうわけだかルシールとファリオスまで同席している。
「アルマン王国に渡ったのは皇族らしい。ベランジェ殿が掴んだのだ」
イヴァールとティニヤは新たに攻略した帝国の伯爵領を巡り、作戦に協力している竜達に小さくなるための腕輪を配っていた。
腕輪はアムテリアから授かった神具であり、シノブは信用できる者に届けさせたかった。そこでアミィに次ぐ従者、イヴァールが行くことになったわけだ。
現在、未攻略の帝国領は東の外れに残った三伯爵領だけである。そして竜達は、つい先日攻略した隣接する別の三つの伯爵領で、兵士や物資を輸送したり帝国の神の支配を神々の御紋を使って解除をしたりと活躍しているのだ。
なお攻略済みの三伯爵領は、順調にメリエンヌ王国の統治下に組み込まれている。メリエンヌ王国だけではなくカンビーニ王国やガルゴン王国からの傭兵や仕官先を求める者達もいるから、人手の面でも何とかなっているという。
しかし順調なのは、先代アシャール公爵ベランジェや、ベルレアン伯爵コルネーユ、そしてコルネーユの父アンリなどが、先を急いでいるためでもあった。西のアルマン王国に帝国の残党がいると知った彼らは、東の攻略を加速させていたのだ。
イヴァールによれば、このままなら明後日の4月9日に残りの三領の攻略も開始するという。
「地方の伯爵領だけだからな。だから残りを片付けて、西に兵や竜を回そうというわけだ」
予想以上の進行状況を見届けたイヴァールは、最後に旧帝都、現在はヴァイトシュタットと呼ばれる都市にいるベランジェの下に向かった。そこには、残る一個の腕輪を渡す岩竜ガンドがいるからだ。
「そこでベランジェ殿から、新たに発見された魔道具の部品を預かり、先ほどの話を聞いたわけだ」
イヴァールは、昨日の夕方頃ベランジェのところに行ったそうだ。そして一泊してから西に戻ろうと夕食を共にしていたら、ベランジェの部下が皇族の件を報告しに来たという。
ベランジェは、重要な件だけに誤解が無いよう伝えたいと思ったらしい。そこで通信筒ではなく、イヴァールに伝達を頼んだわけだ。
「……新型と同じ部品です。ヴァイトシュタットの隠し工場から発見されたのですね?」
イヴァールに問いかけたのはアミィである。
シノブがイヴァールの話を聞く間、アミィやミュレ達は、ガルゴン王国から持ってきた隷属の魔道具の残骸と、イヴァールが預かってきた部品を突き合わせていた。
彼女と四人の研究者は、イヴァール同様の鋭い顔つきで彼の答えを待っている。
「ああ。『隷属の首飾り』だそうだ。完全な支配ではなく、ある程度自分の意思が残るから、自然な行動になるらしい」
イヴァールは、再び旧帝都で聞いた情報を語っていった。
従来の戦闘奴隷用の『隷属の首輪』は、装着された者の思考が非常に制限される。シノブが出会った戦闘奴隷は殆ど言葉を発しなかったが、そういう事情もあるようだ。
一方、農奴用のものは、かなり自由な思考が可能で、命令者が行動の指定や制限をする形で使う。そのため農奴達はごく普通に家庭を持ち村で暮らし、『隷属の首輪』で農作業の強制や逃亡の防止が行われる。
戦闘奴隷用を着けた者は常人と雰囲気からして違うし、会話を試みれば異常に気付く。それに農奴も禁じられた行動をさせると、その場で動きを止めるか不自然に引き返すので、やはり一般の者との違いは明瞭である。それに、そもそも首輪を嵌めているから、見分けるのは容易だ。
「ふむ。自立した意識を確保した上で、装着者の思考を活用して不自然さを無くす……」
「首輪の怪しさは小型化して首飾りとすることで対処、ですか」
ハレール老人が白い髭を捻りながら呟くと、ルシールが応じた。どちらも苦々しげな顔である。
「制御方法が変わったのは、精神支配の手法が大幅に違うためでしょうね。詳しく調べてみないと確かなことは言えませんが……」
マルタン・ミュレは、手に持った幾つかの部品を眺めている。彼は、それぞれの部品に魔力を通しているらしい。
魔道具技師には、魔力の操作が苦手な者や魔力が少ない者もいる。しかし、優秀な魔術師であるミュレなら、自身の魔力で直接部品の動作を確認することも出来るし、充分な知識があるから効果の推測や危険度の判断も出来るのだ。
「魔道具商人が、かなりの技師を『黒雷宮』の『小帝殿』に連れて行ったそうだ。だからベランジェ殿は、皇族が絡んでいると考えたのだ」
ベランジェ達の調べでは、シノブ達が帝都を攻略するまでに姿を消した貴族はいないらしい。したがって今のところ、アルマン王国に渡った者に該当する貴族や軍人、官僚は不明なままだ。
もしかすると渡航した者は、表に出ない一族だったり外面的な身分は平民や小者となっていたりするかもしれない。しかしベランジェは、普段表に出ない上に極めて高位な者、つまり皇族だと考えたようだ。
ベーリンゲン帝国は皇帝の力が大きく、皇太子や直系皇族は公爵位を与えられるが、任地には代官を置き『小帝殿』で暮らすだけである。それは、時の皇帝に権力を集中させ、次代の皇帝となる者を、そのときまで見定めつつ宮殿内に縛り付ける制度のようだ。
これは帝国の裏に潜んでいたバアル神が造り上げた仕組みらしい。つまりバアル神は、自身の代行者で寄り代でもある皇帝のみを動かし、当代が衰えたら次代を操る対象とする。これまでの調査から、ベランジェはそう推測しているという。
「皇族か……確か三公爵がいた筈だが……皇太子がゲルノフスク公爵ヴラドレンで、次がディーンボルン公爵グリゴムール、それにロンジェブラト……まさか!?」
三公爵の名を順に上げていたシノブだが、あることに気がついた。
二番目のグリゴムールは、十九歳だったらしい。そして、容姿は黒髪に茶色の瞳だ。そして、隠れていたホリィを見抜いた黒髪に茶色の瞳の若者の名はグレゴマン・ボルンディーンだ。
「そうだ。お主が送ったグレゴマンの絵、ディーンボルン公爵に似ているらしい」
イヴァールは、重々しく頷いた。グレゴマンの姿はホリィ達から聞いたアミィが再現し、それを焼き付けた紙を各所に送っている。ベランジェは、それを見て旧帝都の生き残りに聞き取りをしたのだ。
とはいえ宮殿にいた大人の多くは竜人化したし、生き残った僅かな者も別の仕事に就かせた。そのため、ベランジェ達は確認に数日を要したわけだ。
「正体が掴めたのは、一歩前進かな。だからと言って、具体的にどうなったわけでも無いけど」
「シノブ殿、であれば一刻も早くガルゴン王国に向かいましょう! 彼の地に行けば、きっと新たな何かが見つかります!」
何故か意気込んでシノブを急かしたのは、エルフのファリオスである。
そもそも彼は、魔道具製造に関心を示したことがあっただろうか。シノブは、それを訝しく感じながらファリオスに視線を向けた。
「シノブ様、ファリオス殿はガルゴン王国で新たな作物を見つけたいようですわ。もちろん、エルフの魔術師でもあるファリオス殿は、魔道具の調査にも協力して下さるでしょうけど」
ルシールは、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、美しいプラチナブロンドが特徴的なエルフの青年へと視線を向ける。更に、今まで魔道具を調べていたミュレやハレール老人まで、僅かに呆れたような顔でファリオスを見ていた。
「ルシール殿! た、確かに高地でも栽培可能な稲には興味がありますが!」
「そうか……種籾や苗は貰ったけど、折角だから現地で色々集めてくるのも……」
顔を赤くしたファリオスを他所に、シノブは思わず呟きを漏らしていた。ガルゴン王国の北部山地には、寒冷地に強い稲がある。今のところ、シェロノワ近辺の平地では育成可能だと確認できているし、実際に少量だがアルメルが用意した農業試験場でも水耕栽培を始めていた。
しかしガルゴン王国には、更に高地に適した品種もあるだろう。シノブは、それに思い至ったのだ。
「シノブ様、ファリオスさんを注意すべきでは?」
「お主は、米も大好きだからな」
アミィはシノブに苦笑し、イヴァールはどこか感心したような視線を向けている。そしてミュレ達は、一拍遅れて遠慮がちな笑いを漏らし始めた。例外は、強く頷いたファリオスだけだ。
シノブは、頬を染めながら頭を掻く。どうやら、高地栽培に適した稲を手に入れる前に、一仕事済ませないといけないようだ。
そう思ったシノブは自身の嗜好を一旦封じ、再びイヴァール達との会話に集中していった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年12月9日17時の更新となります。