14.28 新たな絆
竜人と化したビトリティス公爵とその重臣達は、アミィが治癒の杖で快癒を願うと無事に元の姿に戻ったが、酷く衰弱していた。どうも単なる魔力不足ではないらしく、彼らは殆ど会話することも出来ない。
シノブとアミィは彼らに魔力を与えたが、二言三言やり取り出来れば良い方だ。そこで、隷属の魔道具や竜人化の秘薬を得た経緯については、翌日以降に改めて聞くことにした。
稼働中の隷属や強化の魔道具が都市ビトリティスに存在しないことは、シノブが魔力感知で確認済みだ。そこでシノブとアミィは、後を王太子カルロスやビトリティス公爵の継嗣プジョルートに任せ、王都ガルゴリアに引き返した。
何しろ、ここはガルゴン王国だ。異国人のシノブ達が、表立って捜査に加わるのも問題だろう。特に、今の段階ではビトリティス公爵がどこまで自分の意思で動いていたか判然としない。そこで、まずはガルゴン王国の監察官達に任せることとなったのだ。
「……もちろん、背景が判明したら教えてもらうけどね。それに、調査が行き詰るなら非公式に協力しても良いし」
迎賓館に戻ったシノブは、ビトリティスで起きたことをシャルロット達に語っている。シノブが語りアミィが補足する内容に、サロンに集った面々は静かに聞き入っていた。
サロンには、シノブがビトリティスに発ったときの緊迫した空気は無い。ソファーに座って話を聞く者達も、武器は外し軽装に戻っている。とはいえシャルロット、アリエル、ミレーユは騎士鎧から軍服に変えただけで、マティアスやオベール公爵の継嗣オディロンも同様だ。
元からドレスのままのミュリエルやセレスティーヌは別にして、シメオンやジェルヴェ、それに各国代表として話を聞くエルフのメリーナやカンビーニ王国の大使の娘アリーチェも、武器こそ所持していないが動きやすい服のままである。
それに、一部の者はまだ甲冑であった。側付きという名目で集っているカンビーニ王国の公女マリエッタなどは、まだ鎧を纏っている。
「当然です。閣下やアミィ殿がいなければ、解決できなかったのですから。それに、同様のことがあるかもしれません。義により助けるのも、信頼と協力があってこそです」
マティアスの言葉に、室内の者はそれぞれの仕草で同意を示した。
ビトリティス公爵達が、どのような経緯で帝国由来と思われる魔道具を得たか。それによっては、今後のメリエンヌ王国の動き方も変わってくる。もし、ガルゴン王国に禁忌の魔道具が広く浸透しているなら、シノブ達としても看過できない。
それに、ガルゴン王国だけで調査可能かという問題もある。
どうも、ビトリティス公爵達が身につけていた隷属の魔道具は、戦闘奴隷のように思考の束縛が強いものではないらしい。そのため、公爵の家臣達も不審に思わなかったようだ。そうなると、一見ごく普通に見える相手が実は隷属の魔道具で縛られている、ということも充分にありえる。
「今のところビトリティスや王都に稼動している隷属や強化の魔道具は無いが、他の都市にあるかもしれないからね」
シノブは、かなり広範囲の魔力を波動の違いも含め察知できる。そのため、この地方で最大の都市、半径2kmを優に超えるメリエンヌ王国の王都メリエであっても、その全域でどのような魔道具が動いているか判別できる。したがってガルゴン王国の都市でも、中心近くにいれば全てが感知可能範囲である。
もちろん多少の精神集中は必要であり、常時そのようなことはしていない。それに、当然ながら知らない魔力波動が何に使われているかは理解できないし、動作せずに魔力を発していないものも感知の対象外だ。
「新たな隷属の魔道具の対策は出来そうですか?」
シャルロットは、ビトリティス公爵達が着けていた隷属の魔道具が気になったようだ。従来と同じ方式では、動作を止めることが出来なかったのだから、当然だろう。
彼女の深く青い瞳は、憂いを伴いつつ隣のシノブ、そして彼の脇に控えるアミィを見つめている。
「大丈夫だと思います。回収してきましたが、首飾りにしていた鎖が弾けただけで、本体は殆ど元のままです。だから、調査可能です!」
アミィの言葉に、一同は顔を綻ばせていた。
従来の方式が使えず、しかも対策不可能であれば、今後の戦い方も大きく変わってくる。今までは解放の魔道具で無力化し、隷属の魔道具を外していくのが常であった。したがって戦闘自体も避けられたし、魔道具で縛られていた者に後遺症が残ることも無かった。
しかし解放できないなら力ずくでの制圧となる。それに従来と同じなら、魔道具を外すと精神に異常をきたす。それらは、出来ることなら避けたかったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「……では、こちらも簡潔に。
ヴォーリ連合国の族長会議は予定通り開催され、全会一致でアルマン王国との戦が決定しました。彼らは、既に西海岸に向けて進軍を開始しています。もっとも、セランネ村からでも西海岸まで300kmはあります。陸路なら四日は掛かるでしょう」
シノブとアミィの話を聞き終えると、シメオンはヴォーリ連合国の大族長エルッキから入った情報を二人に伝えていく。
ヴォーリ連合国は東西に長く、東端から西端は1500kmを超える。したがって、まずは西海岸のブラヴァ族に近い、イヴァールの出身であるアハマス族やその北方のコレル族などの戦士が向かい、三支族が協力して海岸警備にあたるという。
族長の集合には、ヴォーリ連合国に棲家を持つ岩竜ニーズが協力した。彼女は磐船を携えて各族長の住む村に赴き、セランネ村に集合させたのだ。
もちろんニーズは、今後も東側の支族の戦士を輸送する。しかしドワーフ達は竜に頼りきるつもりはなく、自力で移動可能な西方の村々からは騎馬や徒歩で向かうという。
「当然ながら、ヴォーリ連合国はアルマン王国との交易を無期停止としました。海上交易は我が国やガルゴン王国のみ、それも充分に船籍の確認を行ってから、となります。
それと、時間のあるときで良いから、神殿の転移が授かるよう祈願してほしい、とのことでした」
「明日にでも行ってこようか。エルッキさんが呼び寄せ出来るように魔法の家を再設定すれば良いし」
シメオンから状況を聞いて、シノブは明日セランネ村に行ってこようかと考えた。
先日セランネ村に行ったとき、シノブは魔法の家にエルッキを登録した。今はエルッキの権限を停止状態にしているが、変更すれば魔法の家を使ってセランネ村に訪問可能なのだ。
「お願いします。それと、イヴァール殿は竜達に腕輪を配り終わりました。イヴァール殿によれば、成竜は神殿での転移が可能だそうです」
「そうか! ガンド達も、アムテリア様を敬っているからね!」
シノブは、思わず破顔していた。
シメオンが言う腕輪とは、オルムル達が着けているものと同じである。オルムルは虫ほどになったことがあるが、小さくなればなるほど魔力を消耗するらしく、十分の一くらいまでが適切らしい。そのため成竜や成獣の光翔虎の場合、魔力のことを考えると人間の大人と同じくらいで留めておくべきだ。
しかし、そこまで小さくなれば竜も神殿に入ることが可能である。そこで、神官ではなく竜自身が願っても転移できるか試してみたようだ。
なお、転移を実行できるのは、一定の魔力を持ちアムテリアやその従属神に深く帰依している者である。この条件に当てはまるのは、シノブやアミィ、金鵄族のホリィ達、それに高位の神官達だ。
しかし竜や光翔虎達なら魔力は充分以上、更に何百年もの間を高潔に生きた彼らは心の面でも神々に認められたらしい。
「大きな動きは、こんなところです。そろそろ、食事にしましょう」
シメオンは、慌ただしくビトリティスに向かい、そして戻ってきたシノブを案じたようだ。既に日は落ちている。そして本来なら、とっくに晩餐会が開かれている時間である。
「そうですね! 今日は大変でしたから!」
「ええ! シノブ様、お食事の準備は出来ていますわ! シノブ様の大好きなお魚も沢山ありますわよ!」
今まで聞くだけだったミュリエルやセレスティーヌが、笑顔と共に口を開いた。二人は、シノブを労おうと思ったのだろう、殊更に明るい調子で夕食へと誘う。
今日の晩餐会は、中止となっていた。何しろ現公爵の不祥事である。それに王太子カルロスは、プジョルートと共に都市ビトリティスで調査を指揮している。王都に残った国王と先王も、当然重臣達や集まった諸侯と協議なり何なりをしているだろう。この状況では、形式張った夕食会などしている暇は無い。
シノブとしてもガルゴン王国に対処を急いでほしいから、これは望むところであった。それに王都に残ったシャルロット達も、結果として迎賓館で警戒しつつ待機しただけとはいえ長時間の緊張を強いられた。そのためシノブも、礼を尽くして饗応されるより仲間だけで寛ぎたいというのが本音である。
──シノブさん! 私もご褒美が欲しいわ!──
今までサロンの隅でじっとしていた光翔虎のメイニーが、唐突に思念を発した。彼女は抑え気味の咆哮でも意思を示しているから、その内容は室内の者達も理解可能である。
サロンの中にはメイニーだけではなくフェイニーもいるし、炎竜イジェや三頭の子竜達もいた。光翔虎や竜にとっても、帝国製の魔道具は軽視できないものだ。竜達は魔道具で隷属させられたこともあるし、光翔虎にしても、フェイニーと親のバージやパーフは竜人の血により凶暴化した過去を持つからだ。
そこでメイニーは通常の虎くらいとなり、イジェも同程度の大きさでサロンに来て、シノブ達の話を聞いていたわけだ。もちろんフェイニーやオルムル、シュメイにファーヴも同様だ。子供達はファーヴを気遣ったのか、彼と大きさを合わせて幼児くらいになってメイニーやイジェの側に座っている。
「ああ、今日は大活躍だったからね。魔力なら幾らでもどうぞ」
ソファーから立ち上がったシノブは、メイニーへと微笑みかけた。メイニーは、ビトリティスでプジョルート達の戦いを支援し、竜人達と戦った。さほど疲れたようにも見えなかったが、労に報いるべきであろう。
──嬉しいわ! フェイニーから聞いて気になっていたのよ!──
メイニーは、体を起こすとゆっくりとシノブに寄っていく。
彼女は、シノブの魔力に興味を抱いていたようだ。フェイニー達は彼女にシノブの魔力の素晴らしさを力説していたから、それも仕方ないだろう。
──メイニーさん、いいなあ~──
フェイニーは、羨ましそうな思念を発した。それに、黙ったままだが三頭の子竜もシノブを見つめている。こちらは恥ずかしいのか言い出さないが、やはり魔力が欲しいのだろう。
「遠慮しないで。皆がここを守ってくれて助かったよ」
──ありがとうございます~!──
──すみません──
シノブの返事を聞いて、フェイニーや子竜達が歓声を上げながらシノブに飛びついていく。まずはフェイニーが一跳びで、そしてシュメイが続いて飛翔して行く。
──僕は守っていないけど……──
ファーヴは、まだ飛翔も出来ないしブレスも吐けないから、迎賓館の守りには加わっていない。それ故ご褒美を貰って良いか気になったらしい。
──ファーヴ、一緒に行きましょう! ほら!──
躊躇うファーヴを、少し体を大きくして背に乗せたのはオルムルだ。大型犬ほどになったオルムルは、ファーヴを乗せたまま宙に浮くと、シノブに向かってゆっくり進んでいく。
──あっ、皆! ちょっと待ってよ!──
子供達に先を越されたメイニーは、慌てたような思念と吼え声を発した。
小さく変じたとはいえ、メイニーは人間以上のサイズだ。そのため気を遣った彼女は出遅れたらしい。
「イジェもおいでよ」
──では失礼します──
シノブは、静かに控えたままのイジェも誘った。そして寄ってきた竜と光翔虎の中に、シノブは埋もれてしまう。
シャルロット達は、竜や光翔虎に囲まれるシノブの姿に顔を綻ばせていた。伝説の生き物達と戯れるシノブは、彼らの憂いを一時的にでも吹き飛ばしたようだ。シノブも、サロンに微笑みが広がる様子に癒されながら、己を慕う者達に溢れんばかりの魔力を注いでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達の夕食は、晩餐のために用意していたものらしい。折角用意した山海の珍味を無駄にしないように、素材と料理人達を迎賓館に回したようだ。なお、主だった者以外は元々ここで食べることになっていたから、これは予定通り迎賓館付きの料理人達が準備していたものだ。
一行は総勢で百名近いが、晩餐に参加する筈だった者はごく一部だ。そこでシノブはサロンに集った面々と大広間に向かい、残りはそれぞれの格や役職に応じ幾つかの食堂へと移動する。
「シノブ様……兄上を助けてくださったこと、本当に感謝しています」
大広間では、ガルゴン王国の王女エディオラがシノブ達を待っていた。改まった口調の彼女は、シノブに向かって深々と頭を下げる。
「エディオラ殿、もう良いですよ」
シノブは苦笑しながらエディオラに声を掛けた。彼女は、シノブとアミィが帰還したときにも、同じことを言ったのだ。
次期国王を助け、放っておけば国を揺るがしたであろう事件を早期に収めたのだから、感謝自体は当然かもしれないが、度々繰り返されるのは少々恥ずかしい。シノブは、そう感じていた。
「……わかった。では、いつも通りにする。ナタリオ君は?」
「ああ、彼は向こうです。大活躍でしたが、あちらは人手が足りないから残って手伝うそうです」
シノブは席に着きながら、エディオラにナタリオの活躍などを話していく。
ビトリティス公爵の館や、それ以外の施設を調査する人員は、当然ながら王都から再度送り込まれた。しかし、数が足りないのは事実であったし、シノブとしても気心の知れた彼に最後まで見届けてもらえるなら、それはそれで助かると思っていた。
「そう。ビアンカ姉様やロカレナも喜ぶ」
エディオラは、上座のシノブ達に近いところに座ると、表情の薄い顔に僅かばかりの笑みを浮かべつつ答えた。
ビアンカとは王太子カルロスの第二妃で、西方内陸部を領地とするムルレンセ伯爵の娘だ。しかし、シノブはロカレナという名に聞き覚えが無かった。シノブは、さりげなく左右のシャルロットとミュリエルに視線を動かすが、彼女達も知らないようで、少しばかり怪訝そうな様子となっている。
「マリエッタ様。マリエッタ様は、ここ」
エディオラはマリエッタを呼ぶと、自分の隣に座らせる。そして彼女は、マリエッタの金の地に黒の縞の入った虎の獣人特有の髪を、そっと撫で始めた。
「あ、ありがとうなのじゃ……アリーチェ、メリーナ殿……」
マリエッタは、どことなく戸惑いの滲む顔で礼を言うと、遅れて入ってきた二人に声を掛けた。アリーチェとメリーナは一瞬顔を見合わせたが、マリエッタの隣の空いた席に寄って行く。
その間シノブは、アミィにロカレナなる者について思念で問うていた。だがアミィも知らないらしく、どう答えようかとシノブは少々迷う。
「ロカレナさんは、ムルレンセ伯爵のお孫さんで、フェルテオ様の長女でしたわね」
いっそ素直に聞こうかとシノブが思ったとき、見かねたのかセレスティーヌがエディオラに語りかけた。彼女はミュリエルの隣でエディオラとは反対側だから、その声は当然シノブの耳にも入る。
それを聞いたシノブは、ようやくビアンカとロカレナの関係を理解した。フェルテオはシノブも会った二十代半ばの武人で、王都守護軍の副司令だ。彼はムルレンセ伯爵の嫡男である。つまり、ロカレナは王太子の第二妃ビアンカの姪なのだ。
「そう。ナタリオ君の婚約者」
エディオラが答えた瞬間、大広間にカタリと音が響く。音のした方にシノブが顔を向けると、そこには椅子を引いていたアリーチェの姿があった。大した音ではなかったが、左右のマリエッタとメリーナには結構大きく聞こえたのか、二人はアリーチェを見つめている。
「フェルテオ殿は、まだお若いですが、ロカレナ殿は、お幾つなのでしょうか?」
シノブは、フェルテオが二十代半ばだと思っていた。その彼の娘だから、十歳を超えていることは無いだろう。もしかすると、更に幼いのではないだろうか。そう思った彼は、エディオラにロカレナの年齢を問わずにはいられなかった。
「五歳」
エディオラは、彼女特有の簡潔な話し方で答えた。本来なら食事を開始すべきだが、大広間に集まった者は彼女の話に興味を惹かれたようで、全員が王女に顔を向けている。
「それは……随分お若いですね」
シャルロットは、エディオラの答えに眉を顰めていた。
ナタリオは十六歳だから、十一歳差である。貴族同士の結婚だから、そのくらいの年齢差は珍しくも無い。現に彼女の父ベルレアン伯爵も、第二夫人のブリジットとは十五も歳が離れている。
しかし、ムルレンセ伯爵は西のビトリティス公爵派である。一方ナタリオの家は、当主が外国で大使を務めるのだから、当然国王派だ。おそらく、シャルロットはそこに政治や派閥争いの匂いを感じたのだろう。
「虎の獣人同士でお似合い。それにフェルテオ様は武人だから、話も合う」
エディオラは、良い縁談だと思っているようである。少なくとも、彼女の表情には否定的な感情は見当たらない。もっとも表情が乏しい彼女だけに、肯定的な感情が表れているわけでも無いのだが。
「しかし、結婚するときナタリオ殿は二十六歳以上ですか。随分待たされますね」
「そう? 第一夫人と差がある方が、良いと思う」
シノブの意図を量りかねたらしく、エディオラは小首を傾げていた。
ガルゴン王国では裕福な子爵家は二人以上の妻を娶ることもあるらしい。メリエンヌ王国では、大抵の場合は伯爵家以上が複数の妻を迎え、子爵家や男爵家は単独である場合が多い。その辺りからすると、ガルゴン王国の方が子爵家の地位が高いのかもしれない。
いずれにせよ複数の妻を娶るときは、多くは五歳から十歳近く間を空けるという。これは、夫が先に結婚した妻と親密になり子供も生まれてから、ということのようだ。また第一夫人に子供が授からなかったか、男子が生まれない場合に二人目を、という場合もあるだろう。
「ナタリオ君は、メリエンヌ王国やカンビーニ王国からお嫁さんを貰っても良いと思う……もしかして、もう誰か決まっているの?」
エディオラは、ナタリオがアリーチェを好ましく思っていると知っているのだろうか。それとも知らずに聞いているだけなのか。どちらとも取れるだけに、シノブは返答に詰まってしまった。
「ナタリオ殿は優秀じゃから、我が国から嫁を取っても構わぬのじゃ!
お国の嫁御が伯爵家なら、外からは子爵の娘が良いかの? 第一夫人が子爵家で第二夫人が伯爵家なら、どちらが上で下ということも無いから良いのじゃ!」
マリエッタは、ちらりとアリーチェに視線を向けた後、無邪気とさえ言える様子で自説を述べた。
おそらくマリエッタは、シノブ達と出会ってからの半月で、ナタリオが誰を想っているか知ったのだろう。彼女は武術に邁進しているが、十二歳の少女でもある。当然、側の女性達から色々聞くこともある筈だ。
一方、アリーチェは自分のことと察したのか、真っ赤な顔で俯いていた。彼女もナタリオを嫌っているわけでは無さそうだが、多くがいる場で自身の結婚を話題に上げてほしくなかったのだろう。
「ナタリオ殿が幸せになるのであれば構いませんが……ともかく食事にしましょう。『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』」
シノブは、ここらでアリーチェに助け舟を出すべきかと思い、食事の開始を宣言した。他の者、特に男性陣は若い女性の話に興味が無かったのか、率先してシノブの唱えた祈りの言葉に唱和していった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブの好みを聞いていたらしく多くは魚料理であったが、どれも煮るか焼くかである。
王都ガルゴリアから海まで100kmはあるため、カンビーニ王国の王都カンビーノのように、生魚を食すことは無いらしい。なお、沿岸の町であれば、こちらも刺身やマリネなどがあるという。シノブとしては、港湾都市バルガンテを素通りしたことが、少々残念であった。
それでも、内陸のフライユ伯爵領から来た者にとっては珍しい料理ばかりだし、王家が抱える料理人が作っただけあって、どれも絶品である。
また、前日の晩餐もそうだったが、パイで包んだりオムレツのようにしたりと、意外に庶民的なものも多かったのも、シノブにとって好印象であった。もしかすると、この辺りは事前にナタリオから仕入れた情報を元に、堅苦しくないメニューを選択したのかもしれない。
「……ティルデムは、軍に入る。今更だけど。母は、病気の名目で謹慎」
「そうですか」
シノブは、エディオラに短く答えた。そして、彼は自身の表情を隠すかのように、手前に置いてあるカツオのトマト煮を口に運ぶ。
エディオラが来たのは、単にマリエッタに会いたかったからだけではない。彼女は、ガルゴン王家が内々に決めたことを、シノブ達に伝えに来たのだ。
そのためだろう、料理は最初に全て運び込まれ、後は席に着いた者が自由に取る形式であった。もっとも、良く似た文化のカンビーニ王国でも限られた者だけで食す場合は同じであったから、特異な形というわけでもないようだ。
「不正入手した魔道具を持っていたのだから、当然」
第二王妃クラリーサと、彼女が産んだ第二王子ティルデム。つまり、エディオラの母と弟についてなのだが、彼女の声は冷たく聞こえるくらい、平板なものであった。しかし王女の濃い茶色の瞳は憂いを含んでおり、二人を思う心の揺れが滲んでいる。
もっとも、この措置は温情に満ちたものと言うべきであろう。
アルバーノが掴んだ通り、ティルデムは強化の魔道具を持っていた。
王都に運んだビトリティス公爵や彼の重臣達は、まだ殆ど口を利くことが出来ないままだ。治癒術士達は、おそらく翌日は多少会話できるだろうと言っている。そこで、公爵達から事情を聞くのは翌日とした。
とはいえ、ティルデムをそのままにして何かあっては、前フライユ伯爵の次男アドリアンの二の舞である。それを恐れたシノブは、国王にアルバーノの推測を伝えたのだ。
その結果、ティルデムの部屋から強化の魔道具が見つかり、それがビトリティス公爵からクラリーサと渡ってきたことも判明した。そこで、クラリーサは対外的には不例として長期謹慎、ティルデムは母から離して軍に放り込み鍛えなおす、となったわけだ。
「きっと、大きく成長されるでしょう」
「そうですわね。良い機会だったのかもしれませんわ」
オベール公爵の継嗣オディロンや、セレスティーヌは、本心から良かったと思っているような笑顔で、エディオラに答えた。それぞれ次代の公爵に王女である。王家に連なる者として己を厳しく律してきた二人からすれば、鍛え直しで済むなら幸運と取ったのかもしれない。
「私もそう思う。……シノブ様。魔道具の調査、私も加わりたい」
「エディオラ殿が、ですか?」
シノブは、エディオラの申し出に多少は驚きつつも、やはり望んでいたか、と感じながら答えた。
何しろ、ナタリオからも彼女が魔術や魔道具に傾倒していると聞いていたし、治療の魔道装置に示した関心も尋常ではなかった。その彼女が、新たな魔道具と聞いて傍観するわけが無いだろう。
しかし、隷属の魔道具は禁忌の品である。それを興味があるからといって、おいそれと解析に加わらせるわけにはいかない。
「母と弟……ガルゴン王家の過ちは、私が償う。私が役に立って、少しでも早く対策が出来るなら、それはとても良いこと」
「立派な決意ですが……隷属の魔道具に関する技術を拡散させたくありません。今は、アミィやフライユの研究所の者しか知らないのです。
エディオラ殿を疑うわけではありませんが、ガルゴン王国に記録を残せば、後の誰かが悪用しかねない。私はそれを恐れています」
シノブは、エディオラが決して興味本位ではないと理解した。
だが、禁忌の技を知る者を最小限に留めたい。それは彼の心からの願いである。そこで彼は、エディオラの心を確かめようと、真っ直ぐ彼女の目を見つめながら、力強く自身の考えを言い切った。
「望むところ。私は、研究所から出なくて良い」
そう言うと。エディオラは席を立った。そして彼女は数歩進んでテーブルから離れ、シノブの方に向き直る。
真摯な彼女の表情に、シノブも自然と立ち上がった。彼は、エディオラが何を言うのかと思いながら真顔で向かい合う。
「私は、母と弟の代わりに命を捧げましょう。私、エディオラ・デ・ガルゴンは女であることを捨て、邪悪な魔道具を滅し、人々を救う技を遺します。それが、私の生み出す子供達。
……その証を、今ここに!」
証を立てると叫んだエディオラは、間を置かずにドレスの隠しから懐剣を取り出した。そして彼女は空いた左手で自身の髪を掴むと、懐剣で断ち切ろうとする。
初めて会ったときと同じ質素な装いに、無造作に後ろで縛った長い髪。しかし真っ直ぐで艶やかな栗色の髪は、丁寧に手入れされているのが明らかだ。
それだけ大切なものだから、エディオラは贖罪の印として差し出そうと思ったのだろう。
「エディオラ殿!」
シノブは一足飛びにエディオラの下に移動し、彼女の右手を押さえた。
エディオラは多少の身体強化も出来るらしく、予想外に速い動きであった。しかしシノブからすれば、彼女を留めることなど何でもない。
「……貴女の覚悟はわかりました。でも、それはやめましょう。こちらではどうだか知りませんが、私の故郷では『髪は女の命』と言うのですよ」
途中まで真顔で言葉を紡いだシノブだが、最後は敢えて冗談めかして囁き笑いかけた。
エウレア地方でも髪は女性にとって大切なものだ。それはシノブも理解していたが、面と向かって言うのも気恥ずかしかったのだ。
「シノブ様……」
シノブの言葉に、エディオラは目を見開いて見つめ返す。その目尻からは、一滴の涙が落ちていく。飾り気の無い彼女だが、やはり自らの髪を切り落とすことには大きな葛藤があったに違いない。
「シノブ様……手、痛い。それに、近すぎ」
「し、失礼しました! ……でも、この剣は預かっておきますね」
真っ赤な顔のエディオラの言葉に、シノブも少々焦って身を引いた。しかし彼は再び両手を伸ばし、彼女の持っていた懐剣を奪い取る。
「わかりました。シノブ様に私の剣を預けます」
幸いエディオラは、シノブに抗わなかった。彼女はまだ赤い顔のまま、自身から剣をもぎ取った男にペコリと頭を下げる。
見守っていた一同は、これで一件落着と愁眉を開いていた。ある者は安堵の溜息を吐き、ある者は顔を綻ばせている。そんな中シノブとエディオラは、それぞれ席に戻っていった。そして彼らは、ようやく和やかな雰囲気の中で、王家の料理人の用意した品々を心から味わっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年12月5日17時の更新となります。
本作の設定集に主要登場人物の再紹介を追加しました。今回は、外国とその他です。
設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。