14.27 ビトリティス潜入 後編
日も落ちかけたビトリティス公爵の館の前庭で、全身鎧を纏った騎士達の激闘が繰り広げられている。とはいえ戦いは一貫してプジョルート達が押しており、シノブは王太子カルロスや光翔虎のメイニーと共に後方で見守っているだけだ。
「ぐわっ!」
「うっ!」
ビトリティス公爵の継嗣プジョルートやナタリオ、そして王太子の護衛である精鋭達が大槍を繰り出す度に、手向かう敵は打ち払われ吹き飛ばされていく。特にプジョルートとナタリオは、万夫不当と言っても差し支えの無い快進撃である。
「素晴らしいですね……」
豪槍を振るう巨漢の公爵継嗣を、シノブは嘆声と共に見つめていた。
2m近い巨体のプジョルートは、向かってくる相手を並外れた膂力で撃破していく。唸りを上げる大槍は、シノブやシャルロットが使うものより何割か長く太かった。それを彼は、重さなど無いかのように豪快に振り回し敵を打ち据えている。
一振りすれば相手は地に伏し、二振りすれば翻筋斗打って倒れゆく。一見、力に恵まれた虎の獣人らしい豪快なだけの槍に見えるが、その術理は洗練され長く厳しい修練を思わせる、王道とでも言うべき技の数々だ。
プジョルートや王太子の護衛達は、右手で大槍を持ち左手で大盾を構えている。盾は元々馬上を意識したのか、上部が大きく下が尖ったものである。
騎士達の技は大槍の石突近くを右手のみで保持しての突きや振り回しが中心で、シノブが良く知るベルレアン流槍術とは大きく異なる。それに槍自体も独特で、片手で滑らないように持ち手の部分に独特の工夫がされている。
更に盾の使い方も違う。ベルレアン流は両手で槍を保持する上に、盾は使わないか腕に通す取り回しの良い丸盾などだ。それに比べ、彼らは盾を駆使して戦っている。突き込まれる槍を盾で受け流すのは当然として、盾自身で敵を吹き飛ばし殴りつけるなど、攻防の双方に活用しているのだ。
「シノブ殿にお褒め頂いたと聞けば、彼も喜ぶでしょう。ですがナタリオも成長しましたね。シノブ殿の薫陶でしょうか?」
王太子は、まだ十六歳のナタリオが十歳以上も年長のプジョルートに並ぶ武技を披露しているのに驚いたらしい。それもその筈、ナタリオは精鋭である王太子の護衛達に比べても一段上の活躍であった。
だが、それも当然であろう。彼は、カンビーニ王国で行った競技大会の格闘部門で三位に入っているのだ。しかも三位と言っても、彼を破ったのは王太子シルヴェリオの親衛隊長ナザティスタだ。それを考えれば若手と侮ることは出来ないだろう。
「魔力操作は教えました。ですが、彼が努力した成果です」
シノブは、笑みを浮かべつつカルロスに答えた。
虎の獣人ナタリオは、シノブやアミィから『アマノ式魔力操作法』を学んでいた。そしてシャルロット達の武力を大きく伸ばした訓練法は、若い彼の才能を一気に引き出したのだ。
「そうですか……確かに良い経験をしたようです」
「ええ。フライユでは熱心に学んでいました」
王太子カルロスの言葉にシノブは相槌を打った。ナタリオの槍術は、シャルロットやミレーユが使うベルレアン流槍術に近い流麗かつ繊細なものだったのだ。
ナタリオもプジョルート達と同じ大盾を持っているが背負ったままで、槍のみを攻防に用いている。それらを含め、ナタリオの戦い方はシノブが知るベルレアン流に近い。彼は異国の槍術までも貪欲に取り入れ、自らを磨いていたのだ。
シェロノワでのナタリオは、ジェレミー・ラシュレーなどのフライユ伯爵領の軍人に混じって武術の訓練をしていた。そしてラシュレー達も、シャルロットやミレーユと同じくベルレアン流である。
既にナタリオは、三ヶ月近くシノブ達と行動を共にしている。十六歳という伸び盛りの彼にとって、それはまたとない成長の場であったらしい。
「やあっ! えいっ!」
シノブ達が見守る中、ナタリオは目にも留まらぬ早業で手に持つ大槍を振るっている。槍身が霞む突きに払い、そして旋風を巻き起こしながら振り回せば、一度に数人が地に伏していた。
プジョルートもそうだが、あまりの実力差に穂先を使うまでも無いらしい。彼は長柄で打つか石突で突くかで、血を見ることも無く敵を倒していく。
「くっ!」
「ほ、本当に操られているのか!?」
公爵家の家臣達が手も足も出ないのは、実力差だけでもないらしい。その身を全て鎧で覆った彼らだが、遠方のシノブにも動揺していることが明らかであった。
元々、敵の戦意は高くない。攻め寄せてくる相手はビトリティス公爵の家臣達であり、主家の跡取りであるプジョルートに対し槍が鈍るのは当然だ。
彼らは上官である重臣達の指示を受け、プジョルートや王太子カルロスを捕らえようとしてはいる。しかし、次期国王や主家の継嗣が帝国の魔道具で操られている、と唐突に言われて素直に信じる者ばかりでも無いだろう。
そもそも、プジョルートやカルロスは操られてなどいない。真実は全く逆であり、帝国が作った隷属の魔道具を着けているのは公爵の重臣達なのだ。
シノブは自身の魔力感知能力で、指揮官達が魔道具により何らかの精神支配を受けていると察していた。ただ、それは従来の『隷属の首輪』とは異なるらしく、シノブでも解除は出来ない未知の魔道具である。
重臣達の隷属の程度は、帝国で見た戦闘奴隷とは違うようだ。彼らは能動的に配下に指示をしている。そのため公爵家の家臣は、自分の上官達が操られているとは思っていないのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
──順調ね……でも、このままだと退屈だわ──
光翔虎のメイニーは、暫く大人しく座って様子を見ていた。
メイニーは敵を脅すため、元の巨体に戻り一吼えした。しかし自家の問題というプジョルートの顔を立てようと思ったのか、それ以上は手出ししなかったのだ。
シノブが神具から光鏡や光弾を出して王太子を守る脇で、メイニーは腰を降ろして人間達の戦う様子を見守っていた。とはいえ観戦するうちに、彼女は少しばかり飽きてきたらしい。
──シノブさん、ちょっとだけ手助けするわね! 早く終わった方が良いでしょ!──
メイニーは、そうシノブに思念を送ると館の庭に敷かれた石畳を魔力で包み持ち上げた。長方形の石畳は、さほど大きくはない。しかし馬車が通るためだろう、厚みはかなりある。それが、メイニーの周囲に何十も浮き上がったのだ。
──鎧を着けているのだから、これくらい大丈夫よね!──
そしてメイニーは、それを砲弾のように打ち出していく。一応手加減したのか、充分に目で追える速度だが、とはいえ相当の重量である。低い唸りを上げて飛んでいく石畳は、投石機で打ち出された砲弾に匹敵する破壊力を持っているだろう。
「う、うわっ! 岩が!」
「どうして!」
押し寄せる相手は、プジョルート達より多かった。そのため後方には、遊兵となった者もそれなりに存在する。
手持ち無沙汰の集団も一応は武器を構えつつ前線を見つめていたが、少々油断をしていたらしい。いきなり飛んできた四角い石に、為す術も無く打ち倒されていた。
「メイニー! ああ、大丈夫か……」
シノブは一瞬焦ったが、メイニーは絶妙なコントロールをしていたらしく、石畳が当たった者は意識を失っただけで、大事は無いようだ。その辺りの調整は、やはり二百年も生きた彼女ならではの技なのだろう。
「メイニー様、ご支援頂きありがとうございます!」
シノブが苦笑する中、王太子カルロスは脇のメイニーを見上げ礼を伝えていた。ミスリルらしい白銀の甲冑と真紅のマントを着けた高貴な戦士が巨大な聖獣を仰ぐ姿は、さながら伝説の光景のようであった。
王太子はプジョルート達とは違い、槍や盾などは持っていない。彼は腰に魔道具らしい細剣を佩いただけであり、それも王子に相応しい威厳や美麗さを感じさせる要因かもしれない。
とはいえ今の王太子は、荘厳さなどは感じていないようだ。
王太子もプジョルート達と同様に鎧を纏っているから、その顔は目を中心とした一部だけしか晒していない。そのため彼の口元は隠されているのだが、声音からすると笑いを浮かべているようである。
どうやら王太子は、永き時を生きる聖獣のメイニーが痺れを切らして手を出したことを、面白く感じたようだ。
──お礼なんて良いのよ!──
メイニーは『アマノ式伝達法』を用いた咆哮で王太子に答える。
王太子には伝わっていないのだが、メイニーの思念は得意げである。どうも人間の手助け、つまり人との共存が出来て嬉しいようだ。
メイニーはガルゴン王国中央部の大森林に棲んでいることもあり、同行を申し出たらしい。カンビーニ王国のバージ達と同様に、ガルゴン王国に棲む彼女や両親も同じ地で暮らす人々と友好的な関係を築いていくことにしたのだ。
そして隷属を禁忌とするのは、光翔虎達も同じである。最高神アムテリアの教えを自身と人が協力して守るべく、メイニーは戦いに手を貸したのだ。その行動に感謝されれば、それは何よりも嬉しいことだろう。
「……ところでカルロス殿。お腰の宝剣ですが、かなりの魔力を感じます。もしや、聖人の?」
シノブは王太子カルロスとメイニーのやり取りを微笑みつつ見ていたが、先刻から気になっていたことを尋ねることにした。
メイニーが手を貸したことで、戦局は一気に傾いた。後方の重臣達、隷属の魔道具を着けている者達も飛来した石畳を受けて倒れている。家臣達も元々疑問混じりで戦っていたからだろう、上官が倒れると戦闘を放棄し武器を捨て始めていたのだ。もう、大勢は決したと言って良いだろう。
そこでシノブは、王太子が腰に佩いている細剣について、その由来を問うことにした。彼の細剣から、聖人達が残した武具や魔道具に共通する魔力を感じていたのだ。
「ああ、これですか。ご推測の通り……」
シノブに答えつつも庭の様子を見守っていた王太子は、突然言葉を途切らせた。何故なら館の大扉が開き、一際上等な甲冑に身を包んだ偉丈夫が現れたからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「父上!」
庭の中央に立っているプジョルートが、扉を開いて現れた全身鎧を纏った人物に大声で呼びかけた。二人の鎧は非常に似通ったもので、しかも背格好も殆ど同じであった。ただし扉から歩み出てくる者は、槍や盾を持たず、腰に細剣らしきものがあるだけだ。
「あれが、ビトリティス公爵ですか?」
「そうです。彼がビトリティス公爵サラベリノです」
シノブの問いに、王太子カルロスは静かに頷き返す。
プジョルートの呼び掛け。そして継嗣である彼と似た鎧。それらは館から出てきた人物が公爵本人だと示している。それはシノブも察していたが、わざわざ問うたのには理由がある。
「プジョルート殿! 公爵も隷属の魔道具を着けています!」
そう、王太子が公爵と答えた人物は、隷属の魔道具に共通する魔力波動を放っていたのだ。
もちろん、その魔力波動を感じ取れるのは、ここではシノブだけだろう。可能性があるとしたら、後は光翔虎であるメイニーであろうか。魔道具から漏れ出す波動は極めて微量で、しかも波動だけで魔道具の種別を察するほど繊細な感知は、常人では無理である。
しかし、庭へと降り立った人物が重臣達と同様に隷属の魔道具を着けていると、シノブには感じ取れる。なお、こちらも従来の『隷属の首輪』とは違うようだ。
「くっ、やはり……」
シノブの忠告を受けたプジョルートは、悔しげな声を漏らした。
彼は歩んでくる人物に向かって立ち、シノブ達に背を向けている。そもそも全身鎧を身に着けているから、仮にシノブ達の方を向いていても顔など見えない。だが、彼の声音からは、内心の苛立ちと嘆きが痛いほどに伝わってくる。
「息子よ。どうして歯向かうのだ?
……殿下。我が館の敷地で兵を用いて乱暴狼藉とは。王家とはいえ、これは看過できませぬぞ」
甲冑の中はビトリティス公爵で間違いないようだ。何しろ彼は、プジョルートを息子と呼んだのだ。
そしてビトリティス公爵は、プジョルートの背後にいるシノブ達、正確には王太子カルロスへと呼びかける。公爵も隷属の魔道具に支配されていても、帝国の戦闘奴隷とは違い自意識を保っているようだ。
シノブには元々の性格や口調などを知る由もないが、その内容はともかく威厳のある声音からは、大貴族の当主らしい確たる意思が感じられる。
「サラベリノよ! そなたこそどうしたのだ! そなたの家では、来客にいきなり襲い掛かるのが礼儀なのか! その腰の宝剣が泣いているぞ!
……シノブ殿。どうやら私の出番のようです。あれは私が持つものと同じく、聖人ブルハーノ・ゾロが作った五本の宝剣の一つ。聖人が授けた遺宝です」
王太子カルロスは公爵に叫び返すと、シノブに僅かに顔を向け静かに語りかけた。そして濃い茶色の瞳でシノブを見つめていた彼は、暫しの時が過ぎた後、兜の覆いを下げて前に向き直る。
「手助けは無用、ですか?」
「ええ。これは我が国の問題。我らが遺宝、聖人の御心を汚す輩は、私が倒さなくてはなりません。我らは、神々と聖人からこの地を託された一族なのですから」
シノブへの答えは、あくまでも平静なままであった。それ故シノブは、王太子を留めることなく送り出す。もちろん何かあれば介入するつもりだ。しかしカルロスの言葉には、次期国王としての誇りが満ちていた。それは、シノブの申し出を喜びつつも、決して頼るものでは無かったのだ。
そして王太子は静かに歩む。彼は背後にシノブとメイニーを従え、真っ直ぐに公爵へと向かっていく。
王太子の威風堂々とした姿に気圧されたのか、それまでプジョルートやナタリオ達と戦っていた者達も道を譲る。体が動く者は自ら場所を開け、動かぬ者は仲間の手を借りて退いた。
それは、王太子の護衛達も同様であった。彼らは主の勝利を信じているのだろう、槍を天に向けて立て、盾を僅かに掲げて彫像のように動かない。そして金属で身を包んだ騎士達が作る花道を、王太子とシノブ、メイニーはゆっくりと進んでいく。
「殿下! 私が!」
しかし、そんな中プジョルートのみが王太子を遮ろうとした。
プジョルートはナタリオと並ぶ最前線、護衛達の並ぶ道の果てにいた。ナタリオは護衛と同様に脇に控えようとしたが、彼だけは王太子の前に出たのだ。
「あれは炎の細剣だ。あれに普通の剣で勝てぬことくらい、継嗣のそなたなら重々承知しているだろう?」
カルロスが言う炎の細剣とは、彼と公爵の持つ細剣のことだろう。シノブが王太子の持つ剣から感じた魔力を、公爵が持つ細剣も放っていたのだ。
「な、ならば殿下の宝剣をお貸しください! 私が殿下の代わりに!」
「親に剣を向けるなど人倫に悖る行為だ!
……これは私の仕事だ。それに公爵継嗣とはいえ王太子が宝剣を貸すなど、末代までの恥だからな」
王太子の叱責に、プジョルートは遂に道を譲った。彼はナタリオや護衛達と同様に、槍を天に突き上げ盾を掲げて王太子の勝利を祈願していた。
◆ ◆ ◆ ◆
「……準備はよろしいですかな?」
「ああ。そなたに何を言っても通じないだろう。ならば、聖人の剣で己が正しいと示すまで!」
ビトリティス公爵サラベリノの静かな問いに、王太子カルロスも始めは落ち着いた声で言葉を返していた。しかし王太子の返答の終わりは、叩きつけるような気迫と共に締めくくられていた。
そして凛とした声が空気を揺るがすと、次期国王と現公爵は、それが合図であったかのように全くの同時に細剣を抜き放っていた。
二人は鏡像のように同じ構えを取っていた。右半身で細剣を手前に突き出す姿は、地球の武術で言えばフェンシングに近いだろうか。
突きを主体にした細剣だから、的を小さくするために半身となるのだろう。正面から見たら顔より少々幅がある程度で、しかも左手を後ろに隠しているため、細剣に体が隠れているような錯覚すら受ける。
いや、おそらく達人の放つ気迫が、細い筈の剣を太く巨大に見せ、背後の体を隠すのではなかろうか。護衛達と共に王太子の後ろから見守るシノブは、そんなことすら考えた。
「行くぞ!」
どのくらいの時間が流れたであろうか。実際は、ほんの一瞬だったかもしれない。両者の気迫が時間感覚すら歪めた薄暗い庭を、王太子カルロスの鋭い叫びが切り裂いた。
そして天地に響く烈声に、放ったカルロス自身が追い抜くような猛烈な突進で続いていく。王族である彼は、やはり強い加護を受け継いでいるのか、超一流の身体強化だけが可能とする稲妻のような跳び込みと共に剣を突き出した。
「見事!」
ビトリティス公爵は何気ないとすらいえる動作で王太子の細剣を弾くと、逆に紫電のような三連突きで応じる。しかし王太子もそれを予測していたのか、素早く躱すと反撃していく。
「剣が……」
──あれが父様の言っていた炎ね!──
シノブの呟きに答えたのはメイニーだ。彼女は、父であるダージから初代国王や聖人の話を聞いていたようだ。
繰り広げられる剣戟が魔道具の力を呼び起こしたのか、それとも二人が魔力を注いでいったのか、炎の細剣の剣身は灼熱の赤となり、その先からは全てを燃やし尽くすような烈火が踊っている。
紅蓮の炎はある時は剣身を伸ばしたかのように突き出し、またある時は相手の攻撃を防ぐかのように猛火の障壁となる。真紅の壁は物理的な盾となるのか、相手の剣戟や纏う劫火も防いでいる。
「これなら普通の剣では戦えないね。それに、盾もいらない筈だ」
シノブが言う通り、魔道具ではない武器なら炎を防ぐことは出来ないだろう。仮に炎が無くても、真っ赤に光る剣は相手の武器を溶かすのではないだろうか。シノブは、周囲の温度が上がったように感じながら、そんなことを考えていた。
「くっ!」
「甘い!」
激しい炎に彩られた戦いは、その間も続いていた。同じ武器なら、体力と技量、そして経験が勝負を決めるのだろう。そして技量はともかく、公爵は残りの二つは明らかに勝っている。
ビトリティス公爵は虎の獣人だから、被っている兜には息子のプジョルートと同じく虎耳を格納する膨らみが備わっている。しかも公爵は息子に並ぶ巨体で、大柄な王太子よりも拳一つは背が高い。
その上、公爵は五十を過ぎたばかりの円熟した年齢である。要するに、王太子よりも二十年は剣を振るってきたのだ。
「殿下!」
「プジョルート様、いけません! 炎に巻き込まれます!」
思わず前に進み出ようとしたプジョルートを、ナタリオが制していた。炎の細剣に守られていない常人には、王太子と公爵の戦いに介入することは不可能なのだ。
「心配するな!」
「うっ!」
何と、王太子カルロスはビトリティス公爵の剣を弾き飛ばしていた。
王太子は、どうやら公爵の油断を誘っていたらしい。彼と公爵が対戦したのは、もしかすると数年前、いや十年以上前ではないだろうか。まだ若い頃に剣の指導をしてもらったのが、最後なのかもしれない。そこで以前の技量のままと思わせておき、ここぞと言うときに真の実力を発揮したのだろう。
「サラベリノ! 己を恥じることだな! もっとも、今のそなたに言っても通じないかもしれないが!」
そして王太子は、剣を落とした公爵の鎧の胸に、炎の細剣で素早く切り付けた。彼は一瞬のうちに剣を左から右、そして左下に戻すと更に右へと走らせた。
「あ……聖人の『己』か……」
──流石ね! 聖人様の技、きちんと受け継いでいたのね!──
僅かに脱力したシノブとは違い、メイニーは感嘆の声を上げていた。
聖人ブルハーノ・ゾロは、己を省みるようにと敵の胸に『己』と刻んでから倒したという。シノブとアミィが推測するに、それは『Z』の可能性もあるのだが、この世界の人々は『Z』という文字を知らない。そのため、聖人はアムテリアが共通語として授けた日本語で似た文字『己』としたようである。
もっとも、それを察しているのはシノブとアミィだけである。したがってシノブ以外は、聖人の遺した教えを再現した王太子に、賞賛の言葉を贈っている。
◆ ◆ ◆ ◆
ビトリティス公爵サラベリノは、何かに弾かれたかのように遥か後ろへ飛ばされていた。シノブには炎の細剣で鎧の鋼板を切り裂いただけに見えたが、炎や熱以外にも何らかの効果があったのかもしれない。
「殿下……」
一瞬気を失ったかのように見えた公爵は、暫しの空白の後に再び立ち上がる。そして、彼は兜を取り左脇に抱えた。
顕わになった公爵の顔は、プジョルートをそのまま歳を取らせたような厳めしいものだった。それに息子と同じで虎の獣人特有の金の地に黒の縞の入った髪、そして炯々と輝く金眼が目立っている。
「サラベリノ。もしや正気に……」
王太子は、聖人の遺宝が公爵を隷属から解き放ったかと期待したようだ。彼は剣を下げてゆっくりと歩み寄っていく。
「私には、まだこれが……お前達、今こそ力を得るときだ!」
公爵は辺りに響く大声で叫ぶ。そして彼は、懐から取り出した何かを飲み干した。
「父上!」
「サラベリノ!」
プジョルートや王太子、そして護衛や公爵の家臣達が叫ぶ中、公爵の体は徐々に変貌し鎧が弾け飛ぶ。彼の頭には角が生じ顕わになった皮膚は赤い鱗となっていく。
「あれは、翼魔人!」
──シノブさん、他にもいるわ!──
そう、シノブの前にいるのは、もはや人ではない。それは尻尾と翼を持つ異形、翼魔人と呼ばれる種類の竜人であった。しかも、メイニーが思念で伝えてきたように、倒れていた筈の重臣達のうち、四人ほどが同じように変貌を遂げていた。
──アミィ、竜人だ! 治癒の杖を、神殿から!──
シノブは、王都ガルゴリアにいるアミィに思念で叫んだ。
アムテリアから授かった治癒の杖であれば、竜人化を解くことが出来る筈だ。そして戦いとなれば魔法の家を呼び寄せる余裕はないから、神殿の転移でアミィに来てもらう。短い思念だが彼女ならこれで理解してくれるだろう。
なお、アミィの思念はここまで届かない。そのため返答は神殿での転移を終えたときか、通信筒での紙片となるはずだ。
──ふふっ、今こそバージさん達の雪辱を果たすときね!──
メイニーは、重臣達が変じた翼魔人達、空に舞い上がった彼らを太い前脚で叩き落としていく。
「流石メイニー様!」
「おお、怪物が!」
訳知り顔で叫ぶのは王都から来た者達、そして急変する事態に驚愕しているのは公爵の家臣達だ。王都でのことは、ビトリティスまで伝わっていないのだろう。もしかすると、公爵が意図的に情報を伏せたのかもしれない。
──残念でした、光翔虎は同じ罠に二度も嵌まらないわよ!──
どうやら彼女は、前脚をグローブのように魔力で包んでいるらしい。そのため前脚に当たる前に、翼魔人は弾き飛ばされる。
噛み付いて竜人の血を口に含むと、メイニーの体に異変が生じかねない。爪で引っ掻いた程度なら大丈夫だと思われるが、万一バージ達のように凶暴化すれば大惨事だ。そこでメイニーは、魔力で前脚を覆うことにしたようだ。
──ビトリティスの神殿に着きました! 王都に異常はありません! 今はイジェさんやオルムル達が迎賓館を守っています!──
シノブの期待通り、アミィは全てを理解して動いたようだ。予想外に早い返答だったから、オルムルか誰かに大神殿まで送ってもらったのかもしれない。
「メイニー、気絶か拘束で頼む! アミィが元に戻してくれる!」
シノブも、ビトリティス公爵であった翼魔人を魔力障壁で包み込み、動きを封じていく。
──シノブさん、気絶しないわ!──
流石に竜人だけあって、地上に墜落したくらいでは意識を失わないようだ。メイニーは、既に全ての翼魔人を地面に落としていたが、彼らはもがき続けている。おそらくメイニーが魔力で押し付けているのだろう、彼らが再び空に舞い上がることはない。
「よし……この光鏡に入れてくれ!」
シノブは、幾つかの光鏡を集合させ、輝く檻を作り上げる。そして更に一つ、別の光鏡を出現させた。
光鏡は、物体を吸収するか別の光鏡に送るか選択できる。そこで、互いに内側に送り合うようにした光鏡の檻を用意し、別に入り口となる一枚を置く。
メイニーは、魔力で縛り上げた翼魔人を入り口の光鏡に放り込む。入り口の光鏡に繋がるものは無いから、再び出ることは不可能だ。
「シノブ殿!」
「やったぞ! 全て捕らえた!」
プジョルートやナタリオ、そして護衛達は、全ての翼魔人が光の檻に入ったのを見て、歓喜の叫びを上げていた。シノブは、既に隷属の魔道具の魔力を感知していない。つまり、全てが竜人と化し、そして檻の中に入ったのだ。
「シノブ殿、彼らは助かるのですね?」
「はい。カンビーニで光翔虎を元に戻したことがあります」
シノブは、王太子カルロスの問いに、笑顔で答えた。竜人を元に戻したことはまだ無いが、治癒の杖はアムテリアが授けた神具である。したがって、シノブは彼らを人間に戻せると確信していたのだ。
「そうですか……ありがとうございます」
「シノブ殿……このご恩、決して忘れません」
王太子とプジョルートは、シノブの言葉に安堵したようだ。兜の覆いを上げた彼らは、その目を潤ませている。
王太子にとっては重臣とその家臣、プジョルートにとっては父と自家の家臣だ。事の経緯がどうあれ、彼らが異形と化したままより人に戻れる方が良いに違いない。
「礼は無事に戻ってからでお願いします。それとプジョルート殿、彼らに服を持ってきてくれませんか? このままでは……」
シノブは公爵継嗣に笑いかけた。アミィの魔力の接近を感じた彼は、あることを案じていたのだ。
「おお! これは気が付きませんでした!」
プジョルートは涙を浮かべた目を大きく見開いた。そして彼は、右手で己の兜を大きく打ってから、館の中に走り出す。おそらく、これ以上家臣に涙を見られたくなかったのであろう。
残った者達は、その姿に大きな笑いを零している。いよいよ宵闇が迫る中、光鏡に照らされる彼らの顔は何れも明るい。それを見たシノブは、一仕事終えた満足感を覚えながら、アミィの到着を彼らと同じ笑顔で待っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年12月3日17時の更新となります。