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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第3章 ベルレアン伯爵家の人々
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03.09 できるかな?

「はい、一休みしましょう! だいぶ魔力操作も上手くなってきましたね~」


 アミィはミュリエルとミシェルに声を掛けた。今日もブリジットとミュリエルの居室で、アミィは魔術を教えているのだ。

 もちろん三人だけではなくシノブ達もいる。部屋の主でミュリエルの母ブリジット、その侍女でミシェルの母サビーヌなどが訓練に励む少女達を見守っていた。


「ありがとうございます! なんだかコツが判ってきたように思います!」


「アミィお姉ちゃん、私も上手くなった!?」


 二人は体を動かしながらの魔力操作をやめ、アミィへと走り寄る。どちらも成長を実感しているようで、可愛らしい(おもて)は常に増して輝いている。


 アミィ考案の、体の動きに合わせた魔力操作。日本の童謡に合わせて可愛らしく踊る姿は見ていても楽しいし、生徒達のやる気の維持にも繋がっているようだ。

 しかもアミィは生徒達にせがまれ、歌や踊りのバリエーションも増やしていた。先ほど踊っていたのは、手を結んだり開いたりする歌に合わせたものである。

 これも飽きがこない大きな理由だろう。


「ええ、ミシェルちゃんも上手になりましたよ」


 アミィは小さな生徒達に微笑みかけた。

 九歳のミュリエルに六歳のミシェル。二人の魔術訓練を始めてから数日が過ぎた。


 ただし魔術訓練といっても、まだ基礎の体内魔力操作に取り組んでいる段階だ。

 何しろ生徒達は幼い少女だし、訓練の場所はブリジット達の居室である。したがって動きは大人しめで、もちろん術と呼べる何かをすることもない。


「二人とも魔力の動きが良くなりましたね」


 シノブは笑みを深くし、ブリジットに声を掛けた。

 第二夫人としての遠慮が大きいらしく、ブリジットは何事も控えめだ。そこでシノブは敢えて積極的に話を振るようにしている。


 シノブとブリジットが言葉を交わすのは、多くの場合このような休憩の間である。少女達が訓練する間、二人や侍女達は手拍子や歌で応援するからだ。

 お遊戯のように緩やかに体を動かす少女達。歌うのもシノブ以外は二十代から十代の女性達。魔術の訓練とは思えぬ和やかな情景だ。


「ありがとうございます。魔力操作の上達も喜ばしいことですが、色々な歌や踊りを教えていただくのも感謝しております」


 ブリジットは抑えた笑みと共に謝意を表した。

 ただしブリジットが非常に喜んでいると、シノブは理解している。彼女がミュリエルへの教育に力を入れていると知っているからだ。

 ベルレアン伯爵の第一子、第一夫人カトリーヌの子シャルロットは跡取りだ。もし男子が生まれたら別かもしれないが、その場合も稀なる武力を備えた彼女は伯爵家を支えるのではないか。

 しかしミュリエルは先々家を出て誰かに嫁ぐ。そのとき豊かな教養や優れた才があれば、名家への縁も生まれるだろう。

 そのためブリジットの教えは広範で、料理や裁縫もあるという。上級貴族の女性では珍しいがブリジットは家庭的なことも母から習っており、娘にも芸事の一つとして伝えたのだ。


「お茶を替えます」


 二人が言葉を交わす間にと思ったのか、侍女達が動き出す。

 シノブの手前に置いてあるティーカップを侍女のアンナが下げ、新しいお茶を淹れる。同様にブリジットの側にも、ミシェルの母サビーヌがティーポットを手に寄っていく。


「ありがとう。……ブリジット様、きっとミュリエルは魔術師としても大成しますよ。それにダンスの名手にもなれるでしょう」


「まあ……。私としては良い殿方に見初(みそ)めていただければと思うのみですが……」


 立場(ゆえ)か遠慮がちなブリジットだが、娘と遊び相手が楽しく学んでいるのは嬉しいようだ。彼女は訓練の際、いつも優しく見守っている。

 しかし今、ブリジットは何かあったのか席を離れた。侍女の一人が彼女の耳元で何事かを(ささや)いたのだ。


「シノブお兄さま、私の魔力操作、どうでしたか?」


「うん、とても上手くなったね。このまま訓練すれば、身体強化を覚えたときに随分と効果が違うと思う」


 休憩に入ったミュリエルはシノブの隣に腰掛けると、期待の表情で問いかけた。そしてシノブが賞賛を伝えると、とても嬉しげな笑みを浮かべる。


 毎回シノブが同席したこともあり、ますますミュリエルは兄と慕い家族同様の距離感で接してくる。初めは戸惑ったシノブも慣れてきたのか、このごろは妹のように感じ始めていた。


「シノブさま、私は?」


「ミシェルちゃんも上手くなったよ。タイミングの合わせ方とかは、ミュリエル以上かもね」


 今度はミシェルが問いかけてくる。そこでシノブは、彼女も大きく伸びていると答えた。

 獣人(ゆえ)か、ミシェルの魔力操作の素早さやテンポはミュリエル以上に良いようだ。そう感じていたシノブは、良いところを伸ばそうと彼女の長所を伝えていく。


「ありがとうございます! 私もシノブさまみたいに強くなれますか?」


 昨日の決闘を見たせいか、ミシェルはシノブに重ねての問いを発する。

 ミシェルの頭上ではアミィと同じ狐耳がピンと立ち、薄い緑の瞳もキラキラと輝いている。どうやら彼女は、シノブを先々の目標と定めたらしい。


「う~ん。いっぱい訓練すればね。でも、もっと大きくなるのが先かな?」


 シノブの戦いは、圧倒的な魔力量で強力な身体強化をしてこそ成り立つものだ。しかし幼いミシェルに理解させるのは無理だろうと、シノブは曖昧に答えた。


「はい! 頑張ります!」


「……でも、昨日のシノブお兄さまとシャルロットお姉さま、ちょっと怖かったです」


 ミシェルは無邪気な笑顔を浮かべ、元気よく返事した。しかしミュリエルは決闘中の二人の様子を思い出したのか、小さな声で遠慮がちな呟きを漏らす。


「シャルロットお姉さまがシノブお兄さまの頭に剣を振り下ろした時、思わず目を(つぶ)っちゃいました。それにシノブお兄さまも、いつもと違う厳しいお顔をなさって……」


 決闘の様子を思い出したのか、ミュリエルは愛らしい容貌を曇らせシノブを見上げる。サラサラした銀髪に近いアッシュブロンドは美しく輝いているが、対照的に彼女の表情は悲しげだ。

 やはり、姉であるシャルロットと兄と呼ぶシノブの戦いを見守るのが(つら)かったのだろう。いつも元気の良いミュリエルだが、今は憂いを顕わにしていた。


「……そうだね。シャルロット様は凄く真剣だったと思う……命を懸けているみたいにね。俺も応えたいから頑張ったけど、ちょっと怖かったかもね」


 シノブはミュリエルにどう答えるべきか分からなかったから、包み隠さず自身の心境を伝えていく。

 するとミュリエルは愁眉を開いた。彼女はシノブの行動がシャルロットを思ってのことと、声や表情から感じ取ったらしい。


「そうだぞ、ミュリエル。もしシノブ殿が手加減をしたら、一生恨んだだろう」


 二人に声を掛けたのはシャルロットだ。昨日着ていたような青と白の軍服姿の彼女に続き、側仕えのアリエルとミレーユも入室してくる。

 どうやらシノブがミュリエル達と会話する間に、ブリジットが招いていたようだ。彼女はシャルロット達と共に戻ってくる。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブ達は立ち上がってシャルロットを迎える。

 魔術の訓練を始めて以来、彼女がブリジットの居室に現れたことはない。そのためシノブは少々疑問に感じるが、まずは訊くべきことがあったのを思い出す。


「シャルロット様。もう体調は良いのですか?」


 昨日の決闘の直後、シャルロットは治癒術士達によって治療された。そしてシノブはアミィから完治したと聞いていたが、それでも案じていたのだ。


「ああ。昨日は大事(だいじ)を取って休んだが、もうこの通り何の問題もない」


 シャルロットは常の凛々しい表情を微かに緩め、シノブに答える。

 姿勢よく歩む姿は普段通りで決闘のダメージなど全く感じられない。それにアリエルとミレーユも平静なままだ。


「それは良かった……」


「シノブ殿。一昨日は失礼した。シノブ殿の都合も聞かずいきなり決闘を押し付け、済まなかった」


 安堵したシノブに、シャルロットは表情を改めて頭を下げる。

 どうやらシャルロットは謝罪のために来たらしい。ブリジットの居室に現れたのも、なるべく早くと思ったのかもしれない。

 シノブは驚きつつも、一本気な彼女らしいと微笑ましく感じる。


「気にしないでください。何やら事情もあるようでしたし、伯爵継嗣として譲れないこともあるのでは?」


 シノブは、笑顔で謝罪を受け入れた。

 突然決闘を申し込まれたときはシノブも驚いた。しかし尋常ならざる彼女の様子に何かあると感じたし、実際に強い相手から逃げるのかと非難した者がいるらしい。


 伯爵継嗣に相応しい強さを身に付けようと、シャルロットは幼いころから努力してきた。

 男性であればただ強くなれば良いが、彼女は女性だ。そのため並の強さでは家臣が納得しないし、何かにつけて優れた才を示すしかないのだろう。

 過酷な境遇のシャルロットが決闘にかける思いは非常に純粋で、そしてある意味屈折したものなのかもしれない。そんな同情めいた思いをシノブは(いだ)いたのだ。


「……ありがとう。そう言ってもらえると助かる」


 シャルロットはシノブの言葉にホッとしたようだ。再び笑顔を見せる。


「昨日シャルロットお姉さまが倒れたとき、本当に心配したんですよ……」


 話が一段落したと思ったらしく、ミュリエルが声を発した。彼女は緑の瞳を涙で曇らせながら、姉を見つめている。


「……済まなかったな。お前やブリジット殿にも心配をかけた。

だがシノブ殿も言った通り、私はあの決闘に全てを懸けて臨んだのだ。倒れるまで戦えたことは、武人としての本懐だと思っている。

お前にはまだ分からないだろう……だが、シノブ殿やアミィ殿には同意してもらえると思うが?」


「ええ。全身全霊を篭めたシャルロット様の姿、感服しました」


 シャルロットは妹の頭を撫でつつ優しく語りかけると、シノブを見つめた。そこでシノブも賛意を表しながら褒め称える。


 勝てぬと知りつつ立ち上がったシャルロット。シノブは決闘の最後を思い出す。

 あのときの土に(まみ)れたシャルロットは、それでいて美しく輝いていた。そして只管(ひたすら)に前に進もうとする姿はシノブの心に焼き付き、離れることはなかったのだ。

 しかし追従(ついしょう)のように聞こえてはと思ったからか、口から出たのは少しばかり堅苦しい言葉であった。そのためシノブは、少々もどかしく感じてしまう。


「……シノブ殿。その『シャルロット様』はやめてもらえないだろうか。それに、以前より口調が固くなったような気もするが」


 シャルロットは不機嫌そうな顔となる。やはり彼女も、敬意を宿しているものの当たり障りのない言葉と感じたらしい。


「では、どのように?」


「……その、ミュリエルのように呼ぶわけにはいかないものかな。妹とは……随分と仲が良いようではないか……」


 困惑するシノブに、シャルロットは真っ赤になりながら小さな声で途切れ途切れに言葉を紡いでいく。

 恥じらう様子は稀なる武威を示した昨日と大違いで、シノブは思わず見惚れてしまう。それに周囲も好ましく感じたようで、アリエルやミレーユのみならずブリジットや侍女達も微笑んでいた。


「流石に呼び捨ては……。そうだ! 『シャルロット殿』ではどうですか!?」


 突然のことにシノブはどう答えるべきか迷ったが、『シャルロット殿』という呼びかけを思いついた。シメオンを『様』から『殿』に変えたように、少しは親密だと思ったのだ。


「……そ、そうか! まあ、成人した私を呼び捨てるのも問題かもしれないな!」


「なんだか距離が縮まったのか広がったのか……」


「しっ! 『シャルロット殿』と呼ぶ方も今までいなかったのです! これは記念すべき第一歩です!」


 なんだか少し残念そうなシャルロットだが、早口になりながら賛同する。すると後ろでミレーユが小声で呟き、アリエルがやはり小さな声で(たしな)めた。

 しかしシャルロットの耳には入らなかったのか、彼女はシノブを見つめたままだ。


「えっと……シャルロット殿? 今日はどんな用件で?」


 最初シノブは決闘の件か、あるいはブリジットかミュリエルに用事があって来たのかと思った。

 しかし用件は別らしいと思い直す。どうも本題は別らしく、シャルロットは(いま)だシノブを見つめたままなのだ。


「おお、そうだった。……実は、シノブ殿とアミィ殿にお願いがあって来たのだ」


 シャルロットによると、一昨日くらいから彼女の母カトリーヌの調子が良くないらしい。

 昨日の決闘を見に来なかったのも、大事(だいじ)を取ってだという。若干熱っぽくだるさもあり、お付きの治癒術士も診察したが捗々(はかばか)しくないそうだ。


「昨日私を治療してくれたガスパールから、お二人の治癒魔術は非常に高度なものだと聞いた。それで母上を診てもらえないかとお願いしにきたのだが……」


 母が心配らしく、シャルロットは美しい眉を(ひそ)めながらシノブ達に診断を依頼した。

 もちろんシノブ達が断るはずもない。ミュリエル達の訓練も一段落していたから、二人は早速カトリーヌの居室へと向かう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 カトリーヌの居室はブリジットの居室のすぐ隣の区画だ。

 ただし居室といっても双方とも多数の部屋を備えており、居間に複数の寝室、侍女が住む部屋に取次ぐまでの控えの間まである。シノブの感覚からすれば、それぞれが高級マンションの一戸分だ。

 内装の豪華さはマンションどころの騒ぎではないが、その辺を気にすると自身が逗留中の部屋を使うのも恐ろしくなる。そこでシノブは、これらに関して深く考えないことにしている。


 なおシャルロットは成人前までカトリーヌと暮らしていたが、成人と同時に別の居室を割り当てられた。そのため彼女は領都にいるとき、そちらを使用している。


「……成人と同時にヴァルゲン砦司令となったので、殆ど使っていないのだがな」


 シャルロットは歩む間に、これらを簡単に説明していく。

 もっとも隣の区画だから、移動時間など僅かなものだ。シャルロットが自身の部屋に触れたときには彼女の母の居室の前だ。

 実の娘だから、取り次ぐ必要もない。侍女達はシャルロットを見るなり恭しく一礼し、扉を開けて招き入れる。


「母上、シノブ殿とアミィ殿をお連れしました。お加減はいかがですか?」


 シャルロットは入室早々、ソファーに座るカトリーヌに呼びかけた。そして彼女は、よほど心配なのか足早に母へと歩み寄っていく。


 カトリーヌの居室も、造り自体はブリジットのものと差はなかった。シノブは若干室内の装飾品が多いように思ったが、主の好みを反映したように趣味が良い品々は部屋と調和しており、落ち着いた印象であった。


「あら、本当にシノブ様達にお願いしたのですか? シノブ様、アミィさん、すみません。この子ったら大げさで……」


 カトリーヌは、いつものように優しく微笑みながらシノブ達に謝った。しかし口調は普段より弱々しく、体調が悪いのは隠せなかった。


「何をおっしゃるのですか! ほら、少し熱もあります……横になった方が良いのでは?」


 シャルロットはカトリーヌの横に座ると、彼女の額に手を当てた。

 凛々しい軍服のシャルロットと優美なドレスを着たカトリーヌは対照的だが、こうやって並ぶと、良く似た美しい容貌から母娘であると誰の目にも明らかだ。

 シャルロットの繊細なプラチナブロンドは間違いなく母譲りだし、すらりと通った鼻筋や形の良い唇もそっくりだ。

 敢えて違いを探すなら、シャルロットの瞳の方が若干濃い青というくらいか。


「カトリーヌ様。我々も暇ですので、問題ありませんよ」


 シノブは恐縮するカトリーヌに笑いかける。

 ミュリエルへの魔術訓練も午前中一杯ではないし、午後からのジェルヴェによる講義も同様だ。空いている時間は結構多いのだ。


「ありがとうございます……せっかくご足労いただいたのだし、診ていただきましょうか」


 カトリーヌもその辺は知っていたのか重ねて断ることもなく、二人の診断を受け入れた。

 問診の結果は事前に聞いたのと同様で、一昨日から若干熱っぽくだるさがある、とのことだった。アミィに測ってもらったが、確かに多少熱があるという。


「……風邪ではなさそうですね。申し訳ありませんが、まずは体力回復の魔術で様子を見たほうが良いと思います」


 アミィは魔力感知で体内の様子を探ったが、異常を発見できなかった。力になれなかったのが残念なようで、彼女は若干気落ちした様子でカトリーヌに診断結果を告げる。

 シノブもテーブルを挟んだソファーから、カトリーヌの魔力波動を探った。しかし治療院で診察した患者のような、ウィルスによる魔力の濁りは発見できなかった。


「いえ、ありがとうございます。調子が良かったら自分で体力回復を使うのですが……流石に自分の病気は治せませんね」


 カトリーヌは、アミィを(ねぎら)いながら、ほろ苦い笑みを浮かべた。

 実際には魔力量が多ければ自分自身を回復させることも可能だが、並の魔術師だと全身に行使したら魔力を使い果たす。その場合、余計に抵抗力が落ちるのか病状が悪化するという。


「一昨日から何度か体力回復を掛けてもらっていますが、あまり効果はないようです」


 カトリーヌは今日までの治療について語り出す。おそらく念のためと思ったのだろう。


 体力回復の魔術とは細胞にエネルギーを与えることだ、とシノブは理解している。

 細胞単位の回復だから、腕だけ足だけといった回復も可能だ。実際に怪我の治療では、治癒魔術で活性化してエネルギーを消費した箇所のみ回復させるのが一般的である。

 しかし原因や病巣が特定できない場合、全身を回復させるくらいしか有効な手段がない。しかし無分別に全身に魔力を注ぐのは無駄が多く、優れた治癒術士でも度々は難しい。

 そのため貴族のように専属の治癒術士がいる者以外は、普通に栄養のあるものを摂って寝るしかない。


「私やアミィは魔力量が多いので、全身を満遍なく回復させることが可能です。アミィにやってもらいましょう」


 シノブは、自分達に任せてほしいと強調する。

 治癒術士は弱っていると判断した場所のみを回復したか、逆に全身を軽く回復したか。そのどちらかではないか、とシノブは考えたのだ。

 ただし女性の体に触れるのは失礼だろうと、シノブはアミィに頼むことした。


「……それではお願いします」


 カトリーヌも伯爵からシノブ達が規格外の力を持っていると聞いていたのだろう。彼女はシノブの言葉を素直に受け入れた。


「では、始めますね……」


 アミィはカトリーヌの体に手を当て、魔力を流し込もうとする。シャルロット達も彼女ならと思ったようで、期待の表情で見守っている。


 その様子を、シノブは魔力感知をしながら見守っていた。

 アミィが魔力を流し込むと、カトリーヌの全身の体力が回復しているのがシノブには判った。どうやら上手くいっていると思ったとき、シノブは魔力の反応に違和感を覚えた。


「アミィ、()めろ!」


 シノブは鋭い声を上げ、アミィを制止する。

 びっくりしたらしく、アミィは回復魔術を中止すると同時にシノブへと振り返った。それにカトリーヌやシャルロット達もシノブへと顔を向ける。


「……シノブ様?」


 アミィが問いかける中、シノブは魔力感知に集中しつつカトリーヌを見つめる。もちろん違和感の正体を探るためだ。


「母上が回復しているように見えたが、何か問題が?」


 シャルロットはシノブが何故(なぜ)制止したのか分からないらしく、問いかける声も怪訝そうだ。

 それにアリエルやミレーユも戸惑いを隠さない。アミィが魔術を使うにつれカトリーヌの血色がよくなるのが、明らかに見て取れたのだ。

 カトリーヌも己の回復を体感していたようで、不思議そうな顔をしている。


「……あの……シノブ様?」


 カトリーヌは、おずおずと声を掛ける。

 今もシノブは、不躾(ぶしつけ)ともいえる視線でカトリーヌを見つめている。それも頭の天辺から足先まで、何度も往復させてである。


「多分ですが……カトリーヌ様は妊娠していらっしゃいます」


 シノブは、真剣な表情で一同に告げた。すると貴婦人の居室に相応しからぬ大きな声が沸き上がる。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 午後遅く、シノブ達は滞在中の貴賓室に戻った。カトリーヌの懐妊は、それだけの大騒ぎとなったのだ。


「シノブ様、今日は大変でしたね~」


 アミィはぐったりとした様子を隠さない。普段シノブの前では従者としての態度を崩さず、端然とした態度を心がけている彼女も、今日はいささか疲れたようだ。

 今もシノブの対面のソファーに深く腰掛け、狐耳もペタンと伏せている。


「そうだね。あの後、伯爵やジェルヴェさんまで来たし……」


 シノブも少々虚脱気味なまま、ソファーから天井を仰ぎ見る。そうすれば疲労が取れるかと思ったのだ。


 シノブが妊娠を告げた直後、あっという間に伯爵と家令のジェルヴェが駆け付けてきた。まだ(ろく)に説明もしないうちから、侍女の一人が伯爵を呼びに走ったらしい。

 特に伯爵は身体強化でも使ったのかジェルヴェを大きく引き離し、扉を開けるのももどかしい様子で室内に駆け込んできた。


「まだ早期、それも治療院で見た女性よりも早いようだね。だから見極めるのも苦労したけど、説明も大変だったね……」


 カトリーヌの外見には全く変化がなく、シノブが感知した胎児の魔力も極めて小さなものだ。もしかしたら着床したかしないかくらい早期なのでは、と思ったほどである。


「私は時間をかけて念入りに魔力感知して、やっとですからね~。伯爵家の治癒術士は優秀ですけど、あれでは無理ですよ」


 アミィも騒動の最中を思い出したらしい。シノブ達以外に胎児の魔力を感じ取れる者はおらず、理解してもらうのも一苦労だったのだ。


 シノブも最初は分からなかった。しかしアミィの体力回復でカトリーヌの全身が活性化する中、腹部のほんの僅かな魔力が減少するのを感じた。

 それで違和感を覚え、アミィに中止を指示したのだ。


 幸い伯爵を始めシノブ達を深く信頼していたから、妊娠自体を疑う者はいなかった。ただ極めて重大なことだから、どのように過ごせば良いか、普通の治癒術士でも変化を読み取る方法はないかなど、質問が続いたのだ。

 シノブは、まだ非常に早期であるため先々どうなるかは分からないことを説明し、不用意に魔術を使わないこと、特に腹部への実施は可能な限り避けることを指示した。

 なお伯爵家の治癒術士だが、こちらは胎児が大きくなるのを待ってもらうしかない。そのため時間が経てばとシノブは言葉を濁すしかなかった。


 カトリーヌの懐妊はシャルロットを出産して以来、十七年ぶりだ。そのため彼女は非常に真剣な顔でシノブの指示を厳守すると誓った。

 いつも優しい顔をしたカトリーヌの必死な表情に、シノブは万一間違っていたらと思ったくらいである。


「おそらくなんだけど、今回の症状は単なる疲労と妊娠での変化が重なったんだろう。

それと貴族の子供が少ないのは、妊娠初期の胎児に回復魔術や身体強化が悪影響を及ぼしているのかもね。活性化された母体の細胞が免疫力とか上昇させて、それで胎児を排除しちゃうのかもしれない」


 妊娠中は母体の免疫力が下がる。かつて耳にした知識をシノブは思い出す。

 専属の治癒術士がいる上級貴族の場合、気軽に体力回復の魔術を利用する者が多いらしい。どうやら現代人が疲労を感じたら栄養ドリンクを飲む感覚のようだ。しかも毎朝起床時に体力回復をかけてもらう者すらいるという。

 そのため高位の貴族ほど、子供が少ないのではないか。そして魔力が少なく魔術での治療にも縁遠い庶民なら、今回のようなことはないのかも。シノブはそう思った。

 それに、ある程度成長した胎児は影響を受けず極めて初期しか関係ないとしたら、今まで気付いた人がいないのも納得がいく。


「なるほど~。確かに魔力が多い人は若い期間が長いですけど、その割に子供が少ないですよね。カトリーヌ様も凄くお若くて、三十代半ばなんて信じられないくらいなのに」


「本当にそうなのかは、もっと色んな事例を調査しないと判らないけど。当面は二人でカトリーヌ様の様子を見守ろうか」


 感心したような声を上げるアミィに、シノブは微笑みと共に応じる。


 実は、あの後伯爵を始め集まった一同に懇願されたのだ。少なくとも当面の間は毎日カトリーヌを診察してほしい、と。

 (すが)り付くような表情で言われては、シノブも「もちろん責任を持って見守ります」と答えるしかなかった。


「もしかしたら、待望の男の子かもしれないですからね~。必死なのも仕方ないですよ。私も頑張りますから!」


「ああ、頼むよ」


 シノブを勇気づけるように、アミィはにっこりと微笑んだ。

 もし男子なら、シャルロットの負担も少しは軽くなるのだろうか。それなら自分も男子誕生に期待しようと思いつつ、シノブは頼りになる従者へと頷き返した。


お読みいただき、ありがとうございます。



 ここまでは2016年7月末以降に大幅な文体の修正を行っています(修正は話の内容を変えず、より適切な文章表現を目指したものです)。

 次話からは公開当時の内容にルビの追加など最低限の修正をしたのみです。なお、次話以降も順次修正していく予定です。


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