14.24 幸福の在り処
ガルゴン王国は、西の都市の領主達がビトリティス公爵派で、残りが国王派だと言われている。
西の派閥の中心であるビトリティス公爵家は、もう一つの公爵家、東のブルゴセーテと同じく建国時に非常に功績のあった騎士が初代国王の娘を妻として興したものだ。したがって、他国に比べて大きな権威や権利を持っているらしい。
例えば次代への継承だ。他国の公爵家は王家の従属物であり、建前上は公爵家の跡取りを国王が定めることになっている。実際には各家の当主が推した者をそのまま承認するだけだが、王家の管理下にあると示す端的な例である。しかし、ここガルゴン王国では公爵自身が次代を決定できるのだ。
ガルゴン王国の初代国王カルロス一世は、三人の同志と共に建国を成し遂げた。一人は息子で第二代国王となったフェデリーコ、そして残る二人は、騎士のナルシニオ・グラノスタとサラベリス・ベニルサダだ。このナルシニオが初代ブルゴセーテ公爵で、サラベリスが同様に初代ビトリティス公爵である。
彼ら四人は、神々が用意した試練にも協力して挑んだという。したがって四人全員が建国の英雄だと言える。しかも建国後の国家運営も両公爵が大きく助けたようで、四人の連立政権に近い状況であったらしい。
なお両家とも、初代は王都ガルゴリアで政務を支えていた。ブルゴセーテ公爵は南東の港湾都市、ビトリティス公爵は西の港湾都市を所領としたものの、そちらは一族に任せ国造りに励んだのだ。このあたりは、建国を支えた七人を早々に伯爵として地方に封じたメリエンヌ王国と大きく異なる。
「……彼らは王都で十数年も政務に携わりました。その後は跡取りを王都に置く形に変わったのですが、同様に影響力は大きかったようです」
「ええ。王権が強くないのは困りものです」
オベール公爵の継嗣オディロンの言葉に、彼を補足していたマティアスも頷いてみせる。マティアスは今でこそフライユ伯爵家付きの子爵だが、昨年までは王族を守護する金獅子騎士隊の隊長を務めていた。その彼からすれば、正しい国家のあり方は強力な王家とそれに従う貴族達、というものなのだろう。
「地方が中央の政治に関与するのは、良い面もあるとは思うのですが……こういう場合は少し困りますね」
二人の語る内容に、シノブは少々複雑な思いを抱いていた。
民主主義で合議制が当然の国から来たシノブとしては、ガルゴン王国の政治体制も一概に否定できなかったからだ。国王が人品共に優れ、高い統治能力を持っていれば良いだろうが、常にそんな人物が王位に就くとも限らない。であれば、周囲に支えられる体制の方が望ましいのでは、と思ったのだ。
とはいえシノブも、ガルゴン王国の現体制に問題があるとは思っていた。彼は第二王子ティルデムに接し、それを強く感じたのだ。
「ティルデム殿下の件ですね」
シャルロットは、夫から聞いた話を思い出したようだ。彼女は、美しい眉を僅かに顰めている。
ティルデムは極秘にしていた隠し港攻略を大勢がいる場で口にしたり、カンビーニ王国の公女であるマリエッタを侮辱したりと、軽率な言動が目立つ若者であった。どうも、母である第二王妃クラリーサに甘やかされて育ったらしい。
そのクラリーサは、不例を理由にして午餐会を欠席した。どうも、マリエッタの件でティルデムが謹慎となったことに憤慨したようだ。そういった行動からすると、彼女も中々扱いづらい人物だと思われる。
これらの背景には、クラリーサがビトリティス公爵の妹だというのも大きく影響しているのだろう。一大派閥を率いるビトリティス公爵家から嫁いだ彼女に忠告できる者は、ごく僅かに違いない。
「……お母さまは、他家に嫁いだらそれまでのことは忘れるように、と言っていました」
シャルロットと反対側、シノブの左隣に座るミュリエルは、おずおずと口を挟んだ。ブリジットは、フライユ伯爵家からベルレアン伯爵コルネーユに第二夫人として嫁いだ。彼女は自身の経験を踏まえ、娘の教育をしたのだろう。
「流石はブリジット様ですわね。母も実家とは殆どやり取りしていませんわ」
セレスティーヌは、ミュリエルの腕に自身の手を添えつつ笑いかけた。彼女の母オデットは、ポワズール伯爵家の出身だ。オデットも第二王妃という難しい立場だから、実家と関わるのも最小限に抑えたのだろう。その辺り、ブリジットと良く似ている。
「クラリーサ妃殿下が軽率だった……それは否めないでしょうね。私は西出身の方々と話しましたが、良い噂は聞きませんでした」
「東西の釣り合いを取るには仕方ないんでしょうけど、ちょっと……」
シメオンの言葉に、隣のミレーユも頷いていた。マティアスやアリエルもそうだが、彼らは午餐会で侯爵家や伯爵家の者と語らっていたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
ガルゴン王国の現国王フェデリーコ十世は、第一王妃にエストレマルカ侯爵の妹アデリーダ、第二王妃にビトリティス公爵の妹クラリーサを迎えている。エストレマルカは東方内陸部、ビトリティスは西海岸と、ミレーユが言うように東西に配慮した婚姻なのだろう。
王太子カルロスも同様だ。第一妃エフィナはバルカンテ侯爵の娘で、第二妃ビアンカはムルレンセ伯爵の娘だ。こちらはバルカンテが東の港湾都市、ムルレンセが西の内陸部である。どうやら、このように東西から妃を迎えるのが、ガルゴン王国の慣わしらしい。
とはいえ、第一妃には中央か東の家から迎えることが多く、西から見れば均等とは言い難い。そのため、西の者同士で結束する傾向があるらしい。
「どうも、東西の派閥に加え、世代での派閥もあるようですね。私が言葉を交わした継嗣やそのご夫人は、王太子派と言って良いと思います」
王都ガルゴリアには、次期領主となる者やその家族が詰める。彼らは、成人間もないころは軍人や内政官として各地に派遣されることもあるが、数年程度勤めると王都に戻り司令官や高官となるようだ。
そしてシメオンが言うように、彼らは同世代の若手王族と親しくなる事例が多いらしい。
「若いうちに次期国王と親しくなるのなら、もっと纏まりそうなものですが?」
シメオンに疑問を呈したのはアリエルだ。
マティアスとアリエルは、東部の侯爵や伯爵の跡取りを担当していた。中央や東部は国王派であり、自領に戻った後も王家との接し方が変わることはないという。そのためアリエルは、シメオンとは違い世代間の差を感じなかったようである。
「領地に戻ると自領のために、となるようですね。中央で培った絆や理想も現実には勝てない、ということかもしれません」
「西はアルマン王国との騒動が多いから、大変みたいですよ~。儲けも多いけど損害も多いとか。東側は我が国やカンビーニ王国との交易だから、面倒は無いでしょうし~。
探りを入れると、ぼろぼろ不満が出てきたんです……もっとも、探ったのは私じゃなくて……その……」
少々皮肉げな表情のシメオンに続いたのは、ミレーユだ。彼女は、最初普段の調子で話していたのだが、途中から赤くなり口を噤んでしまう。
「ミレーユ、普段通りに呼べば良いでしょう。ここには親しい者しかいないのですから」
シャルロットは、親友の内心を察したらしい。彼女は深く青い瞳を楽しげに煌めかせながら、語りかける。
「シャルロット様の言う通りですわ。私達に遠慮なさらないで下さいませ」
「ええ。我らも友人と認めていただきたいものです」
オディロンは、妻のイアサントの言葉に大きく頷いた。二人だけが途中から使節団に加わった。それ故自分達に遠慮したと思ったのだろう。
「その……夫がですね、フェルテオ様と話したときです。北との交易は大変でしょう、と水を向けたらお付きの年輩の方が……」
ミレーユは、自身の長く美しい赤毛と同じくらい、顔を染めつつ語りだす。
フェルテオとは、ムルレンセ伯爵の嫡男で王都の司令官の一人である。シノブも偽装商船を引き渡したときにあったが、王太子の側近の一人らしい。
ムルレンセは西の内陸部の都市で、王都と西海岸を繋ぐ街道沿いに存在する。そのため、西の海岸から出航する商船団に寄るところが大きいらしい。
実際に、西のルシオン海で商船が行方不明になり始めてから、一部商品が滞ったり高騰したりと、悪影響も出ているようだ。
「たぶん、フェルテオ様達は実感していらっしゃらないのでしょうね。でも交易品が入ってこないのは、街道の町にとっては死活問題ですから」
ミレーユの実家であるソンヌ男爵家は、街道筋の町を所領としている。そのため、彼女は同情するような顔となっていた。
どうも、若いうちに領地を出て王都や他領で軍務を学んだフェルテオやその妻は、交易に関して疎いらしい。しかし、お目付け役として来た年長の家臣達は故郷の窮状を実感しているのだろう、シメオンの言葉に強く反応したという。
「ティルデム殿下に注進したのは、彼らではないでしょうか。
王太子殿下は、腹心であるライムリオ殿やフェルテオ殿に口止めした。しかし、二人の側近には自領から連れて来た者もいるでしょう。
ライムリオ殿は東のバルカンテ侯爵の嫡男だから、その家臣も西出身のクラリーサ妃殿下やそのお子様とは親しくない筈です。ですが、フェルテオ殿のご実家はビトリティス公爵派ですから」
「なるほどね……」
シノブは、シメオンの意見が正鵠を得ているのでは、と感じていた。内密にした会議から、僅かな時間でティルデムの耳に入ったのだ。会議に出席した国王、先王、王太子自身がクラリーサやティルデムに伝えたのでなければ、彼らの側近を介していると考えるべきであろう。
もっとも、経路については彼の言う通りではないかもしれない。同じような立場の者が国王や先王の側近にもいるからだ。
「ビトリティス公爵派の目的は、自分達の血縁であるクラリーサ妃殿下やティルデム殿下の影響力を増すことなのですか? それ故隠し港攻略に加わろうとしたのなら、理解は出来ますが」
シャルロットは、情報が漏れた経路より彼らの意図が気になったようだ。彼女はシノブ達の会話が途切れると、ティルデムが作戦への参加を望んだ件に触れた。
「王太子殿下は、そうお考えのようでしたね」
彼女に答えたのは、シノブの背後に控えていたアミィである。王太子カルロスのところにミュリエルやセレスティーヌが赴いたとき、彼女も護衛として付き従っていたのだ。
「シノブ様が港にいる者達を眠らせた後ですから、危険は殆どありません。それに、同行できなくても勇ましい姿を見せておくのは人気取りになるかと……もっとも、その後のマリエッタさんの件で失点となりましたけど」
アミィの言葉に、室内にいる者は一様に苦笑する。
ティルデムがマリエッタを侮辱し、その結果、彼女が投げた篭手を顔面に受けて気絶したのは、ここにいる者ではシノブしか見ていない。しかしガルゴン王家の内情を知るには重要な一幕だから、当然その詳細を説明済みである。
「ティルデム殿下の件は、それで間違いないでしょう。後は、ビトリティス公爵派が何にどこまで関与しているかですな」
マティアスは、アルマン王国とビトリティス公爵派が通じていると考えているようだ。もっとも、それは程度の差はあれ、ここにいる者達に共通するのだろう。シノブの周囲にいる面々は、皆一様に表情を曇らせている。
「そのあたりはジェルヴェやアルノー達が掴んでくるかもね。シメオンの予想が当たっていれば、だけど」
そうシノブが言ったとき、扉をノックする音が響く。一同がサロンの豪奢な大扉へと視線を向ける中、アミィは軽やかな足取りで大扉に向かっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「やはり、西の商船団は殆ど含まれていないんだね」
入室してきたジェルヴェとアルノーの報告を受け、シノブは表情を厳しくしていた。
シノブが王太子カルロスに偽装商船を引き渡したとき、軍人達は船内に残っていた航海日誌と自国の海難記録の照合をしていた。それを聞いたシメオンが、結果を入手すべきと指摘したのだ。
そしてシメオンの推測通り、偽装商船に襲われた船団で西部を母港とするものは僅かであった。
「はい、船籍には明らかな偏りがありました」
シノブの問いに、ジェルヴェは静かに返答する。
午餐会の間に、ジェルヴェとアルノーはガルゴン王国の軍本部へと赴いた。そして、行方不明となった船団の照合をしていた者達から情報を得たわけだ。
「ガルゴン王国の軍人達も気が付いています。ですが、これは……」
「アルノーさん、どうしたのですか?」
重々しい口調のアルノーは、途中で黙り込んでしまう。すると怪訝な顔となったミュリエルが、彼に問いかけた。西の船が被害を受けないのなら、領主であるビトリティス公爵達の関与は明らかだ。彼女は、そう思ったのだろう。
「船籍の偏りは、西の一派が関与している可能性を示します。しかし彼らは、自領の船団が西海の事情に詳しいのは当然と主張するでしょう」
「漁師などもそういうことには詳しいですからね」
アルノーの返答に同調したのは、微妙な顔のオディロンだ。次期南方海軍元帥であるオディロンは、漁師達が他国の警備を掻い潜りつつ漁をしていると知っているようだ。
もちろん公爵家継嗣としては看過できない違法行為だが、彼や海軍が海上の全てに目を光らせるのは無理がある。それに、この地方の船や航海技術では、厳密に領海を意識しながら操業することも不可能だろう。
「ルシオン海に詳しいから偽装商船を見抜いて上手く逃げた、ということですの? 少しばかり無理があるように思いますわ」
「殿下、この場合は口実となれば良いのですよ。しかし、確証ではなくとも疑惑が深まったのは間違いありません。明日の召集がどうなるか、見物ですな」
小首を傾げたセレスティーヌに言葉を掛けたのは、鋭く表情を引き締めたマティアスだ。
彼が言うように、明日はガルゴン王国の上級貴族、伯爵以上の全員が王都に集合する。神殿の転移が、それを可能としたのだ。アルマン王国が偽装商船で自国の船を襲っていたと判明した今、衝突は避けられない。そこで、全領主を集めて対決を宣言することになったわけだ。
「出来れば国内をしっかりと纏めてほしいものです。しかし、それはガルゴン王国の問題ですから、我々が関与すべきことではありません。この国に奴隷がいれば別ですが」
「少なくとも王都に稼働中の『隷属の首輪』は存在しないよ。もちろんバルカンテにもね」
シメオンの視線を受けたシノブは、王都ガルゴリアや通過してきた都市バルカンテに奴隷はいないと返答した。
シノブの魔力感知能力なら、王都全域の魔道具を探ることが出来る。もちろん、知らない種類の魔道具は感知しても何に使われているか判断できないし、既知のものでも稼動していなければ感知できない。
しかしシノブは『隷属の首輪』やそれに類似した魔道具を何度と無く目にしている。それに、これらは装着されていれば魔力を発するものだ。したがって、見逃す可能性は極めて低い。
「でしたら、ガルゴン王国がアルマン王国への対立を明確にすれば、帰国しても問題ありませんね。彼らが纏まるまで待つなど、イヴァール殿が許さないでしょう」
シメオンの言葉に、一同は引き攣ったような笑みを浮かべていた。
アルマン王国には、まだドワーフの職人達の家族が残っている。隠し港にいたのは船や武器を扱う職人達、つまり男だけで、女性や子供はいなかった。彼らは家族と共にアルマン王国に来たのだから、彼の国のどこかに家族が囚われたままなのだろう。
イヴァールは、もはやガルゴン王国に興味がないらしい。彼は父でありヴォーリ連合国の大族長であるエルッキと連絡を取りつつ、着々と開戦への準備を進めているのだ。
「イヴァール殿は東の軍管区でしたね」
「ああ。ガンド達に腕輪を届けに行った。あれを渡せば、ガンド達も西に来ることが出来るから」
アリエルの問いに、シノブは頷いた。
救出したドワーフ達は都市オベールにいる。シノブが魔力を与え、魔力を回復する魔法のお茶も樽に詰めて渡したが、完全な回復には少々時間が必要だ。
そしてイヴァールは、彼らの回復を待たずに妻のティニヤと共に旧帝国領にいる先代アシャール公爵ベランジェの下へと旅立った。アムテリアは、成竜であるガンド達にも小さくなる腕輪を授けた。そこで二人は、彼らに腕輪を渡しに行ったわけだ。
腕輪で小さくなればガンド達も神殿に入ることが可能となり、神殿を経由した転移が出来る。
これはイジェやオルムル達も望むことであったし、シノブもガンド達が自身の子供と会いやすくなるのは良いことだと思った。もっとも、彼としては可能な限り彼らを戦に関わらせたくは無かったが。
いずれにしても、アルマン王国との対決で忙しくなるのは見えている。それ故シノブは渡せるときに渡しておこうと、イヴァールに腕輪を託したのだ。
「海竜さん達を紹介出来ないのは残念ですね……折角近くまで来てくれているのに」
アミィは、頭上の狐耳をペタンと伏せていた。
実は、海竜の長老ヴォロス達はシノブの来訪に合わせてガルゴン王国の南沿岸近くに潜んでいた。今、彼らは王都ガルゴリアの南方150kmほどの海にいるのだ。
「本当にね。でも、紹介は国内の問題が落ち着いてからだろうね。ヴォロス達も、内部に問題を抱えた群れは認められん、って言っているし」
竜達の思念は、およそ150km先まで届く。そのため、シノブも海竜達と直接思念を交わし、状況を伝えてはいた。
しかしシノブが口にしたように、彼らは一国を纏め上げる統率力も評価の基準としているようだ。単に武力や勇気だけではなく、王に相応しい相手かも見定める、ということなのだろう。なお、シノブとしては明日の諸侯の集合とそこでの様子を伝えた上で、最終的な判断をしてもらうつもりである。
「全ては明日ですか……今日のところは、アルバーノ殿達の調査結果を待つくらいですね」
シメオンが言うように、アルバーノやソニアなどの諜報担当は、『蒼穹城』で働く者達からガルゴン王国の内情を探っている。
「ええ。晩餐まで、ゆっくりさせて貰いましょう」
オディロンはおどけたような調子でシメオンに応じた。
現在、残りのドワーフ達を、ホリィ達や光翔虎のバージ達が探している。出来れば、全てのドワーフ達を救出してから、アルマン王国との戦に入りたい。通常なら不可能なことだが、姿を消せるホリィや光翔虎達がいれば、困難ではあるが望みはある。
ガルゴン王国がどう動くかは、彼らに任せるしかない。極論、アルマン王国との戦いに口を挟まないなら、放置しておいても構わない。要するに、これは彼らの内政問題なのだ。したがってメリエンヌ王国としては、判断を誤らないように探りを入れておけば良い。シメオンやオディロンは、そう考えているのだろう。
「そうだね、一旦解散にしよう」
シノブの言葉を受けて、それぞれ立ち上がった。
ここは主賓であるシノブ達に用意されたサロンである。子爵であるシメオンやマティアス、そして公爵継嗣のオディロンには、それぞれ夫婦で過ごす区画が別に割り当てられているのだ。
シノブは彼らを見送りつつ、この先どうすべきかを考えるともなく考えていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ、少しゆっくりしましょう」
そんなシノブを見かねたのか、シャルロットが柔らかな口調で語りかけた。彼女は侍女達を呼ぼうと思ったらしく一旦ソファーから立ったのだが、そのまま座りなおす。どうやら、物憂げな顔をしている夫を案じたようだ。
「ああ、すまない」
シノブは、シャルロットに微笑みを返した。ガルゴン王国やアルマン王国のこと、そして、その戦いに巻き込まれるもの達については、色々思うところがある。しかし、家族を心配させては本末転倒だ。彼は、そう思ったのだ。
「少し疲れているのでは?」
「バージ達が戦いに加わったことがね……それに、このままだとガンド達もこっちに来るだろうし」
シノブは、人同士、国同士の争いを案じているだけではなかった。彼は、人間と人間の戦いに竜や光翔虎を巻き込みたくなかったのだ。
光翔虎のバージとパーフは、今もアルマン王国の海岸を探っている。彼らは、竜人の血による凶暴化から救ったシノブやアミィに恩返しをしたいという。そして、この国の光翔虎の番ダージとシューフも同胞に賛成して探索に加わった。
更に、この分では光翔虎どころかガンド達も参戦するかもしれない。アルマン王国の背後には、帝国またはその残党がいるらしい。そして、彼らはアムテリアが禁忌とした奴隷を使っている。一方、竜達にとって場所の違いなど些細なことだろう。
「彼らが望んだことです。バージ殿やパーフ殿は、貴方に助けられました。ですから、その恩返しをと思うのは当然です。それに炎竜の皆さんも……」
シャルロットは、シノブを励ますような優しい口調で夫に答えた。シャルロットは、アルマン王国の陰に帝国の関与がある以上、彼らが関わるのは当然だと思ったようだ。
「貴方の望んだとおり、竜や光翔虎は、自身の意思で人と接しているのです。その結果、彼らが何を思いどう行動するのか……それは彼ら次第です」
「そうだね。イジェ達を俺が縛るのは間違いだ」
シャルロットの言葉に、シノブは笑顔を取り戻した。
シノブはカンビーニ王国やガルゴン王国の人々と手を携えて戦おうと思った。他国の人々の協力は求めて、竜や光翔虎の助けを拒絶するのはおかしいだろう。シャルロットの言葉を聞いているうちに、シノブはそれに思い至ったのだ。
どうも自分は、竜や光翔虎を特別扱いしすぎていたようだ。そう思ったシノブは、朗らかな笑みと共に愛妻へと言葉を返す。
「シノブさま、シャルロットお姉さま、お茶の準備ができました!」
シノブと姉の話が終わったと思ったのだろう、ミュリエルは可愛らしい笑顔と共に二人に声を掛けた。
ミュリエルはアミィが魔法のカバンから出したティーセットや湯沸しの魔道具を使い、お茶の準備をしていた。彼女は母のブリジットから家庭的なことも習っており、料理や給仕なども進んで行うのが常であった。
「シノブ様、午餐会ではお食事が出来なかったのでは? 今、少し出しますね。えっと、何が良いでしょうか……」
アミィは魔法のカバンの中を漁っている。彼女は作り置きの料理などを、時間の変化がない魔法のカバンの中に幾つも仕舞っているのだ。
「今なら何でも入るよ! ところで皆はちゃんと食べたの?」
「私達は王太子殿下のところでしたから、充分に頂けましたわ。殿下も、お気遣い下さいましたし」
心配させたかと笑顔を作ったシノブに、セレスティーヌが微笑みかけた。王女である彼女は、給仕に手を出すという考えはないらしく、ミュリエルやアミィの様子を笑顔で見守っているだけであった。
「少ししっかりしたものを出しましょうか……シノブ様、久しぶりにあのお弁当、いかがですか? サラダセットもありますよ?」
アミィは、シノブの顔を見て弁当を出そうと言い出した。
これは、アムテリアが最初に授けてくれたもので、体力回復の効果がある。元々は、この世界に来る前シノブがコンビニで買った牛ステーキ弁当なのだが、アムテリアが一種の魔法薬とし更に二百個に増やしたのだ。なお、サラダセットも同じで、こちらは状態異常回復や心を鎮める効果がある。
おそらく、アミィはシノブの精神的な疲労を察したのだろう。
「あっ、まだあったんだ! それじゃ、お弁当にしよう! シャルロットも食べるよね? 君もあまり食べていなかったし!」
アミィの気遣いだと悟ったシノブは、殊更明るい声を上げながら答える。シノブは、彼女の優しさに感謝しつつ、微笑みを浮かべる。
「シノブ様、お弁当って、以前お聞きしたあのお弁当ですの!?」
「あの……私も食べて良いですか?」
セレスティーヌとミュリエルは、アムテリアの授けた料理と聞いて表情を変えていた。何しろ最高神が授けた贈り物である。食してみたいと思うのは当然だろう。
「良いけど……食べすぎは太るよ?」
シノブは、彼女達の気持ちも充分理解できた。しかし、食べすぎは体に悪いと思ったので、念のため警告しておくことにした。
「し、シノブ様!」
「セレスティーヌ様! アミィさんと三人で分けましょう!」
顔を赤らめたセレスティーヌに、ミュリエルが三人で分ければと提案した。確かに、それなら大した量にはならないだろう。
「シノブ様とシャルロット様と私達の三つですね! 取り分けの小皿も出しましょう!」
アミィは手早く準備をしていく。彼女は、とても嬉しげな顔で頭上の狐耳もピンと立たせている。
「では……『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』」
シノブは、正式な晩餐と同様にアムテリアへの感謝の言葉を口にした。彼女が造った料理を食べるのだから、これが相応しいと思ったのだ。
もっとも、彼は少しばかり笑いを浮かべていた。何しろ、立派な西洋風のお城の中で、それに相応しい軍服を着た自分が、これまた洋風のドレスを纏った四人と共に和風の弁当を食べるのだ。
そんな感慨のせいか、シノブの心から今まで感じていた諸々の悩みが吹き飛んでしまったようだ。彼は、これもアムテリアの贈り物なのだろうと思いながら、久々に目にする懐かしい品々を、ゆっくりと口に運んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年11月27日17時の更新となります。




