14.20 港の先には 後編
アルマン王国は、北のブロアート島と南のアルマン島の二つで構成されている。南北およそ600km、東西は最も幅のあるところで200kmといったところである。その国土面積はメリエンヌ王国の十分の一程度であり、近隣の国々では最も小さい。
なお、アルマン王国と海上覇権を争っているガルゴン王国はメリエンヌ王国の三分の一程度、その東のカンビーニ王国は同じく四分の一程度である。つまり、アルマン王国は別格に小さな国であった。
何しろアルマン王国の面積は、メリエンヌ王国でいえば王領の半分にも満たず、ベルレアン伯爵領の六割強、続くフライユ伯爵領やマリアン伯爵領と同程度だ。したがって、仮にアルマン王国がメリエンヌ王国などと地続きなら、独立した国となるのは難しかったと思われる。
しかし、現実には最も狭いところでも150kmほどもある海峡が存在し、メリエンヌ王国などのある東の大陸とアルマン王国を隔てていた。この地理的条件と今一つの事情から、アルマン王国は独立を保つことが出来たのだ。
──こっちの船は速いですね~──
金鵄族のミリィは、大きな商船の上を飛んでいる。彼女は姿を変える足環により茶色の鷹に変じているため、船乗り達が気にすることは無い。
ミリィの眼下の商船は、順風を受けて矢のような速度で波を切って南下していた。どうやら、帰港する最中なのだろう、船員達の表情は総じて明るい。
──船が彼らの武器だから──
感心したようなミリィの思念に、マリィが答えた。彼女はミリィとは別の場所、内陸を飛んでいる。
マリィの指摘通り、優れた船舶がアルマン王国独立の残り一つの理由である。アルマン王国はドワーフの国ヴォーリ連合国と近く、昔から彼らに造船を任せていた。そのため、彼らの船は他国に比べて高性能となったのだ。
ならば他国もヴォーリ連合国に造船を頼むかといえば、そう単純でもなかった。メリエンヌ王国、ガルゴン王国、カンビーニ王国は何れも自国に森林を持っている。となれば、当然そこの木材を使いたい。それ故彼らは自国での船造りに拘ったのだ。
そのため、この三国では造船技師となるドワーフを招くことはあっても、船自体を発注することは無かったらしい。これは、自国の産業保護という意味で当然の選択であろう。
──木が無いのが良かったんですね~。それは気が付きませんでしたね~──
マリィの説明を聞いたミリィは、アルマン王国の陸地側へと体を向けた。
そこには、あまり高くない山と草原の広がる大地があった。どうやら、牧畜のために森を切り開いたのだろう。ミリィが見つめる先には、ヤギや羊などが放たれた牧草地のみが目立っている。
──貴女ね……まあ、お陰で陸地の上を探るのは楽ね。でも、洞窟に潜んでいるかもしれないのが面倒だわ──
意識的なのか偶然なのか、ミリィは韻を踏んでいた。マリィはそれに触れようかと迷ったようだが、暫しの沈黙の後に探索へと話題を戻した。ミリィは海岸沿いに南側を、マリィは内陸を探っているのだ。
彼女達は、互いの距離が150km以内であれば思念で会話できる。そのため、それぞれ別の地を探りつつも話を続けていた。
──この辺りは少し人も多いですからね~。もっと広い場所に行けば良いのに~──
仮に、ミリィの思念をアルマン王国の人々が聞いたら憤慨するだろう。もっとも、彼女は船や港を発見する度に近寄って観察しているし、海岸に洞窟を見つけたら覗いている。そのため、人が多くて面倒なのは確かなようだ。
それはともかく、アルマン王国が他国に比べて人口密度が高いのは確かである。アルマン王国には、およそ75万人が住んでいるが、メリエンヌ王国は約300万人だ。したがって人口密度ではメリエンヌ王国の2.5倍であり、近隣の国でも飛びぬけている。
ただし、これでも地球の国を人口密度の高い方から並べた場合の200位以下に相当する。したがって、過密というには程遠く、ミリィの感想は少々的外れである。
──シノブ様がいた地球という世界は、もっと人が多かったようですよ。アミィは、こちらは魔力があるから少ない人口でも発展しているのでは、と言っていましたが──
マリィとミリィの会話に混じったのは、北の海岸沿いに飛んでいるホリィだ。彼女はシノブやアミィと三ヶ月以上を共にしてきた。そのため、色々地球のことも聞いていたらしい。
この世界では、人間を含めた全ての生き物が程度の差はあれ身体強化を使える。そのため、農地を切り開くにしろ建物を造るにしろ、地球より人手は少なくても良い。したがって地球人類より強靭な彼らが、少ない人口で文明を維持できるのは当然かもしれない。
──人間の住めない場所もあるものね──
マリィが言うように、この世界には魔獣が多く常人では踏破できない場所も多数存在する。したがって、居住可能な場所も制限されるのだ。人の何倍もの巨大な獣が闊歩する森林や山で活動できるのは、高度な戦闘力を持つ一部の者だけだから、無理もないことである。
──変な洞窟を発見しました~。ホリィ、来てください~──
先ほどまでホリィとマリィの会話を聞きながら海岸近くを飛翔していたミリィだが、今は海に落ち込む断崖絶壁の上に降り立っていた。彼女の降りた場所の下には、大きな口を開けた洞窟がある。
──どうしたの?──
──感じます~、感じますよ~。洞窟の中から魔力を感じます~。これは人間ですね~──
マリィの思念に、ミリィは自信ありげな様子で答える。
彼女は、魔力を探っているのか草原を飛び跳ね移動している。鷹が草原をピョンピョンと移動する様は滑稽であるが、幸いと言うべきか見ているものは存在しなかった。
──ミリィ、今行きます!──
ホリィの思念は、先ほどとは違い緊迫した様子であった。彼女だけが、アミィの作った透明化の魔道具を持っている。そのため、踏み込むのは彼女の役なのだ。
──私は内陸の調査を続けるわ。あの謎の男は、たぶん陸から移動した筈だから──
マリィの担当は、ホリィを攻撃した者達の捜索だ。十人のドワーフを救い出した洞窟は、発見から救出までの間、船の出入りは無かったらしい。発見から船の増減は無いし、捕らえた船員や港の作業員に尋問をしても、入出港は無かったという。
なお、黒髪と茶色い目の若者や手下のフードの者達について、港にいた者達は正体を知らなかった。かろうじて、港の監督者が若者の名を知っていた程度である。
──気をつけて下さい! あのグレゴマンという男と配下は、地上の者にしては常識外れの魔術師でした! それに、何だか魔力を隠しているようでしたから!──
ホリィは全力飛行をしているのだろう。彼女が思念を発する位置は、途轍もない速度で移動している。
──グレゴマン・ボルンディーンだったわね……軍人なのかしら?──
マリィは、半信半疑といった様子である。この名は、都市オベールの監察官が捕縛した港の監督者から聞き出したものだ。この辺りの情報は、オベールに残っている王太子テオドールから、随時シノブに送られてくる。そして、シノブは思念でホリィ達に伝えるというわけだ。
──捕らえた人達は知らないみたいですね! あの港が軍の施設なのは確かですけど!──
ホリィが言うように、グレゴマン達の正体を知るものはいなかった。
港の監督者は、グレゴマンが隠し港に現れるようになったのは三月に入ってからだと言ったらしい。しかもグレゴマンが来るのは十日に一度くらいで、監督者も大して話をしたわけではないという。
なお、港の者達は、隠し港がアルマン王国の軍港だと白状した。寄港した船は商船に偽装した軍艦であり、乗組員も軍人だから、これは当然であろう。
監督者や艦長は軍務卿ジェリール・マクドロンの直属らしく、通常の部隊とは別扱いらしい。とはいえ彼らは指令書により動いていただけだ。彼らは隠し港に配属された後、軍の中枢と顔を会わせることはなかったという。
──そもそも本名かしら? この国らしい名前だけど──
──名前なんて飾りですよ~。先輩達も偽名を使っていましたし~──
ホリィを待つ間、ミリィは草原の上からの捜索を続けていた。おそらく洞窟の上を移動しているのだろう、彼女は広範囲を飛び跳ねている。しかしホリィとマリィの話に交じるあたり、待つだけだと暇なのかもしれない。
──そういえば、私達は元の名のままだけど良かったのかしら?──
マリィは、建国期に現れた聖人達が本来の名を隠していたことが気になったようだ。
メリエンヌ王国のミステル・ラマール、ヴォーリ連合国の『闇の使い』アーボイトス、カンビーニ王国のストレガーノ・ボルペ、ガルゴン王国のブルハーノ・ゾロ。何れも地上に現れたときの仮の名だという。
──それじゃ、何か考えましょうか~──
──アミィもそのままだから良いのでは? お待たせしました!──
飛び跳ねるのを止めたミリィが首を傾げたとき、ホリィが上空から舞い降りた。彼女も、足環の力で茶色の鷹に姿を変えている。
──では行きましょ~──
──貴女は外で見張りですけどね──
楽しげな思念を発し飛び立ったミリィに、何となく苦笑しているようなホリィが続いていく。そして、二羽の鷹は洞窟の入り口のある絶壁へと向かっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
大神殿の前庭でシノブ達を待っていたのは、都市バルカンテの領主であるトディリオ・デ・オルバンテスであった。バルカンテ侯爵である彼は、一族と共に大神殿の大扉の前で待ち構えていたのだ。
前庭に降り立ったシノブは、ガルゴン王国の王女エディオラに侯爵が誰か教えてもらってはいた。しかし説明を受けなくても、一同の中央に立つ威厳たっぷりの人物を見れば、彼が領主だと誰もが察するだろう。
当年とって五十二歳のトディリオは妻らしき女性を二人左右に従え、更に先代夫妻に子供や兄弟らしき者達がそれを囲んでいる。その様子は、正にバルカンテ侯爵家総出という有様だ。しかし今から行われること、つまり神殿の転移を授けるという歴史的出来事を考えれば、それは当然というべきであろう。
そもそも、竜を見るのも初めての彼らだ。たとえ転移の付与が無くても、火急の用事でもなければ駆けつけ見物するだろう。その証拠に、侯爵家一族の周囲には、家臣達も多数控えている。
「エディオラ殿下!」
軍人でもあるバルカンテ侯爵は、背格好の良い人族の紳士であった。彼は、王女エディオラを目掛けて勢い良く駆け寄ってくる。五十を過ぎても充分な鍛錬を続けているのだろう、ガルゴン王国やカンビーニ王国に特有の暖色系の飾り布を翻して走る姿は、若者同様に溌剌としていた。
「面倒なことは省略。挨拶は向こうですれば良い。侯爵、こちらがシノブ様」
シノブ達にとっては幸運なことに、エディオラが場を取り仕切り余計な挨拶を省かせた。彼女はバルカンテ侯爵達もナタリオと同様に素気無くあしらい神殿に向かう。
だが、先を急ぐシノブ達にとって、これは好都合だ。シノブとシャルロットはエディオラと並び足早に歩み、その後ろにアミィ達が続いていく。
「まったく殿下は……ですが、急ぐべきなのは確かですな。何しろ殿下が王都から馬車を飛ばして来るのですから」
バルカンテ侯爵トディリオは、短髪の赤毛が印象的な頭を振りながら、エディオラの脇に並んだ。彼は呆れた様子で一瞬肩を竦めたものの、その青い瞳は笑いを含んでいる。どうやら、エディオラの言動に慣れているようだ。
「ルシオン海でのことを考えれば当然。これも王族の義務」
エディオラは、澄ました顔で侯爵に答える。
王都ガルゴリアから都市バルカンテは街道沿いで約500kmだ。王族や上級貴族が保有する高級馬車でも、標準で一日100km程度、どんなに飛ばしても倍といったところである。したがって、彼女は最低でも三日の馬車の旅をしたことになる。
「王族の義務には、留学のための脱走まで含まれているのですか? フライユ伯爵、エディオラ殿下は以前から伯爵の下で学ぼうとしていたのですよ」
バルカンテ侯爵は、エディオラと随分親しいようだ。彼は、年齢に似合わぬ軽い口調で王女に言い返すと、シノブへと笑いかけた。
シノブがフライユ伯爵となった直後に、エディオラはシェロノワへの留学を企てたらしい。そして密かにバルカンテに現れたエディオラを、侯爵の家臣と王都から追いかけてきた近衛騎士達が発見したという。
「優れた技術を学ぶのも王族の義務」
エディオラは、神官達が開けた大扉を潜りながら、短く答えた。大扉の向こうは、真っ直ぐに伸びる幅広い通路である。正面には入り口と同じくらいの大扉があり、その間は高い天井で覆われた広々とした空間となっている。おそらく、正面の扉の向こうが聖堂なのだろう。
「殿下の好みが随分と混じっているようですが……とはいえ、陛下を支え国を繁栄させるのが王族と貴族の責務というのは同意しますぞ」
相変わらず表情を変えないエディオラに苦笑していたバルカンテ侯爵だが、後半は真顔に戻っていた。彼は、国王派の一人なのだ。
ガルゴン王国の貴族には、西のビトリティス公爵派と中央および東の国王派の二つの派閥が存在する。バルカンテはガルゴン半島の東海岸に存在する港湾都市であり、当然ながら国王派に属しているわけだ。
──この人は信用できるかな──
──そうですね。エディオラ様も頼りにされているようですし──
シノブは、すぐ後ろを歩くアミィと思念を交わした。
第一印象や多少の会話で判断するのは危険だが、エディオラと話すバルカンテ侯爵に邪気は感じられない。それにエディオラも、口数は少ないが何となく楽しげなようである。
シノブと同じように感じたのか、隣を歩くシャルロットも温かな笑みを浮かべていた。エディオラとバルカンテ侯爵には血縁関係は無い筈だが、どこか親戚の娘を諭す年長者のような気配りが感じられる。そんな雰囲気をシャルロットも察したのだろう。
「綺麗だね……」
二人の関係性を理解したように思ったシノブは、神殿の内装へと目を向けていた。
大神殿の中は、外同様に飾り彫りが施され、天井や壁面は色取り取りのタイルで覆われ美麗な模様を描き出している。メリエンヌ王国の神殿と比べると随分と派手ではあるが、幾何学的に繰り返される煌びやかな図形は、どこか上品で神秘的ですらあった。
「ええ、素敵です」
シャルロットも、夫の呟きに頷いていた。
メリエンヌ王国の神殿は、華美な模様で飾ることはないらしい。聖地サン・ラシェーヌにある大聖堂も、光を存分に取り入れた大窓やステンドグラスは美しいが、高度な建築技術による柱や屋根は複数の色で塗られることはなかった。
規模でいえば、聖地サン・ラシェーヌの大聖堂の方が大きいのだが、異国の神殿の美はシャルロットの目を充分に楽しませるものであったようだ。
「これは嬉しいですな。我がバルカンテの大神殿は、王都と二公爵領に次いで立派なのですよ……さて、我らの聖堂にどうぞ!」
バルカンテ侯爵は、二人の賛辞に頬を緩めていた。そして彼は、神官が押し開いた大扉の奥に足を踏み入れながら、シノブ達に正面を指し示した。
そこには、今まで以上に華やかに彩られた空間が広がり、その奥にリアリズムの極地とでも言うべき精巧な造りの神像が聳え立っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
──シノブ……奴隷を使う者が、まだ残っていたのですね──
バルカンテの大神殿に最高神アムテリアの思念が響いた。もっとも、聞こえているのは聖壇に上がったシノブとアミィだけだろう。
シノブ達の背後には、磐船で乗りつけた者達に加え、大神殿の神官達やバルカンテ侯爵とその一族、そして家臣達がいる。しかし前回と同じなら、アムテリアの声が聞こえているのはシノブ達だけの筈である。
──私達がきっと倒します!──
アムテリアの悲しげな思念を受けたシノブは、敢えて朗らかにベーリンゲン帝国の残党を打倒すると宣言した。
ドワーフ達を縛っていた『隷属の首輪』は、帝国由来のものであった。ドワーフなどに使用するため調整したのか若干構造は違うが、原理は全く同じものである。したがって、帝国が過去に関与していたことは明らかなのだが、未だ誰がどのようにしてアルマン王国に与えたかは明確になっていない。
しかし、アルマン王国は帝国に比べれば小さい。したがって、シノブは捕らえられたドワーフ達を探し出すのに不安を感じていなかった。
──ホリィ達も頑張っています! あっ、マリィとミリィを派遣して下さったこと、感謝しております。ホリィもとても喜んでいました!──
──もっと早く遣わせば良かったのかもしれません。ですが、地上に多くの眷属を降ろすのは望ましいことでは無いのです──
アミィの溌剌とした思念にも、アムテリアの憂いは晴れなかった。
創世の時代を別にすると、エウレア地方に一番多く眷属が現れたのは創世暦400年代、つまり各国の建国期らしい。帝国を除く六つの国に聖人となった眷属がいたのだから、少なくとも六人が同時に地上にいたことになる。これは、禁忌である奴隷を使うベーリンゲン帝国の拡大を抑えるためだったようだ。
そして多くの眷属を派遣した建国期に、帝国に対抗するために様々な知識や技術が授けられた。その結果、文明は格段に進歩したし、神々や眷属への強い信仰は、この地の王族や貴族に善行を尊ぶ風潮を齎した。
しかし、あまりに劇的な進歩には、神への強い依存という弊害があったようだ。これは、最終的に人々を自立した存在にしようとするアムテリア達にとって、好ましくないことに違いない。
──私も色々派手にやりました。それに、今もこうやってアムテリア様のご加護に頼っているわけですし……本当は、地上の者の理解が及ばないことを、これ以上すべきでは無いのでしょうね──
シノブは、アムテリアの悩みを理解したように思った。
現在アミィ達四人の眷属が地上にいる。アムテリアの血を受け継ぐシノブは眷属以上の存在らしいから、彼を含めれば五人だ。しかも建国期には、シノブのような大規模な魔術を行使した者はいなかったらしい。シノブとアミィ達の魔力には途轍もない差があるから、それは当然だろう。
更に神殿での転移や魔法の家の使用など、過去に例の無いことも多数ある。それらを考えると、単に人数以上の問題があるだろう。
──ええ。ですが、人々を苦しめるものが、まだこの世界にいるなら手を拱いているわけにはいきません。もっとも私や眷属にも、まだ神霊などが潜んでいるか判然としないのですが──
帝国に潜んでいた『排斥された神』、バアル神かその分霊らしき存在は、長い間アムテリア達に発見されることはなかった。したがってアムテリアやその従属神、眷属達であっても、掴めないこともあるのは間違いない。そのため彼女は、新たな眷属を地上に送り込んだのだろう。
──ホリィ達もいるから大丈夫です! それに私達も頑張ります!──
──すみません。あなた達には苦労を掛けます……ですが、地上の者が禁忌の道具を使っているだけなら、私達が直接手出しをするべきでは無いでしょう。超常の存在が降臨すれば別ですが……。
……シノブ、アミィ。折角新たな国に来たのですから、それを祝うべきでしたね。この前の国とは違い、あなた達を歓迎する者だけでも無いようですが、迎えに来た娘のように出会いを喜ぶ者も多いのです。ですから、臆せず進みなさい──
シノブは、アムテリアの思念から少しだけ憂いが晴れたような気がした。自身の思いが、彼女の心に届いたのなら、それは嬉しいことだ。そう感じたシノブは、僅かに頬を緩ませた。
その一方で、シノブはエディオラについてアムテリアが触れたことも胸の奥に刻んでいた。マリエッタの弟子入りに、アムテリアは乗り気であった。であれば、やはりエディオラも同様なのだろうか。彼は、そう思ったのだ。
もっとも魔術の弟子を希望する王女に関しては、これから行く王都ガルゴリアにいる国王達の意向もあるだろう。そもそも、彼女の留学を国王達が許すかどうかも不明なのだ。それ故シノブは、とりあえずエディオラに関しては置いておくことにする。
──ホリィ達は、早速新たな発見をしたようです。もうすぐ連絡が来るでしょう──
アムテリアは、アルマン島での出来事を知っているようだ。彼女は、どこか嬉しげな思念で三羽の金鵄族について触れた。
──ありがとうございます! ……ところで転移ですが、前回と同じくガルゴン王国だけで独立させて頂けませんでしょうか?──
アムテリアの言葉に喜んだシノブだが、ホリィの名を聞いて先を急いでいたことを思い出した。そこで、彼は本題に移ることにした。
──その方が良いですね。転移は、この前と同じ格の都市に授けます。不公平はいけませんから──
──助かります──
シノブは、アムテリアに僅かに頭を下げた。カンビーニ王国と同じ条件なら王都と公爵か侯爵が治める都市で、合わせて七つだ。カンビーニ王国は五つの都市だが人口比で見ればほぼ同じであり、ちょうど良い数であった。
──シノブ、アミィ。あなた達に、そしてホリィ達にも祝福を。これからも皆で協力して進みなさい。あなた達の絆は、どんなものにも勝る力となる筈です。シノブ、それを忘れないで下さい──
アムテリアの思念は、シノブの心に染み入るように響いていった。
彼女は、これまで何度も絆を大切にするようにとシノブに語ってきた。そしてシノブは、彼女の言葉通り多くの者に支えられてここまで来たと感じている。それ故シノブは、ガルゴン王国の者達とも出来る限り手を携えていきたいと感じていた。
シノブが決意を新たにする中、この惑星を守る最高神から放たれる光輝は一際強くなっていく。そして一瞬の高まりの後、神々しい輝きは消え去り元の聖堂へと戻っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
神秘の光が消え去った後、聖壇の下では前回同様に居並ぶ者達が跪いていた。既に転移の付与を経験しているシノブの仲間達はともかく、バルカンテの人々や今回初めて同行する者達は非常に強い畏れを抱いたようで、頭を床に擦り付けんばかりに低くしていた。
しかし先を急ぎたいシノブは、恐懼する彼らに付き合っているわけにはいかない。そこで彼は、エディオラとバルカンテ侯爵の下に足早に歩み寄ると、彼らを聖壇に誘った。
「それでは、転移しますよ?」
シノブは、共に聖壇に上がったバルカンテ侯爵達へと語りかけた。
「お、お願いします」
「楽しみ」
蒼白とすらいえる顔のバルカンテ侯爵は、何とか言葉を搾り出したらしい。それに対し、エディオラは平然としたものだ。彼女は僅かに頬を染め、濃い茶色の瞳を期待に輝かせている。
しかし、初めて転移する同行者の中で平静を保っているのは彼女だけだ。一緒に転移するバルカンテ侯爵の二人の夫人など、今にも気絶しそうな顔をしている。
そもそも、聖壇とは気軽に上がれるような場所ではない。しかも、つい先ほどまでアムテリアの神気が充満していた場所は、今も俗世と思えぬ清らかな空気に包まれている。その清冽な空間を初めて知る者達が畏れを抱くのは、至極当然であった。
「では、王都ガルゴリアへ」
シノブが王都の名を口にした瞬間、眼前の七つの神像から眩い光が放たれた。神々の御紋の輝きと極めて似た七色の輝きは、一瞬にしてシノブ達を包み込む。
──転送いたします──
そして、いつものようにアミィに似た思念が彼の脳裏に響く。どうやら、今回もアミィの妹分が転移の担当だったようだ。シノブは、この声を聞いたアミィが喜んでいるだろうと思い、自然と笑顔になる。
「無事に転移したようだね」
光が退いた眼前に、シノブは今までとは異なる七つの神像を見つけ微笑んだ。無事、転移は成功したのだ。
バルカンテは、港湾都市らしく神像の並びは中央がアムテリアで右隣は海の女神デューネであった。しかし今は、デューネの像があった位置には森の女神アルフールの像が存在する。それに、こちらの神像の方が大きい。
「それじゃ、聖壇から降りようか……」
シノブは笑みを浮かべたまま隣に立つシャルロットに語りかけ、それから後ろを振り向いた。しかし、そこにはシノブにとって想像外の光景が広がっていた。
「やっぱり、こうなりましたか」
「アミィも予想していたのですね」
シノブとは違い、アミィとシャルロットは落ち着いた様子であった。彼女達だけではなく、ミュリエルやセレスティーヌ、それにシメオン達も同様である。
「……シノブさま、こちらでも大神アムテリア様の光が満ちたのだと思います」
「きっとそうですわ! あの光を受けて頭を垂れない人などいません!」
どことなく遠慮がちなミュリエルに続いたのは、セレスティーヌであった。そう、誇らしげな彼女が言うように、聖壇の前には大勢の人々が跪いていたのだ。
バルカンテの大神殿よりも随分と広い聖堂の中には、床が見えないくらい多くの人が膝を突いていた。
最前列にいるのは、煌びやかな衣装を纏った堂々たる体格の男性で、その左右にはやはり同様の装いの男女が並んでいる。そして後ろには非常に高位の文官や軍人、おそらく上級貴族と思われる人々だ。
「父上、兄上。シノブ様をお連れした」
「何で……」
スタスタと聖壇から降りていくエディオラの言葉に、シノブは顔を引き攣らせた。一国の王と王太子に跪礼で出迎えられるなど、流石に予想外だったのだ。
「おそらく、こちらの大神官に神託があったのだと……。シノブ様、聖壇に上がっていると、このままだと思いますよ?」
「そうだね……」
アミィに促されたシノブは、何となく気後れしながら壇を降りていく。
この分なら王都にいる王族や貴族達は、シノブやアミィを聖人の再来のように大歓迎するだろう。もしかするとアムテリアは、それを狙って神託を授けたのだろうか。確かに、これだけ強烈な登場をすれば、シノブ達の思う方向に纏めるのも楽だろう。
「シノブ、今更です」
「そろそろ慣れるべきかと」
シノブの内心を悟ったらしいシャルロットとシメオンが、彼に声を掛ける。シノブは二人の言葉に苦笑いを浮かべながら、顔を伏せたまま待つガルゴン王国の王達へと歩み寄っていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年11月19日17時の更新となります。