14.19 港の先には 前編
ガルゴン王国の王女エディオラを乗せた磐船は、再び炎竜イジェにより空に舞い上がった。そのイジェの両脇には岩竜の子オルムルと、光翔虎の子フェイニーが並んで浮かんでいる。
エディオラは、シノブの下で魔術を学びたいと言い出した。しかしシノブは、一旦それを保留にして先を急ぐことにした。
何しろ、メリエンヌ王国南方海軍の旗艦であるメレーヌ号を先触れとして派遣したくらいである。南方海軍ではメレーヌ号が最も船足が速く、かつシノブ達使節団が急ぐ旅とはいえ、これは異例なことだ。そこまでしておいて悠長に押し問答しているわけにも行かないだろう。
それ故メレーヌ号の艦長ドナシアンやその部下は、役目が済むと磐船から慌ただしく立ち去った。甲板に残ったのは、王女エディオラと彼女の護衛である二名のガルゴン王国の女性軍人だけだ。
「エディオラ殿下。メリエンヌ王国の王女セレスティーヌと申します。シノブ様とは大変親しくしておりますの。以後、お見知りおきを」
「殿下、フライユ伯爵家のミュリエルです! その……シノブさまの婚約者です!」
甲板の上では、シノブとシャルロットに続きセレスティーヌとミュリエルがエディオラに挨拶をしている。彼女達は、突然シノブに弟子入りしたいと言い出したエディオラを警戒しているのか、少し普段とは違う様子であった。
何やら含みのある口調のセレスティーヌと真剣な表情のミュリエルは、真っ直ぐにエディオラを見つめている。
「セレスティーヌ様、ミュリエル様。シェロノワでは仲良くしてほしい。それと私のことはエディオラで良いから」
対するエディオラは、相変わらずの乏しい表情と平板な口調で二人に答えた。
彼女は、セレスティーヌ達を嫌っているわけでは無いらしい。自国の大使の息子であるナタリオとのやり取り。それにシノブに弟子入りを頼み込んだとき。どちらも、殆ど感情を表さずに淡々とした様子であった。
彼女が僅かに感情らしいものを出したのは、シノブに弟子入りを申し込んだ直後に見せた笑みくらいであったろうか。それ以外は、人形のような無表情を保っているのだ。
エディオラは色白の肌に造作の整った顔の美しい女性だ。人族の彼女は獣耳や尻尾のような特長は持たないが、栗色の髪と茶色の瞳が印象的で、着飾れば一目見たら忘れられない麗人となるだろう。
しかし彼女の表情と飾りの無い衣服のせいで、まるで侍女のようですらある。薄青のドレスには装飾品も無く、フリルやレースなどの飾りもない。それに、真っ直ぐに伸ばした髪を後ろで一本に縛っているのも、王女という身分に相応しい装いとは言い難い。
二十二歳の彼女は容姿も年齢に釣り合ったもので、飾り立てれば華やかな貴婦人になりそうだ。しかし、それだけに、エディオラが女性らしいことに興味が無いと感じざるを得ない。
「エディオラ殿は、噂通りなのじゃ……」
「マリエッタは、知っていたのですか?」
そんな三人の脇でシャルロットとマリエッタが囁きあっている。
どうやら、マリエッタはエディオラについて多少の知識を持ち合わせていたようだ。彼女はガルゴン王国と親しいカンビーニ王国の公女だから知っていても不思議ではない。
「陛下や叔父上から少しだけ……魔術の達人で無愛想だと聞いたのじゃ。でも、噂話は良くないから……」
マリエッタの住んでいた都市アルストーネは、カンビーニ半島の東側のデレスト島だ。そのため西のガルゴン王国については、国王や王太子シルヴェリオから噂を聞いていた程度のようだ。
「そうですね。見たことも無い相手を非難するのは感心しません」
戸惑い気味のマリエッタの答えに、シャルロットは納得したようだ。彼女は虎の獣人の少女に笑顔を向けていた。
「余計なことを言わなくて良かったわ」
「ええ……」
こちらは、マリエッタの学友であるフランチェーラとシエラニアだ。その隣のロセレッタも含めシャルロットの言葉を聞いた三人の伯爵令嬢は、安堵の表情となっていた。
彼女達はマリエッタと共に学んだ仲だ。当然ながら公女と同じくエディオラのことを知っていたのだろう。しかし正々堂々とした振る舞いを好むシャルロットに、告げ口めいたことを言うのを躊躇っていたようだ。
「エディオラ殿。まだ、シェロノワへ留学するとは決まっていませんが……ともかく準備は出来ました。それでは上陸しましょう」
エディオラは、シノブにも敬称を省略してほしいと言った。そのため、シノブは彼女に殿下などと呼ぶのは止めていた。
「マリエッタ様も試しを受けた。だから、私も」
「まあ、それは後で……」
シノブもマリエッタのことを持ち出されると、断り辛い。エディオラが言うように、マリエッタは自身の能力を競技大会で示して留学を勝ち得た。ならば自分も、と彼女が思っても当然だろう。
「イジェ、もういいぞ!」
いずれにしても議論している場合ではない。シノブは声を張り上げ、磐船を後ろ足で持ち上げて宙に浮かぶイジェに都市バルカンテへと進むように伝えた。
今回は、先日のカンビーニ王国への入国のように船内の武器を封印していない。本来ならガルゴン王国の軍人が船内の点検をして武器に封を施すのだが、それらを行う時間を惜しんだのだ。その代わり、磐船の舷側にはエディオラの付き人が持ち込んだガルゴン王家の紋が入った旗を吊り下げている。
右舷と左舷の双方に下がっている旗には、獅子と虎が支える盾の紋章が描かれている。二頭の猛獣が支える盾の中央には華麗な赤い花が咲き誇り、背後に二本の大剣が交差している。これが、ガルゴン王家の紋章である。
船内の点検や封印には時間が掛かる。そのため両舷に下げた巨大な王旗で、ガルゴン王国の王族が乗る船だと示したわけだ。
「『魔竜伯』様! ご武運を!」
「『竜の友』に栄光あれ!」
眼下の眩い朝日に輝く海上では、メレーヌ号の船員達が手を振っていた。友好国に向かう使節団の見送りに、武運という言葉は大袈裟ではあるが、彼らもこの先が和やかな会談だけではないと知っているのだろう。
この後メレーヌ号は、再び母港であるメリエンヌ王国の港湾都市ブリュニョンへと引き返していく。磐船が内陸の上空を飛んでいく以上、随伴することは出来ないから仕方が無い。しかし、名残惜しそうに空を見上げる彼らは、可能であればシノブ達に付いていきたいのだろう。
それを察したのか、メレーヌ号の艦長ドナシアンや、彼の配下である選りすぐりの士官達も、水兵達を窘めることはない。それどころか、彼らも共に往きたかったと言わんばかりの熱い視線で、ゆっくりと陸に向かって前進する磐船を見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
盾を支える獅子と虎、そして背後の二本の大剣というガルゴン王家の紋章は、この国の成り立ちを示したものである。
元々ミティエラ半島と呼ばれていたガルゴン半島を統一したのは、カルロス・ガルゴンという騎士出身の男であった。もちろん、彼が後のガルゴン王国の初代国王である。
現在の王都ガルゴリアは、彼が生まれた当時、カンタメリアという普通の街だったという。それを都市国家として発展させたとき、カルロスがガルゴリアと改称したのだ。そして後にミティエラ半島を統一したとき、半島と王国の双方の名称を自分の家名にしたあたりは、カンビーニ王国のレオン一世と良く似ている。
「カンビーニ王国とは違い、我が国には多くの英雄がいた」
甲板の上の司令室に入ったシノブ達に建国伝説を語っているのは、王女エディオラである。
司令室にいるのは、先ほどまでとほぼ同じ面々だ。
シノブとシャルロット、ミュリエルとセレスティーヌが一つのソファーに納まり、その脇にはアミィとマリエッタが立っている。
そして右隣の一脚にはオベール公爵の継嗣オディロンにシメオンとミレーユ、左隣はイヴァールにマティアスとアリエルである。なお、イヴァールの妻であるティニヤは遠慮したらしく下がっている。
シノブ達と向かい合うソファーには、エディオラを中心にエルフのメリーナとカンビーニ王国の大使の娘アリーチェが座っている。そして、エディオラの後ろにはナタリオと二人の女性軍人が控えていた。
「……我が国にも『銀獅子レオン』を支える大勢の武人がおりました」
マリエッタは、自国の建国王の名を持ち出した。シノブには脇に立つ彼女の表情を見て取ることは出来ないが、その押し殺したような声から、マリエッタが内心かなり憤慨していると察していた。
それは、アリーチェも同じらしい。強張らせた顔を隣に向けた彼女は、発言者が王女でなければマリエッタと同様に反論していただろう。
「ごめんなさい。そういう意味ではなくて……レオン一世陛下とは違い、我が国の加護は分散していたと言いたかっただけ」
「カルロス一世陛下とフェデリーコ一世陛下ですね。だから、ガルゴン王国の国王は偉大なお二人の名を交互に名乗るのだとか」
頭を下げたエディオラに続き、オディロンが取り成すように口を開く。
彼が言うように、ガルゴン王国の王はカルロスの次がフェデリーコ、と延々と続けてきた。当代が二十代目のフェデリーコ十世、次代の王となる王太子カルロスは即位したらカルロス十一世となる。
「そう。そして、二人を支えたのは若き騎士ナルシニオとサラベリス。どちらも公爵家の祖」
エディオラは、再び淡々と語っていく。その姿に、マリエッタやアリーチェも怒りを鎮め興味深げに聞き入っている。
カンビーニ王国は、レオン・デ・カンビーニという飛びぬけた武人を、聖人ストレガーノ・ボルペが支え建国した。
それに対し、カルロスには並び立つ複数の仲間がいたという。それは、カルロスの息子フェデリーコ、そしてカルロスを支える若い二人の騎士、獅子の獣人ナルシニオ・グラノスタと虎の獣人サラベリス・ベニルサダである。
そもそも、カルロスが聖人と出会ったとき、息子のフェデリーコも共にいたらしい。伝説によれば聖人との出会いは創世暦427年であったというが、そのときカルロスは四十二歳、フェデリーコが二十歳である。そのため、実は神の加護を授かったのはフェデリーコの方ではないかという噂もあるらしい。
とはいえ、カルロス自身も建国にあたり大きな活躍をした。特に、前半は彼によるところが大きかったようである。しかし、ガルゴン王国が成立した創世暦442年にはカルロスは五十七歳となっていた。そのため彼は、初代国王を息子に譲ろうとしたという。
「でもフェデリーコ一世陛下は、父を初代国王とした。二人で興した国だから、と」
「公爵となった二人も、それぞれカルロス一世陛下の娘を妻としています。ですから、家族が一丸となって建国したと言えます」
僅かに感慨深げな表情となり口を噤んだエディオラを、背後に立つナタリオが補足する。
実は、王家の紋章はこのことを示していた。盾を支える獅子と虎は、初代ブルゴセーテ公爵になった獅子の獣人ナルシニオと、同じくビトリティス公爵位を得た虎の獣人サラベリスの象徴だ。そして背後の二本の大剣が、カルロスとフェデリーコである。そして盾の中に咲く赤い花は、彼らの深い絆の象徴だという。
「我が国では公爵家の力は大きい。だから気を付けて」
急ぐ旅にも関わらず、エディオラが王家の成り立ちを口にしたのには、こういう事情があったのだ。
メリエンヌ王国やカンビーニ王国では、公爵位を誰に継がせるかは国王の意思によるところが大きい。公爵家は王家の分家という建前を崩していないのだ。
どちらも平和な時代が長く続いているから、基本的には公爵家の当主が推す者に継がせる。しかし、それは王家が定めた条件を満たす場合だけである。
メリエンヌ王国の場合、男系の王族のみが公爵位を継ぐことが可能で、女性の継承は認めていない。カンビーニ王国の場合、女性も公爵となることが可能だが、こちらは初代からの血の継承、つまり銀髪の獅子の獣人であることが条件らしい。
しかし、ガルゴン王国では、公爵家は自身の意思で跡取りを決めることができる。そういう意味では、他の二国とは違い独立性が高いと言えよう。
「ありがとうございます。ブルゴセーテ公爵とビトリティス公爵でしたね」
シノブは、事前に聞いた両公爵のことを思い出しつつ謝意を表した。
ブルゴセーテ公爵ナルシトスは獅子の獣人、ビトリティス公爵サラベリノは虎の獣人だ。どちらも初代と良く似た名なのは、やはり初代への尊崇の念故なのだろう。
なお、双方とも初代と同じ種族だが、ブルゴセーテ公爵家に関しては偶然らしい。実は、ブルゴセーテ公爵家の二代目は人族であった。どうも、人族であったカルロスの娘の血が濃く出たようだ。その後の公爵達も妻の種族には拘らなかったようで、種族は様々であったという。
それに対し、ビトリティス公爵家は代々虎の獣人であった。こちらは二代目も虎の獣人であったせいか、その後も同じ種族で通してきたらしい。
「ブルゴセーテは、大丈夫。でもビトリティスは……」
エディオラの母クラリーサの実家は、ビトリティス公爵家である。クラリーサの兄が、現公爵であるサラベリノなのだ。流石のエディオラも、母の実家を危険だとは言い難かったのか、そのまま黙り込んでしまう。
ガルゴン王国は、西側がビトリティス公爵派、中央および東側が国王派だという。ビトリティス公爵が治める都市ビトリティスは西海岸の港町、ブルゴセーテ公爵の都市ブルゴセーテは南東の港町だ。したがって、ブルゴセーテ公爵は国王派に所属しているのだろう。
ガルゴン王家も、両派の融和を図るべくクラリーサを国王の第二夫人に迎えたようだ。しかし、彼女が生んだ男子は第二王子で、王太子ではない。それもあり、余計に対立が激しくなったのかもしれない。
「そう言えば、先ほどのお話に聖人の名が出ませんでしたが。どんなお方だったのでしょう?」
シノブは少々露骨かと思ったが、話題を変えようとした。エディオラ自身はビトリティス公爵派ではなく国王派、あるいは中立らしい。しかし、彼女はビトリティス公爵の姪でもある。その彼女に両派の話を聞くよりは、後でナタリオに聞こうと思ったのだ。
それに、今日中には王都ガルゴリアに着く筈だ。エディオラは、都市バルカンテには宿泊しないで王都に向かうとシノブ達に言った。それであれば、国王か王太子から続きを聞いても良いだろう。
「聖人は、気障な人。彼は敵に、己を省みるように、と諭して回ったらしい」
「気障……なのですか?」
エディオラの返答に、シノブは驚きを禁じ得なかった。どうやら、今までにシノブが知った各国の聖人とは、少々違うらしい。しかし、敵に反省を促すのがどうして気障となるのであろうか。シノブは、彼女の言葉に疑問を感じながらも続きを待つ。
「彼は細剣の達人。相手の胸に『己』と刻んでから倒した」
「本当だったのですか! 失礼ですが、伝説の類だと思っていました」
シャルロットは、エディオラが語る逸話を知っていたようだ。やはり武芸に関したことだから、興味があったのだろうか。彼女は青い瞳を楽しげに煌めかせている。
「『乙』と記したという説もあります」
「自分が一番で『甲』、相手は劣るから『乙』という俗説ですな……幾らなんでも聖人ブルハーノ・ゾロに、それは無いのでは?」
恥ずかしげなナタリオに、苦笑したのはマティアスだ。マティアスは国王の警護を務めた一流の武人である。当然ながら過去の戦や武人の伝説には詳しいのだろう。
──アミィ……もしかして『Z』なんじゃ……確かゾロって──
シノブは、とある有名な洋画を思い出した。あれはメキシコを舞台にした話だと思ったが、スペイン領だったそうだから縁があるのかもしれない。彼は、そんなことを考えつつアミィに思念を送る。
なお、アムテリアが自身の作った世界に授けた言語は日本語だが、そこにはアルファベットは含まれていない。したがって、シャルロット達は『Z』という文字を知らないのだ。
──その……スペイン語で『bruja』は魔女、『zorro』は狐ですね……お茶目な先輩で済みません──
アミィはよほど恥ずかしかったのか、ガルゴン王国の聖人について武人達が語る中、一人頬を染めて俯いていた。そして彼女は、例によって聖人の名の由来を語る。どうやら、カンビーニ王国の聖人ストレガーノ・ボルペと同じく天狐族で間違いないらしい。
──仕事はキチンとしたんだから、多少の遊び心があっても良いんじゃないかな。俺は、そういうのはアリだと思うよ──
シノブは、アミィを慰めた。他の聖人は、回復や幻影など支援的な魔術を使ったり、知識や魔道具を授けたりしたらしい。そして、多くは控え目な性格だったようだ。そんな中、自ら剣を振り回し前線に出るなど、変わり者なのは間違いないだろう。
それはともかく、ガルゴン王国とカンビーニ王国の双方の聖人が、どちらも『魔女』の『狐』とは、少々安直すぎるのではないだろうか。そう思ったシノブは、思わず苦笑を漏らしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
そんな話をシノブ達がしている間に、炎竜イジェは都市バルカンテの大神殿へと到着していた。彼女は、磐船を大神殿の前庭に静かに降ろすと、自身はその脇に着地する。更に、イジェと並んで飛んでいたオルムルとフェイニーは、甲板へと降り立った。
「ここがバルカンテの大神殿か……綺麗な屋根だね」
磐船の甲板に出たシノブは、目の前の鮮やかな青のドームを見上げながら感嘆の声を上げていた。
全体としては青に見えるドームだが、緑や金色のタイルも混じっているようで、まるで日の光に煌めく海面のような輝きを放っている。
「ええ、それに壁の模様も素晴らしいです」
シノブに寄り添うシャルロットも、異国情緒溢れる神殿から目が離せないようだ。
大神殿の壁面には幾何学文様の装飾が施されている。こちらは壁自体を彫刻のように掘り下げているようにも見えるが、その細かな飾りはシノブにはどうやって作ったか想像も出来ない。この壁面は、ドームとは違う白や赤っぽいタイルで覆われ、綺麗な模様を作り出している。
それらは高みに向かう朝日に照らされ、何とも言えない玄妙な色彩を生み出している。
「イジェさん、疲れていませんか? ……それに、オルムルやフェイニーも」
そんな中、アミィは飛行を終えた三頭に声を掛けていた。
彼女は、シノブ達とは違ってガルゴン王国の建物にあまり興味はないようだ。もしかすると、マリアン伯爵領の港湾都市ルベルゾンで、類似の建物を見たためかもしれない。
なお、これらの建物もメリエンヌ王国の『メリエンヌ古典様式』の影響を受けたものらしい。そのため、カンビーニ王国と同様に『北方様式』と呼ぶそうだ。
──ありがとう、大丈夫です……『光の使い』よ。私達も程無く追いつきます──
アミィに礼を伝えたイジェは、シノブへと思念を発した。彼女の思念は力強く、無理しているようには感じられない。
「ゆっくり来てもらって大丈夫だよ。暫くは対面の儀式や会談だろうし」
イジェの思念に、シノブは優しい笑みと共に答えた。
実は、シノブ達は都市バルカンテの大神殿から王都ガルゴリアに転移するつもりである。エディオラがこの方が速いと主張し、それに賛同する者が多かったのだ。
特に、イヴァールやマティアスが率先してエディオラを支持していた。
イヴァールは、ガルゴン王国との会談を一刻も早く終わらせてアルマン王国に向かいたいようだ。彼の同族がアルマン王国に囚われ奴隷とされているのだから、当然であろう。
マティアスは、敵に先手を取られたくないらしい。アルマン王国とガルゴン王国は海上覇権を争う仲だが、国交を断絶しているわけではない。アルマン王国の船がガルゴン王国に寄港することもあり、シノブ達がガルゴン王国を訪問することは、船員達を通してアルマン王国に伝わっている筈だ。
もし、アルマン王国がメリエンヌ王国の動きに注目しているなら、シノブ達が王都ガルゴリアに入って何をするかも察しているだろう。ならば、敵に準備の時間を与えるのは愚の骨頂だ、というわけだ。
──シノブさん、私もイジェさんと行きます!──
──人間の話し合いは、長いですから──
オルムルとフェイニーは甲板の上を移動し、シノブに顔を擦り付ける。子竜達やフェイニーも、イジェと一緒に行くのだ。
シノブや主だった者は、エディオラと共に神殿の転移で移動する。しかし、磐船には半数以上が残り、このまま移動するのだ。
フェイニーが言うように、会議が短時間で終わるとは思えない。バルカンテからガルゴリアは400kmほどで、イジェが普通に飛べば二時間半ほどである。したがって、対面の儀式や話し合いが終わったころに磐船は着くだろう。
「ゆっくり来て構わないよ」
シノブは、二頭に魔力を注いでいく。オルムルやフェイニーもイジェと一緒に普段以上の速度で飛翔したのだ。そのため、魔力を大量に消耗した筈である。
──シノブさん、私にも下さい!──
──僕も!──
炎竜の子シュメイと岩竜の子ファーヴが、羨ましげな様子で寄ってくる。彼らは空を飛んだわけではないが、年上の二頭がシノブに気持ち良さそうに顔を寄せているのを見て我慢できなくなったらしい。
「ああ、良いよ……イジェも頭を寄せて!」
シノブは、磐船の脇に寄り添うように立つイジェにも声を掛けた。彼女は、都市オベールから磐船を抱えたままで、巡航速度なら二時間は掛かる距離を一時間十五分で飛んだ。そのため、魔力の消費はオルムルやフェイニーより激しかった筈だ。
神殿経由で王都に向かう者達は、縄梯子やクレーンで降ろされる籠などで地上に降りている最中だ。したがって、時間は充分にある。
──すみません……この先のこともありますし、お願いします──
イジェは少々躊躇ったようだ。しかし、少しの逡巡の後に巨大な頭を甲板の上にゆっくりと降ろしていく。
「凄い……」
大小様々な四頭の竜と、一頭の光翔虎に囲まれたシノブの背後から、女性の声が響く。どうやら、エディオラが近づいてきたらしい。
「竜達や光翔虎を見るのは初めてでしたね。驚くのも当然ですよ」
「驚いたのは、貴方の魔力。こんなに大量の魔力を与えて平然としているなんて……それに、凄く綺麗」
シノブはエディオラが巨大な竜や空を飛ぶ虎に驚いたのではないかと思ったが、それは違ったらしい。彼女が興味を示したのは、シノブがオルムル達に与えている魔力の方だったのだ。
「シノブさまは、疲弊しきった成竜四頭に魔力を与えても平然とされていたそうです!」
「ガルック平原にはシノブ様が魔術で造った道がありますのよ。それに北の高地に向かう道も」
ミュリエルとセレスティーヌは、口々にシノブが成したことを語っていく。二人はエディオラを警戒していたようだが、それはそれとして自身が慕う相手を褒められたのは嬉しいらしい。
「その辺にしておいてよ……さあ、早く降りよう」
魔力を与え終わったシノブは、少々頬を染めながら後ろを振り向いた。そこには、シャルロットとアミィを含め、合わせて五人の女性が残っていた。
──私達が運びます! さあ、乗ってください!──
──こっちもどうぞ~──
シノブは飛び降りるつもりだが、アミィ以外はそうもいかないだろう。アミィは軍服に似た衣装だが、シャルロット達はドレスだからである。
そこでオルムルとフェイニーが、女性達に向かって背に乗るよう促した。なお、オルムルやフェイニーは装具を着けているから、女性であっても安心して乗ることが出来る。
「ありがとう……フカフカして気持ちいい」
シャルロットとセレスティーヌがオルムルに乗って地上に向かう中、エディオラはフェイニーの頭を撫でていた。
フェイニーは成獣の虎に匹敵する大きさだが、まだ生後五ヶ月少々の幼獣だ。何しろ、彼らの両親は尾を除いても体長20mにもなる巨体である。したがって、普通の魔獣に匹敵する大きさのフェイニーも、ほんの赤ん坊であり、その毛は非常に柔らかい。
どうやらエディオラは、フェイニーの感触を気に入ったらしい。彼女は、心なしかうっとりしたような雰囲気を漂わせ、幼い光翔虎の頭から手を離さない。
「エディオラ様……」
「ごめんなさい。急がないと」
少々頬を染めたエディオラは、苦笑気味のミュリエルと共にフェイニーの背に乗った。既に、降りる者達で甲板の上にいるのは、彼女達を別にすれば、シノブとアミィだけだ。
──では、飛びますよ~──
「おねがい」
フェイニーが『アマノ式伝達法』に則った鳴き声を発すると、エディオラはそれに応じていた。カンビーニ王国もそうだったが、ガルゴン王国でも『アマノ式伝達法』の利用は始まっている。彼女は軍人ではないが、魔術師という知識人の一種だけあって、新たな通信法も習得していたようだ。
「それじゃイジェ、後は頼むよ!」
──はい。魔力を頂いたので、こちらも大して掛からずに到着できるでしょう。ありがとうございます──
フェイニー達を見送ったシノブは、イジェの鼻面を一撫でする。すると、イジェは目を細めて嬉しげな思念を返してくる。子竜達は、シノブの魔力を非常に気に入っている。どうやら、シノブの魔力は非常に良質で栄養に満ち、しかも美味しく感じるらしい。おそらく、それは成竜も同じなのだろう。
──アミィ、アムテリア様にお礼を言わないとね! マリィとミリィの!──
シノブは、アミィと共に船縁に向かいながら思念で密かに語りかけた。
アムテリアがマリィとミリィを派遣してくれなかったら、ホリィを失ったかもしれない。シノブは、自身の指示でアルマン王国に送り込んだホリィが、危うく命を落とすところだったと知ったとき、激しく後悔したのだ。
──はい! アムテリア様、きっと喜んで下さいます!──
おそらくアミィも同じ思いだっただろう。しかし彼女はそれを口にせずに、薄紫色の瞳でシノブを優しく見上げる。そんな彼女の頭上には狐耳がピンと立ち、その顔にはシノブを包み込むような温かい笑顔が浮かんでいた。
アミィは、いつも前向きだ。それは強がりや過信ではなく、無知故の楽観でもない。何百年も前から地上を見守ってきた彼女は、シノブの何十倍も辛い体験をしてきただろう。しかし、それらを感じさせないアミィの明るさは、シノブの心を照らし温かくしてくれる。
──ああ! それじゃ、行くよ!──
シノブはアミィの小さな手を強く握ると、彼女に向けて笑いかけた。そして二人は同時に甲板を蹴って船縁を越え、地上へと飛び降りていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年11月17日17時の更新となります。