14.18 隣国までは何時間?
十名のドワーフ達を救出した翌日、シノブ達は日の出前に都市オベールを旅立った。炎竜イジェの運ぶ磐船は、ガルゴン王国の大使館付き武官となる王国軍の軍人を数名加え、薄暗い都市から飛び立ち南西へと向かっていく。
新たに加わった軍人達は、魔術師でもあり『解放の杖』を使用することが出来る。ガルゴン王国に『隷属の首輪』で縛られた奴隷がいた場合に備え、彼らが派遣されることとなったのだ。
「……イヴァール、ティニヤさん。中に入ろう」
シノブは、船尾から後方を見つめるドワーフの戦士に声を掛けた。彼の隣には、結婚したばかりの妻ティニヤがいる。
甲板の上にいる人間は、シノブ達三人だけであった。他は、磐船の前を飛ぶオルムルおよびフェイニーと、その姿を舳先の方で見つめているシュメイとファーヴだけである。
「そうだな。ティニヤ、済まなかった」
「このくらい、冬のセランネ村に比べれば何でもないわ」
イヴァールは妻の肩に手を掛け、シノブの方に歩み出した。確かに、北国である彼らの故国ヴォーリ連合国に比べれば、上空の冷たい空気も大したことは無いのかもしれない。しかし今日の甲板の上は、前方から吹き付ける猛烈な風で体温が奪われる過酷な場所だ。
ガルゴン王国には港湾都市バルカンテから入る。オベールからバルカンテは、およそ300kmだが、今のイジェは速度優先で飛んでいる。そのため、常以上に風が激しいのだ。
磐船を運ぶ竜は、船の全てを包み込むほどではないが、風防代わりに前面に魔力障壁を広げて風が当たらないようにしている。
しかし今、イジェは普段よりも大幅に速度を上げている。本来なら二時間は掛かる距離だが、彼女は一時間半で着くと言っていた。その代わり、魔力の消費を押さえるため魔力障壁の展開を最小限にしているのだ。
そのため甲板の上、特に船尾の方は冷たい風が猛烈に吹き付けてくる。実はシャルロットも外に出ようとしたが、彼女を案じたシノブは船内に留めていた。
「すぐ彼らも元気になるよ。まだ若いからね」
シノブは、心配げな顔のイヴァールに声を掛けた。助け出した十人のドワーフは、かなり衰弱していた。『隷属の首輪』から解放された戦闘奴隷は概ね同様の症状に陥るのだが、若者ばかりであったから回復は早いだろう。
「ああ。村で休めば……」
シノブの言葉に、イヴァールは頷いた。昨夜のうちにイヴァールとティニヤが故郷であるセランネ村に十人の若者を送り届けていた。
先日訪問したときと同様に、アミィがヴォーリ連合国の高地にある岩竜ヘッグとニーズの棲家までイヴァール達を送り届けた。そこからニーズが彼女の磐船に乗せ、彼らをセランネ村に運んだのだ。
「治療の装置、ありがとうございます。それに、回復やお茶も」
「いや、あれは王国からの贈り物だから」
ティニヤの礼に、シノブは頭を掻きつつ微笑み返した。
ドワーフ達には出発までにシノブが魔力を与えた。それに魔力を回復する魔法のお茶も、樽に詰めて持たせた。
更にシノブ達は、実用化に成功した治療の魔道装置もセランネ村に贈った。風邪などの治療に使うものだが、患者の体力を回復させるから役立つだろう。なお治療の魔道装置は、シノブ達と今後の方針を相談するため来訪した国王が一台買い上げ、メリエンヌ王国からとして寄贈していた。
また『隷属の首輪』に対抗できるようにと、『解放の杖』や『解放の腕輪』も幾つか渡した。これらはメリエンヌ王国の最重要機密だが、シノブは深く信頼するエルッキならと預けたのだ。
「彼らが囮にされたのは若くて未熟だからかな? あの罠に嵌まったら巻き添えになっただろ?」
気恥ずかしさを感じたシノブは話題を逸らしたが、疑問に感じていたのは事実である。彼らが救出したドワーフ達は何れも十代後半かそれより下の年齢だったのだ。
「そうかもしれん。ヴィヒト達は見習いだからな」
イヴァールは、助け出した安堵と罠を仕掛けた者への憤りの入り混じった複雑な声音で答える。
「……名職人イルモさんの息子に相応しく、腕は良かったようだけど」
イヴァールの言葉に、シノブは苦笑いをした。十人の中には、イヴァールの義父トイヴァが挙げた名高い武器職人イルモの息子もいたのだ。
シノブは、ヴィヒトが下げていた自作という槌を見たが、まだ成人して間もない若者の作だとは思えなかった。どうやらドワーフの一人前は、シノブの想像以上に厳しいらしい。
「俺が振るったら一回で壊れるだろう。それより、かなりの数が渡ったようだな」
残りの者達を案じているためだろう、イヴァールはシノブの軽口には乗らなかった。
都市オベールに戻ったシノブ達は彼らから僅かながら聞き取りを行った。それによれば、ドワーフの若者達は父母や家族と共にアルマン王国に招かれたという。
彼らは船や武器の製造のため高額で雇われアルマン王国にやって来た。そして、催眠の魔術で眠らされた間に『隷属の首輪』を装着されたらしい。どうも、職人として必要とされているのは、彼らの父や祖父の方のようだ。
彼らの話を総合すると、おそらく十数家族、百人以上のドワーフがアルマン王国に移り住んだらしい。そして、全員が最西端に住むブラヴァ族の者だという。
「早く他の人も見つけないとね。ともかく、後はエルッキさんに任せよう」
シノブはセランネ村にいる大族長エルッキの顔を思い出しつつ、イヴァールの肩を叩いた。
助け出したドワーフ達は、初めて訪れた異国であるメリエンヌ王国では落ち着かないようだった。そこでセランネ村へと送り届け、詳しいことを聞くのはエルッキ達に頼んだのだ。イヴァールによれば、彼らは転移や竜での移動に驚いたようだが、自国への帰還を大いに喜んだという。
「ああ。俺達は次を助け出す」
「ホリィさん達なら、きっと残りの人も見つけてくれます」
重々しく宣言したイヴァールにティニヤが優しく語り掛ける。彼女は、夫の心を和らげようとしているようでもあり、自身を落ち着かせようとしているようでもあった。そんな妻の心情を察したのだろう。イヴァールはティニヤに顔を向けながら、力強く頷いていた。
◆ ◆ ◆ ◆
甲板の上の船室に戻ったシノブ達を迎えたのは、一行の中でも特に中心となる者達であった。
まず、シノブの妻であるシャルロットに、第一の従者であるアミィ。それにフライユ伯爵家付きの子爵夫妻、シメオンとミレーユ、マティアスにアリエルだ。
各国の窓口である、カンビーニ王国の大使の娘アリーチェ、ガルゴン王国の大使の息子ナタリオ、エルフの国デルフィナ共和国のメリーナもいる。
そして、都市オベールで案内役として加わったオベール公爵の継嗣オディロンもいた。彼は妻のイアサントと共に磐船に乗り込んだのだ。もっともイアサントは、ミュリエルやセレスティーヌと共に別室にいる。これから始まるのは、軍議に近いものだからだ。
「祖母からシャルロット様に連絡がありました。あちらでも族長会議を開きます」
メリーナは、祖母でアレクサ族の長であるエイレーネからの知らせを伝えた。どうやら、シノブがいない間にシャルロットが持つ通信筒に連絡が入ったようだ。
「ああ、早速通信筒を使ったんだね」
シノブはソファーに向かいつつ言葉を返した。ソファーには、シノブ達が座る場所が空けてある。
ここは、司令官向けの船室であり、磐船の中で一番上等な部屋だ。そのためソファーも四脚あり、全員腰掛けることが可能である。
「マリィが届けてくれて助かりましたね」
シャルロットは、隣に腰掛けたシノブに微笑みかけた。彼女が口にしたように、昨夜のうちにマリィはエイレーネが住む集落アレクサまで行ってきたのだ。
もっとも、マリィは大して時間を掛けずに往復していた。彼女は合理的な性格らしく、デルフィナ共和国に最も近い転移可能な場所、エリュアール伯爵領の領都ラガルディアの大神殿を経由することで、時間を大幅に節約していた。
そのためマリィは二時間もしないうちに戻ってくると、アルマン王国で残りのドワーフ達を捜索しているホリィとミリィの下に飛び立っていった。
「こちらは明日だろうな」
ティニヤと並んで座ったイヴァールが、ぼそりと呟いた。
彼の父である大族長エルッキは、二日前にセランネ村で宣言した通り、ヴォーリ連合国の族長全てを呼び集めていた。ヴォーリ連合国は広大だが、岩竜ニーズが磐船で運んでいるため既に半数を超える族長がセランネ村に集まっている。おそらく、予定通り明日には族長会議が開かれるだろう。
「皆、とても怒っていました。帰還した若者達を見たら当然ですけど……ヴィヒトさんの顔を見たヴェイヨ様は、危うく自分の髭を切り取るところでした」
ティニヤは、救い出した若者をイヴァールと一緒にセランネ村に送り届けていた。そのとき、怒り狂う族長達やセランネ村の者達を目にしていたのだ。
「ブラヴァ族の族長ですか……罪を償うのは戦後にしてほしいですね」
シメオンは少々辛辣な口調で呟いた。
ドワーフにとって根元から髭を切り取る、あるいは剃られるというのは、重罪人に対する刑罰の一つである。合わせて集落から追放されることもあり、当然ながら長の地位に残ることなど出来ない。ブラヴァ族の族長ヴェイヨは、それだけ衝撃を受けたのだろう。
しかしシメオンは、この状況で族長の再選出などしている場合ではないと思ったようだ。
とはいえ、ヴェイヨ自身に罪があったわけでもなさそうだ。彼は陸路での輸出が難しいブラヴァ族の族長として、海上交易の相手に便宜を図っただけらしい。
それに、彼自身はアルマン王国への移住に反対していたという。職人に移住されては自分達の集落に金が落ちないから、当然ではある。
昨年夏から秋にかけての街道の閉鎖、岩竜ガンド達が竜の狩場を作った影響がなければ、アルマン王国の要求を呑んで移住者を出すことにはならなかったようだ。
「気にしすぎは良くありませんな」
「そうですね。いずれ汚名返上の機会もあるでしょう」
マティアスに応じたのは、オベール公爵の継嗣オディロンだ。彼は次代の南方海軍元帥らしく、失点は戦いで取り戻せば良いと思ったようだ。
「ブラヴァ族の集落にはニーズが再度行ってくれる。今日明日にもアルマン王国とは断交となるだろう」
「アルマン王国も愚かな真似をしたものです。奴隷に手を出すなど、どの国も許さないでしょうに」
イヴァールの説明を受け、シャルロットが呟いた。彼女は深い湖水のような青の瞳に怒りと憂いを浮かべている。
奴隷は最高神であるアムテリアが禁忌とした。アムテリアとその従属神を信仰する国々なら、等しく重罪とされるし、国家が主導しているなら国交断絶となっても当然の行為だ。例外は独自の神を奉じたベーリンゲン帝国だけである。
しかし、アルマン王国は軍艦である偽装商船の整備を奴隷としたドワーフに行わせていた。この状況で国家の関与が無いとは思い難い。
「露見しないと思ったのかもしれません。シノブ様のことを知らなければ、こんな短期間に発見されることも、ましてや奪還されることもなかったでしょうから」
「帝国との戦いを詳しく知らないから、こちらを侮ったのではないでしょうか? それにドワーフを連れていったのは、昨年中みたいですし」
アリエルとミレーユは、アルマン王国が大陸内の情勢に疎かったのではないかと指摘した。
どうやら昨年の秋、九月から十月頃にブラヴァ族の職人達はアルマン王国に渡ったらしい。一方シノブが初めて奴隷を解放したのは十一月、竜で各地を飛び回るのが公になったのは今年に入ってからである。
それに島国のアルマン王国で密かに奴隷を使役している分には、他国に知られることもない。ましてや隠し港を発見されドワーフを奪還されるなど、想像の外だろう。
「しかし奴隷は最大の禁忌……それにアルマン王国も聖人の導きで成立した国です。それが奴隷を使うなど……やはりホリィが見た者達は帝国人なのでしょうか? どうやら人族のようですが……」
シャルロットは、アルマン王国が奴隷を使役しているのが信じられないらしい。彼女は、ホリィを攻撃した黒髪と茶色の瞳の若者が、帝国の出身である可能性に触れた。
ベーリンゲン帝国からアルマン王国に、数人の魔道具技師が渡ったらしい。ならば、それ以外に軍人や魔術師などが行っていても不思議ではない。むしろ単なる職人である魔道具技師が、独力で戦争相手のメリエンヌ王国を横切り反対側のアルマン王国に潜入するなど、その方が不自然だろう。
そしてホリィが見た男は顔と頭を露わにしていた。頭部にあるのは獣耳や長い耳ではなくシノブと同じくらい背が高いというから、人族で間違いないらしい。
「そうかもね。帝国にも黒髪と茶色の瞳の者はいたし……もっとも、こちらにもマルタンみたいにそういう特徴の人はいるけど」
シノブは、今まで会った帝国人の容姿を思い浮かべた。帝国人には、黒い髪で茶色の瞳を持つ者はそれなりにいたのだ。
まずは皇帝。そして彼の孫息子ロジオンと孫娘カテリーナも、黒髪と茶色の瞳の持ち主だ。シノブは直接あったことは無いが、二人の父である皇太子も同じらしい。
財務卿の息子マンフレートや皇帝直属の特務隊長ヴィンターニッツなど、皇族以外でも該当する者は一定数いる。したがって、外見的な特徴からすれば帝国人も該当する。
ただし帝国以外に住む人族にも、マルタン・ミュレのように同様の特徴を持つ者は存在する。そのため必ずしも帝国人と言うことは出来ないが、この状況では帝国から来た可能性が一番高いだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
一同は、暫く昨日のことを話題にしていた。昨日は色々ありすぎて、話し合う時間は殆ど無かったからである。
都市オベールに輸送したのは、救出したドワーフだけではない。捕縛した船乗りや港にいた作業員なども魔法の家に詰め込んで運んでいた。十隻近い船とそれらが同時に寄航できる港にいた人員は、合わせて四百名近かったのだ。
「昨日は随分時間が掛かりましたね」
「仕方ありません。港では、魔道具や船の押収で大変でしたから。しかし、船がカバンに入ったのには驚きました」
昨日の出来事を振り返るアミィに、マティアスは感嘆の視線を向けた。
隠し港では現場で調査もしたが、様々な物を持ち帰った。その場で調べなくても、オベールに持ち帰って軍人達に調べて貰えば良いからだ。
それに、港に残っていた軍用の魔道具や、偽装商船もそのままにはしておけない。そこでアミィは、それらを魔法のカバンに詰めて押収した。魔法のカバンには生きた動物は入らないから、偽装商船からヤギなどの動物を降ろし、それから収納したのだ。
なお、魔法のカバンは荷物に付いている動物を選択的に除外するらしい。そのため収納したとたんに船内にいたネズミなどが水面に落ちたのだが、その光景は港にいた一同の苦笑を誘っていた。
「……ともかくホリィや義伯父上からの知らせを待とうか。今は、ガルゴン王国に入ってからのことを考えよう」
ひとしきり話した後、シノブは話題を転じ現在向かっている国の名を挙げた。もう少しで到着するのだから、これからのことを話すべきだろう。
「オディロン殿、お願いします」
この場にいるメリエンヌ王国の人間で、ガルゴン王国に一番詳しいのはオベール公爵の継嗣オディロンだ。それ故シノブは、オディロンに説明を頼んだのだ。
マリアン伯爵家が隣接するカンビーニ王国の担当であったように、オベール公爵家はガルゴン王国への窓口なのだ。何しろ、都市オベールから南のシュドメル海に出て、海岸沿いに西に回ればガルゴン王国である。ちなみにシノブ達は空路による直線的な経路だが、ほぼ同じ道筋で港湾都市バルカンテに向かっている。
「はい。おそらく、バルカンテにはガルゴリアから出迎えの方が来ているでしょう。それも、王族の誰かかと。ですから、さほど待たずにガルゴリアへと出発できる筈です」
オディロンは、磐船がガルゴン王国に着いた後のことを語り出す。
カンビーニ王国では、王太子シルヴェリオがシノブ達を出迎えた。モッビーノ伯爵家の問題を解決するためでもあったが、彼がシノブを迎えに行ったのは事実である。
そして経緯はともかく、王太子が出迎えたこと自体は公にされていた。したがってオディロンは、ガルゴン王国もそれを意識していると言うのだ。
「はい。本来なら、こちらもカルロス殿下に出座いただくべきですが、アルマン王国と緊迫した情勢になったため、それは無いと思います。ですからティルデム殿下かエディオラ殿下……おそらくエディオラ殿下ではないかと」
オディロンの言葉を受けたのは、ガルゴン王国の大使の息子ナタリオだ。彼は、三人の王族の名を挙げていく。
最初に挙げたカルロスは、国王フェデリーコ十世と第一王妃アデリーダの子で王太子である。既に三十歳を過ぎた彼は、二人の妻と三人の子を持つが、子供は一番上でも十二歳で使者にするには幼い。しかし、アルマン王国の偽装商船が領海内を跋扈する状況で、彼が王都ガルゴリアを離れるのは困難だろう。
二番目のティルデムとは、国王が第二王妃クラリーサとの間に儲けた王子だ。なお、現在十七歳の彼は未婚である。
最後のエディオラも第二王妃クラリーサの子で、ティルデムの姉である。彼女は既に二十二歳というのに、まだ独身だという。これは、早婚のエウレア地方の王族や貴族では、非常に珍しいことだ。
「エディオラ殿下は、魔術や魔道具に強い興味を示しているそうですね。かなりの魔術師で、特に水魔術が非常に得意だとか?」
アリーチェは、同じ南方の国ということもあり、ガルゴン王国の内情にも詳しいらしい。
シノブ達も、王家の面々の名や年齢くらいは知ってはいるし、南方訪問を決めてから集めた情報には、彼女が魔術を使えるというものもあった。しかし、得意な魔術の系統のような細かい情報は知らなかった。
「そうです。その……私の口からは言いにくいのですが、魔術が恋人と言われているそうで……。ですが、問題はそこではありません」
「派閥争いですか?」
オディロンは、ナタリオが言いたいことを察していたようだ。一方、少々不穏に感じる言葉を聞いたシノブ達は、オディロンへと視線を向けなおす。
「ご存知でしたか。我が国には昔から二つの勢力がありまして……王都付近とそこから東側、それと残った西側です。中央を含む東側は、当然ですが王家を中心にしたものです。そして、西の一派はビトリティス公爵家が首魁です」
自国の内情を暴露するせいだろうか、ナタリオの表情は曇りがちである。しかし緊迫した情勢でシノブ達を招く以上、隠し事は出来ないと思ったらしく、彼は途切れることなく口にしていく。
「クラリーサ王妃殿下は、ビトリティス公爵の妹です。ですから、ティルデム殿下は西の派閥……ビトリティス公爵派なのです」
「それでは、エディオラ殿下もビトリティス公爵派なのですか?」
シャルロットは、ナタリオの話を聞いて迎えに来るのが国王派ではないと思ったらしい。彼女は、その美しい面を鋭く引き締めながら問いかける。どうやら、ビトリティス公爵がシノブの支援を得ようと接してくるのかと警戒したようだ。
「い、いえ! エディオラ殿下は国王派……少なくとも中立であるのは間違いありません。実は、エディオラ殿下はティルデム殿下と不仲だそうで……それに、魔術にしか興味がありませんし……」
ナタリオは、焦ったように手を振りつつ答える。シャルロットの鋭い視線のせいか、あるいは自国の王族に対し不敬とも言えることを口にしたせいか、彼は随分と動揺しているようだ。一同の視線を集めた虎の獣人の若者は、顔に冷や汗を浮かべ頭上の虎耳を不規則に動かしている。
「ですから、エディオラ殿下については政治的な心配は無用かと。むしろ、シェロノワへの留学を望む可能性があるくらいで……」
ナタリオは、それ以上は言いにくいと思ったようだ。魔術に興味を示すなら、きっとシノブに目を付けるだろう。いや、既に注目しているからこそ、迎えに来るのではないだろうか。彼は、そう思っているようだ。
──『光の使い』よ。そろそろ港に着きます──
「そのエディオラ殿下に会うときが来たようだよ。バルカンテに着くらしい」
炎竜イジェの思念を受けたシノブは、室内の者達に声を掛けた。
竜の飛翔は重力制御を多用しており、通常の移動のように加速や減速を感じることが少ない。そのため快適ではあるが、周囲を見ていないと速度の変化を感じ取るのは難しい。
「出発してから一時間十五分です。イジェ殿に無理をさせてしまいましたね」
シャルロットは、室内に置かれたホールクロックに視線を向けていた。彼女が言う通り、イジェはかなりの魔力を使ったのではないだろうか。
「ああ、お礼を言いに行こう。どうやら、だいぶ速度も下がったようだ」
シノブの言葉に、一同は頷き立ち上がった。速度が落ちてきたなら、外に出ても猛烈な風に悩まされることはない。シノブ達は、甲板に出るべく室外に歩み出ていった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は、先行した使者を追い抜かずに済んだようだ。バルカンテの港から少し沖に、南方海軍の旗艦メレーヌ号が停泊していたのだ。
他国の軍船は接岸を許されず、沖に泊めてボートなどで上陸する。そこで、磐船もメレーヌ号の脇に一旦着水する。狼の獣人アルノー・ラヴランの指揮で軍人達が磐船から錨を降ろし錨泊した。
「聞いてはいたが……」
「驚いたな……」
シノブも乗船したことのあるメレーヌ号の上では、大勢の船乗り達が炎竜イジェを見て驚きの声を上げている。彼らは、メレーヌ号と磐船から少し離れた上空に浮かんでいるイジェとオルムル、そしてフェイニーを見上げている。
しかし上級の士官ともなれば、内心はともかく軍務を疎かにすることは無いようだ。メレーヌ号の士官達は、部下を叱咤し海面へとボートを降ろしていく。そこには、シノブも面識のある都市ブリュニョンの艦隊の司令官でメレーヌ号の艦長でもあるドナシアン・ド・ルベスコンが乗っている。
「もしかして、あの方がエディオラ殿下かな?」
船縁に寄ったシノブは、ナタリオに問いかけた。彼は、ボートの上にドレス姿の女性を見つけたのだ。
一人だけ軍服ではなく、しかも女性だ。おそらく彼女が迎えに来た使者だろう。しかし、シノブが疑問混じりの言葉を発したのには理由がある。
ボートに乗っている女性の服装は、確かにドレスに違いない。しかし上等な生地ではあるが装飾は無く、ドレスというより単なるワンピースのようであった。しかも、女性は装飾品らしきものを一切身に着けていないようだ。
濃い茶色の瞳に色白の面が印象的な女性は、真っ直ぐに伸ばした栗色の髪を後ろで縛っているらしい。そのため、どことなく侍女のようでもある。
「はい!」
シノブの問いに、ナタリオは少々緊張した様子で答えた。やはり、ボートに乗った女性は王女で間違いなかったのだ。
そのナタリオは、よく見ると普段より立派な装飾の施された剣を腰に佩いている。大剣というほど大きくはないが、それでも並以上の長剣であるのは間違いない。
もしかすると、シノブ達をエディオラと引き合わせるにあたって、何らかの儀式でもあるのかもしれない。現にカンビーニ王国ではアリーチェは大剣を用いた引継ぎの儀式を行った。そういったものが、ガルゴン王国にあってもおかしくないだろう。
それはともかく一旦は船縁に寄ったシノブ達も、甲板の中央に整列して待ち受ける。シノブを中心に大勢の軍人達が並び、シャルロットの側にもマリエッタなど女騎士が固めて威儀を正す。
そうしているうちに、ボートはクレーンで引き上げられ船縁と同じ高さで停止した。なお、船縁の内側にはタラップが用意されている。何しろ、王女であるエディオラもいるのだ。自国の軍人だけなら飛び乗れというところだが、そうは行かないだろう。
「エディオラ殿下! ご足労頂き恐縮です! それでは早速……」
やはり、何らかの儀式があったらしい。ナタリオはシノブ達から離れ、前に進み出る。
「ナタリオ君、面倒なことは省略」
しかしエディオラは、二十二歳という割に女性らしさを感じない口調でナタリオを制した。甲板に降りた彼女は、ナタリオを無視してシノブに向かって歩き出す。
エディオラはシャルロットほどではないが身長もあり、ミレーユより背が高いようだ。そして、身長に相応しい大人の女性らしい容姿の持ち主だが、口調や振る舞いはそれを裏切っている。おまけに表情も乏しく、どこか人形のようでもある。
「凄い魔力……貴方がフライユ伯爵シノブ・ド・アマノ……帝国を打倒した人」
エディオラは、魔力の大きさでシノブを見分けたようだ。彼女は最初からシノブだけを見つめていた。そして彼女は、躊躇うことなくシノブの目の前に進み出ると、ペコリというのが適切な飾り気のない仕草で頭を下げた。
「大神アムテリア様の強い加護を授かり邪神を倒した英雄の訪れ、国を挙げて歓迎します。
ええと……忘れた。私、エディオラ・デ・ガルゴンを弟子にして下さい」
「……王女殿下の出迎え、真に恐縮です」
顔を上げて期待の表情で見つめる年上の王女に、シノブは何と答えるべきか迷った。そして、暫しの沈黙の後、彼は無難な挨拶だけをした。エディオラの予想外の挨拶に、シノブも用意していた言葉を忘れてしまったのだ。
「恐縮しなくて良い。弟子にして」
「……魔術の弟子が現れたのじゃ」
弟子にしろというガルゴン王国の王女エディオラの催促と、武術の弟子としたカンビーニ王国の公女マリエッタの独白が、シノブの耳に届いた。何と武術の弟子の次は、魔術の弟子の登場である。
しかし、もう少し手続きを踏むなり言葉を飾るなりしても良いのでは。そんなことを戸惑いつつ考えたシノブに、エディオラは初めて女性らしい笑みを零す。
それを見たシノブは、どうやら単なる魔術好きでは無いらしいと思いつつも、突然の弟子入り志願をどう躱すかと思いを巡らせていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年11月15日17時の更新となります。