14.17 潜入、秘密基地
「陛下もお出でになられたのですか」
都市オベールに到着したシノブは、オベール公爵の館の会議室に国王アルフォンス七世の姿を発見し、思わず驚きの声を漏らしてしまった。
会議室のテーブルには、国王の他に王太子テオドール、館の主であるオベール公爵クロヴィスと継嗣オディロン、それにシュラール公爵ヴァレリーが着いている。テオドールとヴァレリーはシノブの到着に合わせて来訪する予定であったが、国王が訪れるとシノブは聞いていなかったのだ。
メリエンヌ王国の主要都市は、大神殿の転移で行き来できる。転移可能な大神殿がある場所は、王都メリエ、聖地サン・ラシェーヌ、それに公爵の治める三つの都市と七伯爵の領都だ。
したがって大神殿で転移をすれば、僅かな時間で来訪可能である。しかし王と王太子の双方が訪れるとは、シノブは想像していなかった。
シノブだけではなく、続いて入室したシャルロットやマティアスも驚きを顔に浮かべている。一方アミィやシメオンは、予想していたのか表情を変えていない。それに、イヴァールも同様だ。
磐船で飛行している間から、イヴァールは厳しい表情を崩さない。洞窟の中の港から脱したホリィの知らせ、通信筒で届いたドワーフ発見の報から今のままだ。
シノブは再びイヴァールが激発するのではと心配したが、それは無かった。彼は湧き上がる怒りを押し殺すかのように固く拳を握り締め、磐船の舳先に向かっていったのだ。
それ以来イヴァールは一度も口を開いていない。おそらく彼は、必死に自身の心を静めているのだろう。
「そなたとベランジェの文を見たのでな」
アルフォンス七世は、シノブ達が席に着く間も惜しいらしく来訪の経緯を語っていく。
王太子テオドールの下には、シノブと旧帝国領にいる先代アシャール公爵ベランジェの双方から手紙が届いていた。どちらも、帝国からアルマン王国に複数種類の魔道具が流れ数名の魔道具製造技師が渡った可能性を記したものである。
それを見た国王は、都市オベールでの会議に加わると決断したそうだ。
アルマン王国の偽装商船には、帝国由来の発火の魔道具を使った大型弩砲が搭載されている。ならばガルゴン王国に対し、何らかの支援が必要だろう。そして対抗できる武器の供与にしろ何にしろ、国王自身が決めるべきことだ。
もちろん王太子であるテオドールに任せても良いが、転移を使えば王都の外に出るよりも近いのだ。彼が自身も赴くと決めるのは、当然のことであった。
「来て良かったぞ。アルマン王国に『隷属の首輪』が渡っていたと明らかになったのだからな」
席に着いたシノブ達に、アルフォンス七世は苦々しさが滲む声音で話しかける。禁忌である奴隷を作り出す魔道具の名は、彼にとって口にしたくもない物のようだ。
シノブは再び通信筒でテオドールに連絡をしていた。ホリィからの知らせを受けたシノブは、早速王太子やベランジェにも知らせたのだ。それ故ここにいる者達は、ホリィがアルマン王国の隠し港で見た奴隷となったドワーフや、火球の魔術を使う者達について承知している。
「しかし、数十名ものドワーフが奴隷とされていたとは……」
王太子テオドールは、イヴァールへと顔を向けていた。同族が囚われたイヴァールを案じているのだろう、王太子の優しげな顔には普段と違う憂いが浮かんでいる。
「気遣いは無用だ。俺は……俺達は必ず仲間を取り戻す」
イヴァールは、普段に増して低い声であった。
壁が厚く防音措置まで施された会議室から外に音が漏れることは無い。しかし、万一外を通った侍女などが聞きつけたら、恐怖のあまり気を失うのではなかろうか。
「イヴァール、その通りだ。準備が終わったら行くぞ」
隣に座ったイヴァールの拳に、シノブは自身の手を添えた。イヴァールは自慢の鉄拳を固く握ったまま、自身の太腿を押しつぶすほどに強く当てていたのだ。
全身の力を込めていないと、今すぐにでも助けに飛び出してしまう。逸る気持ちを抑えるには、ありったけの力を費やすしかない。打ち立ての鋼鉄のように硬く熱したイヴァールの肌から、シノブは彼の猛り狂う心が伝わってくるように感じていた。
「ホリィが再び向かっています。状況次第でシノブ達が魔法の家で転移し救出します」
シノブに代わってシャルロットが国王達に説明をする。とはいえ彼女は、唐突に姿を現した二羽の金鵄族、マリィとミリィに触れることはなかった。それらが本質から外れているためだろうが、もしかすると、どういう経緯で仲間が増えたか伝えるのを面倒に思ったのかもしれない。
ホリィ達は一旦シノブの下に着いた後、再びアルマン王国の隠し港へと飛び立っていた。三羽はシノブから魔力を与えられ、全力飛行の帰還で失った分を取り戻している。そのため魔力や体力、疲労などの点では問題はない。
それに、謎の若者や彼の手下に発見されないための策も講じた。折角ドワーフ達の居場所が掴めたのだ。この好機を逃すわけはいかない。
◆ ◆ ◆ ◆
「そちらは任せよう。アルマン王国に関しては、そなた達の思う通りにして良い」
シノブ達の話を聞き終えたアルフォンス七世は、テーブルに置いていた封書を息子のテオドールに渡した。大きな封書は、金箔で縁取られた一目で重要文書だと判別できるものだ。
テオドールは、席を立ってシノブの下に歩んでくる。彼は、今までにも増して厳粛な表情をしていた。シノブも椅子から立ち上がり、王太子の到着を待つ。
「対アルマン王国に関する勅許状だ。フライユ伯爵シノブ・ド・アマノはアルマン王国に対し自由に作戦を立案実行して構わない。そして王国軍は最優先で協力する」
国王は淡々と勅許状に記された内容を語っていく。シノブ達がアルマン王国で救出作戦を行う以上、その行動の裏付けとなるものが必要だ。どうやら国王は、帝国の魔道具がアルマン王国に渡った可能性を知ったときに、この勅許状を用意したようだ。
「我が国の関与が公になっても問題ないよ。大神アムテリア様が定めた禁忌だからね。アルマン王国に文句は言わせない」
テオドールは封書を開けて羊皮紙に記された文章をシノブに見せながら、決然たる口調で語りかけた。
エウレア地方の国々では、最高神アムテリアの教えは固く信じられている。したがって、彼女が禁忌とした奴隷を抱えたという事実は、彼らにとってアルマン王国に一方的な宣戦をしても当然の理由であった。
これが友好国であれば、形式だけでも相手に問い合わせてからとなるのだろう。しかし奴隷となったドワーフ達がいたのは、商船に偽装したアルマン王国の軍艦が帰還した港だ。この状況で問うたら証拠隠滅されるかもしれない。したがって、強襲も辞さず、となったわけだ。
「では私から簡潔に。陛下のご決断を受け、ガルゴン王国とカンビーニ王国に発火の魔道具を供与することにした」
シノブ達が席に戻ると、南方海軍元帥であるオベール公爵クロヴィスが語りだす。
ホリィ達が再びアルマン王国に向かってはいるが、今度は全速力ではない。敵地に着いたときに備えて体力や魔力を残す必要があるからだ。したがって、まだ相談する時間はあるのだが、厳しい顔つきのクロヴィスは、普段より口早に説明していく。
「やはり……」
マティアスは、こうなると予想していたようだ。金獅子騎士隊の隊長として国王の護衛を務めていた彼は、当然ながらアルフォンス七世やテオドールの性格を熟知している。とはいえ彼の緑の瞳には、若干の驚きも混じってはいた。
火矢に使う軍用の発火の魔道具は、今までメリエンヌ王国とベーリンゲン帝国だけが持っていたものだ。それを友好国ではあるとはいえ、他国に提供するとは大胆な決断である。
そもそもシノブ達が独自に開発したものを除き、軍用の魔道具は王領内、それも王都メリエと三公爵が治める都市だけで製造されている。だが他国に供与すれば、いずれは複製品が出回るであろう。
しかしアルマン王国に帝国由来の発火の魔道具を使った火矢が存在する以上、これは仕方の無いことだ。アルマン王国との海戦には、彼の国と近いガルゴン王国も参戦するだろう。そのとき、一国だけ劣る装備で挑めというのも酷な話である。
「当面カンビーニ王国に危険はないから、そちらは我々南方海軍が輸送する。だが、ガルゴン王国にはシノブ殿にお願いしたい。磐船に積み込んでも良いが……」
そこでクロヴィスはアミィへと視線を向けた。彼は、アミィが魔法のカバンへの収納を希望すると思ったのではないか。
「魔法のカバンに入れます。梱包したまま磐船の前に積んで下さい」
「了解した」
アミィの返答にクロヴィスが頷くと、息子のオディロンが席を立って室外へと向かう。家臣に指示をするのだろう。
「西方海軍は第一種警戒態勢に入りました。既にアルマン王国やガルゴン王国との境には軍艦が向かっています。必要であれば如何様にもお使い下さい」
シュラール公爵ヴァレリーは、問題の海域に自身の指揮下にある西方海軍を向かわせたことを伝える。普段は温厚なヴァレリーも、別人のように鋭く顔を引き締めている。
まずは、事実上の敵国となったアルマン王国と接する海域に、牽制を兼ねて海軍を展開する。それにアルマン王国の偽装商船はガルゴン王国の領海に侵入しているから、そちらへの配備も必要だ。もちろん、これらの区域を全て見張ることは出来ないから、幾つかの船団に分かれて巡回することになる。
こうなると、大型弩砲を搭載した戦闘艦は担当の海域から離れることは殆ど無く、補給艦で食料や交代人員を運んで支える。ちなみに軍艦には高性能の創水や抽出の魔道具が搭載されているから、飲み物に関しては水以外、つまり酒などを運ぶのみで航行を継続できる。
「緊急時に陸まで戻らなくて済むのは助かりますね」
シノブは、思わず顔を綻ばせた。ホリィが発見した隠し港とメリエンヌ王国の領海で最も近い場所の距離は、150km弱らしい。金鵄族の彼女達は、その距離なら巡航速度でも二十分程度で移動できる。
「……後は、ガルゴン王国に着いてからのことだな」
シノブや公爵達が海軍との連携について語り終えると、アルフォンス七世は、明日からの訪問先に話題を転じた。
「ガルゴン王国には、フライユ伯爵領で開発した治療の魔道具を寄贈します。これは、先日陛下に献上したものと同じです」
シメオンは、ルシールが治療院で試験していた風邪などの治療に使う魔道装置について触れた。カンビーニ王国にも販売することになったこの装置は、当然ながらメリエンヌ王国内での使用も始まっている。
既に王宮にも数台が運び込まれ、大都市の治療院への販売も開始している。今のところは各都市に一台ずつ置かれた程度だが、今後はより広くに展開していく予定である。
「蒸気機関は、今のところ魔力が多い場所でしか使えないので見送りました。大魔力を蓄積する魔道具は、まだ大量生産には遠いですし、国内の分も不足していますので」
シノブが言うように、魔力で水を沸かす蒸気機関は、北の高地のような特別に魔力が濃い場所でしか使えない。魔力無線に使用する予定の大魔力を蓄積する魔道具を組み合わせれば使用可能だが、こちらは様々な理由で数量不足であった。
「このような事態になるのでしたら、軍用の魔道具が良かったのかもしれませんが……とはいえ勝手に他国に卸すわけにもいきませんし、人間が使用できるのは『解放の杖』や『解放の腕輪』くらいですから」
シャルロットが言うように、ミュレやハレール老人が開発した最初の軍用魔道具は『隷属の首輪』に対抗するものであり、奴隷を解放するような場面以外には役に立たない。しかも、続いて作った『解放の竜杖』や『無力化の竜杖』は、竜の強大な魔力がなければ意味が無い。
「元々、後回しにした穴埋めなのだから仕方あるまい。それに解放の魔道具には『隷属の首輪』から取り出した部品を用いたと聞いている。供与可能な品が出来るまでは、渡すことは難しいだろう」
アルフォンス七世は、蒸気機関については触れなかった。三人が挙げた中では、蒸気機関だけは見ていないからかもしれない。
「両国には我が国の魔術師を派遣するのが良いと思います。大使館の駐留武官という扱いで魔術が使える軍人に『解放の杖』を持たせましょう」
国王に答えたのはシメオンだ。彼は、この件についての落とし所を考えていたらしい。解放の魔道具は帝国の攻略に全面的に使用しているし、万一メリエンヌ王国内に帝国の残存勢力がいたときに備え、各地の軍にも一定数配備している。
もちろん、普段から軍人が持ち運ぶような品ではなく厳重に管理されている。しかし、ここ都市オベールの軍本部にも、かなりの数があるはずだ。
「シノブ殿、それでは配下の軍人を何人か預けよう。彼らをガルゴリアに運んで頂きたい。それから……」
「済みません、ホリィからの連絡かもしれません」
通信筒の振動を感じ取ったシノブは、オベール公爵クロヴィスの話を遮った。通常なら失礼極まりない行為だが、ホリィからの連絡であれば一刻を争うものかもしれない。そのため、クロヴィスも当然という顔で口を噤み、シノブに頷いてみせる。
「ホリィでした。私達も現地に移動します」
通信筒から紙片を取り出したシノブは、決然とした表情で立ち上がった。もちろんイヴァールも同様で、弾かれたように席を立っている。そしてアミィ、シメオン、マティアスの三人も、出立すべく二人に続いた。
「シノブ、成功を祈っている」
「気をつけて下さい」
見送る側も起立して敵地に赴く一同を激励する。アルフォンス七世は王に相応しい威厳と共に短く、シャルロットは僅かに不安を滲ませつつも笑顔を作って言葉少なく。そして王太子や公爵達も、それぞれ一言だけ言葉を掛けた。
彼らは皆、軍人である。
シャルロットは長く軍務に邁進してきた。それに公爵達は海軍元帥だ。国王は君主であると同時に全王国軍の頂点に立つ存在で、王太子はその後継者である。その彼らは、戦いに向かう戦士に余計な言葉は要らないと理解しているのだろう。
「陛下、テオドール様、失礼します。シャルロット、後を頼む」
シノブも妻を心配させないように、敢えて笑みを浮かべつつ答える。そして彼は足早に会議室から立ち去っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
真っ青な空と、その下の輝く青い海。その間を縫うように、一羽の青い鷹が一直線に飛翔している。うねりも無く穏やかな海面近くを飛ぶ鷹は、前方に浮かぶ岩礁を目指しているようだ。
──ホリィ、呼び寄せのための場所は作っておいたわよ──
──任務完了です~──
マリィとミリィは、岩礁に戻ってきたホリィに思念で呼びかける。
ここは、隠し港から脱出した直後にシノブに紙片を送った場所だ。隠し港から10km程度と近く、しかもそこそこ大きな岩礁は魔法の家を呼び出すだけの広さがあった。しかも海面からは数mはあり、よほどの大波でなければ上を濡らすことは無い。
とはいえ、その上面は完全に平らではなかったので、マリィとミリィが風魔術で整えていたのだ。
──助かります。知らせを送ってから十分近いですね。そろそろ連絡があるでしょう──
岩礁に降り立ったホリィは、二羽に答えを返す。彼女は、既に通信筒を使って港の様子を記した紙片をシノブに送っていたのだ。
──透明化の魔道具があって良かったわね。少し大きいけど──
マリィはホリィの足に装着している大きめの筒へと視線を向けている。実は、アミィはホリィのための透明化の魔道具を試作していた。まだ改良中で通信筒の三倍近く大きい上に魔力の消費も激しいが、鷹一羽の姿を隠すことは出来るものだ。
今、ホリィは前々から嵌めている普通の鷹に姿を変える足環に加え、逆の足に同じような環を装着し、そこに透明化の魔道具をぶら下げていた。
──でも、一つしか無いです~。私達の分もあればお手伝い出来たのに~──
ミリィは、少々不満そうな思念を漏らしていた。アミィも、ホリィ以外の金鵄族が増援として来るとは思っていなかったようで、試作品は一つしかなかったのだ。
──すぐに貴女達の分も作ってくれますよ……しかし、ドワーフ達を発見できなかったのは残念です。それに、あの者達も──
ここに戻ってくる間に、ホリィはマリィとミリィにも概要を伝えている。彼女達は、思念でやり取りを出来るから、顔を突き合わせて相談する必要はないのだ。
──奥にいる可能性はあるわよ。それに、船の中も全てを見たわけじゃないんでしょ?──
マリィが言うように、短時間ということもありホリィは全てを確認したわけではなかった。
人工的に造られた洞窟の奥の隠し港には、相変わらず偽装商船が停泊していた。ホリィが謎の若者やその配下と戦ったときには奥の横穴の中に消えていた乗組員達も、再び船に戻っている。どうやら船の整備は終わったようで、彼らは荷の積み込みをしている。おそらく、食料など航海に必要な品を運んでいるのだろう。
だが、ドワーフ達やホリィと戦った者達の姿は港には無かったのだ。
──ええ。でも、たぶん船内にはいません。『隷属の首輪』の魔力を感じませんでした。横穴の奥は流石にわかりませんが──
ホリィには透明化の魔道具があるとはいえ、それで姿を消せるのは彼女だけだ。
そして、奥の通路は、ひっきりなしに乗組員が出入りしている上に、その先には扉で区切られた区画が幾つも存在する。もし扉が勝手に開いたら怪しまれるだろう。そのため、ホリィは奥の調査を断念したのだ。
──シノブ様なら、秘密基地にいる人全てを催眠の魔術で眠らすことが出来ますよ~──
──ホリィ、準備が出来た! 呼び寄せてくれ!──
ミリィの思念に被さるように、都市オベールにいるシノブが魔法の家を呼び寄せるように伝えてきた。オベールは、三羽が思念で伝達可能な距離の五倍近くはある。しかしシノブの思念は、すぐ隣で発したかのように鮮明であった。
──流石、シノブ様ね──
──呼び寄せは私がやります~──
若干呆れ気味のマリィを他所に、ミリィは自身が呼び寄せると名乗りを上げた。
そして翼を羽ばたかせて二羽から離れたミリィの前に、魔法の家が出現した。紺碧の海に浮かぶ岩礁に突如現れた小さなレンガ造りの家は、潜入作戦などとは無縁の長閑な雰囲気を醸し出していた。
◆ ◆ ◆ ◆
ホリィに先導されたシノブは、アミィと共に隠し港へと移動した。ホリィは魔道具で、シノブ達は背負ったアミィの幻影魔術で姿を消した。そして、シノブは重力魔術で港へと飛翔していったのだ。
「全員眠らせた筈だ。少なくとも動き回っている人間はいない。それと港の中にいるのは普通の人間だね。変な魔力は感じないし、『隷属の首輪』の魔力も無い」
シノブは、港に呼び寄せた魔法の家から飛び出してきたマティアスに状況を伝える。
念のため、シノブは三つの神具を身に着けていた。そして彼は、三つの神具の一つである光の大剣で魔力を増幅し、この付近一帯にいる人間に対し催眠の魔術を行使した。流石のシノブも魔力で起きているか寝ているかを判断することは出来ないが、魔力の位置に変化が無いのは確かである。
なお、この辺りは人家も無い場所であり、地上は草原が広がっているだけだ。もしかすると、軍の演習場か何かなのかもしれないが、いずれにしても巻き込まれるような者は存在しなかったようだ。
「急いで捕縛しろ! 閣下、ここはお任せください!」
今回、マティアスが率いているのは、磐船で共に来たアルノー・ラヴランやジェレミー・ラシュレー達とオベール公爵の配下の、合わせて百五十名ほどの軍人達だ。
現在の魔法の家には、居住区の手前に土足で入れる石畳の大広間がある。この大広間は三百名も入れる上に、居住区と鍵の掛かる扉で隔てられた輸送向きの場所である。
「ああ。ここが済んだら奥の捕縛に回ってほしい。……それじゃ行こうか。アルバーノ、頼むよ」
「お任せあれ!」
シノブの命を受けたアルバーノは、綺麗な礼を返した。そして彼は自身の配下達と共に、奥へと続く通路に駆けていく。
「シノブ、ドワーフはいるか? 『隷属の首輪』の魔力でも良い」
右手に戦斧、左手に戦棍を構えて足早に進むイヴァールは、前方を睨んだまま低い声で尋ねた。完全に戦闘態勢に入ったドワーフの超戦士の放つ殺気は恐ろしいまでに研ぎ澄まされており、並の者が見たら金縛りになりそうだ。
「ドワーフの見分け方までは……いや、あっちにイヴァールと似た魔力があるな。『隷属の首輪』も同じ位置だ。でも数が少ない。十人くらいか?」
シノブは、アミィの周囲を飛翔している三羽の金鵄族へと視線を向けた。青一色のホリィと尾羽に白い筋があるマリィ、同じく薄桃色の筋が入ったミリィと、彼女達は外見でも区別は可能である。もっともシノブやアミィは魔力で見分けることが出来るから、仮に色の違いが無くても二人には関係ない。
──お伝えしたように、数十人はいました──
──私も目にしましたわ──
──私もです~──
ホリィ、マリィ、ミリィは口々に答える。なお、マリィとミリィも『アマノ式伝達法』を使って鳴き声でも表現している。彼女達は、神界にいる間に習得したらしい。
「ホリィ殿を攻撃した者達が、残りを連れ去ったのでしょうか?」
「そうだろうね。ここには魔術師らしい魔力は無いから……少なくとも、半径1km以内にはいないようだ」
シメオンの問いかけに、シノブは改めて周囲を探って答える。通路の先には二百名近い人間の魔力が存在するが、それらは常人の範疇だ。
「ともかくドワーフさん達のところに行きましょう! ……あの部屋ですね!」
どうやら、アミィにも『隷属の首輪』の魔力が感じ取れたようだ。
アミィやホリィ達の魔力感知能力は、シノブに比べて距離や精度がかなり劣る。とはいえ、通常の魔術師からすればアミィ達でも二つか三つ桁が上である。アリエルなどの優れた魔術師でも、至近距離で充分に精神を集中しなければ、魔力だけで魔道具の種類を判定することは出来ないのだ。
「ここか! おお、いたぞ!」
イヴァールは扉を戦棍で叩き破って開けていた。どうも、開ける手間も惜しかったようだ。彼は、そのまま室内に駆け込んでいく。
「イヴァール……」
「全員じゃないけど、発見できて良かったですね」
苦笑するシノブに、アミィが微笑みかけた。
おそらく、ここは倉庫か何かなのだろう。広い室内には大きな木箱が数え切れないほど積まれていた。殆どが壁際に寄せられているが、幾つか壁から離れた場所に置かれている。
そして、部屋の中央には十名のドワーフが固まっていた。シノブの催眠の魔術が効いたのだろう、倒れ伏した彼らは眠っているようだ。
「下がれ! 光鏡よ、矢を!」
シノブは、唐突に声を張り上げた。イヴァールが部屋の半ばくらいまで入ったとき、壁から離して置かれた木箱が一斉に開いたのだ。その中から現れたのは、矢を装填した大型弩砲である。
それを見たシノブは、イヴァールを制止した後、光の盾から複数の光鏡を出現させ前方に紫電の速度で移動させる。
「間に合った!」
シノブが送り出した光鏡は、全ての矢を無事に吸収していた。どこから相手が来ても対応可能にするためか、室内の大型弩砲は室内の各所に向けられていたが、その矢は全て光鏡によって消え去ったのだ。
「済まん……」
大きく跳び下がったイヴァールは、シノブ達に振り向き悔しげな表情で詫びていた。まんまと敵の罠に嵌まったことに、大きな屈辱を感じたのだろう。
「アルバーノさん! 罠に気を付けて下さい!」
アミィは、通路に出ると声を張り上げる。彼女は他の部屋を捜索する者を心配したようだ。
「アミィ殿、ありがとうございます! こちらは今のところ何もありませんが」
アルバーノは、少し港に近い部屋から顔を出して答える。彼は、近くにいた部下に何事か伝えてから駆け寄ってきた。
「無事で良かったよ。どうも、ここは発火の魔道具の格納庫のようだね。ほんの少しだけど、箱の中に魔力が吸収されている」
その間に、シノブはシメオンとイヴァールに発火の魔道具の原理を説明していた。
発火の魔道具は着弾の衝撃で点火するもので、点火機構は機械式である。しかし、放出される炎自体は内部に蓄積された魔力によるものだ。火力は大きいが一瞬の間に放出されるため、蓄積している魔力量はさほど大きくない。そのため、自然吸収による魔力で問題が無いのだ。
「火矢が命中したら更に衝撃で発火して大火事ということか? こんな密閉された部屋だと、木箱や詰め物に燃え移って大爆発しそうだな……だが、これで終わりなのか?」
「そう幾つも仕掛けている時間は無かったと思いますが……機械式の罠だと、シノブ様達の魔力感知でも掴めませんね」
イヴァールの呟きに、シメオンが答えた。
おそらくイヴァールは、何らかの仕掛けに触れたのではないだろうか。そう思ってシノブが前方を注視すると、髪の毛のように細い糸が張り巡らされていた。
「光鏡で転移させよう。少し乱暴だけど」
シノブは通路に一枚の大きな光鏡を出し、胴くらいの位置で床に水平に固定する。そしてドワーフ達の上にも、同じ大きさにしたものを持っていく。
ドワーフ達の上の光鏡が床すれすれに下がると、室外に出した光鏡の下から彼らが出現し通路に落下する。しかしドワーフ達の眠りは深いのか、彼らが起きる様子は無い。
「ともかく、これで十人助けられたね。後は、ここを調べて一旦引き上げるか。他の人達がどこに連れて行かれたのか、それはホリィ達に探ってもらおう」
──わかりました!──
──必ず見つけますわ!──
──アムテリア様に代わってオシオキです~!──
シノブの呟きを聞きつけたホリィ達は、それぞれ鋭い鳴き声を上げて意思表示する。彼女達は、人質を餌に罠に掛けるようなやり方に憤慨したようだ。
だが、それを聞いたシノブ達は、思わず笑いを零していた。ホリィとマリィはともかく、ミリィの決意表明は、何というか深刻な場にそぐわないような気がしたからだ。
彼女の口にした言葉は別段変なものでは無いが、その思念は何とも和むものであった。『アマノ式伝達法』では、その辺りのニュアンスは伝わらない筈だが、お仕置きという言葉にイヴァールやシメオンも意表を突かれたのかもしれない。
一部だがドワーフを救い出した喜び故だろうか。シノブ達は、いつしか大きな声で笑い出していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年11月13日17時の更新となります。