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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第14章 西海の覇者達
301/745

14.16 帝国の亡霊

 ガルゴン王国に向かう磐船には、猛烈な嵐が訪れていた。といってもそれは船外のことではない。船内に、怒りの嵐が吹き荒れているのだ。それは、ベーリンゲン帝国の『隷属の首輪』が己の同族に使われているかもしれないと知った、ドワーフの戦士イヴァールの憤怒の暴風であった。


「シノブ! 今すぐ乗り込むわけには行かんのか!?」


「まだアルマン王国と決まったわけではない! それにアルマン王国だとして、どこに行くんだ!?」


 激怒のあまり顔を真っ赤に染めたイヴァールの肩を、シノブは両手で押さえながら叫び返した。

 今、シノブはかなりの魔力を注ぎこんで身体強化をしている。もちろん、彼の全魔力からすれば僅かなものだが、過去に人間相手に使ったことが無いほどの強化をしているのだ。しかもイヴァールより体重の軽いシノブは、密かに重力魔術を使ってまで彼を押し留めていた。


「イヴァール殿、短慮はいけません!」


「そうです! せめてホリィが場所を突き止めてからにしましょう!」


 シャルロットとアミィも、イヴァールを(なだ)めようとした。

 磐船の甲板の上に設けられた司令官用の上等な船室には、使節団の主だった者が集まっている。四人の周囲には、ミュリエルやセレスティーヌも心配そうな顔で立っているし、フライユ伯爵家を支える子爵夫妻、シメオンとミレーユ、マティアスとアリエルも二人の後ろに控えている。


 それに、ガルゴン王国の大使の息子ナタリオやカンビーニ王国の大使の娘アリーチェ、エルフのメリーナなどもいた。

 奴隷はアムテリアが禁忌とするものだ。そして『隷属の首輪』は帝国の奴隷制度を支えるものであり、その流出は各国にとって見逃すことの出来ない問題である。

 そこで、シノブはそれぞれの国の窓口となる人物も呼び集めたのだ。


「だが! こうしている間にも!」


 イヴァールが更に力を込めたのか、ギシリと床が軋む。

 彼は1tものバーベルを持ち上げ、戦槌を振るえば分厚い鉄の扉や岩壁を打ち砕く。押さえつけるシノブも身体強化と重力魔術で対抗しているが、このままでは先に床が耐え切れなくなりそうだ。


「イヴァール、落ち着いて! 慌ててもどうにもならないわ!」


 駆け寄ってきたのはイヴァールの妻、つまりティニヤである。そして彼女は小さな両の手で夫の大きな(こぶし)を包み込み、荒れ狂う心に届けとばかりに声を張り上げた。


「ティニヤ……」


 新妻の諫言(かんげん)は、激昂したイヴァールの心に届いたようだ。彼は己の右手に(すが)るティニヤに顔を向け、僅かに冷静さを取り戻した声で、その名を呟いた。


「このままだと磐船が壊れてしまうわ。貴方の大好きな磐船よ?」


 ティニヤは、冗談交じりの口調と共に微笑んでみせる。するとイヴァールは意表を突かれたように目を見開き、全身の力を抜いていった。

 ドワーフの女性は少女のように小柄で、十歳のミュリエルと大して変わらぬ背丈だ。しかしシノブの目には、夫の怒りを見事に和らげたティニヤが一回り大きく見えていた。


「ホリィには思念で連絡した。それにイジェにも急いでくれと伝えた。これから、皆にも通信筒で知らせる。決してこのままにしないし、ドワーフ達が囚われているなら居場所がわかり次第助け出す」


 身体強化と重力魔術を解除したシノブは、イヴァールの肩から手を離さず語りかけた。

 妻に(いさ)められたイヴァールは、もう暴走しないだろう。憤怒で染まっていた彼の顔には赤みはあるものの、それは温かさを伴うものとなっている。濃い茶色の瞳も、普段の彼のものに戻っていた。それ(ゆえ)シノブは彼が再び激発することはないと確信していた。

 しかしシノブは、言葉以外でも自身の思いを伝えたかったのだ。己の(おもて)に浮かぶもの、見据える視線、掌から伝わる温もり、それらの全てで友と呼んでくれる男と語り合いたい。そう、ティニヤのように。彼は、そう思ったのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「シノブ、済まなかった」


 イヴァールは、激昂した己を恥じたようだ。冷静さを取り戻した彼は、静かに謝罪の言葉を口にした。それを聞いたシノブ達、特に見守るばかりだったミュリエルやセレスティーヌは安堵の笑みを浮かべている。


「良いんだ。アルマン王国に帝国由来の魔道具があるのは確かだ。義伯父上からの知らせだと、宰相が密かに作らせていた魔道具が、アルマン王国に渡すためのものだった可能性は高い。

この状況なら、向こうに行ったドワーフ達が『隷属の首輪』で縛られていると警戒すべきだろう。だが、念のために他の国にも伝えるべきだ」


 まだ不確かな点はあるが、シノブが言うように可能性は充分にある。

 ベランジェ達の調査で、旧帝都のデルッシュ商会が極秘に新規の魔道具を製造していたことは判明している。そして、これが今は亡き帝国の宰相の指示というのも確かなようだ。

 強化や隷属などの魔道具は、帝国の軍や奴隷制度を支えるものであり、一般に卸すことは出来ない。しかし、これらや魔力障壁に治癒などの魔道具が帝国軍以外に渡り、そして魔道具技師もどこかに行ったらしい。

 一方、これらの動きと重なるように、アルマン王国に帝国製と思われる魔道具が現れた。そして、アルマン王国に渡って帰ってこないドワーフがいる。これらを繋ぎ合わせれば、アルマン王国に行ったドワーフ達が『隷属の首輪』で従えられたと思うのは当たり前だ。しかし、それ以外の用途に使われたかもしれない。


「デルッシュ商会が造った魔道具の輸送先で判明しているのは我が国だけですが、その先は、どこにでも行けますからね」


 シメオンの指摘は、シノブも懸念するところであった。

 帝国から陸路で他国に行く場合、メリエンヌ王国を通過するしかない。したがって、アルマン王国に渡ったなら、メリエンヌ王国を抜けて行ったに違いない。何しろ昨年王都メリエで帝国の間者を捕らえたくらいだ。そこまで侵入したなら、王領の西海岸に抜けアルマン王国に渡ることも可能であろう。


 だが、その行き先がアルマン王国だけとは限らない。エリュアール伯爵領を通ってエルフのデルフィナ共和国、マリアン伯爵領を経由してカンビーニ王国、ベルレアン伯爵領を抜けてヴォーリ連合国に行くことが出来る。そして王領の山脈か海を越えてガルゴン王国もありえる。

 実際に、ベルレアン伯爵領には帝国の手先が現れシャルロットを暗殺しようとした。それも、ヴォーリ連合国との国境を守るヴァルゲン砦にだ。


「エルッキ殿には通信筒を渡しているから、それを使う。シルヴェリオ殿にも。エルフはタハヴォ殿を経由してファリオス殿かフィレネ殿に託そう。ヨルムにアレクサまで送ってもらう」


 ヴォーリ連合国の大族長エルッキには、以前から通信筒を渡している。そしてカンビーニ王国の王太子シルヴェリオにもつい先日渡した。

 まだエルフで通信筒を持つ者はいないが、北の高地にはメリーナの兄ファリオスや従姉妹のフィレネがいる。したがって同じく高地に住むタハヴォに知らせを送れば良い。イジェに思念で概要を伝えたときに一緒に聞いていたオルムルが、母のヨルムに二人の故郷の集落アレクサまで運んでもらうようにと勧めたのだ。


「連絡する(ふみ)は私とシノブ様が用意します。それぞれ、署名をお願いします」


 アミィは、そういうとテーブルの上に三枚の羊皮紙を広げ、その上に幻影を出した。そして、彼女に魔力を注いだシノブが、上からレーザーで文面を焼き付けた。以前、ミュリエルやミシェルに送った絵の応用である。これなら、手書きで書くより何倍も早い。


「おお……首輪の絵図面も載せているのか」


「それに、こんなに細かい注意書きまで……」


「これなら見分けることが出来ます」


 感嘆の表情となったイヴァールとアリーチェ、そしてメリーナは、それぞれの余白に署名と伝言を書き添えていく。


「親父なら大丈夫だと思うが……念のために慌てるなと書いておくか」


 イヴァールが追記したのはエルッキに送る(ふみ)だ。自身のことを棚に上げつつ急ぎ書き記した彼は、己の通信筒に仕舞っていく。


「マリエッタ様でなくて良いのですか?」


「今のマリエッタは、公式には私の側仕えですから。領事館からの方が良いでしょう」


 遠慮するアリーチェに、シャルロットが頷いてみせる。そしてシャルロットは、署名が加えられた紙片を通信筒に入れ、一瞬だけ目を(つぶ)った。


「兄上ではなく、フィレネにします」


「ああ、その方が良いかもね」


 メリーナの兄ファリオスは植物の栽培には特別の才を見せるが、多少偏りのある人物だ。そのため彼女は、使者として一緒にフライユ伯爵領に訪れたフィレネに託すことにしたようだ。

 そしてシノブは、メリーナが署名した(ふみ)を通信筒に仕舞いタハヴォの下に送る。これはエルフの族長の一人でメリーナの祖母であるエイレーネに宛てたものだ。

 更にシノブは、遥か遠方の岩竜ヨルムに心の声で事情を説明していく。ここから北の高地まで思念が届くのはシノブだけだから、彼が伝えるしかないのだ。

 ヨルムの棲家(すみか)は北の高地にありタハヴォのいるアマテール村や、ファリオスとフィレネが暮らし始めた学校にも近い。しかもヨルムなら、片道三時間程でエイレーネの住む集落アレクサまで移動可能だ。これなら、今日中に伝えることが出来る。


「……後は、我が国ですね」


 ナタリオは固く(こぶし)を握りながら、誰に言うともなく呟いていた。

 ガルゴン王国には、まだ直接連絡をする(すべ)が無い。もっとも現在磐船が向かっているのはガルゴン王国であり、明日には港湾都市バルカンテに到着する。


「明日は日の出前に出発しよう。先触れを追い抜くかもしれないが……」


 シノブは、もう一つ文書を記しながらナタリオに語りかけた。

 メリエンヌ王国は、先行してバルカンテに使者を送っている。二日前にアルマン王国の偽装商船を確保した直後、シノブは王太子テオドールに予定の繰上げを伝えた。そしてテオドールは自国の港湾都市ブリュニョンに『アマノ式伝達法』で緊急指令を送り、そこから足の速い軍艦をバルカンテに向かわせたのだ。

 この地方の国々は軍艦も商船も帆船であり、航海は風任せだ。なお今の時期だと、ブリュニョンからバルカンテは速度優先の軍艦で最短二日らしい。したがって運が良ければ今日の夕方には到着、通常なら明日だという。


「テオドール様にも、念のためお知らせしておく。早く伝えて悪いことは無いからね」


 シノブが書いていたのは、テオドール宛の(ふみ)であった。イジェが速度を上げたから都市オベールに着く時間がだいぶ早まる。それもあってシノブは知らせておくことにしたのだ。


 とりあえず、打てる手は打った。今更ガルゴン王国への訪問を取りやめるわけにはいかないし、イヴァールに言ったとおり、アルマン王国の内情やドワーフ達がどこでどうしているかも不明である。

 もちろんシノブにも焦りはある。しかし、自分が動揺したら周りにも影響する。そう思った彼は、アルマン王国を調べているホリィからの情報を待つべきだと、己に言い聞かせていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 その頃、ホリィはアルマン王国の隠し港を発見していた。

 当初、偽装商船は王都アルマックへと帰港するように見えた。アルマックはアルマン島の東海岸にあるのだが、偽装商船が船を襲っていた海域に最も近いから、アルマックに戻るのが最も妥当だ。

 しかし彼らはアルマックや若干南の港湾都市オールズリッジには向かわなかった。彼らの行き先は、オールズリッジから更に南の人気の無い海岸、断崖絶壁の間に入り組んだ入り江が続く場所であった。そして偽装商船は、何と断崖に空いている洞窟の一つに入っていったのだ。


──まさか、こんなところに港があるなんて……入り口付近は自然の洞窟に似せていますが、中の天井はそのままですね。元からあった入り江に屋根を架けたのでしょうか──


 ホリィは、(あき)れたような心の声を漏らしていた。彼女は一人で行動することが多いので、ついつい独り言を思念に乗せてしまうようだ。もっとも彼女の思念はごく僅かな魔力波動であり、仮に近くにアミィなどの受け手がいても、気が付かないくらいの小さなものであったが。


──上からは普通の草原に見えましたが……これなら見つからないのも無理はありませんね──


 ルシオン海の調査にホリィが乗り出してから既に十日と少々過ぎている。しかし偽装商船の母港は今まで不明なままだった。彼女もアルマン王国の港を周って調べていたが、港には商船など沢山あるし、その一隻一隻を調査するわけにもいかない。


──普通の軍港で商船を整備したら目立つからでしょうか──


 ホリィは、軍港の船渠(ドック)に潜入するなどしてみたが、そちらも偽装商船らしきものは無かった。

 最初ホリィは、海上の偽装商船が帰港するのを追跡するつもりであった。しかし、彼らは長期の航海を想定していたようで、一向に戻る気配を見せなかった。そのため、時折アルマン島に渡り、問題の海域に近い東海岸の港を調べていたのだが、どうやらそれは的外れだったようだ。


──困りましたね……隠れるところがありません──


 ホリィは、足環の魔力で金鵄(きんし)族本来の青ではなく茶色の鷹に姿を変えている。しかし大空を舞う鷹が、こんな洞窟に潜入するのは不自然だ。

 洞窟は全長25mもの帆船が入港できるだけあって、天井までは非常に高い。おそらく水面から天井までで30m以上あるだろう。そして船が通るだけあって洞窟内は広々とし、更に上は人工の天井だから突起や窪みなどは存在しなかった。

 幸い、入り口からの水路には常設の灯りは存在しなかった。入港する偽装商船は曳船に曳航されていったが、それらは灯りの魔道具で周囲を照らしながらゆっくりと進んでいた。そのため、最後の船から遅れて飛んでいくホリィに気が付くことはなかっただろう。

 しかし、この先の船渠(ドック)に着けば発見される可能性は高くなる。そう思ったのだろう、彼女は天井近くを目立たないように飛翔していく。


──これは……十隻は接岸できますね──


 ホリィの目の前に広がっているのは、入り口からは想像も出来ないくらいの立派な港であった。天井があり、支えるための柱が一定間隔で存在する以外は普通の港と変わらない。


──ドワーフです! しかもあれは!──


 ホリィは、数十人のドワーフを発見していた。そのドワーフ達は、首まで覆う作業着を身につけていたが、高度な魔力感知能力を持つホリィは、彼らが『隷属の首輪』を装着していることを見抜いたのだ。

 ドワーフ達は巨大な洞窟の最奥にある、小さな横穴から姿を現した。そこは、地上に通じる通路か、それとも更に奥の倉庫か待機所に繋がっているのであろうか。

 横穴から二列になって出てきたドワーフ達は、無言で入港してきた船へと散っていく。


──やはり、シノブ様が懸念されていたように奴隷となっていたのですね……これから船や武器の整備をするのでしょうか?──


 ドワーフ達は、どうやら造船技師や武器職人らしい。彼らは、接岸した船に乗り込み船内の確認を開始する。ある者は船の帆を操る綱や舵輪などを調べ、別の者は船内に姿を消したかと思うと舷側の隠し窓を開け、大型弩砲(バリスタ)を下に降ろす準備をし始める。

 だが、いずれも言葉を口にせず、黙々と作業を続けていく。ドワーフには寡黙な者も多いのだが、全く無言というのは異様である。何より、彼らは作業を楽しんでいるとは思えない。

 ドワーフの職人達は己の仕事や製品に強い誇りを持っている。そんな彼らは、無言であっても生き生きと、そして喜びと共に働くのが常であった。しかし、ここにいるドワーフ達からは、そういった心の動きが感じられないのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「おや、あんなところに鷹がいるよ」


 洞窟の奥深くから、若そうな男の声が響いた。

 天井近くからドワーフ達の様子を探っていたホリィは、少しばかり注意が(おろそ)かになってしまったのだろうか。新たに現れた誰かに、発見されてしまったようだ。


──不覚です!──


 ホリィが奥に向き直ると、そこにはフードつきのローブを(まと)った一行がいた。

 一行は先頭の人物だけがフードを下ろし顔を顕わにしているが、他は目元だけしか見えない。先頭の者は黒の短髪で、まだ二十歳(はたち)前の若い男性のようだ。ローブを着ているせいで体格は判断しがたいが、背丈はシノブなどと同じくらいで180cmは超えているようだ。

 後ろの二十数名は同じくらいの者から若干背の低い者とまちまちだが、こちらは更に体格が判然としない。先頭の若者とは違い、続く者達はローブの中に何か着込んでいるのか、少々膨れ上がっているのだ。もしかすると、甲冑でも着用しているのかもしれない。

 そのためホリィには、先頭の者以外は年齢性別の双方とも(つか)めないままであった。ただし全員魔力が非常に小さく、特殊な魔道具で隠蔽しているか練達の魔術師で自身の魔力を隠すことが出来るかだと思われる。


──ここは退()きましょう!──


 もっとも、ホリィは悠長に観察していたわけではない。それらを一瞬で見取った彼女は、外に向かっての飛翔を始めていた。

 何しろローブの者達の魔力は、常人のものとは思えない。それに先頭の若者は、普通の鳥が迷い込んだとは思っていないようだ。興味深げな口調ではあったが、表情は鋭く茶色の瞳は笑っていない。それどころか、美青年といっても良さそうな整った顔をホリィに向けた彼は、何か不吉な気配を漂わせている。


「逃がさないよ!」


 黒髪の若者が指示するまでもなく、フードを被った者達は既に攻撃に入っていた。(いず)れも右手を掲げ、そこから青白く光る火球を放っていく。そして火球は、途轍もない速度でホリィに迫り、彼女の行く手を(さえぎ)った。


──くっ!──


 かろうじて躱したホリィだが、次々と放たれる火球に進路を塞がれ出口に向かうことは出来なかった。そこでホリィは降下を試みるが、これも妨害されて上手くいかない。

 偽装商船は木造だから火には弱い。それ(ゆえ)ホリィは盾にと試みたようだが、相手も読んでいたのだろう。

 散開したフード付きの一同に周囲から攻撃され、ホリィは逆に奥へと追い詰められてしまう。二十数人に囲まれての連携では、流石のホリィも脱出すら難しい。


──魔力障壁を全体に張り巡らすわけにはいきませんし……このままでは!──


 ホリィの飛翔は重力魔術の併用ではなく、鳥本来の飛翔に風魔術を合わせたものだ。したがって周囲を魔力障壁で完全に覆ってしまえば、翼で揚力を得ることは出来ない。

 そのためホリィの魔力障壁での防御は、瞬間的に張るか方向や大きさを限定するかである。しかし、周囲から連続して攻撃されては広い面積を覆い続けるしかない。そうなれば自然と速度も落ちるし、飛翔可能な方向も限定される。


「これは面白い獲物だね。でも、これで終わりだ!」


 若者は嗜虐的な笑みを浮かべると、自身も大きな火球を放った。しかも周囲に散った者達も、一際大きな火の玉を打ち出している。


──シノブ様、アミィ!──


 ホリィの思念が届く範囲は、半径およそ150kmほどだ。したがって、都市オベールを目指す磐船に伝わることは無い。しかし彼女は、絶体絶命の危機に主と同輩の名を呼ばずにはいられなかったのだろう。


──ホリィ!──


──遅くなりました~!──


「な、何だ!?」


 余裕たっぷりだった黒髪に茶色の瞳の若者は、初めて動揺を表していた。何と新たな鷹が二羽現れ、それと共にホリィを守るように激烈な突風が吹き荒れたのだ。

 二羽の鷹は、外見上はごく普通の茶色の鷹だ。しかし、ただの鷹に思念での会話や風魔術が使えるわけはない。やはり、ホリィと同じ金鵄(きんし)族なのだろう。


──さあ、脱出するわよ!──


──早く~!──


 二羽の鷹は、火球を放とうとする者達に再度の突風をぶつけながら思念を発した。それはホリィも使う風魔術だが、不意打ちが功を奏したらしく新たな火球は押し戻されていく。


「くっ、お前達、やめろ! こちらが燃えてしまう!」


 黒髪の若者は、悔しげな声で攻撃の中止を命じていた。

 彼が言うように、こうなっては不用意に火球を放つことは出来ない。何しろ、撃った火の玉が大嵐を超える突風で押し戻されてくるのだ。ローブの中身に何を着込んでいるかは知らないが、仮にローブに燃え移れば火達磨だ。


──助かりました!──


 ホリィは一瞬のうちに加速すると、矢のような速度で出口に向かっていく。そして二羽の鷹も、呼吸を合わせたかのように続いていった。

 暴風に手を(こまね)いていたローブの者達は、再び火球で攻撃しようとする。しかし、彼らが攻撃態勢を整えたときには、三羽の鷹の姿は洞窟内から消え去っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



──マリィ、ミリィ、いつこちらに来たのですか?──


 洞窟から飛び出したホリィは、青い鷹に戻り全速力で東へと向かっていた。彼女の両脇には、救出しに来た二羽の鷹が、先ほどとは違う青い姿となって並んでいる。やはり二羽は、ホリィと同じ金鵄(きんし)族だったのだ。


──つい先ほどですよ~──


──ミリィの言う通りよ。シノブ様の行動範囲も広がったから、偵察担当も増やすことになったの──


 どうやら、最初に答えた方がミリィ、もう一羽がマリィというらしい。思念の様子からするとミリィの方が若干幼いような印象を受けるが、体の大きさなどは三羽とも同じようである。

 ただ、全身青一色のホリィとは違い、マリィは尾羽に白い筋、ミリィも同じく尾羽に薄桃色の筋が入っている。それが無ければ、三羽を外見で区別することは不可能だろう。


──ホリィ、ここまで来れば大丈夫だわ。シノブ様に通信筒で連絡を──


 マリィが三羽の中で一番年長なのか、あるいは(まと)め役なのか、ホリィやミリィの答えを聞かずに前方の岩礁へと向かっていく。


──この岩礁の上なら、紙に印を刻むくらいは出来そうですね──


──これで少し休めます~──


 もっとも、ホリィとミリィに異存は無かったようだ。二羽も一直線に岩礁に向かっていく。

 そして三羽は、海岸から10kmは離れたところにある岩礁に降り立った。ここなら、空を飛べでもしない限り短時間で追いかけてくることは不可能だろう。


──『隷属の首輪』が残っていたなんてね──


──シノブ様が、東の面白公爵さんから連絡を受けていましたね~。アムテリア様から教えてもらいました~──


 ホリィが紙片に『アマノ式伝達法』に則った印を刻んでいく横で、マリィとミリィが心の声で会話をしている。ちなみに、二羽も足環を着け、そこには通信筒がぶら下がっている。したがって、マリィかミリィがシノブに連絡をしても良さそうなものではある。


──ええ、私もシノブ様の思念を受けました。それで、少し焦ってしまったのかもしれません──


 そう答えたホリィは、印を刻んだ紙片を魔力で宙に浮かし、通信筒へと仕舞った。そして彼女は、何かを念ずるように通信筒を注視する。おそらく、シノブの下に紙片を送ったのだろう。


──ホリィ、貴女は一人で良くやったわよ。本当ならもっと早く来たかったんだけど──


──アムテリア様は、地上へ眷属を送るのを好みませんからね~。行きたい人は、もっと多かったんですよ~。天狐族さん達とか~──


 マリィとミリィは、ホリィを慰めようと思ったのだろうか。神界の様子を語りだした。

 アムテリアがマリィ達の派遣を決断した理由は、シノブに届いたベランジェからの連絡だそうだ。正確に言えば、知らせを受けたシノブとイヴァールのやり取りらしい。

 新たに奴隷を使う存在が現れたようだが、正体どころか居場所も(つか)めない。帝国から消え去った筈のバアル神が、どこかに潜んでいたら。あるいは意思を受け継ぐ何かがいるなら。アムテリアは、それらを案じたようだ。


──当然ですよ。あまり多くの眷属が介入するのは望ましくありませんから。

この地方の人々は、アムテリア様を深く信仰しています。ですが、それは裏を返せばアムテリア様に依存しているということです。

この地方の国々の建国期を大勢の眷属が支えた。それは、仕方がなかったのでしょうけど、彼らから自立心を奪ってしまったのかもしれません──


 ホリィは、地上に降りてから既に三ヶ月になる。彼女は、その間に見てきた多くの人々から、強すぎる信仰の弊害を感じたのかもしれない。


──難しい問題ね。でも、それは後回しにしましょう。今はシノブ様と合流し、この後どうするかご指示を頂くべきよ──


──そうです~。手紙では細かいことは伝えられませんから、直接お会いしましょう~。私もご挨拶したいですし~──


 急ぐべきというマリィと、あまり急いでいるようには思えないミリィ。しかし、二羽ともシノブの下に行くべきという点では一致しているようだ。


──そうしましょう。私達が全力を出せば、シノブ様達とほぼ同時にオベールに着くでしょうから。では、行きましょう!──


 ホリィは早速空に舞い上がり、東に向かって飛翔を始める。そして、マリィとミリィもその後を追っていく。ホリィの宣言どおり三羽は全速力で飛んでいるらしく、鳥とは思えない凄まじい速さで海上を突き進んでいく。


──ここからならシュラールという街に行って転移した方が早いわよ。この際だから、多少目立つくらいは仕方ないわ。それに、貴女は結構有名みたいよ?──


 ホリィが言ったように、彼女達が全力で飛べば一時間も掛からず都市オベールに到着することが出来る。しかしマリィは、都市シュラールの大神殿からの転移を勧めた。確かに、その方が半分程度の時間で済む。


──わかりました。確かに今更ですね──


 ホリィは、少々南寄りだった進路を真東へと変えた。マリィの提案に従って、シュラールに向かうことにしたようだ。


──ホリィは有名人なんですね~。私も頑張って有名になります~──


──貴女、ホリィの話を聞いていたの? 私達はシノブ様を支える役よ。目立ってどうするの?──


 ミリィの能天気とすら言える思念に、マリィは(あき)れたようだ。

 ホリィも思念こそ発しなかったが、彼女と同じ思いだったのだろうか、微かに飛翔する体勢を崩す。しかし彼女の進む速度は衰えない。それどころか、最前に比べて増してすらいた。やはり、仲間の登場が嬉しかったのではないだろうか。

 それは、マリィやミリィも同じなのかもしれない。仲間に助けられ喜ぶホリィ。仲間を助けて喜ぶマリィとミリィ。三羽揃っての高速飛翔は、彼女達の心が一つになった象徴のようである。そして、天高くに(きら)めく日輪は、ホリィ達を祝福するように(まぶ)しく、そして優しく輝いていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年11月11日17時の更新となります。


 本作の設定集に主要登場人物の再紹介を追加しました。今回は、ベルレアン伯爵家、王家、公爵家です。

 設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。


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