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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第14章 西海の覇者達
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14.15 戦乱の鼓動 後編

 シノブ達がガルゴン王国へと旅立った頃、旧帝国領では先代アシャール公爵ベランジェがベルレアン伯爵コルネーユや彼の父アンリと、とある場所に赴いていた。


「まさかあんな場所だとはね。もう少し念入りに調べておくべきだったかな?」


 豪奢な馬車の中で、ベランジェが不満げな顔でぼやいている。三人は馬車で旧帝都、現在は領都ヴァイトシュタットと呼ばれる街を移動しているのだ。


 まだ午前中のヴァイトシュタットは、およそ一ヶ月前の戦いが嘘のように活気に満ち溢れている。

 他の都市もそうであったが、ここも重税が課せられ神殿への喜捨が義務付けられていた。それらが無くなり、今まで軍に取られていた人々が戻ってきたため、住民達はメリエンヌ王国の統治を好意的に受け止めているらしい。


「仕方ありません。治安の維持に民への対応。優先すべきことは幾らでもあったのですから」


 向かいの席に座ったコルネーユは、義兄であるベランジェに笑いかけた。彼が言うように、この一ヶ月は旧帝国領、特に旧帝都やその周辺に対して様々な施策を実施していたし、それらは急ぐべきことであった。


 旧帝都だけあって軍の装備や魔道具の製造に関わっていた者もおり、彼らは今まで通りに商売を続けることは出来なかった。したがって、そのまま放置していたら大混乱となっただろう。

 とはいえ大商会の主などは帝国の神の精神支配が強く、それを竜達が持つ神々の御紋の光で解かれてしまうとメリエンヌ王国に抵抗するどころでは無くなった。強い支配を受けていた者達は、解放後は記憶の多くを失うからである。

 そして、彼らの下で働いていた商人や職人には、新たな仕事を宛がった。そのため収入が保証された彼らは、多少の不満を抱えつつも新生活へと向かっていった。


 それらの対応が功を奏し、三人が乗る馬車の外は、先月の戦いが嘘のように平穏であった。馬車は中央区から出て東区の大通りを進んでいるのだが、商人達が足繁く行き交い、その顔には笑顔が浮かんでいる。


「東の攻略も進める必要がありましたからな。一昨日の作戦で予定通り三つの伯爵領の都市を落としました。残る三つも、もうすぐです……何とも驚くべきことです」


 先代ベルレアン伯爵アンリは、感慨深そうな表情をしていた。彼は、二十年前のベーリンゲン帝国との戦いでも活躍した武将である。

 当時は、メリエンヌ王国と帝国の国境であるガルック平原で一進一退の攻防を繰り広げたが、帝国内に進むことは出来なかった。それが、今では皇帝直轄領と四つの伯爵領を完全に王国の支配下に置き、更に三つの伯爵領をほぼ制圧、手付かずで残っているのは最東端の三つの伯爵領のみである。


「そうですね。でも、一昨日からで少し疲れました。空襲は夜が最適とはいえ……ふわぁ~、まだ眠い」


「義兄上……」


 コルネーユは、大欠伸(あくび)をしたベランジェを見て苦笑していた。しかし、ベランジェが疲れた様子を見せるのも仕方ないだろう。


 二日前の作戦では、旧皇帝直轄領に近いゾットループ、ドラースマルク、エッテルディンの三伯爵領の都市の全てを陥落させた。例によって、竜達による空襲と降下作戦である。

 竜と連携しての都市攻略も何度も実施したため滞りなく進み、各都市とも予定した時間で作戦を完了した。しかし、それでも合計六都市の掌握を終えたのは、翌日も半ばになってからであった。


「ごめんごめん。でも、シノブ君とアミィ君には悪いことをしたね。二人は、昼間ヴォーリ連合国に行っていたそうじゃないか」


「シノブとアミィがいないと神像の造り変えが出来ませんからな」


 アンリは、ベランジェの欠伸(あくび)は見なかったことにしたようだ。

 実は、シノブとアミィはヴォーリ連合国のセランネ村に赴いた後、今回攻略した六都市の大神殿の神像を造り変え転移できるようにしたのだ。

 それぞれの都市には事前にベランジェ達や国境防衛軍の司令官シーラスが先回りし、魔法の家を呼び寄せて二人を移動させた。そのため時間はさほど掛からなかったが、シノブ達にとっては三つの国を移動する慌ただしい一日となっていた。

 しかし、その甲斐あって新たに得た地も、他と同様の統治が可能となったのだ。


「ええ。シノブ達も早期の安定化のためなら労苦は厭わないでしょう……特にシノブは」


 父に同意したコルネーユだが、こちらは少々案じ気味の表情だ。シノブの名を口にした彼は、そのまま黙り込んでしまう。どうも彼は、休むことなく飛び回るシノブを案じたようだ。


「コルネーユ。シノブもフライユ伯爵となったのだ。それに、この後はもっと大きな役目を担うことになる。余計な血を流したくないのであれば、多少のことは我慢してもらうぞ」


 歴戦の武人であるアンリは、息子のコルネーユより遥かに現実的な考えの持ち主らしい。彼は、隣に座る息子に厳しい口調で言い放つ。

 アンリは、軍人となってから優に半世紀を越えている。しかも、戦争の経験も一度だけではない。広く世に知られているのは二十年前の戦いで敵将を討ち取った逸話だが、更に若い頃にも帝国との戦いに援軍として加わったことがある。

 それらの経験が、彼に強い信念とある種の諦念を与えたのではないだろうか。


「アンリ殿。あまり急いではいけませんよ。シノブ君は若い。それに彼は戦い慣れていないようです。

私は、アンリ殿とコルネーユが認め、軍を手玉に取り竜の友となった男が、あんな素直な若者だとは思いもしませんでした」


 ベランジェは、向かい側のアンリに笑いかけると、少し遠い目をした。彼は、シノブと初めて会った時のことを思い出しているらしい。それは、王都メリエに赴くシノブ達が都市アシャールに立ち寄ったときのことだった。


 何百人もの兵が操る投石機(カタパルト)大型弩砲(バリスタ)に一人で打ち勝つにしろ、竜との戦いにしろ、伝説的な偉業である。したがってベランジェは、武術や魔術を生まれた時から修練してきた者を想像したのではないだろうか。

 しかし彼の前に現れたシノブは、ベランジェの奇矯な振る舞いに驚き、公爵家当主に親しく言葉を掛けられると躊躇(ためら)う、ごく普通の若者であった。


「シノブ君がいたのは、我々が想像も出来ないくらい平和な国なんだろうね。彼が自国でどんなことをしていたか知らないが、戦いなど経験していないんじゃないかな?

あれだけの力の持ち主が戦わずに済むなら、戦争なんて縁の無い国だろう。そんな楽園みたいな国は……」


 誰に言うともなく呟いていたベランジェは、途中で話を打ち切った。おそらく彼は、シノブのことを神界から(つか)わされた者とでも思っているのだろう。しかし、それらを確かめるつもりは無いらしい。

 それは、アンリやコルネーユも承知しているようだ。二人はシノブから本当のことを教えられているが、それをベランジェに伝える様子は無い。


「ともかく、シノブ君には時間が必要だ。それまでは、我々が陰から支え余計なものを排除する。アシャールと王都で彼と接し、私はそう決意したんだ。

大体、これだけ世話になっているんだ。年長者として、多少は役に立たないと恥ずかしいよ!」


 ベランジェは、いつもの彼らしい楽しげな笑顔をアンリとコルネーユに向けた。

 どうやらベランジェがシノブの前で殊更奇妙な振る舞いをしたのは、相手の性格を(つか)むためだったようだ。もちろんシノブだけではなく、そうやって相手を知るのが彼のやり方なのだろう。

 そして都市アシャールと王都メリエでシノブの人柄を察し、ガルック平原での戦いで能力を見たベランジェは、類稀なる若者を自国の未来を託す一人と定めたのではないだろうか。それ(ゆえ)彼は、シノブをフライユ伯爵とするよう兄王に進言し、自身はシノブが統治しやすいように戦の後始末をしたのだろう。


「ベルレアンをシノブとシャルロットに継いでもらおうと思ったとき、同じように考えました。彼の(けが)れ無き心は、我々にとって掛け替えの無い光です。その光が遍く照らすよう我らが周囲を整えなくては、と……」


「そうですな。シノブの光は、帝国の少女の心を動かした。だからこそ我々はここにいるのでしたな」


 静かに義兄に同意したコルネーユに続き、アンリが口を開いた。彼は最前の己の言葉を反省するかのように、豊かな頬髭に手を当てつつ苦笑していた。


「本当にね! これでアルマン王国に魔道具が流れていた経緯が明らかになるかもね! 彼にマリアローゼ君を預けて良かったよ!

……おっ、どうやら着いたみたいだ! ここがデルッシュ商会とやらの屋敷か!」


 マリアローゼとは、ベーリンゲン帝国の宰相メッテルヴィッツ侯爵の孫娘である。彼女は、両親や祖父母を竜人化により失った。そのため、シノブとシャルロットの下で奉公することになったのだ。

 そして、ベランジェがマリアローゼの名を口にしたとき、馬車はとある建物の前で停止していた。比較的広い敷地の中に立つ建物は、裕福な商人が店舗とは別に持つ屋敷らしい。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「こんなところに隠し通路があるとは……」


 主の居室らしき部屋へと入ったアンリは、(あき)れた様子で呟いた。ここは、ベランジェがデルッシュ商会の屋敷と呼んだ建物の中である。

 そして屋敷の三階の豪華な部屋には、数名のメリエンヌ王国軍人が控えていた。軍人達は、入室してきた三人に向き直り緊張の面持ちで敬礼をしている。


「楽にしたまえ。隠し通路は、ここだけかね?」


「はい! ですが念のため調査は続行しております!」


 片手を上げて挨拶したベランジェの問いに、士官の一人が答える。彼が視線を向けた先には、作り付けの飾り棚が存在するが、下段の開き戸の中には大きな空洞が存在した。

 開き戸の上端は、大人の胸より少々低い程度である。そのため、中に入るには屈まないと無理だ。しかし、その中に広がっている空間は、飾り棚の後ろの壁より向こう側に抜けている。どうやら、本来は背面となる板が塞いでいたようだが、それは壁側に向かって開いている。


「さあ、マリアローゼ君が教えてくれた通路に入ろう!」


 ベランジェは、待ちきれないかのように身を屈め、隠し通路の中に入って行った。

 彼が口にしたように、これはマリアローゼからの情報で発見された通路であった。彼女がシノブに伝えたのだ。


 シノブは、今回ガルゴン王国への訪問をするにあたり、侍女や従者達に対しアルマン王国との戦いとなる可能性について説明していた。ベーリンゲン帝国から得た魔道具によりアルマン王国が今までに無い行動を取っていること、既に西のルシオン海ではガルゴン王国の商船が襲われていることなどだ。

 先のカンビーニ王国への訪問は平和なまま終わると想定していたが、今度は危険だと予想される。そこで、シノブは十歳以下の者は置いていくことにしたし、年長の者に対してもある程度の事情を教えたわけだ。


 それを聞いたマリアローゼは、祖父が魔道具製造業を生業とするデルッシュ商会に時折出向いていることを、シノブに語った。

 しかも彼女は、祖父と父がデルッシュ商会について書斎で密談しているのを、たまたま通りがかり聞いてしまったという。そのとき彼女は、デルッシュ商会がメリエンヌ王国に運び込んだ魔道具の製造を受け持っていたこと、商会主の屋敷に隠し部屋があることなどを知ったそうだ。


「ベランジェ殿、お待ちくだされ!」


 アンリが慌ててベランジェの前に出る。

 飾り棚の中を(くぐ)り抜けると、普通に立って歩ける空間であった。そして、そこには地下へと向かう螺旋階段がある。


「……ここも下に向かうのか。侯爵の館と同じで地下か?」


 コルネーユは、誰に言うとも無く(ささや)いた。

 彼が言うように、旧帝都にある各侯爵の館にも隠し通路があった。それらは、中央の宮殿と同様に旧帝都の下に広がる地下通路へと繋がっていたのだ。


「侯爵家の祖は初代皇帝と共に東から来たらしいからね。しかし、地下に潜んだり下から操ったり、全くもって邪神らしいよ!」


 ベランジェは二人に守られながら、灯りの魔道具で照らしつつ階段を下っている。

 旧帝都の地下通路は、宮殿の下にある彼らが信奉する神を(まつ)っていた地下神殿から、放射状に広がるものだ。都市の全域よりは小さいが、それでも半径1kmほどに六つの大きな通路とそれらを結ぶ枝道が存在する。

 この地下通路が、周囲を帝国の神の領域にしていたらしい。それも帝都を囲む六都市を含めた、極めて広大な土地を。


「ホリィの指示通り地下通路のタイルを剥がしたから、もう操ることは出来ないでしょうが……それに中央の神殿も潰れていますから」


 ベランジェの先を行くコルネーユは、前方に視線を向けたまま応じた。

 地下神殿での戦いの後、ホリィは地下の通路を調べ直していた。彼女によれば、通路を覆っていたタイル、古代オリエント風の壁画を描いたそれらは、帝国を裏から支配していたバアル神の力を伝達する役目を担っていたらしい。そこで、ドワーフや王国軍の兵士達は、通路からタイルを剥がしたのだ。

 幸い、全てを剥がさなくても神殿から周囲に向かう部分を剥がせば良いらしい。そこでドワーフや兵士達は、それぞれの通路で地下神殿に近い場所のタイルを撤去していた。もっとも、地下神殿自体が崩壊しバアル神が去った今、そこまでする必要は無かったかもしれないが。


「念には念を入れておいた方がね……一応は邪神の本拠地だったわけだし。さて、あれが隠し部屋か」


 ベランジェの言うように、螺旋階段を下りきった先には灯りが漏れている一室がある。その入り口で歩哨を務めていた兵士が、司令官達の登場に姿勢を正し敬礼をして出迎えた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……なるほどねぇ。これは『隷属の首輪』の流出も覚悟した方が良さそうだねぇ」


 ベランジェは、彼らしからぬ深刻な表情をしていた。もっとも口調は普段のままであり、どこか余裕があるように感じられるのは、いつも通りではあったが。

 隠し部屋には商会主が記した文書が収納されていた。隠し部屋であるにも関わらず更に隠し金庫の中に仕舞われ厳重に守られた文書は、宰相からの依頼を記したものであった。

 もちろん文書には、どういう意図の依頼だったかまでは記されていない。しかし、魔道具を開発をするときの要件や特注品として引き渡した品などが記されているから、新たな魔道具の開発経緯や時期は想像可能である。


「この三年ほど前の、獣人族以外に『隷属の首輪』が使えるかの確認、ですね。しかも、その直後に装飾品としても通用するものを作成、とあります。

我々が把握している限り、帝国内で人族やドワーフに『隷属の首輪』が使われたという記録はありません。もちろんエルフにも」


「しかも二年ほど前には、家族のいない技師を選び出し宰相に紹介、とありますな。これはやはり……」


 コルネーユとアンリも鋭く顔を引き締めていた。しかも二人は、手に持つ日記風の本を引き裂かんばかりに、握り締めている。

 商会主が書き記した日記や台帳には、シノブ達がこれまで遭遇した帝国独自の魔道具についても記されていた。ここ最近の例を挙げれば、魔獣や竜を対象とした『隷属の首輪』や『魔力の宝玉』などの新兵器なども記されている。

 『隷属の首輪』などは帝国軍の最重要機密であり、魔道具製造を生業とする商会でもごく一部だけが作れるものだ。そしてデルッシュ商会は、その中でも随一の商会だから、それらの魔道具について記されていること自体は不思議ではない。


「同時期に宰相に渡したものからすると、他にも強化に魔力障壁、治癒、このあたりは現物が渡っているか……後は技師の知識次第だね」


 ベランジェは、極秘に宰相に渡したと記録されている品々を挙げた。通常は軍に直接納入する。それを、わざわざ別口で渡しているのは、軍用以外の何かがあるのだろう。しかし、いずれも軍以外には卸すことの出来ない品である。


「しかし、これほど近年に渡ったのであれば、現行世代も伝わっていそうですが……製造の容易さでしょうか?」


「儂は詳しくないが、発火の魔道具はそうらしいな。エルディナン……先代フォルジェ子爵がそう言っていたぞ」


 コルネーユの視線を受けたアンリは、マティアスの父である先代フォルジェ子爵エルディナンの名を挙げつつ答えた。

 エルディナンは王領軍の幹部だ。したがって、王国軍の機密である軍事用魔道具の製造にも詳しいのは当然である。そして王都の軍人とも交流があるアンリは、エルディナンとも親しいらしい。


「短期間で安定した製造が出来るのは旧世代だった、とかかな? それとも、材料か費用の関係か……」


「シノブ達が鹵獲(ろかく)したのは25m級の偽装商船でしたね。ならば、大型軍艦や本土防衛には最新式を充てている可能性はありますね」


 ベランジェが言うように製造上の理由で旧世代のみを造った可能性はある。しかしコルネーユは、それは偽装商船だからではないかと言う。

 確かに、メリエンヌ王国の旗艦は、全長45mもある巨艦だ。海洋王国のアルマン王国なら、同程度かそれ以上の船を保有しているだろう。したがって、最新鋭艦や重要拠点には最新式を配備している可能性は否定できない。


「その辺は彼らにもう少し調べてもらうとして……これは、取調べのやり直しかなぁ。とはいえ、御紋の光で覚えていないかもしれないけど」


 ベランジェは、今も書類などを捲っている魔術師などに目を向けた。軍には、攻撃や治癒の魔術を使える者は少ないながらいる。そこで、多少なりとも知識がある彼らを引っ張り出して来たのだ。


「そうですね。軍需関連の商会主には自身の職業を忘れた者も多いようですし……しかし、困ったことになりましたね。

主犯級は記憶を失っているから罪を問うても覚えていない。さりとて記憶を失ったからといって減刑して良いものか……下手に覚えている配下の方が重刑というのも……」


 義兄のぼやきを受けたコルネーユは、眉を(ひそ)めた。

 確かに、帝国中枢に深く食い込んでいる商人には、神々の御紋の光で多くの記憶を失った者もいる。彼らは、宮殿や大神殿に行くことが多かったためか、それとも特別に支配を強化する措置を受けていたのか、仕事上の記憶を失う者も多かった。そうなると、覚えてもいない罪を問うことになる。

 それに帝国の神に精神を縛られていたのだから、彼らが自発的に成したこととも言いがたい。コルネーユが措置に困るのも当然と言えよう。


「長期の強制労働にするしかなかろう。折を見て態度の良い者を減刑だな」


 アンリは息子に対し無造作に言い放った。彼にも思うところはあるようだが、人生経験が長いだけあってそれらを抑えて最善と思うことだけを口にしたらしい。


「これは我々で処理しましょう。シノブ君に判断を委ねるのは酷でしょうから。さて、まずは彼に連絡しましょうか」


 ベランジェは懐から通信筒を取り出すと、合わせて出した紙片に何やら書き始める。彼は、旧帝国の商人や貴族を再び厳重に調べるつもりらしいが、それらは自身の仕事と定めたようである。そのためか、紙片に書いた文面はそれほど長くはなかった。

 そしてベランジェは通信筒に紙片を入れると、目を閉じて何やら念じるような表情となった。おそらく、シノブのところに紙片を送ったのだろう。


「シノブ君、約束した通り一緒に苦労するよ。だから、安心してガルゴン王国に向かってくれたまえ」


 ベランジェの呟きを耳にしたアンリとコルネーユは、揃って彼に頭を下げた。その仕草と敬意に満ちた表情は、やはり親子だけあってどこか似通っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……シャルロット、ちょっと良いかな?」


 ガルゴン王国への中継地点、王領の都市オベールに向かう磐船の甲板で、シノブはシャルロットに声を掛けた。彼は、通信筒から取り出した紙片に目を通したばかりである。


「はい」


 真顔のシノブを見たシャルロットは、自身も表情を改め言葉少なに頷き返した。二人の様子に、共にいたミュリエルやセレスティーヌは、それまでの楽しげな笑顔から僅かながら不安そうな表情になる。


「心配しなくて良いよ。旧帝国領の情報が入っただけだ。それで、少しマリアローゼやマヌエラと話したいだけさ」


 シノブは、自身を見つめる二人を安堵させようと、再び頬を緩め柔らかな笑みを浮かべた。

 ベランジェから入った知らせは、いずれ彼女達にも伝えるつもりだが、まずは情報を提供してくれたマリアローゼに結果を知らせたいと思ったのだ。


「シノブ様、私がミュリエル様とセレスティーヌ様のお側に残ります。お空の上は冷たいですから」


 アミィが言うように、高空を往く磐船の甲板は地上よりは寒かった。したがって、あまりに寒ければアミィが魔力障壁で風を防ぐことになる。とはいえ昼も近づきつつある時刻だから、彼女が残ると言ったのは別の理由だろう。シノブがシャルロットのみを連れて行くと言ったから、二人を引き止めるのだ。


「アミィ、ありがとう。皆はシュメイやファーヴと遊んできたらどうかな?」


 シノブは、磐船の舳先近くで前方を飛ぶオルムルとフェイニーを見つめている二頭の名を挙げた。


「はい、そうしますわ」


「わかりました!」


 シノブの提案に、セレスティーヌとミュリエルは素直に頷いた。

 二人は王女と伯爵令嬢だ。当然、父や祖父から同じようなことを言われたことがあるのだろう。まだ自分が聞くべきではない事柄、あるいは年齢と関係なく軍事機密など一部にしか伝えられない事柄もある。二人は、それらを知っているのだ。


「それじゃ、シャルロット」


「ええ、行きましょう」


 幸い、マリアローゼとマヌエラの姿は甲板の上にあった。最近は他の者とも交流するようになった彼女達だが、今日は二人だけで船縁(ふなべり)から地上を覗いている。

 二人は、どこか浮かない様子であった。過去のこととはいえ、自国から流出した技術が他国の戦いの火種になっているというのは、良い気はしないだろう。それらの争いに縁者が関わっていたとなれば、尚更だ。


「マリアローゼ、マヌエラ。教えてもらった通りだったよ。ありがとう」


「貴女達から頂いた情報、きっと役に立つでしょう。感謝します」


 シノブは、二人の下に来るまでにシャルロットに概要を伝えていた。そもそも、最初にマリアローゼ達から知らせを受けたときも、彼女は一緒にいた。それ(ゆえ)説明は要点のみで充分であったのだ。


「やはり、お爺様は……」


 シノブ達に礼を言われたマリアローゼだが、その表情は曇ったままであった。それもそうだろう、彼女が伝えた情報通りということは、祖父の宰相メッテルヴィッツ侯爵が西海の紛争に関わっていたことを意味する。それを考えれば、言ったとおりだと手放しに喜ぶわけにはいかないだろう。


「マリアローゼさん……」


 友人であるアンブローシュ子爵の娘マヌエラは、マリアローゼを心配そうに見つめている。彼女の両親も既に亡く、二人は互いに励まし合いつつ日々を送っているようだ。今回の件も、マリアローゼは先にマヌエラに相談し、彼女の勧めを受けてシノブ達に伝えたのだ。


「宰相が、どこまで関与していたかはわからないよ。皇帝の指示で動いただけかもしれないし……」


「ありがとうございます……ですが、お気遣いは無用です。祖父は帝国の宰相でした。他国に戦乱の種を()いたとしても、それは帝国の未来を思っての行動であった。そうに違いありません。

誇り高いお爺様が単なる操り人形だなんて、そんなことは……それでは……あまりに……」


 シノブはマリアローゼを慰めようとしたが、それは逆効果であったようだ。彼女は緑の瞳から大粒の涙を(こぼ)しつつ、嗚咽を漏らし始めた。

 一国の宰相たる人物が皇帝やその背後にいる神に唯々諾々と従っていたなど、確かに酷い侮辱というべきであろう。シノブ達にとっては新たな災厄を撒き散らした行為でも、帝国からすれば自国の勝利のために打った策であった。その方が、マリアローゼの救いになるということか。

 もちろん今の彼女は、帝国だけに正義があるとは思っていないだろう。しかし祖父は(みずか)らの意思で国に尽くし、そして殉じた。それは祖父達の冥福を祈る彼女にとって、こうあってほしいという姿に違いない。


 なお、ここにいる者は知らないが、メッテルヴィッツ侯爵は他の者と違って皇帝が勧めた酒に竜人化の秘薬が入っていると見抜いていた。しかし彼は、それでも己の意思で酒を(あお)って竜人に変じたのだ。

 帝国の推し進める政策はシノブ達とは相容れないものだったが、彼が自分の意思で行動し、自身で最期のあり方を選択したのは間違いない。したがってマリアローゼの信ずる祖父の姿は、おそらく真実に近いものだろう。


「済まなかった。宰相と会ったこともない私が言うべきではなかったね」


 マリアローゼの思いを察したシノブは、表情を改め彼女に詫びた。

 メッテルヴィッツ侯爵は敵だったが、既に亡き人でもある。その彼に対し、言葉を交わしたことも無い自分が何を言えるのか、とシノブは思い至ったのだ。


「いえ……メリエンヌ王国の方からすれば、祖父は憎んでも余りある(かたき)です。その祖父にお気遣い頂けるだけでもありがたいことです。以前の私なら、きっと敵国の宰相を許しはしないでしょうから」


「マリアローゼさんの言う通りです。敵国の娘である私達に対し、皆様は公平に接してくださいます。様々な立場、種族の人が公平に……当たり前のようで、とても難しいことです」


 涙を拭ったマリアローゼに続き、マヌエラも微かな笑みと共に口を開いた。彼女の笑みには驚きと嬉しさと、そして未来への希望が宿っている。シノブは、何故(なぜ)かそんな気がしていた。


「二人とも、立派になりましたね。マリアローゼ、今の貴女なら宰相殿の遺志を継ぐことが出来るでしょう。貴女が信ずる宰相殿の心を、自分のやり方で継ぎなさい。貴女が()の地の未来を創るのです。

マヌエラは、これからもマリアローゼを支えてあげなさい。一人だけでは大志を成し遂げることは出来ません。私達も助けますが、同じ思いを持つ貴女なら、真の理解者として支えることが出来るでしょう」


 シャルロットは、二人を抱くように肩に手を添え、優しく言葉を掛けた。シャルロットの温かく力強い言葉に二人は涙を浮かべて聞き入り、そして慈母の笑みを浮かべる彼女の胸に己の顔を埋めていった。

 シノブは愛妻の言葉に頷きつつ、自身も二人に、そして旧帝国領の繁栄に最大限の支援をしようと胸の奥で誓っていた。長く遠い道のりになるだろうが、己を支えてくれる人々と一緒なら実現できる。シノブは、かつては争った二国が共に歩む未来を、自身の妻と二人の少女の中に見出し微笑んでいた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年11月9日17時の更新となります。


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