14.13 謎の偽装商船
シノブ達は、確保した偽装商船をポワズール伯爵領の領都メレスールへと運ぶことにした。偽装商船をシノブが魔力で支え、岩竜の子オルムルが彼を乗せて移動するのだ。なお、オルムルはまだ子供だから、彼女だけでは船を運ぶことは出来ない。そこでシノブがオルムルに魔力を与えている。
偽装商船を魔法のカバンに格納しないのには、訳があった。船内には乳を得るためのヤギなどがいたため、魔法のカバンに船を入れることが出来ないのだ。そこで、アミィが船を含め幻影魔術で透明化させ、そのまま運んでいる。
「魔法のカバンに生きた動物を収納することは出来ませんからね~」
──そうなんですか~──
光翔虎の子フェイニーは、アミィの説明を興味深げな様子で聞いていた。
飛翔中のオルムルの背には、前からフェイニー、アミィ、シノブと並んで乗っていた。シノブがアミィを後ろから抱え、更にアミィが猫ほどの大きさに変じたフェイニーを抱いている。
「やっぱり、長期間航海をするんだね」
船の内部に大量の食料があった。そのためシノブは、偽装商船が長い間帰港しないと感じたのだ。
──水はどうするのですか?──
メレスールに向かって一直線に飛翔しているオルムルが、思念でシノブに問いかけた。彼女はシノブから大量の魔力を送り込まれているため、かなりの速度で空を飛んでいる。
「創水や抽出の魔術だろうね。抽出の方が楽かな?」
シノブは魔術で水を得る方法をオルムルに説明する。
創水の魔術とは、何も無いところから水を出す術だ。水弾など水を用いた攻撃魔術も、大抵の場合はこれを使って水を生み出している。
しかし新たに水を生み出すより、海水から塩分を取り除く抽出の方が魔力の消費が少ない。したがって、多くの場合は水抽出の魔術で海水から水だけを得るか、逆に塩を抽出して塩分を除去するようだ。
これらを使えば、大量の水を積まなくても長い航海が可能となる。そのため、商船団や海軍には魔術師を乗せるか、創水や抽出の魔道具を搭載するのが一般的である。ただし魔道具の場合、かなり高価なもので使用にも大量な魔力が必要であった。そのため、気軽に手に入れることは出来ない。
「そういえば、偽装商船の船員には魔力が多い人が沢山いましたね。やっぱり、その辺が理由なのでしょうか?」
アミィは、逃げ出した船員達、おそらくアルマン王国の軍人と思われる乗組員が、平均以上の魔力を持っていたことを思い出したらしい。
もちろん彼らの魔力は、シノブやアミィと比べる程ではない。しかし彼らのほぼ全員が、魔術師と呼べるだけの魔力を持っていた。
ただし、彼らが全員魔術師だ、というわけではない。高度な身体強化を使う軍人達でも、一般に言う攻撃魔術、水弾や岩弾などを使えない者が殆どだ。彼らは魔力で身体能力を向上させることは出来るが、外部に影響を与える術を使えないのだ。
「そうかもね。魔術と魔道具、どちらにしても結局は魔力が必要だから。アルマン王国は人族が多いみたいだし、魔力の多い人も珍しくないのかな」
シノブは後ろを振り向いたアミィに頷いてみせた。
この世界の人間には、人族、獣人族、ドワーフ、エルフの四種族が存在する。魔術に向いているのは、魔力が飛びぬけて多いエルフで、続くのは人族だ。なお、獣人族とドワーフは魔力が少なく、魔術師を志す者は殆どいない。
「航海では魔術は役に立ちますからね……あっ、シノブ様! シャルロット様から連絡です!」
アミィは偽装商船を捕らえたことを、メレスールにいるシャルロットに通信筒で伝えていた。その返事があったのだ。
「えっと、船はメレスールの演習場に降ろして下さい……受け入れの準備を進めています……」
アミィは、笑顔で通信筒から取り出した紙片を読み上げていく。
偽装商船を手に入れたことは、当分の間は内密にするつもりだ。今回、シノブ達はガルゴン王国の領海内で偽装商船を確保したからだ。とはいえガルゴン王国は友好国で、しかも彼らの国の船を助けるための行動だ。したがって非難される可能性は低い。
なお、シノブはガルゴン王国を訪問した時に偽装商船を引き渡そうと思っていた。ガルゴン王国が自国の領海で怪しい船を拿捕するのは当然のことである。ガルゴン王国が捕らえたことにしておけば偽装商船をアルマン王国に返すことも無いし、訪問の際の手土産にちょうど良いと思ったわけだ。
しかしアルマン王国は、メリエンヌ王国が自国の領海外で攻撃を仕掛けたと知れば、当然抗議する筈だ。
「……トイヴァさんやミュレさん達も来るそうです!」
紙片の文面を読み終えたアミィは、今までに増して嬉しげな口調で締めくくった。
最終的にガルゴン王国に引き渡すにしても調査は必要だ。どうも、アルマン王国の偽装商船に搭載されている大型弩砲の火矢は、ベーリンゲン帝国由来の魔道具で発火させているらしい。
ベーリンゲン帝国はメリエンヌ王国の東、アルマン王国は西で、両国の者が直接行き来することは不可能である。なお、メリエンヌ王国軍も同様の発火の魔道具を使っているが、これは過去の戦いでベーリンゲン帝国から得た技術を用いたものだ。
メリエンヌ王国には、過去に帝国の間者が潜んでいたこともあり、必ずしも王国軍から情報が漏れたとは限らないが、それらを探っておく必要はある。
「そうか! 彼らなら何かわかるかもしれないな!」
トイヴァはアマテール村に住む武器職人のドワーフだ。そして魔術師のミュレは魔道具に詳しく、帝国の技術の解析も進めている。彼らなら、アルマン王国の大型弩砲や火矢を調べることが出来るのではないか。そう思ったシノブは、アミィと同じくらい輝く笑顔となっていた。
──シノブさん、全速力で行きますよ!──
そして、シノブの喜びが乗り移ったかのように、ますますオルムルは速度を上げていく。まだ子供の彼女だが、成竜にも勝る速度で飛翔している。
「あまり無理をしないでね!」
シノブはオルムルを気遣いながらも、日々成長していく彼女に頼もしさを感じていた。そんな彼の心に呼応したかのように、空を切り裂いて進む岩竜の子は最前に倍する速さでメレスールに向かっていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達が偽装商船と共にメレスールの演習場に到着したとき、そこには大勢の者が待っていた。
領主であるポワズール伯爵アンドレは、父の先代伯爵に間者の尋問を任せて駆けつけたという。そして、彼の隣には軍服に着替えたシャルロットの姿もあった。彼女は、トイヴァなどを連れてくる際にミュリエルやセレスティーヌの護衛を増員し、自身はマリエッタとフランチェーラを連れて船の検分に加わったのだ。
フライユ伯爵領から来たのは、武器職人のトイヴァと息子のリウッコ、それに魔術師のマルタン・ミュレ、魔道具技師のハレール老人達だ。トイヴァ達は他に二人のドワーフを連れて来たし、ミュレ達は助手のカロルやアントン少年まで伴っている。もちろん、ポワズール伯爵の配下の魔術師や技師もいる。
「シノブ殿。これはブラヴァ族が造ったものだ。この巻き上げ機は、イルモだな」
「ああ、俺も見覚えがある」
偽装商船の船内で、ドワーフの親子トイヴァとリウッコは、険しい表情で大型弩砲を見つめていた。両方とも武器職人だけあって、大型弩砲が同族の作品と一目で見抜いたのだ。しかも、父親のトイヴァは、誰が作ったかまで口にしていた。
なお、ブラヴァ族とはドワーフの国ヴォーリ連合国で最も西に住む部族である。彼らが住む土地はアルマン王国に一番近い。
「やっぱりブラヴァ族だったのか……」
シノブは、舷側に沿って並べられた大型弩砲に改めて視線を向けた。
イヴァール達が造った磐船と同様に、船の中には舷側に向けて十近い大型弩砲が設置されていた。舷側には、目立たないように偽装した大窓が複数存在し、普段は大型弩砲を隠している。そして戦闘時には窓を開き、そこから目標に射掛けるわけだ。
したがって、構造自体はシノブにも見慣れたものであり、ドワーフの作品らしいことは察していた。しかし本職であるトイヴァは、それ以上であった。
「ああ、間違いない。だがシノブ殿、これはどういうことだ?
こいつは良く手入れされている。おそらく船上でも誰か整備している筈だ。しかし、これは分解して部品を交換しているぞ。ここを見てくれ」
険しい顔つきのトイヴァは、巻き上げ機構の一点を指差した。シノブやシャルロット、そしてポワズール伯爵達は、トイヴァの指の先へと視線を向ける。
軽量化のためか、大型弩砲は頑丈な楢と要所にミスリルを使ったものだ。トイヴァが示したのは、楢とミスリルが組み合わされた場所の一つである。
「微かに色が違うような……」
「そうですね。でも、これを取り替えるのは大変では?」
シノブに続いたのは、シャルロットだ。彼女は軍の司令官であり、大型弩砲にも詳しい。流石に自身で整備をしない筈だが、トイヴァの示した部分の交換が困難だと知っていたようだ。
そんなシャルロットの様子を、マリエッタが熱心に見つめている。彼女は高い身体能力で十二歳という年齢にしては稀な武力を持ってはいるが、軍務については勉強中らしい。
「ああ。おそらく一旦陸に降ろして整備したのだろう。この窓は広いから、そこから降ろしたのだろうな……いや、そんなことはどうでも良い! 問題は、これをどこで整備したかだ!」
職人らしく整備方法に思考が向いたらしいトイヴァだが、途中から激昂したかのように大声で叫んでいた。シノブを見上げる彼の顔は、怒りのあまりか真っ赤に染まっている。
「手の者はメリヴィッコにもいます。ですが大型弩砲を降ろした船など見てはいません」
ポワズール伯爵の口調は抑えたものだが、その顔はトイヴァと同じく険しかった。
彼は、ブラヴァ族の港町であるメリヴィッコという集落にも配下の者を送り込んでいた。したがって、そこで大型武器を積み下ろししていれば、気が付かない筈が無いという。
「ということは、アルマン王国に渡ったドワーフ達が整備していると?」
「そうだ! 許さん、許さん、許さんぞぉ! 我ら誇り高いドワーフが、海賊の片棒を担いでいたなど! イルモめ! この髭に懸けて成敗してくれる!」
シノブに答えたトイヴァは、赤鬼のような形相で咆哮した。彼は自身の黒々とした長い髭に手を当て、イルモというドワーフに対し鉄槌を下すと宣言していた。
トイヴァも武器職人だから、武器を輸出すること自体は問題としていないだろう。しかし、正体を隠して商船を襲うのは見逃すことは出来ない。おそらく、そう思ったのではないだろうか。
「親父、イルモ殿は家族を人質に取られているんじゃないか?」
トイヴァの息子で弟子でもあるリウッコは、ドワーフの誓いをした父の肩に手をやっていた。
髭に手を当てての宣言は、ドワーフ達にとって命を懸けた誓いである。リウッコも怒りを感じてはいるようだが、イルモが自分の意思で加担しているかどうかに、疑問を抱いたようだ。
「ならばアルマン王国だ! 我らがドワーフの技を悪用するなら、俺が大型弩砲をぶちこんでやる!」
トイヴァは髭に手を当てたまま、再び絶叫した。船全体、いや外までも響くような大音声の宣言に、シノブは彼の怒りの激しさを感じずにはいられなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「うわっ! 凄い声ですね!」
「これは後が怖いですな……」
こちらは、一階層下にいるマルタン・ミュレとハレール老人だ。当然ながら二人のところにも、トイヴァの叫びが届いていたのだ。
ミュレ達はトイヴァとの交流があり、彼の性格を良く知っていた。ミュレ達の魔道具に使う部材にはドワーフ達が造ったものも多い。魔道具としての機構はミュレやハレール老人が作成するのだが、筐体などはトイヴァ達に依頼するのだ。
「トイヴァのおじさん、ガルゴン王国まで付いていくかも……」
首を竦めたアントン少年が、恐る恐るといった表情で上層へと続く階段に顔を向けていた。
トイヴァは普段は豪快で気の良い職人だ。しかし、彼はドワーフの戦士でもあり、信義を重んじ曲がったことが大嫌いであった。使い走りでドワーフ達の下を訪れることが多いアントン少年も、怒った彼らの怖さは充分承知しているらしい。
「演習場全体に響いたかもしれませんね」
「上には壁を造らなかったから……ともかく、調査を急ぎましょう」
耳を塞いでいた手を下ろすカロルに、アミィは苦笑いしつつ答えた。
演習場に偽装商船を降ろした時、シノブは岩壁を築いて周囲から見えないようにした。マストの上まで隠れる高さの岩壁は、演習場の外からでも見えるかもしれないが、船が丸見えになるよりは良い。
しかしアミィが言うように天井は造っていないから、トイヴァの咆哮は周囲まで聞こえた可能性はある。
「……アミィ様、発火の魔道具は一世代前の帝国製が元だと思います。王国軍の最新式とは違いますし、旧式とも若干違います」
「ミュレ殿の意見に賛成です。帝国から押収した古い型が一番近いですな」
ミュレとハレール老人は、船倉に積まれていた各種の魔道具を調べていた。
元々ベルレアン伯爵領軍の参謀であるミュレは、当然自国の兵器について熟知していた。彼は参謀という肩書きを持っていたが、魔術師として平民から抜擢されて軍に入ったぐらいであり、軍略より魔道具や魔術を活かした戦術の研究が主な仕事であったのだ。
そしてミュレは、フライユ伯爵領に来てからハレール老人と共に新たな魔道具の開発をしていた。シノブ達が鹵獲した帝国の魔道具から、それらの弱点を調べたり対抗策を編み出したりと、現在では参謀の職を離れて魔道具開発に全力を注いでいる。
特に、シノブ達が帝都ベーリングラード、現在の領都ヴァイトシュタットを掌握してからは、現行のもの以外にも様々な品を入手し、それらの解析まで手を広げていた。それ故、偽装商船に積まれていた発火の魔道具が何を元にしているかを、ミュレ達は判断できたのだ。
「やはり……」
「ハレールさん、ミュレさん! これって強化の腕輪じゃないですか!?」
アミィが二人の話を聞いていると、積荷を漁っていたアントン少年が大声を上げた。彼は、発火の魔道具が入っていたものとは別の箱を開けている。
「おお、これは!」
「確定ですね! これも帝国の旧式が元です!」
アントンの下に駆け寄ったハレール老人やミュレは、新たな証拠の発見に顔を輝かせている。強化の魔道具は、メリエンヌ王国軍では使っていないのだ。二人だけではなく、アミィやカロル、それにポワズール伯爵の配下達も、帝国が関与していたという動かぬ証拠に顔を綻ばせていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「我が国から流出した可能性は低いのですね! 安堵しましたわ!」
晩餐の席のセレスティーヌは、これで一安心、という様子であった。憂いが無くなった彼女は、華やかな笑みを浮かべている。
だが、それも無理はない。メリエンヌ王国軍からアルマン王国に機密の技術が漏れていたとなれば、外聞が悪すぎる。しかも、その技術で友好国であるカンビーニ王国やガルゴン王国の商船が沈められていたとなれば、両国との関係悪化すらありえるだろう。
しかし調査の結果、メリエンヌ王国軍から流出した可能性は殆ど無くなった。発火も強化も双方とも帝国の一世代前の技術が元らしい。
「お言葉通り、我が国が一方的に責められることはないでしょう。帝国の手の者が我が国を抜けて伝えた可能性はありますが、それだけであれば……」
ポワズール伯爵アンドレも上機嫌である。彼は自領の海で獲れた魚を用いた料理を皆に勧め、自身も味わっている。
今日の料理は、マスのクリーム煮にサケのムニエル、茹でたカレイの切り身などと、魚尽くしであった。もちろんパンや副菜もあるのだが、全体として魚が主体であり、スープも牡蠣と徹底している。これはポワズール伯爵がシノブの好みを聞いて用意させた品々だ。
もっとも、ルシオン海に面したポワズール伯爵領は元々漁が盛んな地だ。そのため、伯爵家としても自領の名産を紹介できて嬉しいようである。
それはともかく、ポワズール伯爵が言うように、王領に侵入していた帝国の間者がアルマン王国に魔道具を伝えた可能性はある。二十年前の戦で侵入した帝国の間者は、シノブ達によって全て排除された。しかし長期間潜伏していた彼らは、故国と情報交換をしていたし魔道具なども運び込んでいた。
したがって仮に帝国の者がアルマン王国に行くとしたら、王領に潜んでいた間者が手引きしていた可能性は高い。その場合メリエンヌ王国の見逃しがあったことになるが、流石にそれだけで大きく責められることは無いだろう。
「ええ。テオドール様からの文にも、お礼の言葉を頂いたとありました」
シノブは、シャルロット達と分担して通信筒で各方面に連絡した。そして彼は王太子テオドールに伝えた時に、カンビーニ王国の王太子シルヴェリオにも知らせてほしいと付記した。シノブから直接伝えても良いのだが、国家間の問題でもある。そこで、テオドールを通すことにしたのだ。
「祖父や叔父は、メリエンヌ王国に感謝こそすれ責めることなどありませぬ。それに、私もこの目でしかと確かめたことです故」
マリエッタは普段とは違う改まった口調である。おそらくシャルロットの側仕えとしてきたためだろう。
シャルロットがマリエッタ達を演習場に伴ってきたのは、彼女達も証人にしたかったからだ。メリエンヌ王国の関与に関わらず、最初からカンビーニ王国の公女であるマリエッタに真実を伝えておく。これはシノブが要請したことでもあり、シャルロットも強く同意したことだ。
シノブはカンビーニ王国に行って国王レオン二十一世や王太子シルヴェリオと深く接した。その経験から、彼らならメリエンヌ王国から情報流出していたとしても、不当な怒りは抱かないだろうと思っていた。
それであれば、初めからマリエッタを伴い全てを見せた方が良い。仮にこちらに非があったとしても、共に調査に当たった方が上策だ。彼は、そう思ったのだ。
幸いにも、事態は最も良い方向に転がった。ポワズール伯爵の機嫌が良いのは、これもあってのことだ。
「トイヴァ殿やミュレ殿達もお招きしたかったですわね。お料理を運ぶように手配しましたが、あれで良かったのでしょうか?」
ポワズール伯爵の妻オノリーヌは、微笑みつつも少しだけ戸惑いの色も浮かべていた。彼女は、現場に残ったトイヴァ達を案じているらしく、緑色の瞳を夫やシノブへと彷徨わせていた。
「彼らは、ああなったら動きませんよ」
「済みません……ミュレさんやハレールさんは、魔道具のことになると時間を忘れてしまうのです。たぶん、トイヴァさん達も同じです……」
苦笑気味のシノブに続き、ミュリエルが申し訳なさそうな顔でオノリーヌに説明をする。
フライユ伯爵家の者や家臣なら、ミュレ達が戻ってこないと聞いても、喜んで調査していると受け取るだけだ。しかし、普段の彼らを知らないオノリーヌ達には、それは理解できないことだろう。
「シノブとミュリエルが言うとおりです。ミュレ達は新たな魔道具の調査が何より楽しいだけです。
トイヴァ殿は……ドワーフの問題と重く受け止めたようです。ですから、晩餐に招かれるより、関わっている者を早く明らかにしたいのだと思います」
シャルロットは、途中までは笑顔で語っていた。しかし、トイヴァの名を口にしてからの彼女は、憂いの表情となり、深く青い瞳には悲しげな色が残ったままだ。
トイヴァとリウッコの父子、それにアマテール村から来た二人のドワーフは、今も偽装商船の各部を調べている。彼らには、製造上の癖や仕上がりの様子からブラヴァ族の誰が造ったか判断できるらしい。それは、シノブ達には不可能であり、彼らに任せるしかなかった。
シノブやシャルロットに出来るのは、ガルゴン王国への訪問を急ぎ、対アルマン王国の策を打つことである。こうなれば、使節団の出発も出来る限り繰り上げる必要があるだろう。
「イルモという武器職人の他、演習場を離れるまでに教わった名は、手の者にも伝えました。早晩、確認が取れるでしょう」
ポワズール伯爵は、既に配下をヴォーリ連合国に旅立たせていた。商人に化けたポワズール伯爵の家臣は、ブラヴァ族の港町メリヴィッコに赴き、アルマン王国に渡ったドワーフについて調べるのだ。それは、トイヴァ達の望みでもあった。
「パーニオンで捕らえたアルマン王国の間者達ですが、彼らが挙げた者達も捕縛に成功しました。アルバーノ殿のご協力のお陰です」
先代ポワズール伯爵セドロームは、シノブが港湾都市パーニオンで捕らえた者達について触れた。シノブが昼食時に発見したアルマン王国の間者だけではなく、その後ポワズール伯爵家の監察官達が彼らの仲間の確保にも成功したのだ。
「私ではなく、ご家中の方々の功績です」
セドロームの賞賛に、一同はアルバーノへと視線を向けた。しかし、彼は言葉少なに頭を下げただけであった。
アルバーノは、帝国との戦いでも諜報担当として活躍した。これは情報収集だけではなく、間者の捕縛やその後の対処も含めてである。それらは帝国攻略を陰から支え功績も非常に大きいのだが、晩餐の席で口に出せないことも含まれている。
「これはご謙遜を……さて、そろそろシノブ殿からお教え頂いた品が出る頃ですかな?」
少々重い方向に話が流れたようだ。そう思ったのだろう、ポワズール伯爵は突然話題を変えた。
確かにアルマン王国の偽装商船の拿捕は極めて大きな出来事で、得た情報も大きい。それに間者を捕らえたことも同様だ。しかし、それだけで晩餐が終わってしまっては持て成す側の名折れである。彼は、そう思ったのかもしれない。
「それは楽しみですね!」
「こちらにも、ご飯を炊ける人がいて良かったです!」
シノブとアミィは満面の笑みで応じた。これは本心でもあるが、ポワズール伯爵の誘いに乗ったという側面もある。
シャルロットとミュリエルにとって、ここは亡き祖母の故地である。それにセドロームとその妻バベットはセレスティーヌの母オデットの両親、つまり祖父母なのだ。それなのに戦いの話題ばかりというのは、無粋に過ぎる。もっと晩餐に相応しい話をすべきだと、シノブも思ったのだ。
とはいえシノブとしては、自身とアミィが伝えた料理に興味があるのも事実ではあったが。
「皆様、フライユ伯爵閣下からお教え頂いた品でございます」
侍従の言葉に続き、侍女達がワゴンを押して入ってくる。そこには銀色の大きな覆いが幾つも乗っていた。どうやら料理は温かいものらしい。
「これは?」
「シノブ、初めて見るものですが……」
侍女達は覆いを取って、その中に入っていた皿をテーブルに並べていく。深めの皿には、白いご飯がたっぷりと盛られ、その上には微かに磯の香りがする黄色の柔らかそうなものが乗っていた。
「ああ、これはウニ丼だよ」
シャルロットの問いに、シノブは笑顔で答えた。シノブは、ポワズール伯爵から好みを尋ねられたときに、ウニ丼は出来ないかと持ちかけたのだ。
アミィが、パーニオンで買ってきたウニと魔法のカバンに入れていた米を提供したのだが、南方のガルゴン王国と海上交易をするこの地では、ご飯自体は少し珍しい食物として受け入れられていた。そして魚醤も存在するから、漁師は同じような食べ方をすることもあるらしい。
もっとも、今回はアミィが用意した醤油を使っている。シノブ達は、アムテリアから授かった無限に醤油が出てくる容器を持っている。そのため、そこから必要なだけの醤油を出したというわけだ。
「『ウニドン』……ですか」
「ほう、これが……漁師には生で食べる者もいると聞いていましたが」
「ウニなのじゃ! ……いえ、何でもありませぬ」
広間に集う者達は、様々な反応を示していた。ここには、海の無い領地から来た者、逆に海の側に住んでいた者など様々だ。そのため、それまでの体験の差が大きく出たようだ。
まず、怪訝そうな顔で首を傾げたのがシャルロットである。シノブを挟んで逆隣のミュリエルも、同じような表情であった。彼女達は内陸のベルレアン伯爵領で育ったため、ウニ自体知らなかったようだ。
そして、漁師の食べ方を知っていたのは、当然ながらポワズール伯爵家の者達だ。当代に先代の夫妻、それに跡取りであるセドリックなどは、訳知り顔で頷いている。
この辺りでは、漁師以外は生のウニを食べることは無いが、卵と混ぜたオムレツなどとして食するという。そのため、彼らもウニの身を目にしたことはあるのだろう。
そして、最後に喜びの叫びを上げたのは、マリエッタであった。彼女は虎の獣人特有の金色に黒の縞の髪を振り乱すほど狂喜したが、一瞬の後、恥ずかしげな様子で顔を赤くしていた。
カンビーニ王国では生ウニを食べるのは珍しく無いのだろう。マリエッタだけではなく彼女の学友である三人の伯爵令嬢も、同じように嬉しげな表情となっている。
「シノブ、これはどうやって食べるのですか?」
「ああ、このワサビを醤油に溶いて、それから掛けるんだ」
シノブは箸でワサビを摘み、小皿で用意された醤油に入れてみせる。彼やアミィ、それにシャルロット達は箸が使えるから、テーブルに並べてあったのだ。
「シノブさま、凄く嬉しそうです!」
「シノブ様、私も箸の使い方、上手くなりましたのよ?」
ミュリエルやセレスティーヌも、シノブへと視線を向けている。ミュリエルは早速シノブの真似をし、セレスティーヌも少々ぎこちない手付きであったが、同じようにしていく。
シノブは周囲の様子に頬を緩めていた。そして彼は、とびきりの笑顔で新鮮なウニと温かいご飯を口に運んでいった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年11月5日17時の更新となります。