14.12 策謀の海域 後編
シノブとアミィは、港湾都市パーニオンで捕らえたアルマン王国の間者達を、領都メレスールのポワズール伯爵に早速引き渡すことにした。
アミィの幻影魔術で姿を消したシノブ達は、郊外の人目に付かないところに移動し、魔法の家を出した。そして、メレスールにいるシャルロットに魔法の家を呼び寄せてもらい、アミィと共に間者達をポワズール伯爵の下に移送する。
暫し待機していたシノブだが、十分もしないうちにシャルロットから通信筒で連絡が入り、魔法の家を呼び寄せた。すると、アミィは大勢の内政官を連れてきた。彼らは、ポワズール伯爵領の監察官達である。
間者達がいた民家には、捕らえた者とは別に漁師達が住んでいるらしい。現在は漁に出ているその男達が、漁船で密入出国をさせているという。
彼らを捕まえに来た監察官達は、慌ただしくパーニオンへと駆けて行く。まだ昼を少々過ぎたばかりだが、監察官達の午後は途轍もなく忙しいものになりそうだ。
──オルムル、フェイニー、お待たせ! さあ、海に行くよ!──
アミィが魔法の家をカードに変えるのを見ながら、シノブは心の声でオルムル達に呼びかけた。
シノブとアミィは、岩竜の子オルムルと光翔虎の子フェイニーに乗ってパーニオンまでやってきた。しかし二頭はシノブ達と別行動をし、空の上で飛翔を楽しんでいるのだ。
──シノブさん、今行きます!──
──ちょっと待っていて下さいね!──
シノブが心の声を放つと、間を置かずに曇り空の上からオルムルとフェイニーの思念が返ってくる。
この時期パーニオンは、天気が崩れることが多いらしい。幸い今日は分厚い雲が空一面を覆ってはいるものの、雨が降る気配は無い。しかし朝から太陽が顔を出すことは無く、風も少々冷たかった。
もっとも、雲の上で遊ぶオルムルとフェイニーにとっては、それは関係ない。むしろ地上から見えない分、遠慮なく遊べるから好都合でさえある。二頭は周囲を気にせずに追いかけっこなどを楽しんでいたようだ。
「あっ、来ましたね!」
魔法の家をカバンに仕舞ったアミィが、空に向かって顔を上げた。とはいえ、曇り空には何の変化も無い。彼女は、魔力の動きで二頭の帰還を察したのだ。
光翔虎のフェイニーは、姿を消すことが出来る。しかも、姿を消しているときには魔力も隠蔽することが可能であった。そのため、シノブやアミィでも気を付けていないと見逃してしまうことがある。しかし、二人の魔力感知能力なら、これから来ると知って注意していれば充分察知することが出来るのだ。
「ああ。上手くオルムルの魔力も隠しているね」
シノブも、普段のオルムルとフェイニーとは違う微かな魔力の接近を感じ取っていた。それは、非常に小さな、そして僅かに揺らぐような独特の魔力であった。
アミィの幻影魔術もそうだが、光翔虎の姿消しも本人達だけではなく周囲の一定範囲に作用する。しかも、それは視覚、つまり光だけではなく魔力も含めたものだ。魔力も一種の波動らしいから、同じ波動である光のように隠蔽可能なのだろう。
──シノブさん、お待たせしました!──
──空の上、楽しかったです~──
急激に接近した魔力はシノブ達の前で静止すると、そこにオルムルとフェイニーが姿を現した。フェイニーは元々の大きさ、つまり地球の虎の成獣にも匹敵する巨体だが、オルムルは猫ほどになって彼女の上に乗っている。
おそらく、まだ子供のフェイニーでは広い範囲に姿消しの効果を及ぼすのは無理があるのだろう。そのため、オルムルはアムテリアから授かった腕輪で小さくなり、フェイニーに密着して地上に戻って来たようだ。
「お帰り! お腹が空いただろう、魔力をあげるから、お出で!」
シノブは、姿を現した二頭に笑顔で声を掛け、両手を広げて迎えた。
竜や光翔虎の子供は、魔獣を糧とし、その魔力を吸収する。しかし、彼らにとってシノブが与える魔力はそれらとは段違いに美味しく、体に良いらしい。それもあり、親達はシノブの下に子供を預けているのだ。
──ありがとうございます!──
──いただきます~!──
オルムルがフェイニーの背から飛び立つと、フェイニーも腕輪の力で小さくなってシノブの腕の中に飛び込んでいく。シノブは、元気の良い二頭の姿に目を細めつつ、彼女達を受け止め己の魔力を注いでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は、相変わらずの曇り空を突き抜け上空に出た。シノブがフェイニーに、アミィがオルムルに乗っての飛翔である。
光翔虎のフェイニーは自身で、岩竜のオルムルはアミィが幻影魔術で姿を消して空に飛び立った。もっとも今は眼下に分厚い雲があるから、二頭は姿を現し西に向かって飛んでいる。
シノブ達の遥か下では、見渡す限り広がる雲が昼過ぎの陽の光を受けて煌めいている。地上から見たときは重苦しく感じた灰色の塊も、上に出てみれば真っ白な綿のようで心を和ませる。
遠く彼方まで広がる雲海を見下ろしながら、天馬のように駆ける光翔虎と翼を広げて滑るように進む岩竜は、幻想的な輝きを伴い宗教画に描かれた一幕のようだ。ただし、その光景はシノブやアミィにとって見慣れたものとなりつつある。
何しろ、二人は竜に乗って飛行することが多い。成竜達が運ぶ磐船に乗るときは、他の乗船者に配慮して気温の低い高空は避ける。しかし、乗り手がシノブやアミィだけのときは、雲の有り無しに関わらず高度を上げることが多かった。そのため、雲の上の移動も度々経験していたわけだ。
「フェイニーは、ガルゴン王国の仲間のところにも行ったことがあるんだよね?」
西に向かって飛びながら、シノブはフェイニーに彼女達の仲間について改めて尋ねていた。
光翔虎は、フェイニー達と出会ったカンビーニ王国のセントロ大森林以外にも棲んでいる。セントロ大森林にはフェイニーの親であるバージとパーフだけしかいないが、その東のデルフィナ共和国と西のガルゴン王国にも、別の光翔虎達がいるのだ。
──はい! あちらも森の真ん中に棲家があるんですよ! メイニーさん、元気にしているかなぁ~──
フェイニーは、懐かしそうな雰囲気の思念でガルゴン王国の光翔虎の名を挙げた。メイニーというのは、成獣になったばかりの雌で、両親と共にガルゴン王国の森にいるという。
「デルフィナ共和国の方は何も無かったから、そちらも大丈夫ですよ」
フェイニーと並んで飛ぶオルムルの上から、アミィがシノブ達に笑いかけた。
バージとパーフは、つい先日デルフィナ共和国の光翔虎を訪問していた。彼らは、シェロノワにカンビーニ王国の王太子シルヴェリオ達を送り届けると、その足で東の同族の下に向かい安否を確認したのだ。
──ええ、シャンジー兄さん達が無事で安心しました!──
フェイニーの思念は嬉しげである。
実は、デルフィナ共和国の光翔虎はフェイニーの母パーフの親族であった。デルフィナ共和国の東の森に棲むのは、パーフの弟フォージと番のリーフ、そして子供のシャンジーなのだ。ただし、子供といってもシャンジーは既に百歳を超えているから、成獣とほぼ同じで尾を除いても20mに迫る巨体である。
フォージ達の棲家は、ベーリンゲン帝国に近かった。帝国とデルフィナ共和国の国境であるズード山脈から少し南にいったところに、彼らの棲家は存在した。
そしてバージ達家族は、一ヶ月ほど前にズード山脈で竜人達と戦い、その血により凶暴化した。フォージ達の棲家を訪問したバージとパーフは、ついでに子供に山脈越えを体験させようと北上したのだが、そこで帝国によって作り出された竜人と遭遇したのだ。
幸い、フェイニー達三頭はアムテリアから授かった治癒の杖で元に戻った。しかし、バージとパーフはフォージ達の安否が気になって再訪したわけである。
──本当に良かったです! メイニーさん達も、きっと大丈夫ですよ!──
オルムルは、フォージ達の無事を喜んでいた。彼女は、竜族の血を悪用した竜人の存在に心を痛めていたようだ。そのため、喜びも一際大きいのだろう。
「そうだね。バージ達も向かっているし、何かあったら連絡をくれるさ」
シノブは、フェイニーの首元を撫でながら語りかけた。
バージ達は、今頃ガルゴン王国の仲間の下に向かっている筈だ。シルヴェリオ達をカンビーニ王国に送り届けたら直ちに向かうとバージは言っていた。したがって、今日中にはガルゴン王国の森に着くのではないだろうか。
──シノブ様、お待たせしました!──
そんな話をしながら西に向かっていたシノブ達に向かって、金鵄族のホリィが飛翔してくる。どうやら、話しているうちに合流地点であるアルマン王国との境の海域に接近していたようだ。
シノブ達は、港湾都市パーニオンから真っ直ぐ西に向かっていた。メリエンヌ王国とアルマン王国の境は、二国のほぼ中間の海上である。シノブ達は、ここから領海の境に沿って南下して、ガルゴン王国との境に向かうのだ。
──ホリィ、お疲れ様!──
──元気そうですね!──
まだ距離があるから、シノブとアミィも心の声で挨拶をした。
このあたりは雲に閉ざされ、海上を見ることは出来ない。そのため、ホリィも青い鷹の姿のまま飛んでくる。しかし、これからはアルマン王国の商船に偽装した軍艦もいる海域だ。
「気を引き締めないとな……」
ここからは油断できない。それまで少々観光気分であったシノブだが、問題の海域を眼前にして知らず知らずのうちに鋭い顔つきになっていた。
西半分がアルマン王国、東側は北がメリエンヌ王国で南がガルゴン王国と三国が接した海では、商船と偽ったアルマン王国の軍艦が他国の商船を沈めている。そして、アルマン王国には帝国由来の魔道具が渡っている可能性が高い。
南へと向きを転じたフェイニーの遥か先には青い輝きが見える。どうやら、これから向かう場所は快晴のようだ。しかし、そこに蠢く何かの姿は、まだシノブ達の目には明らかになっていなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「……ったく、折角助けてやるって言ってるのによ! 何だ、あの態度は!?」
ガルゴン王国からメリエンヌ王国へと北上する商船団の船の一つで、虎の獣人の船員が憤りの声を上げていた。どうやら、よほど気に入らないことがあったらしく、彼は顔を真っ赤にしている。
「落ち着けよ。自分で修理できるってんだから、良いじゃないか」
正に憤懣やるかたない、といった様子の虎の獣人を獅子の獣人の船員が宥めた。
彼らが乗っている船は商船団の旗艦であり、全長25mほどの立派な船だ。そして、その後ろには同じくらいの大きさの船が十隻ほど続いている。
彼らは、つい先ほど一隻の商船と遭遇した。
船団が遭遇したのは、同じガルゴン王国の船であった。メリエンヌ王国の更に北にあるヴォーリ連合国から帰還する最中であったが、自国の領海に入って直ぐに舵を故障したという。そちらも船団を組んでいたというが、日程に余裕が無かったらしく一隻だけ残して他は南に行ってしまったそうだ。
「あれは本当に故障なのか? ほら、例のアルマン王国の偽装商船じゃないのか?」
虎の獣人と獅子の獣人の会話に加わったのは、人族の船員だった。彼は、不安そうな顔を同僚達に向けている。
「かもな……だが、こっちは軍艦じゃないんだ。手助けの必要がないと言っているのに近づくわけにはいかんだろう。それに、もし偽装商船なら下手に近づいたら攻撃してくるかもしれないぞ」
「そうだな。でもよ、もう少し待っていれば軍艦が護衛してくれるってのに、うちの船団は何でこんなに急ぐんだ?」
「他より先に行って安く買い叩きたいんだろ? 安全になってから大勢押しかけたら、相手も売り先を選べるからな。でも、そのお陰で仕事にありつけたんだ。どこも船を出さなかったら、おまんまの食い上げだぜ」
近くにいた船乗り達も三人の話に混じってきた。今は南西からの追い風で、帆の調整もしなくて良い。そのため、船員達も手持ち無沙汰だったのだろう。
「お前達、何を無駄話しているんだ!」
そんな弛んだ空気を見逃せなかったらしく、上等な服を着た男が噂話をしている船員達を叱り飛ばす。おそらく彼は、船長か航海長なのだろう。
「航海長!」
「持ち場に……うわっ、何だ!?」
航海長は船員達を引き締めにかかったのだが、彼の叱責は尻切れトンボで終わることになってしまった。何故なら、突然前方から巨大な矢が飛んできて、舷側に突き立ったからである。
「面舵! 帆はそのままで良い、消火を急げ! 見張り! 手前の商船団か!?」
航海長は、着弾の衝撃に一瞬我を失った。しかし彼は、僅かな時間で立ち直り、矢継ぎ早に指示を出していく。
着弾した矢には魔道具の発火装置が付いており、舷側からは早くも濃い煙が上がっている。そのため、航海長は普段とは違い口早に操舵手に命令し、復唱を待つことも無い。
「前方11時! 偽装商船だ!」
大声で怒鳴った航海長に、マストの上から慌てた様子の答えが返ってくる。それを聞いた船員達は、どよめきを上げつつも急いで持ち場に散っていった。
「もっと離れておけば!」
向かい側、つまり北側から別の商船団が来るのは船乗り達も知っていた。そして、ここのところの騒ぎがあるから航海長も用心し、航路を変更して避けていた。
高性能な大型弩砲であっても射程は1kmくらいだ。したがって航海長は相手より1km少々東側を抜けるよう指示を出していたのだが、どうやら足りなかったらしい。
「仕方ないだろ! 船が見える度に避けていたら前に進めん!」
だが、乗組員達は過度に航海長を責めることはなかった。
晴天でもあり、マストの上からなら20kmや30km先でも視認可能である。したがって理屈の上では全ての船を避けて航海できるが、それでは効率が悪すぎる。
しかも、このあたりはガルゴン王国とメリエンヌ王国の間で国境の山脈が海に落ち込んでいる場所だ。そのため暗礁が多く、航行可能な範囲もある程度限定されていた。
そもそも商船が目に入る船を全て疑って避けていては、航海など出来ない。船員達も、それらを理解しているのだ。
「くそ! もっと水をよこせ!」
「これじゃ足りん!」
舷側に水を掛けながら、船員達は不安そうな顔でやり取りしていた。彼らは消火用に海水を汲み、樽に入れていたのだ。
「暗礁までどのくらいだ!?」
「たぶん3kmも無い!」
東に航路を変更しても暗礁があるから、何kmも逃げるわけにはいかない。では西に避ければ良かったかというと、そちらに行けばアルマン王国に近づくことになる。
結局のところ東に逃げるしか無いのだが、ここは暗礁が最も迫り出している海域で航路の余裕が少なかった。もちろん偽装商船はそれを知っているから、この場所で襲ってきたのだろう。
そうこうするうちに新たな矢が次々と飛んできて、舷側どころか帆にも当たりだした。そのため船の速度は急速に落ちていく。
今も船員達は必死の消火を続け、少しでも偽装商船から遠ざかろうと船を操っている。しかし、もはや逃げ延びる術は無いと覚悟したのか、いずれの顔も蒼白となっていた。
「な、何だアレは!?」
「ば、化け物か! 噂に聞く竜とは違うぞ!」
もはやこれまでかと思われたが、偽装商船が彼らの船団にそれ以上接近することはなかった。しかも、いつの間にか大型弩砲の攻撃も止まっている。
驚愕の表情の船員が口にしたように、二つの船団の間には真っ赤な巨体の生き物が、海の中から現れていたのだ。
それは、商船団の船を遥かに超える島のような体から、長い首を生やした生き物であった。船員達の理解できる範囲で言えば、顔から首にかけてはトカゲの一種のようで、多少前後に長い胴体は亀のようでもある。
しかし彼らが化け物と言うのは、その生き物の首が何本もあったからだ。消火作業中の船に背を向けた巨大な何かは、どうやら八本の首を持っているらしい。
「空を飛ぶ竜も、海から現れた竜も、首は一つだろ?」
「ああ、そう聞いているが……」
岩竜や炎竜がメリエンヌ王国に頻繁に出現するようになってから、既に二ヶ月近い。それに、海竜がカンビーニ王国に現れてからも十日近くは経っていた。そのため船乗り達も、それらの姿については伝え聞いていたようだ。
しかし八本の首を持つ生き物など、御伽話か酔っ払いの法螺話にしか出てこない。それ故彼らは目の前の光景が現実か疑っているようだ。
「馬鹿、何をしている! この船は放棄する! 後続の船に乗り移れ! 航海長、行くぞ!」
いつの間にか甲板に姿を現した男が、呆然としている船員達に怒鳴った。随分と上等の服を着ているし航海長に指示を出すのだから、彼は船主か船長なのだろう。
男は船を放棄すると決めたらしい。船足が落ちたため、後ろの船もとっくに追いついている。先頭の船は火も燃え広がっているし、帆も破れている。偽装商船、つまりアルマン王国の軍艦が迫る中、ゆっくり帆を付け替えることなど出来はしない。したがって、この判断は妥当なものであった。
「はい! おい、ボートを出すんだ!」
「わかりました!」
航海長の命令を受けて、船員達は無事だった右舷側のボートを降ろしていく。
幸い、商船だけあって荷降ろしなどのためのボートはそれなりに多かった。したがって、何とか全員ボートに乗ることが出来そうだ。船員達は、生気を取り戻し喜びの声を上げながら、ボートに乗り込んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ば、化け物!?」
「撃て、撃てぇ!」
一方、偽装商船側は大混乱であった。先頭の一隻には、謎の巨大生物が迫っている。
巨大生物には大型弩砲の攻撃など効かないらしく、どれだけ矢を放っても八本首の巨大生物が怯むことなど無い。しかも巨大生物は非常に皮膚が硬いらしく、矢は全て跳ね返っており、何のダメージも与えていないようだ。
「う、うわぁ!」
「食われるぞ!」
ついに、巨大生物が先頭の偽装商船に取り付いた。八本の首のうち幾つかで船を押さえ、残りを甲板の上に伸ばしてくる光景は、船員達からすれば悪夢に違いない。
八本首の巨大生物は、首だけでも偽装商船の数倍はあった。したがって、それぞれの首の上にある頭も十人以上が乗れるボートよりも大きかった。ちなみに、巨大な口は肩車をした大男が余裕で潜れそうである。
「お、お前達、勝手に逃げ出すな! 軍人として恥ずかしくないのか!」
「艦長、無理です! 逃げましょう!」
船員達は、後部にあるボートを勝手に降ろして船から降りていく。
どうも、八本首の巨大生物は先頭の船以外には興味が無いらしい。一隻目の船に取り付いた巨大生物は、相手を海中に沈めようと上から押さえつけているように見えるが、それだけである。もしかすると、巨体以外に攻撃手段を持たないのかもしれない。
船員達もそれを悟ったのか、後続の船に移乗しようと逃げている。それどころか、上官らしき者達も続々と逃げ出していた。
実は、後続の偽装商船団も八本首の巨大生物を攻撃していたのだが、全く通じないから撤退しかけていたのだ。早くしないと自分達だけが巨大生物の餌食となってしまう。どうも、そう判断したらしい。
「くっ、総員退避!」
遂に、艦長も含め全員が下船した。彼らは必死でボートを操り、後続の仲間の下に向かっていく。幸いというべきか、残りの船も脱出した船員を見捨てるつもりは無いようだ。巨大生物が最初の船に取り付いて沈めようとするばかりで、他の船を攻撃しないからだろう。
「俺達の船が……」
「馬鹿、助かっただけマシだ!」
ボートから甲板に上がった船員が呟く通り、八本首の巨大生物は取り付いた船を沈めていた。そして、ゆっくりと後続の船に向かって進んでくる。
それを見た残りの偽装商船は、慌てて向きを変えて西へと去っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「……襲撃の現場を見たからには無視は出来ないけど、これで良かったのかな?」
「一応、ここはガルゴン王国の領海ですからね。でも、これならメリエンヌ王国が手を出したとは思わないでしょうし……」
こちらは、海面近くを飛ぶオルムルの上に乗ったシノブとアミィである。そして、オルムルの脇にはフェイニーも浮かんでいる。
実は、謎の巨大生物はシノブとアミィが協力して作り出した幻影であった。シノブがアミィに魔力を与え、巨大な幻影を作り出したのだ。しかも二人は、幻影と合わせて魔力障壁を応用して矢を跳ね返したり船を捕まえたり実体があるように見える工夫もした。そのため、船員達には作り物と思えなかっただろう。
「ともかく、偽装商船を確保したから良しとするか。アミィ、このまま幻影を維持できるかな?」
「はい、大丈夫です!」
シノブの問いに、彼の前に座るアミィは元気良く答えた。
沈められたように見えた偽装商船は、巨大な幻影の中で元のまま海上に浮いていた。沈没する光景も、アミィが作り出した幻影だったのだ。
今回シノブ達は、敢えて船員達を捕らえなかった。ここが他国の領海だからである。ガルゴン王国と協力して実施した作戦ならともかく、他国の領海で勝手に別の国の船を拿捕するなど、万が一明るみになったら大問題である。
シノブ達は、このまま幻影魔術で包み込んだまま、偽装商船をメリエンヌ王国に運ぶつもりだ。しかし捕虜を得たら、いずれ解放するときにアルマン王国にも伝わってしまうだろう。
現時点で徹底抗戦となるかは不透明である。そのため、まずは船だけを確保し、相手が使っている魔道具を突き止めたい。
そのため、もどかしくはあるがシノブは今の段階では情報収集に留めることにしたのだ。これは前日に王太子テオドール達とも相談して決めた方針でもあり、シノブだけの判断で勝手に踏み越えることは出来ない。
「本当は、偽装商船を発見したら一隻だけ行方不明にさせるつもりだったんだけどね」
シノブが最初考えていたのは、偽装商船を丸ごと透明化し乗組員を催眠の魔術で眠らせる、というものであった。見張り役の偽装商船には、一隻で行動するものもいるから、それを狙う予定だったのだ。
まず単独行動の船を見つけ、乗組員を眠らせる。そして、近くを航行する仲間の船の前に乗組員をボートに乗せて放り出す。これなら船だけを奪えるし、誰がやったかも不明に出来ると思ったのだ。
もちろん、アルマン王国もガルゴン王国かメリエンヌ王国の仕業だと思うだろう。しかし、証拠が無ければ当分は言い抜け出来る、という目算である。
「この後、謎の大怪獣に船乗りさん達が怯えないと良いのですが……」
アミィは言葉を濁したまま、苦笑している。
当初の計画はともかく、実際にガルゴン王国の船団が襲われているところに遭遇しては、見過ごすわけにもいかない。戦闘状態に入った偽装商船は、相手を全て沈めるまで諦めないだろう。生き残りがいれば、アルマン王国の企みが露見する恐れがあるからだ。
そうなると、通常の相手とは異なる絶対に勝てない何かと思わせて退却させるしかない。更に、ここで戦端を開かない以上、アルマン王国側の命を奪うわけにもいかない。そのため、謎の大怪獣の出現となったわけである。
とはいえ、これではガルゴン王国の船乗りが謎の海の大魔獣について喧伝するのは間違いないだろう。自分達を助けてくれたのだから悪くは言わないだろうが、逆に守ってくれると期待して船を出されても、それはそれで問題である。
「まあ、考えている時間は無かったからね……」
シノブとしては、とっさの判断で実行したことであり、適切かどうかと問われれば少々困るのは事実である。とはいえ、戦場で余計なことを考えて勝機を逸するな、とはベルレアン伯爵コルネーユや、その父アンリ、そして目の前のアミィからも何度も言われたことである。
「はい! 後は、ホリィが何を掴んでくるか、ですね」
アミィが言うように、ホリィは残った偽装商船の追跡を開始している。これだけのことがあれば、偽装商船を動かす幹部は、上に何らかの報告をするだろう。彼らの会話からすると軍人であることは間違いないようだし、司令官か、あるいは国王などに伝えるのではないだろうか。
アルマン王国の間者も捕らえた。それなら、次の一歩として更に踏み込んだ偵察が必要だ。そうシノブは考えたのだ。
「そうだね。さて、どうやって持って帰るかな?」
──私が持ち上げます! シノブさんから沢山魔力をもらえば出来ます!──
──えっ、それなら私がやりますよ! シノブさん、美味しい魔力を沢山ください!──
シノブの言葉に、オルムルとフェイニーが、自分が偽装商船を運ぶと言い出した。岩竜も光翔虎も、大人であれば、船の一隻ぐらい宙に持ち上げて運ぶことは可能である。
「シノブ様が魔力で船を支えて、私が幻影で包み込んで……それなら何とかなりますか」
流石に、偽装商船には磐船のように持ち上げる取っ手など存在しない。そのため、誰かが魔力で船を支える必要がある。したがってシノブが自身の魔力で船を保持し、魔力を与えられて飛翔能力を増したオルムルかフェイニーが彼を乗せる。そして、アミィが幻影で全てを包み込む。どうやら、こういうことになるらしい。
「わかった。それじゃ、どっちが運ぶか決めてくれ」
──わかりました、では、フェイニーさん! 最初はグー! ジャンケンポン!──
──アイコです! もう一度!──
二頭は、早速ジャンケンを開始した。彼女達のジャンケンは全身を使うものだから、オルムルの背の上のシノブ達は揺すられて大変である。
シノブとアミィは、戦いの後とは思えない無邪気な光景に、思わず笑い合っていた。謎の巨大生物から全速力で遠ざかっている二つの船団は、まさかこんな光景が内部で繰り広げられているとは考えもしないだろう。それを思ったシノブは、ますます大きな笑い声を上げていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年11月3日17時の更新となります。