14.11 策謀の海域 中編
ルシオン海に面した港湾都市パーニオンは、北側に大きな湾を持つ街であった。パーニオンは、メリエンヌ王国の都市の中では、もっとも北に位置する。そのため四月に入ったばかりのこの時期は、海からの風は少々冷たかった。
しかし、昼前の港は活気に満ちていた。早朝の漁から戻った漁船で賑わっているのだ。パーニオンの港は漁港に商業港、軍港と三つに分かれているが、もっとも北側に位置する漁港には、魚などを満載した無数の船が帰港していた。
実は、パーニオンから少し北の海域は、良い漁場であった。ヴォーリ連合国との境となるそのあたりは、岩礁も多く海生魔獣も棲むため、危険の多い場所だ。しかし、魔獣が多いということは魔力の多い場所でもある。
この世界の生き物は多かれ少なかれ魔力を活用して生きている。したがって、一般的に魔力が多いところには生き物も多い。しかも、そういった場所に棲む生き物は他より大きい場合が殆どだ。
そのため、パーニオンの北は漁師達の稼ぎ場となっていた。もちろん、魔獣が棲む海域への侵入は危険であり、漁師達が向かうのは多少南の周辺部である。
だが、そこから先に進む船もあった。ドワーフが作る質の良い金属製品を求めてヴォーリ連合国と交易する商船である。ただし北の海域は岩礁と魔獣のため航路が限られる難所であり、そこを避けて大回りする船が殆どだ。
これは、魔獣の棲む海域は大型船が航行できないからだ。しかし、迂回すると西のアルマン王国の領海に接近せざるを得ない。
そのアルマン王国は海上権益を独占するために、他国の船を軍艦で排除している。しかも、領海侵犯として拿捕することもあるらしい。
そのようなわけで、メリエンヌ王国ではヴォーリ連合国との海上交易はあまり盛んではなかった。従来、メリエンヌ王国には東のベーリンゲン帝国という明確な敵国が存在した。そのため、西のルシオン海でも諍いを起こして東西の両方に敵を抱えたくない、という事情があったからだ。
なお、パーニオンの港を利用するのはメリエンヌ王国の商船だけではなかった。南方のガルゴン王国の船も、寄港するのだ。
ガルゴン王国とアルマン王国は、双方とも海上交易に重きを置いた国であり、仲が悪かった。そのためガルゴン王国の商船は、友好国であるメリエンヌ王国の沿岸近くを北上し、ヴォーリ連合国に向かう。
そのような経緯から、港湾都市パーニオンで一番栄えているのは漁港なのだが、商業港もそれなりの賑わいを見せていた。
そして、そのパーニオンの漁港から商業港に向かう通りを、二人の狼の獣人が歩いている。一人は二十歳前くらいの青年、もう一人は十歳くらいの少女だ。兄妹なのか濃い茶色の髪に黒っぽい瞳が良く似た二人は、仲良く手を繋いで歩いている。
青年の方は武人らしく、軍服に似た服を身につけている。白い上着に同じく白いズボン、そして緋色のマントで、少々目立つ服装だ。彼の衣装はメリエンヌ王国の軍服とは異なるから、羽振りの良い傭兵か、貴族が側仕えとして置いている騎士か従士かもしれない。
一方、少女の赤い制服風の衣装は軍服とは全く似ていない。彼女が着ている上着には、胸に大きな黄色のリボン、そして膝丈のスカートの裾には飾りを兼ねた絞り紐も入っている。仮にこれが制服なら、よほど服飾に理解のある主が侍女見習い達に用意したものではなかろうか。
「あまり買えなかったね。まあ、俺とアニーが何樽も買っていったら怪しまれるのは確かだけど」
「仕方ありませんよ。シーノお兄さまならともかく、私が樽を運んだりしたら大騒ぎです」
実は、この二人はシノブとアミィが変装した姿であった。もちろん青年がシノブ、少女がアミィだ。シノブはアミィが作った変装の魔道具で、アミィは自身の幻影魔術で狼の獣人に姿を変えているのだ。
二人はルシオン海に関する噂話でも拾えないかと思い、漁港へ赴いたわけである。
シノブ達は、岩竜の子オルムルと光翔虎の子フェイニーに乗ってパーニオンにやってきた。そして二人は午前中の漁港を存分に巡り、次の目的地である商業港に移動しているところだ。
情報収集の本番は、これから向かう商業港だ。漁港に訪れたのは、その前の肩ならしというか、貴族の家臣シーノと妹のアニーという変装の設定に慣れるためであった。とはいえ、シノブとアミィは北の海産物の買い付けを存分に楽しんだ。したがって、純粋に演技のためというわけでもないのだが。
「朝の漁が終わって一段落していたから、ちょうど良かったですね。お陰で沢山周れました」
アミィは、いつにも増して輝く笑顔でシノブを見上げている。どうやら彼女は、久しぶりにシノブとゆっくり出来て嬉しいようだ。
ポワズール伯爵領の領都メレスールからパーニオンに来たのが、およそ午前十時だった。そのため、漁港には海から戻ってきた漁師達が大勢いた。そして、二人は一時間あまり買い付けを兼ねた聞き込みをしていた。それは、シノブとアミィにとって、普段とは違う開放感に溢れた一時であった。
「ああ、そうだね。一時間は周ったよね……オルムルとフェイニーは、まだ追いかけっこか」
シノブは、曇り空を見上げながら呟いた。彼は己の並外れて鋭い魔力感知能力で、二頭が今どこで何をしているのか察知したのだ。
シノブ達は、オルムルやフェイニーとパーニオンの外で一旦別れていた。
フェイニーは姿を消せるし、オルムルもアミィが幻影魔術を掛ければ同じように出来る。とはいえ、ずっと姿を消したままというのも窮屈ではないかとシノブは思ったのだ。
「向こうは向こうで楽しんでいるみたいですね」
アミィも灰色の雲を見上げた後、シノブに微笑んでみせる。
現在オルムルとフェイニーは、パーニオンの遥か上空を飛び回っている。二頭は雲の上だから、地上から発見される心配もない。そのため、オルムル達は気兼ねなく飛翔を楽しんでいるらしい。
「そうだね。オルムルも、自分と同じくらい飛べるフェイニーがいて嬉しいんじゃないかな。そういう意味でも、バージ達と出会えて良かったね」
シノブは、フェイニーの両親であるバージとパーフを脳裏に思い浮かべた。
彼らは、岩竜ガンドや炎竜ゴルンの棲家に赴いた後、カンビーニ王国の王太子シルヴェリオや女公爵フィオリーナなどと南に戻っていった。
なお、二頭はシェロノワに来る前に、デルフィナ共和国の同族の下にも向かったらしい。彼らは、その近くで竜人達と遭遇したからだ。幸い、そちらの光翔虎は変わりなく暮らしていたそうだ。どうやら、竜人の生き残りは旧帝国領やデルフィナ共和国にはいないようだ。
暫しの間、シノブは、それらのことを思いながら分厚い雲を眺めていた。アミィも、そんなシノブの心を察したのか再び空に顔を向け、シノブの視線の先を静かに見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
商業港に向かう道は人通りも多い。そのため、シノブ達も充分周囲に気を付けていた。商船から降ろした荷、あるいは乗せる荷を運ぶためだろう、通りの中央近くは何台もの荷馬車が行き交っている。それに、シノブ達が歩く端の方も、商人らしき者や船員風の男達などが忙しなく行き来している。
「しかし、ウニがあるとは思わなかったな。しかも、あんなに大きな……」
シノブは、歩きながら漁港の様子を思い出していた。港には本当に様々な海産物が並んでおり、二人はそれらを可能な限り購入した。そして、その中に巨大なウニもあったのだ。
「ウニは、オムレツに入れたりして食べるそうですよ。この辺りの漁港では卵より安く手に入るとか」
満足そうに微笑むシノブに、アミィはメリエンヌ王国の西海岸、特に北部の風習を語っていった。
シノブ達が今まで赴いた南方の海とは違い、パーニオンの漁港にはサケやタラのような北方で取れる魚やホッケやニシンなども揚がっていた。それだけではなく、昆布に似た海草や牡蠣やホタテ貝に似たものまであった。そして、ウニもその中に含まれていたのだ。
ウニは、漁師などであれば生食する者もいる。しかし、一般には調理をして食べることが多いらしい。
魔獣がいる辺りには、それこそ子供くらいの重さのウニや牡蠣もいるらしい。しかし、食用となるのは周辺部で取れるもので、それよりは小さく人の頭ほどである。それだけの大きさのものが比較的容易に手に入るので、卵代わり、あるいは卵に混ぜて各種の料理に使われるという。
「また、機会があれば来たいな。今回は何度も場所を変えたから、少ししか買えなかったし」
シノブは、先ほどまでいた漁港の方へと振り返った。
二人は魔法のカバンを持っているから、その気になれば漁港に並べられている魚介類を端から買っていくことも出来た。しかし貴族の家臣とその妹が、王族でも持っていない貴重な魔道具を所持しているなど、怪しいことこの上ない。
そこで、シノブとアミィは、手に持てるくらいの海産物を買っては人目の無いところで収納し、という形で漁港を周っていったのだ。
「でも、色々聞けて良かったです」
アミィは、未練タラタラのシノブの様子に苦笑気味である。しかし、彼女はシノブを咎めようとはしなかった。それどころか、彼女の薄紫色の瞳は、どこか楽しげに輝いている。
「まあね……やっぱり、漁場の争いとかもあるんだね」
周囲には街の人々も歩いている。そのためシノブは言葉を濁しつつ答えた。
漁師達は、ここパーニオンだけではなく、メリエンヌ王国の西海岸全般について詳しかった。沿岸の漁師達で情報交換をしているらしい。漁場では、他の港から来た船とも遭遇する。そういうときに、漁に関することなど様々な話をするようだ。
何しろ、この世界の海には海生魔獣もおり、漁師達も魚だけを獲っているわけにもいかない。そのため同国の漁師であれば、知っていることを教え合うらしい。
そして漁師達によれば、メリエンヌ王国の領海にも、商船に偽装したアルマン王国の軍艦が侵入することがあるらしい。ただし南方のガルゴン王国とは違い、あまり奥深くには入ってこないようだ。
アルマン王国の軍艦は、メリエンヌ王国の漁船を発見すると漁の妨害をすることがあるそうだ。領海を定めてはいるが、海上に線など存在しない。そこで、境界近くだと自領だと主張して邪魔をするという。
だが、商船に偽装した軍艦の場合、漁船の近くを通行するだけらしい。商船と偽っているのだから、漁に興味を示すのはおかしいし、領海を主張するわけにもいかないから、これは当然である。
しかし漁師達は、長年培った勘で本物の商船かどうか判断できるそうだ。このあたりは、彼らも口を濁してはいたが、どうやらアルマン王国の海域に侵入して操業するうちに養われる感覚のようだ。おそらく、商船にしては規律正しい船員の様子や、軍艦らしく良く手入れされた船を見て、何となく察するのだろう。
「そうですね……あっ、ここで食事しませんか? ここなら船員さんもいると思います!」
シノブに頷いたアミィだが、彼の向こう側を指差し昼食を取ろうと提案した。シノブがそちらに顔を向けると、大きな食堂が目に入った。
食堂の入り口には、ちょうど船員風の男達が入っていくところであった。おそらく夜は酒場になるのだろう、少し派手な看板と外装の食堂は、確かに船乗り達が好みそうな雰囲気だ。
「少し早いけど、もうそろそろ昼だしね。それじゃ入ろうか!」
シノブは、馬車などが往来していないことを確認し、通りを横切った。そして彼は、アミィと並んで鮮やかな色に塗られた扉を押し開けていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「いらっしゃいませ! あの、騎士様でしょうか?」
店に入ると、最初は笑顔で迎えた店員の少女が、小首を傾げてシノブに問いかける。シノブ達の身なりは、どう見ても普通の領民には見えない。特にシノブは、軍服風の衣装に小剣を下げている。
正規の軍服ではないから、まず思い当たるのは傭兵か非番の軍人だろう。しかし服の質も良いし、下げている剣も上等のものだ。それに、アミィの衣装も王都で買った洗練されたものだ。そこで店員の少女は、お世辞混じりで騎士と言ったのではなかろうか。
もっとも、少女はシノブ達の人品を見て判断したのかもしれない。シノブも領主として三ヶ月あまりを過ごしているから、貴族らしい振る舞いが身に付いてきた。それに、今日のアミィはシノブが贈ったネックレスを表に出している。そのため、それなりの身分に見えて当然かもしれない。
「ああ。でも、気にしないでくれ」
シノブは、少女を安心させようと柔らかく微笑んだ。なお、今日の彼はフライユ伯爵家の騎士シーノとしての身分証明書を携帯していた。それ故シノブは騎士と答えたのだ。
「そうですか! それでは、こちらにどうぞ!」
店員の少女は、笑顔でシノブ達をテーブルに案内する。メリエンヌ王国の騎士や従士の多くは領民達を労り無法を働くことはない。そのため、少女もシノブ達を必要以上に畏れることは無いようだ。
店内は長いカウンター席と、二十を超えるテーブルがある広々とした造りであった。その半分は既に船乗り達で埋まっている。
「騎士様、今日は非番ですかい?」
「今日は良い海老が入っていますぜ!」
船乗り達は、気安げにシノブに声を掛けてきた。全員が顔を赤く染め、手にはビールの入ったジョッキを持っている。どうやら、彼らは航海を終えたか風待ちで休みのようだ。それだから、昼間から飲んでいるのだろう。
それはともかく、王都メリエをシノブ達が散策したときもそうであったが、街の者達も騎士や従士だからといって無闇に恐れることはない。騎士階級までだと、街に出向いて買い物や飲食をするのは珍しくも無いからだ。
流石に代官や司令官を務める重臣は別だが、騎士といっても従士に近い家格の者も多く、彼らは普通に領民向けの店を利用する。騎士でも下の方だと、軍人なら小隊長か中隊長である。そのくらいだと隊員達と飲みに出かけるときは安い店も使うし、日常の買い物にも自分で出向くからだ。
「まあ非番と言えば非番だね。ところで私はこの街は初めてでね。良ければ、お勧めを教えてくれるかな? その代わりに一杯奢るよ」
シノブは、声を掛けてきた船乗り達の隣に座った。酒も入っているし陽気そうな男達である。シノブは、彼らなら話しやすいと思ったのだ。
男達は狼の獣人や熊の獣人が殆どだが、中には虎の獣人もいた。おそらくメリエンヌ王国だけではなく、ガルゴン王国の船員もいるのだろう。
「これは済みませんね! おい! こちらの騎士様に海老の揚げたヤツ、それとサケの焼いたのだ!」
「ご馳走になりますぜ! 俺達には酒を追加だ! ジョッキ一杯ずつ……でよろしいですか?」
喜びに沸く船員達は、早速注文を始めた。早速、自分達にジョッキの追加を頼む者もいるが、一応シノブに確認を取るあたり、相手が騎士だというのは忘れていないようだ。
「ああ、構わないよ。一杯ずつだが、他のテーブルの皆も頼むと良い」
「店員さん、お願いします!」
少々奢るくらいで望むものが得られるなら安い。そう思ったシノブは、全員に酒を振舞うことにした。アミィもシノブと同じことを考えたのか、笑顔で注文を追加する。
「おお! 気前が良い騎士様に乾杯!」
シノブの言葉に、羨ましそうな顔をしていた周囲の者達がジョッキを掲げて歓声を上げた。彼らもシノブ達の隣の者と同様で、多くは獣人族で一部が人族だ。
「……もしかして結構出世されているんで?」
隣のテーブルの熊の獣人が、シノブに遠慮気味の表情で問いかけた。
騎士ともなると、庶民の平均から比べれば非常に多くの収入がある。仮に軍人で中隊長だとした場合、街の民の五倍や六倍の稼ぎはあるはずだ。ちなみに大隊長なら中隊長の倍近く、そして司令官なら更に倍が相場である。
しかし、シノブはどう見ても二十歳前後だ。そのため船乗りは、シノブが小隊長くらいだと思っていたようだ。
「フライユ伯爵領軍で中隊長をしているのだが、戦で沢山褒美を頂いたのさ」
シノブは、思いがけず地位を得た若者らしい感じを意識しながら答えた。昨年末の戦いに参加した傭兵が功績により仕官し騎士になった。これが今日の表向きの経歴である。
「あの『二週間戦争』ですかい!?」
『二週間戦争』とは、正式には『創世暦1000年ガルック平原の会戦』と呼ばれる戦いのことだ。しかし短期間で終わったことから、王都メリエではこう呼ぶ者が多かった。もしかすると、港湾都市パーニオンには王都経由で情報が伝わったのかもしれない。
熊の獣人の船員の叫びに、周囲の者も驚きの表情となった。彼らは、今までシノブを単なる若手の騎士だと思っていたようだ。しかし、先の大戦に加わったと聞いて、尊敬の念を顕わにしている。
「ああ。今回は西方海軍に用事があって来たのだが、何か閣下に土産話でも、と思ったわけさ」
「でしたら何でも聞いてください! 『魔竜伯』シノブ様が俺達の話で楽しんでくれるなんて、凄いことです! なあ、皆!?」
シノブの言葉を聞いた熊の獣人の船員は、席から立ち上がって周囲に声を掛ける。彼は『魔竜伯』ことフライユ伯爵の直臣が目の前にいると聞いて、興奮したらしい。
もっとも目の前にいるのは、フライユ伯爵であるシノブ当人だ。アミィは、そのことをおかしく思ったのだろう。彼女は歓喜に沸く船乗り達の中で、どこか微笑ましげに熊耳の大柄な船員を見つめていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「そんなことをしていたのか……」
船員達に酒を勧めつつ自身も食事を取ったシノブは、驚きを表しつつ呟いた。
食堂にいる男達も、商船に偽装したアルマン王国の軍艦について知っていたのだ。それに、現場の人間だけあってホリィやポワズール伯爵達が知らない情報も持っていた。それは、偽装した軍艦が襲撃対象を襲う方法である。
船員達の話を纏めると、アルマン王国の軍艦には襲撃役と見張り役があるらしい。まず、航路の両端では他の船団が襲撃する海域に進入しないか見張っている。そして襲撃役は他の商船団や軍艦が航行しているときには襲わない。それが、襲撃現場の目撃例が無い理由であった。
しかも、見張り役の更に外側で航行の邪魔をする船が出ることもある。あるときは軍艦が、あるときは事故を装った船が、と妨害役は様々な手段を用いるようだ。
なお、これらの艦船は、マストに上げる旗の種類で情報を伝達しているらしい。
これは、ガルゴン王国の船乗りが極めて最近になって気がついたという。そして、ここには今日南方から来たばかりの船員もいたのだ。
「奴ら、俺達メリエンヌ王国の船は狙わないんでさぁ……だけどガルゴン王国は……」
「ああ、俺の弟が乗り組んだ船団も、やられちまった……」
赤ら顔の男達は苦々しげな顔で言葉を続けた。シノブが楽にしてくれと言ったため、船乗り達は再び最初のような砕けた調子に戻っている。
「アルマン王国の船が多いのは、やっぱり三国の境あたりですか?」
「ああ、そうさ。アルマン島と大陸の間、西半分がアルマン王国で、東半分の北がメリエンヌ王国、南が俺達ガルゴン王国……そこの南側だ」
アミィの問いかけに、虎の獣人が答える。彼は、弟の加わった商船団が沈められたと言った男だ。
なお、アルマン島とはアルマン王国を構成する二つの島のうち南側のものだ。アルマン島は北の島より大きく、王都アルマックがある。
「もっと、陸の側を航行するわけにはいかないのかな?」
「あの辺りは、パーニオンの北と同じなんでさぁ……国境の山脈が、そのまま海に落ち込んでいるから、沿岸近くは暗礁が多いんで。
それに、あの辺はアルマックに近いからアルマンの奴らも自分達の海だって押し込んでくるんでさぁ」
熊の獣人の船員が答えたように、三国の境となる海域は自然の難所でもある上に、アルマン王国にとっては王都に近く譲れない海域らしい。それに、アルマン島と大陸がもっとも近い場所であり、他より狭いということもあった。
「シーノ様、軍艦を護衛に付けてもらうのは駄目でしょうか?」
船員達には、既にシーノとアニーという偽名も教えている。それに、飲み食いしている内にかなり親しくもなっていた。
「馬鹿、アルマンの奴らが仕掛けてくるのはガルゴン王国の海域だ! うちの海軍が出張るわけにはいかんだろ!」
「うちの海軍はね……だが、ガルゴン王国側が軍艦を出すよ」
シノブは、纏め役らしい熊耳の船員に頷いてみせた。そして、彼らにガルゴン王国が動くという情報を教える。
実は、これは作り事ではなく、ガルゴン王国の大使の息子ナタリオが言っていたことである。ガルゴン王国側も傍観しているだけではない。そのため、自国とメリエンヌ王国の境までは軍艦で商船の護衛をすべく動いているのだ。
もっとも、全ての商船団を護衛することは難しい。そのため、当面はなるべく纏まって航海してもらうようだ。
「それと、こちらも西方海軍を派遣する。だから、そこから北は我が国の海軍が引き継ぐ」
更にシノブは、メリエンヌ王国側も自国の領海内までは出張ると伝えた。
メリエンヌ王国は、今まで東側でベーリンゲン帝国と戦っていた。そのため、西のルシオン海ではなるべく穏便な手段を取ってきた。しかし、もはや帝国との戦はほぼ終わりである。今頃は先代アシャール公爵を中心に残りの帝国領の攻略を始めている筈だ。そこで、西方海軍も強気に出ることにしたわけだ。
「おお!」
「こいつは凄い! 早速皆に知らせないとな!」
自信満々なシノブの言葉に、船員達は大きな歓声を上げた。中には、早くも席を立って仲間に教えようとする者もいる。
「……さて、そろそろ行こうか」
船員達の姿を、シノブとアミィは暫し微笑みと共に見つめていた。そして海の男達から目を離したシノブは、外に出ようとアミィに声を掛ける。
「はい! お勘定をお願いします! ……ああ、お釣りは要りませんから! 皆にもっと料理を出してあげてください!」
「ええ! 良いのですか!?」
アミィは店員の少女へと声を掛け、代金として数枚の金貨をテーブルに置く。おそらく、その半分以下で全員の飲食代になる筈であり、少女は驚きの表情でアミィを見ている。しかし、彼女はアミィが本気だと理解したのだろう、結局それを受け取った。
そして、船員の多くは、新たな飲み代の追加に大歓声を上げていた。外に行こうとしていた者の殆どは、再び元の席に戻って行く。
◆ ◆ ◆ ◆
一人の人族の男が、足早に街を進んでいた。彼は、シノブやアミィが入った食堂にいた船員の一人だ。多くの者が食堂に留まった中、彼だけが外に出て行ったのだ。
そして彼は、とある民家に辿り着くと、左右に視線をやって人の姿が無いことを確認してから素早く屋内に入っていった。
民家は、漁師か何かの家らしく外には漁の道具も置いてある。裏通りだが、海も近いから漁にはちょうど良さそうな場所だ。しかし二階建ての家は、主が外出しているのか一階の窓は全て閉まっている。ただ、換気のためだろうか二階の窓は大きく開いていた。
裏通りは、暫く静けさを取り戻した。漁師達の住む地区なら、今頃は港か海の上で働いているのだろう。漁師の妻達は、港で働く者が多い。子供達も、幼い子供であれば母や祖母の下に置くし、年上の者は漁の手伝いをする。そのため、通りは閑散として人の気配は無い。
そして十数分の後、そんな寂しい裏通りに再び人族の男が姿を現した。
「おっ、お前は!」
人族の船員は、民家の外に立っている白い軍服風の衣装にマントを纏った狼の獣人を見て驚きの声を上げた。もちろん、船員の前に立っているのは変装したシノブである。
「……やあ、中で何を話していたのかな?」
「お、お前には関係ないだろう!」
にこやかに微笑むシノブに、男は後ずさりながら叫び返した。男はかなり狼狽しているのか、声は震え顔も蒼白になっていた。
「関係はあるだろう? 何しろ、私はメリエンヌ王国の騎士だ。その私が、他国の間者を見逃すわけにはいかないからね」
「な、何を……何を言っているんだ!」
シノブが一歩、二歩、と近づくと、人族の船員はそれに合わせて下がって行く。そして彼は、とうとう扉に背中をぶつけてしまった。
「アルマン王国に知らせに行くのだろう? 中の男達が」
「な、何でそれを! どう……」
おそらく男は、どうやって、というつもりだったのだろう。しかし彼は、シノブの手刀を首筋に受けて崩れ落ち、その先を言うことは出来なかった。
「……さてと」
「あっ、シノブ様、こっちも終わりました!」
シノブが男を担ぎ上げたとき、民家の中からアミィが現れた。実は、彼女は幻影魔術で姿を消し、室内に潜入していたのだ。
男は扉から入ったが、高度な身体強化が出来るアミィは、二階まで一跳びで移動すると窓から侵入した。そして彼女は、姿を消したまま室内の会話を聞きつつ心の声でシノブへと伝えていたわけだ。
シノブ達の目的の一つは、漁師や船乗り達からの情報収集であった。
しかしシノブにはもう一つ目論んでいることがあった。それは、アルマン王国から潜入した者を発見することだ。何しろ、ポワズール伯爵も各地に配下を送り込んでいる。その状況でアルマン王国側が何もしていないと思う方がおかしいだろう。
「じゃ、中に入ろうか。簡単に聞き取ってから魔法の家でメレスールに送ろう」
「そうですね! 後はポワズール伯爵にお任せしましょう!」
シノブの言葉に、アミィも笑顔で頷いた。
詳しい調査は、領主であるポワズール伯爵に任せた方が良いだろう。彼がいる領都メレスールには、シャルロット達が滞在している。したがって、彼女に魔法の家を呼び寄せてもらえば、間者達をメレスールに送ったり、逆に監察官達を連れて来たりするのも簡単だ。
「シャルロット達も、こんな土産物は想像していなかっただろうね」
「本当は、ルシオン海で獲ってくる筈でしたけど……でも、お土産が多くて困ることは無いのでは?」
シノブとアミィは、楽しげに話しながら屋内に入っていく。そして彼らの姿が消え去った裏通りには、再び静寂が戻っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年11月1日17時の更新となります。