14.10 策謀の海域 前編
アリエル達の結婚式の翌日、シノブ達はポワズール伯爵領の領都メレスールへと赴いた。といっても、結婚したばかりの四組の夫婦は同行していない。
シメオンとミレーユ、マティアスとアリエル、イヴァールとティニヤ、そしてアルノーとアデージュ。この八人は、次のガルゴン王国への使節団にも加わるのだが、それまで休暇となっていた。
もっとも休暇は、ほんの数日だけである。いずれも高官ということもあるが、この辺りの国では結婚後だからといって長期休暇を取ることはないらしい。
今回シノブに同行したのは、アミィ、シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌであった。メレスールへの訪問は西海の調査のためであり、シノブとしてはアミィだけを連れて行くつもりであった。しかし、シャルロット達三人は、いずれも同行を希望したのだ。
「シェロノワでゆっくりすれば良いのに……」
シノブは、メレスールの大神殿からポワズール伯爵の館に向かう馬車の中で苦笑していた。シェロノワからメレスールまでは、およそ900kmである。そこで一行は、神殿での転移で訪れたわけだ。
馬車は、ポワズール伯爵家の者とシノブ達で二台用意されていた。どちらもポワズール伯爵家の大型馬車で、十数人乗車できる。とはいえ、シノブ達と従者だけでも一台必要であった。
車中には、シノブと先に挙げた四人の他に、猫の獣人アルバーノとソニア、そしてシャルロット付きの女騎士となった公女マリエッタに三人の伯爵令嬢、更にセレスティーヌ付きの侍女が一人に女騎士が二人乗っていた。
アルバーノと彼の姪ソニアは諜報担当ということもあり、要人警護の訓練も充分に積んでいた。特に、侍女のソニアはシャルロット達から離れず警護できるため、シノブとしても安心である。もっとも、今回シャルロット達は館から出ることはないため、危険なことは無いはずではあるが。
マリエッタ達は、それぞれシャルロットとミュリエルの護衛兼側仕えという名目で同行している。マリエッタとフランチェーラの虎の獣人の二人がシャルロット担当、獅子の獣人ロセレッタと虎の獣人シエラニアがミュリエル担当だ。もっとも、この四人に関しては観光半分の招待でもあった。
セレスティーヌの供は、女騎士シヴリーヌと新たに王都から呼び寄せた二人であった。彼女は、シェロノワへの滞在が長くなってきたため、侍女や護衛を一部入れ替えたのだ。デニエという女騎士はシヴリーヌと同じく白百合騎士隊の隊員で、フォリアという少女も王宮に長く仕える侍女だという。
「こんな機会でもないと、お婆様の故郷に行くことも無いでしょうから」
「はい! お婆さまが語ってくださったメレスールの館を見てみたいです!」
シャルロットとミュリエルがメレスール訪問を望んだ理由は、これであった。
二人の祖母、つまり先代ベルレアン伯爵アンリの妻は、先代ポワズール伯爵の妹マリーズである。そのため、二人は初めて行くメレスールに、懐かしさにも似た関心を抱いているようだ。なお、残念ながらマリーズは三年少々前に世を去っており、シノブは話に聞くだけである。
「私もお爺様とお婆様にお会いしたいですわ! それに私、特別巡見使なのですから!」
セレスティーヌが祖父母と呼ぶのは、先代ポワズール伯爵セドロームと妻のバベットである。二人の娘オデットは、現国王アルフォンス七世に第二王妃として嫁いだのだ。こちらは双方存命であり、ポワズール伯爵の統治を助けている。
なお、セレスティーヌが言う特別巡見使とは、各伯爵領を視察する役目であり、王族である彼女がシェロノワに滞在する名目である。もはや単なる建前となりつつあるが、彼女としては一応役目を果たしているところをアピールすべきと思ったのかもしれない。
「まあ、メレスールで待っていてくれるなら良いよ」
「そうですね、海の上は危険ですから!」
シノブとアミィの言葉に、三人は少々残念そうな顔をする。彼女達だけではなく、マリエッタも同様だ。
メレスールに着いたら、シノブとアミィは西海の調査に出かける。流石に、シャルロット達が調査に同行するのは、シノブも認めなかったのだ。
──海の調査は、私達に任せてください!──
──お留守番していてくださいね~──
残念そうな女性達に声を掛けたのは、オルムルとフェイニーであった。二頭とも猫ほどの大きさになり、オルムルはミュリエルの、フェイニーはセレスティーヌの膝の上にいる。
今日は、シュメイとファーヴを炎竜イジェの下に残し、二頭だけを連れてきた。オルムルは生後七ヶ月、フェイニーも五ヶ月を超えている。そのため、この二頭は何百kmも飛翔できる。しかしシュメイは飛べるようになったばかり、ファーヴはまだ飛翔できない。だから、こちらは留守番となったのだ。
「パーニオンに行って、それから海でしたね?」
「ああ、そうだよ」
シノブは、ミュリエルに顔を向けると頷いた。
メレスールから北西に50kmほど行くと、港湾都市パーニオンである。ここには、王国軍の軍港も存在し、王領のオランテルと並ぶルシオン海の防衛拠点であった。シノブ達は、パーニオンまでオルムルとフェイニーに乗って飛翔し、更にルシオン海にも行くつもりなのだ。
光翔虎の子フェイニーは、姿を消すことが可能である。そして、アミィも幻影魔術で同様のことが出来る。そこで、シノブがフェイニーに乗り、アミィが岩竜の子オルムルに乗って、姿を隠して上空から偵察するのだ。彼らは、西海の調査を続けているホリィと合流し、アルマン王国の領海に踏み込む計画を立てていた。
「北の海、見たかったのじゃ……でも、今の妾はシャルロット殿の側仕え……我慢するのじゃ」
「その通りです。いずれ機会がありますよ」
後ろの席では、残念そうに呟くマリエッタを、学友のフランチェーラが慰めていた。子供らしいところが目立つマリエッタだが、公私の区別はしっかりとしているようだ。おそらく、公女としての教育の成果なのだろう。
「まあ、館でゆっくりしていてよ。良いお土産を見つけてくるから」
「シノブのことだから、お魚でしょう? でも、期待しています」
微笑むシノブに、シャルロットは悪戯っぽく笑いかけた。シノブは、優しく微笑む妻の姿に思わず頬を緩めてしまう。
「シノブ様、頑張ってお土産を探さないといけませんね! お魚以外も!」
アミィの言葉に、車中の者達は一斉に笑い出す。どうやら、意表を突いたプレゼントを見つけてこないといけないようだ。シノブは、そんな思いを抱きつつ、彼らの笑顔に加わっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「……そろそろ着くみたいだね」
窓外には、シノブが言う通りポワズール伯爵家の館が見えていた。館は大神殿のすぐ近くだから、ゆっくり進む馬車とはいえ、大して時間がかかるわけではない。
領都メレスールも他の都市と同様の、東西南北に大門が設けられ、中央に領主の館や政庁などが存在する構造である。これらの都市の殆どは王都メリエの完成後に築かれたため、王都の造りを参考にしている。そのため、周囲の四区と中央区の区分けを含め同様になったという。
メレスールの場合、北以外の三方は大街道と繋がっており、特に栄えているらしい。東の街道は都市ノルマコンを経由してベルレアン伯爵領に、西の街道は港湾都市パーニオンへと伸びている。そして、南は王領へと伸びる道だ。それに対し、北はリソルピレン山脈との間に点在する町村のみで、大きな都市は無い。
そのためだろう、大神殿と館を隔て北門に向かう大通りの先には、大きな商店などは少ないという。海運や海産物関連の商会は西側、王都にも支店を出すような大商会は南側、それに次ぐ内陸の交易商が東側、という配置らしい。
「まあ……噂には聞いていましたが、立派な館ですのね」
セレスティーヌは、馬車の右手に見えるポワズール伯爵家の館を見て、嘆声を発していた。彼女が言う通り、館はシェロノワやセリュジエールの領主の館にも勝る壮麗な建物であった。
白く輝く石材を用いた館は、他と同じく『メリエンヌ古典様式』に則って左右対称に広がっている。だが、他とは違い遠目でもはっきりと判別できる彫刻が一面に施され、屋根のドームの上に設けられた尖塔は天を突くかのようであった。
それに敷地の四方にも、館を超える高さの尖塔が存在する。これらは壁に煌めくタイルが張られ、窓には大きなガラスが用いられている。今日は曇りだが晴れていれば、これらの尖塔は朝の光を反射して美しく輝くだろう。
「メレスールの館は水晶宮を意識したと聞いています。初代伯爵セドザール様が、アルマン王国の使者を招いても恥ずかしくない美麗な館にしたそうです。
もちろん水晶宮ほど大きくも高くもありませんが、王都から多数の職人を招いて建てたと伝わっています」
シャルロットは、建国当時の時代背景について説明を続けていく。
メリエンヌ王国とアルマン王国は、双方とも創世暦450年に成立した。今が創世暦1001年だから551年前である。
なお、同時に成立したのは偶然ではない。アルマン王国の中心となる部族は、それより更に百年近く前に現在のメリエンヌ王国からアルマン王国となる島々に渡ったという。彼らは故地に対し複雑な感情を持っていたようで、向こうが王国と名乗るなら自分達も、と王を立てたそうだ。
そのとき王に選ばれたのが、ハーヴィリスという男だ。そして彼の家名アルマンを、そのまま国名としたという。
「アルマン王国の初代国王ハーヴィリス一世は、建国王エクトル一世陛下に強い対抗心を抱いていたと聞きます。そのためか、我が国との交渉は弟の初代ベイリアル公爵ジェリックスに任せたそうです」
シャルロットによれば、ベイリアル公爵家はジェリックスの子孫が途切れることなく継いできたそうだ。
なお、ベイリアル公爵が治める都市ベイリアルは、アルマン王国の領土である二つの島のうち北の島に領地を持っており、ポワズール伯爵領に比較的近い。
「それでメレスールが窓口になったのかな? 普通ならアルマックに近いオランテルか、その内陸のシュラールになりそうなものだけど」
シャルロットの言葉に、シノブは首を傾げつつ呟いた。
アルマン王国の王都アルマックは王領の港湾都市オランテルのほぼ真西である。オランテルの南東はシュラール公爵が治める都市シュラールで、更に東に行けば王都メリエだ。一方メレスールへと繋がるパーニオンの港は、アルマックからだとオランテルの倍ほども遠い。
そのためシノブは、普通ならアルマン王国との交渉事はオランテルかシュラールの何れかで行われると思っていたのだ。
「さあ、それは……建国時はまだ公爵家が存在していなかったので、そちらが理由かもしれません」
シャルロットは口を濁しつつ答えた。どうやら、彼女も両国の仲の悪さが原因だと思っているらしい。
しかしシャルロットは、もう一つ現実的な理由を挙げた。そう、彼女が言うように建国した時点ではメリエンヌ王国の三公爵家は存在しなかったのだ。
三公爵家の初代は第二代国王アルフォンス一世の息子達で、第三代国王テオドール一世を含めた四人は全て建国後の生まれだ。ちなみに三公爵家を設立したのは、テオドール一世の即位と同じ創世暦498年である。
「それもそうか……ああ、着いたね。降りようか」
シャルロットの説明を聞いているうちに、馬車は館の大扉の前に到着していた。座席から立ったシノブは、愛妻へと手を差し伸べる。
「ありがとうございます」
シャルロットは、嬉しげに頬を染めてシノブの手を取った。それを、ミュリエルとセレスティーヌは少し羨ましそうな表情で見つめている。
シノブは、そんな少女達に済まなさを感じながらも、我が子を宿した妻を労りつつ、馬車から降りていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ殿、お初にお目にかかります」
「シノブ様、バベットと申します」
シノブ達を待っていたのは、先代ポワズール伯爵セドロームと、その妻バベットであった。
既に七十を過ぎているというセドロームだが、あまり老いを感じさせない風貌をしていた。おそらく初見の者は、彼を六十前後と受け取るのではないだろうか。
セドロームのすらりとした立ち姿と金髪に灰色がかった青い瞳は、息子のアンドレと良く似ている。息子と違うのは鼻の下に髭を蓄えているのと、多少面に皺があることくらいだ。
妻のバベットも六十代半ばだと聞くが、やはり十は若く見える。なお彼女はアッシュブロンドに緑の瞳で、セレスティーヌとの共通点は殆どない。おそらくセレスティーヌには、王家の血が濃く出ているのだろう。
「初めまして。わざわざのお出迎え、ありがとうございます」
「帝国を打倒した英雄を出迎えるのは、当然のことですよ。我が伯爵家にお迎え出来る日を心待ちにしておりました」
シノブは、前当主自らエントランスホールで出迎えたことに驚いた。まだ若い当主ならともかく、自身の三倍以上生きている年長者の出迎えである。
しかし、セドロームはそんなシノブの内心には気がつかなかったらしい。彼は、シノブを館に迎えたのがよほど嬉しいらしく、元外交官とは思えぬほど屈託の無い笑みを浮かべていた。
もっとも、それには理由がある。ポワズール伯爵領は、シノブが最後に訪問した伯爵領である。ベルレアン伯爵領に現れたシノブは、王都に行った後、帝国と戦うために軍と共にフライユ伯爵領に赴いた。そして、戦の帰り道でラコスト伯爵領とボーモン伯爵領を通り、それぞれ伯爵家の館に泊まった。
その後エリュアール伯爵領とマリアン伯爵領を訪問したシノブだが、ベルレアン伯爵領に隣接するポワズール伯爵領に来る機会は今まで無かったのだ。
「まあ、可愛いこと……」
先代ポワズール伯爵夫人のバベットは、宙を飛ぶオルムルとフェイニーに驚きを隠せないようだ。流石に夫のセドロームは平静を装ってはいるが、それでも時折二頭に興味深げな視線を向けている。
──ありがとうございます!──
──後で、大きくなった姿も見せてあげますね~──
オルムルとフェイニーは、宙を飛びながら愛らしくお辞儀している。流石に、これにはセドロームも心を奪われたようで、大きく目尻を下げていた。
「……さあ、サロンに行きましょう。歓待の準備は出来ております」
そんな一幕もあったが、挨拶自体は短時間で滞りなく終わっていた。従者を別にすると、訪れた一行の中で初対面の人物はシノブとミュリエルだけだったからだ。
従者の中にはマリエッタのような高い身分の者もいるが、メリエンヌ王国やその友好国では、従者となった以上、あくまでその地位で扱われる。もちろん、セドローム達にもマリエッタ達の出自は事前に伝えられているのだが、表向き彼女達は単なる側仕えの女騎士に過ぎない。
したがって、彼女達は自身の名とシャルロットのお付きであることを伝えるだけで、セドローム達も心持ち丁寧に感じる答えを返しただけである。
「お前達も、ご苦労だったな」
「いえ、父上には申し訳ありませんが、色々と楽しい訪問でしたよ。見てください、セドリックの顔を!」
正面の階段を昇りつつ、良く似た親子が寄り添い会話している。一見、仲の良い父子の姿と映る光景であったが、シノブはポワズール伯爵が父である先代に何かの紙片を渡したことに気がついた。
──流石は外交官一家、なのかな?──
──そうかもしれませんね。もっとも、ここにいる人なら大半は気がつくと思いますけど──
シノブの思念に、アミィは苦笑しつつ答えた。
二人の動作はさり気なく、また手品師のように洗練されていた。ポワズール伯爵が紙片を渡した瞬間は、彼が息子の名を口にした直後であった。彼は、一同の視線がセドリックへと動くのに合わせて紙片を父の手に送り込んだのだ。
その動き自体も、武術の達人のような素早さであり、並の者どころか高位の軍人でも気がつかないかもしれない。やはり、彼らは見かけどおりの紳士ではなく、爵位に相応しい武技を身に付けているのだろう。
もっとも、ここにいるのはアミィが言う通り一部を除いて達人というべき者ばかりだ。訪問者の中で武術と縁が無いのは、ミュリエルとセレスティーヌ、そしてセレスティーヌの侍女のフォリアくらいである。
──でも、普通に渡せばいいのにね。たぶん、シルヴェリオ殿からの情報とかじゃないかな?──
──そうですね──
「シノブ、鍛錬と実践は大切ですよ」
シノブとアミィが思念を交していると、シャルロットが突然小声で囁いた。驚いたシノブが妻に視線を向けると、彼女は楽しげな笑みを浮かべている。どうやら、シャルロットはシノブの考えていることを察したらしい。
「そうだね。それじゃ、俺も実践しよう」
「まあ……」
シノブは隣を歩く妻の肩に手を掛け、優しく支えるように体を寄せる。今までも愛妻に寄り添い歩いていた彼だが、左手を後ろから回して密着する様子は、正に新婚の夫婦らしい姿であった。
一方のシャルロットは、そんなシノブの振る舞いに一瞬驚いたらしい。しかし彼女は、嬉しげに頬を染めてシノブへと身を預けていく。
「シノブ様、シャルお姉さま! ……私も!」
「セレスティーヌ様! 私の場所は……えい!」
セレスティーヌがシノブの右腕を取ると、躊躇いを見せていたミュリエルは彼女とシノブの間に潜り込み、内側から腕を取る。
「あらあら、セレスティーヌ様……」
「お義母様、殿下は毎日楽しそうですのよ」
セレスティーヌの祖母であるバベットが目を丸くすると、義娘のオノリーヌが笑顔でシェロノワでの様子を伝えていく。
シノブは、背後から聞こえるポワズール伯爵家の女性達の囁きに赤面しながらも、妻と足取りを合わせてゆっくりとサロンへと向かっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
サロンで暫く談笑した後、シノブとアミィは先代ポワズール伯爵セドロームと当代の伯爵アンドレの二人と別室に移った。壁も厚く窓も無いその部屋は、密談をするための場所らしい。
そこには、数人の焼けた肌とがっしりとした体格の男が、シノブ達を待っていた。
「当家の家臣です。といっても、普段は船員や交易商として働いているのですが」
「船員に交易商……もしかして、密偵ですか?」
シノブは、セドロームの言葉からポワズール伯爵家がアルマン王国を探るために各地に放った者達だと察した。そして、どうやらそれは正しかったらしい。セドロームとアンドレは、揃って真顔で頷いたのだ。
「アルマン王国に潜入するのは難しいのですよ。奴らは、自国の船員しか雇わないので。そこで、ヴォーリ連合国とガルゴン王国に放ったわけでして」
アンドレは、それまでの人当たりの良い様子とは少々異なる鋭さを見せていた。彼によれば、北のヴォーリ連合国には交易商に身をやつした者達、そして南のガルゴン王国には船員と偽った男達を派遣して、情報収集に務めているらしい。
「ヴォーリ連合国から、ドワーフの職人がアルマン王国に行っていませんか?」
「はっ! 我々が得た情報では、鍛冶師や武器職人が数十名は出稼ぎに行っています。我が国に来るドワーフ達の何倍もの金を積んだようです」
アミィの問いに答えたのは、太めの男であった。一見優しげな中年の男性だが、よくよく見ると立ち姿に隙が無い。彼は、交易商としてヴォーリ連合国の最西端の部族、ブラヴァ族と商売しているという。
そして彼は、自身が北の国で掴んだ情報をシノブとアミィに説明していった。
アルマン王国の交易商達は、以前からドワーフ達に出稼ぎを呼びかけていたという。
もっとも、最初はドワーフ達も渋ったらしい。彼らは海を渡ることを好まないし、そもそもアルマン王国に職人を取られては交易にならないから、各村の長も大量の引き抜きには良い顔をしなかった。
しかしアルマン王国の交易商達は、相場の何倍もの金や支度金を積んで、出稼ぎを募ったという。だが、最初は思うように行かなかったらしい。
その後、夏頃から岩竜ガンド達がヴォーリ連合国の南部に棲家を造った。当時、ドワーフ達が竜の活動期だと思っていた、陸路での交易が困難となった一件である。なお、この騒動はシノブ達の活躍により、幸いにも二ヶ月ほど陸上交易に混乱が起きただけで終息した。
しかしアルマン王国の交易商達は、そのとき陸上交易が長期間不可能になると強調し、自国との関係強化を持ちかけたらしい。
「一定の人を出せば高い利益を乗せても構わない、と言ったらしいですね。今のところ取り決めは守っているらしいので、嘘では無いのですが……」
「今のところ、というと?」
憤然たる表情のポワズール伯爵アンドレに、シノブは問い返した。彼の口調には、苦々しさが含まれていたからだ。
「奴らが、真っ当な交易をするわけがありませんよ! こちらの近海に難所があるから、我が領からの交易路は限られます。それを良いことに、奴らは昔からやりたい放題なのですよ!」
今まで温厚そうに見えたポワズール伯爵だが、内心かなりの鬱憤が溜まっていたようだ。
ポワズール伯爵領はヴォーリ連合国と境を接しているが、海上交易は盛んではない。これは、メリエンヌ王国とヴォーリ連合国の境となる海域に暗礁が多い上に海生魔獣が棲み付いているため、航路や時期が限られるためであった。
この難所は、沿岸からアルマン王国との領海近くまで広がっている。そのため、アルマン王国がドワーフ達との海上交易をほぼ独占することになったようだ。
「おそらく閣下のお言葉通り、必要な職人を確保したら条件を変更するのではないかと思います。難所のせいで我々が海上交易できる時期は限られています。それに、大型船も航行できません。
かといって、陸路でブラヴァ族の集落まで行くのは遠いのです。ですから、どうしてもアハマス族が有利になります」
アハマス族とは、イヴァールの出身部族である。アハマス族のセランネ村までは、シノブも実際に行ったことがある。メリエンヌ王国との国境からセランネ村までは100kmも無いが、そこからブラヴァ族の地までは、更に何倍も進まなくてはならない。
実際にヴォーリ連合国と交易をしているボドワン商会も、アハマス族の北のドンナ族の住む地には訪れるが、他には回らないという。
「南方はどうかな?」
「こちらは相変わらずです。ガルゴン王国からは、アルマン王国の領海近くで行方不明になった商船について問い合わせをしています。ですが、まさか沈めただろう、と言うわけにもいきません。ですから、アルマン王国は知らぬ存ぜぬで通しているようですね」
先代ポワズール伯爵セドロームの問いに答えたのは、潮焼けした肌の男であった。どうやら、彼はガルゴン王国に船乗りとして潜り込んでいたらしい。
「何か気になることはないか?」
「アルマン王国の船乗りが『俺達には海の守り神がいるからな』と威張っていたことくらいですね。おそらく、商船に偽装した軍艦のことでしょう。
しかし、これだけでは証拠になりません。ガルゴン王国の内政官も、船乗り達の噂話くらいは把握している筈ですが……」
先代伯爵の重ねての問いに、ガルゴン王国へと赴いていた家臣は悔しそうな顔で答えた。
アルマン王国には、商船と偽った軍艦があるらしい。そして、この軍艦には魔道具の発火装置を使った高性能の火矢が搭載されているという。これは、メリエンヌ王国から流出したか、ベーリンゲン帝国が何らかの手段でアルマン王国に伝えた可能性がある、特殊な魔道具によるものだ。
「ふむ……しかし、向こうが正体を現さない以上、どうにも出来んな。我が国の領海に入れば、王国海軍が臨検でも何でもするのだろうが……」
忌々しそうな口調で唸ったのは、アンドレであった。
ちなみにメリエンヌ王国では、海軍は王領軍に所属するから、彼に指揮権は無い。ポワズール伯爵領の港湾都市パーニオンも、軍港だけは王家の直轄となっている。
「私達が証拠を掴んできますよ」
「ええ! 大きなお土産を持ってきますから!」
シノブの短くも力強い宣言に、アミィも少しおどけた口調で続いた。
流石にアルマン王国の奥深くまで侵入する気はないが、領海に入って相手の出方を探ってくるつもりである。そして可能であれば、火矢の魔道具がどこの国から漏れた技術か確かめたい。それがシノブ達の目的であった。
「これは頼もしい……」
「お願いしますぞ!」
セドロームとアンドレは、感嘆の視線でシノブ達を見つめていた。二人だけではなく、家臣達も同様だ。
シノブは、彼らの期待に応えるべく自信ありげな様子で頷き返した。そして彼は、己の考えをポワズール伯爵家の者達に伝えていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年10月30日17時の更新となります。