14.05 学校は荒野 後編
シノブとアミィは、研究所でマルタン・ミュレやハレール老人から魔力を利用した通信機、魔力無線の開発状況について説明を受けた。
ミュレ達が開発している魔力無線の発信機は大魔力が必要である。それに蓄積した魔力を長期間保存することも出来なかった。そのため、従来は北の高地のような魔力が濃い場所に置くか、シノブやアミィなど並外れた魔力の持ち主が都度魔力を補充する前提でなければ使えなかった。
しかしミュレ達は、大魔力を長期間蓄積可能な装置を開発し、魔力が薄いところでも発信機を使用できるようにした。もっとも現状の装置は巨大で高価であり、気軽に製造できるようなものでは無いらしい。しかし、これは大きな前進であった。
そのマルタン・ミュレは助手のカロルを連れ、シノブやアミィと共に研究所から歩み出た。彼らは、これから魔力無線の試験をするのだ。アミィが持つ魔法のカバンには、研究所で従来型の発信機を一台入れてきた。彼らは、これを北の高地に展開する魔法の学校に置きに行くわけだ。
研究所は、フライユ伯爵家の館の敷地では北の方、つまり裏手に存在した。そこで四人は一旦本館の裏口から入り、表側に抜けようとした。
「あっ、シメオン様! お久しぶりです!」
ミュレは、館の本館のエントランスホールで出会ったシメオンに元気の良い声で挨拶をした。今日の彼は徹夜明けらしいが、魔力無線の開発に大きな進展があったためだろう、疲れを感じさせない溌剌とした声音である。
「本当に久しぶりですね。大丈夫ですか? 身なりは整っていますが……」
シメオンは、呆れを通り越して心配そうな顔をしていた。
ミュレは研究所に篭ってばかりで、殆ど外に出ていないらしい。なお、普段はボサボサの髪にヨレヨレの服の彼だが、今は充分見られる格好をしている。着替えずに研究所を出ようとしたミュレを、カロルが世話して身奇麗にさせたのだ。しかし目の下の隈などは、流石にどうにもならなかったようだ。
「はい、元気です! もしかしてシメオン様も一緒に行くのですか?」
「学校の準備は私の担当ですからね。それにアリエル殿達は多忙ですから」
シメオンは、ミュレの問いかけに頷いてみせる。彼は、シノブが研究所を出る前に走らせた衛兵の知らせを受けて、上階から降りてきたのだ。
「シメオンも残っていて良かったのに」
館の表側に抜けようと歩きながら、シノブはシメオンに笑いかけた。
新たな学校の理事となるアリエルとミレーユは、当然ながら同行を希望した。しかし、彼女達は結婚を二日後に控えているし、遠方から家族も来た。そのため、シノブが押し留めたのだ。なお、ミレーユと結婚するシメオンも同じように家族が来てはいるが、彼は仕事を優先したようだ。
ちなみにシャルロット達も同行を望んだが、こちらも折角セリュジエールからカトリーヌやブリジットが来ているから、館に留まってもらうことにした。そのため、シャルロット達は館で来客達の接待をすることになったのだ。
「そうだ、ご結婚おめでとうございます!」
「……ありがとうございます。ですが、結婚式は二日後ですよ」
ミュレの祝福に、シメオンは僅かに笑みを浮かべていた。どうやら、ミュレは結婚式の日を勘違いしているらしい。そのためだろう、シメオンの表情は苦笑いと言うべきものであった。
「そうでしたか! うわ、やっぱり外は眩しいな!」
エントランスホールから前庭に出たミュレは、目を細めている。長い間外に出なかったせいか、彼は研究所から出るときも同じ事を言っていた。
「マルタン、大丈夫?」
そんなミュレに、カロルは心配そうな顔を向けていた。もっとも、彼女は少々呆れたような表情であった。もしかすると、日常の事が抜け落ちているミュレに、不安を抱いたのかもしれない。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ、良く来たな!」
「ああ、呼び寄せありがとう! こっちは少し寒いね!」
魔法の家から出たシノブは、待ち構えていたイヴァールに片手を上げて答えた。シノブ達五人は、フライユ伯爵家の館の前庭に魔法の家を展開し、先行して学校の予定地に来ていたイヴァールに呼び寄せてもらったのだ。
学校の予定地は、北の高地にドワーフ達が造ったアマテール村の奥に当たる場所だった。
アマテール村から北に20kmくらいの予定地は、メリエンヌ王国とドワーフ達の故国ヴォーリ連合国を隔てるリソルピレン山脈に近く、領都シェロノワに比べて空気は冷涼であった。学校では旧帝国領で育つ農産物の栽培も試すから、似たような環境である標高の高い場所が選ばれたのだ。
「タハヴォ殿、お久しぶりです」
「シノブ殿も壮健そうで何より」
シノブは、イヴァールの隣にいた彼の祖父タハヴォのがっしりとした手を握り、挨拶をした。彼らを出迎えたのは、イヴァールだけではなかった。
イヴァールとタハヴォの後ろには、ドワーフ達だけではなく様々な種族の者がいた。
ドワーフの殆どは戦士だが、その中にはイヴァールの妹アウネも混じっている。そして、アウネの脇にはエルフのメリーナや、その兄ファリオス、二人の従姉妹であるフィレネもいる。
もちろん、人族や獣人族の者もいる。学校の教員となる者は、王領だけではなくエリュアール伯爵領やマリアン伯爵領など各地から集めている。そのため、出身も種族も多様であった。
彼らの中には魔法の家を初めて見る者もいる。そのため半数くらいは、突然現れた家に驚きの表情を浮かべていた。
「まずは魔法の学校を建てる場所の整地ですね」
アミィは魔法の家をカードに変えると、シノブを見上げて問いかけた。一瞬にして消え去った魔法の家に、初見の者は再び驚愕を顕わにする。
驚いているのは、エルフの三人やエリュアール伯爵領から来た郷士の二人、それにマリアン伯爵の家臣バティスール・デュジャニエなどだ。
なお、彼らの他にもカンビーニ王国で採用した教職員となる者達も、いずれは合流するのだが、まだここにはいない。何しろメリエンヌ王国に来て二日目であり、事前に知るべきことが幾らでもあるからだ。
「そうだね。イヴァール、どの辺りに建てれば良いのかな?」
「この奥が良いだろう」
アミィから光の大剣を受け取ったシノブに、イヴァールは魔法の家があった場所と反対側を指し示した。まだ雪が残るリソルピレン山脈を遠方に背負った一角は、確かに平らで整地しやすそうだ。
学校の予定地は、森と森の間の荒野だった。学校の周囲は農場にする予定だが、土質の改良も出来る魔道具『フジ』もあることだし、荒れ地でも構わないのかもしれない。もしくは農業教育の実践として、敢えて『フジ』を使わずに人力で荒れた土地を耕地にしていくつもりであろうか。
それらについては後で聞くことにして、シノブはアミィと共にイヴァールの指定した場所に進んでいく。
「周囲はガンドとヨルムが竜の道を造ってくれたから大丈夫だ。ヨルムは後でオルムル達と来るそうだ。今は狩りをしている……ここで良いぞ」
「そうか。でも、学校を展開したら念のために防壁も造るか……それじゃ、整地するよ」
イヴァールの説明を聞きながら歩いていたシノブは、彼の指定した場所で光の大剣を抜き放ち、土魔術で辺り一帯を平らにしていった。
「す、凄い!」
「噂には聞いていたが……」
エルフのファリオスや、エリュアール伯爵領の郷士など、シノブが魔術を使う姿を見たことの無い者達は驚嘆の声を上げていた。それに対し、帝国との戦に加わった者や以前からアマテール村に住んでいた者達は感心こそすれ驚く様子は無い。
「これで良いか。アミィ、学校を出してくれ」
「はい、シノブ様!」
シノブの指示を受け、アミィは彼が整地した場所に進み出ると、魔法の家を展開する。アミィが魔法のカバンから出したカードを翳すと、一瞬眩い光を放った後、魔法の家とは比べ物にならない大きな建物が出現した。
「おお、あれが魔法の学校か!」
「凄い大きさだな!」
シノブの魔術には平然としていたアマテール村のドワーフ達も、魔法の学校の出現には驚かざるを得なかったようだ。彼らは、突然出現した五階建ての両翼合わせて200mにもなる巨大な建造物を目にして、大きなどよめきを上げていた。
◆ ◆ ◆ ◆
学校を出したアミィは、魔法の学校の教職員となる者達に入館の権限を付与していった。
魔法の学校には魔法の家と同様に、幾つかの段階の使用権限がある。一番低い権限である入館許可が無ければ、入り口の扉を開けることすら出来ないから、関係者に入館権限の付与を早急に行う必要があったのだ。ちなみに、格納や展開、呼び寄せ、各種権限付与などの全権限を持つのはシノブとアミィだけである。
なお、付与すべき権限は、学校への立ち入りや研究室や宿泊室など特定の部屋への入室許可など幾つか存在し、それは個人個人で異なるため、少々時間が掛かる。
その間シノブは、土魔術で岩の防壁を造ったり、展開した学校の近くに岩壁の魔術で高さ20mほどの岩山を出したりした。この岩山は、転移用の神像を刻むためのものだ。
アマテール村にも転移の神像は存在するが、そこまで20kmはある。そのため、シノブはここにも神像を造り、アムテリアに転移を授けてもらうよう願うつもりだったのだ。幸い、学校の職員として神学を教えるための神官も来ている。その人物は、シノブも知っているルオールの町の神官ティエ・ラコデルであった。
アリエルの実家があるルオールの町には、シノブも訪れたことがある。その時シノブは、神殿で子供達に教育する様子を見せてもらった。その神殿の神官長であったのがラコデルである。
ラコデルは、王国の神官の中でも加護が多い方だったようだ。そのため、各伯爵領の大神殿の神官長と同じく、十人程度を同行しての転移なら可能としていた。そういう経緯で彼は旧帝国領に派遣されたのだが、向こうで先代アシャール公爵ベランジェやベルレアン伯爵の目に留まり、学校への配置となったという。
魔力無線の通信機を設置するから、大人数の転移が必要なときはシノブかアミィに要請してくれれば良い。しかし、日常的な転移まで二人が面倒を見ることは出来ない。そのため、転移を実行できる神官の配属は、シノブ達にとって非常に嬉しいことだった。
「シノブ様、権限の付与が終わりました。今、シメオンさんが皆さんを案内しています」
「ああ、ありがとう。それじゃ、神像を造るか」
シノブが岩山の形を整え終わったとき、アミィが魔法の学校から駆けてきた。シメオンは、魔法の学校を一度見学したことがある。そこで、彼に学校の中の案内を頼んだらしい。
「海竜の島と同じでいいよね」
「はい!」
岩山に刻む神像は、暫く前に南海に浮かぶ海竜の島に造ったものと同じようにするつもりだ。つまり、岩壁を少し掘り下げて、そこに七つの神像を設置するのだ。そのため、岩山の南側は垂直に切り立った断崖状に仕上げてある。それを見たアミィは、シノブの意図を察していたのだろう、彼の言葉に大きく頷いた。
「それじゃ、行くよ」
「はい……」
シノブはアミィの手を取って、魔力を注いでいく。シノブの桁外れの魔力があれば、この岩山のように大きな岩塊を造り出すこともできる。しかし、彫像を正確に形成していくのはシノブだけでは無理である。
魔術の行使はイメージによるところが大きいらしい。そのため単純な形状、例えば立方体や球などは造りやすいのだが、細かい造形となると形を正確に思い浮かべることが難しい。しかし、幻影魔術を得意としスマホの記録能力を得たアミィにとって、自身が見た物を再現するのは容易なことだ。
そこでシノブが魔力を提供し、アミィが神像を作るのだ。
「……出来ました!」
アミィは薄紫色の瞳を輝かせ、シノブを見上げた。
二人の目の前には、アムテリアの像を中心に並んだ七体の神像が完成していた。岩壁を洞窟のように10m近く掘り下げ、その中に高さ15mほどのアムテリアの像があり、少し小さな従属神の像が左右に三体ずつ置かれている。なお像の手前は、転移の場所とするための祭壇である。
海竜の島に造った像と同じく岩から不純物が取り除かれたせいか、七体の神像は白く光り輝いていた。
──シノブ、アミィ。順調に学校の準備を進めているようですね。様々な人が集う学び舎になったこと、とても嬉しく思います。ここに集まった人々が育む絆は、あなた達の助けとなることでしょう。これからも、多くの人と手を携えて歩んでください──
真白き神像から不可思議な光が放たれると、シノブの脳裏にアムテリアの声が響いた。アミィは大きく目を開き顔を綻ばせている。どうやら彼女にも、アムテリアの言葉が聞こえていたようだ。
「シノブ様、良かったですね!」
「ああ。これで学校の運営も楽になるね」
シノブとアミィは安堵の笑みを交した。
シノブは、ミュレ達の研究所もこちらに移すつもりであった。魔法の学校の入り口を開けることが出来るのは、権限を付与されたものだけだ。つまり、教職員や学生など関係者しか屋内に入れない。しかも各研究室は個別に権限を付与した者しか入室できないから、館の研究所よりも遥かに安全なのだ。
旧帝都には、特殊な魔道具の製造工場が存在した。そこで得た技術には、強化など戦闘用の魔道具に使う物も含まれている。それにシノブ達も隷属解除や体力減少の魔道具を作ったが、これらの製造技術は厳重な管理が必要である。
特に隷属解除は、隷属の魔道具に関連するものだ。そのためシノブは、より安心できる場にミュレ達の研究室を移したかった。
「さあシノブ様、魔力無線の試験をしにミュレさん達のところに行きましょう!」
「ああ! シェロノワの新型なら、こちらまで信号を送れるはずだからね!」
アミィに手を引かれたシノブは、魔法の学校に向かって駆け出した。
彼女が言うように、シェロノワと通信の試験をしなくてはならない。ここ北の高地は魔力が多いから旧型の発信機で問題ないが、シェロノワからは新型の発信機でなくては魔力波動が届かないのだ。
ミュレやハレール老人の様子からすると、成功は間違いないようだ。二人は、期待に顔を輝かせながら、魔法の学校の扉を潜っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
魔力無線の試験を終えたシノブ達は、再び外に出た。試験は基本的には成功したが、ミュレとカロルは、まだ魔法の学校の研究棟でシェロノワのハレール老人と通信を続けている。ハレール老人は新型の発信機の調整をしているのだ。
ハレール老人の側で少しずつ調整をしては発信し、その受信状況をミュレ達が送信し、と繰り返しているが、見ているシノブ達は退屈なだけだ。延々と微調整をしながらモールス信号に似た『アマノ式伝達法』を送受信している姿を見ているのは、技術者ではないシノブ達にとって中々辛いことであった。
そこで、神官のティエ・ラコデルに神像での転移が可能となったことを告げて、シノブ達は外に出た。
仮にミュレ達がこのまま学校に滞在するなら宿泊棟を使ってもらえば良いし、そのための権限も付与している。もし彼らが帰るなら、ラコデルに送ってもらえばよい。シノブは、そう思ったのだ。
外に出たのは、シノブとアミィの他は、イヴァールと妹のアウネ、それに祖父のタハヴォであった。ちなみに他は、シメオンの案内で魔法の学校の見学を続けている。
──シノブさん、お待たせしました!──
──楽しい狩りでしたよ!──
学校の外に出たシノブ達の下に舞い降りたのは、岩竜の子オルムルと、光翔虎の子フェイニーであった。彼女達の後ろには、磐船をぶら下げたイジェと、オルムルの母ヨルムが続いている。そして、磐船がかなり大きく見えるようになったとき、炎竜の子シュメイが飛び出してきた。
──シノブさん、ブレスが使えるようになりました!──
シュメイは、先に降りたオルムルとフェイニーの間に見事に着地した。どうやら、彼女は順調に成長しているようだ。
「それは凄いね! もう狩りはしたの?」
シノブは、シュメイの頭を優しく撫でた。シュメイは全長1.7mくらいだが、それは尻尾も含めてのことだ。そのためシノブが手を伸ばした先に彼女の頭が来る、ちょうど良い高さであった。
──はい! でも、最初は外してしまいました──
──二度目からは命中したのだから、問題ないですよ──
最初は嬉しげな思念を返したシュメイだが、後半は少し恥ずかしさが混じっていた。そんな彼女を、五ヶ月ほど先に生まれたオルムルが優しく慰める。
オルムルは既に全長3mを超えており、狩りどころか帝国との戦いにも加わっていた。したがって、僅か五ヶ月といっても差は大きい。
──僕だけ置いていかないで下さい!──
ヨルムに前足で掴まれ着陸した磐船から降りたのは、生後一ヶ月半のファーヴである。
まだファーヴは空を飛べない。彼の全長は70cmほどであり、本来なら棲家から出ることもない時期なのだ。地面を歩く姿も頼りなげで、後一ヶ月少々でシュメイのようになるとは想像も出来ない。
「悪かったね。ファーヴ、今日は良い物を持ってきたよ。アミィ、あれを出して」
「さあ、どうぞ!」
シノブに促されたアミィは、魔法のカバンからボールを取り出した。館の研究所で受け取った、革製のサッカーボールもどきである。
「ほら、こうやって遊ぶんだ!」
シノブは足で数回リフティングをしてから、頭上に蹴り上げヘディングに移った。そして彼は一旦ボールを手で受けると、ファーヴの前に転がす。
──う~ん、脚だと難しいです。手を使っても……──
最初ファーヴは後ろ足で蹴ろうとしたが、まだ小さな彼にサッカーボールは大きすぎたようだ。次に前足で抱えこもうとしたが、それも無理だったらしい。
岩竜や炎竜の足は、前足と後ろ足のどちらでも物を掴める。とはいえ後ろ足より短い前足では、彼の胴ほどもあるボールを抱え込むのは困難だろう。
──あっ、そうだ!──
しかしファーヴは尻尾でボールを宙に叩き上げると、上手く頭上に持って行った。そして彼は、一回だけヘディングに成功する。
「上手いじゃないか! ほら、もう一度!」
──ファーヴ、私も一緒にやります!──
──私も!──
地面に転がったボールをシノブがファーヴの頭上に投げ返すと、腕輪の力でファーヴと同じ大きさになったオルムルとシュメイも加わり三頭が協力してヘディングを続けていく。ファーヴはともかくオルムル達は空を飛べるから、ボールが逸れても飛翔して上手く繋いでいる。
「これは……」
「可愛い!」
タハヴォに続いて声を上げたのはアウネだ。二人だけではなく、一同は目を細めて見守っている。
──楽しそうですね──
──ええ──
イジェとヨルムも、子竜達の姿を穏やかな視線で見つめていた。二頭の全長20mもの巨竜が並んで幼児くらいの小さな竜の遊ぶ様子を眺めている様子は、その魁偉な姿にも関わらず母の優しさを感じさせる。
──し、シノブさん! 私のは無いのですか!?──
「ああ、ちゃんとあるよ。そのままのサイズで使えるのもあるけど」
興味津々のフェイニーに、シノブは優しく微笑み返した。フェイニーは、尾を除いた体長で2.8mほどだ。そこでシノブは、大きなボールを試してもらおうと思ったのだ。
「フェイニー、これを使ってください!」
アミィは、まずは革で作った直径1mほどのボールを魔法のカバンから取り出した。そして、彼女は同じサイズの鉄球も出す。
「鉄球は、ここでは厳しいかな……転がすくらいにしてね」
──それじゃ、こっちから!──
フェイニーは、革のボールを転がし始めた。彼女の力なら、すぐに革の球を破ってしまいそうなものだが、絶妙な力加減で触れているらしくボールが傷つくこともない。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブよ。それは竜だけの玩具なのか? 子供達が喜ぶと思うのだが」
暫し子竜達やフェイニーの遊ぶ光景を見つめていたイヴァールは、ふと気がついたようにシノブへと問いかけた。彼は、アマテール村の子供達にボールを与えたら、と思ったのだろう。期待に満ちた目でシノブを見上げている。
「ああ、もちろん人間も遊ぶよ。もっとも、鉄球を使うのは竜や光翔虎だけだろうけどね」
シノブは、魔法のカバンからもう一つサッカーボールを出してもらうと、イヴァールの足元に蹴って転がした。同じようにアミィもボールを出すと、アウネへとパスをする。
「こうだな!」
「アミィさん!」
イヴァールとアウネは、シノブ達の真似をしてボールを蹴り返す。そしてシノブとアミィは、更に彼らの下に返していく。優れた戦士であるイヴァールと、その妹のアウネだけあって、二人がボールを蹴る姿は、最初から堂に入ったものだった。
「これは面白そうだな……シノブ殿、これは故国の遊びなのだろうか?」
老境に入って久しいタハヴォも、目を輝かせてシノブ達がボールを蹴り合う様子を見つめていた。老いたとはいえ、まだまだ元気な彼である。タハヴォは開発団長だが、時々開墾作業や狩りなどもするらしい。そんな彼にとって、体を動かす遊びは見るだけのものではないのだろう。
「ええ、サッカーと言います! こんな風に蹴って走るんです! そして、こうやってゴールに蹴って!」
イヴァールからのパスを受け取ったシノブは、ドリブルを始めると先刻造った防壁に向かってボールを蹴り飛ばした。シノブが蹴ったボールは防壁に向かって真っ直ぐ飛ぶと、大きな音を立ててぶつかった。
「おお!」
「蹴ったボールが防御側に取られなかったら点が入ります。同じ数だけ仲間を揃えて、敵と味方に別れます。そして決められた時間を戦って、点が多かったら勝ちですよ」
感嘆の声を上げるイヴァールに、アミィがサッカーの概要を伝えていく。
もっとも、球技を見たこともない彼らへの説明だ。まずはチームを組んで戦うというあたりから理解してもらう必要があり、細かいルールまで教えるのは後回しだ。
「アミィ、野球の道具を出して!」
「はい!」
跳ね返ってきたボールをキャッチしたシノブは、アミィに野球ボールやバット、そしてグローブを出してもらった。
「今度は何なのだ?」
「これは、野球と言うんだ」
まずはシノブとアミィの双方がグローブを嵌めて、キャッチボールをしてみせる。
「これも面白そうだな。アウネ、相手をしろ」
「ええ、良いわよ!」
シノブ達のキャッチボールを見たイヴァールとアウネは、グローブを着けて真似していく。
今度も二人は初めてとは思えない正確さで、相手の胸元目掛けてボールを投げていた。しかも彼らが手にしたのは鉄製の球だが、そんなことは気にならないらしく平気な顔で投げ合っている。
「これは、どうやって勝負するのかね?」
「凄く大まかに言えば、この棒で打って遠くに飛ばしたら点が入ります。本当はもっと複雑なルールなのですが……」
タハヴォの問いを受け、シノブはキャッチボールを止めてバットを手にした。そしてグローブを外してバットを構えた彼に、アミィはボールを投げる。
「何と!」
タハヴォは驚きの声を上げていた。
シノブが打ったライナー性の打球を、跳び上がったアミィは見事にキャッチしていた。シノブは身体強化を使ってはいなかったが、当たりが良かったのだろうか、打球はアミィの頭上を飛び越しそうになったのだ。
「ほう、これも面白そうだな! アウネ、投げてみろ!」
キャッチボールを中止してシノブ達の様子を見ていたイヴァールは、鉄製のバットを手にすると妹にボールを投げ返した。そして、彼はシノブを真似してバットを構える。普段は戦斧や戦棍を振るっている彼は、サッカーより野球に興味を惹かれたのかもしれない。
「イヴァール兄さん、行くわよ!」
「あっ、イヴァール……」
アウネが鉄球を投げようとしたとき、シノブはイヴァールを制そうとした。
サッカーボールを蹴ったり、キャッチボールをしたりならともかく、打ったボールの飛ぶ先まで、初めての彼が上手く制御できるか案じたのだ。それに、アウネはアミィほど高度な身体強化が出来るわけではない。したがって、彼女がイヴァールの打った球をキャッチできない可能性も高い。
「これは!」
イヴァール焦ったような声を上げていた。
彼の打った球は飛距離こそあるものの、野球ならファウルであった。そして拙いことに、ボールは魔法の学校に向かって飛んでいる。幸い打球は空高く上がっているため、学校に激突するまでには多少時間がある。
「くっ!」
「シノブ様、大丈夫です!」
身体強化を使って飛び出そうとしたシノブを、アミィが留めた。シノブは、反射的にアミィへと振り向き、彼女の顔を見つめる。
「魔法の学校って凄いんですね……」
「ま、まあ、シノブの道具だからな!」
呆然としたアウネに、珍しく動揺したらしいイヴァールが答える。
イヴァールが打った鉄球は、魔法の学校の窓ガラスに当たった。しかしガラスが割れることは無く、そのまま鉄球は跳ね返って地面に落ちたのだ。
「流石だね……」
「はい!」
シノブは安堵の笑み、アミィは自慢げな笑顔であった。シノブがこの世界に来た直後、アミィは魔獣である魔狼の攻撃くらいでは魔法の家に傷を付けることは出来ないと言っていた。今まで魔法の家が攻撃を受けたことはなかったが、図らずもそれが実証されたわけである。
──シノブさん、私達もボールを打って良いですか? 私達も、尻尾で打つことは出来ると思うのです──
──安心してください、あっちに向けて打ちますから──
シノブ達が騒いだせいだろう、オルムル達も球遊びを中断していた。三頭の子竜とフェイニーは、先ほどまで揃ってイヴァールが打った球の行方を見つめていたが、今はシノブへと向き直っている。
「そうだね……後で君達専用の遊び場を造ってあげるから……そこでね。それとね、あの貝殻を持ってきたから……好きなボールに付けてあげるよ」
シノブの脱力気味の言葉に、幼い竜達と光翔虎は喜びの声を上げていた。それどころか、イジェやヨルムまで、どこか嬉しげな様子でシノブを見つめている。二頭の成竜は、巨大な鉄球に視線を向けていたから、それを使ってみたかったのかもしれない。
巨大な真珠を作る深海シャコ貝の殻の内部は、真珠同様の光沢を持っている。そこで、シノブは鉄球であれば土魔術で形状を変形させつつ、砕いた貝殻の光沢部分を外側にして埋め込むつもりであった。
革製のボールの場合は、粉状にした上で塗すことになるだろうか。こちらは、遊んでいるうちに剥がれてしまう可能性は高かったが。
シノブの説明を、オルムル達は興味深げに聞いている。そして子竜達やフェイニーは、どれにしようかと相談し始めた。シノブ達は、そんな彼らの可愛らしい姿を、頬を緩ませつつ見守っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年10月20日17時の更新となります。
本作の設定集に主要登場人物の再紹介を追加しました。まずは、主人公達とその周辺の人物です。
設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。