14.04 学校は荒野 前編
シャルロット達と穏やかな一時を過ごした翌日。アミィは朝からベルレアン伯爵領の領都セリュジエールに転移した。ベルレアン伯爵の夫人達や、アリエル、ミレーユ、シメオンの親族をシェロノワに連れて来るためである。
この日、領都セリュジエールには、シャルロットの母カトリーヌやミュリエルの母ブリジットだけではなく、それぞれの親族が二日後の結婚式に列席するため集まっていたのだ。
アリエルとミレーユの父は、それぞれベルレアン伯爵領に隣接した男爵領の領主である。アリエルの父エミール・ド・スーリエはルオール男爵、ミレーユの父エルヴァン・ド・ベルニエはソンヌ男爵だ。
本来なら、フライユ伯爵領に馬車で来るのだろうが、セリュジエールへの旅程はおよそ二日、シェロノワに直接来た場合は三日か四日である。そこで、神殿での転移が可能なセリュジエールに行ったわけだ。
アリエルの弟のユベールは、ポワズール伯爵家で奉公しているから、ルオール男爵家から来るのはエミールと妻のルミエルだ。それに対しソンヌ男爵家は、エルヴァンと妻のミルティーヌ、跡取りのエルヴェ夫妻と幼い息子の五人である。
なお、小さな男爵家とはいえ従者もいる。したがって、この両家だけで十数名だ。
そして、シメオンの実家であるビューレル子爵家からは、父のフィベールや母のオドレイは当然として、祖父母のシャルルとフェリシテ、シメオンの二人の妹レリアルとフェリーヌだ。こちらは子爵家ということもあり、従者を含めればやはり十数名である。
したがってカトリーヌとブリジット、二人の侍女まで加えれば、総勢四十名近い。
ちなみに神官達では、これだけの人数を転移させるのは難しかった。神官達の場合、転移の前に長時間の精神集中が必要で、一日に何回も使えるものではない。しかも一回の転移で運べる人数は、神官の頂点に立つ大神官ダンクールで三十名程度、各大神殿の神官長で十名程度が限度であった。
そんなわけでアミィが彼らを迎えに行っているのだが、一方のシノブは二日後に控えた結婚式の準備で忙しい新郎達と会っていた。
「お久しぶりです! お変わりなくて何よりです!」
シノブの執務室に入るなり、軍人らしい快活な口調で挨拶をしたのは、アリエルを妻に迎えるマティアス・ド・フォルジェである。彼は、暫くぶりに旧帝国領から戻ってきたのだ。ちなみに彼がシノブと最後に会ったのは十日以上前のことだ。そのためだろう、マティアスは凛々しい顔に嬉しげな笑みを浮かべている。
「ご苦労様。ヴァイトグルントも落ち着いたようだね」
シノブは、執務机の豪華な椅子から立ち上がってマティアスを出迎えた。マティアスはヴァイトグルント軍管区の領都ヴァイトシュタット、以前の帝都ベーリングラードから神殿経由で転移して来たのだ。
「ええ。通信筒でお伝えしましたが、ヴァイトグルント軍管区から西は落ち着きを取り戻しました。各地に派遣した王国軍や傭兵部隊は、順調に帝国兵の武装解除を終えましたし、奴隷の解放も完了しています」
マティアスは、シノブに脇のソファーへと誘われながら、旧皇帝直轄領であるヴァイトグルント軍管区や、同時に攻略した二つの伯爵領、現在はバーレンベルク軍管区やブジェミスル軍管区と呼ぶ地域の様子を説明する。
「それは良かった。帝国兵の身の振り先は大丈夫?」
ソファーに座ると、シノブはマティアスに帝国軍に所属していた者達がどうしているか訊ねた。
ベーリンゲン帝国の軍隊は、基本的にはメリエンヌ王国と戦うために整えられたものだ。何しろ帝国が陸路で移動できる先は、メリエンヌ王国だけなのだ。しかし、もう彼らの全てを軍に置く必要は無い。
元々敵兵である上に、帝国の神の支配から解かれた彼らは、軍人として過ごした期間の記憶を失った者が多い。元メグレンブルク伯爵エックヌートなどのように、再教育をすれば軍人としての技能を思い出す者もいるだろうが、メリエンヌ王国は多すぎる軍人達をそのままにするつもりはなかったのだ。
「お館様、フォルジェ子爵閣下、お茶をどうぞ」
シノブ達にお茶を差し出したのは、従者見習いのエルリアス・ド・フォルジェだ。彼はマティアスの息子だが、勤務中ということもあり父を爵位で呼んでいる。
そんなエルリアスともう一人の従者見習い、こちらは家臣の息子のロジェ・ルジェールが手際良くお茶と菓子を出していく様を、後ろにいる家令のジェルヴェが満足そうな表情で見守っていた。
「エルリアス、ロジェ、上手に淹れたね」
「平民出身の者達の大半は故郷に戻りました。彼らは殆ど記憶を失わなかったので、ほぼ全員が家族の下への帰還を望みました。従士や騎士以上は取調べを続けていますが、階級が低い者については残留を希望した平民と同様に軍属としました」
少年達を労ったシノブに、マティアスは兵士の多くを除隊させ一部を軍属の労働者としていると説明した。
平民出身者には、家族と強制的に引き離された者も多い。そして、軍人として過ごしていた日々を忘れた彼らに残っている最後の記憶は、強引に徴兵されたときのものだ。そのため、軍に残るよりも故郷への帰還を望む者が多かったのだ。
一方、従士や騎士は成人前から見習いとして軍で働いていた者が殆どだ。そのため他に身に付けた技能など無く、軍に残らざるを得ない者が多かった。彼らは前線で働く兵士としてではなく、非武装の軍属として補給や工事の下働きや、事務仕事など諸々の補佐をさせていくという。
王国軍の中には、敵兵であった者達の雇用を危険視する者もいた。しかし、多くの記憶を失った彼らは、それまで信じていた神や皇帝への忠誠心も無いらしく、概ね問題なく新たな職に就く準備をしているという。
「貴族達は?」
「彼らも騎士や従士と変わりません。ただ、お伝えしたように成人男性の生き残りは僅かです。例の宮殿での事件に巻き込まれたようです」
シノブの問いを受けたマティアスは、緑の瞳に憂いを浮かべつつ答えた。
結局、旧帝都にいた貴族の成人男性の殆どと宮殿付きの女性は、竜人化し命を落としていた。皇帝直轄領には六つの都市があり、それらの代官は子爵などが就いていた。皇帝直轄領で生き残った成人男性の貴族は、彼ら代官や軍の将官で地方にいた者くらいである。
「そうか……」
「お館様、ビュレフィス子爵閣下がいらっしゃいました」
マティアスと同じくシノブが眉を顰めたとき、入り口の扉近くに立っていた従者見習いの少年ミケリーノ・イナーリオが耳に心地よい声音でシメオンの来訪を告げた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブがマティアスとシメオンの二人を呼んだのは、学校教育について相談するためであった。
アムテリアから授かった魔法の学校は、日本でも中々見ることの出来ない巨大な教育施設である。何しろ、本館だけで100の教室が存在し、更に教員棟、研究棟を想定した別館、寮として使う宿泊棟まである巨大な設備だ。魔法の家と同様に格納時はカードとなるが、展開すると大よそ200m四方の土地が必要なのだ。
ちなみに、魔法の学校という名前は魔道具故で、魔術教育専用の設備というわけではない。
「ご指示通り、旧帝国からは平民、従士以上、解放奴隷の何れも均等となるよう入学者を募りました。まずは、子供が200人、再教育を受ける大人が200人です」
「我が国の子供も同数です。教員や研究者となる者も募集済みです」
ソファーに並んで座ったマティアスとシメオンは、それぞれの準備の状況を告げた。
学校の教室は40人用であった。そこで子供は旧帝国領とメリエンヌ王国の双方から、十歳から成人直前である十四歳まで一歳ごとに40人ずつを入学させる予定だ。また、子供の他にも記憶を失った大人達の再教育も並行して始めることになっている。
なお、現在のところ学年別の教育内容がしっかり決まっているわけではない。そのため、当面は年齢ごとに多少の難易度は変えるものの、どの学年も軍人や内政官になるための教育を実施するだけである。
「意外に早く準備できたね。陛下やテオドール様が協力してくれたお陰だけど、二人もありがとう」
シノブは、開校準備が順調に進んでいることを喜んだ。
学校運営の費用は王国持ちで、基本的に学費は無料である。これらは、王国の各地から子供を受け入れることを条件に、先代アシャール公爵ベランジェが兄王から引き出したのだ。更に教師となる人材も、国王の命令で退役軍人や引退した内政官を各地から集めていた。また、カンビーニ王国で採用した同様の者もいる。
したがって、新たな学校が最小規模で開校するための人的な準備は整っていた。
「当然のことです!」
「優秀な人材の育成は、必要なことですから。今後を考えると、シノブ様の理念を浸透させる教育こそが、最優先で取り組むべきことです」
それぞれの性格を表すかのように、マティアスは威勢よく、シメオンは思慮深く答えた。
おそらく、この学校で学んだ者達が旧帝国領で近い将来活躍することになる。旧帝国は、いずれ独立した国家として再生するだろう。そして、新たな統治者の最有力候補はシノブである。
何しろ、現在の旧帝国領は各軍管区に分かれてはいるものの、それを束ねるのは国境防衛軍の最高司令官、つまりシノブである。要するに、名目上は今現在もシノブが旧帝国領を治めているわけだ。
もちろん、国境防衛軍が本来の国土の半分を超える地域を統治するなど前代未聞なことだ。しかし、これが将来の建国を見据えた措置だというのは、明言こそされないものの誰もが察していることであった。
「ああ。後は、学校を建てるだけだね。場所はアマテール村から更に奥で良いのかな?」
「はい。帝国に似た気候風土の場所の中では、もっとも適切です。ガンド殿の狩場の中になりますが、快く許可していただけました。農地に適していることも、ファリオス殿達が確認しています」
シメオンはシノブに頷いてみせる。学校の設置場所は、以前話していた通りフライユ伯爵領の北の高地に決定していた。そして、シノブ達がカンビーニ王国に訪問している間に、シメオンはアマテール村のタハヴォや岩竜のガンド達と、どこが適切か検討していたのだ。
学校には農園も併設するため、エルフのファリオスやエリュアール伯爵領から招いた郷士達が、農業に適した土地を選んだ。そして、ガンドとヨルムが竜の道で結界も張った。したがって、後は魔法の学校を展開するだけだという。
「竜の道で守ってもらえば魔獣も入らないし、軍人志望者は実地訓練も出来て良いんじゃないかな。でも、それで良く第一次募集の定員が埋まったね」
シノブは、アマテール村の奥、つまり北の高地でも最も北辺となる地を思い出し、苦笑した。
リソルピレン山脈も近いその場所は、魔狼などの棲む土地である。今までも鉱山の採掘や狩猟をしていたが、それはドワーフの戦士達だから出来たことだ。
とはいえシノブが言う竜の道、つまり魔獣避けの結界が学校を守るから、実際のところ危険は少ない。しかし、それは募集者には明確に伝えていなかった。実はシメオンの発案で、敢えて実際より過酷な地と強調したのだ。
「それでも途轍もない倍率になったそうですよ。学費不要ということもあるのでしょうが、『竜の友』であるシノブ様が準備するなら安心だと考えたのでは?」
「旧帝国領の希望者も凄い数でした。元奴隷の獣人達からすれば世に出る絶好の機会ですし、平民も同じようです。支配階級の子供達も、親がああなっては自分で身を立てるしかないと考えたのでしょうな」
シメオンとマティアスは、入学希望者が殺到した様子を口々に説明した。
メリエンヌ王国では、軍人は平民が立身出世できる魅力的な職業だ。王領にしろ伯爵領にしろ、内政官は殆どが騎士や従士以上で、よほど特殊な能力を持っていない限り平民の採用は無い。それに対し軍人の場合、平隊員はほぼ全員が平民である。
軍人は危険を伴う職種故、平隊員でも高度な熟練職を上回る俸給だ。真面目に貯金すれば、かなりの金が貯まるし、長年務めれば除隊時には庶民の年収数年分の一時金も出る。それに、勤続年数に応じて単年から数年の税の優遇まである。
したがって出世できなくても利点は多いのだが、今回開校する学校に通えば、軍の幹部となれる可能性も高い。仮に中隊長にでもなれば、一般的には平隊員の四倍近い俸給だし、そこまで昇進すれば殆ど例外なく仕官できる。
旧帝国領の者にとっても、元奴隷や平民にとっては今まで縁が無かった従士以上になる好機だ。逆に従士以上なら、これまでの生活を維持するには幹部となるしかない。そうなると、未成年者ならシノブ達が作る学校に入るのが、一番の近道だろう。
「まあ、確かに良い成績で卒業できたら出世は出来るだろうけど……ともかく、学校の運営はアリエルとミレーユに任せるから、支えてあげてね」
シノブが二人を呼んだのは、このこともあった。
この学校は、名目上はフライユ伯爵であるシノブが経営することになる。つまり、地球の学校で言えば理事長はシノブである。しかし、実際にはシノブが学校に貼り付いているわけにもいかない。そこで、理事に相当する役を、アリエルとミレーユに頼むつもりなのだ。
実務に優れたアリエルは内政官としてもやっていける能力を持っているし、ミレーユが武人として優れているのは周知の事実である。その二人が理事として運営を監督し、時には教育そのものも担当するわけだ。
農業部門はエルフのファリオスやエリュアール伯爵領から招いた郷士達、商業はマリアン伯爵の家臣であるバティスール・デュジャニエもいるから、それらを監督する文官を育成する目処も立っている。もちろん、官僚としてだけではなく、実際に農業や商業の実務も体験させるつもりだ。
「実際の教育は校長以下の教員に任せますが、シノブ様の方針を理解している者が必要ですから」
シメオンが言うように、アリエルやミレーユには、シノブが目指すところをかなり詳細に伝えている。二人はシノブの出自を知っているから、シノブとアミィが日本の制度などを例に挙げて詳しく説明していた。
「お任せください! 閣下の理想を実現してみせます!」
マティアスにも、アリエルとの結婚が決まった後にシノブの真の経歴を伝えていた。シノブは、アリエルと結ばれる彼には真実を知る権利があると考えたのだ。そのためマティアスも、この地方の国々では前例の無い教育について驚きはしているものの、強い関心を抱いているようだ。
「それじゃ、ここまでにしようか。二人も明後日の準備で忙しいだろうからね。アリエルとミレーユを待たせちゃ悪いし」
シノブは、二日後の4月1日に結婚式をする二人を解放することにした。
二人は僅かに苦笑したものの、からかい気味のシノブに言葉を返すことはなかった。彼らは、揃ってシノブに頭を下げると、ソファーから立ち上がる。シノブも、僅かに照れたらしいシメオンとマティアスの様子に頬を緩ませながら、同じく席から立ち上がった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブはシメオンとマティアスを連れ、迎賓の間へと赴いた。そこには、アミィと共にセリュジエールから来た一行がいるからだ。既に迎賓の間にはアリエルとミレーユ、そしてシャルロット達もいた。
シノブは、初めて会うソンヌ男爵エルヴァンや妻のミルティーヌ、そして嫡男エルヴェの妻ファリアンヌなどと挨拶をし、彼らと共に暫し歓談をした。
本来なら昼食でも共に、というところだが、それぞれ結婚式の前で忙しい。特に新婦の家族達は、準備してきた花嫁衣裳を合わせるなど、することが多い。そこで、シノブやアミィは晩餐での再会を約して彼らと別れた。
アリエル、ミレーユ、そしてシメオンはそれぞれの親族に割り当てた貴賓室に一緒に行き、マティアスは一旦自宅へと戻る。またシャルロットやミュリエルは、それぞれの母と共にサロンへと行った。セレスティーヌもシャルロット達と一緒である。
一方、シノブとアミィはサロンまで女性陣を送ると、館の庭にある研究所、元は倉庫で現在はマルタン・ミュレやハレール老人達が魔道具の研究に使っている建物に向かっていった。昨夜遅く、彼らから通信の魔道具開発に進展があると聞いたからだ。
「いつ来ても雑然としていますね」
「研究室なんて、こんなものじゃないの?」
呆れ気味のアミィに、シノブは笑いかけた。
広い室内の中は、机や棚の上に魔力を蓄積する結晶や魔道具の部品が無造作に置かれ、組み立て途中の魔道具が放置されている。また、試作品と思われる内部が剥き出しのままのものや、何かを書き付けた紙も散らばっていた。ここは、ミュレ達が作業する部屋の一つである。
シノブは、日本で通っていた大学の研究室に似た室内を、どこか微笑ましく感じていた。しかし綺麗好きなアミィは、ごちゃごちゃした部屋の中が気に入らないらしく、可愛らしい眉を顰めたままだ。
「あっ、シノブ様!」
部屋の奥にいたミュレは、隣にいた助手のカロル・フィヨンに袖を引かれ振り返った。
ミュレとハレール老人は壁際の巨大な装置に向いていたのだが、会話しながら近づくシノブ達に気が付かないほど作業に熱中していたらしい。
「やあ! 通信の魔道具、目処が付いたんだって?」
シノブは、早速本題に入った。彼らが先ほどまで調整していた装置こそ、通信の魔道具である。未だ手を加えているところを見ると、まだ完成というわけでは無いのだろう。しかし、弾む口調で語り合っていた彼らの様子からすると、大きな成果があったようだ。
「は、はい!」
「魔力の吸収と蓄積が解決しました!」
ミュレとハレール老人は、今まで課題であった大魔力を貯める部分について語りだした。二人の脇にいるミュレの幼馴染のカロルと、ハレール老人の弟子であるアントン少年は、苦笑いをしながら彼らの様子を眺めている。
女性であるカロル以外の三人は、ずっとここに泊り込んでいるのか、服は皺くちゃで髪などは乱れている。もっともハレール老人は禿頭なので、彼の場合乱れているのは白い髭であった。
「蓄積自体は帝国の『魔力の宝玉』をそのまま流用すれば良いのですが、問題は吸収と長期の維持です。帝国にも自然の魔力を短時間で吸収する技術は無かったですし、『魔力の宝玉』に溜め込んだ魔力は一日もすれば半減してしまいますから……」
「ですが我々は魔力を遮る障壁を工夫し、一日で失われる魔力を一割に抑えることに成功しました。これは、蓄積した魔力波動に最適な障壁を構築することで解決できまして。魔力吸収の効率化は、吸収用の部品を並列に沢山取り付けることで何とか実現しましたが、これは更なる改良が必要ですな。竜のための魔道具で、大魔力の扱いに慣れていたのが幸いしましたが、現状は単なる力技に過ぎません。それに、今のところ大きさも費用も桁外れですから……」
二人は徹夜続きなのか、かなり興奮しているようだ。普段も研究となると目の色が変わる彼らだが、今日は一段と酷い。装置の構造や技術的な解決方法について、彼らは延々と語っていく。
「ともかく、お疲れさま。要するに、自然の魔力を吸収するだけでどうにかなるわけだね」
シノブには、彼らの語る内容の詳細は理解できない。しかし、知りたいことは充分に把握できた。
ミュレ達が開発していた魔力蓄積の装置は、帝国が秘匿していた技術を解析することで、大きな前進をした。彼らが作った装置は、自然に満ちる魔力を吸収して大きな魔力を蓄積できる。地球に存在するもので例えるなら、太陽光で充電できる大容量の蓄電池というところか。
そういった自然充填型の魔道具は小容量なら今までにも存在していたが、彼らは大魔力を貯めたまま保持することに成功していた。つまり魔力を使用しなければ、長期間蓄積したままで保管しておくことが可能となったのだ。正確に言えば、抜けていく分と釣り合うだけの魔力を吸収する仕組みを実現したわけだが。
ともかく、これがあれば大魔力が必要な魔力での通信機、魔力無線の発信装置を各地で運用することが可能となる。
今までだと、発信装置はシノブやアミィまたは竜達のような巨大な魔力を持つ者が都度充填するか、北の高地のように極めて魔力が多い場所でしか使えなかった。しかし、これからは費用を度外視すれば、どこにでも設置可能となったのだ。
「はい。今後は小型化や効率化の研究を進めていきます。そうだよね、マルタン?」
男達に任せていると話が長くなると思ったのか、カロルが今後の方針についてをシノブに伝えた。
なお、彼女は技術面も理解しているようだが、主にミュレやハレール老人の健康管理や、開発の進捗管理など、支援的な業務を受け持っているようだ。
「ああ、カロルの言う通りだね」
微笑むカロルに、ミュレも同じような優しい表情で答えた。二人は元々幼馴染だが、こちらに来てからずっと一緒に研究しているせいか、かなり親密になったようだ。特にミュレは、最初の頃とは違って自然な様子でカロルと接している。
「通信距離も問題ないですし、これなら都市ごとに置けば充分ですね!」
よほど嬉しいのだろう、アミィの薄紫色の瞳はキラキラと輝き、頭上の狐耳もピンと立っている。
今までは、シノブ達の魔力補充無しで有効に使える発信機は、魔力が濃いアマテール村に設置したものだけだった。しかし、受信機は少し大型の魔道具程度しか魔力を必要としなかったので、ミュレの部下達はフライユ伯爵領内の各地で受信の試験をしていた。その結果、およそ200km以内なら充分受信可能であることが判明している。
領内の都市間は長くても100kmくらいだし、他領でも200kmを超える場所は稀である。都市以外にも大きな町や砦などに設置して回れば、国内を繋ぐ通信網も容易に構築できるだろう。それに、通信距離は今後の改良で伸びる可能性も高い。
シノブ達は、アムテリアから授かった通信筒で距離を気にせず連絡できる。しかし、通信筒の数は限られているし、現在の魔道具技術では原理を想像することすら出来ない。したがって、広範囲での即時通信を普及させるには、地上の人間が製造可能な装置の誕生が不可欠であった。
◆ ◆ ◆ ◆
「あの……お館様、ご指示頂いた品も仕上がっています」
恐る恐るシノブに声を掛けたのは、狼の獣人の少年アントン・ラフォンだ。
妹のリーヌは侍女見習いとして館で働いているしカンビーニ王国への訪問にも同行したから、シノブ達と接する機会も多い。しかし、アントンは研究所に詰め切りでシノブやアミィと顔を合わすことは少ない。そのため、どう声を掛けて良いか戸惑ったのだろう。
「ああ、これだね! ありがとう!」
シノブはアントンが示した先を見て、顔を綻ばせた。そこには大小様々な球や長い棒、そして通常の倍以上もある革製の手袋のようなものが幾つも置いてある。
球は直径1mもあるものから拳と同じ程度まで様々だ。しかも革製らしいものから金属製の球まで、材質もまちまちである。
一方、長い棒と大きな革製の手袋は、この世界の者ならともかくシノブにとっては見慣れたものだ。要するに、野球のバットとグローブを模したものなのだ。
「シメオン様から頂いた紙に書いてあった通りにしたつもりですが、いかがでしょう?」
「ああ、問題ないよ。短い間に良く出来たね」
これらは、つい先日シノブが通信筒を介してシメオンに送った内容に沿って作ったものだ。もっとも、シノブが書いた説明書きと簡単な絵から作成したもので、地球のスポーツ用具とは形状も異なるし材質も違う。
ボールは、野球ボールやサッカーボールとして使うものも作ったが、当然ながら地球の物のように高品質ではない。そのため、野球ボールは比較的似た感じに仕上がっているが、サッカーボールはあまり弾まないようだ。
実際にシノブがサッカーボールでリフティングをしてみるが、それなりに力を入れないと思う高さに上がらなかった。
「す、凄いですね!」
「ああ、故郷に、こういう遊びが、あってね」
感嘆するアントン少年に、シノブはヘディングなども織り交ぜながら答えを返した。
今のシノブなら、高度な身体強化をすれば鉄の球でもリフティングをすることは可能だろう。したがって、多少弾まない程度であれば、全く問題なく扱えた。
「その木や鉄の棒は、何に使うのですか?」
「これは、この小さな球を打つためのものですよ」
瞳を輝かせたアントンがシノブを見つめる中、アミィはカロルの質問に答えていた。
バットは木製と鉄製の二種類が存在した。木製の方は規格に則っているかを別にしたら、充分バットと言えるものだが、鉄製の方は中身も詰まった鉄の塊で、外見以外は野球道具から大きく外れたものであった。
これは、身体強化が出来るこちらの人間の能力を考えたシノブが用意させたものだ。シノブは、優れた武人などが本気を出せば、木製のバットなど簡単に折れてしまうのではないかと案じたのだ。
「この大きな鉄の球は何に使うのですか? 流石にこれを投げたり蹴ったり出来るのは、シノブ様やアミィ様など一部の方だけだと思いますが……」
ミュレは、直径1mもある鉄の球に視線を向けていた。彼が言うように、これを球技に使える人間は、フライユ伯爵領でもごく僅かだろう。
「これはオルムル達に遊んでもらうためのものですよ。オルムル達なら、そのくらいが良いかなと思って……小さくなったときはシノブ様が蹴っているので良いのですが」
アミィはバットやグローブ、巨大な鉄球や同じくらいの大きさの革の球、それにサッカーボールや野球ボールなどを魔法のカバンに仕舞いながら、ミュレやハレール老人に説明する。
十歳くらいの外見のアミィだが、彼女は常識外れの身体強化が可能である。そのため、一抱えもある鉄の球を含め軽々と抱えてはカバンに格納していた。
「なるほど……竜達が遊ぶなら、これくらいは必要ですか。でも、この球で遊ばれたら館の敷地が大変なことになりますな」
「鉄の球は狩場で使ってもらうよ。そうじゃないと、住むところが無くなるからね」
リフティングを終えたシノブの言葉に、一同は笑いを零していた。鉄の球を蹴りあうオルムルやフェイニー達が、館を破壊するところでも想像したのだろう。
実は、シノブはカンビーニ王国の海で獲れた深海シャコ貝の殻を貰ってきている。合わせて四枚の貝の殻の内側は真珠と同じ材質であり、綺麗な光沢を放っている。そこでシノブは、オルムル達が気に入った球に、殻の内側から取って砕いた粉を塗すつもりであった。
キラキラと光り輝く球で遊ぶ子竜達やフェイニーの姿を想像したシノブは、南海で獲れた巨大な真珠にも負けない眩しい笑みを浮かべていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年10月18日17時の更新となります。
本作の設定集にメリエンヌ王国南部やカンビーニ王国など13章で訪れた地域の地図を追加しました。
設定集はシリーズ化しています。目次のリンクから辿っていただくようお願いします。