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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第14章 西海の覇者達
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14.02 シノブ、旅の後 中編

 フライユ伯爵家の館には、完成して二ヶ月足らずの別館が存在する。この別館はシノブが掘り当てた温泉を活用するために造ったもので、掛け流しの浴場や排熱利用の温室がある。


 別館の温泉は伯爵家の者や来客が用いるが、本館の使用人向けの大浴場にも湯を回しており、館に勤務する者達にも好評である。また、シノブは領都シェロノワの数箇所、更に他の都市にも温泉を掘削し、公衆浴場を造らせた。これらは、領民達にも喜ばれ健康増進や衛生向上にも役立っている。


 一方、温室は比較的寒冷なシェロノワでは育ち難い植物を置いたり、本来とは異なる時期に試験的な栽培をしたりと、鑑賞目的と農業試験の双方に使われている。当初はアムテリアから授かった茄子を植えていただけだが、最近では、それ以外にも幾つかの作物を試験的に栽培していた。

 もちろん、別館の温室で栽培可能な量は限られている。そのため、ミュリエルの祖母で農務長官でもあるアルメルは、シェロノワの近隣に新たな農業試験場を用意した。

 なお、この世界には排水を浄化する魔道具が存在するため、温泉の湯に含まれる諸々の物質を取り除くことも容易であった。そこでシノブは新農業試験場にも温泉を掘り、職人達が大規模な温室を(こしら)えたというわけだ。

 これらの温室は細かく切った格子に板ガラスを()め込んだ光が多く入る構造となっており、一部は植物園のように公開することになっている。


 そのような形で温泉は多くの者達に歓迎されてはいるのだが、時に思わぬ悲喜劇を(もたら)すものでもあった。


「ま、負けたのじゃ……」


 カンビーニ王国の公女マリエッタは、今まで見たことも無いほど深刻な顔をしていた。早朝訓練のときは楽しげに体を動かしていた彼女だが、そのときとは同一人物と思えないほどの落差である。


「マリエッタ。貴女はまだ十二歳でしょう? その歳なら充分だと思いますが……」


 こちらは早朝訓練を終え温泉で軽く汗を流したシャルロットだ。彼女は白い肌を薄く染めているが、どうやら横にいるマリエッタの視線に羞恥を感じたためでもあるらしい。

 昨晩から側仕えとなったロセレッタに、シャルロットは困惑が滲む表情で体を拭かれている。


「マリエッタ様、シャルロット様の仰るとおりかと」


「そうです! マリエッタ様は、きっとフィオリーナ様のようになります!」


 慌てたような表情で、フランチェーラとシエラニアが声を上げる。

 フランチェーラはマリエッタの体を、そしてシエラニアはアミィの体を拭っている。彼女達は浴室の入り口、脱衣所に繋がる一角で水気を落としている最中だ。

 ちなみにシャルロットがマリエッタを呼び捨てにし、ロセレッタやシエラニアがシャルロットやアミィの世話をするのは、公女と学友である三人の伯爵令嬢がシノブ達に弟子入りしたためである。四人は当面シャルロット付きの女騎士ということになったのだ。


「皆さん、とてもスタイルが良いと思いますが……」


 どこか悲しげな様子で会話に加わったのはアミィである。彼女は十歳くらいの外見ということもあり、他の五人とは異なる年齢相応の容姿であった。

 もっとも、ここにいるのがアミィ以外でも同じだったかもしれない。十二歳のマリエッタですら既に人族でいえば成人同等の発育で、他の四人も殆どの女性なら嫉妬の視線を向けるだろう見事な肢体の持ち主であったからだ。

 シャルロットは平均を超える身長と女性の理想と言うべき容姿だ。それに更に背が高いフランチェーラとロセレッタは、前者は豊満で肉感的、後者は隆々たる筋肉を誇るが女性らしさも充分以上に保っている。流石に年下のシエラニアはそれほどでもないが、とはいえ平均を遥かに超えているのは間違いない。


「あ、アミィ様こそ、まだ先がおありかと! それに、私達は虎の獣人や獅子の獣人ですから!」


 シエラニアは、しょんぼりした様子のアミィに慰めの言葉を掛けた。

 マリエッタとフランチェーラ、シエラニアは虎の獣人で、ロセレッタが獅子の獣人だ。これらの種族は、一般的に男女とも大柄な体格となるらしい。それにシャルロットが十八歳、フランチェーラが十七歳、ロセレッタが十五歳、シエラニアが十四歳である。しかもアミィからすれば全員頭一つ以上は背が高い。

 したがって、アミィと他の五人に体型的な差があるのは仕方がないことである。ただしアミィは狐の獣人であり、フランチェーラ達のように豊満にはならない可能性は高い。

 もっとも、元々アムテリアの眷属であるアミィが普通に成長すればという前提ではある。彼女の場合、何年経っても姿が変わらないというのもありそうだし、逆に種族特性を超えた成長をしても不思議ではない。


「……母上と比べても見劣りせぬ……それにあの胸……(わらわ)が十八になったとき、これほど育っているのじゃろうか……」


 だが、マリエッタには周囲のやり取りは聞こえていないようである。どうもマリエッタは自身の母フィオリーナに勝るとも劣らないシャルロットを見て、途轍もない衝撃を受けたらしい。

 彼女は、シノブ達がカンビーニ王国の王都に滞在しているうちから早朝訓練に混じっていた。しかし王都カンビーノでは訓練が終われば迎賓館から戻って自室で身を清め、マリアン伯爵領で一泊したときには、まだ正式な弟子入りの前ということもあり、一緒に汗を拭うようなことはなかった。

 そのためマリエッタは初めてシャルロットと共に入浴することになったのだが、予想以上の衝撃を受けることとなったらしい。そして彼女は一人ブツブツと呟きシャルロットを頭から足元まで見た後、とある部分に視線を固定した。


「マリエッタ、()めなさい!」


「マリエッタ様!」


 シャルロットは最近の彼女に似合わぬ強い調子で叫び、自身の胸元に迫る虎の獣人の公女の手を打ち払った。そして、マリエッタの体を拭いていたフランチェーラが、一瞬遅れて彼女を羽交い絞めにする。


「シャルロット殿! (わらわ)は頑張るのじゃ! いずれ貴女を超えてみせるのじゃ~!」


「え、ええ……頑張りなさい……」


 (あき)れ混じりのシャルロットの返答は、浴室内に反響するマリエッタの声に圧倒されていた。そのため、シャルロットの言葉が、公女の耳に届いたかどうかは、疑問である。

 だが、いずれにせよマリエッタにはシャルロットの言葉を聞く余裕は無かったかもしれない。何故(なぜ)なら、彼女は浴室にいるにも関わらず、急激な冷気に襲われていたからだ。


「マリエッタさん……お話があります」


「あっ、アミィ殿……わっ(わらわ)が悪かったのじゃ~! もうしないのじゃ~!」


 アミィは魔術など使っていないらしい。その証拠に、マリエッタ以外は誰も寒気など感じていないようだ。しかし、マリエッタだけは蒼白な顔でガタガタと震え、小柄な狐の獣人の少女に平伏したのであった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……何か、悲鳴のようなものが聞こえた気がするな」


 ところ変わって男湯のシノブである。今日の彼は、従者見習いで最も年上のレナン・ボドワンと新入りの少年に付き添われ、早朝訓練の汗を落としていた。こちらも既に風呂から上がり、レナン達がシノブの体を拭いているところだ。

 レナンは従者見習いで最年長で、しかも最初にシノブの従者となった少年だ。商人の息子ということもあり、良く気がつく性格でもある。そのため、新人と組むことになったのだろう。この辺の差配は家令のジェルヴェの管轄だが、彼の配慮は適切であったようで、新入りの少年も落ち着いた様子で働いている。

 その新人の従者見習いは、金髪に茶色や黒が混じった猫の獣人だ。なお、猫の獣人でこういう髪色の者は、非常に珍しいらしい。


「私には聞こえませんでしたが……見てきましょうか?」


「先輩、私が行きます!」


 シノブの体を拭いていたレナンと新入りである猫の獣人の従者は、主の疑問に答えようと名乗りを上げた。彼らはタオルを持っている両の手を()め、シノブの顔を見上げている。


「レナン、ミケリーノ、()めておいたほうが良い。今いるのはシャルロット達だけだからね」


 シノブは、最も長く側にいる少年の名と、まだ採用して数日の少年の名を口にした。

 そう、新たな従者とはアルバーノの甥でソニアの弟のミケリーノ・イナーリオであった。彼は、王都カンビーノで行われた魔術師の採用試験に合格していたのだ。


「そ、そうでしたね!」


「私達が行くわけにはいきませんね……」


 真っ赤に頬を染めた二人の少年は再び主の体を拭きに戻る。

 レナンとミケリーノはどちらも細身で美少年と言って良い容姿だから、女物の服を着れば侍女達に紛れても違和感はない。しかしレナンは十三歳、ミケリーノは十二歳だ。これが従者見習いで最も幼い七歳のコルドールならともかく、二人の歳で女風呂に行くのは問題である。


「魔力も普段通りだし、大丈夫だよ」


 シノブは、シャルロット達の魔力に異変がないと察していた。極めて優れた魔力感知能力を持つ彼は、その気になれば領都シェロノワ全体の魔力を探ることも可能である。


「凄いです……私も頑張って魔力感知を磨きます!」


 ミケリーノは、頬を紅潮させ瞳を潤ませながらシノブを見上げている。彼は身体能力も優れているが、獣人族にしては珍しく魔力量も多かった。そこで、シノブやアミィの下で魔術の修行をしたいと考えたという。

 彼は、祖父のエンリオや父のトマーゾに黙って魔術師の採用試験を受けた。彼が試験を受けると決めた時点では、エンリオやトマーゾは自国を飛び出したアルバーノに隔意を(いだ)いていた。それを知っていたミケリーノは、合格した後に姉のソニアに後押ししてもらおうと考えたのだ。

 幸いにも、競技大会でエンリオ達とアルバーノは和解した。そのためミケリーノは、仲良く戻ってきた彼らの姿に驚いたものの、安心して合格を告げたそうだ。

 エンリオやトマーゾも、国王や王太子がシノブとの関係強化を望んでいると知っている。それに、人手不足のフライユ伯爵領や旧帝国領なら、出世する機会も多いと思ったのだろう。彼らは、ミケリーノの合格を大いに喜び、快く送り出したらしい。


「ああ、頑張ってね。レナンも頼むよ」


「はい!」


「任せてください!」


 主の言葉に、二人の少年は嬉しげな返答をした。

 シノブの従者見習い達は、元伯爵の息子に子爵家の子供達から、商人の息子まで様々だ。しかし、彼らは出身に関係なく仲良く働いている。お側付きとして上がった者達は、元の身分をひけらかすことは慎むべきとされているからだ。

 とはいえ、建前通りに行く場合だけではないだろう。家令のジェルヴェがしっかり教育しているから、側に控える少年達も明るくのびのびと働けるに違いない。

 シノブは、裏から支えてくれるジェルヴェに胸のうちで感謝しながら、溌剌(はつらつ)とした二人の少年と共に浴室を後にした。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブ達が食事をするのは、館の左翼二階にある広間である。

 朝食の時に集う面々を主な者から挙げると、シノブと妻のシャルロット、そして婚約者のミュリエルと彼女の祖母アルメル、家族同様に接している王女セレスティーヌだ。また、家令であるジェルヴェを始め、それぞれの側近も欠かさず同席している。

 シノブからすると、家族どころか主だった家臣まで揃って食事をするのは何とも不思議な気もする。しかし、メリエンヌ王国の上級貴族は、概ねこのような感じらしい。

 朝食で情報交換をし、その後それぞれの職場に赴く。そして昼食は行った先で取り、夕食は来客があれば晩餐会を開き、無ければ家族ごとで食事をする。このような食習慣が一般的だという。

 したがって、シメオン達が結婚しても、朝食に関してはこれまで通りとなるらしい。流石に夕食は(うたげ)などがなければ、それぞれの自宅である公邸に戻って食べる。しかし、朝食の風景は当分変わらないようだ。

 アリエルやミレーユも実家と同格の男爵家に嫁げば、家によっては自分で料理することもあっただろう。しかし子爵の妻ともなると、料理などは使用人達の仕事である。その辺りは以前ミレーユが、田舎男爵の娘なんて、と言っていたように、子爵家と男爵家でかなりの格差があるとみえる。


「アリエル、ミレーユ。よく眠れた?」


 シノブは食事の手を()め、二人の女騎士へと視線を向けた。

 食卓には、上座である短辺の中央にシノブとシャルロットが並び、その両脇にミュリエルとセレスティーヌが着いている。

 そしてセレスティーヌのいる右側の長辺にはアミィ、シメオン、アリエル、ミレーユと並び、ミュリエルの方は遊び相手であるミシェルにフレーデリータ、家令のジェルヴェ、マリエッタを含む新たに来た女騎士達の順である。

 なお、エルフのメリーナは、兄のファリオスの様子を見に北の高地に行っているため、ここにはいない。


「はい。お気遣いありがとうございます」


「ちょっとドキドキしましたね~。でも、カンビーニ王国での訪問で少しは慣れたかも……」


 アリエルは上品な笑みと、ミレーユは若干の苦笑いと共に答えを返した。

 アリエルとミレーユは、昨晩から一時的に館の貴賓室に移動していた。二人は、シャルロットの側近としてシノブ達の居室に近い控えの間で暮らしていたが、マリエッタ達に部屋を譲ったのだ。


 それぞれ子爵夫人となる二人だが、シャルロットの側にずっと控えていた上に実家は遥か遠くの男爵領である。当然、彼女達は自身の家や部屋を持っていない。そこで、館に男爵や子爵が訪れたときに滞在する貴賓室を、臨時の居室としたのだ。

 二人に割り当てたのは幾つもの寝室があるもので、彼女達の親族がシェロノワに来たら共に滞在してもらうことになっている。しかし、それらは控えの間とは比べ物にならない上等な部屋であり、シノブは二人が気疲れしなかったかと気になったのだ。


「貴女達も子爵夫人ですから」


 シャルロットは、僅かに寂しげな口調で親友達に語りかけた。

 カンビーニ王国に赴く辺りから、シャルロットは二人の役目を徐々に減らしていったらしい。訪問先でも、二人を側付きの騎士としてではなく、子爵夫人として扱うことが多かったようだ。そのため、宿泊の際も二人の新たな身分に相応しい部屋を用意してもらい、自身の側から離していた。

 アリエルとミレーユは男爵家の娘だ。多くの男爵家は小領で、使用人に(かしず)かれるような暮らしではないし、彼女達の家も同様である。それに、シャルロットの下に来てからの二人は世話する側であり、自分のことは自分でしてきた。しかし子爵夫人ともなれば、当然ながら身の回りのことは侍女に任せる。

 そこでシャルロットは、二人の女騎士を新たな立場に馴染ませようとしたらしい。とはいえ、長年一緒に過ごしてきた二人が自分の側から離れるのは、やはり複雑な思いがあるようだ。共に歩んだ二人を見つめるシャルロットの青い瞳は、僅かに潤んでいるようである。


「いきなりだと大変だよね。俺も子爵になったとき色々戸惑ったよ」


 シノブが頭を掻いてみせると、その場にいる者達は苦笑をした。彼らは、今は伯爵となったシノブが、つい半年前は自称騎士の異邦人であったことを思い出したようだ。


「昨日から、侍女の人達にも来てもらったんですよね?」


 アミィは、二人が嫁ぐにあたり雇った侍女達のことに触れた。

 アリエルとミレーユは、身一つでシェロノワに来たから、従者や侍女は雇っていなかった。もちろん、軍では女性の従卒や兵士の世話を受けてはいるのだが。


「ええ。アルメル様、ご紹介ありがとうございます」


「とても助かりました」


 アミィに頷いて見せたアリエルとミレーユは、ミュリエルの祖母であるアルメルへと頭を下げた。

 アリエルが嫁ぐマティアスには、王都から来た母のフローデットと先妻との間に儲けた三人の子供を世話する侍女がいた。しかし、フローデットが連れてきたのは落ち着いた中年の使用人達であった。彼女は、王都のフォルジェ子爵邸から、子供の手が離れた使用人夫婦を幾組か選んだという。

 そして一人で暮らしていたシメオンは、男性の使用人しか置いていなかった。そのため、アリエルとミレーユは、自身と近い歳の侍女を幾人かアルメルに紹介してもらったのだ。


「いえ。あの娘達も、良い奉公先を得て喜んでいるでしょう」


 にこやかに微笑んだアルメルは、お茶へと手を伸ばす。

 彼女は、アリエル達の侍女に元々フライユ伯爵家に仕えていた家臣の娘達を推薦していた。シャルロットやミュリエルの側にいるのは、ベルレアン伯爵家から来た者やシノブが子爵となってから抱えた者が殆どである。そのため、新たに出来た奉公先に手を上げる者は多かったようだ。


「私も、もう少し増やした方が良いのでしょうか?」


 ミュリエルは、自身の側にいるのがミシェルやフレーデリータなど他領から来た者達であることに思い至ったようだ。もちろん、ミュリエル付きの侍女の中にもフライユ伯爵家の者はいるのだが、同年代の学友に自領の出身者がいないことが気になったらしい。


「ミュリエルさんは将来の伯爵夫人ですから、もう少し雇っても良いかもしれませんね。私も王都から少し呼ぼうと思っていますわ」


 物問いたげな視線のミュリエルに答えたのはセレスティーヌである。

 現在、セレスティーヌは白百合騎士隊のサディーユとシヴリーヌに身辺警護をさせ、アガテとクローテという騎士階級の娘を侍女としている。彼女達は、いずれも王家付きの貴族家や騎士家の出身だが、セレスティーヌのシェロノワ滞在も既に二ヶ月になろうとしている。そのため、入れ替えや休暇などを考えたのだろう。

 なお、シェロノワと王都メリエは神殿経由で転移できる。したがって、呼び寄せるのも帰宅させるのも、シノブやアミィが手を貸せば、いつでも可能であった。


「……そうですね。考えておきます」


 暫く思案していたアルメルだが、その顔には穏やかな笑みを浮かべており、彼女自身も歓迎していることが見て取れる。

 実は、アルメルはミュリエルの側近を入念に選んでいたのだ。何しろ、前フライユ伯爵クレメンの事件が起きてから、まだ三ヶ月である。一応、事後の調査も完了したものの、クレメンの陰謀に関わった可能性が僅かでも残っていれば、ミュリエルの側に近づけるわけにはいかない。

 そこで彼女はシノブに頼み、ソニアやアルバーノなどの手も借りて家臣の子女の調査を進めていたわけである。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「アリエルとミレーユは、今日は忙しいんだよね? それに、シメオンも?」


 侍女についての話が一段落したのを見て、シノブはシメオン達三人に語りかけた。彼は、今日はこの場を除いて多忙な三人と会う機会もないだろうと思ったのだ。


 アリエルとミレーユは、今朝の早朝訓練に参加しなかった。結婚も近い彼女達は、ミュリエル達に混じってアルメルから教えを受けていたからだ。

 今回の結婚式には身分の高い者が大勢やって来る。何しろ、主催のシノブが伯爵だ。それに旧主と言うべきベルレアン伯爵達も当然来る。もちろん王女セレスティーヌも列席するし、帝国との戦いの際に二人に都市グラージュで守られた王太子テオドールも来訪する。

 そこで二人は、アルメルから結婚式での諸々について再教授されたというわけだ。


「ええ、私は政務を片付けるだけですが……」


 シメオンは僅かに苦笑しながら、女騎士達へと視線を動かした。

 彼は今更礼法を学び直す必要は無いようだ。男爵の娘であった二人とは違い、彼は子爵家の嫡男として生まれ育った。実家であるビューレル子爵家は、本家であるベルレアン伯爵家に何かあれば、伯爵の位を継ぐこともある家柄だ。そのためシメオンは、伯爵となっても問題ない教養や礼儀作法を身に付けていた。


「今日はアルメル様から色々教えていただこうかと」


「カンビーニ王国に行く前に、教わってはいたんですけどね~。私の結婚式に王太子様が来るなんて、思いもしませんでしたよ~」


 アリエルとミレーユは、やはり復習に専念するようだ。

 シノブから見て、二人の挙措は全く問題ない。落ち着きと優雅さを併せ持つアリエルの振る舞いは、多くの貴婦人の手本となるべきものだ。それに、こういう私的な場ではおどけた様子を見せるミレーユも、公的な場では同僚と同じく伯爵継嗣の側近に相応しい姿を見せている。

 とはいえ一生に一度の結婚式、しかも王族まで列席するとなれば、二人が念には念を入れて挑むのも、当然であろう。神殿での転移が可能になったため、メリエンヌ王国の上級貴族は、かなり腰が軽くなったのだが、二人にとっては少々災難だと言うべきか。


「そうか……頑張ってね」


 シノブは、やはり三人には暇など無さそうだと思い、応援の言葉だけ掛けた。彼自身は、元々異邦人ということもあり、結婚式の際も最低限の作法だけ学んだが、メリエンヌ王国で生まれ育ったアリエルやミレーユは、そうもいかないようだ。

 シノブとしては、折角の休日だから妻の親友である二人も一緒に過ごせたら、と思ったのだ。共に修行した二人と語らう時のシャルロットは、それは楽しそうである。しかし、今日ばかりは諦めるしかないだろう。


「シノブ殿、(わらわ)達も結婚式に出席できるのじゃったな?」


 シノブが、どことなく恥ずかしげな笑みを浮かべている二人の女騎士と、平静な様子を崩さないシメオンを眺めていると、今まで黙っていたマリエッタが僅かに頬を紅潮させつつ声を上げた。武術に傾倒したマリエッタだが、やはり女性らしさもあるようで結婚式に興味があるらしい。


「ああ、歓迎するよ。礼装は持ってきたんだよね?」


 王太子テオドールも来る結婚式だ。非公式の場ではあるが、両国の交流を進めるためにも、彼とマリエッタを会わせるべきであろう。そう思っていたシノブは、興味津々といった(てい)の公女に、にっこりと笑いかけた。


「うむ! 一通りの礼装は持ってきたのじゃ! 魔法のカバンに入れてもらったから、沢山運べて良かったのじゃ!」


「そうですね。衣装部屋にあった服を、全部入れて頂きましたから」


 輝く笑顔のマリエッタに続いたのは、感嘆の面持ちのフランチェーラだ。

 実は帰国前に、アミィはマリエッタや三人の伯爵令嬢の荷物を取りに、都市アルストーネに行ったのだ。アルストーネはカンビーニ半島の東のデレスト島にある都市だが、神殿での転移が可能となったから往復の時間も僅かなものだ。

 そしてフランチェーラ達三人は、それぞれデレスト島に所領を持つ伯爵家の娘だが、マリエッタの学友として長くアルストーネに滞在していた。そこでアミィが、彼女達の分も含め身の回りの品を全て持ってきたというわけだ。


「カンビーニの結婚式は少々飽きたが、メリエンヌ王国のは楽しみじゃの! アミィ殿、衣装を確かめたいから、後で出してほしいのじゃ!」


「わかりました。それでは、朝食が終わったらお出ししますね」


 そしてマリエッタとアミィは、何を出そうかと相談し始める。

 どうやらマリエッタ達に館の案内をするのは、明日以降になりそうだ。確かに彼女達は昨夜来たばかりで、荷解きもしていない。

 マリエッタ達のやり取りを聞きながら、シノブとシャルロットは苦笑混じりの笑みを交した。


「シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌ。四人でのんびりするか」


 シノブは左右の女性達に語りかけた。

 魔法のカバンから荷物を取り出すとなれば、アミィは暫くマリエッタ達に掛かりきりになるだろう。荷物は多いし、出しっぱなしにするわけでもない。何しろ建前上、マリエッタ達はシャルロット付きの女騎士である。当然ながら、個々に衣装部屋を割り当てたりはしないからだ。


「ええ」


「はい、シノブお兄さま!」


「それが良いですわ!」


 シャルロットは控え目ながら嬉しげに、ミュリエルは純真な喜びを顕わに、セレスティーヌは王女に相応しい優雅さと違いはあるが、それぞれ輝くような笑顔を浮かべていた。

 彼女達も、賓客とも弟子ともつかない四人については、主であるシノブ自身が面倒を見ると思っていたらしい。しかし、それでは折角の休みがマリエッタ達の持て成しで潰れてしまう。

 シャルロット達も、それぞれ立場のある女性だから、それも仕方がないと思っていたようだ。しかし、本心ではシノブとの落ち着いた時間が欲しかったに違いない。


──シノブ様、家族サービスも大切ですよ。館の案内も私の方でしておきますから──


──ありがとう。この埋め合わせは必ずするよ──


 シノブは、アミィからの思念に思わず苦笑した。彼は、自身が少し余裕を失っていたかもしれないと思ったのだ。

 アリエル達の結婚式が終われば、今度はガルゴン王国へと旅立つ。その前にも、王都メリエや西方の各地を回るかもしれない。どうも、西海ではアルマン王国とガルゴン王国の間で諍いがあるらしい。そうなれば、下手に真っ直ぐガルゴン王国に行かずに、自国での情報収集も必要だろう。

 幸い、アリエル達の結婚式には王太子テオドールなどもやってくる。そこで彼らの意見を聞いた上で、どのように対処するかを決めることになる筈だ。

 しかし、それまではシャルロット達と落ち着いた時間を過ごそう。微笑みと思念でアミィに謝意を伝えたシノブは、何をしようかと楽しげに語る妻や家族の中に混じっていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年10月14日17時の更新となります。


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