13.30 公女が見た流星 後編
シノブは魔術を使い、槍術の準決勝に出る四人の体力を回復させた。
公女マリエッタは、姿を変えて槍術の試合に出場した父親ティアーノに勝利したが、魔力の大半を使い果たしていた。そのため、準決勝に進んでも戦えそうになかった。
こういった武術大会の場合、試合の合間に治療や回復を行うこと自体は認められている。もっとも、通常は相手の魔力を全回復させる治癒術士などは存在しないから、致命傷で無い限り最低限の処置となるのが普通らしい。
しかし、シノブは無尽蔵とも思える魔力を持っており、四人どころか百人でも全快させることができる。彼は準決勝に進んだマリエッタ、ミレーユ、カプテルボ伯爵の娘ロセレッタ、虎の獣人の戦士マニエロ・ベリアーニに己の魔力を注ぎ、彼らが試合で失った分を補充した。
「フライユ伯爵閣下! 閣下に治療して頂けるなんて……」
「ああ。準決勝、頑張ってくれ」
シノブは、感激の面持ちで目の前で跪くマニエロ・ベリアーニに、鷹揚に応えた。
このマニエロという男は、騎士の三男だという。従士の三男であったアルバーノが国で職を得られず傭兵となったように、跡取り以外は家から出て自身で身を立てるのが普通らしい。
マニエロは十八歳の若者で既にカンビーニ王国軍の下士官として働いていた。しかし、長い間戦いも無く上が詰まっている自国の軍にいるよりは、人手不足の新天地で成り上がろうと考えたという。
「中々、有望そうな若者ですね。今後が楽しみです」
シャルロットは、立ち去るマニエロを眺めながら、微笑んでいた。
彼女とマニエロは同い年だが、早くから祖父に鍛えられ十二歳で正式に軍に入り、成人年齢である十五歳で司令官になった彼女は、軍歴や戦闘経験では普通の軍人とは比較にならない。
「ええ、素直で努力家、虎の獣人ですから素質にも恵まれています。少々真っ直ぐすぎるところはありますが、増長する性格ではないですし、向こうでも問題は起こさないでしょう」
シャルロットに応じたのは、カンビーニ王国の王太子シルヴェリオだ。
シルヴェリオが言うように、マニエロがシノブ達の下で働くことは確定していた。元々競技大会に出場する者は、充分な実力を持ち出身や経歴、素行に問題がない若者達だ。その中で、上位に残った者であれば、当然合格となる。
もっとも、単に身体能力だけで選ばれるわけでもない。下位の者であっても、シノブや家臣の目に止まった者は、フライユ伯爵領や旧帝国領で働く権利を得る。
それに、競技大会とは別にカンビーニ王家が推薦した年嵩の者もいる。新たな地では、戦闘力だけが必要なわけではない。人を纏め育てる能力を持つ熟練者も必要なのだ。
カンビーニ王家としては自国の優れた者をシノブの下に送り込み、旧帝国領で活躍してほしい。シノブ達の来訪時期や訪問の意図は、かなり前からカンビーニ王家に伝えている。したがって彼らは、他国に送り込んでも問題ない人物を事前に洗い出していた。
しかし、王家の独断のみで人選をしたというのでは家臣などから不満が出る。彼らにとっては、自身の次男三男が新たな職を得るかどうかが懸かっているのだ。そこで、一定の割合は公な場で選抜をすることになったわけだ。
そして開催側の思惑は、どうやら当たったようである。
一定数を公募することで公平性を示すことが出来、家臣や若手の不満も解消された。それにシノブや彼の家臣達の実力を見せつけ、都合の良い夢を見ているだけの者達を篩に掛けた。更に、今までとは違う武術以外の種目、走力や跳躍などの地球でいう陸上競技も、観客に楽しんで貰えたようだ。
シノブ達は、成功裏に終わりつつある競技大会に喜びを感じながら、その終幕を飾る槍術の準決勝、そして決勝の観戦へと戻っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
決勝はミレーユとマリエッタの対決となった。ミレーユがロセレッタを、そしてマリエッタがマニエロを破る。これは、シノブ達だけではなく観客の全てが予想していたことであり、中央闘技場に集う者達は皆、当然至極といった表情である。
ミレーユは槍術の前に行われた弓術と馬術で他を圧倒して優勝しているし、この槍術でも全ての試合を短時間で決めていた。そして、マリエッタは準々決勝で未完成とはいえ王家の秘技を披露して難敵を打ち破った。それらを見て、彼女達二人が勝ち残れないと思う者は、いなかったようだ。
今、中央闘技場の観客達は決勝の開始を待っている。準決勝は一試合ごとに行われたが、そのまま決勝に入っては、後に戦った方が不利である。そのため、暫しの休憩となったのだ。
コロッセオに似た巨大な石造建築の闘技場は、春の暖かな日差しが斜めに落ちて少しばかり涼しさが増している。しかし、それを補う満席の人々の熱気と優勝者を予想しあう喧騒に包まれ、真昼と変わらぬ態であった。
「これならマリエッタの留学に文句をつける者はおるまい。そなたにデレスト島から来てもらった甲斐があったな」
国王レオン二十一世は、娘婿であるアルストーネ準公爵ティアーノへと笑いかけた。彼は、先ほどまで準決勝の試合から目を離すことなく観戦していたが、他の観客同様に一息入れることにしたようだ。
そのレオン二十一世は、見事に試練に打ち勝ったマリエッタを見て以降、満面の笑みを浮かべたままである。彼は、孫娘が王族に相応しい武威を見事に示し、家臣や民の尊敬を得るという最高の結果となったことが、心底嬉しいようだ。
「いえ、私も娘の晴れ姿は見たかったですから」
ティアーノは、虎の獣人にしては物柔らかな表情と口調の人物であった。
シノブと同じく身長180cmを超えるティアーノだが、言葉を交わすレオン二十一世とは違い筋骨隆々という風ではない。それに、同じテーブルに着く王太子のシルヴェリオに比べても細身なようである。
もっとも、獅子の獣人である国王と王太子は、正に武王とその後継者というべき風格の戦士達である。したがって、ティアーノが貧弱というわけではない。
むしろ、ティアーノにはアルバーノなど猫の獣人の戦士と共通する柔軟さや身軽さが感じられ、細い体からも限界まで絞りきったかのような印象を受ける。とはいえ、彼はこれもアルバーノや先代アシャール公爵ベランジェと似た陽気さで、自身の研ぎ澄まされた武器のような鋭さを自然に消していた。
「それにしても、神殿での転移が出来るようになったのは、凄く嬉しいですね。一応、準公爵としての仕事がありますし、転移がなければシノブ殿達にお会い出来ませんでした」
ティアーノの準公爵という地位は女公爵フィオリーナの夫故に授かったものだ。メリエンヌ王国と同じく、カンビーニ王国でも貴族の女当主に婿入りした男には妻に準ずる地位が与えられる。そのためティアーノは準公爵となり、妻と共にデレスト島の都市アルストーネを治めているのだ。
「二日前に最初の転移でアルストーネに戻ったときに頼んだのじゃ。マリエッタの試練にちょうど良いし、夫をシノブ殿達に紹介したかったからの」
フィオリーナは、シノブやシャルロットにティアーノを呼んだ経緯を詳しく説明する。
ティアーノが王家に伝わる変装の魔道具で姿を変えてマリエッタを試す。それはフィオリーナの発案であった。シノブがカンビーニ王国に神殿経由の転移を授けたため、東のデレスト島の都市アルストーネから王都カンビーノに来るのも、一瞬である。
「私も、マリエッタ殿のお父上にはご挨拶したいと思っていました。何しろ、遠いシェロノワに留学してもらうのですから」
シノブも転移が可能になったのだから、マリエッタが留学の条件を満たした暁には、アルストーネに行ってティアーノに会おうとは思っていた。それ故シノブは、意外な形で顔を合わすことになった準公爵の登場を歓迎していた。
「シノブ殿、シャルロット殿。どうか遠慮なく娘を鍛えて下さい。今日からマリエッタ達は弟子入りするのですから、他の騎士達と同じようにお願いします」
「わかりました。確かにお預かりします」
ティアーノの真摯な言葉に、シノブとシャルロットは声を揃えて彼女達の指導と保護を約した。マリエッタには、三人の伯爵令嬢がお付きとして随伴する。そしてシノブは、彼女達四人をシャルロットの下に置くつもりであった。
アリエルとミレーユももう何日かすると結婚するから、いつまでもシャルロットの側に控えているわけにもいかない。もちろん、すぐに引き継ぎ完了とはいかないだろうが、後任となる者を見繕っているところだ。
そしてシャルロットは、武術に一心に取り組むマリエッタに過去の自身を重ねているようだ。結婚する親友達の代わりに新たな側仕えが入るのも、子を授かった彼女の気分転換になって良いのではないだろうか。シノブは、活力と騒がしさを増すであろうシェロノワを想像し、思わず頬を緩めていた。
◆ ◆ ◆ ◆
大歓声が響く中央闘技場。その真ん中にたった一つ残った試合場では、中央から互いに5mほど下がった位置に二人の女騎士が立ち、槍術のお手本のような構えを取っている。
一人はミレーユ・ド・ベルニエ。ソンヌ男爵の娘として生まれた彼女は、幼い頃から武術に邁進し、十歳の誕生日の直前にベルレアン伯爵継嗣シャルロットの側付きに上がった。そのため彼女が学んだのは、当然ながらベルレアン流槍術である。
ミレーユの父ソンヌ男爵と兄のエルヴェも、ベルレアン伯爵コルネーユや先代のアンリに仕えベルレアン流槍術を習得した。したがって彼女は幼い頃から父や兄の手ほどきを受け、ベルレアン流に親しんでもいた。
このようにミレーユは、物心付いてからの殆どを武術に捧げていた。左半身で腰を落とし中段に構えた姿も、基本に忠実でありながら高みに達した者だけが会得できる何かを伴っている。
もう一人は、アルストーネ公爵フィオリーナの娘マリエッタだ。
王家の直系である母と婿入りした父に、彼女は生後間もない時期から鍛えられたらしい。何しろ生まれて半年を過ぎたかどうかという頃、初めて自分の足で立ったときには、将来カンビーニ流槍術を学ぶときに備えて身長を超える長さの鋼鉄の棒を握らされたという。
獣人族は比較的早熟な傾向があるとはいえ、ここまで苛烈な教育を施すのは『銀獅子』レオン一世の血を継ぐカンビーニ王家のみであろう。
そして生まれた直後からの激烈な英才教育は、見事に実っていた。ミレーユ同様に左半身でどっしりと構える彼女の姿は、後ろに残した右足へ僅かに重心を置いた様子といい、ほぼ水平に構え相手の鳩尾の辺りを狙う穂先といい、僅か十二歳とは思えない素晴らしさだ。
同じ槍を使う以上、二人の構えは良く似てはいる。しかし敢えて言うなら、攻めのマリエッタに守りのミレーユという印象であった。
力に優れた虎の獣人らしく全身から闘気を発するマリエッタは、ごく僅かに前傾した構えだ。押し縮められた発条のように腰もミレーユよりは落とし気味で、右手を大きく奥に引いている辺りも、発射を待つ矢を連想させる。
逆にミレーユは腰を落とし脚に力を溜めているものの、動きやすさを考慮してかそれほど深くはなく、上体も真っ直ぐ起こしている。彼女も脇を締めた右手で槍の石突を包むように保持し、その手前三尺を左手で握っている。
しかし彼女はマリエッタと比べ、その体にさほど力を込めていないようである。この辺りの違いは、ミレーユが獣人族より体力が劣る人族だからであろうか。
「始め!」
決勝戦の開始を告げる係員の宣言が響いた直後、マリエッタはミレーユに向かって途轍もない速度で突進した。彼女は試合場の地面を滑るように跳び込み、一瞬にして間合いを詰める。
ミレーユはこれまでの試合や弓術や馬術でも、超人的な力量を示している。それに、もうすぐ十六歳のミレーユに対し、マリエッタはまだ十二歳だ。
虎の獣人であるマリエッタは、身長はミレーユとほぼ等しく体格では上回っているが、現時点での技量ではミレーユが何歩も先を行っているだろう。したがって、先手を取られたら負けると思ったのかもしれない。
対するミレーユは、開始の位置から動かず待ち受ける。
開始前の二人は、およそ30m四方の正方形の試合場に10mほどの距離を置いて向かい合っていた。だが、彼女達の身体強化能力なら一歩で飛び込める距離である。それに二人が持つのは3m少々の長槍だ。頭部以外を騎士鎧に身を固めた二人だが、その鎧の重さを加えても10m先など充分に射程圏であり、全く油断は出来ない。
「はっ!」
流星の如き勢いで迫ったマリエッタは、試合用に刃を丸めた模擬槍を突き込んだ。そして彼女は突き出した槍の穂先を突然跳ね上げ、相手の槍を打ち払おうとする。すると二つの槍の衝突により、場内どころか外まで響く轟音が発生した。
多くの者が一度だけ鳴り響いたと感じたであろうその音は、実は極めて短時間に二連続で発したものだった。そのため激突音は何となく異様な印象を受けるものであり、それまで歓声を上げていた場内の者は、示し合わせたかのように口を噤んだ。
「くっ!」
相手の槍を打ち払った筈のマリエッタだが、逆にミレーユに己の槍を斜め上に流されていた。そしてマリエッタは、何かを察したかのように背後に跳び退っている。
「なっ、何が起きたんだ?」
先手を取ったはずのマリエッタが下がる姿に、観客達は疑問の声を上げていた。
マリエッタの槍が流されたのは、瞬きする間もない須臾の出来事だ。そのため観客の多くは、何故マリエッタが退いたか理解できなかったようだ。
「……ベルレアン流槍術、二連返しです」
元の位置を動かないミレーユは、淡々とした表情で己の使った技の名を口にした。
マリエッタに斜めに弾かれた槍を、ミレーユは逆らわずに反転させると石突側で迎撃したのだ。そして彼女は石突で相手の槍を上に流し返すと、更に反転させて穂先で追撃した。そのためマリエッタは、後ろに跳び退いて躱したわけである。
「もう一度じゃ!」
マリエッタは再度突進するが、彼女の体は大きく宙に舞うことになる。
これまた瞬時の攻防故、殆どの者には理解できなかったが、ミレーユは相手の槍の中ほど、マリエッタが右手と左手で握る間に自身の槍を下から当て、そのまま相手を槍ごと宙に跳ね上げたのだ。
「……これが『大跳槍』です。本来なら、宙に浮いた相手に追撃します」
どうやらミレーユは、マリエッタにベルレアン流槍術の技を教えようとしているらしい。彼女だけではなく、学友の伯爵令嬢達を始め、フライユ伯爵領や旧帝国領に行く若者がいる。もしかすると彼らにも、今後教え込む技を見せようとしているのであろうか。
それを悟ったのだろう、観戦する武人達は、今や一言も発せずに身を乗り出して注視していた。また彼らの雰囲気に飲まれたのか、文官らしい者や街の民も含め、口を開くことは無い。
◆ ◆ ◆ ◆
「これは、我らカンビーニ王国にとって、またとない贈り物ですね。もっとも、見たからといって簡単に真似できませんが……」
そういう王太子シルヴェリオも、二人の攻防から視線を逸らさないままである。国王や彼、それにおそらくフィオリーナとティアーノは、王家秘伝の技も含めてカンビーニ流槍術を極めているのだろう。
マリエッタは準々決勝で流星光翔槍という技を使ったが、それはカンビーニ流槍術の最高奥義だという。シルヴェリオによれば彼女の技は未完成ということだったが、彼ら四人は流星光翔槍を含め数々の奥義を習得していると思われる。
その彼らのような達人なら、ミレーユの技を見て再現することも可能だろう。しかし一般の武人では、ミレーユが瞬間的に身体強化をして繰り出す音速に近い槍撃を見て取ることすら困難であった。
「おっ、ミレーユ殿が!」
国王レオン二十一世が言うように、初めてミレーユから攻撃を仕掛けていた。
その直前に巻き落とし技でマリエッタの槍を封じたミレーユは、今度は最初のマリエッタのように一直線に突撃を掛けたのだ。
「あれは、ベルレアン流槍術の『稲妻落とし』から『稲妻』への繋ぎです。稲妻落しは稲妻を含む突き技への返しとして編み出されたものですが、逆に仕掛ける契機とすることもあります」
シャルロットが、ミレーユの放った技についてカンビーニ王家の者達に説明をした。
後ろには王太子シルヴェリオの親衛隊長ナザティスタや、シノブの家臣であるジェレミー・ラシュレーも槍の解説役として控えている。しかしミレーユと同門でもあるラシュレーは、最低限しか口を挟まない。
どうも、ラシュレーはシャルロットに遠慮しているらしい。親友であり長く一緒に過ごしたミレーユの闘う姿に気分が高揚しているのだろう、シャルロットはとても楽しそうに観戦していたのだ。もしかすると、彼女自身が試合に出たかったのかもしれない。
ここにいる面々でベルレアン流槍術の第一人者といえば当然シャルロットだ。何しろ彼女を上回るのは父と祖父だけだ。その彼女が望んで解説するなら、それで良い。そう思ったのだろう、ラシュレーはシャルロットの楽しげな姿を、何となく優しさが滲む目で見守っている。
「むぅ……止めを刺さぬのか?」
マリエッタは、怪訝そうな顔をしていた。光の速さで槍を突き出したミレーユは、最後の最後で穂先の向きを変え、マリエッタの槍を打ち払うに留めたのだ。
「『稲妻返し』と『稲妻』で終わっても詰まらないですし。それにマリエッタ様も、まだ全てを出し切っていないでしょう?」
試合場の中央付近に戻ったミレーユは、屈託の無い笑みを浮かべると、マリエッタへと弾む口調で語りかける。彼女は油断無く槍を構えてはいるが、言葉通りに相手が十全の力を発揮できるよう、マリエッタが体勢を整えるのを待っている。
「そ、そうじゃな! ミレーユ殿、そなたは我が師の一人となるのじゃ! 敬称はいらぬのじゃ!」
「わかりました! マリエッタさん、さあ、貴女の全力を見せてください!」
より一層親密な雰囲気を醸し出した二人だが、その姿は唐突に消え失せた。どうやら、二人は持てる魔力を全て注ぎ込んでの攻防へと移ったようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「これは……流星光翔槍だね」
殆ど全ての観客達が二人の女騎士の姿を見失う中、貴賓席のシノブは双方の姿を克明に捉えていた。彼は自身の脚と槍の石突を駆使して自由自在に跳び回るマリエッタの技が、準々決勝で彼女が見せたカンビーニ流槍術最高奥義、流星光翔槍だと見抜いたのだ。
「そうですね。見事なものです」
そして、姿を消して宙を駆けるように移動する姿を捉えていたのは、シノブだけではない。嘆声を上げたシャルロットも、当然ながら夫と同じく試合場で何が起こっているかを把握している。
何しろ、シノブと同じテーブルで観戦しているのは、彼の妻であるシャルロット、カンビーニ王国側は国王レオン二十一世、王太子シルヴェリオ、フィオリーナとティアーノである。
もちろん、後ろにいる護衛を兼ねた者達も同様だ。アミィやナザティスタ、ジェレミー・ラシュレーにアルノー・ラヴランは、何れ劣らぬ達人であり、他とは身体能力も技量も違いすぎる。
「ええ……しかし、ミレーユ殿が……」
「これは参りましたね。まさかあの一度で、ですか」
困惑したような声を上げたのは、王太子シルヴェリオとマリエッタの父ティアーノだ。ミレーユがマリエッタと全く同じ動きをしているのを見た二人は、強い衝撃を受けたようだ。何しろ、流星光翔槍は王家の秘技なのだ。
もっとも、流星光翔槍が門外不出で秘匿すべき技ということではない。しかし、この技は国王レオン二十一世が説明したように、並外れた身体強化が必要である。そのため彼らは、カンビーニ王国を代表する武人達、つまり王家かそれに並ぶ者でなければ習得は出来ないと思っていたようだ。
それを、たった一度だけ見たミレーユがあっさりと再現してしまったのだ。そういった事情からすれば、彼らが激しく驚いても仕方のないことであろう。
「……妾は習得に二年要したのじゃがな」
「それだけミレーユ殿が経験を積んでいた、ということだろう。恐るべきは彼女の素質か、それとも今まで受けた指導か……」
ほろ苦い笑みを浮かべるフィオリーナに、父であるレオン二十一世が慰めるような言葉を掛けた。
続いて国王はシノブやシャルロット、そして二人の背後のアミィへと視線を転じる。シノブやアミィが教えた魔力操作方法でミレーユ達の能力が大きく向上したと、彼も知っているのだろう。
「陛下、殿下、これは!」
普段は物静かなナザティスタが、驚愕も顕わに叫んでいた。
ミレーユの動きは更に速度を増し、跳び回る軌道も複雑になっていく。彼女の動きは、ティアーノやマリエッタが準々決勝で見せたものを遥かに超えていたのだ。
「マリエッタさん! 行きます!」
普通の者には姿を見ることすら出来ない戦いの場に、ミレーユの鋭い声が響くと、恐ろしいまでの風と轟音が発生する。空気を、いや闘技場自体を揺るがすような衝撃は、ミレーユが放った無数の槍撃が巻き起こしたものであった。
「うわっ!」
「きゃあ!」
観戦している者達は、自身を吹き飛ばすような突風に思わず目を瞑っていた。何かが爆発したような衝撃と、それに伴い発生した竜巻のような風は、身の危険すら感じるものだったのだ。
「……ミレーユ殿、負けたのじゃ」
「マリエッタさんなら、すぐ追いつきますよ」
再び目を開けた観衆が目にしたのは、試合場の中央でマリエッタを抱えて立つミレーユの姿であった。
マリエッタは既に槍を手にしていない。虎の獣人の少女が握っていた筈の模擬槍は、試合場の外に突き立っている。
「……それまで! 勝者、ミレーユ殿!」
試合場の脇にいた係員が、試合の経過を把握していたのか、それはわからない。何しろ、最後はシノブのいる席を囲んでいるような達人達でも、何とか見分けることができるか、というほどの速さであったのだ。
もっとも、マリエッタが槍を取り落とし、それが試合場の外に突き立っている以上、彼女の負けは明らかである。決勝戦を見守っていた全ての者達は、万雷の拍手で二人の女騎士に惜しみない祝福を送っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ミレーユ殿、そなたは恐ろしいまでの腕の持ち主だな。まさか我らの奥義を、しかも不完全なものを見ただけで、完全に再現されるとは思わなかったぞ」
「そうじゃ! 流石ミレーユ殿なのじゃ!」
貴賓席に引き返してきたミレーユを、レオン二十一世は手放しの賞賛を送っていた。彼の顔は真っ赤に紅潮し、王者に相応しい威厳は保っているものの自身の驚愕と感動を隠そうとはしていない。
そして、国王の脇では孫娘のマリエッタも興奮の面持ちで叫んでいる。彼女は、再びシノブにより魔力を補充されたので、普段と変わらぬ元気を取り戻していた。
「あ、ありがとうございます……で、でも、最後はたまたまだと思います」
ミレーユも、自身の赤毛と匹敵するくらい赤面していた。こちらは、恥ずかしさのあまり、といったところだろうか。何しろ、全ての試合が終わった事もあり、場内の視線は全て貴賓席の国王と彼女に注がれているからだ。
「たまたまで、技を完成されるとはね……『銀獅子』レオン一世が聞いたら何というだろうね」
そう言った王太子シルヴェリオは、首を左右に振って苦笑いをした。
ミレーユとマリエッタが戻ってくるまでに、彼はシノブ達に本来の流星光翔槍について説明をしていた。彼の語るところによれば、流星光翔槍とは姿が消えるほどの激しい動きと共に、無数の槍撃を繰り出すものだという。つまり、流星とは無数の槍の比喩なのだろう。
マリエッタが準々決勝で見せたのは、縦横無尽に宙を跳び回るところまでであった。王太子によれば、その状態から一秒間に百回の刺突を繰り出せば、流星光翔槍を修めたといえるらしい。
「槍にしろ剣にしろ、速さを上げるための修行は、どの流派にもあるのでは?」
「ええ、シノブ様の故郷でも、そういう修行はありますから」
何故か苦笑い気味のシノブに続いたのは、アミィである。実は、シノブはアルバーノやアルノー達と武術談義をしたときに、秒間で百回というのも口にしたのだ。当然、これらもシノブが日本にいたときに知った架空の武術や技が元になっている。
ただし、ミレーユはシノブ達の話を聞いてから習得したわけではない。何しろシェロノワで開催した武術大会『大武会』でも、彼女やシャルロットは神速の槍術によりそれらを実現していたからだ。
──シノブさん、狩りから戻りました!──
苦笑するシノブとアミィは、幸いにも注目を受けることは無かった。何故なら中央闘技場の上空に炎竜イジェ達が姿を現したからだ。競技大会が終わる時間は竜達にも伝えていたから、終了に合わせて帰還してきたようだ。
磐船を後ろ足で下げて飛ぶイジェの周囲には、シノブに思念を送った岩竜の子オルムルと、光翔虎のバージとパーフ、フェイニーが集い、見事な編隊を組んでいる。
──見てください、私も飛べるようになったんですよ!──
磐船から飛び出したのは、炎竜の子シュメイであった。まだ、長距離の飛行は出来ないのだろう、彼女は磐船が中央闘技場に接近してから飛び出した。しかし、短距離であれば問題ないらしく、一直線に貴賓席に迫ったシュメイは、腕輪の力で体を猫ほどの大きさに変えてから、シノブの肩に静かに舞い降りた。
「凄いね! 少し早いようだけど!」
──これもシノブさんから魔力を貰ったり、魔力操作を教えて頂いたりしたからです!──
どうやらシノブの魔力は、子竜達の成長を促すらしい。それが魔力だけによるものなのか、魔力操作と並行しているからなのかは判然としないが、早期に能力が発達するようだ。
「そうか……この旅では、色々良いことがあったね」
シノブは、多くの人達と巡りあい、光翔虎や海竜の長老達と出会ったカンビーニ王国訪問を振り返っていた。旅の前より遥かに成長したシュメイのように明らかな変化もあり、人と人の心の中の見えない変化もあった。そしてシノブは、それらが新たな時代に向かって芽吹く吉兆のように感じていた。
それらを思ったシノブは、頭を擦り寄せ喜びを顕わにするシュメイに手を添えながら、自然と顔を綻ばせていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年10月10日17時の更新となります。
次回から第14章になります。