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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第13章 南国の長達
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13.28 激闘は楽しみ多く 後編

 中央闘技場に移って最初の競技は、アルバーノ達が出た跳躍であった。そして跳躍の次は、普段から闘技場でも頻繁に実施されている競技の一つ、小剣の試合だ。なお、この小剣や、競技大会の終盤に予定されている徒手格闘と槍術は、一対一で戦い勝ち上がっていくトーナメント方式である。

 今、中央闘技場では小剣の第一回戦が実施されている。中央闘技場は王都カンビーノで最大の競技場であり、八試合を同時に開催できる。そのため会場では、第一回戦の全十六組のうち半分が戦っていた。

 しかし、観客席で試合を注視している者は少なかった。彼らは軽食を取ったり雑談したりと、中休みというべき状態である。しかもシノブ達がいる貴賓席から、下段の一般席まで殆ど全てがだ。実は、こうなったのには少々理由がある。


「小剣はアルノー殿が優勝するじゃろう! 後はフランチェーラなのじゃ!」


「ナザティスタ達も出ておらんしの」


 小剣に関しては、このマリエッタと母のアルストーネ公爵フィオリーナの会話が全てであった。

 シノブが見たところでも、アルノーの勝ちは揺らがない。それに、王太子の親衛隊長ナザティスタや隊員のロマニーノのようなカンビーニ王国の達人が特別枠で出るわけでもない。そうなると、若手で目立つのはリブレツィア伯爵の娘フランチェーラくらいである。

 このあたりは、国王レオン二十一世や王太子シルヴェリオ、それにシャルロットも同じ考えらしい。


「ところで、今日はホリィ殿の姿が見えませんね」


 シルヴェリオは、結果の見えている勝負より、金鵄(きんし)族のホリィがシノブやアミィと一緒にいないことの方が気になるようだ。冷たい果汁の入った杯を手に取った彼は、シノブに人ならぬ従者の所在を尋ねかける。

 青い鷹であるホリィは非常に目立ち、側にいれば見逃すことは無い。しかし、シルヴェリオが言う通り、彼女はシノブ達の側にいなかった。

 一国の王太子が鷹の居所を気にするなど、普通なら奇妙なことだ。しかしシルヴェリオはホリィがシノブ達と『アマノ式伝達法』で意思を交わすところを見ているし、更に彼女は海竜を連れてきた存在である。したがって、彼がホリィに注意を払うのも当然であろう。


「……ホリィは、ちょっと王領の方に行っています。次の訪問の準備ですね。ガルゴン王国に行けば、ルシオン海のことが話題になるでしょうし」


 シノブが口にしたルシオン海とは、メリエンヌ王国やカンビーニ王国の西にある大海のことだ。

 エウレア地方の西に広がるルシオン海は、この地方の人々にとって、その向こう側がどうなっているのか判明していない謎多き海だ。

 メリエンヌ王国の西には島国であるアルマン王国が存在するが、その間は狭いところで150kmを切る海峡である。しかし、アルマン王国から向こうは、何千km進んでも陸地が存在しない大洋となっている。そして、今までルシオン海の西端を確認した者はいないらしい。


「アルマン王国か。ガルゴン王国も、シノブ殿に期待している者がいるだろうからな」


 納得したような声を上げたのは、レオン二十一世だ。彼だけではなく、シルヴェリオやフィオリーナも同様だ。彼らは当然ながら各国の情勢を把握している。そのため、シノブの発言から何が問題となるかを察したようだ。

 ルシオン海に面した国は、島国であるアルマン王国を除くと、北からヴォーリ連合国、メリエンヌ王国、ガルゴン王国となっている。しかし、西海の覇権を競うのはガルゴン王国とアルマン王国であり、残る二国は一歩も二歩も引いた立場であった。

 メリエンヌ王国は陸地の面積に比べて海岸線が短い。そのため、伝統的に海への興味は少なく航海も盛んではない。何しろメリエンヌ王国はエウレア地方の中心に位置している。したがって、各国との交易は陸路が中心となっていた。

 そして、ヴォーリ連合国はドワーフの国である。ドワーフ達は、強靭な肉体を持っているが、あまりの筋肉の多さに水に浮かばないという。そのためだろう、彼らは海に出るのを極端に嫌うらしい。

 そのような事情で、ルシオン海の問題といえばガルゴン王国とアルマン王国というのは、この地方の人々にとって当然のことであった。


「ええ。我が国としては友好国であるガルゴン王国を支援するつもりです。しかしアルマン王国は海峡を挟んだ隣国です。なるべくなら穏便に済ませたいので」


 シノブとしては、アルマン王国がガルゴン王国の商船を沈めているらしい件に触れるつもりはなかった。

 ガルゴン王国側の同意を得ずに、両国の問題をカンビーニ王国に言うことは悪手というべきだろう。シノブも、ガルゴン王国の駐メリエンヌ王国大使の息子ナタリオと約束した手前、この場でそれらを持ち出すつもりはない。そこで彼は、あくまで従来の国際情勢に基づいた範囲で国王達に説明をしていく。


「私達としては含むところは無いのですが……」


 シャルロットは、美しい眉を(ひそ)めた困惑気味の表情でシノブに続く。端的に言えば、アルマン王国はメリエンヌ王国と仲が悪い。正確には、アルマン王国がメリエンヌ王国を敵視しているというべきか。


 今から六百年以上昔、現在の各王国が成立するより以前、エウレア地方には都市国家や各地の小勢力が乱立していた。その頃、現在のメリエンヌ王国にあたる地域から、とある部族が後世アルマン王国となる西海の島へと渡ったという。

 この部族は、大陸での争いに負けて追い出されたとも、自発的に西海の島を征服しにいったとも言われている。しかし、その後の状況を考えると、どうも前者ではないかと思われる。

 もっともメリエンヌ王国の者は、移民した彼らに悪感情を(いだ)いてはいない。しかしアルマン王国側は、いつか見返してやりたいと思っているようだ。

 それを表す事例の一つが両国の建国である。創世暦450年にメリエンヌ王国が建国すると、間を置かずにアルマン王国も成立した。おそらくアルマン王国側は、競争相手が王国を名乗ったのが気に障ったのだろう。

 ただし、両国が衝突したことは少ない。建国当時は双方にいた聖人が海を越えて争うべきではないと抑えていたし、一旦国境が確立してからは、双方とも不得意分野に乗り出す意義を見出さなかったようだ。


 そして各国が成立した後、アルマン王国はガルゴン王国と海上覇権を競うようになり、メリエンヌ王国については気に入らないが手出しする必要の無い国となった。そして東でベーリンゲン帝国との長い戦いに入ったメリエンヌ王国も、背面でもう一つの戦争を起こす愚は冒さなかったのだ。


「我々カンビーニ王国の者は、殆どルシオン海までは行きませんし、行ってもアルマン王国に近づくことはありません。我々にはシュドメル海とエメール海、それに南洋がありますからね。

同じように、彼らはルシオン海が自身の庭だと考えているのでしょう。島しか持たない彼らですから、海上の権益は見逃せない。そのためなら力ずくでも、といったところでしょうか。

どちらにしても、彼らの船は非常に高性能ですし、自慢の船に新たな武器でも搭載されたら、怖くて近寄れませんよ」


 シルヴェリオは、メリエンヌ王国とアルマン王国の関係について評するのは避けたようだ。そして彼は、冗談めいた口調でアルマン王国の軍艦について説明を始めた。

 この地方で最も進んだ艦船を所有するのは、アルマン王国である。彼らは海上交易でドワーフから手に入れた金属や材木を使って高い性能を持つ船を作るという。この時代の船は帆船が主流だが、アルマン王国の軍艦の速度や切り上がり性能は、他を圧倒するそうだ。

 ちなみにメリエンヌ王国、カンビーニ王国、ガルゴン王国の三国は、技術や人的交流があるので、艦船の性能にはさほど差が無い。なお、この三国では、船乗りの錬度が高く海上戦力に金を掛けているカンビーニ王国とガルゴン王国が並んで上を行き、メリエンヌ王国はその下となる。


「シノブ殿、何かあれば遠慮は無用じゃぞ。我らは、そなたの恩を忘れはせんからの。……ともかく、そろそろ小剣の試合も終わりじゃ。そなたの家臣が勝つところ、見届けてやるが良い」


 フィオリーナの言葉にシノブが闘技場へと目を向けると、既に小剣の決勝戦となっていた。そして闘技場の中央で戦う二人は、予想通り狼の獣人アルノーと虎の獣人の娘フランチェーラであった。


「やっぱり、フランチェーラでは(かな)わぬのじゃ……」


 幾らもしないうちに勝負は決まった。残念そうなマリエッタが呟いたように、フランチェーラの負けである。アルノーの鋭い一撃を受け切れなかった彼女の剣は、宙高く舞い上がった後に闘技場の地面に突き刺さったのだ。

 それを見たシノブは、観客席の観衆と共に手を打ち鳴らしてアルノーの勝利を讃えた。

 歴戦のアルノーにとっては、若手との試合など部下への指導と変わらないのだろう。試合を終えた彼は、そんな思いすら浮かんでしまう落ち着いた仕草で、貴賓席に向かって深々と頭を下げていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 小剣の試合の後は、重量挙げと走力であった。闘技場の外周近くで走力、つまり100m走に相当する競技が、そして中央では重量挙げが実施された。走力は身一つの競技だから地球のものと殆ど変わらないし、重量挙げはシノブが土魔術で作成したバーベルを用いたため、こちらも基本的には同じである。


 しかし闘技場で出る記録は、この世界ならではのものであった。

 重量挙げの優勝者はイヴァールで、彼が持ち上げたバーベルは、実に総重量1tであった。しかも、二位のカプテルボ伯爵の娘ロセレッタですら600kgである。如何(いか)に彼女が獅子の獣人だからといって、これは驚愕すべき数字だ。

 ロセレッタはシャルロットを越える長身で、しかも男並みの隆々たる筋肉の持ち主だ。とはいえ、それらだけで600kgのバーベルを持ち上げることなど出来はしない。彼女が身体強化に極めて優れているから可能なのだ。

 もっともロセレッタとイヴァールの差は記録以上にある。1tは用意されたバーベルで最も重いというだけで、イヴァールの本気ではなかったのだ。


 また、走力も恐るべき結果となっていた。

 アルノーが100mを2秒02で走破して一位、続く二位はルソラーペ伯爵の娘シエラニアで3秒25である。重量挙げもそうだが、瞬間的な身体強化を活かせる競技は魔力操作や修練で大きく差が出るようだ。

 なお、コンマ以下はアミィが教えてくれた数値だ。彼女はシノブのスマホから得た能力で、極めて正確な時間計測が出来る。しかし、この世界の時計では秒単位でしか測定できないから、予選も決勝も着順で決まっている。

 それはともかく、シエラニアは虎の獣人だが力よりは技や速度に優れた少女であった。マリエッタの学友である三人の伯爵令嬢のうち、ロセレッタが最も力に寄っており、フランチェーラが技と力を兼ね備えているが力寄り、シエラニアは技に長けているようだ。


「……どうじゃ、エンリオ?」


 アルストーネ公爵フィオリーナは、徒手格闘の準決勝で快勝したアルバーノを眺めていたが、脇に立つ年老いた猫の獣人へと視線を転じた。なお、先ほどまで側にいた彼女の娘マリエッタは、最後の槍術の試合に備え、貴賓席を辞している。


「その……アルバーノも中々やるようになりましたな……」


 笑いを含みつつ問いかけたフィオリーナに、アルバーノの父、エンリオ・イナーリオは言葉を選びつつ答えた。その彼は、色が抜けて銀髪となった頭を慌ただしく撫で付けている。実は、これは彼ら猫の獣人が動揺を隠すときの仕草である。

 アルバーノは、およそ二十年前に傭兵となり家を飛び出した。その直後、帝国との戦いに赴いた彼は戦闘奴隷となり、長い間行方不明となった。したがって肉親であるエンリオも、勘当した息子の実力を把握していなかったようだ。


「トマーゾよ、ロマニーノは残念だったの?」


 言葉を濁すエンリオに苦笑したフィオリーナは、矛先を隣に立つ中年の男性トマーゾへと向けた。アルバーノと戦って敗れたロマニーノは、エンリオの孫でトマーゾの甥だ。

 フィオリーナはイナーリオ家の者達を解説役の名目で貴賓席に招いていた。今、シノブ達の側には、エンリオだけではなく彼の長男でロマニーノの父ジャンニーノ、次男でソニアの父トマーゾが控えている。

 そのイナーリオ家の男達の表情は、程度の差はあれエンリオ同様であった。トマーゾは父と同じく頭に手をやっているし、一見平静を保っているジャンニーノも、頭上の猫耳は不規則に動いている。


「はっ……その……」


 トマーゾは、王太子の親衛隊員でもあるロマニーノの敗北に触れ難かったのか、女公爵の問いに曖昧な言葉を返すのみであった。

 身内ということもあるが、トマーゾは『獅子王城』の守護隊長ではあるが従士でしかない。そのため甥とは言えど、騎士で王太子の側近のロマニーノについては遠慮があるのかもしれない。


 一方シノブとシャルロットは、フィオリーナ達のやり取りを興味深く聞いてはいるものの、口を挟むことはなかった。何故(なぜ)なら下手に発言して他国の武人を侮辱したと取られても困るからだ。二人は、申し合わせたかのように杯を手に取り口元に運んでいた。


「素直でないのう……ところでジャンニーノ、次はどう見る?」


 頑固なエンリオとトマーゾに(あき)れたらしいフィオリーナは、次の決勝戦に話題を変えた。

 ちなみに、勝ち残ったのはアルバーノと王太子の親衛隊長ナザティスタである。ナザティスタは準決勝で対決したガルゴン王国の大使の息子ナタリオを順当に下して勝ち上がっていた。


「はっ、アルバーノ殿は経験豊富、しかも高度な強化が使えます。しかし、ナザティスタ殿も昨年の徒手格闘の優勝者です。きっと歴史に残る名勝負となるでしょう」


 フィオリーナの問いに、イナーリオ三兄弟の長兄ジャンニーノは、丁寧な口調で自身の予想を答える。

 なおジャンニーノは実弟を敬称付きで呼んだが、これは当然のことであった。何しろ今のアルバーノは、隣国の伯爵の家臣である。したがって、父とは言えど(おおやけ)の場で呼び捨てるエンリオが礼を失しているのだ。

 そしてジャンニーノは、シノブやシャルロットのことも考慮したのだろう、カンビーニ王国の者なら誰でも知っている昨年の闘技大会についても、さりげなく説明に加えていた。この辺りは、王都守護隊司令に相応しい気の配りようである。


「姉上、始まりますよ!」


 シルヴェリオが声を掛けた通り、決勝戦であるアルバーノとナザティスタの戦いが始まろうとしていた。シルヴェリオだけではなく、観客も固唾を呑んで中央で向かい合う二人を見つめている。


 徒手格闘の試合に出場する者は、軍服の一種である訓練着を着用しただけの軽装である。

 エウレア地方の格闘技は、どれも実戦を模したものであり、小剣や槍術の試合であれば胸甲などの防具を着ける。しかし、徒手格闘で想定しているのは日常に近い状況らしく、彼らが身に着けた服は厚手ではあるが、防御力などを期待することは出来ないものであった。

 なお、試合のルールは気絶や降参、場外への逃げが敗北、頭部への直接攻撃は禁止、ただし投げなどで地面に頭を叩きつけることは許される、という単純なものである。他の武術競技もそうだが、実戦形式を重視しているのと、いざとなったら治癒魔術で治療できるお陰で、こういう大まかな規則となったらしい。


「おっ、仕掛けたぞ!」


「意外な展開だな!」


 下段の観客達は、開始早々に突進したナザティスタに、驚きの声を上げていた。ナザティスタは今まで相手の攻撃を待ち受け、返し技を放っていた。そのため観客達は、これまでとは違う展開に驚いたようだ。


 観客のざわめきを他所に、ナザティスタは相手に肉迫する。そして彼は高々と跳躍し、アルバーノの胸元に強烈な蹴りを放った。

 対するアルバーノは交差する瞬間、ナザティスタの蹴り足に(こぶし)を打ち込もうとした。しかしナザティスタは宙を舞いつつも、逆の足で腕を狙う。そのためアルバーノは素早く引き、二人は触れることなく再び向かい合った。


「中々やるね」


「ええ」


 シノブの呟きに、シャルロットが答えた。当然ながらアルバーノを応援している二人だが、その表情は平静なままだ。二人は、アルバーノがまだ実力の一端しか見せていないと知っているのだ。


「ナザティスタのあんな姿は初めて見ますよ。普段、彼に挑む若手の親衛隊員でも、もっと余裕がありますが……」


「それだけアルバーノ殿が上なのじゃろうな」


 王太子やフィオリーナも、かなりの腕の持ち主だ。しかし、その二人でもアルバーノの実力は読みきれないのか、感嘆と困惑の入り混じった表情で闘技場を見つめている。


 貴賓席の彼らが会話を交わす間も、闘技場の攻防は続いていた。だが、主に攻めるのはナザティスタ、それをあしらうアルバーノという展開には変わりが無い。

 とはいえ、アルバーノの周囲を忙しなく移動するナザティスタと、最初の立ち位置から殆ど動かないアルバーノを見れば、どちらが上かは一目瞭然であった。


「あれじゃ、ナザティスタ殿が新兵みたいじゃないか!」


「ああ……まさかこんな一方的な展開になるとはな」


 攻める虎の獣人ナザティスタと、受けて立つ猫の獣人アルバーノ。しかし観客達が言うように、悠然と立つアルバーノが王者の風格、何とか隙をと崩しにかかるナザティスタは師の胸を借りる新弟子という風にしか見えない。

 それは互いの象徴である獣とは逆に、森の王である虎に挑む子猫とすら言いたくなる光景であった。


「アルバーノ……」


「まあ……」


 シノブが苦笑し、シャルロットが(あき)れたような声を上げた。

 何とアルバーノは満面の笑みと共に両手を広げ、前方へと突き出したのだ。素早さや身軽さが特徴の猫の獣人である彼が、力では勝るはずの虎の獣人ナザティスタに、組み付いて来い、と誘っているのだ。どうやらアルバーノは、ナザティスタにあらゆる面で完勝するつもりらしい。


「ぐ……がああっ!」


 まさしく虎のような咆哮(ほうこう)を上げたナザティスタだが、彼の(おもて)は冷静な様子を崩していない。種族特性である力を存分に発揮するために気合を入れたというところであろうか。

 彼は瞬間移動したかと思うような速度でアルバーノに突進すると、両の手をアルバーノのそれと組み合わせようとする。


「いけ!」


「押しつぶせ!」


 斜め上に掲げられた双方の手は、鈍い音を立ててぶつかった。そして観客の声援を受けた二人の男は、闘技場に響く大声に押されるように、両の腕に力を込め、相手の膝を地に突かせようと体重を掛けていく。

 しかし四枚の手の平は、空間に固定されたかのように動かない。闘技場には時折ナザティスタの叫びが響くが、それだけである。

 本来であれば、あるときは押し込み、あるときは引きと揺さぶりを掛ける筈だ。したがって微動だにしない状態が長時間続くことは無い。もし、あるとすれば双方が示し合わせているか、途轍もない実力差がある場合だろう。

 そんな異様な光景に、いつしか戦いを見つめる者達は口を閉ざし、場内からはナザティスタの叫び以外の音は消え去っていた。


「ぐっ……」


「……ここまでですかな?」


 アルバーノの呟きは、決して大きなものではなかった。しかし、全ての音を失った戦いの場に広がる彼の(ささや)きは、シノブ達がいる最上段の貴賓席までも届いていた。


「では、失礼!」


 アルバーノは、組み合っている両手をそのまま右斜め下に引くと、同時に右足でナザティスタの腹を蹴り上げた。すると、蹴られたナザティスタは真上へと舞い上がっていく。

 そしてアルバーノも間を置かず地面を蹴り、ナザティスタを追いかけるように跳び上がった。


「馬鹿な!」


「あんな高く!」


 舞い上がった二人は、どう見ても跳躍でアルバーノが出した記録、14mを上回る高みにいる。跳躍の時の柱や棒が存在しないから正確な高さは判断しがたいが、はっきりと差がわかるところからすると20m近いのかもしれない。

 ナザティスタは蹴られた時点で気絶したのか動かない。一方アルバーノは頭を下に落ちていくナザティスタに組み付くと、両手で彼の足を(つか)み自身の足で身動きしない虎の獣人を固定する。


「ま、まさか地面に!」


「うわぁ!」


 最悪の事態を思い浮かべた観客達が悲鳴を上げ、目を(つぶ)る。しかし、彼らの予想は外れていた。


「全く……」


「アルバーノらしいですが……」


 シノブとシャルロットは、苦笑気味の笑顔を交わしていた。

 宙から大地に戻る直前、アルバーノはナザティスタを自身の腕に抱えなおすと、そのまま音も立てずに静かに舞い降りたのだ。そしてアルバーノは、抱えたナザティスタを闘技場に降ろすと、大仰な仕草で貴賓席に向かって深々と頭を下げる。

 呆然(ぼうぜん)とする観衆の中、シノブとシャルロットは温かい拍手をアルバーノへと送る。すると、その音で夢から覚めたように、国王や王太子にフィオリーナ、更に観客席全体へと、勝者を讃える祝福の()が広がっていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「アルバーノ殿、何とも凄い技よの……どこで覚えたのじゃ?」


 貴賓席に戻ってきたアルバーノに声を掛けたのは、アルストーネ公爵フィオリーナだ。彼女は、カンビーニ王家特有の豊かな銀髪を揺らしながら、真っ先にアルバーノへと歩み寄ったのだ。


「……あの技は閣下に教えて頂いたものです。実は、閣下の故郷に伝わる武術なのですが、特別に伝授頂きました」


 アルバーノは、興味津々といった(てい)の女公爵に恭しく頭を下げた後、少々自慢げな様子で自身が出した技について説明をする。そんな彼の話を、国王レオン二十一世や、王太子シルヴェリオ、それに彼に敗れたナザティスタも興味深げに聞いている。

 あの後、アルバーノに活を入れられたナザティスタは、治癒術士から多少の治療を受けただけで回復していた。アルバーノの蹴りは彼の意識を刈っただけで肉体自身には大きなダメージを残さなかったのだ。そのため彼は、自身の足で貴賓席まで戻っていた。


──シノブ様、あの技は……──


──アミィ、黙っておこう。まさか今更言えないだろ?──


 アルバーノを囲む人々の後ろで、シノブとアミィは何とも言えぬ表情で思念を交わしていた。アルバーノはシノブが教えた武術と言っているが、あんな技を実現できる地球人類は存在しない。当然のことではあるが、あれはシノブが日本にいた頃に知った架空の技である。


 アルバーノやアルノー達が、故郷にどんな武術があったのか、とシノブに訊ねたことがある。そのときシノブは、柔道や空手、剣道と共に創作上の武術や技についても教えていた。実は、現実の武術のみ語ってもアルバーノ達が納得しなかったのだ。

 何しろ、シノブの身体能力は彼ら以上である。そのシノブが身体強化が出来ない一般人が使うような技だけしか知らないというのは、アルバーノ達にとっては逆に不自然であったようだ。そこでシノブは、映画やアニメ、漫画などの架空の技で、こちらの武人なら出来そうなものを適当に教えたのだ。

 それらを聞いたアルバーノやアルノーは、主から聞いた技の習得に真摯に取り組んだ。何しろ敬愛する主君から教わった技なのだ。そして彼らは、非常に短い時間でそれらを体得した。説明しやすいものをシノブが選んだせいもあるが、彼らの能力を持ってすれば、さほど難しいことでも無かったらしい。


「なるほど……あのまま地面に叩きつけられたら……何とも恐ろしい技だな」


「ですが、実に効果的です……それはそうと、エンリオ、トマーゾ、どうだ?」


 感嘆の表情のレオン二十一世に続いたのは息子のシルヴェリオだ。その彼は、アルバーノの父と兄へと視線を向け返答を待つ。エンリオ達に問いかけた王太子の口調は穏やかだが、その目は笑っていない。


「はっ……アルバーノ殿は、我がイナーリオ家の誇りです」


「国から出ず戦場も知らぬ我らの及ぶところではありません」


 エンリオとトマーゾは、王太子が言外に含めたことを悟ったらしい。冷や汗混じりの二人は、シルヴェリオに向かって深々と頭を下げた。

 エンリオは、前日の午餐会でナザティスタが勝利すると口にしたし、トマーゾも明言はしなかったが父と同じ考えであったようだ。

 彼らがナザティスタの勝利を信じた背景には、我が子、我が弟(ゆえ)の侮りがあったようだ。特にエンリオは、我が子という意識が災いして他国の伯爵の家臣に対し侮辱に近いことを口にした。

 しかし、今の彼らはそれらを恥じたようだ。エンリオは息子に敬称を付け、トマーゾは自分達が井の中の蛙であったと断言した。


「ふむ。アルバーノ殿?」


「殿下……若き日の私は、父や兄達に数々の迷惑を掛けました。ですから、これは自身の過ちでもあります。幸いにして私は素晴らしい主と巡りあい新しい生を得ましたが、それを知らない父達にとって、私は昔の悪童のままなのでしょう。

ですが、これからは新たな私を見てもらえる。とても嬉しいことです」


 王太子に促されたアルバーノは、頭を下げたままのエンリオとトマーゾ、そして二人の背後に立つ長兄のジャンニーノへと視線を向けつつ言葉を紡いでいた。いつになく真面目な彼の口調は穏やかで、それ(ゆえ)聞く者の心に響いていく。


「……エンリオよ、素晴らしい息子を持ったな」


「ははっ!」


 国王レオン二十一世に声を掛けられたエンリオは、崩れ落ちるように(ひざまず)いた。彼の顔は、老いて銀色となった髪に半ば隠されて見えないが、その頬には光るものが流れている。


「父上……」


 エンリオに手を差し伸べるアルバーノを見て、シノブは思わず頬を緩めた。彼だけではなく、その場に集う者達全てが、二十年の時を越え手を取り合った父子を、温かい視線で見守っている。

 立ち上がったエンリオと彼を囲む三人の息子の姿からは、長い時を埋める喜びと少しの照れくささが感じられる。そして少し離れた場所では、ロマニーノとソニアが瞳を潤ませつつ微笑んでいた。


「……ところで皆様、次の競技をご覧にならなくて良いので? 進行係が困っているようですが?」


 注目を浴びて照れたのか僅かに頬を染めたアルバーノの言葉に、シノブ達は闘技場の中央へと振り向いた。そこには、最終競技である槍術の開始を宣言すべく進み出た係員が、貴賓席を見上げている。


「陛下、シルヴェリオ殿、フィオリーナ殿。マリエッタ殿の応援をしましょう。留学を懸けた一戦を誰も見ていなかったら、マリエッタ殿が拗ねますよ?」


 イナーリオ家の者達には彼らだけの時間を与えるべきだと思ったシノブは、殊更陽気な口調で王達に呼びかけた。そう、まだ最終競技が残っているのだ。

 シノブの言葉に笑いを(こぼ)した一同は、武術競技の観戦後とは思えぬ温かく柔らかな表情で、己の席へと戻っていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年10月6日17時の更新となります。


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