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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第13章 南国の長達
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13.27 激闘は楽しみ多く 中編

 馬術と聞いてシノブが思い浮かべるのは『戦場伝令馬術』である。まだベルレアン伯爵領にいた頃に、イヴァールが領軍一の伝令騎士ボーニと競ったものだ。シノブ自身も競技同様にコースを回ったし、その後ドワーフ馬ヒポの特訓もした。したがって『戦場伝令馬術』は、彼が詳しく知っている競技の一つである。

 そして、カンビーニ王国の馬術競技の中で、もっとも人気があるのも『戦場伝令馬術』であった。メリエンヌ王国もそうだが、エウレア地方の国々では純粋に身体能力を競うもの、つまりスポーツという概念は存在しない。彼らは剣術や槍術と同様に戦技の一つとして馬術を捉えているから、仕方のないことではある。


 その『戦場伝令馬術』は、地球の馬術競技でいえば総合馬術のクロスカントリーに近いものである。大まかに言えば、坂や濠が造られ障害物が置かれたコースを、どれだけ速く一周できるか競うものだ。

 なお、ベルレアン伯爵領の領都セリュジエールに存在するコースは、全長およそ12kmだが、こちらも距離自体は殆ど変わらない。しかもシノブが見たところ、坂の険しさや水濠(すいごう)の幅、それに障害物の高さなども、ほぼ同じである。


「これなら、ミレーユが戸惑うことは無いだろうね」


 大人ほどの高さの生垣や丸太の柵は、セリュジエールの演習場にあるものと変わらない。それを馬場の脇に設けられた観客席から見て取ったシノブは、隣に座るシャルロットに安堵の笑みを浮かべつつ(ささや)いた。


「ええ、生垣の高さも変わりませんし、池の深さも同じくらいのようです」


 シャルロットは、ここ王都カンビーノの演習場のコースに関する情報を、出場するミレーユから聞いたという。別に、両国がコースの仕様を合わせたわけでは無く、軍馬が突破できる範囲で難易度の高い障害を模索したら、同じようなものに落ち着いたようである。


「ミレーユ殿は、どのくらいで回るのですか?」


「セリュジエールのコースでは、最高で12分台です」


 シノブは、興味深げな様子で訊ねる王太子シルヴェリオに答えた。馬術競技を観戦するため場所を移した彼らだが、着席する位置はそれまでとほぼ同じである。

 左からアルストーネ公爵フィオリーナ、王太子シルヴェリオ、国王レオン二十一世、シノブ、シャルロットと並び、アミィや侍女のソニアなどが後ろに控えている。なお、ミュリエルやセレスティーヌは、レオン二十一世の夫人達やシルヴェリオの妻などと別のテーブルを囲んでいる。


「ぬ……それほどか……」


「流石じゃな! 森での乗馬姿から、かなりの達人とは思っておったがの!」


 対照的な反応をしたのは、レオン二十一世と彼の娘フィオリーナだ。驚きの表情の国王に納得といった顔の女公爵と二人の様子は異なるが、ミレーユ強しとの思いは共通しているようである。


 ところで『戦場伝令馬術』には、フィオリーナの娘マリエッタも出場する。彼女は、今回の競技大会で弓術、馬術、槍術の三種目に出るが、その(いず)れかで上位三位に入れば、フライユ伯爵領への留学が許され、シノブ達に弟子入りできる。

 しかし、マリエッタは最初の種目である弓術では五位に終わっていた。したがって、この『戦場伝令馬術』か、競技大会の最後を飾る槍術のどちらかで三位に入る必要がある。もっとも、仮に一位がミレーユでもマリエッタが三位までに入れば良いわけだ。しかし、国王の反応からすると微妙な線なのかもしれない。


「父上、マリエッタも我がカンビーニの王族です。安易な試練にするわけにもいきません。

……おっ、最初の出走者が出てきましたね! フランチェーラですか!」


 孫を案じているらしいレオン二十一世に、シルヴェリオは苦笑気味であった。しかし彼は、軍馬に乗って登場する出場者を見て、楽しげな表情になる。

 彼の視線の先には、マリエッタの学友でリブレツィア伯爵の娘フランチェーラがいた。栗毛の巨大な軍馬に跨る彼女は、虎の獣人固有の黒い縞が入った金色の髪を(なび)かせつつ、出走位置に移動していく。


「おそらくフランチェーラが二位でしょうね。彼女なら13分台を出すでしょう。そして、13分台が出せそうな者がマリエッタの他に一人います。マリエッタが彼に勝てるかどうか……」


 シルヴェリオは、結果について予想済みのようだ。ミレーユ以外はカンビーニ王国の若者である。そして、王太子の彼は自国の者の技量を当然把握している。したがって、よほどの番狂わせが生じない限り、彼が挙げた順序通りになるのだろう。


「なるほど……しかし、まだ十二歳のマリエッタ殿がそこまでの腕をお持ちとは……」


 マリエッタの年齢を思い出したシノブは、出走を待つマリエッタへと視線を向けた。彼女もフランチェーラと同じく虎の獣人だから、黒い縞が入った金髪が良く目立っている。

 彼女は、隣に並ぶミレーユとほぼ同じ背丈である。ミレーユがもうすぐ十六歳だから、かなり大柄だといえよう。獅子の獣人や虎の獣人は体格の良い者が多い。そのためマリエッタは、小柄なミレーユと大差なかったのだ。

 二人は、笑顔で何かを話し合っている。出走順は賓客のミレーユが最後で、その一つ前がマリエッタである。そのためだろう、まだ二人には勝負を前にした緊張など無いようだ。

 だが、二人はフランチェーラの出走を告げるラッパの()に、真顔となって馬場の方を振り向く。

 ここからは勝負の時間だ。そんな開戦の宣言が二人から聞こえたような気がしたシノブも、知らず知らずの内に鋭い表情となっていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 フランチェーラは栗毛の軍馬を軽やかに走らせると、見事に最初の障害である生垣を飛び越えさせた。

 生垣の手前は不整地の上り坂であり、一本調子で馬を進めるような単純なコースではない。左右に曲がりくねり、所々に大きな穴まで設けられた坂道なのだ。戦における伝令技術を磨くための競技だけあって、障害の難易度も現実の戦場を想定した厳しさである。

 しかしフランチェーラの操る軍馬は難なく坂を上り詰め、頂上にある人の背ほどの生垣を見事に越えると、その向こうの水濠(すいごう)を渡っていく。人馬共に落ち着いた様子で水面を進む様子からは、彼女がかなりの修練を積んでいることが窺える。


 カンビーニ王国の貴族は、女性であっても一定水準の武技や馬術を習得するらしい。もちろん、騎士や従士の娘も同様だ。例えば、従士の娘であるソニアも護身の域を超えた剣術を身に付けている。

 しかし、そのカンビーニの女性の中でも、フランチェーラの腕はかなりの域に達しているようだ。観客席から見つめる者達も、彼女と愛馬が馬場を駆ける様子を、心の底から感嘆したという表情で見つめ、盛大な歓声を上げている。


「これは、最初から好記録が出そうだな」


「はい。シルヴェリオ殿のお言葉通り、13分台は間違いないでしょう」


 国王レオン二十一世に同意したのはシャルロットだ。

 シノブも『戦場伝令馬術』に挑戦したことはあるが、アミィやシャルロットに勧められて試しただけだ。しかも、そのときのシノブは愛馬リュミエールに任せるのみであった。したがって、シノブには駆け出したばかりのフランチェーラと栗毛の軍馬が速いことは見て取れるが、どんな記録になるかまでは予想できない。

 シノブが幾ら高い能力を持つとはいえ、このあたりは幼い頃から訓練をしてきたシャルロットに(かな)わないようである。


「しかし、競技の運営も随分と楽になりましたね」


「早速取り入れているのですね。素晴らしいことです」


 審判の様子を見つめるシルヴェリオに、シノブは賛辞を送った。

 今回の競技大会には『アマノ式伝達法』が活用されていた。広い馬場の各所に配置された係員は、馬が駆け抜けると障害やコースの様子を確認し、結果を手旗信号で伝えてくる。以前は整備の完了を旗で示す程度であったが、これなら整地や障害の修復に掛かる時間なども伝達することが可能であった。

 メリエンヌ王国もそうだが、カンビーニ王国の者達も、新たな技術を活用することに貪欲だ。そのためシノブが発案した伝達法も、様々な方面で使われているようである。


「じゃが、シノブ殿は更に優れたものを研究させているそうじゃな?」


 フィオリーナは、シノブが魔道具で無線を再現しようとしていることを知っていたようだ。遠方との通信は、シェロノワの研究所で魔術師のマルタン・ミュレやハレール老人が取り組んでいる課題の一つである。

 魔力無線は、魔力波動の同調を用いた特定の波動の検出には成功し、基礎実験の段階は終えていた。現在は通信距離を伸ばすべく改良をしている。そのため研究所を出ての試験も実施しており、それらを見たアリーチェなどシェロノワに駐在するカンビーニ王国の領事館の者から本国に連絡が行ったようだ。


「ええ。上手く行けば障害物があっても遠方と通信できるのですが……大きな魔力が必要で、まだ一般に広めるには難しいようです」


 このあたりは、シノブとしても隠すつもりは無かった。なお、カンビーニ王家に対してどこまで情報を伝えるかについては、シノブは自国の首脳陣と相談済みである。

 そして相談の結果、隠しようの無いもの、伝えたほうが良いものについては現状を正確に教えることとなっていた。その方が関係の強化にも繋がるし、新技術の存在を(ほの)めかすことでメリエンヌ王国への協力も得やすいという結論になったからだ。


 それはともかく魔力無線は、シノブが言ったように大きな魔力が発信側に必要であった。現在のところ発信機については、シノブやアミィ、もしくは竜達が大魔力を注ぐか、アマテール村のように非常に魔力が多いところに設置するしかない。

 そのため現時点では試作した発信機をアマテール村に置いている程度で、一般の者が有効活用する道筋は、まだ見えていない。


「そうであったか……しかし治療の魔道具など、他にも色々作られたとか。ぜひ、我が国にも売っていただきたい」


 国王も、当然ながらアリーチェからの報告を受けている。彼は、ルシールが治療院で試験中の魔道具以外にも、幾つか新たな道具が誕生していると知っているようだ。


「ええ、喜んで」


「ありがとうございます」


 シノブとシャルロットは、国王の言葉に笑顔を見せた。フライユ伯爵領の魔道具製造業は、フライユ公営商会に一本化されていることもあり、シノブ達にとっては大きな収入源でもある。それに戦に使う魔道具を売るわけにはいかないが、治療の魔道具はシノブとしても広めたいものの一つだ。

 また、アマテール村ではミシンや紡績機なども開発している。ミシンはイヴァールの妻となるティニヤの結婚衣装作成がきっかけになって誕生したが、こちらは足踏み式の魔力を使わないものが完成していた。それに、紡績機は水力を用いて動かすこともできる。

 これらもフライユ公営商会やシノブの御用商人であるボドワンの商会を通して販売を開始しようと準備していたところだ。


「シノブ様、ゴールしました! 13分10秒です!」


 新たな大口顧客の誕生を喜ぶシノブの耳に、フランチェーラの競技結果を知らせるアミィの声が響いてきた。シルヴェリオの予想は見事に当たり、フランチェーラは素晴らしい成績を残したのだ。

 シノブとシャルロット、そしてカンビーニの王家の者達は、満面の笑みで馬上から手を振るフランチェーラを祝福すべく、両の手を打ち鳴らし始めた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 フランチェーラに次いで三人の選手が出場したが、彼女の記録を上回るものは出なかった。『戦場伝令馬術』は複数の馬を同時に走らせることはないため、選手は全部で六人だけである。要するに、残るはマリエッタとミレーユだけだ。

 現在のところ暫定一位が13分10秒のフランチェーラ、そして13分30秒が一人、後は14分台である。もっとも平均的な伝令騎士はこのコースなら約15分だというから、14分台でも充分に優れた腕である。


 そして今、第五走者のマリエッタが漆黒の巨馬を走らせていた。彼女の馬は、狩りに行ったときにも乗っていた特別大きな軍馬である。

 黒々とした毛並みが見事な軍馬は、猛然と障害に突進し華麗に飛び越えていく。怒り狂う野獣でも逃げ出しそうな迫力だが決して荒々しいわけではなく、その跳躍は最低限の高さに抑えられ、速度を落とさずに駆け抜けていく。

 進路の選択も合理的であり、矢のように駆け抜け水濠(すいごう)を押し渡っていく(さま)は、騎手であるマリエッタの技量を表しているかのようであった。

 しかし、馬上のマリエッタの表情は険しいままである。観客席から見つめるシノブには、彼女の表情に微かな苛立ちが混じっているように感じていた。一見するとフランチェーラにも匹敵する腕前のように見えるが、もしかすると上位三位に食い込むには、僅かに足りないのかもしれない。


「……あの年齢なら、これでも充分なのですがね」


「将来どうなるか楽しみですね」


 苦笑気味のシルヴェリオの言葉に、シノブは頷いた。

 フランチェーラが十七歳、ミレーユがもうすぐ十六歳、他の騎手も二人とほぼ同じだ。それに、ミレーユが13分を切ってから二年は経っていないという。それを考えると、マリエッタは恐ろしいまでの早熟ぶりと言えよう。


「そうですね。ミレーユに指導させたら、もっと伸びるでしょう」


 シャルロットも、シノブと同じことを考えていたようだ。

 彼女は祖父のアンリや父のコルネーユに並ぼうと、武人としての修行に一途に励んできた。国一番の槍術名人『雷槍伯』アンリに、それに続く『魔槍伯』コルネーユの背中を追うのは、想像を絶する厳しさであったろう。

 おそらくシャルロットは、武芸に真摯に取り組むマリエッタに己の過去を見たのだろう。そのため、彼女の支援をしたくなったのではなかろうか。


「おお! お二人の下で鍛えてくれるかの!?」


「ええ、歓迎しますよ」


 輝く笑顔を見せるフィオリーナに、シノブは屈託の無い笑みと共に答えた。

 最初シノブは、フィオリーナ達が自身の側にカンビーニ王家の者を送り込みたいだけかと思って警戒していた。しかし天真爛漫(らんまん)で何事にも真剣に取り組むマリエッタの姿から、周囲の思惑はともかく彼女自身は純粋に武芸を極めるつもりだと理解したのだ。

 そうであれば、シノブに否やはない。シャルロットも望んでいることではあるし、シノブは妻の側にマリエッタを置いても良いと考えていた。


「ぜひともお願いする! シャルロット殿の近習として鍛えてやってくれ!」


 国王レオン二十一世は、己の願いが(かな)うと知って破顔していた。

 一国の公女を他国の伯爵継嗣の近習になど、過去に例の無いことだ。しかしカンビーニ王家の者達は、シノブやアミィが神々の恩寵を受けた存在と確信しているらしい。したがって、シノブの妻であるシャルロットの側付きになるのは、王にとっては最上の喜びのようだ。

 そして、シルヴェリオやフィオリーナも父の言葉を当然と受け取ったらしい。二人は、父と良く似た深みのある笑みを浮かべている。


「とはいえ、マリエッタには充分な成果を示してもらいますが。ですからシノブ殿、もう少々この件は伏せていてください。残念ながら、今回も三位に入れないようですし」


 そのシルヴェリオは、再びゴール間際のマリエッタへと視線を向けていた。彼が言うように、マリエッタは13分30秒には届かないようである。おそらく、ミレーユは順当に一位となるだろう。そうなれば、彼女は四位になってしまう。


「わかりました」


 シノブは、カンビーニ王家の教育は中々厳しいと思いながら、王太子に首肯していた。

 マリエッタには可哀想だが、これも王族としての重荷を背負った彼女ならではの試練なのだろう。シノブは、今まさに競技を終えようとしている彼女に、少々同情を篭めた視線を向けていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



(なん)ということだ! あの女騎士は聖人並みの腕を持っているのか!?」


「あれがメリエンヌ王国の騎士の実力なのか!?」


 観戦席に、驚愕の叫びが響いている。シノブ達の手前、下段にいるカンビーニ王国の武人達は、係員が伝えたミレーユの出した結果が信じられないらしい。


「凄い、凄いのじゃ! 12分を切るなんて聖人以来なのじゃ!」


「で、殿下……ありがとうございます……」


 マリエッタは、己が四位で終わったことなど、どうでも良いらしい。彼女は並んで戻るミレーユに、感激で真っ赤に染まった顔を向けながら祝福の言葉を掛けていた。対するミレーユは、遥かに身分が上の公女にどう答えて良いか困ったのだろう、口篭りつつ応じている。

 しかし、マリエッタの感動も無理のないことだ。彼女が言う通り、このコースで12分を切ったのは、500年以上も前の伝説的存在、聖人ストレガーノ・ボルペだけだという。マリエッタが興奮し、武人達が畏怖というべき表情を浮かべるのも、当然である。


「ミレーユ、凄かったよ!」


「よくやりましたね」


 シノブとシャルロットは、伝説と並んだミレーユを起立し拍手で出迎えた。二人だけではなく、貴賓席にいる者全てが、驚嘆と賞賛をその全身で表している。


「素晴らしいものを見せてもらったぞ! シャルロット殿の側近でなければ我が国に迎えたいところだ!」


「身に余るお言葉、恐縮です……その……陛下……次の競技もございますから……」


 国王レオン二十一世が、ミレーユの手を取って激賞すると、彼女は自身の赤毛のように顔を染め、途切れ途切れに言葉を返した。最近では王族と接することも増えた彼女だが、他国の王から大観衆の前で手放しに褒められるのは、また違うようである。


「おお、そうであったな! 次は跳躍か!?」


 ミレーユの言葉を聞いたレオン二十一世は、次の予定を思い出したようだ。

 次の競技からは王都カンビーノの中にある中央闘技場で実施する。跳躍もそうだが、これからは広大な敷地を必要としない競技ばかりとなるのだ。


「ええ。アルバーノ殿にナザティスタとロマニーノですね」


「シエラニアも出るのじゃ!」


 王太子シルヴェリオとマリエッタは、跳躍に参加する主だった者の名前を挙げた。ついにアルバーノが、ナザティスタとロマニーノの二人、カンビーニ王国の高位武官と競うのだ。


「そうですね、では行きましょう」


 シノブは、国王や王太子に移動を促した。

 アルバーノは、故郷の者に成長した自身の力を見せたいようである。そのため、王太子の親衛隊長ナザティスタや、自身の甥で同じくシルヴェリオの親衛隊員であるロマニーノの参加を喜んでいるようだ。

 シエラニアとはマリエッタの友人の伯爵令嬢だが、他の二人はカンビーニ王国を代表する武人である。シノブの見たところ、アルバーノが劣っているとは思えないが、とはいえ油断は禁物であろう。

 シノブは、自身の家臣の勝利を願いつつ、貴賓席の出口へと向かっていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 跳躍とは、地球の競技でいうところの高飛びである。もっとも、これから中央闘技場で実施されるのは、助走もなければ棒を使うわけでもない。その場から単純に跳び上がるだけである。

 だが、この世界の超人的な身体能力を持つ武人達は、それでも高さ10mを越えるらしい。エウレア地方の都市は、王都や伯爵領の領都ともなれば、それこそ全高10mにもなる城壁が存在する。つまり、それらの城壁は現実的な守りとして充分意味のあるものなのだ。

 もっとも、そこまで跳べる者は非常に僅かであり、一万人に一人いるかいないかだという。そのため、多くの都市では建築の労力や費用も考えて、それなりの高さに抑えているようだ。

 何しろ常人であれば身体強化の効果も僅かであり、垂直跳びで1mを越える者は稀である。そして、ごく少数の例外に備えて都市を築いたら、いくら資金があっても足りはしない。


「おお……シエラニア様は失敗か……」


「9mだからな……俺達なら3mで終わりだよ」


 ルソラーペ伯爵の娘シエラニアは、高さ9mに設置された棒を越えることが出来なかった。地球の競技と同様に、垂直に立てられた柱には、水平に置かれた棒が置かれている。棒は固定されていないから、失敗したシエラニアと一緒に地面に落ちている。


「むぅ……シエラニアはよくやったのじゃがな」


 マリエッタは、棒は落としたものの見事に着地したシエラニアに拍手を送っていた。そう、競技者達は着地する位置に背から落ちることもなく、自身の足で降り立つのだ。この世界には背面跳びなど無いらしいし、マットも無いから当然ではあるが、恐ろしいまでの能力である。

 なお、マリエッタは最後の槍術まで出番はない。そのため、直前までは観戦をすることにしたようだ。


「そうですね。見事な技量です」


 シノブも、身体強化をすれば10m以上の高さに舞い上がることは出来る。それどころか、充分に魔力を込めれば20mを越えることも可能である。とはいえ、それは聖人や神々の眷属を越える魔力を持つからだ。

 それに、シエラニアはまだ十四歳である。幾ら虎の獣人が身体能力に優れているとはいえ、この年齢で国を代表する戦士に並ぶ結果を出すには、どれだけ修行を積んだのだろうかと、シノブは内心感嘆していた。


「ロマニーノが10mですか……おっ! 成功しました!」


「ナザティスタ殿も見事です!」


 シルヴェリオやシャルロットは、続く二人に拍手を送っていた。競技場の中には、跳躍のための場所が八箇所設けられており、競技は並行して実施されていたのだ。とはいえ、既に残っているのはアルバーノと彼ら二人だけである。したがって、シエラニアが失敗した分も含め、五箇所は柱の撤去を開始していた。


「アルバーノ殿は、14mまで上げたか……おお、見事!」


 国王が言うように、アルバーノは一気に高さを上げていた。

 回数を重ねればそれだけ疲労すると考えたのか、あるいはロマニーノ達を圧倒しようと考えたのか。いずれにせよ、アルバーノは14mの高さを悠々と跳び越え、しかも見事に着地してみせる。


 そして、それを見たロマニーノとナザティスタは、アルバーノと同じく14mに棒を上げさせた。

 一旦高さを上げて失敗したら、そこで終わりである。とはいえ11mから順に刻んでいっても、結局はアルバーノと同じ高さに挑戦しなくてはならない。それなら、魔力が残っているうちに同じ高さに挑戦する方が合理的だと考えたのかもしれない。


「愚かな……」


 しかし二人は失敗した。フィオリーナ達カンビーニ王族は、自国を代表する武人達が屈辱に顔を(ゆが)める様子に、落胆していた。これが自身の力を存分に発揮した結果であれば、彼らも拍手で讃えたのだろうが、アルバーノの誘いにまんまと乗った姿を見ては、そうもいかないのだろう。


 競技場のアルバーノには、そんな貴賓席のやり取りを知る(よし)もないだろう。しかし彼は、まるで観客席の様子を察しているかのような意味深な笑顔で周囲を見回すと、大仰かつ流麗な仕草で一礼をしてみせた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「アルバーノ、見事だったよ」


「お褒めの言葉、光栄の極みです」


 アルバーノは、シノブの賞賛に短く答えた。しかし、言葉の上ではさり気なく返答した彼が、内心では大喜びをしていると、シノブの目には明らかであった。何しろ立礼をしたアルバーノの顔は、それは得意げな笑みを浮かべていたからだ。


「叔父上にやられました……色々な意味で」


「陛下、殿下。面目ございません」


 ロマニーノとナザティスタも、貴賓席に引き返していた。この後は小剣、重量挙げ、走力と続くが、アルバーノを含む三人が出るのは、その次の徒手格闘であり、かなりの時間が空く。そこで彼らは、それぞれの主君の下に戻ってきたのだ。


「まだまだ若者に負けるわけにはいきませんからな」


 アルバーノは、既に四十歳である。その彼からすれば、親衛隊長のナザティスタですら数歳下、ロマニーノに到っては十四歳も若い。もっともアルバーノの外見はロマニーノとさほど違わず、言葉少なく謹厳実直なナザティスタの方が三つ四つは上に見える。

 とはいえ、この場合アルバーノが言いたいのは実年齢や外見年齢のことでは無いだろう。要するに彼は、当たり障りの無い範囲で、二人を挑発しているのだ。どうやら徒手格闘に向けての駆け引きは、既に始まっているらしい。


「えっ! アルバーノ様は、お幾つなのですか!?」


「アルバーノ殿は、そんなに歳が上じゃったのか!?」


 素っ頓狂な声を上げたのは、シエラニアとマリエッタである。まだ十代前半の彼女達は、アルバーノが二十年前の戦に加わったことを知ってはいても、彼の年齢までは知らなかったようだ。どうやら彼女達は、アルバーノが自分達と変わらぬ年頃で傭兵になったと思っていたらしい。


「ええと、アルバーノさんは……」


「ミレーユ殿! わ、私は永遠の二十八歳ですよ!」


 ミレーユの言葉を慌てて(さえぎ)るアルバーノに、シノブ達は思わず大笑いをしてしまった。

 確かにアルバーノは三十前でも通る若々しさで、若い侍女達とも親しげに談笑する様子はとても四十歳とは思えない。したがって自称二十八歳でも構わないが、今の慌てぶりには失笑すべき何かが宿っていたのだ。


「アルバーノ、折角故郷で名を挙げたのだから、ついでに嫁探しでもしたらどうかな?」


「おお、それは良いですね! ……アルバーノ殿、如何(いかが)かな?」


 シノブの冗談に乗ったのは王太子シルヴェリオだ。

 アルバーノはシノブの主だった家臣の一人だ。その彼が自国の女性を妻とすることに、シルヴェリオは利点を見出したのかもしれない。冗談めかした口調だが、その一方で王太子の目は決して笑っていなかった。


「閣下、殿下……もちろん、お言葉とあれば従いますが……もう少しお時間が頂けないでしょうか」


 アルバーノは頭上の猫耳を伏せ気味にし、尻尾も忙しなく揺らしていた。どうやら彼は、まだまだ独り身を楽しみたいようだ。

 二十年もの長きに渡り、アルバーノは戦闘奴隷となっていた。それ(ゆえ)シノブは、自由の身になった彼に、ごく普通の家庭の幸せを味わって貰いたいと考えていた。

 しかし、まだ時期尚早らしい。当のアルバーノは、貴人達に見つめられ居心地が悪そうにしている。家臣一の伊達男の意外な様子に、シノブは隣に座るシャルロットと苦笑を交わしていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年10月4日17時の更新となります。


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