13.26 激闘は楽しみ多く 前編
カンビーニ王国も、メリエンヌ王国と同様に都市の郊外には軍の演習場が存在する。
演習場の大きさは都市の規模にもよるが、多くは数km四方にもなる広大なものだ。これらの演習場は、模擬戦や軍馬の訓練、投石機や大型弩砲の試射などに使われるため、周囲には高い防護柵が設置されている。
そして、ここ王都カンビーノにも当然ながら演習場がある。カンビーノの演習場はカンビーニ王国最大であり、一辺およそ10kmにもなるという。
シノブは今、王都の演習場の中央に立っている。彼は東方守護将軍の正装を纏い、光の大剣を背負っていた。なお、光の首飾りや光の盾は装着していない。
そんなシノブの姿を、シャルロット達は観客席から見守っていた。演習場には、国王や軍人達が観戦するための場所として、石造りの立派な設備が用意されていたのだ。
シャルロットやミュリエル、そしてセレスティーヌが座っているのは最上段の貴賓席である。彼女達の側には、国王レオン二十一世を始めとするカンビーニの王族達も着席し、その周囲には護衛や従者、侍女達が控えている。
もちろん、観客席に居るのは彼らだけではない。直ぐ脇にはマリアン伯爵の継嗣ブリュノや妻のグレースがいる。その二人の側には外交官関連が多い。例えばメリエンヌ王国の大使であるルローニュ子爵とその家族、それにカンビーニ王国の駐メリエンヌ王国大使の娘アリーチェ・デ・アマートなどである。
そして更に下段には、シノブが連れてきた使節団の者や、カンビーニ王国の貴族や軍人、内政官達も並んでいる。
「おお、イジェ様だ! あれは……オルムル様か!?」
「バージ様達も来たぞ!」
観客席にいる者達は、演習場の一角から飛び立った炎竜イジェや岩竜の子オルムル、そして三頭の光翔虎を見て歓声を上げた。五頭は全て装具を身に着けており、その前面にある神々の御紋が朝日を反射して、神秘的な光を放っている。
「しかし、あれは何だ?」
「おそらく、投石機の砲弾だと思うが……」
観戦席にいる者の多くは、望遠鏡を持っている。そのため彼らは、遠方から飛来する竜や光翔虎の周囲に浮いているのが、無数の岩塊、つまり投石機の砲弾だと察していた。
今日は、シノブや王太子シルヴェリオが企画した競技大会が行われる。そして午前中は、ここ演習場で馬術などの競技が行われるため、観戦用に望遠鏡などを持参している者が多かったのだ。
それはともかく、竜や光翔虎は魔力で物を掴むことが出来る。
これらは人間も使う魔力障壁などと同じだが、竜などの場合は単純に壁を造る以上のことが可能であった。例えば帝国との戦いで竜達は、岩で造った巨大な像や砲弾を自在に操った。
しかも彼らは、繊細な魔力操作も可能としていた。オルムルや光翔虎の子供フェイニーは、魔力で取っ手を掴みドアを開けることも出来る。それにオルムルなどは自身に装具を装着する際も、この能力を活用していた。彼女が編み出した装着法は竜達に広まり、光翔虎達も早速それを習っているらしい。
「おお! 砲弾が!」
「危ない!」
演習場の中央に飛来したイジェ達は、シノブに向かって無数の岩塊を打ち出した。
直径50cmを超える大岩は、やはり投石機の砲弾であった。球状に綺麗に整形された砲弾は、シノブに向かって一直線に飛んでくる。
「た、大剣で斬った!」
「あれを全部か!」
観客席の者は、物凄い速度で飛んでくる砲弾をシノブが真っ二つに斬っていくのを、驚愕の表情で見つめていた。シノブは、いつの間にか抜き放った光の大剣で、数え切れない岩塊を切断しているのだ。
イジェにオルムル、そしてバージにパーフにフェイニーと、五頭が同時に放つ砲弾は躱すことすら難しい筈だ。しかしシノブは、神速というべき斬撃で迎え撃つ。あまりの速さに大剣は宙に溶けたように消え失せ、シノブ自身の姿も時折霞んで見えるほどであった。
そしてシノブが斬った岩は、彼の左右で綺麗な山を築いていた。彼は岩を切断するときに何らかの力を加えているのか、二等分にされた岩は両脇に均等に飛んでいき、そこで円錐状の山となっていた。
「あ、あの方に仕えるのか……いや、仕えることが出来るのか?」
「まさか、家臣も? 誰だよ、従士の三男坊でも出世できるなんて言った奴は……」
観客席の脇の空き地には、今日の競技大会に出る若者達もいた。
出場者には、騎士や従士の次男以降が多く含まれている。自国を飛び出したアルバーノ・イナーリオがシノブの家臣として重用されていることもあり、彼らはフライユ伯爵となってまだ日が浅いシノブの下なら簡単に潜り込めると思っていたようだ。
しかし若者達の目論見は、国王が開会を宣してから幾らもしないうちに崩れ去った。彼らはシノブの模範演武を見て、自分達の見通しが甘かったと悟ったようである。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ殿、見事だ!」
「素晴らしい演武でした! 正に神業ですね!」
貴賓席に戻ってきたシノブに、国王レオン二十一世と王太子シルヴェリオが拍手と共に賞賛の言葉を掛けた。もちろん、周囲の者達も同様である。
「ありがとうございます」
シノブは、背負っていた光の大剣をアミィに渡しながら、言葉少なに答えた。彼は、周囲の注目の視線を、少しばかり気恥ずかしく感じていたのだ。
シノブと一緒に来た使節団の者の多くは、およそ二ヶ月前にシェロノワで行った大武会を見ていたり、帝国との戦いに加わったりしている。したがって、使節団でシノブの技を見て驚いたのは、ジュラヴィリエで合流したマリアン伯爵家の人々くらいであった。
しかし、カンビーニ王国の者達は違う。ごく一部、シノブの実力を察しているらしい国王と王太子や、王家の狩猟場での戦いを見たアルストーネ公爵フィオリーナや彼女の娘マリエッタは、さもありなん、という顔をしている。だが、他の王族や家臣達は違ったのだ。
「ふふっ、予想通りじゃな。これでシノブ殿のところで楽が出来ると思う者は居るまいて。この世に二人といない英雄と、そこに集う家臣……己がそこに加われると思うのは、勇者か愚者だけじゃ」
「その愚者は、これから振るい落とされるのじゃ!」
フィオリーナとマリエッタの言葉に、王とその息子は莞爾と笑い頷いた。
実は演武を提案したのは、フィオリーナであった。彼女は旧帝国領で出世しようという若者達に、現実を教えようと考えたらしい。おそらく前日のアルバーノの父エンリオや兄トマーゾの一件から、自国の者が己の腕を過信していると感じたのだろう。
そしてレオン二十一世やシルヴェリオも、同じ不安を抱いていたようだ。以前シルヴェリオがシノブに語ったように、彼らは自国の者が旧帝国領で活躍することを望んではいたが、その一方で中途半端な人材を送り込みたくはないらしい。彼らは一時の利益や利権より、長期的な友好関係を望んでいるのだろう。
「この世に二人といない英雄って……大袈裟すぎると思うけど……」
「私からは何とも……」
シャルロットは、隣に腰掛けたシノブの呟きに苦笑していた。彼女だけではなく、ミュリエルやセレスティーヌも何と言うべきか迷ったような、曖昧な笑みを浮かべている。
──シノブ様、事実だと思いますけど?──
──う~ん、少し行き過ぎだと思うんだよね──
シノブ達の背後に控えるアミィは、何となく楽しげな思念を送ってきた。シノブも同じく口に出さずに答えたが、その思念には困惑が滲んでいる。
レオン二十一世やシルヴェリオ、それにフィオリーナは、シノブを神の使徒と確信しているようだ。神殿では奇跡を起こし、竜達や伝説の光翔虎に慕われるシノブは、そう思われるだけの存在である。それに、実際には最高神アムテリアの血族だから、使徒どころではない。
ともかく国王達の態度からは、彼らがシノブを上位の存在と思っていることが窺える。彼らは王族でシノブは伯爵だ。しかしシノブは、そういった表向きの立場を超えた敬意が自身に向けられていると感じていた。
そもそもカンビーニ王国で行う競技大会で、外国人が演武をすること自体が異例である。通常、こういった場では自国で最も優れた者を出すべきだ。幾らシノブの腕が優れていても他国の者に模範を示されては、主催した側にとっては恥ずべきことである。
しかし彼らにとっては、それらの慣例などどうでも良いのだろう。彼らにとって、シノブは最高神の恩寵を受け邪神を倒した並ぶ者のない英雄である。その英雄を差し置いて、模範演武などありえないと考えたのかもしれない。
──私も、もう少しで飛べるのに──
──早く飛びたいです──
こちらは、炎竜の子シュメイと岩竜の子ファーヴである。二頭はまだ飛べないから、貴賓席から上空を舞うイジェ達を見つめていた。なお、貴賓席は広々としており空いている場所も沢山ある。そのため、シュメイも腕輪で小さくなることは無く、元の姿のままだ。
──シノブさん、お疲れ様でした! シュメイ、ファーヴ、狩りに行きましょう!──
そんな二頭の下に舞い降りてきたのはオルムルである。これから竜達は、光翔虎の家族と共にセントロ大森林で狩りをするのだ。
竜達が人間の競技を眺めても得るものは殆どないし、飛翔可能となる日が近いシュメイの訓練もある。そこでシノブの模範演武が終わったら、二頭の幼竜はイジェが運ぶ磐船に乗って大森林へと行くわけだ。
貴賓席の床に伏せたオルムルは魔力を使ってファーヴを自身の背に乗せた。するとシュメイは腕輪の力でファーヴと同じくらいの大きさになり、自身も後ろから彼を支えるようにオルムルの上に収まる。
そして二頭がしっかり掴まったことを確認したオルムルは、再び大空へと舞い上がっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
午前中は弓術、投槍、戦槌投げ、馬術が行われる。いずれも広い場所が必要であり、競技場で行うのは難しい種目だ。この世界の人間には身体強化があり、地球の人類の常識では考えられない技が繰り広げられるからである。
武人の多くは、元々の身体能力を魔力で更に高めている。これらの魔力の行使や身体強化は誰にでも出来ることではなく、従士級は全人口の千人に一人、騎士級は五千人に一人の稀なる適性の持ち主である。それ故優れた騎士ともなれば、100mを三秒台で走り、一跳びで10m近くの高みに達する。
したがって、彼らの弓術や投擲術を王都の競技場で披露することは、不可能であったのだ。
そして今、演習場には最初の競技である弓術の、最後の選手が立っていた。ほっそりとした小柄な体と赤毛の女性は、厳しい修練の果てに得ただろう、無駄なく美しい所作で矢を番え弓を引き絞っていく。
そう、彼女こそはシャルロットの側近であるミレーユ・ド・ベルニエである。彼女は満月のように弓を一杯に引くと、一瞬の静止の後に何気無いといえるほど自然な動作で矢を放った。
「ば、馬鹿な! 600mだぞ! それも全部中心に!」
「フライユ伯爵家の女騎士は化け物か……」
息を潜めて彼女の弓射を見つめていた観衆から、異様なまでのどよめきが沸き起こった。彼らはミレーユの神技というべき弓術に、畏れにも近い感情を抱いたのかもしれない。
ちなみにカンビーニ王国の弓術大会も、メリエンヌ王国と同じ規則で行われる。三回の試射の後に、五回の本射で、的は直径2mである。もっとも通常の競技では標的を300mに置くのだが、ミレーユはシャルロットと同様に倍の距離で全てを中心に纏めていた。
「マリエッタでは到底敵わぬな……まあ、これも良い経験じゃろう」
フィオリーナはミレーユと自身の娘の差を見ても、落胆はしていないようだ。
弓術には他にエルフのメリーナや、マリエッタと彼女の学友のシエラニアなどが参加していた。しかしメリーナで400m、マリエッタとシエラニアは300mまでであった。しかも、全てが中心というわけでもない。
「彼女は国でも有数の射手ですから。ですがマリエッタ殿も名手と言うべき腕前です」
シャルロットが言うように、一位のミレーユが他と格が違いすぎただけである。ちなみにメリーナは二位、マリエッタとシエラニアも五位と六位である。
メリーナはエルフの大きな魔力を活かして身体強化をし、虎の獣人であるマリエッタとシエラニアは、生まれ持つ力を存分に発揮して遠射を行った。
しかし元から達人級のミレーユが、シノブやアミィから教えられ、極めて高精度の魔力操作を習得したのだ。その結果ミレーユは、瞬間的には魔力でエルフを、力で獣人を凌ぐことが出来る。その技が超人的な遠射を可能としているのだ。
シャルロットは国で有数と言ったが、相当に控え目な表現と言えよう。
一方ミュリエルとセレスティーヌは、シャルロットのように出場者について語ることはない。おそらく武術の話に付いていけないのだろう、二人は声援を送るだけである。
二人もカンビーニ王家の女性達、王妃達や王太子妃と楽しそうに談笑している。しかし話題は両国の風物や文化についてが殆どで、武術とは程遠いものだった。
「次に期待ですね。どれか一つで良いから上位三位に入れば出国を許すという約束です」
「そうだな……しかし、もう少し条件を緩めれば良かったか……」
王太子のシルヴェリオは淡々とした調子で父王に応じたが、答えるレオン二十一世は彼らしからぬ後悔を顔に滲ませていた。豪快かつ毅然としたレオン二十一世だが、孫には甘いようである。
今回の競技大会で好成績を残したら、マリエッタは出国を許されシノブ達に弟子入りできる。しかしシルヴェリオは、姪との取り決めを枉げる気は無いようだ。
マリエッタは乗馬と槍術にも出る予定だが、双方ともミレーユの得意分野で彼女も出場する。ただし上位三位であれば出国の条件を満たすから、ミレーユに勝たなくても良い。
いずれにしても王族であるマリエッタが他国に赴く以上、国を代表するに相応しい成果を挙げる必要がある。そのため彼女に関しては、他より遥かに厳しい条件となったわけだ。
「次は、投槍ですね。こちらからはジェレミー・ラシュレーが出ます」
シノブは、マリエッタの出国について口出しするつもりは無かったので、次の競技へと話を転じた。
投槍とは地球でいう槍投げだが、こちらは長さ3m少々の豪槍を用いる。これは柄も金属の実戦で用いる槍で、重さは7kg少々である。まだエウレア地方にはスポーツという概念が存在しないため、どうしても実戦を想定したものとなってしまうようだ。
「おお、『雷槍伯』の懐刀ですか! ですが、ナザティスタやロマニーノも負けませんよ!」
シルヴェリオは、残念そうな孫を心配げな顔で眺める父を置いて、自身の側近の名を挙げた。ナザティスタはシルヴェリオの親衛隊長で、ロマニーノは隊員だ。なお、シルヴェリオは言及しなかったが、こちらにもマリエッタの学友の一人であるフランチェーラが参加している。
マリエッタの留学には、彼女の友である三人の伯爵令嬢フランチェーラ、ロセレッタ、シエラニアを付ける予定らしい。この三人はお付きとしての留学であり水準以上の能力を示せば出国が許されるが、マリエッタが条件を満たさない場合は彼女達の留学も無い。
神殿での奇跡以降、フランチェーラ達はシノブやアミィを神の恩寵を受けた特別な存在と認めたようだ。そのため三人は留学に前向きになったのだが、どうやら彼女達の出国もマリエッタ次第となりそうだ。
それを思ったか、競技場から戻ってくるマリエッタは、彼女らしからぬ険しい表情をしていた。彼女はミレーユと変わらぬ背丈だが、歳は四つ下の十二歳だから埋めきれぬ差を痛感したのかもしれない。
普段は天真爛漫なマリエッタの深刻な顔に、シノブは内心で彼女の健闘を祈っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
投槍は、騎士や歩兵の双方が使う戦法であり、どの国でも広く採用されている。そのため、騎士であるナザティスタやロマニーノも、この競技への参加を選択したらしい。彼らはアルバーノの出る跳躍と徒手格闘にも参加する予定だが、それは午後であり、王都内部の競技場に戻ってからとなる。
そして投槍は弓術とは違い、かなりの接戦の末に上からジェレミー・ラシュレー、ナザティスタ、ロマニーノの順で上位三位が埋まっていた。記録は、ラシュレーが300mを僅かに超え、ナザティスタとロマニーノが290m台だ。なお当然ながら、どれも地球人類の出せる記録ではない。
とはいえ先代ベルレアン伯爵アンリは、疾走する軍馬の勢いを加えてという条件付きではあるが、800m以上向こうの敵将を投槍一本で討ち取ったという。これは大型弩砲に迫る飛距離であり、この世界でも伝説的な偉業であった。
「しかし、ナザティスタ殿が負けるとはな……まだ信じられん」
「ああ。あのラシュレーという騎士は、ただの大隊長らしいぞ。それに見ろよ、あのドワーフを」
観客達が見つめる先では、獅子もかくやと言わんばかりの咆哮を上げたイヴァールが、10kgもある戦槌を投げ飛ばしていた。全身の筋肉を酷使したのだろう、彼は飛翔する戦槌を真っ赤な顔で見守っている。
そしてイヴァールと観衆達が見つめる中、戦槌は250mほど飛んで地面に突き刺さる。
「うおおおっ!」
演習場に響いたのは観衆達の叫び声と、それを上回るイヴァール自身の雄叫びであった。彼は他を大きく引き離して頂点へと躍り出たのだ。
しかも賓客であるイヴァールの順番は先刻のミレーユ同様に最後、つまり彼が戦槌投げを制したわけだ。
戦槌投げは、ナザティスタやロマニーノのような特別参加が無かったため、カンビーニ王国は若手のみとなっていた。そのため、イヴァールの圧倒的な勝利であった。
なお、その中で健闘したのは、伯爵令嬢のロセレッタである。獅子の獣人の彼女は、成人したばかりだというのにイヴァールに抜かれるまでは暫定一位であった。男に近い大柄な体躯に鍛え上げた筋肉を盛り上がらせた彼女は、三位から30m以上も上回る170m越えという高記録を叩き出していた。
「これで、三連敗ですか……若者が多いとはいえ、少々残念です」
シノブに嘆いてみせたシルヴェリオだが、その顔は笑っている。どうやら、王太子として自国の惨状を慨嘆してみせただけで、本気では無いようだ。
「こちらは歴戦の戦士ばかりですから。しかし、本当にこれで良いのですか?」
「ええ。我ら獣人族は、武芸に秀でた者が珍しくありません。しかし、己を過信している者もこれまた多いのです。若いうちに世界を知るのも、良い経験となるでしょう」
二十三歳のシルヴェリオは、まるで自分が若者ではないような物言いでシノブに答えた。父の帝王教育故であろうか、彼の眼差しは自国を越えた広範囲に向けられ、その思いは十年、二十年先にまで及んでいるようだ。
「それなら良いのですが……次は馬術ですね」
シノブは口では次の競技に触れながら、シルヴェリオを自国の王太子テオドールと会わせたらどうなるだろうかと夢想していた。
王太子としての強い責任感を持ち国の将来を思う二人は、意気投合しそうである。敢えて言えばテオドールが知に寄り、シルヴェリオが勇に寄っている。だが、その本質は極めて似通っているのではないだろうか。シノブは、そう思ったのだ。
「ええ。こちらはマリエッタとフランチェーラですね。そちらはミレーユ殿ですか?」
「はい、ミレーユは私達の中で最も乗馬が上手いので……」
シノブの思いには気付かなかったのだろう、シルヴェリオはシャルロットに馬術の出場者を訊ねていた。
今回、シノブとアミィ、それにシャルロットは出場しないが、仮にこの三人を入れたとしても馬術の第一人者はミレーユである。そのためか、シャルロットは少々済まなげな様子で王太子に答えていた。
シノブは、そんな二人の様子を眺めながら、シャルロットのもう一人の腹心であるアリエルのことを思い浮かべていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「アリエル様! こちらの方は基準を超えています!」
王都カンビーノのとある競技場に、シノブ達の侍女アンナの声が響き渡る。
彼女は、目の前の若い人族の男が魔術で水を出す様子を眺めていたが、何かを紙に書き付けると、後方にいるアリエルへと声を掛けた。よほど嬉しかったのか、笑顔のアンナの頭上では狼耳も嬉しげにピクピクと動いている。
「ありがとう。フレーデリータさん、頼みます」
「はい、アリエル様! ……済みません、こちらにお願いします。この紙に名前や出身などを記入してください」
アリエルの言葉を受けて若い男を呼びに行ったのは、本来ミュリエルの側付きであるフレーデリータであった。彼女は濃い金髪を靡かせながら男を奥に案内すると、彼に書類に必要事項を記入するように促した。
実は、競技大会と並行して、魔術師や文官の採用試験も実施していたのだ。アリエル達は魔術師採用の担当で、別の会場では、シノブの家令ジェルヴェや侍従のヴィル・ルジェールなどが文官の採用試験を実施している。
アリエルはシノブやアミィを別格とすると、一行の中で最大の魔力を持つ。次いで多いのはミュリエルだが、彼女が採用試験を担当する筈も無い。そこで、侍従や従者、侍女などで魔力が多いものや、実際に魔術を使える者が、アリエルの手伝いをしているわけだ。
アンナは治癒魔術などが使えるし、実はミレーユやジェルヴェよりも魔力が多かった。
もっとも、武術での強さは元々の身体能力や強化系の才能の有り無し、魔力操作の力量などに左右される。彼女の場合、獣人族には珍しく戦闘勘に欠けており、身体強化も苦手であった。いわば、魔力が多くても強くない見本と言うべきか。
そして元伯爵令嬢であるフレーデリータは、まだ魔術はさほど習っていないものの、魔力量はかなりあるし、魔力感知も得意である。エウレア地方の国では、高位の貴族は跡継ぎが高い魔力を持つように、魔力の多い貴族同士で結婚することが多い。そのため、フレーデリータも才能に恵まれていたようだ。
「ネルンヘルムさん、この方も合格ですわ」
「はい、どうぞこちらへ!」
少し離れたところでは、成人して少々といった人族の女性の試技を見ていたマリアローゼが、フレーデリータの弟のネルンヘルムに、受験者の合格を告げていた。
なお、受験者達は、文官の試験と同様に筆記や面接を受けていた。というより、文官の試験で一定以上の点を取った者が、こちらに来ているのだ。文官の試験に合格したが更に魔術師としてアピールしようと来る者、最初から魔術師を希望する者など、様々である。
「リーヌさん、こちらもお願いします」
「は、はい、ただいま!」
こちらはマリアローゼの友人であるマヌエラだ。マリアローゼはベーリンゲン帝国の宰相であったメッテルヴィッツ侯爵の孫娘、マヌエラは同じく帝国のアンブローシュ子爵の娘である。ただし、二人とも祖父母や両親を竜人化の騒動で失い、今はフライユ伯爵家で奉公する身であった。
もっとも彼女達も、他の侍女や従者とだいぶ馴染んできたようだ。マリアローゼやマヌエラは、同じ帝国貴族だったネルンヘルムだけではなく、狼の獣人の少女リーヌ・ラフォンとも、ごく自然に接しているようである。
とはいえ、より距離感のあったマリアローゼの補助がネルンヘルムというあたり、まだまだ周囲もマリアローゼに気を使っているのかもしれない。
いずれにしても、二十歳を前にしたアリエルが監督し、十五歳のアンナ、十三歳のマリアローゼとマヌエラ、十歳のフレーデリータにリーヌ、そして八歳のネルンヘルムが試験を担当しているのは、何となく微笑ましさを誘う光景であった。
どちらかというと、彼らの方が受験する側に見えるのだが、受験者達は全て真剣な表情で並び、無駄口を利くことも無い。これは、最初にアリエルが魔術の試技を披露したためである。
アリエルはアミィから習った魔力操作訓練を徹底的に繰り返した結果、無駄のない魔術行使を実現していた。そのため彼女は、元々の高い魔力を更に活かすことができ、同レベルの魔力量の者と比べても数段上の術を使うことができるようになっていた。
そのため受験者達は、アリエルが率いる少年少女を見ても、侮ることはなく神妙な様子を崩さないのだ。
「色んな人が集まってきましたね」
アリエルはマリアローゼの側に歩み寄ると、琥珀色の瞳に優しい光を浮かべながら語りかけた。
マリアローゼの前では、金髪に他の色が混じった猫の獣人の少年が、必死な表情で創水の魔術を使っている。彼は、目の前に置かれた大人の膝くらいの高さの桶に水を注いでいるのだ。水属性の者は、この桶を自身が創った水で満たしたら合格である。
「ええ。アリエル様、私もそう思いますわ」
マリアローゼは、眼前の少年と桶から目を離さずに、アリエルに答えた。アリエルは男爵の娘であり、しかも近日中にフォルジェ子爵マティアスと結婚する。そのためマリアローゼも、彼女を子爵夫人として敬っているようだ。
「貴女やマヌエラさんもですよ。アンナさんに、フレーデリータさん達の姉弟、リーヌさん。皆出身も種族も違います。でも、こうやって協力し合っています。
種族を越え、国を越え、手を取り合う。こんな光景を、もっと広げたいものです」
「……はい」
アリエルが優しく、そしてゆっくりと語りかけると、マリアローゼは、静かに頷いた。
獣人族を奴隷としてきた帝国で生まれたマリアローゼも、その獣人が王であるカンビーニ王国に来て、思うところがあったのだろう。彼女は、ほんの十日足らず前、シノブに頑なな態度を見せていたとは思えないほど素直にアリエルの言葉を聞き、自身の首を縦に振っていた。
「あっ! 貴方、合格ですわ! さあ、あちらの少年のところに行きなさい! ネルンヘルムさん!」
桶一杯に水が溜まったのを見たマリアローゼは、温かな笑みと溌剌とした口調で猫の獣人の少年を祝福した。そしてアリエルは、新たな道が開けて駆け出す少年と、新たな道を進みつつある少女を、慈しむような笑顔で見守っている。
そんな未来溢れる若者達の様子を、三月も終わりに近い暖かなカンビーニ王国の日差しが祝うように照らしていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年10月2日17時の更新となります。