13.24 南海からの使者 後編
「海竜らしいというか……でも、本当に大丈夫かな?」
「ええ……」
磐船の船縁から眼下を眺めるシノブの呟きに、シャルロットが不安げな声で応じた。シノブ達は、海竜の長老達が行う試しを見届けるべく、炎竜イジェが運ぶ磐船に乗って紺碧の海の上空をゆっくりと進んでいる。
彼らが見つめる先には、海竜の長老ヴォロスと、その番であるウーロが大海原を悠々と泳いでいた。そして、二頭の海竜の背には、カンビーニ王国の国王であるレオン二十一世と、その息子の王太子シルヴェリオがしがみついている。
海竜が提示した試しは、国王と王太子が二頭の海竜と共に海中に潜るというものであった。
もちろん、単なる潜水ではない。猛烈な速度で海中を動き回る海竜達から振り落とされてはならないし、ヴォロスが語る様子からすると、かなり長時間の試しとなるようだ。
当然ながら、人間であるレオン二十一世やシルヴェリオは、水中だと呼吸できない。彼らは強靭な肉体を持つ獅子の獣人だが、呼吸に関しては獣人族も他種族と変わらないし、獣人族だからといって人族の倍も息を止められるということは無い。
「装具があるから、振り落とされる危険は少ないでしょうけど……」
アミィも心配げな様子で、青い海竜の上の二人、簡素な服へと着替えた国王と王太子を見つめている。
流石に儀式用の正装で潜水を試みるわけにはいかないし、宝冠や国宝級の装飾品を海水に浸けるのも拙かろう。それに激しく泳ぐ海竜の背に乗っていては、それらは海中に失われるに違いない。
そんなこともあり、二人は水夫が着るような粗末な服へと着替えた。なお、その間にシノブとアミィが二人の助けになればと、ヴォロス達に装具と神々の御紋を渡して装着させたのだ。
「お二方が、装着を断らなくて良かったですわ」
「はい、でも、命綱は付けていないですから……」
セレスティーヌが言うように、二頭の海竜はアムテリアから贈られた品である装具と御紋を大層喜び、それらを拒むことはなかった。そのためシノブ達の眼下の国王と王太子は、装具の上面に存在する取っ手を握っており、そう簡単に海竜の背から落ちることは無い筈だ。
しかしミュリエルが呟いた通り、二人は命綱を付けていない。命綱があっては試しにならないとヴォロスが主張し、国王達がそれに同意したためである。
「殿下……」
不安そうな表情で船縁の手すりを握り締めるのは、王太子の親衛隊に務めるロマニーノだ。彼と、王太子の親衛隊長である虎の獣人ナザティスタ、それに国王付きの武官数名は、磐船に乗って随行していたのだ。
「竜達は、理性的な存在だ。陛下や殿下の命に関わるようなことはしない」
ロマニーノに語りかけたのは、彼と同じ猫の獣人のアルバーノ・イナーリオである。彼は、甥の肩に手を置きながら、普段とは違った真摯な口調で安心するようにと伝えた。
しかし、ロマニーノの表情が晴れることはない。彼だけではなく、磐船に同乗している王妃達や、王太子の妻であるアルビーナの顔も、不安げなままである。
磐船には、様々な者が乗っている。まず、シノブを筆頭にシャルロット、ミュリエル、セレスティーヌ、そしてマリアン伯爵の継嗣ブリュノや彼の妻のグレースである。彼らは、メリエンヌ王国が派遣した使節団の中核というべき者達であり、高位の貴族や王族であるから、海竜との対面の儀式にも当然出席していた。
また、儀式にはシノブの側近であるアミィやイヴァール、それに賓客であるエルフのメリーナも招かれていた。それにアリエルやミレーユ、アルノーやアルバーノなどの高位の武官、王族の警護を担当する白百合騎士隊のサディーユやシヴリーヌも、護衛として加わっていた。したがって彼らも、もちろん甲板の上にいる。
更に、シノブ達使節団の一員ではないが、友好国ガルゴン王国の大使の息子ナタリオや、シノブ達をここまで案内してきた駐メリエンヌ王国大使の娘アリーチェも一緒である。ナタリオは公務というよりシノブの友人として、アリーチェはシノブ達の接待役というところであろうか。
そして、カンビーニ王国側も、直系王族と共に、アルストーネ公爵フィオリーナとその娘マリエッタ、跡継ぎである息子のテレンツィオが船上の人となっていた。しかし、彼らやその護衛の多くは、シノブ達よりも更に困惑と不安を顕わにしている。
何しろ、現国王と次期国王が、生命の危険もある試しを受けるというのだ。カンビーニ王家直系の男子は、他にシルヴェリオの嫡男ジュスティーノがいるが、彼はまだ二歳である。万一、国王と王太子が命を落とすか、回復不可能な怪我でも負うことになったら、国が傾くことすらありえるだろう。
とはいえ、海竜に認められ友誼を結ぶことが出来れば、彼らの長年の宿願である安定した南方航海が可能となるかもしれない。そして、そのために国の代表者が命を懸けて試練に挑むのは、力で半島を纏め上げ王国を築いた彼らからすれば、当然のことでもあるようだ。
そのためだろう、二人の王妃や王太子妃も夫達の決断に口を挟むことはなかったし、フィオリーナなども毅然とした表情を崩さない。
そんな中、幼いジュスティーノだけは、まだ事態を良く理解できていないようだ。彼は、上空を飛ぶ光翔虎のバージやパーフ、それに磐船を運ぶイジェなどを見ては愛らしい笑い声を上げていた。
◆ ◆ ◆ ◆
一行は、カンビーノ港から西に向かって三十分程の海域までやってきた。もちろん、三十分というのは海竜の泳ぐ速度で来た場合であり、陸地は既に見えない沖合である。
どうやら、ここで試練を行うらしい。二頭の海竜が動きを止めたため、炎竜イジェが運ぶ磐船も上空で静止する。
──シノブさん、私が潜って付き添いましょうか?──
──オルムルさんは海に潜れるのですか? 私、塩水は苦手です──
真剣な表情で海面を見下ろすシノブの脇に、岩竜の子オルムルと光翔虎の子フェイニーがやってきた。今の彼女達は、本来の大きさに戻っているのだ。
岩竜や炎竜は、人間よりも長い間呼吸を止めることが出来るらしい。空気が薄い高空を飛翔するため、呼吸器官が発達しているのであろうか。なお、オルムルは海竜の島で泳いだ際は、重力を操作することで滑るように海面を進んでいた。したがって、同様な手法で潜行することも可能なのだろう。
一方、光翔虎は真水ならともかく、海水は嫌いらしい。やはり、体毛がある分、塩水を避けるのであろうか。彼らは、遠洋に出ることはないが、湾状の内海を飛び越えてガルゴン王国やデルフィナ共和国に行くこともあるという。しかし、それらの際も海上に降りることはないらしい。
──私はまだ飛べないから無理ですね──
──シュメイさんは、もう少しじゃないですか──
オルムル達の後ろからは、シュメイもやってくる。彼女も元の大きさで、その背に岩竜の子ファーヴと六歳の公子テレンツィオを乗せていた。
磐船の船縁には頑丈な木材で作られた壁が存在し、背の低い子供では外を見下ろすことは出来ない。そのため、シュメイは小さなファーヴやテレンツィオを気遣ったようである。
磐船は相変わらず炎竜イジェが後ろ足でぶら下げ、宙に浮いている。しかし重力を操るイジェにより、磐船は彼女自身を含め微動もせずに空中に静止している。そのため、シュメイもファーヴやテレンツィオを船縁に近づけても問題ないと判断したのだろう。
「う~ん。命を懸けるから、試練になるんだろうし……」
シノブはオルムルに頼もうか、と一瞬考えた。
しかし、これはカンビーニ国王と王太子が挑む試練である。そこに他者が介入するのは望ましくないだろうし、生命を賭して乗り越えてこそヴォロス達も認める筈だ。そう考えたシノブは、オルムルの申し出を断ろうとした。
──『光の使い』よ、その通りだ。獣人の王達が危険を顧みずに挑むからこそ、試しとなる。命の保証があるから挑むのでは、我は認めることは出来ぬ──
──そうです。それに、この者達も支援を望んではいないでしょう──
海竜の長老ヴォロスには、シノブの声が聞こえていたようだ。彼は思念と咆哮の双方で、介入は不要と伝えてくる。そしてヴォロスに続き、番であるウーロまでもが意思表示をする。彼女の思念は女性らしく柔らかではあるが、その一方で揺らぎの無い強さも感じられる。
「シノブ殿、これは我ら南方航海を望むカンビーニ王国の問題だ! 貴殿の気遣いは嬉しいが、自らの力で試練を乗り越えねばならぬ!」
「心配ご無用です! カンビーニ王家の誇りにかけてもヴォロス殿とウーロ殿の試練、乗り切ってみせますよ!」
ヴォロスの背からレオン二十一世、ウーロの背からシルヴェリオが、上空の磐船に向かって意気軒昂な様子で叫んだ。
彼らは、ヴォロス達の説明を聞いても、怯むことはなかった。海中を往くヴォロスやウーロの速度は、並の馬が疾走するよりも速いようだ。その彼らの背に呼吸も出来ない状況でしがみつくのは、いくら体力がある獅子の獣人といえども、かなりの苦難であろう。
しかし、力で捻じ伏せる、という辺りが獣人である彼らの心に響いたのか、国王と王太子の双方とも、願っても無いこと、と顔を輝かせていた。いずれにせよ、こうなってはシノブ達の口出し出来るところではないだろう。
「わかりました! 御武運を!」
元から手出しに否定的であったシノブは、笑顔で眼下の二人に答えつつ手を振った。すると海竜の上のレオン二十一世とシルヴェリオも、誇らしげな顔で拳を突き上げる。
──それでは潜るぞ。準備は良いか──
「おう!」
「何時でも!」
海竜の長老ヴォロスの最終確認に、装具の取っ手をしっかりと握った国王と王太子が口々に叫び返す。そして数瞬の後、二頭の海竜は猛然と水飛沫を上げながら、深い青の海へと姿を消していった。
◆ ◆ ◆ ◆
二頭の海竜は、どんどん深みへと移動しているらしい。シノブが自身の魔力感知能力で察知している限りでは、既に数十mは潜ったようである。なお、水中は陸上や空中とは違って、魔力の感知が難しい。少なくとも、他より位置を厳密に特定することは困難である。
しかし、海竜は磐船から見守る者達に配慮したのか、海上を進んでいたときよりも己の魔力を多く放出していた。そのため、シノブやアミィには、二頭の海竜がどの辺りにいるか、大よそではあるが判別できた。
なお、この世界の人間は身体強化が可能であるから、多少は水圧にも強いようだ。相当に優秀な潜水夫であれば、水深100mまで潜ることも出来るし、それが最高記録というわけでも無いという。もっとも、程度の差があるだけで、急激な潜水や浮上が危険を伴うことには変わり無いようだ。
「あちらに行きました……かなり深く潜っています。止まりました。あっ、また動きます!」
アミィは、心配げな顔で見守る王妃達や王太子妃に、海中の状況を説明している。海竜達は、流石に上下動についてはある程度の配慮をしているらしいが、急旋回や急停止、それに急発進などは頻繁に行っている。しかも、既に潜ってからかなりの時間が経っている。
「むぅ……何分経ったのじゃ?」
マリエッタは、少々眉を顰めながら呟いた。
虎の獣人で体力に自信がある彼女は、潜水もそれなりに得意らしい。なお、大抵の獣人は、潜水する際は耳を伏せて蓋に出来る。そのため、人族などに比べると、潜水が得意な者が多いという。
とはいえ彼女も、海中で激しく動き回る海竜に振り回される祖父や叔父を案じたのだろう、他の王族同様に不安げな様子ではある。
「およそ、十分かと」
マリエッタに答えたのは、王太子の親衛隊長であるナザティスタだ。彼は、ほとんど口を開かない静かな男性で、公女の問いにも短く返答しただけである。
そのナザティスタは、手に持つ懐中時計で時間を測っていたようである。もしかすると、一定の限度を超えるようであれば、シノブかアミィに、試しを中止するよう願い出るつもりだったのだろうか。
「……急旋回して戻ってきます! 浮上します!」
その間にも、海竜は海中を途轍もない速度で動き回り、アミィはその様子を伝えていた。そして彼女が浮上を告げた直後、ヴォロスとウーロが、連なるように海面へと飛び出した。その背には、国王と王太子が必死にしがみついている。
「ああっ!」
「貴方っ!」
蒼白な顔の女性達が見つめる中、二頭の巨獣は輝く飛沫を纏いつつ、体が完全に宙に浮くほど舞い上がり、再び大量の水と大音響を上げながら海中へと戻っていく。
「……大神アムテリア様、ポヴォール様、デューネ様、どうか夫をお守りください!」
最高神であるアムテリアに続き、戦いの神と海の女神の名を叫んだのは、王太子妃のアルビーナである。彼女は、息子のジュスティーノを抱きながら、必死な様子で神々の名を繰り返していた。
「シャルロット、ちょっとごめんね。
……ナタリオ殿、何か心配事でもあるのかな?」
カンビーニ王族へと視線を向けていたシノブは、その向こうにいたナタリオが気になり、シャルロット達の下を離れ、彼に歩み寄る。一人離れたナタリオは、何やら浮かない顔をしていたのだ。
シャルロットやミュリエル、それにセレスティーヌはシノブに付いていきたかったようだが、シノブが首を振ったため、その場に留まっている。
「いえ……」
「お国の大使から何か言われたのかな? カンビーニ王国に先を越された、とか?」
口篭るナタリオに、シノブは自身の想像を伝えた。
今日は、ガルゴン王国の駐カンビーニ大使エウラリオ・デ・カルリエドはいない。メリエンヌ王国から来た大使のルローニュ子爵もそうだが、こういう国内の重要な儀式は、駐留大使くらいだと遠慮するものらしい。なお、ナタリオの場合は、シノブと共に来た賓客という位置付けであり、特別に招かれたようである。
それはともかく、昨日ナタリオはエウラリオと何か話し合っていたようだ。シノブは、それを自身がガルゴン王国よりカンビーニ王国の訪問を優先したからではないかと、思ったのだ。
何しろ海竜にレオン二十一世が認められれば、カンビーニ王国は一足先に南方の航海へと乗り出すかもしれない。それは、ガルゴン王国の者としては、素直に喜べないのではなかろうか。
シノブは、もしナタリオが二番手に回されたことをエウラリオに責められたのなら、彼の抱えているものを知った上で、何らかの対処をしたいと思ったのだ。
「いえ、それは違います! ……実は、ここ最近、我が国の近海を荒らし回る者がいまして」
しかしナタリオの返答は、シノブの予想とは異なるものであった。
ガルゴン王国は、シノブ達がいるエウレア地方では最西端というべき国である。実際には、その北方、メリエンヌ王国から見て西の島国アルマン王国の方が僅かに西に広がっているのだが、大差はない。そして、彼がいう海上の騒動は、その西方の海でのことだという。
「北に航海する商船で帰らぬものが増えたようです。そして、警護のために乗り出した軍艦も……」
ナタリオは、周囲の者に聞こえないようシノブの側に寄ると、小声で事情を語りだした。
アルマン王国は、北方のヴォーリ連合国からドワーフが作った武器や工芸品、宝飾品などを買い入れ、南方へと運び、利益を得ている。メリエンヌ王国は陸路での輸送があるから、さほど海上輸送には力を入れていないが、ガルゴン王国がヴォーリ連合国から買い付けようとするなら、海を渡るしかない。
エウレア地方の西海岸を、ガルゴン王国、メリエンヌ王国、ヴォーリ連合国と辿っていくことは可能であり、通常、ガルゴン王国の商船は友好国であるメリエンヌ王国の近海を通って北上する。しかしガルゴン王国の北端はアルマン王国とも近く、その辺りで商船が行方不明になるらしい。
「もしかして、アルマン王国が?」
シノブは、西の海上を制そうと張り合っている両国の衝突ではないかと思った。もっとも、これは彼でなくともエウレア地方の西部の者であれば、誰しも思い浮かべたことであろう。
ガルゴン王国とアルマン王国は、双方とも海上交易が盛んな国である。しかし、両国は海を挟んで隣り合っているため、争いも多いという。
「そういう噂はあります。しかし、確認した者はいないのです」
ナタリオによれば、幾つもの商船隊が未帰還なままだという。しかも、通常なら一隻や二隻は戻って来る筈が、今回に限っては、全滅か無事帰還か、と両極端らしい。そうなると、当然、人為的な介入を疑いたくなるであろう。
「カルリエド大使は、私が何か知っていることは無いか、と思ったようです。それと、海竜に接するときに、何か新たな情報を得られないかと考えたようで……いくら何でも邪神や海の魔獣が関係しているとは思えませんが。しかし、私ごときが海竜殿に、気軽に尋ねることも出来ませんし……」
ナタリオは、僅かに苦笑しながら説明を締めくくった。どうも、大使は今までに無い事態に、帝国の神が介入している可能性まで考えたようである。もっとも、ナタリオ自身は、それを信じてはいないらしい。
何しろ、旧帝都から問題の海域までは2000kmもあるし、その間にはメリエンヌ王国が存在する。仮に、そんな向こうまで帝国の神が関与できるのなら、帝国はもっと有利に戦いを進めた筈だ。ナタリオは、そう思ったのだろう。
「ありがとう。海竜には、西で何かあったか聞いておくよ。いや心配しなくても良い、ガルゴン王国のことは持ち出さないから」
シノブは、ナタリオが案じていたことがわかり、安堵していた。自分なら、海竜に思念で密かに訊くことは出来るから、もし詳しく事情を尋ねるとしても、問題は無い。むしろ、そんなことで良ければ早く言ってくれれば良いのにとすら、シノブは感じていた。
「すみません、シノブ様のお力に頼って良いものかと思いまして……」
「私は君やアリーチェのことを友人だと思っているよ。だから、遠慮しないで相談してほしい。もちろん協力できないこともあるだろうけど、なるべく力になりたいからね」
頭を下げるナタリオに、シノブは柔らかく微笑んだ。
シノブは、この真っ直ぐな若者を気に入っていた。もっとも若者といっても十六歳のナタリオは、シノブより三歳年下なだけだ。そして歳も近く、家臣や主君といった上下関係も無いナタリオは、ある意味シノブにとって得がたい存在であった。
そのためシノブは、自身が口にしたように出来ることであれば助けたいと思っていたのだ。
「ありがとうございます!」
「いや、良いんだ。あと、ガルゴン王国に行ったときには、カンビーニ王国と同じようにするつもりだ。もちろん後に回したお詫びもするよ……さて、試しの応援に戻ろうか」
シノブは、礼を言うナタリオの肩を叩きながら、彼の耳元でそっと囁いた。それを聞いたナタリオは、ますます表情を明るくする。
そして二人は、肩を並べてシャルロット達が待つ一角に行くと、船縁から身を乗り出すようにしながら、海竜達と二人の獅子の獣人が潜る大海原へと視線を向けた。
◆ ◆ ◆ ◆
「……戻ってきます!」
一同に海中の様子を説明していたアミィは、今までと違った嬉しげな様子で声を上げていた。彼女は明確には伝えないが、もしかすると魔力の様子か海中の動きから、試しが終わったと思ったのかもしれない。
既に、試しの開始から小一時間が過ぎていた。その間、幾度か海面に浮上したから、レオン二十一世やシルヴェリオは息継ぎくらい出来たであろう。
しかし、海上にいた時間はそれほど長くは無い。ある時は飛び跳ねる僅かな間だけ、ある時は海面を疾走する多少の時間と程度は違うものの、正に最低限というのが相応しい短さであった。
そして、長時間海中にいれば、体温は奪われていく。海中を猛烈な速度で移動する海竜の背に乗り続けるには、体温の低下は呼吸の制約と同じくらい、大きな障害であったに違いない。
「ああっ!」
「二人とも無事じゃ!」
王妃達の安堵の叫びと同時に、アルストーネ公爵フィオリーナも歓喜の声を上げていた。彼女達が相好を崩すのも無理はない。浮上した二頭の海竜ヴォロスとウーロは、それまでとは違い、ゆっくりと磐船に向かって近づいてきたからだ。どうやら、国王達への試しは無事に終わったようだ。
「あれは、何じゃろうか?」
「貝ですよね?」
フィオリーナの娘マリエッタと、その弟テレンツィオは、二頭の海竜の口元に顔を向けていた。テレンツィオが言うように、ヴォロスとウーロは双方とも巨大な貝を咥えていたのだ。
貝の大きさは、直径2mを大幅に超えるのではないだろうか。少なくとも、海竜の顔の幅よりも大きいのは間違いない。
「あれは深海シャコ貝です!」
「あの大きさなら……いや、必ずあるとも限りませんが……」
興奮した様子で叫んだのはロマニーノ、隣では彼の叔父アルバーノが感嘆した様子で唸る。どうやら深海シャコ貝は、単に大きいだけではないらしい。
「アルバーノ、深海シャコ貝とは何なのですか?」
「失礼しました。あれは、非常に大きな真珠を作る貝です。あれなら直径10cmでもありえます。もっとも、真珠を持っていれば、ですが」
アルバーノは、シャルロットの問いに答えて女性陣に説明を始める。
深海シャコ貝とは、実際には深海というほど深いところに棲むわけではない。とはいえ、深さ150mから200mほどにいることが多く、そう滅多には発見できない。そして、最大で貝殻の幅が3m近くにもなる深海シャコ貝は、稀に真珠を含んでいる。
ただし、真珠が出来る確率はかなり低いらしい。それに、その深さまで潜れるものも限られているし、潜れたとしても巨大な貝を引き上げるには手間がかかる。したがって、深海シャコ貝から真珠を得ることは、非常に難しいという。
「まあ……」
「でも、ヴォロスさんとウーロさんが持ってくるぐらいですから、もしかして!」
やはり、女性は宝石の類が好きなのであろう。セレスティーヌやミュリエルは、瞳を輝かせてアルバーノの話に聞き入っている。それに、シャルロットも何となく興味ありげな様子である。
──『光の使い』よ、試しは終わった。我らは、獣人の長の勇気と力を認めよう──
──私達が直接手を貸すことはありませんが、この者達の航海を邪魔する魔獣の排除はしましょう──
ヴォロスとウーロは海面から宙に浮上しながら、思念と咆哮を発している。海竜も重力を操作できるから、浮遊が可能なのだ。もっとも彼らが宙を飛ぶことは少なく、通常は陸に上がるときの補助として使う程度のようだ。
海竜達は口に大きな貝を咥えたままだから、発した音は低く篭っている。しかし音の長短は明確で、語っている内容は『アマノ式伝達法』として充分理解できた。そのためカンビーニ王国の者を中心に、大きな歓声が上がる。
「陛下、殿下、良くぞご無事で! それに、おめでとうございます!」
海竜達は、磐船と同じ高さまで浮上すると、舷側へと身を寄せる。それを迎えるのは、ロマニーノやナザティスタなどのカンビーニの武人である。彼らは、長時間海中にいて真っ青な顔となった国王と王太子に、手を差し伸べた。
「おお、海水は冷たかったが中々爽快だったぞ!」
「父上の言う通りだ! 滅多に出来ぬ体験であった!」
レオン二十一世とシルヴェリオは蒼白な顔をしながらも、国を率いる者に相応しい威厳を保ちながら、試練を乗り越えた喜びを表す。そして彼らが甲板に飛び移ると、武人達は急いで二人の体を拭いていく。
「陛下、シルヴェリオ殿。船室で着替えては如何でしょう?」
シノブは、冷え切った二人を案じ着替えを提案した。何しろ、一時間近くも海中にいたのだ。早く温まった方が良いのは確かである。
「いや、深海シャコ貝が気になる」
「ええ、ヴォロス殿達が獲ったのです、きっと真珠が入っているかと」
二人は青ざめた唇で返答した。やはり、かなり冷え切っているのだろう。家臣の前だからか、二人は体の震えを抑えようとしているが、それでも時折大きく身震いしている。
「温まるぞ」
「おお、感謝する!」
「ありがとうございます!」
そんな二人に、イヴァールはセランネ村のウィスキーの入った皮袋を差し出した。ぶっきらぼうな彼の贈り物だが、体温の下がった二人は何より嬉しいものだったようだ。二人は競うように酒を飲み干していく。
「こ、これは!」
「20cm級ですな!」
そうこうしている間に、アルノーとアルバーノが、深海シャコ貝の中から二つの巨大な真珠を取り出していた。彼らは、それぞれ貝殻の間に小剣を差し込み、貝柱を切断したのだ。そのため二つの深海シャコ貝は、大きく口を開けている。
二人は途轍もない大きさの真珠をアリエルとミレーユに手渡すと、更に深海シャコ貝の中を漁っている。
──獣人の長と跡取りよ。それは我らからの贈り物だ。最後の潜水、良く耐えたな──
どうやら、ヴォロスとウーロは、試しと同時に深海シャコ貝を探していたようだ。深海シャコ貝は魔獣ではないが、この世界の生き物は、多かれ少なかれ魔力を持っている。そして多くの場合、体が大きければ大きいほど、保有する魔力も多いらしい。
したがって、魔力を敏感に察する竜達であれば、深海シャコ貝の発見も容易なのだろう。
「まだ小さな真珠が……」
「小さいといっても、これらも直径3cmはありますな……」
アルノーとアルバーノは、更に十数個の真珠を取り出していた。これらは、最初の二つに比べれば格段に小さいが、それでも並のものからすれば別格に大きな品である。
──それは皆で分けたら良いでしょう。貴女達は、そういう物が好きなのでしょう?──
ウーロの咆哮を聞いた女性陣は、歓喜の声を上げていた。シャルロット達やカンビーニ王家の女性達全員で分けても、この数なら一個ずつは行き渡る。
──私の分は無いのですか? その球、キラキラして気になります──
アリエルとミレーユが持つ巨大な宝玉に接近しつつ思念を発したのは、フェイニーであった。彼女には、大きな真珠が遊び道具に見えたのかもしれない。確かに直径20cmを超える球は、シノブにはバレーボールの球のようにも見えた。
「フェイニー、あれは遊ぶにはちょっと高価だと思うよ。でも、君が遊ぶ道具を作るのも面白いかもね」
バレーボールやバスケットボール、それに野球やサッカーなど。シノブは自身が良く知る球技を思い浮かべた。
明日の競技大会には、そういった複雑なルールの競技は含まれていない。しかし将来は地球にあった球技を広めてみるのも面白いと、シノブは思ったのだ。
この世界の高い身体能力を持つ人々が行う球技がどんなものになるか。シノブは不満げなフェイニーを撫でながら、微笑みと共に想像していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年9月28日17時の更新となります。