13.23 南海からの使者 前編
光翔虎という存在は、カンビーニ王家にとって神に次いで崇めるべき存在らしい。もちろん光り輝く巨獣が何百年も生き人間では到底及ばぬ能力を持つとはいえ、神々と比することは出来ない。しかし光翔虎を聖獣と呼ぶ国王達からは、彼らを神の使いというべき存在と考えていることが見て取れる。
だが、それも当然であろう。一般には伝わっていないが、カンビーニ王国の建国には光翔虎が関わっていたのだ。
カンビーニ王国の初代国王レオン一世は、今からおよそ五百八十年前、創世暦418年に、都市国家カンビーノの有力貴族カンビーニ家の跡取りとして生まれた。なお、都市国家カンビーノとは、現在の王都カンビーノの元となった街である。
カンビーニ家は都市国家カンビーノを興した名家であり、嫡男であるレオンは、将来都市国家を率いる一人となるべき存在であった。そのため、彼は幼い頃から統治者としての教育を受けてきたという。
もっとも、力を尊ぶ獣人族のことだ。レオンが受けた教育の中には、当然武術の修行も入っている。獣人族の場合、いくら血筋が良くても武力が一定以上の水準に達しないことには、家を継げないこともあるのだ。
しかし、才能にも恵まれ人一倍鍛錬にも励んだレオンは、若くして頭角を現した。彼が二十歳になるころにはミーオ半島、後世ではカンビーニ半島と呼ばれる地域で、レオン・デ・カンビーニの名を知らぬ者はいないまでになっていた。
成長し名を上げたレオンは、創世暦440年頃に聖人ストレガーノ・ボルペと出会い、セントロ大森林の中央を目指すことになる。聖人はレオンに、大森林の中心で新たな力を得ることが出来る、という神託を授けたのだ。
もっともレオンや聖人は大森林遠征の理由を公にしなかった。そのため世間には、半島一の勇者であることを示そうとしたレオンが、誰も到達したことの無い大森林の中央を制して己の武威を誇示しようと考えた、と伝わっている。
それはともかく、レオンと聖人は首尾よく大森林の奥に到達し、光翔虎の棲家が存在する結界に侵入した。光翔虎の結界は竜のものと同様で、神の眷属に匹敵する力がないと突破できない。おそらく、ストレガーノ・ボルペが導かなければ、いくらレオンが強くても侵入不可能であっただろう。
そして、多くの苦難の末にレオンは結界の中心に辿り着き、そこで彼は半島を纏めるに相応しい人物と光翔虎に認められ、新たな力を得た。これが、半島統一を目指すレオンに神々が与えた試練の真実である。
ただし、それらは後のカンビーニ王家でも最大の秘事とされているようだ。
一般にはレオンはアムテリアの強い加護を持っていたから半島を統一できたとされ、王族でも光翔虎について知る者は少なく、国王や王太子以外は森の奥に聖獣がいると聞いていただけであった。シノブも光翔虎のバージから聞かなければ、その背景を知ることは無かっただろう。
シノブが出会った光翔虎バージによれば、レオンを大森林への冒険行で試そうとしたのは、戦いの神ポヴォールだという。ポヴォールはレオンがアムテリアの加護を授かるに相応しい人物か見極めるために、冒険という苦難を用意したようだ。加護は自分の力で勝ち取れという辺りは、やはり戦の神と言うべきであろうか。
なお、レオンに力を授けた光翔虎は、バージの父親だ。そのためバージも伝説の真実を知っていたのだ。
いずれにせよ、そのような経緯からすれば、国王レオン二十一世や王太子シルヴェリオが、光翔虎から穢れを祓い元の姿に戻したシノブやアミィを、国の恩人として下にも置かぬ扱いをするのは、無理も無いだろう。何しろ、彼らにとって光翔虎は建国王を導いた聖獣である。
そのため、光翔虎であるバージ達だけではなく、カンビーニ王家もシノブに深い感謝を捧げていた。彼らは、聖獣を苦しめる原因となった帝国の行いに改めて怒りを表し、旧帝国領の再建に可能な限り協力すると、晩餐の席で何度も誓っていたくらいである。
◆ ◆ ◆ ◆
そのようなこともあり、シノブ達が光翔虎バージ達を連れ帰った翌日の『獅子王城』は、まるで爆発しそうな歓喜と興奮に満ちた場になっていた。
その日は、王都カンビーノの西の港に海竜が訪れることもあり、カンビーニ王国の貴族達は、朝早くから王都カンビーノの中心に聳える『獅子王城』へと参内していた。
しかし、彼らを『獅子王城』で待っていたのは、国王レオン二十一世だけではなかった。王都の民の誇りでもある大天守の前に、国王を始めとする王族やシノブ達が現れると、三頭の白く光り輝く巨大な虎が、イジェやオルムルと共に飛来したのだ。
「皆の者! こちらは、我が父祖であるレオン一世に大神アムテリア様の加護を届けてくださった、光翔虎の皆様だ! バージ殿の御尊父は、『銀獅子レオン』が聖人に助けられセントロ大森林の中央へ赴いた時、この地を纏め平和を齎せという大神のお言葉と共に、祝福を授けて下さったのだ!」
レオン二十一世は、大天守の前に集合した貴顕に対し、王家の秘事としてきた伝説の一端を威厳に満ちた大音声で明かした。
バージの親はレオン一世に力を授けはしたものの、その後は人の世に関与しなかったらしい。そのためレオン一世は、存在を示すことの出来ない光翔虎について語ることは無かったのだろう。
しかし、天空を駆け姿を消せる光翔虎達は、実際には広い範囲を行き来しているようだ。実際に、バージ達の仲間は、セントロ大森林以外にも西のガルゴン王国や東のデルフィナ共和国の森にもいるという。
光翔虎は、岩竜や炎竜とは違い北方には行かないし、海に入ることもないから南の遠洋に棲む海竜とも接点は無い。だが、透明化の術を使える彼らは、エウレア地方の南部の陸地であれば、知らないところが無いくらい、様々な場所に行っているらしい。
もっとも、そんな行動範囲の広さが、帝国の竜人と接触し、竜人化の秘薬の影響を受ける遠因となったのは、何とも皮肉なことである。
「シノブ殿やアミィ殿は、バージ殿達の危機を救ってくださった! それに、竜の方々もだ!」
そして、レオン二十一世は、光翔虎達を穢したのは帝国が作った秘薬であったこと、イジェやオルムルから知らせを受けたシノブ達が、その穢れを祓ったことを居並ぶ者達に伝えた。
「何と……」
「我らカンビーニをお守り下さる光翔虎様を穢すとは……」
レオン二十一世の話を聞いている貴族や軍人、内政官達は、怒りに顔を歪めていた。
光翔虎は建国王レオン一世に力を授けただけで、その後のカンビーニ王国に関わらなかったという。とはいえ彼らにとって光翔虎は、建国伝説の裏にいた存在、しかも神の使徒ともいうべき聖獣だ。そのため彼らは、自国の聖なる存在を苦しめた帝国に、並々ならぬ憤りを感じたのだろう。
「シノブ様を、お助けして彼の地の再建をしなくてはな……」
「そのとおりですな!」
しかし、カンビーニ王国を支える彼らの憤慨は、シノブにとって思わぬ助けとなったようだ。伝説の陰にいた聖獣を助けたシノブは、前日の神殿経由の転移が可能となった一件もあり、ますます彼らの尊敬を得たようである。
「自分の身を守っただけなのに、少し恥ずかしい気もするね」
アムテリアが授けてくれた治癒の魔道具が無かったら、光翔虎を倒すしかなかった筈だ。そう思っていたシノブは、彼らの賞賛の視線に照れくささを隠せなかった。
「ですが、バージ殿達を助けたのは事実ですから」
隣に立つシャルロットには、シノブの囁きが聞こえていたようだ。夫と同じくらいの小声で言葉を返した彼女は、国王や王族の後ろに並ぶ三頭の巨獣へと視線を向けた。
国王のちょうど後ろには、まだ子供のフェイニー、そして両脇には父親のバージと母親のパーフが、腰を落として身じろぎもせずに控えている。なお昨日は腕輪の力で小さくなってシノブに甘えていたフェイニーだが、元の大きさで堂々と座ると両親と同じく聖獣というべき風格があった。
「バージ殿達は、これまでと変わらずセントロ大森林にて過ごされる。とはいえ、竜の方々も人と交流する時代だ。そのためバージ殿も、我らと言葉を交わし手を携えていこうと仰せである!」
高らかに宣言したレオン二十一世は、斜め後ろのバージへと振り向き見上げる。
腰を落とし座るバージだが、尻尾を除いても体長20mほどの巨体である。そのため彼の巨大な顔は、背後の大天守の二階よりも高かった。
──我は光翔虎のバージだ。今回『光の使い』に助けられ、人と言葉を交わす術を覚えた。今後も我らは森の奥で暮らすが、邪悪な力を排し、世を良くするためなら力を貸そう──
バージは覚えたての『アマノ式伝達法』を使い、自身の咆哮で意思を表した。しかも彼は『光の使い』というところを、『祝福されし者』と言い換えていた。どうやらシノブが『光の使い』という名を伏せることを望んでいると、イジェかオルムルから聞いたようだ。
──私達は、バージ殿の決断に敬意を表します──
バージに続いたのは、シノブの後ろに鎮座する炎竜のイジェだ。彼女は轟く叫びで歓迎の意を示す。
イジェの横にはオルムル、そしてシュメイやファーヴもいる。三頭の子竜もイジェに続いて首をもたげ、歓喜の叫びを上げていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は、午後から王都カンビーノの港に移動した。
カンビーノは、海に面した丘の上にある古くからの都市と、それよりは若干新しい港町の二つで構成されている。もっとも、どちらも五百年以上の歴史を持つ街であり、王都に相応しい落ち着いた佇まいだ。なお、カンビーノの民は、丘の上の都市を都、港町を港、と呼び分けるという。
その王都の民が都と呼ぶ丘の上の都市は『獅子王城』を中心に整然と整備されたものだ。円形の都市の周囲には高い城壁が築かれ、内部も東西南北に伸びる大通りなどで、綺麗に区画が分けられている。
それに対し、港町の方は、岬や湾などの元からの地形を活かしていることもあり、どちらかといえば不規則な造りである。港に相応しい場所や、船の整備のしやすさなどもあるから、単に幾何学的に配置すれば良いというものでもないのだろう。
カンビーノの港は、漁港であり貿易港であり軍港でもあった。西に口を開けた大きな湾の中央部が貿易港、そこから北の一部が軍港、南側と北端は漁港である。
湾の外側はシュドメル海だ。カンビーニ半島の西にはシュドメル海を挟んでガルゴン半島、つまりガルゴン王国があり、北側がメリエンヌ王国で、これまた南に出口を持つ巨大な湾状の内海となっている。そのため、カンビーノの港は三国を行き交う交易船で、いつも賑わっている。
したがって、港で最も多くの場所を占めているのは、貿易港としての区画であった。湾内では、港を埋め尽くすように接岸している太い船体の交易船や、入出港をする荷を満載した無数の船が、目立っている。
もっとも、そのように落ち着いて湾内の帆船を見ているのは、シノブ達くらいである。何故なら、港に向かう一行は、炎竜イジェや光翔虎のバージとパーフを伴っていたからだ。
「おお! あれが竜か!」
「馬鹿! イジェ様と呼びな!」
「あのでっかい虎は何だ!?」
「光翔虎様だよ! 知らないのか!? ええっと……そうそう、バージ様とパーフ様って言うらしいぞ!」
行列の先頭から、騎士の乗る軍馬の隊列、王族達が乗る馬車、シノブ達賓客が乗る馬車、そして炎竜イジェに二頭の光翔虎と続き、また騎士達となっている。そのため、普段なら騎士や馬車に目を向ける人々も、今回はそれどころではないようだ。
街の者達も、シノブ達が炎竜イジェの運ぶ磐船で飛来した姿を見ている。そのため、イジェについては知っている者が多い。それに比べて、光翔虎については、朝早く王都や港に通達されたものの、まだ知名度が低いようだ。
「なんて神々しい……」
「ああ、神々の御紋だからな。イジェ様も、光翔虎様も……」
通りの両脇にいる者達が、うっとりと見惚れ呟くように、イジェだけではなく、光翔虎のバージとパーフにも装具と神々の御紋を装着していた。実は、子供の光翔虎フェイニーの小さくなる腕輪と共に、三頭の装具や御紋も魔法のカバンに入っていたのだ。
光翔虎の装具は、首元から胸の前にかけてを革布で覆い、それを前足や肩に太い革紐で固定するようなものであった。そして、前面を覆う革布の中央に神々の御紋が装着されている。なお、御紋の大きさ自体は、竜のものと変わりが無い。
三頭の巨獣が付けている御紋は、うっすらと光を放っている。これは御紋の光があると、馬なども怯えないからだ。どうも御紋の光が神聖なものだというのは、軍馬などにも理解できるらしい。この世界の全ての生き物はアムテリアが創ったからであろうか。
なお、御紋の光は弱くても良いらしく、三頭は僅かに魔力を込めているだけのようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
──お父さま、お母さま、いいなぁ~──
「フェイニーさん、顔を出したら危ないですよ」
馬車の窓から外を覗こうとするのは、腕輪の力で小さくなったフェイニーだ。そして、彼女を押し留めるのはミュリエルである。
「御紋のお陰で一緒に行けて良かったですね」
こちらは、オルムルを抱いたシャルロットだ。彼女は、半年以上先に生まれる我が子のように、猫ほどの大きさに変じた岩竜の子をいとおしげに撫でている。
「シャルお姉さまの言う通りですわ! もし御紋がなければ、姿を消したまま空から来て頂くしかないですから! これも、シノブ様のお陰ですわね!」
こちらは、同じく小さくなったシュメイを抱いたセレスティーヌである。彼女は、腕の中のシュメイと似た色合いの薄桃色のドレスを着ている。
なお、悪戯っぽくシノブに笑いかけたセレスティーヌだが、神々の御紋や装具があることを喜びこそすれど、それがいつ、どのように授かったかについて訊ねることはなかった。シノブが単にアムテリアの加護を授かっただけではないと、彼女も気が付いているからだろう。
彼女は、シノブが他に例の無い存在だと察しているようだが、それを気に掛けることは無いらしい。むしろ、神に特別に愛された者と近しく接することが出来て嬉しく思っているように見える。
「カンビーニ王国が良い国だからじゃないかな?」
シノブは、素知らぬ振りをしながら、セレスティーヌに言葉を返した。そして彼は、ファーヴの前足をあやすように振りながら魔力を注いでいく。竜の子にも雄と雌で違いがあるのか、ファーヴは静かに抱かれるよりは、このような遊び半分の構い方を好むようである。
なお、ファーヴだけは、腕輪を授かっていないから元のままである。そのため、年長のオルムルやシュメイが猫ほどの大きさになっているのに対し、彼だけは人間の幼児ほどもある。
実は、ファーヴはフェイニーまで腕輪を授かったことが羨ましくて仕方ないらしい。そこで、シノブは彼を宥めるために自身の膝に乗せて魔力を注いでいるわけだ。
「シノブ殿がいれば、カンビーニ王国は幾らでも良い国になりますよ。お陰で内政官や商人の相手も、とても楽でした」
「貴方……」
マリアン伯爵の継嗣ブリュノは、冗談めかした口調でシノブに語りかけた。そんな彼の隣では、妻のグレースが苦笑している。
ブリュノは、家臣のバティスールやシノブの家臣達と共に、旧帝国領に関する様々な協議をカンビーニ王国の内政官と行っていた。新たな土地への支援や参入の条件、交易についての取り決め、人材の派遣や交流などである。更にブリュノは、シノブが連れてきた商人達と共に、カンビーニ王国の商人達の下も回っていた。
要するに、シノブ達が王家の狩猟場で狩りを楽しんでいる間に、ブリュノ達は、忙しく働いていたわけだ。しかし、彼が言うように、それらの仕事は順調だったらしい。どうやら、竜に運ばれた船で王城に乗りつけ、神殿で奇跡を起こし、というシノブの姿は、内政官や商人達に大きな衝撃を与えたようである。
「私がやったことで皆さんの仕事が楽になったなら、とても嬉しいですね」
シノブは、僅かに頬を染めながらも、ブリュノの賞賛を素直に喜ぶことにした。ベルレアン伯爵や、先代アシャール公爵ベランジェは、清濁併せ呑むというか、利用できるものは何でも利用するような合理的なところがあった。シノブは、旧帝国を立て直すには、彼らのように貪欲にならなくては、と思い始めていたのだ。
「ええ、大いに助けて頂きました。唯一困ったのは、向こうに行きたいという人が多すぎることですね」
「その辺りは、明日の競技大会ですね」
途中から少々真顔となったブリュノに、シノブは同じような顔をしながら言葉を返した。もっとも、彼の腕の中には、相変わらず岩竜の子ファーヴがいるし、ファーヴは可愛らしい鳴き声を上げながらシノブと戯れている。そのため、あまり深刻な感じはしない。
それはともかく、シノブが言う競技大会には、大勢の武人や見習いが名乗りを上げているらしい。彼らは、旧帝国で職を得て、一旗揚げようと考えているのだろう。
確かに、フライユ伯爵領や旧帝国領では、傭兵や解放された獣人達が、軍人などとして働いている。そのため、軍人志望の者や、既に職に就いていても今以上の地位を望む者が、新たな地に行こうとしているのだ。しかも、文官や商人達も、似たような状況だという。
とはいえ、シノブ達も無制限に受け入れるわけにはいかない。そこで、シノブの家臣など、旧帝国で実際に活躍した者の実力を見せ付けることで一種の選別とし、更に採用者についても先任者を尊ぶように誘導しようとなったのだ。
「皆、張り切っていますよ。ミレーユは弓と槍、それに乗馬に出るそうです。それに、アルノーが小剣と走力、アルバーノは素手の格闘と跳躍ですか。イヴァール殿は、戦槌投げなどですね」
シャルロットは、側近であるミレーユなどの名前を挙げていく。
今回、シノブは武術以外にも幾つかの競技を提案していた。シャルロットが言う、走力、跳躍、戦槌投げは、地球でいう100m走や高跳び、ハンマー投げに相当する競技である。シノブは、戦に使う技だけではなく、純粋に身体技能を競う種目も、重要だと考えたのだ。
帝国との戦いも終わり、平和な世の中になっていく。いや、そうしなくてはならない。そして平和な時代には、それに相応しい競い方がある。この競技大会が、純粋に身体能力を競い楽しむ時代の始まりとなってほしい。シノブは、そう願っていた。
──海に着きました! もうすぐ海竜に会えるんですね!──
──はい! 海竜の皆さんは、とっても大きいですよ!──
明日の競技大会に思いを巡らせていたシノブだが、フェイニーとオルムルの思念に窓外へと視線を向けた。
そこには、眩しい日差しに煌めく紺碧の海が広がっていた。いつの間にか馬車は港に着いていたのだ。
シノブの膝の上でも、ファーヴが興奮したように体を動かす。そこでシノブは彼に海を見せるべく、幼竜の丸っこい体を持ち上げていった。
◆ ◆ ◆ ◆
王都カンビーノの港、通称カンビーノ港は、両端の岬で外海から守られている。湾内の10km近い海岸は、大部分が港として整備され、自然のままのところは少ない。とはいえ、広い湾を存分に使った港には充分にゆとりがある。そのため、軍港に貿易港、漁港と複数の機能を持っていても、混乱することはなかった。
シノブ達が着いたのは、北側の軍港である。そこには、メリエンヌ王国の港湾都市ブリュニョンで見たような、大型の帆船が何十隻も浮かんでいた。
それらの帆船は、当然軍艦であり、舷側には大型弩砲の矢を発射するための窓が存在する。もっとも、今日はそれらは閉じられており、それぞれの軍艦の上には、正装した軍人達が静かに並んでいるだけだ。
なお、軍艦のうち殆どは、軍港から湾の出口近くまで並んでいた。それらの船は、100mほどの間を空けて二列に並んでいる。これは、海竜を安全に迎えるためである。
「おお、あれが海竜か!」
「なんと! 首だけで、マストの半分以上はあるぞ!」
湾の外から、金鵄族のホリィが飛んでくると、その後ろの海面から二つの塔のようなものが現れた。もちろん、海竜の長老と番である。
海竜は、長時間潜水することが可能である。そのため、長老とその番は、時々呼吸のために海面に顔を出すだけで、ほぼ全てを潜行したままカンビーノ港に来たのだ。
海竜は首長竜のような外見をしている。つまり、胴体から長い首が生え、四肢は鰭という姿である。彼らは成竜になると体長40mほどにもなるが、その半分が頭と首だ。したがって、居並ぶ軍人達が叫んだように、およそ20mもの長い首が海面から突き出している。
そして二頭の海竜は、何十隻もの軍艦が作る花道を、ゆっくりと進んでくる。深い青の首を海面から出し、その後ろに大きな背中を浮かべる二頭からは、正に海の長老というべき威厳が感じられる。
──シノブ様、お待たせしました!──
ホリィは海竜達を引き離し、一気にシノブ達の下へとやってきた。そして彼女は、アミィの腕に舞い降りたと同時に、シノブに思念を発する。
「ご苦労様、ちょうど良い時間だよ」
シノブは、予定通りの時間に海竜達を連れてきたホリィに労いの言葉をかけ、頭を撫でた。するとホリィは、青い体を震わせながら、ピィピィと気持ち良さそうに鳴き声を上げる。
そんな主従の姿に、シノブの周囲にいる者達も、自然と笑みを浮かべていた。今、彼らの近くには、シャルロットやミュリエル、そしてセレスティーヌ、更に脇にはブリュノと妻のグレースがいる。また、彼らの後方には、竜達や光翔虎達も控えている。
なお、カンビーニ王家の者達もシノブの近くにいるのだが、こちらは少々緊張した面持ちだ。国王レオン二十一世、王太子シルヴェリオ、それぞれの夫人などの家族。そのいずれもが、程度の差はあれど顔を強張らせている。
「あれが、海竜なのじゃな……」
「何と大きいのじゃ……首だけでイジェ殿やバージ殿達と同じくらいあるのじゃ……」
直系王族の側には、当然アルストーネ公爵フィオリーナや、娘のマリエッタもいる。もちろん、マリエッタの弟のテレンツィオもいるのだが、こちらは驚きのあまりか声が出ないようだ。
「……シルヴェリオ、行くぞ」
「はい、父上」
国王レオン二十一世は、静かに息子に語りかけると、岸壁の方に歩き出した。穏やかな海風に銀髪を靡かせた獅子の獣人の親子は、内心の固い決意を示すかのように鋭い表情で、海竜達を見つめながら進んでいく。
「それじゃ、シャルロット。行ってくるよ」
そして、シノブも歩み出す。アミィとホリィを従えた彼は、レオン二十一世やシルヴェリオと並んで海に近づいていく。といっても、こちらは普段と同じ穏やかな顔のままだ。何故なら、海竜の試練を受けるのは、カンビーニ国王とその息子だからだ。
シノブは、既に別の海竜、レヴィとイアスや彼らの子供のリタンと会って誼を結んでいる。しかも、それはレヴィ達だけではなく、全ての海竜との友好を約束するものだった。
何しろ、シノブは最高神であるアムテリアの血族である。シノブは竜達には自身の来歴を隠さず伝えている。そのため海竜の長老も、まだ会ったことも無いシノブの要請であっても快く了承したのだ。
しかし、海竜達にとっては、カンビーニ王国の王や民は、ただの人間にすぎない。それ故彼らは、信頼できる相手か見定めるために、国王達を試すことにしたようだ。
──『光の使い』よ、お初にお目にかかる。我が海竜の長ヴォロス。こちらは番のウーロだ──
海竜の長老ヴォロスはレヴィ達から『アマノ式伝達法』を教わっていたようで、恐ろしげな咆哮で流暢に自己紹介をする。なお例によって『光の使い』というところだけ、伝達法では『竜の友』と言い換えている。
「わざわざ来てもらって済まなかったね」
シノブは頭を近づけるヴォロスとウーロに、温かな笑みとともに語りかけた。そして彼は二頭の鼻先に順に手をやり、そっと撫でる。
──さて、獣人の長よ。我ら海竜の知遇を得たければ、そなたとその跡取りは試しを受けねばならぬ。さあ、どうする?──
二頭はシノブの手から名残惜しそうに離れ、再び顔を起こした。そしてヴォロスはレオン二十一世を真っ直ぐ見つめると、雷鳴のような叫びで試練を受けるかと問いかけた。
「望むところだ! どんな試練でも受けるぞ!」
「はい! ヴォロス殿、私も覚悟は出来ています!」
国王と王太子は、臆することなく自身の決意を宣言すると、一歩前に進み出た。彼らの表情には、言葉通りの固い決意が滲んでおり、現国王と次期国王に相応しい堂々たる態度であった。
──その意気や良し! ならば、そなた達に与える試練について説明しよう──
二人の様子にヴォロスは満足したようで、僅かに首をもたげた。そして彼は、二人の獅子の獣人に、試練の内容を語りだした。
しかし、その内容を聞くにつれ、カンビーニ王国の者達からは、激しい動揺を示すどよめきが広がっていく。いや、彼らだけではない。シャルロット達メリエンヌ王国の者や、シノブやアミィでさえも、表情を硬くしている。
それもその筈だ。海竜の長老が語った内容は、およそ人間が乗り越えることの出来るものとは、思えなかったのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年9月26日17時の更新となります。