13.21 森から来るもの 後編
「……確かに、この虎みたいな獣からは、あの異形……魔人や翼魔人と同じ気配がするな」
オルムルの説明を聞き終えたシノブは、捕獲した三頭の黒い巨獣の魔力を詳しく探ってみた。すると、彼女が言うように、竜の血で異形と変じた存在、魔人や翼魔人と同じような何かが含まれているように感じる。
戦いの前、獣達が透明化の術で隠れていたときには、大部分の魔力が遮蔽されていたようで、はっきりとしなかった。それに戦闘中に、じっくり敵の魔力を探る余裕は無い。そのためシノブは、オルムルに指摘されるまで気がつかなかった。
しかし、こうやって落ち着いた状態で改めて調べると、確かにベーリンゲン帝国で戦った異形のような魔力波動が微かに混ざっている。
「オルムルは、良くわかりましたね」
馬から降りたシャルロットは、感心したような表情でオルムルを撫でている。彼女は、戦闘中とはいえシノブが感じ取れなかったことを、遠方から飛翔してきたオルムルが察知したことに驚いたのかもしれない。
──竜は同族の魔力に敏感なのです!──
オルムルは、首をもたげて身を起こすと、自慢げな様子で答えた。
竜は魔力で生きる存在だ。それに遠方の仲間と思念でやり取りするため、同族の魔力波動を感知するのは得意だという。
「そうですか」
シャルロットは、オルムルの返答を聞いて得心がいったようだ。なお、オルムルは飛来直後とは違い、思念と『アマノ式伝達法』の双方で答えていた。そのため、他の者も同様に納得の表情となっている。
現在この森林の奥に開けた半径100mほどの草原には、シノブとシャルロット以外に六人がいる。
ミレーユ、イヴァール、エルフのメリーナ、猫の獣人のアルバーノ、そしてフィオリーナとマリエッタの母娘だ。ちなみにフィオリーナとマリエッタも、国王レオン二十一世と同様に『アマノ式伝達法』を習得していたから、オルムルの言葉を問題なく理解している。
「確かに、あの時も相手の姿すら見えなかったのに、ニトラ殿達は明言していましたな」
アルバーノは、帝国との戦いでの出来事を思い出したようだ。彼とイヴァールは、合わせて八頭の馬を近くの立ち木に繋ぐと、こちらに戻ってくる。
炎竜ニトラ達は、帝都ベーリングラード、現在は領都ヴァイトシュタットと呼ばれている場所に攻め入るとき、異形に自身の血が使われていると察知した。その時は、岩で造った竜の像の中から外を飛ぶ翼魔人の正体を見破ったのだから、かなりの距離があっても見分けることが出来るのだろう。
「そういえば、イジェ殿はどうしたのだ?」
ニトラの名が出たためだろう、イヴァールはセントロ大森林の中央からオルムルと共に戻ってきた筈の炎竜イジェのことを思い出したようだ。
オルムルとイジェは、森の中央近くから、ここカンビーニ王家の狩猟場に戻りながら、シノブ達に思念で危険を知らせてきた。しかし、ここにいるのはオルムルだけでイジェの姿は無い。
──イジェさんは、シュメイ達のところに行きました! 向こうには危険は無いはずですけど、念のためです!──
オルムルは、捕らえられた三頭の黒い巨獣へと首を向けながら答えた。彼女によれば、王家の狩猟場の中には、この三頭以外に竜の魔力の混じった生き物はいないらしい。しかし、イジェは万一を考えシュメイやファーヴを守りに戻ったのだろう。
「それは助かる。感謝するぞ」
アルストーネ公爵フィオリーナは、オルムルの言葉に安堵の表情となっていた。
シュメイ達は、彼女の息子テレンツィオと共にいる。テレンツィオは、ミュリエルやセレスティーヌと共に、狩猟場の入り口に近い子供向けの狩場に残っているのだ。
何しろテレンツィオは、まだ六歳だ。姉のマリエッタとは違い、森林大猪や大角鹿相手でも危険である。その彼が、この巨大な獣に襲撃されたら、どうにもならないだろう。
「こんなのが襲ってきたら、大変ですからね~」
「そうですね。でも、このようなものがカンビーニ王国にもいたのですね。巨大な黒い虎、ですか……」
ミレーユは、シノブが捕らえた三頭の巨獣に視線を向けた。そしてメリーナが、どこか意外そうな表情で巨獣を眺めつつ、ミレーユに相槌を打つ。
二人の目の前では、成竜のイジェと同じくらいの二頭の巨獣と、オルムルと近い大きさの一頭が、相変わらずもがいている。もっとも、漆黒の獣達はシノブが作った魔力障壁に閉じ込められており、危険はない。
とはいえ魔力障壁は透明である。この草原に来る者がいたら、三頭の巨獣が暴れ咆哮する姿を見て腰を抜かすか、慌てふためいて逃げ出すだろう。
「……ところで、竜の血の影響を取り除くことは出来ぬのか?」
息子の下にイジェが向かっていると知って頬を緩めたフィオリーナだが、再び真顔になった。彼女は、この巨獣達に、特別な興味を抱いているらしい。
「そうですね……シャルロット、アミィに連絡してくれ。あの魔道具があれば、何とかなるかもしれない」
フィオリーナの言葉に頷いたシノブは、シャルロットにアミィを呼ぶように頼んだ。
アムテリアから新たに授かった治癒の魔道具は、竜人化の解除にも有効だという。そして、治癒の魔道具は、アミィが持つ魔法のカバンに入っているのだ。
なお、竜の血が生き物を凶暴にするのかは判然としない。ただ、岩竜の長老ヴルムは、翼魔人に対し人ほどの知能を感じなかったと指摘した。それが竜の血のせいなのか、あるいは帝国の神や皇帝が作った竜人化の秘薬のせいなのかは不明だが、異形への変化により精神や思考に何らかの影響が出るのではなかろうか。
「わかりました、すぐに伝えます」
シノブの言葉を聞き、シャルロットは急いで紙片に何かを書き付けると、通信筒へと格納する。
アミィには、一旦ミュリエル達を守りに戻ってもらった。しかし、イジェも向かったのであれば、もう呼び戻しても良いだろう。向こうにはアリエルやサディーユ、シヴリーヌなどもいるから、通常の獣や魔獣であれば、彼女達だけで充分対処が出来る筈だ。
「シノブ殿?」
「魔道具とは何なのじゃ?」
しかし、当然ながらフィオリーナやマリエッタは、シノブ達の言葉が何を意味しているか、知る由も無い。二人は、興味深げな様子でシノブを見つめている。既に、神弓や魔法の家を知った彼女達は、次は何が出てくるのかと思ったのだろう、それぞれ金色の瞳を輝かせていた。
「実は、特殊な治癒の魔道具がありまして……ところで、先ほど言われていた聖獣とは何なのですか?」
シノブは、物問いたげなフィオリーナに治癒の魔道具の存在を教えた後、逆に問いかけた。
フィオリーナは、黒い巨獣達を見たときに『聖獣』という言葉を口にした。そのときの様子からすると、聖獣とはカンビーニ王家にとって特別な存在なのだろう。何しろ、竜と同じくらい大きな獣が襲ってくるのに、生け捕れないかと言うくらいだ。
戦いを終えた今、シノブは聖獣について改めて興味を抱いていた。三頭の巨獣は、球状に変形させた魔力障壁で、充分押さえ込めている。そこで、アミィが来るまでに、シノブは概要だけでも聞いておこうと思ったのだ。
そんな彼の思いを読み取ったのか、フィオリーナはシノブ達に聖獣について説明し始めた。それは、娘のマリエッタも知らないことだったのか、彼女も含めて一同は女公爵の話に聞き入っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
カンビーニ王国の初代国王レオン一世は、カンビーニ半島を統一して国王となる前、聖人ストレガーノ・ボルペと共にセントロ大森林の中央に赴いたという。
レオン一世は、元々はカンビーニ半島の小さな都市国家の貴族であった。当時レオン・デ・カンビーニと名乗っていた彼の下に、聖人ストレガーノ・ボルペが訪れ、神託を与えたという。そして、まだ若者であったレオンは、聖人と共にセントロ大森林へと向かったらしい。
「レオン一世陛下は、当時既に半島内では並ぶ者の無い武人として有名であった。しかし、森から戻ってきた陛下は更に強くなったのじゃ」
「うむ! 『銀獅子レオン』の誕生じゃ!」
フィオリーナに続き、娘のマリエッタが満面の笑みと共に建国王の異名を口にした。
カンビーニ王国は、初代国王から現在のレオン二十一世に到るまで、全て銀髪の獅子の獣人が王となってきた。もっとも、彼らはレオン・デ・カンビーニの直系であり、親の容姿が遺伝するのは当然である。
ところで、この世界で人間とされる種族には、人族、獣人族、ドワーフ、エルフの四種族がある。この四種族は両親が異なる種族であっても子孫を残すことが可能で、実際に別種族と結婚している者もいる。なお、その場合、子供は両親のどちらかと同じ種族になり、中間的な種族は存在しない。
例を挙げれば、獅子の獣人フィオリーナの夫は虎の獣人で、娘のマリエッタは虎の獣人、その弟のテレンツィオは獅子の獣人という具合だ。
ちなみに、メリエンヌ王国では他種族との婚姻は少なく、シノブはアデラールの代官であるブレソール・モデューとその妻ポーラくらいしか見たことはない。しかし、カンビーニ王国やガルゴン王国では、さほど稀なものでもないらしい。
それはともかく、実は銀髪の獅子の獣人は、かなり珍しいという。しかしそれも当然で、実はこれはカンビーニ王家に特有の形質であったのだ。
「陛下は、生まれた時は普通の獅子の獣人と同じく金髪じゃった。それが、森から戻ってきたときには、銀髪へと変じていたのじゃ」
マリエッタによれば、レオン一世は銀髪に変じた理由を公にしなかったという。森で大変な苦労をしたから白髪になった、などと冗談めかして言うばかりで、彼は臣下や民に生涯真実を告げなかったのだ。
「じゃがの……父から聞いた話じゃと、髪色が変じたのは森の聖獣に関わりがあるらしいのじゃ」
フィオリーナの父は、現国王レオン二十一世である。どうやらレオン一世は、自身の子供には森での出来事を伝えたようだ。
「は、母上! それは初めて聞いたのじゃ!」
マリエッタは非常に驚いたらしい。彼女は、目を大きく見開き、金色の瞳で母の顔を凝視していた。そして、フィオリーナは驚愕する娘に一瞬視線を向けた後、再び口を開こうとした。
「シノブ、魔法の家を呼び寄せます!」
だが、フィオリーナの説明は、一旦途切れることとなった。シャルロットの宣言と共に、魔法の家が出現したからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
アミィは魔法の家から愛馬フェイと共に現れた。そしてアルバーノにフェイを預けた彼女は、魔法の家をカードに変えてカバンに仕舞い込むと、シノブの下に駆けてきた。
対するシノブは、オルムルやフィオリーナから聞いた話をアミィに伝える。巨獣については、戦いが終わったときに心の声でアミィに伝えていたが、彼女はまだ、その後の話を知らないからだ。
「……えっと、私が使うしかないですよね?」
アミィは、苦笑いというべき微妙な笑みを浮かべ、小首を傾げた。アミィが首を動かすと同時に頭上の狐耳が僅かに揺れて、小柄な彼女の愛らしさを一層引き立てている。
「ああ、頼むよ」
シノブは、薄紫色の瞳で見上げるアミィに真顔で頷いた。
三頭の巨獣を魔力障壁で閉じ込めたままのシノブは、会話くらいならともかく更なる魔術の行使は避けたかった。そして新たに授かった治癒の魔道具は大量の魔力が必要で、今ここにいる者達で使えるのはシノブの他にアミィだけだ。
したがって、シノブがアミィに頼むのは当然ではある。
「わかりました」
アミィはシノブに答えると、魔法のカバンから一本の杖を取り出した。ただし杖といっても短く、十歳の少女ほどの背丈のアミィでも地に突いて歩くのは難しい。
もっとも造りからすると、歩行の補助を意図した杖ではないらしい。先端には七色に煌めく大きな宝玉があり、周囲には錫杖のように飾りの環が幾つも付いた儀式用らしき品だ。柄はミスリルに似た光沢のある金属だが、うっすらと桃色がかった色が特徴的である。
全体として、どことなく可愛らしさが漂う杖は、魔道具であるためか実用品というより一種の装飾品のようでもあった。
治癒の杖を携えたアミィは、三頭の巨獣の前に進み出た。
魔力障壁で動きを封じられた巨獣達は、横一直線に並んでいる。全長20mの成竜イジェに匹敵する二頭の間に、まだ体長3mを幾らか超えたオルムルと同じくらいの一頭だ。
そして三頭の獣は近づくアミィに襲い掛かろうと思ったのか、最前よりも激しく暴れ吼え狂う。
「大神アムテリア様の僕が願い奉る! この哀れな獣達を元の姿に戻し給え!」
アミィは治癒の杖を高々と天に翳し、凛とした声で巨獣達の快癒を願った。次に彼女は杖を四方に打ち振ると、続けて円を描くように体を翻す。そして彼女は再び正面を向くと、巨獣達に宝玉の付いた先端を向けた。
すると七色に輝く宝玉から虹のような光が放たれ、三頭の漆黒の獣達を包み込んでいく。
「なんと美しい光なのじゃ……」
「ほんにのう……」
マリエッタとフィオリーナは玄妙な光に目を奪われたのか、光に包まれる虎に似た巨獣達を見つめていた。だが、彼女達が感嘆するのは無理もない。神々の御紋から放たれる輝きにも似た神秘の光からは、畏れ敬うべき何かが感じられたからだ。
「動きが止まりましたね!」
「何だか、色が薄れてきたような……」
ミレーユとメリーナが言うように、光を受けた三頭の獣は、先ほどまでのように暴れたり吼えたりすることはなく、魔力障壁の中でじっとしていた。そして眩しい光で判別しがたいが、確かに体の色が薄れてきたように見える。
「シノブよ。あの杖は、お主には似合わんな」
「確かに……いえ、何でもありません!」
イヴァールは、繊細な装飾が施された治癒の杖と、アミィの舞のような動作を見たせいか、どこか穏やかな口調でシノブに語りかけた。そして、その横ではアルバーノが頷きかけたが、途中で留まり慌てたように首を振っている。
「シノブ。まさか、アミィに任せたのは?」
「……まあ、良いじゃないか。それに、俺が魔力障壁の維持をしないといけないのは事実なんだし」
深い湖水のような瞳に、どこか楽しげな色を浮かべて微笑むシャルロットに、シノブも笑みを返した。そして僅かに頬を染めたシノブは、宝玉から放たれた光を受けて眩しく輝く愛妻のプラチナブロンドを、優しく撫でる。
──竜の血の影響が消えました!──
シノブ達には構わず巨獣を見つめていたオルムルは、唐突に歓喜の叫びを上げる。
天まで届くようなオルムルの祝声が響いた直後、治癒の杖が放つ光は不意に消え去った。そして神秘の光が失せた場所には、真白に輝く三頭の巨獣が佇んでいた。
◆ ◆ ◆ ◆
──そなたは……まさか、あのストレガーノ・ボルペと名乗った者と同じなのか?──
光り輝く虎のような巨獣のうち一頭は、治癒の杖を降ろしたアミィへと、思念を発した。やはり、彼らは思念で会話することが出来たのだ。
巨獣の思念から、シノブは威厳のある男性のような雰囲気を感じ取った。なお、思念での交信はシノブとアミィ、オルムルにしか出来ないから、他の者には巨獣の咆哮しか聞こえていない。
──はい。私もアムテリア様の眷属で、アミィと言います。貴方は?──
アミィは、巨獣に自身の出自を明かした。
フィオリーナの話からすると、レオン一世と聖人ストレガーノ・ボルペが、セントロ大森林の中央で眼前の巨獣か親などと会ったのは間違いないだろう。それであれば、闇の使いアーボイトスと名乗った眷属が岩竜ガンドやその親達に正体を教えたのと同様に、ストレガーノ・ボルペも巨獣に真実を伝えたのではないか。
おそらく、アミィはそう考えたのだろう。そして、彼女の想像は当たっていたようだ。
──おお……我は光翔虎のバージ。これは我が番のパーフに、我らが子のフェイニーだ──
バージと名乗った巨獣は、安堵したようにその場に伏せた。そして、残りの二頭、パーフとフェイニーも同じく崩れ落ちるように身を伏せる。もしかすると、竜の血の影響は無くなったものの、かなりの体力を消耗しているのかもしれない。
──私達を助けてくださり、ありがとうございます──
──ありがとうございます! ところで、あの人は? それに、あちらの方は竜ですか?──
パーフはバージと同様に頭を下げるが、フェイニーという子供の光翔虎は、興味深げな様子でシノブとオルムルを見つめている。
──ああ、俺は……──
──私は岩竜の子オルムルです! そして、こちらが『光の使い』シノブさんです! アムテリア様の血を受け継ぐ凄い方です! 実は、私達は……──
魔力障壁を解除したシノブが何と説明しようかと考えつつ思念を発すると、その間に感動した様子のオルムルが一気に説明をしていく。
「シノブ、彼らは何と言っているのですか? それに、どういう存在なのですか?」
シャルロットは、シノブ達の様子から、思念を交わしていると察したのだろう。彼女は、シノブに巨獣達の正体を尋ねかけた。
「ああ、バージ達は光翔虎と言うらしい」
シノブは、バージ達とのやり取りはオルムルとアミィに任せ、彼女達が聞き取ったことを一同に説明していく。
三頭の光翔虎は、バージが六百歳を超えた雄、パーフが百歳ほど年下の雌、そして二頭の子供フェイニーはまだ生後五ヶ月程度の雌であった。
彼らはセントロ大森林の中央に棲家を構え、その周囲を竜と同等の結界で囲っているという。そのため、常人では彼らの棲家に近づくことは出来なかったのだ。
普段、三頭はセントロ大森林の中央部で生活している。これも竜と同じく、成獣になると自然の魔力を吸収するだけで生きていけるが、子供のうちは生きた魔獣から魔力を得る必要があるそうだ。そのため、彼らは魔獣の多いセントロ大森林を棲家としていた。
そして、バージは若い頃に、レオン一世や聖人ストレガーノ・ボルペと会ったという。
「やはり、彼らが聖獣だったのじゃな……」
「ええ、そのようです」
シノブは、感動の面持ちのフィオリーナに頷いた。そして彼は、レオン一世が銀髪となったのは、光翔虎の祝福を受けたからのようだ、と伝える。
「な、なんと……妾も獅子の獣人に生まれたかったのじゃ……」
マリエッタは、自身の髪に触ると、残念そうに呟いた。カンビーニ王家の銀髪は、獅子の獣人にしか受け継がれないという。そのため、獅子の獣人であるフィオリーナは見事な銀髪だが、マリエッタは虎の獣人に特有の黒の縞が入った金髪である。
「マリエッタよ。そなたが銀獅子の血を受け継いでいたら、国外には出せぬぞ」
「そ、それは困るのじゃ! 虎の獣人で良かったのじゃ!」
娘の肩に手を置いたフィオリーナの冗談めかした発言に、マリエッタは驚いたように一瞬飛び跳ねた。そして彼女は、慌てたように首を振った後に、前言を翻す。
「ところでシノブよ。どうして彼らは竜の血の影響を受けたのだ? ここは、ベーリンゲン帝国から遠いだろう」
皇帝のいた旧帝都、現在の領都ヴァイトシュタットから1000km以上離れたセントロ大森林に棲む光翔虎が何故竜の血の影響を受けたのか、イヴァールは疑問に思ったようだ。彼は黒く長い髭を扱きながら、シノブに訊ねる。
「ああ……光翔虎は、他の森にも棲んでいるらしい」
シノブは聞き取った続きをイヴァールに話していった。
オルムルやアミィも、過去の歴史より、現在のことが気になったようだ。そのため光翔虎のバージ達との話は、彼らが帝国とどこで関わったのかに移っていた。
それによると、彼らは三月の初めにデルフィナ共和国の森に出かけたそうだ。バージ達の話によれば、光翔虎は、デルフィナ共和国の東部の森と、ガルゴン王国の中央部の森にも棲んでいるらしい。
光翔虎は、岩竜や炎竜と違い、本来の棲家と子育てのための棲家を分けずに、一箇所に定住している。しかし、飛翔や透明化の能力を持つため、かなりの頻度で他所の光翔虎とも交流をしているという。
「やはり……フライユ伯爵、光翔虎という名前は初めて聞きましたが、我が国の東の森に、姿を消すことが出来る巨大な虎が棲んでいるという伝説があるのです」
メリーナは、祖母である族長のエイレーネから、その伝説を聞いたらしい。なお、彼女達アレクサ族は最も西に住むため伝説の真偽を確かめようもなく、メリーナは単なる御伽話だと思っていたという。
「それで、デルフィナ共和国に行ったとき帝国に近づいたのですか?」
「どうも、そうらしい。デルフィナ共和国の光翔虎に会いに行った帰りに、北の山脈に寄ったと言っている。おそらく、ズード山脈だろうね」
シノブは、アルバーノにバージ達が竜の血に触れることになった経緯を教える。
ズード山脈は、北のベーリンゲン帝国と南のデルフィナ共和国を隔てる巨大な山脈だ。峻厳な高山は人間には踏破不可能だが、空を飛べる光翔虎にとっては、多少面倒だが飛び越えることが出来る障害でしかない。そこで彼らは、子供のフェイニーの飛行訓練として、山脈越えを行ったという。
そしてバージ達は、山脈を越えた向こう側で翼魔人達と遭遇したらしい。
透明化の術を持っているから、そのままやり過ごすことも出来た筈だ。しかし彼らは今まで見たことの無い異質な存在を不快に感じ、翼魔人達に攻撃を仕掛けたのだ。
「光翔虎の攻撃は、主に牙や爪らしいね。だから、翼魔人に噛み付いたときに、彼らの血を吸ってしまったみたいだ」
戦いの直後、バージ達は異常を感じなかったが、セントロ大森林に戻って暫くすると体毛が黒くなり、過剰な攻撃衝動に悩まされるようになったという。そして、最後は思考や知能にも影響が出て、思念での会話も出来なくなったらしい。
それらをシノブが伝えると、シャルロット達は納得したようで、改めて光り輝く巨大な虎達に視線を向けていた。
◆ ◆ ◆ ◆
──『光の使い』よ。ありがとう、だいぶ楽になった──
──私もです。これなら、動くことも出来ます──
シャルロット達に説明を終えたシノブは、三頭の光翔虎へと魔力を注いでいった。彼らは体に異常を来たしたせいか、魔力を大幅に消耗していたようだ。
おそらく翼魔人の血は、単に竜の血が混じっているだけではなく、皇帝か帝国の神であったバアル神が込めた何かが入っているのではないだろうか。それらは、『隷属の首輪』に類するような精神の操作や、肉体や魔力の限度を考えない強化を行うのかもしれない。シノブは魔力を注ぎながら、そう推測していた。
「良かったね……ところでフェイニー、オルムル。身動き出来ないんだけど」
シノブは、バージとパーフに微笑んだ後、困惑した顔で後ろに振り向いた。彼の後ろには、光翔虎の子フェイニーと岩竜の子オルムルが貼り付いていたのだ。
──フェイニーさん、シノブさんの魔力は元気になるでしょう?──
──はい! お日様みたいにポカポカです~!──
オルムルとフェイニーは、どこか蕩けたような思念をシノブに伝えてくる。
二頭は、まだ子供だとはいえ、どちらも馬に匹敵する巨体である。そのためシノブは、密かに身体強化をしながら、彼女達の圧力に耐えていた。
「……まあ、良いけどね」
シノブは諦めたような笑みを浮かべると、右手でオルムルを、そして左手でフェイニーを抱え込んだ。
岩竜は歳を取るごとに表皮がゴツゴツしてきて、最後はその名の通り岩のようになっていく。しかし、まだ生後七ヶ月のオルムルは、すべすべして硬くなく、白っぽい皮膚は撫で心地が良い。
そして、光翔虎は当然全身が毛で覆われているが、こちらも大きな体にしては柔らかな毛である。フェイニーは地球の虎と同じくらいに大きいが、体型は幼獣らしく丸っこい。おそらく毛が柔らかなのも、幼さ故であろう。
「ところで、俺達はカンビーノって街に戻るんだけど、君達はどうする?」
シノブは、バージとパーフに改めて問いかけた。魔力は存分に注いだから、彼らは森の中央まで帰ることは出来るだろう。
しかし、シノブ達は森の奥に付いていくわけにはいかない。カンビーニ王国の国王レオン二十一世や王太子シルヴェリオが、王都カンビーノで帰りを待っているからだ。
──済まぬが、我らも同行して良いだろうか?──
──イジェ殿という竜にもお会いしたいですし、皆様にお世話になったまま、何の恩返しも出来ずにお別れしたくはありません──
どうやら、シノブは光翔虎達にも懐かれてしまったようである。地に伏せ敬意を示すバージとパーフ、そして甘えてくるオルムルとフェイニーに囲まれたシノブは、思わず苦笑をしてしまう。
「シノブ殿、お三方を王都にお招き出来ないだろうか?」
「そうじゃ! 我らが祖もお世話になった聖獣殿と、一緒に王都に行くのじゃ!」
フィオリーナは厳粛な表情で、マリエッタは意気軒昂とシノブに語りかける。二人にとっては祖先である建国王が会った伝説の存在である。ここで別れるなど、論外だと思ったのだろう。
「シノブ、ミュリエル達にも伝説の聖獣を紹介してあげましょう」
「はい! 私達だけが会ってお別れでは、不公平ですから!」
シャルロットやアミィも、彼らを連れて行くことに賛成のようだ。彼らをミュリエル達にも会わせたいというのも確かなのだろうが、二人とも神秘的に輝く光翔虎と別れがたく思ったのかもしれない。
「そうだね。それじゃ、一緒に戻るか!」
シャルロットの言葉に、シノブも頷いた。すると、シャルロット達はもちろん、他の者も一斉に歓声を上げる。
竜と虎を連れて王都に戻ったら、国王達は、そして街の人々はどんな顔をするだろうか。そんなことを考えたシノブは、知らず知らずのうちに、顔を綻ばせていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年9月22日17時の更新となります。