13.19 森から来るもの 前編
カンビーニ王国は、メリエンヌ王国と地続きのカンビーニ半島と、東のデレスト島で構成されている。国土は北の大国メリエンヌ王国のおよそ四分の一で、その七割以上がカンビーニ半島である。
そして、シノブ達が狩猟に赴いたセントロ大森林は、カンビーニ半島のかなりの面積を占めていた。その森林の中央部は魔獣の領域であり容易に近づける場所ではないが、周辺部は木材や果実に獣など様々な恵みを齎してくれる。
カンビーニ王国の王都カンビーノからセントロ大森林の外縁までは、およそ30kmであり、そこまでは主要街道に匹敵する立派な道が敷設されていた。何故なら、セントロ大森林にはカンビーニ王家の狩猟場があるからだ。
狩猟場は、森林の入り口から更に10km以上進んだところに存在する。なお、狩猟場までも森の外ほどではないが、馬車も通ることが可能なほどに整備されている。カンビーニ王国は獣人族が半数を超え、彼らは身体能力に優れているとはいえ、幼児や老人も狩りを見物しに同行することがあるからだ。
シノブ達は、アルストーネ公爵フィオリーナとその娘マリエッタに案内され、王家の狩猟場へと赴いた。どうも、カンビーニ王家では賓客を狩猟で持て成す風習があるらしい。力に優れた獅子の獣人の王家らしく、彼らは王城での宴やダンスなどより、狩猟や乗馬などでの触れ合いを好むようである。
女公爵と公女に案内される一行の主な面々は、以下である。
まずはシノブとアミィ、シャルロットとミュリエルの姉妹、それに王女セレスティーヌだ。
そして、イヴァールやエルフのメリーナも招待されている。イヴァールはシノブの客将だが、ヴォーリ連合国の大族長の息子でもあるから賓客扱い、そしてメリーナも滅多に自国から出ないエルフであり、同様な位置付けとなっていた。
更に、猫の獣人アルバーノ・イナーリオや狼の獣人アルノー・ラヴラン、シャルロットの側近であるアリエルとミレーユ、王女の護衛であるサディーユやシヴリーヌもいる。もちろん、隊長級の彼らだけではなく、配下の軍人達も大勢随伴していた。
当然ながら、カンビーニ王国側も、同様に多数の武人を一行に加えていた。こちらもマリエッタの学友兼側近の伯爵令嬢フランチェーラ、ロセレッタ、シエラニアなど高位の者から、一般の騎士まで様々な者が、警護や狩りの世話のために同行している。
なお、まだ本格的な狩猟に参加できる歳ではないが、フィオリーナの息子テレンツィオも馬車に乗って狩猟場に来ていた。カンビーニ王国の王族や貴族は、こういう機会に幼年の者も伴い、将来に向けて学ばせるようだ。
そして、狩りに同行するのは人間だけではなかった。炎竜のイジェ、岩竜の子オルムル、そしてまだ飛翔できない幼竜のシュメイとファーヴも一緒に来ていたのだ。なお、イジェとオルムルは森林に着くと一行から離れ森の奥に狩りをしに行ったが、シュメイとファーヴは、相変わらずテレンツィオ達の側にいる。
「むぅ……今日は獲物が少ないのじゃ」
マリエッタは、王家の狩猟場の中、鬱蒼と茂る木立に身を隠しながら、残念そうな表情で呟いていた。彼女の背後では、虎の獣人特有の金に黒の縞が入った尻尾が、内心の無念さを表すように力なく垂れている。
狩猟場に着いた一行は、狩猟小屋の脇に馬車を停め、そこから幾つかの集団に別れた。まず、同行した騎士達の多くは、狩猟場に常駐している王家所属の猟師と共に勢子となった。そして、マリエッタ達は、追い立てられてくる獲物を待ち構えているのだ。
今、彼女の周囲には、シノブ、シャルロット、アミィ、フィオリーナがいる。五人はそれぞれ弓を手にし、静かに獲物の到来を待っていた。
「確かに少ないのう。普段であれば、森林大猪や大角鹿の十頭や二十頭は獲っているのじゃが……」
フィオリーナは、豪快な彼女にしては珍しく怪訝そうな顔をしていた。彼女は、カンビーニ王家に特有の銀に近い髪を揺らしつつ、首を傾げている。フィオリーナは娘とは違い、父王や弟の王太子と同じ銀髪の獅子の獣人なのだ。
それはともかく、セントロ大森林には、魔獣に分類されることもある巨大な猪や鹿が棲んでおり、王家の狩りの獲物となっている。どうも、王族としての威厳を示すためか、通常の獣は獲らないらしい。
とはいえ、賓客によっては、普通の狩りに案内することもあるようだ。現に、ミュリエルやセレスティーヌはテレンツィオと共に、牧場のように柵で囲まれた場所で、小柄な鹿などを相手にしている。
もっとも、子供用の半弓を構えるのはテレンツィオだけ、勢子は炎竜の子シュメイという、半分遊びのようなものだ。ミュリエルとセレスティーヌは大勢の護衛に囲まれて、岩竜の子ファーヴと共にテレンツィオを応援しているだけである。
「イヴァールも、あまり獲物がいないと伝えてきました」
シノブは、魔力感知能力で近くに大型の動物がいないことを察知していた。そのため、普段と同様の声量でフィオリーナに話しかける。
イヴァールとエルフのメリーナ、そしてアルバーノ、ミレーユ、伯爵令嬢のフランチェーラは、別の場所でシノブ達と同様に獲物を待っている。しかし、そちらも大型の獣は少ないらしく、イヴァールは退屈したのか通信筒で連絡を寄越したのだ。
「テレンツィオ殿達の狩場には、異常は無いようですが……」
シャルロットは道中で聞いていた様子と異なるからか、美しい眉を顰めながら会話に加わる。
彼女の下には、やはり通信筒でアリエルから連絡が入っていた。アリエルはサディーユやシヴリーヌと共に、ミュリエルやセレスティーヌの護衛となっているのだが、そちらは柵で囲まれた場所のせいか、放し飼いにされている鹿の数は普段と同じだという。
なお、シャルロットはアムテリアから授かった神弓を使わず、持参してきた普通の弓を手にしている。これは、シノブやアミィも同じである。マリエッタが、シャルロットと弓で勝負すると言ったためでもあるが、強大な敵と戦うならともかく、持て成しの一環である狩猟に神具を持ち出すのは、無粋の極みだからだ。
「イジェ殿やオルムル殿に怯えて逃げたのじゃろうか?」
マリエッタは、疑問混じりの視線をシノブへと向けた。金色の瞳でシノブを見つめるマリエッタは、獣の訪れが当分ないと思ったのか、弓も下げている。
「オルムル達は、狩猟場を大きく迂回して大森林の中央部に向かった筈ですし、それは無いかと……」
実は、シノブにはセントロ大森林の中央近くにいるイジェやオルムルから、時折思念での連絡が入ってくる。彼女達によれば、迂回した一帯や森の中央部には、特に異常がないらしい。
もっとも、シノブはそれらには触れなかった。シノブに興味津々らしいフィオリーナの前で、滅多なことを言わないほうが良いと思ったためである。
どうやら、ここは場所が悪いのではないか。そう思ったシノブは、移動を提案しようとした。王家の狩猟場は広大であり、他にも待ち伏せに相応しい場所は多数存在する。
勢子を呼び戻して移動するのは面倒だが、少し離れたところには従者達が馬と共に待機している。それ故シノブは、時間は掛かるがもう少し森林の奥に行った方が良いのでは、と思ったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「獲物が来ます!」
シノブは移動しようと口にする直前、大型の獣らしき魔力が複数接近していることを感知した。なお、魔力の反応は暫く前に狩った大角鹿と同じである。
「そ、そうか! 今度は負けないのじゃ!」
「マリエッタ殿、そう上手くは行きませんよ」
マリエッタとシャルロットは、早速弓を構えて前方を見据える。
狩猟場付きの猟師達は、獲物を追い込むための場所を拵えており、目の前の木々が少ない一角も、そういう場所の一つである。獣を誘導しやすいように、森の中に障害物を置いたり、逆に開けた場所を作ったりするのも、猟師達の役目だという。
顔を輝かして待ち構える二人に続き、シノブとアミィも弓を構えた。一方、フィオリーナはそんな四人を見守ることにしたようだ。こう獲物が少ないと、接待役が出しゃばるのもどうかと思ったのかもしれない。何しろ、マリエッタが宣言した二十頭どころか、最も多く仕留めたシャルロットでも五頭である。
「来ました! 大角鹿が五頭です!」
アミィは、頭上の狐耳を微かに動かしつつ獲物の種類と数を告げる。勢子の声も響いてきたし、かなり接近してきたのだろう。
そして、アミィの声を聞いたマリエッタとシャルロットは言葉を発しないまま前方を見据え、逆にフィオリーナは弓を下ろして力を抜いた。五頭ならフィオリーナ以外の四人で一頭ずつ、そして競争をしている二人が残った一頭を仕留めれば良い、と考えたのだろう。
「これは大物だな……」
猛然と駆けてくる大角鹿達は、地球のヘラジカを更に一回り大きくしたような巨体であった。そして、シノブが言うように、鹿達は今まで狩ったものよりも大柄なようだ。しかし、そんな大角鹿達でも身体強化をした騎士達や猟師には勝てないらしく、凄まじい地響きを立てて逃げてくる。
「……またなのじゃ!」
マリエッタが放った矢は、先頭の大角鹿の喉元に見事に突き立ち、鹿はそのまま転倒する。しかし、シャルロットは、何と二本の矢を同時に放っていた。そして彼女が放った矢は、それぞれ獲物を仕留めている。そのため、マリエッタは肩を落として気落ちした表情となっていた。
なお、残りの二頭はシノブとアミィがそれぞれ倒している。シノブもシャルロット達とピエの森に狩猟に行った時に弓術を習ったから、彼女やミレーユのような精度ではないが相応の腕前にはなっていたのだ。
もっともシノブは遠距離攻撃に魔術を使うため、あまり弓の鍛錬はしていない。あくまで騎士として恥ずかしくないような腕を身に付けただけである。
「マリエッタ殿。この距離なら、ミレーユは三本同時に命中させます」
シャルロットの言葉は嘘ではない。
シノブ達から獲物までは、およそ30mといったところであろうか。そして、この距離であればミレーユは三本なら確実、上手くすれば五本でも当てる。シノブやアミィと魔力操作の訓練を積んだこともあり、シャルロット達の技量は大幅に向上しているが、それにしても驚くべき腕前である。
なお、本来なら子を身篭ったシャルロットが身体強化込みの弓術を使うことは出来ない。しかし、彼女にはアムテリアから授かった腹帯がある。これは、身体強化や回復魔術の悪影響だけではなく、運動などに伴う危険も排除してくれるものだ。それ故彼女は、乗馬や狩猟を行うことが可能であった。
「……マリエッタよ、これは何としても弟子入りをせねばのう」
「はい、母上! 妾は、もっと頑張りますぞ!」
フィオリーナは、娘とシャルロットの様子を、深い笑みと共に見守っていた。だが、マリエッタを励まそうと思ったのか彼女の肩に手を置くと、女性らしさと威厳を併せ持つ張りのある声で語りかけた。
フィオリーナは、娘を何としてもシノブ達の下に送り込みたいらしい。彼女は、マリエッタの学友である三人の伯爵令嬢や、その世話係なども含め、フライユ伯爵領に留学させたいようだ。
もちろん、国王レオン二十一世や王太子シルヴェリオも、男性の武人や内政官などを旧帝国領に派遣するつもりであり、女性だけが来るわけではない。二日後に行われる予定の競技大会で優秀な成績を残した者や、王達が推薦する内政官向けの人材も、いずれシェロノワや旧帝国領に来るだろう。
とはいえフィオリーナは、そういった旧帝国の建て直しや、そこにいる獣人達の地位向上だけではなく、娘とシノブ達の関係強化も重視しているらしい。あるいは、カンビーニ王国の者が旧帝国領で活躍するには、シノブの下に一族の者を置くべきと思っているのだろうか。
「……フィオリーナ殿、勢子達も戻ってきたことですし場所を移しましょう。どうも、この辺りにはあまり獲物はいないようです」
シノブは、先々の懸念は一時置くことにして、場所を変えようと提案した。もっと森の奥に行けば、獲物も多いかもしれないと思ったのだ。
シノブとしては、マリエッタとシャルロットの勝負に口を挟むつもりもない。とはいえ、獲物が少なすぎて目標数に達しないのでは、マリエッタが可哀想である。
オルムルやイジェの思念によれば、王家の狩猟場の範囲外には獣も多いし、大森林の中央部には魔獣も沢山いるという。そこで、彼は狩場の最奥部を目指しては、と考えたのだ。
「そうじゃの! では、もっと奥に行くのじゃ!」
アミィが魔法のカバンに大角鹿を仕舞ったのを見たマリエッタは、早速、従者や馬が待つ場所に向かって駆け出していく。そんなマリエッタに苦笑気味のシノブ達は、暫し顔を見合わせた後に、彼女の後を追いかけていった。
◆ ◆ ◆ ◆
一頭の鹿が、遠方から勢い良く駆けてくる。ただし、シノブ達が仕留めた大角鹿ではなく、ごく普通の鹿である。その体重も、せいぜい大人の女性くらいだと思われる。
更に、その後ろから薄桃色をした炎竜の子、つまりシュメイが跳ねるようにしてやってくる。こちらは馬よりは一回りか二回り小さいが、それでも鹿よりは遥かに大きい。
そして脇目も振らず駆けていた鹿は、突然飛来した一筋の矢を受けて、倒れ伏す。遠方にいたテレンツィオが、シュメイに追われて逃げてきた鹿を見事に射止めたのだ。
「テレンツィオさん、凄いです!」
「本当ですわ!」
鹿が倒れたのを見て、少し離れたところにいたミュリエルとセレスティーヌが拍手した。
二人はシノブ達に同行したかったようだが、シャルロットに諭され、ここに残っていた。どうも二人はマリエッタを警戒しているらしい。しかしシャルロットは、二人の乗馬の腕前で森の中に入っていくのは厳しいと思ったのだろう、同行を認めなかったのだ。
「ありがとうございます!」
振り返ったテレンツィオは、年長の女性達の賞賛を受けたためだろうか、頬を真っ赤に染めている。
活動的な姉の陰に隠れがちなテレンツィオだが、幼くともカンビーニ王家の血を引くだけあって、弓矢の扱いも堂に入ったものであった。
母と同じ獅子の獣人の彼は、頭上の獣耳と尻尾を時折動かしつつ、追い立てられてくる鹿を静かに待ち構えていた。その姿には六歳にして立派な狩人の風格が備わっており、弓を構える姿、矢を放つときの動作からも、既に相当の時間を鍛錬に費やしていると感じられた。
──テレンツィオさん、この鹿、食べても良いですか?──
──魔力、結構ありそうです──
シュメイは鹿を咥えてテレンツィオの下に戻ってくると、彼に獲物を食べて良いかと訊ねた。しかもミュリエル達の側にいたファーヴまで、興味深げな目で鹿を見つめている。
子竜達からすれば、鹿の魔力くらいではデザートにもならない筈だ。とはいえ成長期の幼い竜は、非常に食欲旺盛だ。彼らはシノブと別れる前に彼の膨大な魔力を与えられたが、既に空腹を感じているらしい。
「どうぞ!」
テレンツィオは、姉とは違い大人しげな少年だが、このときばかりは輝くような笑顔と共に力強く返答をした。戦いの神ポヴォールの力を得たとされる獣人族は、本能的に強さへの拘りを持つようだ。それは、一見控え目なテレンツィオにも、しっかりと受け継がれていたとみえる。
「私も狩り、してみたいな……」
二頭の子竜が早速鹿を食べる中、ミュリエルの側に控えていたミシェルが、ポツリと呟いた。彼女も、侍女の一人として加わっていたのだ。
テレンツィオと同じ六歳のミシェルだが、こちらも狐の獣人だけあって体を動かすことは大の得意である。そのため、弓に興味を示したのだろう。
「ミシェルさん、私達は侍女ですから」
「はい、ごめんなさい」
諭すようなアンナに、ミシェルは素直に頷いた。ミシェルも、つい願いが口を衝いて出てしまっただけであり、本気で狩猟に加わりたいと思ったわけではないのだろう。
「そうですね。シェロノワに戻ったら、皆で狩りに行きましょう」
こちらは、猫の獣人ソニア・イナーリオだ。アンナと同じく侍女として同行した彼女だが、アリエルと共にミュリエルの護衛も担当している。
なお、シノブ達には、多くの侍女や従者見習いが同行していたが、その全てがここにいるわけではない。
シノブの家令のジェルヴェや、内政官のヴィル・ルジェールなどは、王都でカンビーニ王国の内政官などと話し合いをしており忙しい。彼らは、旧帝国領が望む人材の説明や、それをいつ、どれだけ受け入れるか、などを協議している。
しかも、それらの会合には、マリアン伯爵の嫡子ブリュノや家臣のバティスールなども加わっており、かなり大規模である。
また、シノブの家臣ジェレミー・ラシュレーなどは、二日後に行われる競技大会の準備に関わっている。こちらも、メリエンヌ王国側が期待する能力や資質を伝えたり、競技の詳細を詰めたりと多忙である。
それ故、侍女や従者見習いの一部は、そちらにも派遣されていたのだ。
そんなこともあり、主だった者でここにいるのは、他には元メグレンブルク伯爵の娘のフレーデリータや、その弟のネルンヘルムくらいであった。
「ミュリエルさんも、狩りをしてみませんか? それに、他の方も」
侍女達の言葉が聞こえていたのか、テレンツィオは、ミュリエルを狩りに誘っていた。彼の言葉を受けて、狩猟場付きの猟師が狩猟小屋へと戻り、子供用の半弓を幾つか持ってくる。
「よろしいのですか?」
ミュリエルにはミシェルの呟きが聞こえていたのだろう。彼女は、とても嬉しげな笑みを浮かべている。
「ええ、皆で楽しみましょう。さあ、侍女や従者の方もどうぞ」
そしてテレンツィオは、改めて侍女や従者の方を向くと、可愛らしい笑顔と共に誘いをかけた。このあたりの上品で気の利いた振る舞いは、流石は公爵家の跡取りと言うべきであろう。
「ありがとうございます。ミシェル、お礼を言いましょうね」
「テレンツィオさま、ありがとうございます!」
ミュリエルはテレンツィオに謝意を伝えると、ミシェルにも礼を言うよう促した。ミシェルは、その言葉を受けて、輝く笑顔と共に頭を下げる。
「まずは何回か試射してみましょうか。弓場があるから、そちらに行きましょう」
おそらくテレンツィオは、接待役であるカンビーニ王家の自分が狩猟しているだけではいけないと思ったのだろう。セレスティーヌやミュリエル、そしてその供を持て成すべく、彼は弓場へと一行を案内した。
──もう少し、鹿を食べたかったですね──
──そうですね……でも、シノブさんやオルムルさんが、沢山狩ってきてくれますよ──
そんな彼らを、食欲旺盛な子竜達は、少々残念そうな思念で見守っていた。やはり、二頭にとっては、鹿では満腹にはならなかったようだ。
──ファーヴ、私達も行きましょう──
──すみません──
残念そうに狩場の方に視線を向けたシュメイは、おもむろに身を伏せると、ファーヴに背に乗るように促した。ファーヴは、まだヨチヨチ歩きの幼児のようなものだからだ。
そして、ファーヴが背に収まったのを確かめたシュメイは、彼を振り落とさないように気をつけながら、ミュリエル達の後を追っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
──イジェさん、何だか、私達の棲家みたいな感じがしませんか?──
セントロ大森林の中央近くの上空で、岩竜の子オルムルは隣を飛ぶ炎竜のイジェに疑問混じりの思念を送った。彼女は、竜の棲家を守る結界に似た魔力を感じたらしい。
このあたりは、魔獣も多く、彼女達は何頭もの魔狼や大爪熊を狩っていた。北方のものとは若干異なり、毛が短く南方に適応した種のようだが、大量の魔力を含んでいるところは、北と同様であった。
そのため、オルムルは喜んで食べ、イジェは獲物を仮死状態にして自身の腹に納めていた。イジェが蓄えた分は、後でシュメイやファーヴに与えるのだ。
最近、子竜達はシノブの魔力を主食としている。しかしイジェとしては、従来どおり魔獣も食べさせたいらしい。もしかすると、子供達がシノブに完全に依存するようになっては困ると思っているのかもしれない。
──ええ。ですが、私達の結界とは少し違うようです──
イジェは、森林の中央部へと視線を向けていた。
彼女やオルムルは、この森についてシノブ達と一緒にカンビーニ王国の者から説明を受けていた。
それによれば、森の中央近くまで人が踏み入ることは稀で、伝説の類を除けば中心に到達した者はいないらしい。セントロ大森林は、中心に行けば行くほど魔力が濃く、その分、魔獣も強くなる。そして、中心部ともなれば、国一番の武人でも到達不可能な領域らしい。
もっとも伝説では、初代カンビーニ国王レオン一世や聖人ストレガーノ・ボルペが森の中央まで辿り着いたという。ただし彼らは多くを語らなかったので詳細は不明である。
当然ながら王家には何らかの言い伝えが残っている筈だ。しかし現王家も、そこまではシノブ達に教えてくれなかったのだ。
──オルムルさん、行ってみましょう──
──はい!──
結界があるなら、中央部まで到達できなかったのは、単に強い魔獣がいるというだけでは無いのかもしれない。そう思ったのだろう、イジェはオルムルを強力な魔力が感じられる方向へと誘った。
岩竜や炎竜は、険しい山の断崖絶壁の上など、物理的に到達が困難な場所に棲家を作る。したがって、森林の奥とはいえ、標高が低く、それほど急峻でも無いこの場所に彼女達の同族が棲家を作る可能性は殆ど無い。
しかし、飛行を得意としない海竜は、絶海の孤島とはいえ海岸近くに棲家を作っていた。外部からの侵入が困難な巨大魔獣のいる海域に、更に広域の結界を施した上ではあるが、平地に棲家を作る竜もいるのだ。それを考えると、ここにも竜かそれに準ずる存在がいる可能性は高い。
──あれは、洞窟でしょうか?──
イジェは、最も魔力の高い場所に、大きな洞窟を発見した。人跡未踏の大森林の奥には、成竜が何頭か寝そべれる程度の開けた場所があり、そこにはちょっとした崖が存在する。その崖に洞窟の入り口があったのだ。
──そうですね……あまり大きくありませんが。イジェさんだと、ちょっと入りづらいですよね──
イジェと一緒に舞い降りたオルムルは、洞窟を眺めている。
洞窟の高さは10mほどであり、全長20mの成竜イジェの場合、少々屈みながら入らないといけない。それに幅も広くないから、内部で方向転換をすることは難しいだろう。
──確かに……しかし、入れないほどではありません。一緒に行きましょう──
イジェは、少しの間考え込んでいたが、オルムルに一緒に入ろうと誘った。
オルムルは、体長3mを幾らか超えてはいるが、高さ10mの洞窟に潜む相手なら、彼女よりは大きいだろう。とはいえ、自身が洞窟を調査する間に、外で何かあっても困る。イジェは、そう考えたようだ。
──中に生き物はいないみたいですが。でも、念のため一緒にいて下さる方が、心強いです!──
そして、二頭は洞窟の中に入っていく。
イジェだけで、洞窟の大半を塞いでしまうため、オルムルは腕輪の力で小さくなり、彼女の頭の上に乗っていた。これなら、何かあっても、イジェを気にすることなく自由に洞窟内で動ける。そのため、イジェが小さくなるように促したのだ。
洞窟内は、自然のものにしては、少々整いすぎていた。海竜の洞窟や、シノブが土魔術で掘る穴のように綺麗に整形されてはいないが、何かの手が入っていることは、間違いない。固い岩石の壁は、何かで削り取り広げたような跡が残っており、天然の洞窟では無いことは、明白であった。
──中は広かったのですね!──
20mほども進むと、最奥部へと到達した。最奥部も天井の高さは変わらないが内部は円形となっており、イジェが方向を変えることくらいは出来そうだ。
──助かります……やはり、何も居ませんね──
オルムルに、イジェは安堵したような思念を返す。そして、彼女が言うように、洞窟の中は空であった。洞窟の主は肉食獣なのだろうか、捕食した魔獣のものらしき骨などが散らばっているだけで、生き物の姿は無かったのだ。
そして、中央奥には、巣と思われる場所があり、そこには動物の毛が散らばっている。どうやら、毛は一種類だけのようで、巣の主が残したものなのかもしれない。
──随分太くて長いですね。やっぱり、この洞窟の主でしょうか?──
──オルムルさん、『光の使い』やシュメイ達のところに戻りましょう。どうも胸騒ぎがします──
長さ10cmくらいもある白く輝く剛毛を弄るオルムルに、イジェは若干焦ったような思念で帰還を促した。もし、この洞窟の主が、我が子を襲ったら、と思ったのだろう。
洞窟の高さからすると、イジェほどは背が高くないようだ。しかし、仮に四足獣であれば、体高が10m近いかもしれない。もし、そうであれば、成竜と匹敵する巨体である。
──はい、わかりました!──
再びオルムルがイジェの頭に乗ると、巨大な炎竜は、素早く向きを変えて洞窟の外へと歩み始めた。その歩みは、彼女の焦りを表しているように、どこか忙しないものであった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年9月18日17時の更新となります。