13.17 光る神像
「昨日は大変だったね」
少しばかり苦笑いをしたシノブは、隣のシャルロットに語りかけた。彼らは、早朝訓練を終えて朝食を取っている最中である。王都カンビーノの中心にある『獅子王城』には、国賓が滞在するための迎賓館が存在する。シノブ達は、その大広間にいるのだ。
前日、シノブ達はカンビーニ王国の主レオン二十一世と会った。シノブ達は、王の待つ『獅子王城』に到着して早々、彼と対面することとなったのだ。幸い国王との出会いは、事前にシノブと王太子シルヴェリオが打ち合わせた通りに進み、友好的な雰囲気のまま終わっていた。
その対面の場で、レオン二十一世はシノブや竜達と親交を深め、旧帝国領再建への協力を約束した。そこまでは、シノブ達の想定と期待の範囲内である。しかし、少々予想外のことがあった。
「マリエッタ様ですか? 可愛い方ではありませんか」
シャルロットの穏やかな声音には、どこか楽しげな雰囲気が滲んでいた。
レオン二十一世には、二人の子供がいる。王太子シルヴェリオと、その姉のフィオリーナだ。そして、マリエッタとは、フィオリーナの娘である。そのマリエッタは、シノブの下で武術修行をしたいらしい。彼女は、シノブの伝説に比すべき武技や逸話に魅せられているようだ。
もっとも周囲の者、特に母のフィオリーナには、別の思惑があるらしい。シノブは、建国王や伝説の聖人と同じか、それ以上の偉業を成し遂げた。その彼がマリエッタと親密な関係になれば、カンビーニ王家に様々な恩恵が齎される。彼女は、そんなことを考えているようだ。
シャルロットも、それらは当然理解している筈だ。しかし彼女は、真っ直ぐなマリエッタに対し、警戒より親しみが勝っているようである。もしかすると、自分と同様に武術に一途なところが気に入ったのかもしれない。
「そうですね。早朝訓練でも元気一杯でしたし。これから一緒に修行すると、張り切っていましたね」
アミィも、シャルロットと同様に少々面白がっているような雰囲気だ。
彼女が言うように、マリエッタはシノブ達の日課である早朝訓練に参加していた。昨日の晩餐でシノブ達がどのような訓練を行っているのか聞き出した彼女は、早速仲間に加わったのだ。
なお、カンビーニ王家は獅子の獣人の一族だが、マリエッタは父と同じ虎の獣人だ。そのため、彼女は王位継承権も低く、外国に送り込んでも構わないらしい。もっとも、本来この地方では、王族が国外に嫁ぐことは非常に稀である。どうも、神の強い加護を受けた王族の血が国外に拡散するのを恐れたようだ。
しかし、シノブの成したことを見れば、彼が建国王や聖人以上の加護を持つことは明白である。したがって、王位を継ぐ可能性が低いマリエッタをシノブの側に置いても問題ないようだ。
「まあ、魔力操作や武術を教えるのは、構わないけどね。そのあたりはアミィに任せることが出来るし」
シノブは、早朝訓練の様子を思い出していた。
マリエッタは自国から離れ、シノブに弟子入りして武術修行をするつもりらしい。だが彼女は、シャルロットやアミィがシノブに続く実力ということも理解したようだ。そんなこともあり、今日の彼女はアミィから魔力操作を習い、自身の物にしようと熱心に取り組んでいた。
シノブは、前日のようにマリエッタに纏わりつかれるかと案じていたが、そのようなことも無く、内心大いに安堵していたのだ。
「シャルお姉さまもアミィさんも、少し甘すぎますわ! マリエッタ様はともかくフィオリーナ様は、シノブ様とカンビーニ王家の縁を深めるためなら、何をするかわかりません!」
「わ、私もそう思います……」
こちらは、セレスティーヌにミュリエルだ。フィオリーナへの警戒を顕わにしたセレスティーヌに、控え目に同意するミュリエルと、温度差はあるものの、双方ともマリエッタの接近を好ましく思っていないのは共通しているようだ。
朝食の場には他にも同席しているが、彼らは王女の言葉に様々な反応を見せていた。
まずマリアン伯爵の嫡男ブリュノと妻のグレースは、どこか微笑ましいものを見るような表情だ。二人はシノブに他国の王族が嫁ぎかねない事態にも、さほど動揺していないらしい。最終的にはシノブ次第と思っているのかもしれないが、自分達の関与できる範疇を超えていると考えたのかもしれない。
次にイヴァールだが、彼は我関せず、という様子で黙々と食事を続けていた。ドワーフの彼は、人族の王族や貴族の風習に関心はないのだろう。彼もシノブに敵対する者が現れたのならともかく、婚姻だの武術の弟子だのについては、自身の管轄外だと思っているようだ。
一方エルフのメリーナは、この騒動からどこか距離を置いていた。一夫一妻制のエルフからすれば、既に妻のいるシノブに新たな女性が近づくこと自体、不道徳に感じるのかもしれない。彼女は他国の慣習に口出しする気は無いようだが、固い表情で料理を口に運ぶ様子からは、好ましく思っていないのが見て取れる。
他にもアリエルやミレーユ、白百合騎士隊のサディーユやシヴリーヌも同席しているが、こちらは主達の会話に口を挟むことを遠慮しているらしい。
そんな彼女達の様子は様々だ。アリエルとサディーユは落ち着いた挙措で食事を続け、ミレーユは時折興味深げな視線をシノブ達に向け、シヴリーヌは凛々しいとさえいえる仕草でゆっくりと咀嚼をしている。
「もちろんフィオリーナ様には気をつけるよ」
シノブは、昨日の晩餐が終わった後、『義母上と呼んでも良いぞ』と囁き去っていったフィオリーナを思い出していた。
シノブの反応を楽しむようなフィオリーナの様子からは、娘との婚姻を今すぐ促すとは感じられなかった。しかし、その一方でシノブの答え次第では、一気に押し込んでくるような隙の無さも漂っている。それ故シノブも、彼女を警戒していたのだ。
「そうしてくださいませ!」
「シノブお兄さま、約束ですよ?」
セレスティーヌとミュリエルは、随分フィオリーナを恐れているようだ。妖艶で大人の女性の魅力を漂わせるフィオリーナと、まだ成人になったばかりのセレスティーヌや十歳のミュリエルは対照的である。もしかすると、そんなところもフィオリーナへの警戒に繋がっているのだろうか。
◆ ◆ ◆ ◆
「……ところで、今日は午前中に大神殿だったね」
少女達の様子に苦笑していたシノブだが、そうのんびりしてはいられないことを思い出し、これからの予定をアミィに確認した。
「はい! そして、午後から王家の方が狩猟に招いて下さるそうです。明日は海竜と対面ですね!」
シノブの問いに、アミィは元気良く頷いた。
まずは王都カンビーノの大神殿に行き、カンビーニ王国に転移を授けてくれるようシノブが祈願をする。メリエンヌ王国の神殿にはシノブが行かずとも転移を授かったが、ここカンビーニ王国では、そういったことは無いようだ。
旧帝国領の場合、シノブとアミィが神像を造り変える必要があったから二人で各都市に出向いた。それに対しカンビーニ王国の神殿はアムテリアと従属神の像を祀っているが、どうやらシノブが赴かないと転移可能にならないようだ。
そして翌日の3月24日には、ここカンビーノに海竜がやってくる。現在、海竜の島に金鵄族のホリィを派遣しているが、彼女は明日、海竜と共にカンビーノの港に訪れると通信筒で伝えてきた。
ホリィによれば、カンビーノを訪れるのは海竜の長老だそうだ。海竜の子リタンはシノブ達に会いたかったようだが、まだ生後五ヶ月にも満たず、両親から外洋に出ることを禁じられたという。そのため以前シノブが海竜の島で発した思念を聞きつけやってきた長老が、ここに来ることになったらしい。
「アミィさん。どなたが狩猟に同行して下さるのですか?」
「その……フィオリーナ様とマリエッタ様です」
眉を顰めつつ問いかけたセレスティーヌに、アミィは言いにくそうに答えた。最初はシルヴェリオが案内してくれる予定だったのだが、狩猟の件を聞きつけたフィオリーナが、強引に案内役を奪ったのだ。普段は堂々としている王太子のシルヴェリオだが、どうも六歳年上の姉が苦手なようである。
「シノブ様、私も行きますわ!」
「私もです!」
セレスティーヌとミュリエルは、血相を変えて宣言をした。その様子に、シノブやシャルロットなど室内にいる者の多くは、笑いを零している。
二人の少女は狩猟に同行したことなど無いのだ。もちろん、それぞれ乗馬は出来るのだが、それは普通に整地されたところで馬を歩ませる程度である。言ってみれば貴族の令嬢の嗜みとして覚えただけに過ぎない。
「馬車もあるから大丈夫か……良いよ、一緒に行こう」
シノブは、たまにはこういうのも良いかもしれないと思い、微笑んでいた。シノブ自身としては、王宮の中にいるよりは、自然と接している方が落ち着く。それに、自分やシャルロットにアミィがいて彼女達に何かあるとも思えない。それ故、二人を野外に連れ出すのも良いだろうと考えたのだ。
一方、シノブの承諾を聞いたセレスティーヌとミュリエルは歓声を上げ、シャルロットとアミィは温かな笑顔で二人を見守っている。
そして家族の楽しげな様子に顔を綻ばせたシノブは、再び料理に手を伸ばしていった。
◆ ◆ ◆ ◆
王都カンビーノの大神殿は、『獅子王城』のすぐ脇にあった。城から大通りを挟んだ向かいである。こういった区割りなどは、カンビーニ王国もメリエンヌ王国と変わらないようだ。
両国とも、アムテリアの眷属である聖人が初代国王を導き、様々な知識を授けた。そして、建築様式や都市の構築なども、聖人が授けた知識である。そのため、どちらの都市も、幾つかの違いを除けば大よそ似た構造のようだ。
もっとも、大神殿の造り自体はメリエンヌ王国のものとは異なっていた。
メリエンヌ王国の神殿が『メリエンヌ古典様式』、こちらでいう『北方様式』であるのに対し、カンビーノの大神殿は、この国独自の形式である『純カンビーニ様式』に基づいたものだ。白い巨石を多用した豪壮な造りは、古代ローマや古代ギリシャの神殿などに良く似ている。
とはいえ、聖堂の中にあるのは、他と同じアムテリアと六柱の従属神を表した像である。大理石のような白い石で作られた神像は、おそらく聖人の指揮で造られたものなのだろう。シノブが知っている聖地サン・ラシェーヌの大聖堂にあるものに良く似ていた。
ただし、その並び順は少々異なる。中央が一際大きなアムテリアの像というのは変わらないが、その両脇は、戦いの神ポヴォールと海の女神デューネである。そして、デューネの隣が森の女神アルフールだ。これは、カンビーニ王国で深く信仰されている神が優先された結果らしい。
獅子の獣人を王に戴き、国民の半数以上が獣人であるこの国では、獣人族に力を授けたポヴォールは氏神に近い位置付けらしい。そして、この国に多い漁師や船乗りは海神であるデューネを崇める。アルフールは、カンビーニ半島の中央部を占めるセントロ大森林から齎される恵み故であろう。
ともかく、七体の神像の並び順こそ異なるものの、神殿の天井近くまで聳える様子は、メリエンヌ王国のものと変わらない。もっとも、メリエンヌ王国の神像は鮮やかに彩色されていたが、こちらは白い石の地肌のままである。無彩色なのは『純カンビーニ様式』の建物に置かれた彫像に倣ったのであろうか。
そして今、シノブとアミィは大勢の者に見つめられながら、七体の神像の手前にある聖壇へと上がっていた。最近は神殿経由の転移の度に聖壇に上がるため、それ自体は良いのだが、今までに無いほどの大人数に見守られての登壇である。そのため、二人はなるべく厳粛な態度に見えるよう、ゆっくりと歩を進めていく。
シノブは、東方守護将軍としての正装に、胸には光の首飾り、左手には光の盾、そして背には光の大剣を背負った姿だ。美麗な衣装と眩い三つの神具を身に着けたシノブは、窓からの陽光を受けて幻想的な輝きに包まれている。
一方、壇の下では国王レオン二十一世を始め、カンビーニ王国の王族や貴族がシノブ達を見つめている。王太子シルヴェリオやアルストーネ公爵フィオリーナ、マリエッタなどは当然として、集まれる者は全て集まったようで、聖堂の中は立錐の余地もない。
「何と凛々しいのじゃ……」
「妾の見込んだ通りじゃな……」
シノブの耳に入ったのは、マリエッタとフィオリーナの声だ。二人もそうだが、カンビーニ王国の者達は、三つの神具を見るのは初めてだから、嘆声が漏れるのも仕方ないだろう。
「シノブ様……」
「シノブさま、素敵です……」
とはいえ、見慣れた筈のセレスティーヌやミュリエルの囁きもシノブには届いていた。当然ではあるが、シャルロット達メリエンヌ王国の使節団や、駐カンビーニ大使のルローニュ子爵などもシノブを見守っていたのだ。もっとも、こちらは爵位を持つか大隊長級以上の者だけであり、全員ではない。
──シノブさん、凄く綺麗な魔力です!──
──オルムルお姉さまの言う通りですね!──
──シノブさんの魔力、本当に凄いなあ──
こちらは、オルムルにシュメイ、そしてファーヴだ。聖堂の中には子竜達もいたのだ。
流石に成竜であるイジェが入ることは出来ないが、オルムル達は、シノブの晴れ姿を見たかったらしい。シノブを見つめる三頭は、普段とは違い思念だけで感激を伝えてくる。
「フライユ伯爵はともかく、あの従者の少女も上がるのか?」
「彼女は類稀なる魔術の使い手らしいですぞ。それに、メリエンヌ王国の大神官も下には置かぬ扱いだとか。ヴェッツォーニ様も、そうですが……」
聖堂の後ろの方でも、微かな囁きを交わされていた。彼らは、シノブと共にアミィが登壇したことに驚いたようだ。何しろ、カンビーニ王国の大神官がアミィへと恭しく頭を下げ、彼女に道を譲ったのだ。詳しい事情を知らない彼らが驚愕するのも仕方ないだろう。
──アミィ、ヴェッツォーニ殿も、俺達のことに気が付いているみたいだね──
──おそらく、アムテリア様から神託があったのだと思います。ダンクール殿もそうでしたし──
ざわめく観衆達を他所に、シノブはアミィと心の声でやり取りをしていた。
カンビーニ王国の大神官コルラード・ヴェッツォーニも、メリエンヌ王国の大神官テランス・ダンクールと同様の白髪白髯の人物であった。双方とも人族というのも共通している。
なお、多くの国では、力仕事には身体能力の高い獣人族が就くことが多く、人族は商人や内政官、技術者など体力に依存しない職種を選ぶらしい。そして、神官もそういった職の一つだという。
もっとも、神官に必要なのは神に対する強い信仰だけだ。そのため、信心深い獣人族には神官の道を選ぶ者は当然いる。しかし、獣人族を必要とする場は多いため、人族に比べ神官になる者は少ないらしい。
それはともかく、単なる偶然にしては彼らの相貌は良く似ていた。二人とも白髪に白く長い髭の温厚そうな老人で、穏やかさと深みを併せ持つ人物だ。そのためシノブには、二人が兄弟のように思えた。
──後でお話を伺ってみたいけど、まずは転移をお願いしなきゃね──
シノブは、ヴェッツォーニがアムテリアからどんな神託を受けたかを聞いてみたかった。
彼はシノブ達の手助けをするように命じられただけではなく、帝国の神についての情報を得ているかもしれない。帝国の神の正体は、地球から来たバアル神だったようだ。しかし、あれで完全に消え去ったのか、もしくはバアル神の眷属や同胞が手出しをしてこないか。シノブは、それらが気になっていたのだ。
──はい。でも、転移については問題ないと思いますよ。アムテリア様は、カンビーニ王国に転移を与えたのはシノブ様だと印象付けたいのだと──
アミィは、どこか笑いを含んだような思念を返してきた。
シノブが、これだけ大勢の視線を浴びながらも落ち着いているのは、彼女の予想を事前に聞いていたからである。旧帝国領や海竜の島でもアムテリアは神像を作成したときに転移を授けてくれた。その彼女が、ここだけ別扱いにすることもないだろう。二人はそう思っていたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
そんなやり取りをしている内に、シノブとアミィは聖壇の中央へと進んでいた。最前まで微かな声で囁き合っていた者達も、今は口を噤んで聖壇に立つ二人を注視している。
「……大神アムテリア様に祈願申し上げます。ここカンビーニ王国の者達は、貴女様のお教えに従い北の獣人達の解放に尽力しました。つきましては彼らに祝福をお授け下さるよう、何卒お願い申し上げます」
聖壇の中央に進み出たシノブは、脇に従うアミィと共に敬虔な仕草で手を合わせると、朗々たる声で祝福を祈願した。そして、二人揃って頭を深く下げる。もちろん、集った者達も皆同様に頭を垂れている。
シノブの声は、静まり返った聖堂の隅々まで響き渡っていた。聖堂の造りのせいか、それともこの場に満ちた神聖な空気のせいか、彼の発した声は、いつにも増して荘厳に響いた。そのためだろう、彼の言葉を耳にした者達は自然と二人に倣っていたのだ。
──シノブ、アミィ。よくここまで来ましたね。この国の王や大神官も、あなた達を助け支える者となるでしょう。大神官には、新たな海竜のための紋章を預けていますから、後で受け取りなさい──
シノブが祈願して間もなく、七体の神像は強烈な光を放った。そして、光に驚いた者達がざわめく中、シノブの脳裏にアムテリアの思念が響く。
──ありがとうございます。それで、神殿の転移なのですが、カンビーニ王国だけの独立した転移網として頂くことは可能でしょうか?──
煌々たる光の中、シノブは、転移をどのようにしたいかをアムテリアに伝えた。礼を言って間を置かずに具体的な相談に移るのは、無礼ではないか。シノブはそう思ったものの、いつまでアムテリアと言葉を交わせるか不明である。そのため、まずは必要なことを伝えておこうと考えたのだ。
──わかっています。ここと、半島の北、南、東の大神殿、それと東の島で最も大きな都市にも授けます。そして、ここと合わせて五つの神殿は他と別にしましょう──
──はい、そのようにお願いします。お手数をかけ、申し訳ありません──
シノブは、自身の願いが聞き入れられたことに安堵していた。カンビーニ王国とメリエンヌ王国で、いずれは相互の転移も可能になる時代が来るかもしれない。しかし、国境を跨いでの転移には、まだ早すぎるだろう。両国、そして他の国との交流が更に深まるまで、様子を見たほうが良いとシノブは考えていたのだ。
なお、神殿の転移はシノブやアミィのような例外を除いた場合、メリエンヌ王国では大神官ダンクールで三十名程度、各大神殿の神官長で十名程度が限度であった。おそらく、それはカンビーニ王国の神官達も同じだろう。そのため大量輸送は無理だが、それでも国内の主要都市に瞬時に移動できるのは途轍もない恩恵だ。
ちなみに、半島の北というのは都市ヴィルソットのことと思われる。そうであれば、最も近い転移可能な神殿を持つメリエンヌ王国の都市、マリアン伯爵領の領都ジュラヴィリエまでおよそ150kmである。この距離であれば、身体強化が得意な軍馬で飛ばせば、四時間弱で移動することが可能である。
つまり、今後は両国の要人が互いの王都を日帰りで訪問できる。これは、二国の交流を大いに前進させるだろう。
──いえ。あなた達は新たな地の建て直しに苦労するでしょう。これは、あなた達を支援するために必要なことなのです。今のところ外部からの干渉は無いようですが、平和なうちに彼の地に幸を齎して下さい──
アムテリアは、シノブに優しい思念を返した。
そしてシノブは、彼女の温かな言葉を聞いて深い安堵を感じていた。現状、外部の神霊などの干渉が無いというのは、シノブにとって何より嬉しい言葉であった。
──良かった……とはいえ、まだ半月少々ですからね。これからも油断せずに頑張ります──
──そうですね。でも、何も無いとわかって安心しました。アムテリア様、ありがとうございます──
シノブの思念に続き、アミィもアムテリアに礼を伝えた。膨大な魔力とそれを活かした戦闘力を持つ二人にとっても、神と戦うなど、そう何度も体験したいことでは無かったのだ。
──ところでシノブ、可愛い娘に懐かれましたね──
──あ、アムテリア様!──
シノブは、笑いを含んだアムテリアの思念に思わず赤面していた。まさか、彼女がマリエッタのことに触れるとは思わなかったのだ。
──すみません……ですが、彼女との絆も大切にしなさい。シャルロット達のように娶るか、それは貴方次第です。しかし友として、あるいは師弟としての絆を持つことは、また別でしょう?──
──それは、私やこの世界のためになる、ということでしょうか?──
シノブは、一転して真面目な思念となったアムテリアに、思わず問い返していた。今後、各国の融和を図る上で、マリエッタとの関係が何らかの意味を持つのだろうかと思ったのだ。
──それは自分で確かめてください。ですが、より多くの友を持ち様々な繋がりを作ることは、人生を豊かにします。
それに貴方は大いなる力を持ち、相応しい成果を残しました。そして前例の無い偉業を成し遂げた貴方に、人は更なる期待を寄せるでしょう。とはいえ無数の人々が寄せる期待は、貴方の重荷になるときもある筈です。そんな時、多くの支えが必要となるかもしれません。
私は貴方をいつでも見守っていますが、貴方を支えるのは地上の人達であってほしいのです。貴方の力が世に広まれば広まるほど、彼女のように自然に接する者は貴重になる筈です。貴方には、まだまだ普通の人として安らげる場所や時間が必要ですから──
アムテリアは、シノブの将来が心配なようだ。シノブがこの世界に来てから八ヶ月弱だが、もはや彼を常人と思う者はいないだろう。彼女は、シノブがその重圧に押しつぶされないかと案じているのだろう。
──アムテリア様、ご忠告感謝します。友や師弟……そうですね、彼女なら、私やアミィを必要以上に畏れることはないかもしれません──
シノブも、カンビーニ王国の王や王太子が自分を対等どころか上位の存在と捉えているのでは、という懸念を抱きつつあった。それは、彼に不安と憂鬱を感じさせるものであったのだ。
いずれ、旧帝国領の君主となれば、そういった孤独に慣れないといけないのだろう。しかし、シノブとしては、もう少しゆっくりと時を過ごしたかった。そして、アムテリアの言葉は、彼に新たな視点を与えてくれたようだ。そのためだろう、シノブは自身の心が少し楽になったように感じていた。
──シノブ、アミィ。あなた達にも、祝福を。これからも、助け合っていくのですよ──
アムテリアの名残惜しそうな思念が響くと、聖堂に満ちていた光は消えていた。顔を上げたシノブとアミィは神像を見上げるが、七体の像は元と同じく静かに佇んでいるだけであった。
◆ ◆ ◆ ◆
「おおっ! シノブ様!」
「何と神々しい!」
聖壇から降りようとしたシノブが振り向くと、聖堂の中にいた人々は、一人残らず跪いていた。何と、国王レオン二十一世も、である。しかも、三頭の子竜も同様であった。オルムル達も、地に伏せ頭を低くしていたのだ。
既に、神秘の光は放たれていない。しかし、聖堂には相変わらず神聖な空気が満ちていた。そして、窓から降り注ぐ光は、三つの神具を装着したシノブを煌めかせている。そのため、彼らの目にはシノブが神の使者のように映ったようだ。
なお、彼らにアムテリアの思念は届いていなかったようで、それに言及することはない。おそらく、アムテリアはシノブとアミィだけに語りかけたのだろう。
「シノブ殿! わ、妾は感動したのじゃ! シノブ殿も、アミィ殿も……何と言ったら良いのか判らぬが、とにかく凄いのじゃ!」
聖壇から降りたシノブの手を取ったのは、マリエッタであった。彼女は、国王や大神官が並ぶ場ということも忘れ、飛び出してしまったようだ。
マリエッタは、虎の獣人特有の金に黒の縞が入った髪を振り乱し、金色の瞳を輝かせてシノブとアミィを交互に見つめている。
「マリエッタ様、戻りましょう。ほら、陛下もお待ちですよ」
シノブは、孫娘が飛び出たためか立ち上がったレオン二十一世の方に体を向けた。国王は、まだ驚愕覚めやらぬ様子だが、彼らしい渋い笑みも浮かべている。そしてその両脇には感激に頬を紅潮させた王太子シルヴェリオと、父に似た深い笑みのアルストーネ公爵フィオリーナが立っている。
「そ、そうじゃな……」
シノブに釣られ祖父を見たマリエッタは、少々顔を赤くしていた。いくら天真爛漫な彼女でも、聖堂中の目が向けられた状況で心の赴くまま行動した自分に、羞恥を覚えたのかもしれない。
「陛下。大神アムテリア様は、カンビーニ王国にも転移を授けて下さいました。王都と半島内の三つの都市、それにデレスト島で最も大きな都市だそうです。おそらく、侯爵領の三都市とアルストーネだと思います」
レオン二十一世の下に歩み寄ったシノブは、アムテリアから聞いた内容を彼に伝えた。
カンビーニ半島の北に都市ヴィルソット、東に都市テポルツィア、南に都市ピエヴィオがあり、これらは侯爵領となっている。そして、この三つは半島内では王都に次ぐ大都市だ。また東のデレスト島で最大の都市は、公爵領であるアルストーネである。
ちなみにメリエンヌ王国は王都メリエ、聖地サン・ラシェーヌ、公爵が治める三つの都市、七伯爵の領都の計十二箇所の大神殿が転移可能となっている。それに対してカンビーニ王国は五箇所であり、数だけで比較すると少なく感じる。
だが、カンビーニ王国の国土はメリエンヌ王国の四分の一程度だ。それを加味すればカンビーニ王国の転移可能な場所は充分多いと言えよう。
「そうか! ……皆の者、聞いての通りだ! シノブ殿が、我らに大神アムテリア様の祝福を届けてくれたぞ!」
シノブの言葉を聞いた国王は満面の笑みを浮かべ、神殿の転移が可能になったと家臣達に宣言をした。すると跪礼をしたままの家臣達は、歓喜の声と共に深く頭を下げた。
「シノブ、良かったですね」
笑顔のシャルロットが、セレスティーヌやミュリエルを連れてシノブやアミィの側に歩み寄ってきた。彼女達も、カンビーニ王国がアムテリアの祝福を得たことを喜んでいるようだ。
「ああ。これで後は、海竜と引き合わせるだけだね」
シノブも朗らかな声音で応じる。
カンビーニ王国の人々は帝国との戦いに協力してくれたし、カンビーニ王家の人々も各々の思惑はあるだろうが総じて気持ちの良い人達だった。そんな彼らに、シノブは何らかの礼をしたかったのだ。
本来なら自身の力で謝礼をすべきだが、それはこれから友好関係を築く中で行えば良いだろう。そんな思いを胸に抱きながら、シノブは喜びに沸くカンビーニ王国の人達を愛妻と共に眺めていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年9月14日17時の更新となります。