13.13 磐船、南の都へ 前編
ナタリオとエヴァンドロが決闘した日の昼過ぎ、シノブ達は磐船に乗ってカンビーニ王国の都市モッビーノを旅立った。
都市モッビーノと同国の王都カンビーノは、双方ともカンビーニ半島の西側の海に面している。そのため、炎竜イジェは海岸に沿って飛行していた。なお、モッビーノからカンビーノは南西に100km少々であり、成竜なら一時間と掛からずに飛行可能な距離だ。
カンビーニ半島には、中央にセントロ大森林という広大な森林地帯が存在する。セントロ大森林は、この世界にシノブが出現した場所、ピエの森の五倍以上の広さであり、メリエンヌ王国やベーリンゲン帝国の小さな伯爵領に匹敵する面積を誇っている。
セントロ大森林の中央部は魔獣の領域であり、簡単に足を踏み入れることは出来ない。しかし、周辺部はカンビーニ王国の民にとって、食料や資源を齎す恵みの森であった。
魔獣に加えられることもある森林大猪の肉は美味であり、皮は様々に加工され役に立つ。他にも大角鹿などの森の生き物は、カンビーニ王国の人々にとって日常の食卓に上がる栄養源で、重要な素材でもあった。
そして森林の樹木は、海洋王国でもあるカンビーニ王国にとって、最も貴重な資源である。南方に位置するセントロ大森林では、湿気や腐食に強い樹木が取れる。地球ならチークなどに相当するこれらの木は、優れた船材となるのだ。
このように、カンビーニ王国は三方を囲む海から様々な海産物、中央の森林からは材木や食肉など、そして海と森林の間の平原からは豊かな農産物を得ることが出来る、恵まれた国土を持っていた。そのため、メリエンヌ王国に比べて四分の一程度の国土ではあるが、生活の質は決して劣ることはなかった。
「美しい森ですね……」
磐船の甲板の上で、エルフのメリーナは繊細なプラチナブロンドを風に靡かせながら呟いた。彼女は、長い耳を時折ピクピクと動かしている。これは、エルフが上機嫌なときに示す仕草らしい。
彼女は、南に向かう磐船の左舷から、遥か東方に広がる緑の絨毯を眺めていた。やはり、森の種族エルフとしては、セントロ大森林が気になるのかもしれない。彼女は右舷のシュドメル海ではなく、大森林や、その向こうに微かに見える東の海や島を見つめている。
実は、メリーナの故国であるデルフィナ共和国は、カンビーニ半島よりも東に位置する。そのため、尚更そちらが気になるのかもしれない。
「我が故郷も中々のものでしょう?」
メリーナに語りかけたのは、猫の獣人アルバーノ・イナーリオであった。彼は、舷側から内陸の大森林を見つめるメリーナへと歩み寄っていく。
「アルバーノ殿は、フライユ伯爵の側にいなくても良いのですか?」
メリーナは、アルバーノが職務を放棄して甲板に現れたと思ったようだ。彼女は僅かに眉を顰めながら、アルバーノへと振り向いた。
「閣下は、王太子殿下と極秘の会談をしていますから。ほら、甥もそこにいるでしょう?」
アルバーノが指し示す先、船首側には、彼の甥でカンビーニ王国の王太子シルヴェリオの親衛隊員でもあるロマニーノ・イナーリオや、シノブが連れてきた侍女達がいる。
ロマニーノは、侍女達に何かを説明しているようだ。おそらく、これから赴く王都などについて話しているのではないだろうか。彼は、時々進行方向の何かを示しながら、快活な笑顔を見せている。
「そうでしたか……失礼しました」
メリーナは、アルバーノの説明を聞いて僅かに頬を染めていた。アルバーノは、決して不埒なことをするわけではないが、暇さえあれば侍女達の下を訪れているらしい。そんな噂を小耳に挟んでいたためだろう、メリーナも少しばかり先入観に囚われてしまったようだ。
「いえいえ。まあ、そんなわけで賓客の無聊を慰めるのも、家臣の務めかと思いまして」
「まあ……やっぱり、噂通りのお方なのですね」
少々悪戯っぽく微笑むアルバーノに、メリーナは大きく目を見開き、そして唐突に笑い出した。
おそらくアルバーノは、望郷の念に駆られたメリーナを案じて話しかけたのだろう。エルフが住処である森を離れることは稀であり、ましてや外国に長期の滞在をするなど、今まで無かったことである。そのため彼は、シノブ達の下に滞在するようになって三週間近いメリーナが、森を懐かしんでいると察したようだ。
そして、そんな気遣いが嬉しかったのか、普段は少々生真面目な雰囲気のメリーナは、珍しく少女のように屈託の無い笑みを見せていた。エルフの老化は遅く、他種族なら十代後半のように見える彼女は、実際には三十代後半であった。しかし、このときのメリーナは、その外見に相応しい純粋無垢な笑みを浮かべていた。
「王都に着いたら、王太子殿下や閣下にお願いして、森に案内してもらいましょう。我がカンビーニ王国の森林大猪をメリーナ殿がどう仕留めるのか、ぜひ拝見したいものです」
気取った仕草で一礼をしてみせたアルバーノは、メリーナにセントロ大森林で獲れる獣や、狩の仕方について話していった。そして再び東へと視線を向けたメリーナは、楽しげな表情で長い耳を僅かに動かしながら、彼の話に聞き入っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
一方、船首近くでは、侍女のアンナやソニア、そしてリゼットなどが猫の獣人ロマニーノ・イナーリオの話を興味深げに聞いていた。
三人の傭兵と偽ってシノブ達に近づいたのは、王太子のシルヴェリオに、彼の親衛隊長のナザティスタ・デ・オルベージ、そしてロマニーノである。侍女達としては、王太子に気軽に話しかけるわけにはいかないし、親衛隊長のナザティスタは三十代と年長で、しかも男爵であるから同様だ。
そのため彼女達は、まだ二十六歳と若く、同僚のソニアの従兄弟でもあるロマニーノを話し相手として選んだらしい。ロマニーノは貴族ではないから、その点も好都合である。
「私の家は元々従士階級ですから、どうぞ遠慮なさらずに。何しろ、騎士となったのは父の代からですし」
「ジャンニーノ伯父様のご活躍があったから、私の父も従士となることが出来たのです」
爽やかな笑顔で語るロマニーノの後を、こちらも笑顔のソニアが引き継いだ。
メリエンヌ王国もそうだが、カンビーニ王国でも、貴族や騎士、従士は一定の人数に制限されている。公爵から男爵までの貴族は国王が任命するもので、王が新たな貴族家の設立を許可しない限り、増えることは無い。一方、騎士や従士は各貴族が任ずるが、これも爵位に応じて各家が抱える上限は決まっている。
ソニアの実家イナーリオ家は、彼女の祖父エンリオまで王家に直接仕える従士の家柄であった。しかし、エンリオの長男でロマニーノの父であるジャンニーノが功績抜群として騎士に昇格した。その上、ジャンニーノの弟のトマーゾも、空いた従士の枠を受け継ぐこととなった。なお、このトマーゾがソニアの父である。
そして、末弟アルバーノは長兄や次兄のように出世すべく武芸に励んだのだが、当時は騎士や従士の枠に空きはなかった。そのため彼は、戦場で名を挙げようと傭兵になったらしい。
「そうですか……でも、王太子殿下のお付きなんて凄いですね」
よほど感心したようで、アンナは頭上の狼耳をピンと立てている。彼女の背後では尻尾も緩やかに揺れていた。
「何を仰いますやら。フライユ伯爵閣下のご家中の方が、もっと凄いと思いますよ。閣下は、このまま一領主で終わる方ではないでしょう」
アンナの賛辞に、ロマニーノはソニアやアルバーノと良く似た金色の瞳を輝かせながら言葉を返す。彼は、シノブが旧帝国領をいずれ治めることになるだろう、と言いたいようだ。
もし彼が言う通りになれば、シノブやシャルロットの側近を務める彼女や弟のパトリックなどが、もっと高い地位に就くことは、充分あるだろう。
「随分お詳しいのですね」
リゼットは、元が商家の出ということもあってか、発言を控えていた。しかし彼女も、同僚達に釣られたようで、その口を開く。もしかすると、アルバーノと似たロマニーノに親しみを感じたのかもしれない。
アルバーノは既に四十に達していたが、その性格のせいか、あるいは独身のせいか、十歳以上は若い外見を保っていた。彼は、武人としての訓練を積んだ身体と、美男子と言っても良い容貌の持ち主だ。その上、陽気な性格で笑顔を絶やさないから、ますます若々しく感じる。
そしてロマニーノは、叔父であるアルバーノと瓜二つであった。もっとも、ロマニーノは年相応の外見だ。そのため、アルバーノと並ぶと、まるで数歳差の兄弟のようである。
「我が国にも、当然フライユ伯爵閣下の偉業は伝わっておりますから。何しろ、あの帝国を打ち倒したお方ですから、注目しない筈がありません」
ロマニーノは濃い金髪を陽光に輝かせながら、人当たりの良い笑顔をリゼットへと向けた。
正確には、まだベーリンゲン帝国との戦いは終わっていない。シノブ達は、皇帝直轄領および西側の伯爵領をメリエンヌ王国の支配下に置いたが、東側の六つの伯爵領は残ったままだ。シノブ達が、カンビーニ王国から戻る頃には、旧皇帝直轄領から西の統治体制が一応整い、残った東への対応が始まることになっている。
もっとも、大きな問題が起きない限り、シノブはそれらと少し距離を置くことになるだろう。既に、シノブは並ぶ者のない功績を挙げている。それに、今までも都市攻略は竜達と王国軍で問題なく行われている。そのため、先代アシャール公爵ベランジェなどは、シノブに諸外国との関係作りに励んでもらいたいようだ。
いずれにせよ、カンビーニ王国としては、既に帝国との戦いは終わったも同然と見ているらしい。そして、戦後をどうするか、そこに自国がどう関わるかを、シノブと話し合いたいのだろう。
「今回、我が国から訪問いただけたこと、大変光栄に思っていますよ。これも、アルバーノ叔父上とソニアのお陰ですね」
ロマニーノの指摘は、正鵠を得ていた。カンビーニ王国とガルゴン王国のどちらから訪問するかをシノブ達が検討した際に、近しい家臣の故郷である方、つまりカンビーニ王国が適切だとされたのだ。
「ロマニーノ兄様のお役に立てて嬉しいです。これで子供の時の悪戯は帳消しにして下さいな」
「ああ、あれだね! まったく、ソニアは昔から演技が上手かったから……」
どうやら、ロマニーノはソニアに一杯食わされたことがあるようだ。大袈裟に肩を竦め顔を顰める彼の様子に、周囲を囲む侍女達は、思わず笑い声を上げていた。
◆ ◆ ◆ ◆
楽しげなロマニーノ達を、少し離れたところから見つめる人族の少女達の姿があった。彼女達は、それまで右舷の煌めくシュドメル海を見るともなく見ていたが、ロマニーノやアンナ達の笑い声が耳に入ったようだ。
「マリアローゼ様……」
灰色の瞳を心配そうに曇らせたマヌエラ・フォン・アンブローシュは、祖国から一緒に来た同い年の少女に声を掛けた。
「マヌエラ……その呼び方は止めてください」
マヌエラに、小さな声で応じたのは、風に靡く濃い金髪をそのままにしたマリアローゼ・フォン・シェスタークである。
彼女は、ベーリンゲン帝国の宰相メッテルヴィッツ侯爵の孫娘で、マヌエラは同じく帝国のアンブローシュ子爵の娘であった。しかし、二人の両親や祖父母は既に亡く、帝都や皇帝直轄領もメリエンヌ王国の支配下に入り新たな名を得た今、旧帝国の爵位など何の意味も無い。
シノブ達が二人に帝国貴族と示す称号『フォン』を省けと言うことは無かったが、言ってみれば彼女達に残った貴族の証はそれだけである。
「マリアローゼさん。このまま他の国の人から遠ざかったままで過ごすのですか?」
いつに無く強い口調で二人に話しかけたのは、こちらも帝国貴族だったフレーデリータ・リーベルツァーである。もっとも、彼女は父の元メグレンブルク伯爵エックヌートがシノブの家臣となったときに、家族と共に帝国貴族の称号を捨てている。
「フレーデリータさん!」
マヌエラは、悄然とした様子のマリアローゼを庇おうとしたのか、栗色の髪を振り乱しながら、フレーデリータへと一歩踏み出した。普段は大人しげなマヌエラだが、別人のような憤然とした顔でフレーデリータに非難の眼差しを向ける。
「今のマリアローゼさんは、シノブさまやシャルロットさまの慈悲に縋って日々を送っているだけです。これでは、貴族としての地位を取り戻すことなど出来ません」
「で、ですが……」
フレーデリータは、叱責するようなマヌエラにも怯まず、マリアローゼへと語りかけた。その十歳の少女とは思えない姿に、三つ年上のマヌエラは言葉を返すことも出来ず押し黙る。
「あの愚かな跡継ぎを見たでしょう? それに決闘などで物事を決め、強い者が跡を継ぐなど……やはり、獣人達は野蛮で劣った存在なのです」
フレーデリータの言葉に俯いてしまったマリアローゼは、モッビーノ伯爵の長男エヴァンドロが起こした騒動を例に挙げ、帝国が奴隷としていた獣人族が人族に劣ると主張した。しかし、彼女の声は揺らいでおり、本心から言っているわけではなさそうだ。
「強さだけでは無いと思います。それに、王太子殿下は、エヴァンドロさまに新たな道を示したではありませんか。帝国では、陛下や皇太子殿下の前であのような失態をすれば、死を賜るのではないでしょうか?」
「そ、それは……それは上に立つ者には、それに応じた責任が……」
フレーデリータに、マリアローゼは弱々しく反論した。おそらく彼女も、自身の言葉には納得していないのだろう。
力が全てというなら、ベーリンゲン帝国の方がよほど当てはまる。敗北は死を以って償う。これが、帝国での常識であり、実際に代々の皇帝は例外なく苛烈な裁きを下していた。見方次第と言ってしまえばそれまでだが、失敗を許さず命で償う帝国のやり方のほうが、野蛮ということも出来る。
「では、どうしろと……」
「まずは、お話になってはどうでしょうか。私はミュリエルさまのお側に上がって、アンナさんやソニアさんともお話させていただきました。お二人とも、とても聡明な方だと思います」
フレーデリータは、戸惑うマリアローゼに初めて笑顔を見せた。そしてフレーデリータは、マリアローゼの手を取ってアンナ達の下に誘おうとする。
だが、マリアローゼは、その場を動こうとしない。もしかすると彼女は、カンビーニ王国について学んだときにアンナに負けたことを思い出したのだろうか。
「マリアローゼさん、行きましょう。今の私達には、それしかなさそうです」
マヌエラは、吹っ切れたような顔でマリアローゼに笑いかけた。そして彼女は、今までの侯爵の孫娘への態度ではなく、対等な友人としての仕草でマリアローゼの手を取る。
マヌエラやマリアローゼは、あくまでシャルロットの側仕えとして使節団に加わっているだけだ。したがって、カンビーニ王国の王太子やマリアン伯爵の継嗣ブリュノとは、話しかけられない限り会話することも出来ない。要するに二人は、身近な者、身分の低い者から、他国や他種族について学んでいくしかないのだ。
「そうですわね……このままでは、何も始まりません」
マリアローゼも、友人の言葉の意味が理解できたのだろう。彼女は恥ずかしげな笑みと共に、マヌエラとフレーデリータの手を握り返す。
旧帝国の少女達が、以前の身分に拘って孤立していても、得るものはないだろう。マリアローゼが、周りの者と仲良くする気になったのかは別として、周囲と接しないことには何も変わらない。どうやら、彼女はそれに気がついたようだ。
「アンナさん、何を話しているのですか!?」
フレーデリータは、落ち着きを取り戻したマリアローゼとマヌエラを連れて、アンナ達の下へと駆け出した。陽光に金髪を煌めかせて走る彼女は、十歳という年齢に相応しい無邪気な姿に戻っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
その頃、シノブとカンビーニ王国の王太子シルヴェリオは、余人を交えずに話し合っていた。彼らがいる磐船で最も上等な船室には、他にアミィと王太子の親衛隊長ナザティスタしかいない。
「エヴァンドロ殿を、フライユにお招きしても良いのですが……」
シノブは、自身が作ろうとしている学校や、これまでマルタン・ミュレやハレール老人が行ってきた魔道具の解析や改良について、シルヴェリオに伝えた。そして、魔術理論に秀でたエヴァンドロの才能が、そこなら活きるのでは、と続ける。
「お申し出は嬉しいですが、あの男は少々人との接し方を学んだ方が良いでしょう。一応は伯爵家を離れて臣下に下った形になるので、今後は厳しく教育するようですし」
シルヴェリオは、シノブの言葉に首を振った。彼の仕草に合わせて、少々色が抜けた金髪が、ふわりと揺れる。獅子の獣人の男性は、頭髪が鬣のように立っている。シルヴェリオも、その例に漏れず豊かな髪が、ふわっと広がっているのだが、髪の色素が薄いため、銀獅子とでもいうべき印象であった。
それはともかく、廃嫡されたエヴァンドロは、伯爵家の籍を抜けて家臣に預けられることになった。
もっとも、モッビーノ伯爵家も、ずっとそのままにしておくつもりは無いらしい。エヴァンドロも国内には居づらいだろうから、いずれは外国へと彼らも考えてはいるようだ。ただ、それには最低限の対人能力が必要だと伯爵達も判断したのだろう。
なお、シノブ達の一行の出迎えに関しては、首座をエヴァンドロからシルヴェリオへと変更していた。エヴァンドロが廃嫡された以上、モッビーノ伯爵の代理となるわけにはいかないからである。
「まあ、近い将来お頼みするとは思います。エヴァンドロが、シノブ殿の下で学んだことを我が国に持ち帰ってくれても良いし、そのままシノブ殿の家臣となって、我が国との絆となってくれても良いですから」
シルヴェリオは、シノブに対しては王太子という正体を明かす以前と殆ど変わらぬ態度で接している。本来なら、一国の王太子としての威厳を示すべきなのだろうが、彼は、そんな細かいことには拘らないようだ。
「何しろ、我が国には魔術の達人は少ないですからね。魔力の少ない獣人が多いですから、どうしても体力で片付けることが多くて……」
そう言うと、シルヴェリオは肩を竦めて苦笑を浮かべる。
カンビーニ王国やガルゴン王国は、彼が言う通り獣人が多く、そのため種族特性である強力な身体能力で押し切ることが多いようだ。南方の大地を強引に切り開き、荒れる海を押し渡り、双方に潜む魔獣達を捻じ伏せて、と獣人ならではの手法で発展してきたという。
もちろん、両国には人族も住んでいるのだが、内政官や技術者などとして活躍する者が殆どで、両者にはある種の住み分けが確立されているらしい。しかも、両国の人口はメリエンヌ王国の三分の一から四分の一であり、その分、人族の数も少ない。そのため、魔術師として適性のある者も比例して少ないのだろう。
「そのカンビーニ王国に、変装の魔道具のような貴重なものが伝わっていたとは……やはり、聖人の遺産なのですか?」
「ええ。我が国の聖人ストレガーノ・ボルペが残したものです」
シルヴェリオは、シノブの問いにあっさり頷いた。二人が他者を介在しない場を持った理由は、このあたりを腹蔵なく話すためであった。
メリエンヌ王国と同様に、カンビーニ王国の創成期には神の使徒と呼ばれる聖人が存在していた。建国王レオン一世は、ストレガーノ・ボルペという聖人に助けられ、メリエンヌ王国から六年遅れて創世暦456年にカンビーニ王国を建国したという。
──アミィ、ストレガとボルペって?──
──はい、イタリア語で『strega』が魔女、『volpe』が狐ですね。やはり、天狐族だったのでは?──
シノブの問いに、アミィは苦笑気味の思念で答えた。カンビーニ王国は、地球でいうイタリアにあたる地域のようだ。そのため彼女は、シノブのスマホに入っていた辞書から引き継いだ知識で、イタリア語の単語を調べたらしい。
どうやら、カンビーニ王国の聖人はアミィと同じ天狐族で間違いないようだ。そのため、彼女と同じく幻影魔術を応用した変装の魔道具を作成できたのだろう。
「……昔はもう少し沢山あったようですが、今では五つしか無いのです。長い年月の間に、壊れたり紛失したり、色々あったようですね」
残念そうな様子でシルヴェリオは続けるが、建国当初の魔道具が使えるだけでも僥倖と言うべきであろう。何しろ、現在は創世暦1001年だ。したがって魔道具が作られてから、五百年以上は経っている筈である。
「そうですか……では、本題に入りましょうか」
ここまでの話は、実は半ば前置きというべきものであった。変装の魔道具がアムテリアの眷属にしか作れないらしいことは、アミィやホリィも言及していたから、シノブにもカンビーニ王国の聖人が作ったと想像はついていた。それに、エヴァンドロの一件は、今すぐどうこうすべき問題でもない。
シノブが聞きたいのは、王太子であるシルヴェリオが、何故こんなに早く接触してきたか、である。
「ええ。お気付きかと思いますが、まずは、シノブ殿のお人柄を知りたかったのですよ。建国王や聖人に匹敵するか、それを超える偉業を成し遂げた方の、素顔が見たかったのです。何しろ、軽々と一国を倒すお方ですから」
シルヴェリオは冗談めいた口調であったが、その瞳は真剣そのものであった。カンビーニ王国も、大使のガウディーノ・デ・アマートや娘のアリーチェを通して、シノブの人物像は把握している筈だ。しかし、それでも数々の奇跡的とも思える事跡を聞いては、なるべく早期に直接会ってみたいと考えるのが当然であろう。
「それで、いかがですか?」
「安心しましたよ。流石は『竜の友』だ、とね。この方なら、我が国が無法なことをしないかぎり、手を上げるようなことはしない、と確信しました」
苦笑いを浮かべながら問いかけたシノブに、シルヴェリオは再び相好を崩して微笑みかけた。そして、それを聞いたシノブは、穏やかな笑みで彼に応える。
「では、信頼して頂けたところで……」
「はい。率直なところ、我が国にも竜が訪れ、神殿での転移が可能になるのか、それを知りたいのです。後は、旧帝国が今後どうなるか、ですね」
シノブが先を促すと、シルヴェリオは真面目な顔に戻り、自身が訊きたいことを列挙した。
カンビーニ王国は、三方を海に囲まれ海上貿易が盛んな国だが、南方の海には魔獣が多く、南の大陸に旅立って帰ってくる者は極めて稀である。もし、南洋に安全な航路が設けられるなら、更なる発展が可能な筈だが、現実には、中々そうはいかなかったのだ。
そんな悩みを抱えていたカンビーニ王国やガルゴン王国は、シノブがヴォーリ連合国で竜と戦い、生還したと知った。しかもシノブは、竜と友好的な関係を築いたという。これらの情報を大使から得た国王やシルヴェリオは、シノブと竜が自国の悩みを解決する存在になるのでは、と期待したそうだ。
しかもメリエンヌ王国は帝国との戦いに勝ち進んでいく中で、神殿を経由した転移を得た。そして転移は、最高神と崇めるアムテリアからの贈り物だという。これはカンビーニ王国やガルゴン王国にとって、非常に衝撃的な出来事であった。
何しろ世界を創った神が、誰の目から見ても明らかな褒美を与えたのだ。つまりメリエンヌ王国こそが、神に祝福された国だということになる。
もちろんシルヴェリオ達は他国を僻む心の狭い人間ではない。とはいえ、これでは自国がアムテリアの意に沿わぬ存在のようではないか。そしてまず間違いなく国民達も同じように受け取り、最悪の場合は自国を捨てメリエンヌ王国に移住するかもしれない。
王都カンビーノに着けば嫌でも判ることだが、万一不可能だというなら王家としては事前に対処方法を検討しておきたい。逆に望みが叶えられるなら、大々的な式典を行うなど国民へのアピールの場としたいというわけだ。
「竜に関しては、海竜を紹介できると思います。神殿の転移に関しては、どうなるか私にも予想できませんが、一旦、王都の大神殿にお伺いしましょう」
シノブは、予め金鵄族のホリィを海竜の島に派遣し、彼らの意思を確認していた。その結果、彼らのいずれかが、カンビーニ王国へと訪問してくれることになっていた。したがって、海竜については紹介までは問題ない。
一方、神殿での転移については、アムテリアの意思次第である。彼女がカンビーニ王国にも授けてくれるかは、シノブにも判断がつかなかった。もっとも、カンビーニ王国やガルゴン王国は、ベーリンゲン帝国との戦いに人材や物資の提供で協力してくれた。そのため、シノブはあまり悲観していなかった。
シノブは、それらについて、隠すべきところは隠しながら、大まかに伝えていく。
「おお、素晴らしい!
神殿に関しては、我らが王都にお越し頂いた際に、名所旧跡の一つとしてご案内する形にしましょう。もし、転移を授からなかったとしても、シノブ殿が我が国の神殿に参拝して下さるのは、誰から見ても自然なことでしょうし。
しかし海竜ですか! これはまた、何とも嬉しいことですね。まるで、南洋を航海せよと大神アムテリア様が後押しして下さっているみたいです!」
シノブが説明を終えると、シルヴェリオは今度こそ憂いが完全に無くなった、と言わんばかりの笑みをみせた。そして一気に言い切った彼は、そのまま少々遠い目をして黙り込んでいる。どうやらシルヴェリオは、海竜と出会い南方航海が可能になったときを想像しているらしい。
「でも、竜達に認められても、友人として助けてくれるだけです。それに、彼らの試しは中々強烈ですよ。陛下も試しを受けましたが、見ているだけで肝を冷やしました」
シノブは、少々脅すような口調でシルヴェリオに笑いかけた。
彼は、自国の王アルフォンス七世が、岩竜ガンド達、五頭の竜に囲まれたときのことを思い出したのだ。あの時のガンド達は、アルフォンス七世の本心を知るために、わざと高圧的な態度をとっていた。あの、全長20mもの成竜達が自国の王を威圧する姿は、シノブとしても忘れられるものではなかった。
「南方交易の為なら、どんな試練でも乗り越えてみせます! それが我ら王家の成すべき事ですから!」
やはり、海洋国家の王太子だけあって、シルヴェリオも航海には並々ならぬ情熱を持っているようだ。シノブは、意気込むシルヴェリオを見ながら、思わず微笑みを浮かべてしまった。
シルヴェリオは、そんなシノブの様子に気がつかないようで、南方航海のあれこれについて、熱くシノブに説明していく。シノブは、勢い込む王太子を見ながら、海竜達が、どんな風にカンビーニ王国の指導者達を見定めるのかを想像し、ますます笑みを深くしていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2015年9月6日17時の更新となります。