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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第13章 南国の長達
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13.12 国境を越えて 後編

 カンビーニ王国の国王は代々レオンの名を受け継いできた。

 彼らは王太子になったときに、レオンの名を与えられるが、国王と王太子の双方が同じ名では色々面倒である。そのため、王太子は正式な場以外では幼名で呼ばれるという。つまり、現在の王太子シルヴェリオは、正式にはレオン・シルヴェリオ・デ・カンビーニという名であった。

 なお、カンビーニ王家は獅子の獣人の一族だ。獅子の獣人は、虎の獣人と同様に、身体強化を得意とする種族で、当年とって二十三歳の王太子シルヴェリオも武術の達人という噂であった。


 そして、カンビーニ王国のモッビーノ伯爵家に雇われた傭兵としてシノブの前に現れた男は、どうやらその王太子シルヴェリオらしい。その彼を含む三人の傭兵は、モッビーノ伯爵の嫡男エヴァンドロの部下として磐船に乗り込んだ。エヴァンドロが、カンビーニ王国にシノブ達が滞在する間の案内役となったからだ。

 なお、シノブの前に立つ三人の傭兵は人族のように見えるが、これはアミィが作った変装用の魔道具と同じようなものを使っているらしい。最初はシノブにも察知できなかったが、注意深く探ってみると、三人からは変装の魔道具と似た魔力波動を発していたのだ。


──アミィ、変装の魔道具って、今までアミィが作ったものしか見たことが無いけど?──


 シノブは、リオという名の人族の傭兵、つまり王太子シルヴェリオらしき人物の見事な演武を見ながら、心の声でアミィに訊ねた。磐船の甲板に立つ彼の側には、アミィとソニア、それにアルバーノが控えている。


 シノブ達は、エヴァンドロに磐船の中を案内した後、暫し彼を持て成した。といっても、女性陣は別行動をしているから、シノブとマリアン伯爵の継嗣ブリュノ、そしてガルゴン王国の大使の息子ナタリオなどがエヴァンドロやその部下の相手をしたのだ。

 エヴァンドロは、ここまでシノブ達を案内してきたアリーチェの婚約者だと自称していた。アリーチェの父で駐メリエンヌ王国大使を務めるアマート子爵ガウディーノは、三代前の国王レオン十八世の曾孫でもあり血筋も良い。

 したがって、通常ならお似合いと言うべき二人だが、エヴァンドロは虎の獣人にしては珍しいほど貧弱な青年であり、儀式の際に大剣を取り落とすくらいだ。しかも、彼はアリーチェ達女性陣に嫌われたと察することも出来ないらしい。

 そのため、女性達は理由を付けて別室に篭っており、シノブ達だけでエヴァンドロの相手をしたのだ。


──カンビーニ王国の聖人が遺したものだと思います。私が使う幻影魔術と似ていますから──


──確かに、あれは地上の者には作れませんね。私もアミィの想像通りだと思います──


 アミィが、自信ありげな様子でシノブに答えると、磐船と並んで飛翔するホリィも、同意した。

 変装の魔道具は、現在のエウレア地方の魔道具技術では作ることが出来ないという。どうも、現在聖人と呼ばれている神の使徒達は、悪用を恐れて製法を伝えなかったようだ。あるいは、眷属の特殊な魔術が必要で、地上の者には再現できないのかもしれない。


──シノブさんなら、出来るんじゃないですか?──


 こちらは、岩竜の子オルムルである。彼女もホリィと共に磐船の上を飛んでいるのだ。生後七ヶ月を超えたオルムルだが、この頃の岩竜や炎竜の子は、暇さえあれば飛翔の訓練をするらしい。彼女は、今回の旅では磐船を運ぶ炎竜イジェと並んで飛んでいることが多い。


「シノブ様、アルバーノ叔父様が言う通り、あのニーノという方は従兄弟に似ています」


 暫く傭兵達を眺めていたソニアは、周囲に聞こえないようにシノブに(ささや)いた。彼女が来たのは、三人の傭兵の中に、彼女やアルバーノの一族らしき人物がいたからだ。

 アルバーノは、ニーノという甥と似た顔の傭兵が、単なる空似ではないと感じた。ただし、アルバーノによると、肌の色などは少々変えているらしい。地球とは違って多様な種族がいるこの世界では、獣人族と人族の顔が似ていても同一人物とは思わないようだ。しかし、念のために多少は容姿を変えたのだろう。

 そのニーノという傭兵、アルバーノの甥でソニアの従兄弟ロマニーノらしき男も、中々の腕のようだ。もっとも彼がロマニーノなら、若くして王太子の親衛隊に入った武人だ。したがって腕利きなのも当然である。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……素晴らしい技ですね」


 シノブは、演武を終えた傭兵のリオを拍手と共に褒め称えた。これは、お世辞ではなく本心からの言葉である。その証拠に、一緒に演武を眺めていたナタリオも、シノブ同様に拍手を惜しまない。


「稀代の英雄フライユ伯爵閣下にお褒めの言葉を賜るとは、光栄の至りです」


 凛々しい顔の青年リオは、綺麗な仕草でシノブに一礼をしてみせる。その動作は、優雅でありながら、どこか大仰であり、どことなくアルバーノの振る舞いに似ていた。


「先ほどのニーノ殿の演武も見事でしたが、リオ殿の流麗かつ重厚な剣にも感嘆しました!」


 武術好きのナタリオは、二人続けての素晴らしい演武に、その目を輝かせていた。彼は、アリーチェの婚約者を自称するエヴァンドロの登場に憤慨していたが、このときだけはそんな事を忘れてしまったらしい。


「カンビーニ王国の男子なら、武術の腕を磨くのは当然のことです。まあ、エヴァンドロ様のような例外もいますがね」


 傭兵のリオは、ナタリオにも一礼をした後に、肩を(すく)めて皮肉げな笑いを浮かべた。

 ちなみに、エヴァンドロは船室に残ったままである。日課の鍛錬をする、といって甲板に出たシノブに、彼は同行しなかった。やはり、体を鍛えていないエヴァンドロは武術への興味が薄いようだ。

 なお、エヴァンドロの相手はブリュノが引き受けている。どうやらエヴァンドロは、マリアン伯爵領を経由してくる交易品、特に魔道具に興味があるらしい。


「ニーノ殿は、我が甥と良く似た技を使いますなあ」


 三人目の傭兵ナザトの演武を見ながら、アルバーノは自身の甥らしき人物に、陽気な声で話しかけていた。彼と共に、ソニアもニーノの方に寄っていく。


「アルバーノ殿の甥とは、あのロマニーノ殿のことですか? 王太子殿下の親衛隊員と比べられるなど、恐縮です」


「いえ、従兄弟より貴方が上かもしれません。もっとも、私が従兄弟に剣を教えてもらったのは、もう何年も前のことですが。でも、本当に良く似ていますね。昔の従兄弟が何年か修行をしたら、貴方のようになりそうです」


 アルバーノに似た爽やかな笑顔で答えるニーノに、ソニアは意味ありげな笑みと共に話しかけている。

 しかし、二人の意味深な言葉にもリオやニーノは動揺を見せない。もし彼らが王太子とその家臣だとすると、元から正体を隠すつもりなどないのかもしれない。

 彼らはアルバーノを紹介されたときも避ける様子は無かったし、むしろ積極的に話しかけていた。それを見たシノブは、彼らが自分達の正体を察してほしいのでは、と思ったくらいである。


「リオ殿……貴方達は、どうしてエヴァンドロ殿のところに?」


 シノブは、ナザトという三十代の傭兵の演武を見ながらリオに語りかけた。もし、彼が自分達との非公式な接触を望んできた王太子なら、それとなくでも理由を教えてくれるのではないかと思ったのだ。


「それは、当然フライユ伯爵閣下にお会いしたかったからですよ。こうやって間近にお目にかかり、しかもお声を掛けていただけるとは……伝手を頼ってモッビーノ伯爵閣下にお願いした甲斐がありました」


 リオは、シノブの側にいる炎竜の子シュメイを撫でながら答えた。そんな彼を、シュメイの足元にいる岩竜の子ファーヴは、興味深げに見つめている。もしかすると、ファーヴは変装の魔道具から出る魔力に感づいたのかもしれない。

 竜達は、自身を乗り物として見ているらしいエヴァンドロは嫌ったようだ。しかし、リオ達については悪感情を(いだ)いていないらしい。竜は自身に向けられた感情を読み取るから、リオ達に悪意が無いと察したようである。


「伯爵家の方と親しいのですか?」


 ナタリオは、傭兵に対して話しかけているにしては、少々丁寧な口調でリオに語りかけていた。

 実はシノブは、彼やブリュノにも三人の傭兵が王太子一行かもしれないと伝えていた。もし伏せたままで何かあったら、カンビーニ王国との騒動の種になりかねないからだ。

 もちろん、この件はアミィを通してシャルロット達にも伝えていた。彼女達は非常に驚いたようだが、一方で安堵したらしい。国王や王太子は賢明な人物という評判だから、アリーチェの件に関しても公平な判断をしてくれるのではと期待したのだろう。


「伯爵夫人と御縁がありまして。どうも夫人は、エヴァンドロ様が心配みたいですね。もっとも、エヴァンドロ様にも、あれで取り得はあるのです。何でも魔術理論だけは非常にお詳しいとか。ただ、肝心の魔力は少ないのですが……」


 リオは、少々苦笑気味にナタリオに答えた。どうやら、エヴァンドロは特定のことに力を発揮するが、それ以外には目が向かない一種の天才型らしい。

 それはともかく、モッビーノ伯爵には二人の夫人がいる。第一夫人がエヴァンドロの母で、第二夫人が次男のアッティーロの母だという。なお、カンビーニ王国出身の商人モカリーナによれば、アッティーロはまだ十歳だが、七歳年上の兄とは違って全般的に高い能力を示す少年のようである。


「それは……」


「シノブ! そろそろモッビーノのようだぞ!」


 どちらの夫人か、とシノブは聞こうとしたが、船首近くにいるイヴァールの大声が(さえぎ)った。いつの間にか、炎竜イジェは少しずつ高度を下げている。


「フライユ伯爵閣下、奥方達にもお知らせになってはいかがでしょう?

傭兵ごときが口にするのも畏れ多いのですが、我が国では女性に気遣い出来ない男は神罰を受けると言います。もちろん閣下には、そんな心配は不要ですが……」


 リオは片目を(つぶ)って微笑んでみせる。彼はシャルロット達に知らせるよう勧めると見せかけて、何やら伝えたいようでもある。


「そうですね。確かに、女性は大切にすべきです。私も、不埒な男には天罰が下るべきだと思いますよ」


 シノブも、柔らかな笑みを浮かべながら頷いた。

 リオの言葉の裏にあるものをシノブは読み取ったのだ。おそらく彼は、アリーチェを心配しなくても良いと言いたいのだろう。シノブは安堵に顔を綻ばせながら、船室へと向かっていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 都市モッビーノに到着したシノブ達は、その中央にあるモッビーノ伯爵の館へと招かれた。

 都市の構造自体は、メリエンヌ王国と同様で、東西南北の四区が領民のための外周区として存在し、中央区として統治機構のための区画が存在するものだ。

 しかしシノブ達が着いたのは、既に夕方であり、しかも磐船に乗って空からモッビーノ伯爵の館の庭へと舞い降りたため、都市の様子を見る時間はなかった。シノブが見て取ることが出来たのは、都市の建物の屋根が、メリエンヌ王国よりも派手な赤や青で彩られていたことくらいだ。


「……どんなところかと身構えていたけど、良い意味で予想外だったね」


 モッビーノ伯爵の館の貴賓室に落ち着いたシノブは、侍女達が下がったのを確認すると、向かいのソファーに座ったシャルロットとアミィに苦笑混じりに語りかけた。彼らは、既に夕食を済ませた後である。


 庭に磐船を置いたシノブ達は、モッビーノ伯爵達が主催する晩餐の場へと赴いた。海が近い都市モッビーノは、新鮮な魚介類も多く、シノブ好みの料理も多かった。それに、モッビーノ伯爵やその夫人達も話し上手であり、晩餐会は和やかなまま終わっていたのだ。


「モッビーノ伯爵も、立派そうな方だったし」


 シノブは、館の当主との会話を思い出し、頬を緩めていた。

 モッビーノ伯爵は四十歳前後の紳士だった。エヴァンドロと同じく虎の獣人だが、息子とは違い鍛えられた肉体の持ち主であり、晩餐のときの言動も領主として申し分の無いものだった。


「ご夫人達も、聡明そうな方々でしたね」


「はい……」


 意外そうな顔をしたシャルロットがシノブに相槌(あいづち)を打つと、隣のアミィも同じような表情で頷いた。

 シャルロットが言うように、夫人達からも領主の一族らしい品格が感じられた。凛々しさが印象的な第一夫人のヴィルジーナは、モッビーノ伯爵家の中で一人だけ獅子の獣人であった。エヴァンドロの母である彼女は、王家からモッビーノ伯爵に降嫁したのだ。


「リオさんが伯爵夫人と縁があるって言っていたのは、てっきりエリーリアさんのことだと思っていたんだけどね」


 エリーリアとは、モッビーノ伯爵の第二夫人だ。シノブは、次男のアッティーロの母である彼女が、王家に能力不足の長男をどうにかしてくれと頼んだのでは、と考えたのだ。

 しかしヴィルジーナが王家の出なら、王太子も彼女に何らかの配慮をするのではないだろうか。そんな思いに囚われたシノブは、王太子である筈のリオの意図がどこにあるのか(つか)みかねていた。


「アッティーロさんを推すのは、やっぱりエリーリアさんですよね……」


 アミィは、頭上の狐耳を若干伏せながら自信なさげに呟いていた。

 アッティーロは噂どおり聡明な少年だった。そのためアミィも、エリーリアが自身の息子を次代の伯爵にすべく画策したと思ったようだ。


「まあ、あの調子なら、今晩中に何か……」


「シノブ様、お寛ぎのところすみません!」


 シノブがアミィに言葉を返しかけたとき、侍女のアンナの遠慮がちな声がノックと同時に扉の外から響いた。どうやら、早速彼らが予想したことが起きたようだ。シノブ達三人は、苦笑の中にも若干の期待を篭めて、ソファーから立ち上がった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 アンナがシノブ達のいる部屋の扉をノックする少々前、モッビーノ伯爵の継嗣エヴァンドロは、館の貴賓室が並ぶ一角へと向かっていた。

 伯爵家の貴賓室ともなれば、それぞれに複数の部屋が存在し風呂場や簡易的なキッチンなども併設されている上等なものだ。居間となる部屋を中心に、複数の寝室、そして従者の控えの間に、取次ぎの間などが置かれた区画が、賓客の家格に応じていくつも設けられている。

 そのため、エヴァンドロが歩む通路も、魔道具の灯りが何十と連なる長大なものであった。


「むっ……きっ、貴様!」


「これはエヴァンドロ殿。どうされたのですか?」


 激昂するエヴァンドロの視線の先、通路に(たたず)んでいたのは苦笑気味のナタリオであった。二人の虎の獣人は、他に人気の無い通路で向き合っている。

 この二人は対照的な若者だ。怒りを顕わにしたエヴァンドロは、ひょろひょろとした細い手足に、日に当たったことが無いような白い(おもて)だ。それに対し、どこか余裕が感じられるナタリオは、武術の鍛錬で鍛えられた太い四肢に、良く日焼けした顔が印象的であった。


「わ、私はアリーチェ殿に会いに来たのだ!」


「アリーチェ殿は、もうお休みでしょう。それに、ここから先は王女殿下の滞在する区画です。深夜に訪れるべき場所ではありません」


 白い肌に血を上らせたエヴァンドロに、ナタリオは淡々と答えた。

 彼が言う通り、ここから奥は王女セレスティーヌとミュリエル、そしてアリーチェが滞在する区画であった。当然、男性が不用意に近づいて良い場所ではない。


「な、ならば何故(なぜ)貴様はそこにいる!」


 エヴァンドロはナタリオに対して乱暴な口調で叫んだ。ナタリオもガルゴン王国の大使の息子で、子爵家の嫡男である。その彼に貴様などと呼び詰問するのは国際問題となりかねないのだが、そんなことはエヴァンドロの頭に思い浮かばないようだ。


「私は王女殿下から不寝番を拝命しまして……何やらアリーチェ殿が不安を感じていらっしゃるとか」


「なっ! 貴様……晩餐の間もアリーチェ殿と親しくしていたな! さては!」


 ナタリオは、演技なのかそれとも本心なのか、(あき)れたような表情を浮かべている。確かに、ナタリオとアリーチェは晩餐で隣同士であったが、節度のある態度で会話していただけである。もっとも、かれこれ二ヶ月もシェロノワに滞在する二人だから、相応に仲が良いのは事実ではあるのだが。


「貴様! 決闘だ!」


「……決闘とは、穏やかではありませんね。それに、ナタリオ殿は私の友人です。私達も立ち会って良いですね?」


 決闘と叫ぶエヴァンドロに後ろから話しかけたのは、シノブである。彼の背後には、廊下での騒ぎを聞きつけてシノブ達を呼びに行った侍女のアンナの他に、シャルロットやアミィも並んでいた。


「くっ! も、もちろん構わない! では、明朝、我が伯爵家の庭で!」


 エヴァンドロは僅かに動揺した様子であった。しかし彼は、シノブの言葉に同意すると日時と場所を指定して、その場から立ち去っていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「しかし、エヴァンドロ殿が決闘すると言い出すとは、意外でした」


 朝日が差す中、シノブは隣に立つ傭兵のリオに話しかけた。リオを含む三人の傭兵は、シノブ達の世話係として付けてもらったのだ。もっとも、シノブ達には自身が連れてきた従者がいるから、実質的な役目は無く、単なる話し相手というのが実情である。


「一応、細剣(レイピア)は少々自信があるようですよ。ただし弟君に勝てるかも怪しいですが」


 爽やかな笑顔を浮かべたリオは、少々肩を(すく)めながらシノブに答えた。

 胸甲や手甲などを付けたエヴァンドロは、モッビーノ伯爵家の庭にある訓練場で、同じ装いのナタリオと向かい合っている。そしてエヴァンドロは、自信ありげな様子で木剣を握っていた。なお、二人が持っている木剣は細い真っ直ぐな棒のようなものだ。どうやら、細剣(レイピア)を模したものらしい。


「アッティーロ殿にですか……」


 シノブは、リオが王太子シルヴェリオだと確信していた。そのため、単なる傭兵には少々過剰なほど丁寧な口調で答える。

 確かに、エヴァンドロは、十歳の弟アッティーロにも勝てないだろう。父や夫人達と共に、心配そうな顔で兄を見守るアッティーロは、俊敏そうな体つきの少年であった。それにシノブが見るところ、彼は体術の方も充分に修めているようだ。

 それ(ゆえ)シノブも内心ではリオの言葉に同意していたが、流石に表立って言うことは出来ない。


「それでは、始め!」


 審判であるマリアン伯爵の嫡男ブリュノが、二人に開始の合図をする。シノブ達が話している間に、決闘の準備は終わっていたのだ。


「や~!」


「えい!」


 エヴァンドロが、気の抜けた掛け声と共に切りつけるが、ナタリオは難なく躱し、逆に突きを放つ。ナタリオは、木剣が細剣(レイピア)仕立てであるため、突きを選択したようだ。


「ぐあっ!」


「ナタリオ殿の勝ち!」


 ナタリオの鋭い突きは、エヴァンドロの胸甲の中心を貫くように見える激烈なものであった。当然、それを受けたエヴァンドロは、尻餅をついてひっくり返ってしまう。


「い、今のは無しだ! ちょっと油断していただけだ!」


「油断していたなどと……」


 シノブの隣では、シャルロットが(あき)れ果てたという表情で呟いている。その隣のアミィも、口には出さないがシャルロット同様に憤慨した様子だ。

 なお、決闘というが、メリエンヌ王国の場合と同様に命を奪わないように工夫が施されたものであり、実質的には試合である。しかも、今回は木剣とはいうものの、剣尖(けんせん)を尖らせていない丸い棒だ。しかし、本来は生死を懸ける戦いであるから、やり直しなどある筈がない。


「……始め!」


 家臣に回復魔術を掛けてもらったエヴァンドロは、木剣を構え直した。それを見て、シャルロット同様に戸惑い気味のブリュノが開始を告げる。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……あ、足が滑った、やりなおそう!」


「何度でも構いませんよ」


 一回どころか、既に五回は仕切り直しているのだが、エヴァンドロは負けを認めない。シノブ達だけではなく、アリーチェにセレスティーヌ、ミュリエルなど、主だった者は全て観戦しているのだが、皆、困惑した様子で一方的な戦いを眺めていた。

 その中、モッビーノ伯爵と家族達は(つら)そうな顔でエヴァンドロの様子を眺めている。彼らは、この戦い自体ではなく、その先に訪れるものを案じているようである。


「もしや、これはモッビーノ伯爵家の総意なのですか? 彼らはエヴァンドロ殿を……」


 シノブは、モッビーノ伯爵家の誰かではなく、エヴァンドロを除く全員が、彼の廃嫡を望んでいるのではないかと思い当たった。

 そして、シノブの言葉を聞いたシャルロットは、僅かに眉を動かした。だが、彼女はそれ以上の動揺を見せなかった。もしかすると、シャルロットはシノブより早くモッビーノ伯爵家の思惑に気が付いていたのかもしれない。


「仕方ありません。あれでは伯爵家を継ぐことなど出来ないでしょう。もっとも、私も彼がここまで粘るとは思いませんでしたが……」


「ここまでの失態を見せた以上、もはや退()けないのでは? しかし、この諦めない心を、もう少し早く別の方向に発揮していれば……」


 少々(あき)れながらも感心した様子のリオに、シャルロットが続く。

 二人の言葉を聞いたシノブは、エヴァンドロが出迎え役に名乗りを上げたのは、廃嫡への動きに対する焦りもあったのではないかと考えた。もしそうなら、出迎えの儀式のときに大失敗をしても気にする素振りがなかったのは、失敗できないが(ゆえ)に無視したかったのであろうか。


「伯爵が継嗣を変えるだけでは済まないのですか?」


「母君が王家の出身ですからね。相応の理由が無ければ周囲が納得しません」


 シノブは、伯爵家が廃嫡を望んでいるなら自主的に継嗣を変更すれば良いのに、とやりきれない思いを(いだ)いた。しかし同時に、それでは収まらないのだろうとも考え、溜息を()いてしまう。

 それに対するリオの答えは、やはり予想した通りのものであった。伯爵家としても、王家を(ないがし)ろにしたと受け取られかねない措置には、そう簡単には踏み切れないのだろう。そのため、跡継ぎとして致命的な欠陥があったと、誰もが納得する形で示す。どうやら、そういうことのようだ。


「もうよい! これ以上、恥を晒すな!」


 ついに、リオが止めに入った。彼は、変装の魔道具を外して獅子の獣人としての姿に戻っている。


「で、殿下!」


「これで判っただろう。エヴァンドロ、そなたは武人や領主には向かん。だが、魔術理論には飛びぬけた才を示している。だから、その道を歩むが良い」


 正体を現した王太子シルヴェリオを見て、ついにエヴァンドロも事態を察したようだ。彼は、がっくりと崩れ落ちたが、王太子が最後に発した言葉に顔を上げた。やはり、彼も己に向いた道を悟っていたのだろう。


「ナタリオ殿。エヴァンドロの無礼、私に免じて許してほしい。それに貴殿の手を煩わせた事も詫びよう」


「殿下の仰せのままに!」


 軽く頭を下げるシルヴェリオに、ナタリオは貴人への礼を返す。

 エヴァンドロが領主とならないなら、アリーチェが彼を拒んでも問題ない。それに、一国の王太子が仲裁しているのだ。ここは素直に了承して貸しを作っておくべきだ。ナタリオは、そう考えたのだろう。


「モッビーノ伯爵の継嗣は、次男アッティーロとする! これは、父の意思でもある!」


 王太子シルヴェリオの宣言に、モッビーノ伯爵家の者達は静かに(ひざまず)き頭を下げた。大地を見つめる彼らの横顔からは、一抹の悲しみと肩の荷を降ろしたような安堵が感じられた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「しかし、ガウディーノ殿が『大変嬉しいのですが娘はまだ子供ですから』と言ったのを、婚約だと思っていたとはね」


 割り当てられた貴賓室に引き上げたシノブは、向かい側のソファーに座っているシャルロットに疲れたような表情で言葉を漏らした。シルヴェリオが廃嫡を宣した後、シノブはエヴァンドロにアリーチェと婚約したと誤解した経緯を聞いたのだ。


「ありがとうございます、アミィ。

……普通なら拒絶、良くて保留と思うでしょうね。それを未成年だから婚約までにしましょう、と受け取るとは」


 お茶を注いだアミィに礼を言ったシャルロットは、シノブに答えた後、首を左右に振っていた。

 やはり、エヴァンドロは領主には向かない人物だったのだろう。彼の能力や性格は置くとしても、これでは家臣とのやり取りも不自由するのではないだろうか。どうも、細剣(レイピア)に自信があったのも、一番向いている、などの追従(ついしょう)()に受けたかららしい。


「ともかく、子供を育てるのは大変だね。モッビーノ伯爵達も、聡明な方なのに……」


 シノブは、お茶を一口飲んだ後、再び口を開いた。

 シルヴェリオによれば、モッビーノ伯爵には、王家から嫁いだ第一夫人ヴィルジーナへの遠慮があったようだ。そのため、エヴァンドロに厳しく接しきれなかったらしい。

 そして、シルヴェリオが秘密裏に訪れることを望んだのは、ヴィルジーナであった。彼女も、虎の獣人にしては身体能力に恵まれず魔術理論に傾倒した息子を、やはり甘やかしてしまったようだ。しかし彼女は、同時に跡取りとするには無理があると判断し、シルヴェリオに依頼をしたという。

 なお、ヴィルジーナは、王家に伝わる変装の魔道具のことを知っていた。カンビーニ王家の者は、時折姿を変えて各地に赴き、家臣の査察をしているらしい。


「シノブ様とシャルロット様も、気をつけてくださいね。お二人の血を受け継いだ上に、アムテリア様の祝福を授かっているのですから、才能溢れるお子様だと思いますが、それだけに間違った方向に行くと……」


 お茶を淹れ終わったアミィは、シャルロットの隣に座るとシノブ達に笑いかけた。その冗談っぽい口調からすると本気ではなさそうだが、一方で近い将来子供を育てる二人への教訓になると思ったようでもある。


「ああ。気をつけるよ。でも、領主以外の才能があれば、そっちで良いと思うけどね。それに、沢山子供が生まれたら、誰か一人くらい領主に向いた子もいるだろう」


 立ち上がったシノブはシャルロットの側に歩み寄り、彼女の肩に手を掛け微笑んでみせた。

 もちろんシノブも、自身の子が持つ才能を発揮できるよう育てるつもりだ。しかし、他に向いた道があるなら、そちらを歩ませるべきだろう。そして、一人の子に全てを背負わせることもない。彼は、そんな思いを篭めながら、シャルロットに顔を寄せる。


「シノブ……」


 シャルロットは、夫の言葉に少し困ったような、しかし嬉しさも滲む複雑な表情となった。

 彼女は、武人として恵まれた才能を持ち、それを活かすために努力してきた。そして彼女には、単純な武力だけではなく、真摯な性格と人間としての魅力もあったから、部下にも慕われ順当に司令官への道を歩んできたようだ。しかし、それだからこそ彼女は、才能に関する冷厳な現実は誰よりも知っているのだろう。


「もっとも、この子がどんな才能を持っているかなんて、まだ誰も知らないんだ。今から心配するのはやめようか」


 そう言うと、シノブはシャルロットのお腹に手を当てた。まだ、シャルロットの体型には変化は無いが、シノブは優れた魔力感知能力で、極めて小さな命の存在を感じ取っていた。

 シノブは我が子の魔力波動を感じ取って思わず微笑んだ。そしてシノブの微笑みは、彼を見つめる二人にも伝播していった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2015年9月4日17時の更新となります。


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